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カメラ遍歴

d2hsNikon D100を手に入れた頃は、カメラ業界総じて本格的なデジタル一眼レフ時代の幕開けに浮かれに浮かれ、特に大手二社であるNikonとCanonの開発パワーが炸裂、しのぎを削る技術戦争はカメラを家電へと変えてしまう微妙な弊害も生んでしまった。
毎年発表される新型は、決まって画素数、ISO、連続撮影枚数が向上していて、ローパス自動クリーニング、人面認識、動画撮影等々の便利機能も次々に付加されて行った。
昨今ではこれにフルサイズの低価格競争が加わって、ユーザーはデジイチを購入しようにも、どのモデルが自分に合っているか、選択では大いに悩むところだろう。

大概の趣味には、その使う道具として、所有感を刺激するフラッグシップモデルやプロ用機器というものが存在する。
もちろんカメラの世界も然りで、デジイチを多少かじった方々ならば、Nikon D4やCanon 1D X等に対して少なからずの興味を抱いたことがあると思う。
私の所有するプロ機・Nikon D2Hも、たまに行うローパス清掃の試し撮りの際、コンシューマーモデルとは一線を画く上質なシャッターのタッチと音に、毎度のこと笑みがこぼれてしまう。
しかしそんなD2Hも最近では精々年に1~2回ほど持ち出すだけで、日頃はバッテリーを抜かれてハードケースの中で眠っている。
プロ機と言えども、画素数、ノイズ等々、スペック的には現在のレベルに到底至らないが、作り出される画は深みを感じる絵画タッチで、それはプリントアウトした時により一層鮮明となる。
だったらなぜ眠らせているのか、、、
それは重いことに尽きる。
私の場合、撮影の殆どが山歩きと街中スナップなので、見るからに大きくて重たいボディーは、お荷物感ばかりが膨らんでいき、気が付けば長所を覆っていた。
富士フイルム・FinePix150から始まったデジカメ遍歴だが、Nikon D100でデジイチの面白さと可能性を知り、あらゆるアングルで撮影ができるCoolPix5000では嬉しさが弾け、更にNikon初となるオリジナル撮像素子【LBキャスト】を搭載するプロ機D2Hに至っては、全くストレスを感ずることなく豪快にシャッターを切り続けられる快感に嵌ったのだ。

それぞれのカメラにはそれぞれの良さが存在するが、分かった事実はどれも万能ではないところ。
だから次々に食指が延び、今はNikon1 V2にくびったけなわけだ。
しかしこのプロセスは趣味ならではの楽しさがあり、写真にのめり込んだ人なら大概同じ道を辿るものではなかろうか。

2014年夏・茅ヶ岳

梅雨だと言えばそれまでだが、がっかりなことに我が休日は連チャンの天候不良。
せっかく手に入れたNikon・V2も出番が無くてストレスばかりが溜まっていく。
だから首を長くして待っていたのだ、梅雨明けを。

7月24日(木)。
自宅を5時ジャストに出発すると、中央自動車道で韮崎ICを目指した。
今回の目的は、山梨県にそびえる“茅ヶ岳”への登山である。
以前、バイクツーリングを頻繁に行っていた頃、韮崎から野辺山へ抜けるルートとして、広域農道~信州峠を良く使っていたが、その時、広大な田園風景の東に連なる山々に何とも惹かれるものを感じ、愛用しているマップルで、その山の名を調べたことがある。当時はそれほど山に興味があったわけではないが、何度か望んでいるうちに、一度でいいからいつかは登ってみたいとまで思うようになったのだ。

昇仙峡ラインを7kmほど行ったところに駐車場付きの登山口がある。
ちょっと前に到着したばかりだろうか、2台の車の周りでは3名の男性が登山準備の真っ最中だ。一人は単独で40歳前後と見られるベテラン風、もう一方は二人組で、見るところ60代後半だろうか、調達してきた食料や水などをパッキングしているのだが、手際が悪く、ぶつぶつ言いながら出したり入れたりしていて、端から見ても少々心配な感じだ。
単独の方が早々に出発したあと、のんびりとやっているお喋り好きな二人組の会話が耳に入ってきた。

