鷹ノ巣山・奥多摩の紅葉

 満六十九歳となった翌日の二十五日(水)。奥多摩の紅葉を見たくて、ちょうど十年ぶりになる“鷹ノ巣山”へ登ってみた。鷹ノ巣山は石尾根の中間地点にそびえ、標高は1,737m、頂上から南側が大きく開け、壮大な山岳風景を楽しめる人気の山だ。これまで二度登頂したことがあるが、いずれも東日原から稲村尾根を歩くコースで、ここは数年前に起きた登山道崩落により、現在も通行禁止が続いている。よって、今回は反対側の奥多摩湖よりアクセスすることにした。初となる浅間尾根を歩くのだ。

 登山口は奥多摩湖北側の留浦にある。峰谷川に沿って6Kmほど上がって行くと、どん詰まり手前に鷹ノ巣山への道標を確認、その前後の路肩に乗用車三~四台分の駐車可能スペースがあったので、そこへPOLOを停めた。他に車は見当たらない。
 周辺はかなり山深いところだが、集落が点在していて、生活感もしっかりと感じられた。

 スタートからいきなりきつい登りが始まる。石尾根に接続する山道の特徴だ。こんな時は意識してペースを落とす。
 気温は先回登った浅間山よりも低く感じられ、汗もそれほどかかずに快適ではあったが、気になったのが空模様。日差しを遮る黒い雲が、見る見るうちに広がってきたのだ。

 きつい登りもシイタケ畑が見え始めると一時緩む。傍らの倒木へ腰かけ、右側の靴を脱いだ。数回使ったことのある登山靴なのに、なぜか踵に靴擦れを起こしたのだ。傷バンを四枚貼り付けたが、それでもまだ痛い。頑張って頂上を踏めば、あとは下るだけなので、患部がこれ以上強く靴にあたることはないだろうとあきらめた。
 水場を過ぎると避難小屋が見えてきた。やっと石尾根へ出たのだ。
 小屋の脇にあるベンチで休憩をとることにした。それにしてもこの鷹ノ巣山避難小屋、内観外観共々とてもきれいだ。よく管理されているとは察するが、おそらく築は雲取山避難小屋と同時期だろう。デザイン等々もよく似ている。 

 石尾根に出ると周囲が開け、すばらしい山々の景観が飛び込んできた。それまでが樹林帯歩きだったから、この解放感は感動ものだ。
 初めて石尾根を歩いた時、「奥多摩にもこんなところがあるんだ!」とびっくりしたことを思い出す。
 紅葉はかなり進んでいて、色づいた山々はすでに冬を向える準備に入ったようだ。相変わらずどんよりとした空模様だったが、嬉しいことに、頭だけだが富士山を眺めることができた。これを見られると見られないとでは山行の充実感に大きな違いが出る。
 誰一人いない山頂で、湯を沸かし、ランチの準備にかかる。今回はカレーメシとコロッケパン。食後にはコーヒーを入れ、久々に時間をたっぷり使い寛いだ。怪しい空模様も何とか持ちそうだ。

 下山は来た道をひたすら戻った。
 浅間尾根は傾斜が急なので、下りは腿や膝に厳しいところだ。適時立ち休みを取りながら、一歩一歩慎重に歩を進めた。中盤を過ぎるころになると、踏ん張りがかなり衰えはじめ、加齢を恨む。たいがいの転倒や滑落事故が下山時に発生するのは、このような状況下に置かれるからだ。
 なんとか無事に登山口まで戻ってくると、ホッとすると同時に、明日は久々の筋肉痛にやられそうだと溜息が出た。

十年前の五月。鷹ノ巣山山頂にて。

 余談だが、久々の鷹ノ巣山で目に留まったのは山頂標識。十年前の写真を確認すると、その差は歴然。丸太を立たせ、そこに住所表示板のようなものに“鷹ノ巣山”と記し、張り付けてある至極単純なもの。
 今のは立派すぎ?

浅間山

 十月十二日(木)。今年の紅葉登山は、初となる浅間山外輪山を歩いてきた。
 きれいな紅葉の山々は、サイトをググれば選ぶのに苦労するほど見つかるが、この浅間山は抜きんでて目を引いた。浅間山単体では無機質な火山と言った体だが、外輪山を含む全体像は極めて個性的であり、まさに自然が作り出す造形美の好例だ。

 思えば昨年の大菩薩峠が感動的だった。木々の色づき方をはじめ、天候も紅葉撮影にこれ以上ない好条件に恵まれ、唐松尾根の上りでは何度も立ち止まってはその絶景に息をのんだ。よって今年もいい絵を収めようと勢いづくのは無理もない。

 自宅を五時半に出発。途中、上信越道のPAで一服つけ、登山口のある車坂峠には八時四十五分に到着。風もなく気温も9℃と絶好の登山日和だったが、気になったのはガス。ぐるりと一帯を覆いつくしている。
 支度を終え、登山口とトイレはどこかと探し始めると、坂の上から体格のいい若い男性が下りてきたので、聞いてみた。
「すみません。トイレってこの辺にありますか」
「ぼくも今行ってきたんですよ。そこを上がって右へ折れるとあります」
「ついでに教えて欲しいんですが、登山口はどこですかね」
「その建物の向こう側です。看板地図もありました」
「ありがとうございます。助かります」
 何とも感じのいい青年だ。おそらく彼もこれから登るのだろう。

