梅酒

 梅雨に入ってからの休日は、悲しいかな殆どが雨模様。当然ながらどこかへ出かけようにも気が乗らない。しょうがないのでひたすら読書と有線の映画鑑賞に浸り込んでいると、そんな様子を見かねてか、
「梅あるからさ、梅酒でも作ったら」と、女房のひとこと。
 そうか、冷蔵庫に確か1パックあった。毎年女房が梅ジュースを作るために手に入れたものだ。
「あれ、使っていいの?」
「いいよ」
 梅酒は好きだ。これからの夏、炭酸で割るとゴクゴク入る。それに体に良いことは昔から言われていて、特に疲労回復には効果大とのことだ。その他にもいろいろとご利益があって、嬉しいことにアンチエイジングにも役立つらしい。高齢者が元気に過ごすためにも、梅酒を日常から摂ることは意味がありそうだ。
 ただ、漬けてすぐに飲めるわけではなく、最低で十カ月、できれば一年寝かさなければならない。それまでは市販の梅酒でもいいのだが、せっかく自分で作ったのだから、早いとこ自家製を賞味したいものである。
 梅1kg、氷砂糖500g、ホワイトリカー1.8L、これが材料。へたを取った梅を水洗いしたら、ざるにあけて水を切る。その後はひとつひとつタオルで水気を取り容器へ入れていく。半分入れたら氷砂糖も半分入れを繰り替えす。全部入ったたらホワイトリカーを注ぐ。これで完了。後はじっと一年待つだけだ。

停滞感

 自転車通勤を初めて早十六年。よくもここまで持続できたと自画自賛である。職場まで往復16km、週三回使ったとしても、それだけで35,000km。そのほか休日の生活圏内の移動には殆ど自転車を利用しているので、おそらく累積走行距離は50,000kmを軽く超えていると思われる。そして健康維持に大切な毎日の適度な運動の柱となっていることは間違いなく、長雨などで四~五日乗れない日が続くと、刺激を求める大腿筋の訴えが聞こえてくるようだ。出勤時に雨が降ていなければ自転車を使い、雨だったら車またはバスを利用するのが基本パターン。よって帰宅時の天候を考慮して、バックパックの中にはいつもカッパ上下、ヘルメットカバー、ブーツカバーを潜ませてある。
 ただ……
 そこまで準備しているにもかかわらず、ここ最近、出勤前に天気予報を確認したとき、帰宅時間に雨の予報が出ていると、「車で行くかな~」とか「たまにはバスもいいか」等々、ぽろっと弱音が漏れるようになった。情けないと思いつつも、ずぶ濡れになりながらもくもくと自転車を漕ぐ己を想像すると、気持ちが萎えてくるのだ。体力は衰えてない、と思う。山歩きの頻度も上がってきているし、日常生活での疲労も殆ど感じることはない。だったらこの腑抜けな有り様は一体何を起因としているのか……

 さて、ここ半年、職場生活での倦怠感が急速に高まっている。一応仕事は七十歳で打ち止めにしようと考えているので、あと二年通えば済むことだと、ことあるごとに自分に言い聞かせている。六十五歳から嘱託社員となり、役職や大きな責任から解放された身軽な立場になったので、もう少し気楽にやればいいとは思うが、会社運営の行き詰まり感がやたらと目につき、イライラが絶えなくなっているのだ。
 入社からの数年は、社長の独自性と積極性が光り、会社を成長へと育んだ。これが一期だ。二期の始まりはハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)との関係がスタートし、“寄らば大樹の陰”的な方針に転換したこと。HDJのイエスマンに徹し、少々厳しい施策にでも有無なく乗ってきた。当時のHDJ社長のO氏は業界人だったら誰もが知る策士。彼にさえ従っていれば会社は安泰という固定概念ができたほどで、思い起こせば妄信と称して憚らない傾倒ぶりだった。言わばO氏との蜜月の時代である。ところが何も考えずにただ従っていれば業績が伸びる時代が長く続いたため、自社の独自性は完璧なまでに消え去っていた。そして現在が三期目。
 ハーレーのビジネスは続いているが、O氏が退任してからのHDJは急速な弱体化が進み、昨今では烏合の衆とまで言われるようになった。頼れるものが無くなっても会社としては成長しなければならない。しかし長い間考えなくてもいいという温湯に浸かってきたことで、独自のアイデアを生み出す力はかけらもなくなり、おまけに後期高齢者となった社長に起死回生を図る気迫は望めない。よって日々はパッチワークの連なりであり、まさに綱渡り。
 おそらく日々感じるイライラは、この状況を憂いするところから発しているように思えるし、また、就労への意欲低下へも繋がっているようだ。
 そんな中、度々某役員が経営の教科書から抜粋したような、机上の策法で会社を活性化しようと試みているが、残念ながら組織運営の根本からの逸脱感は免れず、恐らくだが、徒労に終わることとなるだろう。