「この間、初めて熊を見たよ」
「へー、そりゃ怖いねー」
「この近くだったから、今日も鈴をつけなきゃ駄目だ」
「あんたがつければ、俺はいらないね」

なるほど、怖い話だ。
先日のTVニュースでも取り上げていたが、今年は全国的に熊の出没情報が多く上がっていて、人的被害も過去最高だそうだ。心許ないが、頼りになるものは鈴しかないので、私もザックに取り付けての出発である。

スタート後はなだらかな林道が暫し続いた。
眩しいほどの緑に包まれながら、少しずつ高度を上げていくのは、体に無理が掛からず実に気持ちが良い。
奥多摩にはない岩のごろごろした山道は、山域が八ヶ岳に近いことを思い起こさせる。
途中、舗装された林道を横断すると、道は細くなって本格的な登山道となる。周囲を見回すと、至るところに見られる大小の岩には苔が生していて、ここでも八ヶ岳界隈に似た光景が広がっていた。

傾斜は少しずつ大きくなっていき、やや疲労が出始めた頃、女岩に到着。
しかしそこには黄色いテープがぐるりと渡していて、“落石注意”の文字が行く手を阻んでいる。

ー 残念だな、ここの水、飲みたかったのに、、

ガイドブックによると、女岩からほとばしる水はたいそう甘いとのこと。
テープを潜って30m前進すれば目的を達せられそうだが、ここは大人になった。一口の水を啜る為にルールを無視し、山の神の怒りにでも触れて、落石がオツムにヒットしたなら、これはどうみてもアホである。
女岩を横目に、とりあえず先へと駒を進めた。

それまでのなだらかな道はここで終り、この先は岩の多い急登となった。
斜面の様子を観察すると、トレポはどうやら邪魔になりそうなので、畳んでザックにしまった。
岩や樹の根をしっかりと掴み、慎重に高度を上げていく。
標高が上がるに従い気温は下がっていくが、反面、吹き出す汗は量を増してきた。体調は悪くないので、恐らく久しぶりの山歩きに体が悲鳴を上げているのだろう。
汗が顎を伝って地面へとしたたり、時々足を止めてはタオルで拭うが、この状況こそ山ならではの快感。汗だくなくして山の楽しさは語れないのだ。

気が付くと、見上げる木々の間に光りが増してきた。

「こんにちは」

尾根道に出たところで、ひと組の年輩夫婦が休憩を取っていた。

「ガイドブックで読むより、ここってきついわね~」
「でも、あと30分ぐらいで頂上だと思いますよ」
「その“もう一息”がしんどいのよ、この歳になると」

奥様はかなりなグロッキーの様子だが、お喋りのパワーはまだだいぶ残っているようだ。
ご主人は横目でこっちをチラ見しながら、すぐ近くでニヤニヤしている。

「おい、いくよ」
「はいはい」

大きなお尻を難儀そうに上げる奥様だが、ご主人の優しい目線から察するところ、とても仲の良い夫婦なのだろう。

「気をつけて」
「ありがとう」

私もここで最初の休憩を取ることにした。
日陰にお誂え向きな木の根があったので、そこへ腰掛けザックの紐をといた。
大好きなセブンの甘納豆と、“パン工房ふたば”で買ったバターたっぷりのクロワッサンを取り出すと、ミネラルウォーターといっしょに流し込む。

ー うまい。

素直な感想。
山中で緑に包まれながらの一服は、下界にない特別な開放感があり、飲むもの、食べるもの、なんでも美味しく感じてしまうのだ。
一方、水の残量を確認すると、2L用意した半分を既に使い果たしていたので、下山時のことも含めて意識する必要がある。

再び歩き出すと、間もなく『日本百名山』の作家『深田久弥』の石碑が見えてきた。
1971年、登山中にこの場所で急逝したそうだ。調べると脳卒中らしい。若い頃は山岳部に籍を置き
、その後も様々な山を歩き回った屈強な登山家であった筈なのに、やはり病には敵わなかったのか。
手を合わせ、先に進む。

