「クソ暑いから大変だな」
早番のスノコ磨きは、夏の午後、最も気温が上がる時間帯に行なうことが殆どだ。
はた目以上に力を使う作業なので、炎天下では大汗が吹き出し、しんどいことこの上ない。薄い半袖シャツは瞬く間に透けてピッタリと体に吸着してしまう。
「寮の冷蔵庫にぎんぎんに冷えたビールが入ってるから、この後、ぐびっとやるさ」
「そりゃいい」
裏の大樹から発する壮大なセミ時雨が酷暑を増幅させた。
「ところで村尾、この頃元気がないってみんな言ってるぞ」
「そうかい」
「俺もそう感じる」
デッキブラシを持つ手を休めると、急に真顔になり、
「今の仕事、選択ミスのような気がしてさ、、、ついこの間、何気に西條さんへ話してみたんだ」
「そうなんだ」
「全然ゆとりないし、いつまで続くかって思うし。それと下地は気の毒だったけど、あいつ、あの怪我でやめたじゃんか、、、なんだかそれが羨ましく感じるんだよ」
この後、村尾は淡々と話し始めた。
こなすだけのシフトと長時間労働。まったく予定の立たない休日。考えていたものと異なる仕事内容。そして何よりもっと落ち着いて将来を考えたいこと等、止めどなく出てきたのである。
話の内容に頷ける部分は多々あった。しかし、節々には既に退職の決意が込められた言い回しが感じられ、終いにはこっちまで暗澹な気分に堕ちいていくのであった。
このやり取りから二週間後。村尾は退職願いを提出し、実家のある名古屋へと帰っていった。
これで太田窪のキッチンメンバーは西條、小田、KH西、そして私の四名になってしまったが、幸か不幸か相変わらず入客状態は良かったので、ひとりひとりの負担はピークに近づき、いつしかキッチンからの笑い声は消え去った。
そしてとどめは予定通り行われた小田さんの異動。
これを機に休日を取ることもままならない最悪な状況へと進んでいったのである。
「木代さん、いいから上がりなよ!」
早番固定となっていた私は、西さんとタッグを組んで太田窪のモーニングとランチを何とか切り盛りしていた。
一方、基本的にディナータイムは西條さん一人の戦いが続いていた。適時井上UMや神谷UMITがフォローに入るものの、週末になれば大挙をなす来店客があり、落ち着き始める21時頃まではキッチンから離れることは到底不可能になる。よって土日は6時出勤21時退出の15時間拘束が当たり前のようになっていた。もちろん遅番の西條さんもランチのことを考慮して出勤は昼前だったから、彼も13時間以上の労働を強いられていたわけだ。
但、忙しい時は辛いとか大変だとか感じている余裕すらなく、ひたすらディッシュアップし続けるだけだったが、本当にしんどいと思えたのはウィークデーに上がる時だった。
平日でも団体客が入ることはちょくちょくあり、そうなれば一人でキッチンを動かすのは容易ではない。遅くなったディッシュアップでクレームが出ることも屡々なのだ。
よって、上がる際は毎度後ろ髪を引かれる思いだったが、平日までもディナーに付き合っていたらそれこそ体がもたなくなり、自滅することは必至。西條さんを一人残して帰るしかなかった。
体力的、そして精神的な疲労が蓄積していったのだろう、いつしか仕事の楽しさは完全に消え失せていた。
「木代さんまでもってこと、ないよね」
「どうかな」
一日一回、西峰 かおるは心配そうな顔をして聞いてきた。
ちょっと前までだったら、“何言ってんの”の一言で終わったところだが、この頃では問いかけられるたびに考え込む自分がいた。
切羽詰まっていることは自覚していたし、このままでは駄目になるとも感じていたから、ここは思い切って西條さんへ相談することにした。
入社して半年でこんな状況下に置かれるとは夢にも思わなかったし、一人で判断するには余りにも社会生活の経験が少なかった。
「俺はさ、好きなんだよね、この仕事」
私の話を一通り聞いた後、西條さんの開口一番だ。
「木代さんはどうなの? 今の仕事」
「さっきも言いましたけど、こんな環境じゃ好きなものも好きになれないですね」
「そうだよね、しんど過ぎるかもしれない」
「西條さんは辛くないですか?」
「この状況がいつまでも続くとは思ってないよ。このエリアは今、山なんだと思う。俺ね、この店を軌道へ乗せたらマネージャー職の試験を受けるんだ」
「推薦もらったんですね!おめでとうございます」
「ははっ、ありがとう。それでね、受かったらUMITやって、そしていつかUMになった時、このままやるかどうかを考えるつもりなんだ。とにかくそこまではやるつもりさ」
「目標ができてるんですね」
それまでうつむき加減だった西條さんは、徐に顔を上げ、
「まっ、話は分かった。何れにしてもこの後マネージャーに相談しなきゃ」
「分かりました。そうします」
ギョロ目がさらにギョロ目になった井上UM。
怒りたいのか、呆れたいのか、さもなければ叫びたいのか。何れともとれる微妙な表情が数秒続いた。
「どいつもこいつも、、、」
「すみません」
「RMに連絡して来てもらうから、思いっきり話しなよ」
「RMですか、、、分かりました」
RMとはリージョナルマネージャーの略で、広い範囲を受け持つエリアマネージャーのことだ。営業本部長直下の立ち位置であり、その下には数名のDM(ディストリクトマネージャー)が配置されていた。
つまり平社員の私から見れば、組織の大物であって、普段は個別に話をすることもままならない。
これはあくまでも推測だが、普通に考えて、一社員の離職相談にRMが駆り出されることは考えづらい。ということはこの埼玉エリアに予測を超える離職騒動が勃発しているのではなかろうか?!
今、太田窪店に起きている惨状は、恐らく近隣の新店でも同様なのだ。
ここは井上UMのいうとおり、真摯な気持ちを包み隠さず思いっきり吐き出した方がよさそうだ。
理解されなければ辞めちまえばいい!
夏のスノコ磨きやグリル板磨きは、地獄でしたよね。
すぐに、フリーザーに飛び込んでいました。
アイドルタイムに、急な団体客があるとたいへんでしたよね。
長時間労働は、当たり前の職場環境に、退職して行く社員やアルバイトさんが多かったです。