 計画通り、表コースからスタート。最初はなだらかだった道が、徐々に勾配を増しはじめ、大腿筋が目覚めた。もっともどこの山を登っても概ね同じ流れであり、登山とは一途にタフな行為なのだ。
 汗をかき、息を弾ませ、歯を食いしばりながら一歩一歩頂上を目指す。
 「なんでそんな辛いことを」と冷笑される向きも多々あるが、大自然の懐で誰の助けも借りずに、己の精神と体力のみで得られる景観と経験は、何事にも代えられないピュアな幸せ。これを一度でも知れば、そう簡単に登山を断ち切ることはできない。

 右側の展望が開けてきた頃、前方の大きな岩に腰掛けた、年配夫婦と思しき二人が目についた。近づいていくと、
「こんにちは。いい天気ですね」
「風もなくて、暑いくらいです」
 ここでザックを下ろし、Mountain Hardwearのジャケットを脱いだ。すでに汗をかき始めたのだ。ネルシャツ一枚でちょうどいい。
「私たち年寄りなんで、休み休みですよ」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「同い年で七十七歳」
 今回のコースはそれほどハードではないが、れっきとした登山には違いない。この後会話が弾み、なんとLINEの交換まで進んでしまう。Eご夫婦は、赤城山の麓にお住いのアウトドア好きで、普段は地元群馬の山を歩いているという。

 一つだけぽつんとたたずむシェルターを過ぎると、最初の景勝ポイント“槍ヶ鞘”が見えてくる。ところが残念なことに、ここも濃いガスに覆われて、ほとんど視界が利かない。ガスが途切れるのを少し待つかと、周囲を見回すと、右手にいた男性が振り返った。
「おっ、駐車場の時の」
「どうも。残念ですね、ここは」
 あの感じのいい男性である。
「こればっかりはね。ここは何度か?」
「いや、地元なんですが初めてです」
 話をすると、彼は嬬恋村に住む三十四歳。もともとアウトドアが好きだったが、登山歴はまだ二年とのことだ。彼は会話のあと、早々に槍ヶ鞘を出発したが、さすが若者、“トーミの頭”へと上がっていく後ろ姿と足の運びは軽快だ。
 私も遅れてトーミの頭へ到着すると、ガスがうまいことに南へと流れ、浅間山の全容があらわになった。幾人かのハイカーが皆口をそろえて、「すごいね~~」、「絶景だ」の連発である。
 ここで最初の休憩をとった。カロリーメイト二本をポカリで流し込む。
 先回の木曽駒ケ岳に続いて、息をのむ絶景を目の当たりにすると、当たり前だが、来てよかったとシンプルに感じた。
 ナイスガイの後を追って、次のポイント“黒斑山”へと向かう。

 一旦は樹林帯歩きになったが、時々右側が切れると大きく広がる外輪が見え、ついつい立ち止まってはレンズを向ける。それだけ魅力的なのだ。
 黒斑山へ到着すると、ナイスガイが休憩中だった。
「またガスが出始めましたね」
「でも、ぼくのような写真好きには、景色に変化が出て、ウェルカムってな場合もあるんですよ」
「ぼくはこれ、スマホ」
「でもね、最近のスマホはきれいに撮れて侮れないですよ」
 事実、最近のスマホは撮像エンジンが高性能化していて、まるでPhotoshopのベテランが加工したような画が飛び出てくるから驚きだ。
「ぼくはこの先の蛇骨岳までいきます」
「同じく休憩してから後を追いますよ」
 当初の計画では、いい画がたくさん撮れれば、黒斑山でUターンと決めていたが、青空も出始めたし、時間もまだ十分残っていたので、この先の景色に期待して、ナイスガイと同じく蛇骨岳まで足をのばすことにした。
 結果は大正解。北に進むほどガスは消え去り、また雲も減ってきて、鋸岳からその先まで続く迫力ある外輪をこれでもかと眺めることができたのだ。

 下山はトーミの頭から中コースを下っていった。展望はないが、車坂峠に戻る最短コースだ。
 紅葉狩りとしてはややタイミングが早すぎたが、休憩を含めても五時間弱と体に負担が少ない山行だったし、外輪と言う他では見ることのできない超個性的な絶景を心行くまで堪能できたのは予想を超える収穫だった。
 また今回はEご夫婦やナイスガイとのやり取りをはじめ、数名のハイカーと話ができたのも、楽しい思い出として脳裏に焼き付いた。
 冬が来る前に、もう一座、登ってみようかな。

中央アルプス・木曽駒ケ岳

 山友のHさんと以前より計画していた、アルプス登山を決行した。
 ターゲットは、中央アルプスの“木曽駒ケ岳”。ロープウエイを使えば、日帰り登山が可能という、初のアルプスにはうってつけの山なのだ。
 
