若い頃・デニーズ時代 61

正式な辞令が出るのはまだ日数が掛かるとのことで、一応この件は長岡AMだけにそっと内容を伝えていた。
彼は近々にUM昇格が予定されていて、十中八九私の後任に収まる筈だ。それと同時にクックの矢部がUMIT昇格となるので、小金井南店は現スタッフが引き継ぐ形になりそうだ。
人員のバランスが取れていて働きやすい店だったが、今回だけは新天地への期待が大きく、心は既に千本浜から眺める霊峰富士の姿を捉えて離さなかった。

「マネージャー、本部の中川様からお電話です」

ん? 本部の中川?
フロントレップの大川が受話器を差し出している。
本部で中川と言ったら、営業本部長しか知らない。

「おはようございます、木代です」
「その声は、元気そうだな」
「ありがとうございます。元気にやってます」

それにしても営業本部長が直々に電話を掛けてくるとは珍しい。若しかして今度の異動がややこしい内容を孕んでいるのか、ちょっと不安が走った。

「ところで、木代は楽器やるよな」

えっ、いきなりなんだろう。

「ええ。たいしたことないですけど、ギターとドラムを少々」
「だよな。履歴書に書いてある」
「履歴書とは懐かしいですね。ところでそれが何か?」
「実はジャズバンドを結成しようかと」
「はあ?!」

話しの内容はこうだ。
我デニーズジャパンは今年でめでたく創業15周年を迎えた。これを記念して、なんとあの東京プリンスホテルの鳳凰の間を借り切り、ゴージャスなパーティーを三日間連続で開催することになったのだ。ちなみにこの鳳凰の間、同ホテルで一番大きな宴会場であり、演歌歌手の五木ひろしと、元女優である和由布子が結婚披露宴を行ったことで有名になった。それにしても一日500名で三日間だから、確かに総勢1,500名を招待するビッグイベントだ。対象は全社員並びに貢献度の高いパートアルバイトとのこと。
パーティーでの出し物は企画担当がいろいろ用意しているようだが、この中でデニーズのスタッフだけで結成するジャズバンドの演奏をぶちかまそうってことになったのだ。
ところがベース、トランペット、トロンボーンは本部スタッフで決まったものの、ピアノ、ギター、ドラムがまだ集まっておらず、人事部が必死になって社員の履歴書を基に候補者を探していたらしい。
その結果、ギターに営業管理の佐々木さん、ドラムは私がやることになり、ベースにテストキッチンの松田さん、トランペットは人事部の本田さん、同じく人事部のトロンボーン倉沢さん、そして最後まで探し出せなかったピアノには、銀座にあるジャズクラブの専属女性ピアニストが、某店のディッシュウォッシャーという触れ込みで加入することになった。実はこのジャズクラブ、中川本部長の行きつけの店だそうだ。
そして沼津店への赴任日は、なんと三日間のステージ最終日に決定。これまでとは全く異なる忙しい日々が始まったのである。

渋谷にある音楽スタジオは、プロのミュージシャンが利用する本格的なところ。そこを週二回三週間のスケジュールで予約を取り、猛特訓が始まった。講師はもちろんピアノ担当の山田さんだ。中肉中背、小顔にソバージュがいかにもその道の人という印象で、どの角度から見ても“皿洗いのおばさん”には見えない。年齢は恐らく40歳手前と言ったところか。
練習が始まると、大学時代にフュージョンバンドをやっていたギターの佐々木さん、横田基地で鳴らしたベースの松田さん、そして私の3人は初日でそこそこの形を作れるようになったが、ホーンセクションの二人はかなりとんちんかんな音を出していて流れに乗れない。

