若い頃・デニーズ時代 5

新社会人となり、早くも二週間が経った。小金井北店での生活にも良い意味で慣れが出始め、上司から細々とした指示を貰わなくとも、ほぼ一日の仕事を各自が能動的に取り組めるようになってきた。
但、同時に能力の差や仕事への意欲については、明らかに個々に差が見え始め、特に山口に関しては就労続行に危うさが感じられるようになってきた。

「春日さ、なんでスノコをそこまで白くするんだよ」

スノコはキッチンの床に敷くものだ。油が飛んだり食材が落ちたりと、その汚れ方はけっこう酷く、衛生上のことを考慮して、各シフト毎の磨きと交換は厳密なマニュアルとなっている。
フォワードという青い液体洗剤を使って、デッキブラシで表裏をごしごしとやるのだが、この作業はけっこうな力仕事。スノコの材質は木材だから油汚れは染み込んでしまう。だから表面だけ簡単にサッサとはいかず、何度もフォワードをつけては力いっぱいにゴシゴシとやらなければならない。
充分に汚れを落としたら、あとは外で乾かす。

「なんだよいまさら。ここまできれいにしろって教わっただろ」
「だけどさ、、、」

やる気の無さ、見え見えである。
山口のスノコ磨きは私や春日の倍の時間を費やして仕上がりは半分といったところだ。これについては何度も先輩クック達に注意されているのに、なぜかこの様な愚問が出てくる。

「ハンバーグは解凍するだけだしさ、毎日便所掃除だし」
「なに言ってんだよ、今はスノコの話をしてるんだろ!」

ファミレスはどうせレンジで“チンッ”だろと冷ややかに見る人は多い。実は私もその一人だった。
ところがこうして現場に入り、ファミレスの舞台裏が分かってくると、理にかない、安全で美味しく、そして限りなくシステマチックな現代のレストランマネジメントが明白になる。
“食い物屋は料理”という発想だけではファミレス戦略の核は見えてこない。もちろん料理は最前面に違いないが、それを彩る様々な付加価値を盛り込むことによりリピーターを増やし、その延長として固定客化を計っていくのだ。きれいで居心地の良い店内、何倍でもおかわりのできるアメリカンコーヒー、そして笑顔いっぱいのスタッフ等々、味だけで勝負を掛けるそれまでの食い物屋とは一線を画く世界がデニーズにはあったのだ。

それから一週間後、たまたま加瀬UMと山口が事務所の中で向かい合っているのを目にした。
何やら深刻そうなので、足を止め、様子を窺おうとすると、

「おい、なに覗き込んでるんだ」
「あっ! 濱村さん」

いきなり背後から声を掛けられ、びっくり仰天。
濱村さんは一年先輩で、つい先日UMITの辞令が出た、同期では出世グループに属する有望株である。まあ一年先輩といっても、私は大学を留年しているので、年齢的には同級であるが。

「いや~、なんか気になっちゃうんですよ」
「ははー、山口のことか」

この頃ではアルバイト達も含めて、山口は続かないのではとの話題があちこちで出ていたのだ。だらしない奴とは感じていたが、いちおう研修センターから一緒にやってきた仲間なので、心配でもあったのだ。

「辞めるみたいだよ、彼」
「やっぱり」
「うちの仕事にだって向き不向きはあるけど、判断、ちょっと早いかな」

私も駆け出しの社会人だが、入社してひと月もしない間に、この仕事が向くか向かないかなんて絶対に分からないと思った。退職の理由に、仕事内容、対人関係、肉体的問題、その他諸々があったとしても、これは逃避以外の何ものでもなく、熟思の上での判断とは言いがたい。
“石の上にも三年”という言葉があるが、せめて1年間位は馬車馬となって突き進まなければ、見えるものも見えてこず、人生を泳ぐ為のTipsやノウハウの類はひとつも得られない。
難しいことは考えず、スノコ、トイレ、窓はとにかくぴかぴにすることだ。

「そうそう、マネージャーから直接話があると思うけど、君たち来週からクック始めるからね」

いよいよか。

「二人とも早番からやるんで、朝が早いからな」
「ました!」

石廊崎

石室神社

ご存じ石廊崎は伊豆半島の先端だ。
突端に立てばアールしている水平線を見ることができ、そのドデカイ眺めはこの上なく気分を爽快にしてくれる。

ー 海は広いな大きいな。

広くて大きいだけではない。
石廊崎は個性的なロケーションに囲まれているところも大きなポイントなのだ。石廊崎港はその良い例だと思う。
断崖絶壁に囲まれる深い入り江に造られた港は、それ自体が既に画として成り立っていて、季節そして時間帯毎に変化する陽光が辺りを幻想的なムードに彩る。
一方、入江の西側に当たる石廊崎灯台バス停から出発するハイキングコースでは、スナップ魂に火が付く“寂れ感”を味わうことができる。入口左側にある朽ち果てた土産物屋跡を目の前にしたら、瞳を閉じて数十年前に思いを馳せてみよう。そこには溢れんばかりの観光客で活況を帯びる駐車場のシーンが広がる筈。そう、ここは紛れもない人気スポットだったのだ。