頂上直下の斜面に差し掛かった辺りから、白や黄色の可憐な花々が目に付くようになり、数えてみても5~6種類程を確認、さっそく撮影開始とすることにした。
すぐに構えられて、クイックフォーカスなV2は、こんなsituationで強力な武器となる。10-30mmのCXレンズも構図が決めやすく、当分の間はこれ一本でも充分だろう。
一気に30枚ほど撮った後、目と鼻の先にある頂上へと踏み込んだ。

「こんにちは」

さすがに平日、岩が適度に配列され、寛ぎやすい頂上には、二名のご婦人しかいない。
ちょっと大きめな岩の上に立ち、ぐるりと周囲を見渡すと、少々ガスが張ってはいたが、360度方向、なかなかダイナミックな景観を楽しむことができた。ラッキーなことに富士山もガスの上に浮かんで見えるではないか。
頂上を舞う風は爽やかで、みるみるうちに汗が引いていく。
残りのクロワッサンと鮭のおにぎりで昼食タイムだ。

最初はなだらかで、徐々に傾斜を増す優しい山道、そして標高と共に変化する景観と草花。
この茅ヶ岳は難しいところがひとつもなく、特にビギナーハイカーの方々にはうってつけの山ではなかろうか。
写真撮影メインの私にとっても、変化があるこの山には予想以上の興味を覚えることができ、秋の紅葉シーズンにはどの様な様変わりを見せてくれるか、今から楽しみなってきた。

初めて山歩きに持ち込んだV2。
肩に掛けて何時間歩いても全く重量を感じることがなく、少々の岩場でも邪魔になることはない。
本格的な撮影性能を持ちながら、撮りたい時にすぐ構えられるキャラクターは、今回はっきりと証明されたわけで、街中スナップはもちろんのこと、今後の登場回数はますます増えていくだろう。カメラ性能に於ける機動力は本当に重要なポイントなのだ。

知っておきたいこと

玉川上水は幼年の頃から身近な存在として今に至っている。
水路の両側には大小様々な樹木が生い茂り、遮光された水の流れはいつ見下ろしても暗澹とした雰囲気を放ち続け、上水道として機能していた時代を想像するのは難しい。
それでも救いは四季折々の花が色香を添えることだ。
二週間前だったら、数種類の紫陽花が我こそはと言わんばかりに咲き誇っていた。

上水道に掛かる“ぎんなん橋”は、新道の建設に伴って掛けられた新しい橋で、ロックの散歩ではよく利用している。
欄干から下を覗くと、決まって5~6匹ほどの黒い鯉が餌欲しさに集まってきて、上へ向かい大きな口をぱくつき広げる。餌を投げ込んでいる人を時折見かけるから、これは条件反射なのだろう。
どの様な経緯を経てここへ放流されたか定かでないが、鯉達にとっては気の毒なことだ。
1986年に開始された玉川上水の清流化運動で、一時はきれいな姿に生まれ変わったものの、その後、空き缶やペットボトル等を捨てる不届き者が後を絶たず、いつ見ても流れや土手の彼方此方にゴミが散乱して痛々しい状況となっている。2003年には「文化財保護法」に基づく国の史跡にまで指定されたのに、本当に嘆かわしい現況としか言いようがない。
そしてこんな環境の中へ放たれた鯉達こそ、甚だ迷惑ではなかろうか。
ゴミの中から人に餌を乞う姿は何とも物悲しい。
そもそもここの鯉達は、普段何を食しているのだろう。
鯉は雑食性で、口に入る物なら何でも食べると言われているが、この上水道で生きていく相当量の、水草、貝類、昆虫類、甲殻類、カエル等々を確保するのは結構厳しいと思う。
そしてもうひとつ知っておきたいことがある。
ゲリラ豪雨などによる増水時に、鯉達はどこに身を寄せているのか。
ごく普通の川ならば、川底や川岸にそれなりのエスケープゾーンもあるだろうから、激流をやり過ごすことも可能と思われるが、画一的に設計された人工の用水路では、そのような場所は希有に違いない。
増水の度に鯉の姿が減っていくような気がするのは、私だけだろうか。
全く気の毒な話だ。