 六月六日(月)。久しぶりに辰巳埠頭へトラックを走らせた。新島から送られてきたバイクの引き上げだ。
 店から40km弱程の距離があるが、首都高さえ空いていれば一時間もかからない。ただ、この日は朝からあいにくの土砂降りだった。埠頭へ到着して海を見渡せばガスが立ち込め、寒々しい景色が広がっていた。沖では埋め立て工事なようなものも始まっていて、印象は大分変わっていたが、新島物産の親衛丸はいつもどおりの姿を見せてくれ、物資を満載し、大海原を突き進む様を想像すれば、やはりワクワクとしてくるのだ。

青木ヶ原 ~ 足和田山

富ぅ~士わぁ、にっ~ぽんいちの~やまぁ~~
六月二日(木)は広い範囲で快晴との予報が出たので、たまには富士山の雄大な姿でも拝みに行こうかと、富士五湖のひとつである西湖へ行ってみることにした。
昨年の年末撮影会では、早朝の西湖北岸から富士山を狙ったが、その際、富士山の手前にあった山の連なりに、足和田山という富士山眺望に優れた山があり、色々なサイトで頂上展望台から撮った写真を見ているうちに、一度は行ってみたいと思っていた。

自宅を七時に出発、中央道をひた走る。道が空いていて気持ちのいいドライブではあったが、河口湖線へ入ってまもなくすると、ど~~んと現れた富士山は、悲しいかな盛大な雲に包まれていた。皮肉なことに、そこ以外は雲ひとつない晴天だというのに……
ただ、足和田山の頂上へ立つまでにはまだ大分時間を要するので、それまでに雲が消え去ることを祈った。

紅葉台レストハウスへ至るまでのダート道を慎重に上がっていくと、急に視界が開き、駐車場とレストハウスと思しき建物が見えた。時計を見るともうすぐ九時だというのに、車は一台も停まっていない。人気のあるエリアだとは聞いていたが、やはり平日は閑散としたものだ。さっそく出発準備にかかる。

一応人気のないレストハウスの周囲をぐるりとしてきたが、雲に覆われていなければ、ここからでも十分な富士山展望が可能である。それにしても高速道路から見た時と殆ど変化なしということは、他の被写体探しにスイッチした方が賢明だろう。
地図によると、駐車場から足和田山までのコースタイムは約一時間と出ているので、撮影をやりながらでも一時間半を見ておけば間違いなく行きつく筈。途中にある“三湖台”と称する有名なビューポイントが楽しみだ。
コースは東海自然歩道上にあり、とても整備されていて歩きやすい。しかもアップダウンの少ない林道が並行して伸びているので、帰りはこっちを選んでもいいだろう。森の中は新緑が目にも鮮やか。湿度の低い爽やかな空気感で、歩いていてもそれほど汗をかかない。左方面が明るくなったと同時に三湖台への道標が見えた。

おおおおお!!
展望台からの景観は圧倒的のひとこと。雲に覆われた富士山のことなどどうでもよくなるほどの大迫力。もちろん主人公は樹海だ。三十平方キロメートルという広大な広さを持つ青木ヶ原樹海は、ちょうど西湖、精進湖、本栖湖に包まれるように広がっている。分け入ったことはこれまでに何度かあるが、上方から見渡したことはこれが初めて。このインパクトはハワイ島で溶岩台地を見渡した時と同様のものであり、あらためて自然の力に驚くばかりだ。歩き始めてまだ十五分ほどだったが、暫しこの景色に見入ってしまう。

何度となくアップダウンを繰り返すが、傾斜が緩いので疲労感は少ない。それに空気がおいしいから気分が溌溂としてくる。登山というより、ここは気持ちのいいハイキングルートとしてお勧めしたい。途中、ちらりちらりと西湖の湖面が見えるところもGooなのだ。
次辺りが頂上だろうと目星をつけて力を振り絞ると、開けた空の方から人の声が降ってきた。頂上へ出るとジャージを着た中学生と思しき若い人たちが大勢たむろっているではないか。遠足かなと思い、展望台へ上がって休憩している女の子に聞いてみると、林間学校とのこと。見れば引率の先生たちも四~五人ほどいて、しきりに生徒たちへレンズを向けている。沼津市立第二中学校時代の林間学校は神奈川県の丹沢で行われた。きれいな川の畔にあったキャンプ場や、楽しかったオリエンテーリングを今でもはっきりと覚えている。この林間学校が沼津最後の行事となり、夏休み明けの二学期から再び東京へと戻ったのだ。

やはり富士山は雲に隠れていた。しかし今回は気持ちのいい空気感に終始包まれていたせいか、はたまた樹海の迫力ある景観を堪能できたからか、久々に気分のいい一日になった。
またナイスなところを探しに行こうか。

写真好きな中年男の独り言