膝の具合 Part 1

 ちょうど一年前の十月。階段の上り下りで突如膝に痛みがでた。以前も二度三度同じような症状があったが、たいがい一週間から十日ほどで引いていたので、それほど気には留めなかった。ところが待てど暮らせど良くなる気配がない。痛みの部位が違うのか、はたまた原因が違うのか。自分ではどうしようもなく形成外科を訪ねた。

「写真を見る限り、変形性膝関節症ではないようですね」
 物々しいレントゲン写真へ目を凝らす。関節の隙間はきれいで、素人目にも潰れているようには思えない。
「じゃ、痛みはどこからですかね?」
「大腿筋の下部かもしれません。このお皿(膝蓋骨)の下あたりです」
「……」
「ステロイドの注射でもしときます?」
「いやいや、けっこう」
 原因が絞れる前にステロイドとはいささか乱暴な話だ。
「膝サポーターが効果的な場合があるので、試してみたらどうです」
 結局ドクターお勧めサポーターの提示と、湿布の処方で終了した。なんともすっきりしないやりとりだったが、勧めてもらったサポーターは即入手し、二週間分もらった湿布もしっかりと張り続けた。
 そして一週間が経過。湿布は風呂上がりに貼るとスッとして気持ちがいいだけ。そして四千円もしたサポーターは全くの無駄。それどころか圧迫感がさらなる痛みを呼ぶような感じで、装着二日後にはお役御免とした。
 さて、これからどうしたものか……

ニコンD100で西伊豆松崎

 昨年十月七日のブログにも記した大好きな西伊豆の港町“松崎”。この時の撮影データは十八年前の恒例年末撮影会のものである。
 HDDに保存した撮影データは、気がついた時などに順次DVDへバックアップしているが、不覚なことにその取り込んだDVDに表題を記入する際、他のDVDと取り間違えていたのだ。一時は紛失したと思い込み、ずいぶん滅入ったものだが、この間抜けなポカミスが判明して嬉しいやら情けないやら。とにかく一件落着である。
 今回、そのデータをひとつひとつチェックして行ったのだが、改めて写真は道具じゃないと痛感。メインで使ったカメラは二〇〇二年に発売されたニコンD100。同社初となるコンシューマー向け本格的デジタル一眼レフ機である。記録画素数は六百十万画素とスマホにも及ばない低レベだが、生成されたRAWデータをじっくり観察すれば、作品作りに耐えうる十分なクオリティに驚かされる。
 データはけっこうな量があったので、先回ご紹介できなかった何枚かを掲載してみた。
 十八年前の西伊豆松崎である。

<参考>
カメラ:ニコンD100(発売日:2002年6月)
使用レンズ:シグマ18-125mm F3.5-5.6 DC(発売日:2004年7月)

山との関わり合い

 ふとしたきっかけである書籍に目がとまり、即購入。一心不乱に読み進めた。
 その書籍とは、金 邦夫著の【侮るな東京の山】。
 著者は警視庁山岳救助隊員として定年退職に至るまで青梅警察署に所属、他の誰よりも奥多摩の山々に精通していた。その金氏が現役時代に経験した数々の救助活動を詳細に書き綴ったのが本書である。

 自宅から最も近い山域ということで、私に登山の楽しさを教えてくれたのは奥多摩である。おおよそ二十年前から足しげく通っているので、〇〇尾根から〇〇谷を抜けて等々、文中に出てくる捜索現場の七割以上はすぐに情景までが浮びあがる。さらにリアルを深めるために、読書の最中は常に昭文社の“山と高原地図”を脇に開いておいた。
―こんなところを下ったんだ……
―このコース、今度歩いてみるかな。
―何度も歩いたあの登山道から滑落なんて……
―これはありえる。気をつけねば。
―焚火しながらビバークね……
 ページをめくるに従い、文中の世界へと引き込まれていった。

 これから登山を始めようとする人はもちろん、十年、二十年のベテラン組も、ぜひ一度この本を手に取って、まずは普段見ることのない登山の裏側事情を知ってもらいたい。<遭難なんてするわけないよ>と思う気持ちのすぐ隣に“隙”という穴が開いていることを具体例と共に認識できるはずだ。
 後半は急増している中高年の登山者についての記述が中心になる。私も本年七十歳をむかえる高齢者のひとりなので他人事では済まされない。
 体力および判断力の低下、そして持病等々、加齢と共に登山への適応力は確実に減退していく。自分ではまだまだと思っていたが、この流れに抗えるはずもなく、一度真剣に山との関わり合いを再考する必要性ありと痛感した。

金 邦夫(こん くにお)
1947年:山形県生まれ。高校時代から山に目覚め、東北の山々を登る。
1966年:警視庁警察官になり、1970年に警視庁山岳会「クライム・ド・モンテローザ」を設立。
1977年:ヨセミテにおける山岳救助研修に参加。機動救助隊、五日市市警察署山岳救助隊、レンジャー部隊などを経て、1994年から青梅警察署山岳救助隊副隊長として奥多摩に勤務。
2003年:警視庁技能指導官(山岳救助技能)の指定を受ける。警察功労賞、警視総監賞詞、人命救助の功績による警視総監賞など受賞多数。
2008年:定年退職。以後再任用、嘱託員(山岳指導員)として後進の指導にあたる。
2013年:山岳救助隊退任。
2024年3月23日:心筋梗塞により急逝