 九月十三日(水)。仕事帰りのHさんを三鷹で拾うと、そのまま中央道で長野県の駒ヶ根へ向かった。
 インターを降りると、先ずはシングル二部屋を予約してあった【ホテルルートイン駒ヶ根インター】にチェックイン。一服のあとは夕食をかねて、近所に見つけた福麟楼・駒ヶ根店で、よく冷えた生ビールと美味しい中華をたらふく食した。ちなみにこの店、品数が豊富で、一品一品の量が多く、肝心な味もしっかりとしたもの。おまけにリーズナブルときているからお勧めだ。

 翌朝は六時にチェックアウト。菅の台バスセンターへと向かった。
 バスセンター隣接の大駐車場にPOLOをおき、ここから路線バスに乗り込んで、ロープウエイ乗り場まで歩を進めるのだ。
「ほとんど満車だな」
 時刻は六時十分を回ったばかり。平日なのにすごい活況である。しかもバスのチケット売り場には、すでに長蛇の列ができている。先頭の人達はいったい何時に並び始めたのだろう。我々も登山の支度をして、列の最後尾に並んだが、そうこうしている間にも、次から次へと車が入ってきて、見る見るうちに列が長くなっていった。
 六時四十五分を過ぎたころ、チケット売り場の窓口が開く。バス&ロープウエイの料金は往復券で四千百円なり。購入した人たちは、バスの停留所へと並びなおし、それもどんどん長くなっていく。
「最初のバス、乗れるかな…」
 そんな心配をしていると、
「本日は臨時便が出ますので、お乗りの際には係の者に従ってください」
 停留所の係員より嬉しいアナウンスがあり一安心。
 七時十五分に最初のバスが出発すると、十分ほどで次のバスが入ってきた。
 長いくねくね道を約三十分走ると、ロープウエイのしらびそ平駅に到着。下車すると、間をおかずにロープウエイへ乗り込むことが出た。高度を上げていく車窓からの景色はなかなかの迫力。特に急斜面を流れ落ちる滝からは、これから歩く山域の山深さを連想させた。

「うわ~、なにこれ! すごい!」
 千畳敷駅に到着し、展望デッキへ出てみると、目の前に現れたのは、切り立つ岩山に囲まれた“千畳敷カール”。息をのむ絶景とはよく言ったものだ。多くのハイカーがしばし足を止め、スマホやカメラを取り出しては見とれている。

 カールを突き抜け登山道へと入る。
 さすが有名どころとあって、道の整備は行き届いているが、やはり標高が2600mを越える高所での急登は息が切れた。
 時々立ち休みをかねてカメラを取り出すが、つくづく自然の作り出す景観の素晴らしさには溜息が出る。
 薄い酸素に喘ぎながら宝剣山荘に到着。ここで最初の休憩を入れた。
 周囲を見回せば絶好の被写体だらけで、あっち見てパシャ、こっち見てパシャと、気持ちは一分たりとも休めはしない。Hさんも、いつになくスマホを構えっぱなしだ。
 この後は、中岳、駒ヶ岳頂上山荘へと稜線歩きが続く。
 至極当たり前のことだが、前後左右から飛び込んでくる尾根々々の中には、奥多摩や奥秩父で見られる森の優しさは微塵も含まれず、人の侵入を拒む圧倒的な険しさが美しさへと形を変え、胸に迫ってくるばかりだ。
「今までの山と全然違いますね」
 同感だ。

 2956mの駒ヶ岳山頂は多くのハイカーで賑わっていた。360度の展望は見飽きることがない。
「ご飯にしましょう」
「そうだな」
 さすがに腹が減ってきた。朝食はバナナとあんパンだけだったから、完全に消化しきっている。ザックを下ろし、ファスナーを開ける。
「あれ?」
「どうしたんですか」
「やばい。食料、車に置き忘れたみたい」
 ドジもいいところだ。チケット売り場の長い列に気を取られ、ザックの中身の確認を怠っていた。Hさんに貴重な食料を分けてもらえたからいいものの、これが寂しい山中の単独登山だったらえらいことだ。
 Hさんが入れてくれた熱いほうじ茶を飲み干した頃、突如霧が出始め、一気に周囲の視界が閉ざされていった。
「私たち、いいタイミングで登ってきましたよね」
 話しているその先からも、次から次へとハイカーが上がってくるが、可哀そうなことにさっきまでの絶景は既に望めない。更に霧が濃くなってきので、このタイミングで下山することにした。

 何とか無事に千畳敷駅まで下りてくると、ロープウエイの乗車時刻まで若干の時間があったので、展望デッキのゴージャスなソファーに疲れた体を沈めた。
「飲み物買ってきますけど、何にします?」
「それじゃホットコーヒーで」
 カールの上部は霧に隠れていたが、それはそれでまた違った趣があり、山行を振り返る会話は盛り上がり、何ともリラックスなひと時を楽しむことができた。
 人生初となったアルプス歩きは、好天に助けられ、想像を超える思い出深きものとなったようだ。