いつからだろう、山に入るようになったのは。
そもそも休日に外で遊ぶよう仕向けてきたのは、他でもない、“Nikon・D100”だ。
ずいぶんと大枚は飛んでいってしまったが、高性能なデジタル一眼レフカメラを手に入れたことにより、フィルムカメラでは費用がかさむ為に躊躇していた撮影データの収集や、ブラケッティング撮影等を積極的に行えるようになり、それが結果的に行動半径を広げていくことに繋がった。
当然近所の試し撮りだけでは飽き足らず、デジイチならではの性能を駆使できる被写体を探し求めて、あてもなく、公園、下町、ベイエリア、地方都市、神社仏閣等々を歩いて回った。
そんなある日、たまたまTVのスイッチを入れると、青々としたきれいな川の流れが画面いっぱいに広がっていて、暫し見入ってしまう。その内それが山梨県にある尾白川渓谷であることが判明。白い石灰岩の岩肌と清流の織りなす美しさにすっかり魅了され、すぐに地図で位置を確認すると、次の休日にはとにかく現場まで行ってみようと計画を立てた。
まあ、計画といっても何時に起きて何時に出発する程度で、持参物はD100と財布だけ。衣服もポロシャツ、ジーンズ、スニーカーと深くは考えなかった。
中央道・韮崎ICを下りて甲州街道へ入る。ガソリンスタンドを左折すると目的地の駐車場までは間もなくだった。
到着後、D100をたすき掛けにして渓谷路へと歩き出した。目の前を流れる尾白川を渡ると道は登山道になり、最初の滝を見終えると次は急坂だった。
ー カメラが壊れちゃう!
結構な斜面なので、提げたカメラが前方に浮いて路面や脇の岩に触れてしまうのだ。手に入れたばかりのD100に傷でも付けたら泣きが入る。
ー ハイキングにしては結構ハードだな、、、
流れる水の清冽さと滝の美しさはTVで見る以上だった。今から思えば距離もそこそこある登山道だったが、眼前に広がる美しい景色を切り抜こうと無我夢中でシャッターボタンを押し続けていたので、充実感に浸れても疲れを感じることはなかった。
但し反省点はあった。今後山に入るならば、それなりの靴とザックだけは必須ということ。
ー 山には被写体が多いかも…
これがきっかけとなり、先ずは山の基本から勉強しようと考えた。
近所の書店へ足を運ぶと、あるわあるわ。当時は今のような登山ブームはなかったが、ハイキングコースをはじめとする手軽な山歩きを紹介する本は結構な種類が並んでいた。
丁寧な解説と、山での注意点を要約した一冊をチョイスし、研究を始めた。
夕飯も忘れて食い入るように読んだ。
ー ここがいいかも。登山口まで車で行けるし、沢もある。
目指す山は“奥多摩・川苔山”に決定。本を読み進めると、川井の交差点を右折して、大丹波川沿いに行けるところまで行くとそこが駐車スペースになっているらしい。但、注意点として、暗くなってからのUターンは危険なので、到着したら車を下流へ向けて駐車すべしと書いてある。
ちょっと不安…
ピュアなアウトドアとは無縁の生活を送っていたので、単に登山口へ向かうとしても、それは未知へのチャレンジになる。
私にとってこれまでの奥多摩は、アスファルトで整地された周遊道路や柳沢峠であり、そこをバイクで猛烈きわまりない走行をするのが“アウトドア”の楽しみだった。
枝道を山へと向かい、一歩一歩地道に進んで行くことなど、正直夢にも思わなかった。
ー おおっ! ここから先はダートか?!
キャンプ場を過ぎて暫く行くと、道は一気に狭くなり、同時に未舗装路となった。
当時の愛車はBMW318i(E36)。車高が高い車とは言い難く、フロントスポイラーから地面までは僅かな隙間しかない。
ー ひたすら徐行か、、、
それでも時々石が跳ねて、ボディー下にヒットする音がした。
道は行けば行くほど荒れていき、不安はそれに比例して大きくなっていった。しかも幅員は車いっぱいほどだから、どうあがいてもUターンは不可能。もしも対向車が来たり、荒れが酷くなって前進できなくなったら、はるか後方までバックで戻らなければならないのだ。
ー すげーとこ、きちまったな…
車から降りて大きな石を脇に寄せる必要が出てきた頃には、さすがにこのまま行くべきかどうか迷った。車がジムニーなら屁でもない道なのだが、、、
ちょっとした上りを2~3ほどクリアすると、道はやや広がってきて、間もなく目的のどんつきへと出た。
ガイドブックに記してあったとおり、そこの一角は広くなっていて、車の向き変えも容易だ。但し注意書きにもあったが、暗くなってからは特にバックが恐怖だろう。ガードレールなしの先は奈落の底が待っているのだ。陽が落ちれば漆黒の闇である。
ー どこから山へ入るのかな?!
“熊に注意”の看板はあっても、肝心な道標が見当たらない。
周囲をうろうろしたあと、何気に谷をのぞき込んだら、はるか眼下に山道を発見。そして1mほどの段差の先に道らしきものも確認できた。滑らないよう慎重に歩を進め、トラバースしながら少しずつ谷を下りていった。
川の様子が分かるところまでくると、流れに掛かる木の橋が見えた。左岸にあった山道が大きな岩に行く手を阻まれ川をクロスしているのだ。そしてその先には次の橋があり、道は再び左岸へと戻る。
ー いや~、きれいなところだな。
流れに変化のある清流とそれに掛かる木の橋。周囲は苔むしていてやや薄暗いが、深山ムードは百点満点。こんな光景を東京都で見られるなんて驚きである。
登山はここで一旦休憩とし、腰を入れて写真撮影を始めた。
渓流の脇に咲く一輪の花、たっぷりと水を含み多様な表情を見せる苔、スローシャッターで踊らせる川の流れ等々、被写体の豊富さと自然の濃さに感心しながら、三脚を担いで一時間近くも一帯を散策してしまった。
この後、予定通りに獅子口を経て川苔山山頂まで至ったが、登頂の醍醐味以上に、水の流れを中心とした山の美しさが頭を離れなくなり、<山へ入ること=被写体探し>という構図は、この時点で既に揺るぎのないものとなったようだ。