「本田さん、二小節目から大分外れるんで、頑張って意識してください。それから倉沢さんもテンポが遅れ気味ですよ」

山田さん、なかなかきびしい。いい大人たちが必死の形相である。
高校から大学までバンド活動をしてきたと言っても、それは全て我流であり、良いか悪いかの比較さえしたこともない。よって彼女のレッスンには目から鱗がふんだんにあり、得るものは多かった。
若干だが2回目の練習からまとまりが見え始め、3回目ともなると一応演奏らしきものへと進歩してきた。
バンド活動は一貫してロックをやってきたが、大学時代の友人が無類のジャズ狂で、二度三度と西荻窪にあるジャズライブハウス「アケタの店」へ連れて行かれ、気が付けば一枚、二枚とジャズのレコードを買い求める自分がいたのだ。そんなこともあり、今回のお誘いは好機到来として受け止め、真剣になって練習に励むのだった。

仕事とバンドの練習に明け暮れ、本番はあっという間に訪れた。
招待客の入場の前に簡単なリハーサルをやろうとステージに立つと、これまでの経験にない会場の広さに圧倒される。エキシビションだと分かってはいても、緊張は避けられない。

「本田さん大丈夫ですか」
「いや~~緊張するね、ダメかも」
「やめてくださいよ!」

演目は三曲。一曲目はシャンソンの名曲「枯葉」。後の二曲は不甲斐なく忘れてしまったが、ややアップテンポの聴きやすいスタンダード曲だ。
音を出す前は皆ガチガチだったが、いざスタートしてみるとさすがに練習の成果が表れた。ぎこちないが一応曲になっている。トランペットの音程が時々外れるが、これも愛嬌。我々はプロでもなければコンテスト出場でもないのだ。
何とか三曲を終えると、ホッとしたのかメンバーに笑顔が現れた。

「いい感じですよ。これで本番も頑張りましょう」

山田さんのこの一言で、ちょっとだが自信が湧いてきた。恐らくほかのメンバーも同じだろう。

しかし、実際に招待客が入場してくると様相はガラッと変わった。なにせ500名、会場を埋め尽くすとはまさにこのこと。うねるような人波を目前にして、あがらない人はいない。出番が迫ってくるにつれて脈拍は上がる一方である。

「さてさて会場の皆様。次はこのパーティーの為にデニーズのスタッフだけで結成されたジャズバンドの演奏となります!」

― いよっ、待ってました! 松田さーん!
― ビデオ撮るよ~~
― みんな笑って笑って♪

野次やらシュプレヒコールやらの波が押し寄せ、会場は一気にヒートアップ。なんとか小金井南のスタッフを見つけようとしたが、前面からの照明で殆ど見えない。尤も、良く見えたらそれこそガチガチになってしまう。

「皆さんいいですか」

山田さんの一声に反応して皆の背筋がピンと伸びた。
始まってしまえば、あとはやるだけだ。
そして静かに演奏は始まった。

― よし! いい感じだ、練習の成果が出ている!

ドラムは楽である。もちろんソロはないから、延々とリズムを打ち出せばいい。
要所要所で“おかず”を入れて抑揚をつける。落ち着いてくるとライドシンバルとスネアのリズム感がどんどん良くなっていった。そう、ノッてきたのだ。

三曲はあっという間、見回すと皆紅潮した笑顔にワンステージをやり遂げた達成感がありありと出ていた。
そりゃそうだ、盛大な拍手の嵐に包まれているではないか!!

「やったね!」
「ですね」
「いや~、良かった良かった」

その時、強い照明の中から射るような強い視線を感じ、合わせるように目をやると、ステージの真ん前に中川さんが立っている。
それもたいそうな拍手をしてくれている。

「みんなかっこよかったぞ==!」
「あっ、どうも」

仕事以外のことでも、本部長から褒められればスタッフの誰だって悪い気はしない。
メンバーも含めて久々に本部スタッフとコミュニケーションが取れた気がして、ちょっぴりだが嬉しくなった。
会社だから仕事仕事は当たり前だが、こうして文化活動を通してスタッフ同士の繋がりを持つことも、場合によっては必要なのかもしれない。
久々のプチ感動で胸が熱い!!

そしてパーティーは遂に最終日を迎えた。


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