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謹賀新年

akamaou720大晦日にいい調子で酒が進んだせいか、床を抜け出し時計に目をやったら、既に10時を回っていた。毎度のことだが、新年の幕開けは気怠さと共に始まる。
女房の用意してくれた雑煮とおせちを平らげた後は、ロックを連れ出し初散歩。外の空気を吸い込むと体が急速に覚醒していき気分が盛り上がる。大晦日の夜から寒気が入り込んでいるとのことだが、それほど気温は低くなく、散歩をするにはいいあんばいだ。ロックも同感だろう、リードを引っ張る力がいつもの倍だ。
人気のない街を見渡せば正月休みを実感でき、ポツリと芽生えた小さな余裕が、これまた小さな幸せを呼び起こす。

ー あれ、雪だ。

ふと窓に目をやると、いつの間にかどんよりとした雲が垂れ込め、僅かではあるがちらほらと白いものが舞っている。
こんな時は暖房を効かせた部屋の中が一番。年末に撮影した写真選びに没頭できそうだ。
そうと決まれば、あれを出そう。
切れ味最高の“赤魔王”と、昨日海老名SAで仕入れた鱗吉の“いわし揚げ”だ。
これで作業は間違いなく楽しくなる。

沼津・千本浜

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海原の先には伊豆半島、背には愛鷹山と富士山、そして果てしなく西へと延びる防波堤。これほど爽快な景色が一ヶ所に集まった場所は、なかなか他ではお目にかかれない。
そう、千本浜は私にとって第二の故郷、“沼津”のシンボルと言っていい景勝地であり、古くから市民の憩いの場として親しまれている。
但、これほどナイスなところなのに、なぜか千本浜は<景勝地=観光地>という公式が当てはまらない。
堤防の上でまどろむ人、散歩やジョギングを楽しむ人、自転車で疾走する人、トランペットを奏でる人、浜で竿を振る釣人等々、周囲を見回せばその殆どが地元民なのだ。
幼年期を千本浜の近くで過ごした私には、ここに集う人達を一目見れば地元民かそうでないかはすぐ分かる。とりわけ観光客の判別には自信がある。
沼津市内の観光メッカは、今や年間145万人が訪れるという沼津港だ。土産物屋、飲食店、それに大型駐車場が次々に新設され、人気飲食店ともなれば、平日でもランチ時にウェイティング客で溢れかえる。
そんな喧騒のるつぼから徒歩10分の距離にある千本浜には、いつもゆったりとした時間が流れ、訪れた人の心を優しく癒やしてくれるのだ。
特に夕暮れ時に感じる風情は別格の趣があり、茜色に染まった空気が全てのものを包み込んでいく時、日常に於ける平穏とは何かを、改めて見つめなおしたい気分に駆られてしまう。

バイク事情

Kenny Roberts12月24日(水)のYaHooニュースに掲載されていた、【中高年のバイク事故死者増加 リターンライダーの“過信”】と題した記事に目が止まった。
仕事がオートバイ関係なので当然といえば当然だが、この記事からは現在のバイク業界が持つ様々な問題点を読み取ることができる。

(以下はYaHooニュースよりの抜粋)
交通事故の死亡者数が年々減少を続ける中、中高年のバイク事故死者が増えている。背景にあるのは、青春時代を思い出し、再びバイクにまたがる「リターンライダー」の増加だ。体力やバイクの性能の変化に感覚が追いつかず、単純な操作ミスなどで命を落とすケースが後を絶たない。危機感を強める警視庁と神奈川、埼玉、千葉の3県警は23日、初めて合同の安全教室を開き、注意を促した。(加藤園子)

中高年ライダーだったらご存じの方も多いと思うが、1970年代後半から1980年代初頭まで、ロードレース世界選手権で圧巻の500ccクラスチャンピオンとして名を馳せた、キング・ケニーこと“ケニー・ロバーツ”。その彼が駆っていた当時のヤマハワークスマシーンYZR500の最高出力は大凡120馬力だった。これに対して、現在ヤマハ発動機が国内外へと市販しているスポーツバイク・YZF-R1の最高出力はなんと182馬力もあり、競技専用車であるYZR500の軽い車重を差し引いても、おつりが出るほどの超高性能を誇っている。ところがこんな凄いバイクも、二輪の運転免許証と購入資金さえあれば、たとえ初心者であろうと峠道やサーキットでスポーツ走行を楽しむことができるのだ。良い時代といえばそれまでだが、YZF-R1の性能はプロレーサーでさえ100%を使い切ることは難しいレベルにあり、それを一般ライダーが勢い任せにスロットルを開けていけば、大凡の結末を予想できるというもの。
YZF-R1先ずは己とバイクを十二分に知ること。そして理性という名のリミッターを研鑽し続けること。この二つを履行して初めて安全安心なバイクライフを入手できるという事実を理解していただきたい。

(以下はYaHooニュースよりの抜粋)
日本自動車工業会によると、ミニバイクを含む二輪車の販売台数は約5年前から回復基調にあり、平成21年に約43万3千台、23年に約44万5千台、25年は約46万台。25年の新車購入者の平均年齢は51歳で40~50代が全体の47%を占めている。

“回復基調にあり”は、確かに事実だが、現在の二輪車市場は悲しいほどに萎んでしまい、昭和55年の総販売台数237万台を思い起こせば、今、バイク販売店の経営がいかに厳しくなっているかが分かる。
最盛期の販売データと比較すると、原付バイクはなんと10分の1、車検付きバイクでさえも5分の1まで落ち込んだ。当然その過程でバイク屋廃業が相次ぎ、今では資本力のある会社、特殊な整備力、企画力を持つ会社、そして店舗自己物件のパパママストア等々だけがなんとか生き続けているのだ。私の職場は約20年前、販売の主力をそれまでの国産バイクから外車へとスイッチしたことにより、90年代から始まったバイク業界不況の嵐をなんとか逃れることができたのだと解釈している。
昔の男子高校生が一番欲しかったものは“彼女”、そして次に来るのがバイクだった。ところが今やバイクは一握りの大人が趣味として使う道具へと様変わりした。
若い人達の嗜好が変ったと言えばそれまでだが、乗ってみればこれほど楽しいものはなく、そんなバイクが見向きもされなくなった本当の原因はなんだろうかと、頭をひねること屡々だ。