ジャングルパーク跡の脇を抜けて突端に向かって歩いていくと、道は下っていき、終いには階段となる。降りるほどに白波を上げる荒々しい磯が眼前に広がり、最も石廊崎らしい姿に思わずカメラを向けたくなるが、ここは注意が必要だ。凪ることが滅多にないこの突端周辺は、強風と激しい波が常に押し寄せてくるので、ややもするとレンズはたちまち潮でベトベトになってしまうのだ。撮影にはこの点を考慮して臨みたい。
そんな中、更に石段を下っていくと、切り立った断崖に建つ神社が忽然と現れる。
海の守り神“石室神社”だ。

ー こんなところにね。

初めて訪れたときは、ずいぶん凄いところへ建てたものだと感心したが、見慣れればこの大海原の景観に妙に溶け込んでいることに気がつく。この神社と更に先へ進んだ突端にある祠、熊野神社を構図に入れて何度も撮影にトライしたものだ。
因みに熊野神社には縁結びの御利益があるそうで、以前ショップのツーリングで寄った時、CBRのHさんが手をすり合わせて、

「結婚できますように」

とやっていたが、いまでは幸せな家庭を築いているので、これは“本物の力”ありと言っていいかもしれない。
伊豆は本当にいいところだ。

伊豆スカイライン

十国峠

RZを乗り回していた頃は楽しかった。何も考えず、ひたすらバイクライディングに没頭できたからだ。色々な峠で味わった胸の空く加速とエキサイティングな排気音は一生忘れることがないだろう。
1982年に中古車で手に入れたヤマハ初期型RZ250は、すぐに私の“きんとん雲”となり、休日で天気さえ良ければ決まって伊豆まで足を延ばし、伊豆スカイラインを中心にワインディングランを大いに堪能したものだ。
バイクライフの楽しみ方は人それぞれ。ツーリング、街乗り、オフロード、コンペティション、メカいじりと色々あるが、私は何より“峠走り”が好きだった。
当時はロードレースが国内外共々最高潮な盛り上がりを見せ、レースクラストップであるGP500では、ケニー・ロバーツとフレディー・スペンサーによる王座争いがエキサイティングに伝えられ、速報を載せるバイク雑誌の発売日が待ちきれないほどだった。そしてRZに乗り出した直後に封切となった角川映画の『汚れた英雄』も、また多くのバイクファンにインパクトを与えた。主人公“北野晶夫”を演じる草刈正雄が余りにもかっこよく、それまでバイクに興味がなかった人でさえ、一度は乗ってみようと思わせるほどの影響力があったのだ。
今でも良く覚えているが、この映画は荻窪の映画館に弟と観に行った。
私が興奮したことは言うまでもないが、おとなしい性格を持つ弟の目がギラギラと光り出したのには驚いた。

「なんか、峠に行きたくなるね」

バイクこそ乗ってはいたが、彼のバイクライフに“峠”はおおよそ不似合いな言葉だったのだ。

「伊豆スカかい?!」
「うん」

ご存じの方も多いと思うが、伊豆スカイラインは伊豆半島縦走する有料道路。全長は40kmにも及ぶ伊豆の大動脈だが、あくまでも“有料”ということで、特に平日の交通量は極めて少ない。
長い直線を繋ぐ幾多の高速中速コーナーは、まるでサーキットを思わせるダイナミックなもので、RZほどのバイクでは屡々タコメーターの針がレッドゾーンへ飛び込んでしまう。スロットル全開で攻められる峠道は箱根ターンパイクも有名だが、コースがあまりにも高速へ振ってあるのでスポーツ走行となると面白みは小さい。その点伊豆スカは、ライディングテクニックと工夫なくして攻略のできない、良い意味での面白さに溢れていた。これはサーキットに限りなく近いもので、普段からGPレースに憧れているライダー達にとってはこの上ない峠道となっていたのだ。
亀石パーキングを勢い良く飛び出し最初の左コーナーをクリアすると、長い直線が空へと向かって延びている。RZでは各速全開に引っ張って140km/hがマキシムだが、その高速域から緩やかな右コーナーへと至るプロセスはGPシーンを彷彿とさせる感動を味わうことができる。
弟と私は亀石パーキング~玄岳間の11.5kmが得にお気に入りで、最低でも月に一回程は、貸切りサーキットのようにここで遊んだ。
因みに弟の愛車はヤマハ・XJ400で、ホンダのCBX400Fが発売されるまでは、ネイキッドクラス№1の実力と人気を誇っていた。

ページトップの写真は、伊豆スカイラインの十国峠パーキングから撮影したものだ。

写真好きな中年男の独り言