「西條さん、そろそろ上がって下さい」
西條リードクックは早番だから、正規の退社時刻は午後3時半。ところが時刻は既に5時を回っており、ブレークも取らずに真剣な眼差しでプリパレのチェックを行なっている。
「うん、確認が終わったら上がらせてもらうよ。あとは金城さんに任せるかな」
遅番の応援スタッフである金城さんは本部付けのクックだ。近頃の新店ラッシュの煽りを受けて、全国津々浦々へ飛んでは、こうして開店フォローに当たっているとのこと。西條リードクックとは、以前、神奈川地区で一緒だったらしく、ブレークの時などは昔の仲間の話で盛り上がっていた。
「夜は元気なクックが4人もいるからバッチリですよ」
キッチンは西條さんの指示で、プリパレや各所の補充は完了しており、あとはディナーピークを待つばかりだった。
一方フロントは、各ステーションに3名の新人MDと応援MD1名が配置され、DLも含めれば総勢13名という十二分な人員が配置されていた。もちろんそれにUM、UMITがいるのだから、ウェイトレスステーションに至っては満員電車の様相である。
しかしこのザワザワとした雰囲気はオープンという大イベントが醸し出す特別な空気感であり、そこにいられる嬉しさはこの上ないものだが、同時に大きな責任を背負ったという現実がのしかかる。
「みんないいですか、グリーティングは明るく元気に! オーダーの復唱は確実に! ウェイトレスコールはきちっと確認! そしてバッシングとセットは積極的に!」
「はい!!!」
フロントメンバーの気合が入ったミーティング。
その迫力はディッシュアップカウンターを越えて伝わってくる。スタッフが一丸となった雰囲気は格別な爽快感があり、オープニングメンバーの一員になれた喜びが沸き上がってくる。
それから大凡30分後。来店客が徐々に増え始めてきた。
「いらっしゃいませデニーズへようこそ!、何名様ですか?」
「えーと、5人かな」
「かしこまりました、ご案内いたします。こちらへどーぞ」
ディナータイムとランチタイムとの大きな差は、ワンチェック当たりの品数とピーク時間の長さだ。
ランチは殆どワンチェックに1品か、精々同じランチが3品程度で、急激に盛り上がるピークが一時間強続くが、一方ディナーはワンチェック当たりに複数且つ様々なオーダーが入り、正弦波のようなピークが3時間近くも続く非常にタフな戦いになる。
例えばワンチェック5~6品が一度に数枚入れば、もうキッチンは蜂の巣を突いた状態だ。
「ワンシェフ、ワンツナ、ワンコンボ、ワンピザ!」
「続いて、ツーマルワ、ワンハンバーグシュリンプ、ワンシェフ!」
「もういっちょういきます! ツーマルワステーキ、ワンツナ、ワンエフエフ!」
「ましたぁ=====!!!」
「おっ!またきたぞ! ワンコンボ、ワンクラブサンド、ツーエフエフ!」
「間違いなくちゃんと落とせよ!」
「ました!!」
的確な指示をだせるセンターがいなければ、ディナーピークはこなせない。その点、金城さんは素晴らしい能力を持っていた。小金井北UMITの濱村さんも全体の流れを把握しながら、上手にフォローを入れてくれたが、金城さんはまたそれとも違って、クックの気持ちを煽るというか、猛然とディッシュアップに集中できる場の雰囲気作りが巧みなのだ。だからキッチン中に安心感が溢れ、作業に対して迷いが出にくい。
ー ピンポーン!
「岡本さ~ん、シェフが出たから先に持ってって。それとビールはもう行ったかな?!」
「は、はい、ビールは今から持っていきます」
MDの岡本美子は、今時珍しい化粧っ気のない女子大生だ。出勤時も地味なブラウスに紺のプリーツスカート姿と、他の若いMD達とはちょっと違った印象の持ち主だ。性格は緊張するタイプなのだろう、先ほどのフロントミーティングの際も、皆が笑顔溌剌でグリーティングの練習を行っているのに、一人強ばった表情を崩せなかった。
「いいかい岡本さん、ビールは真っ先だよ。それと、シェフはドレッシングも忘れないでね」
「はい」
金城さんはセンターをやりながらも、ディッシュアップカウンター越しに新人MDへ対し的確なアドバイスを行っている。
その時だ、プレートの割れる音がレジの方向から盛大に飛び込んだ。
同時に西峰かおるが泣きそうな顔をしてディッシュアップカウンター前にやってきた。
「すみませ~ん、ワンライスお願いします」
「慌てなくていいんだよ」
誰かと接触した際にライスを落としたそうだ。レジの脇は1番ステーションと2番ステーションへの出入り口になっていて、スタッフの行き来が最も頻繁になるところだ。
「下地、ライスそろそろセットしよう」
「ました! 着火します?」
「いや、まだいい」
「それから太田さん、ピザとクレオールの残りは?」
「どっちもまだワンシートあります」
「OK、それじゃ至急トスサラとサラダ菜をワンコン作って」
「ました!」
ディナーではサラダの注文が多い。私はコールドテーブルを担当していたが、見る見るうちにトスサラダが減っていく様には驚いた。3名以上のチェックには殆どシェフかツナサラダが入ってくる。
それにしても開店のディナーピークは凄い。20時を過ぎたのに一向に客足が途絶えない。
「みんな頑張れ! このペースなら来店客数800名はいくぞ!」
ギョロ目の井上UMがいつの間にかキッチンの横に来ていた。朝から立ちっぱなしでフロントで指示を出しているので疲労がありありと顔に出ている。
「井上さん、頑張りますね。あとはうちらに任せて上がってください」
「ありがとう。ウェイティングが切れたらそうさせてもらうよ」
それから1時間。これでもかとオーダーが入り続け、一時はチェックが10枚以上も並んでしまったが、金城さんはさすがだ。こんな時も冷静にどれから順番に上げていけばスムーズにこなせるかを把握している。一時ディッシュアップが遅れ気味になったが、そんな時はMDにこんな指示も出した。
「みんな、コーヒー回ってる?!」
「はい、行ってきま~す!」
料理の遅れでイライラするお客さんの心理を考慮し、MDにはなるべくフロントを回らせ、お客さんから声を掛けられやすくするのだ。
この一度のディナータイムにどれだけ多くのことを勉強したか、それは計り知れない。
「小田さんはそろそろ上がってください」
「すみませんね、それじゃお先に上がらせていただきます」
フロントもやっと落ち着きを取り戻し、21時上がりのMDが続々とキッチン脇からバックへと引いていった。
「お疲れさまです」
「あれ、西峰さんも上がり?」
「はい、上がらせていただきま~す」
「初日はどうだった?」
「なんだか分けがわからないうちに終わっちゃいました」
「そっか、、明日も頑張ろうよ!」
「はい、お願いします。それじゃお先に♪」
上がっていくスタッフたちは皆疲れているはずだが、それぞれにやり切った表情が出ていて、それを認めるたびになんだか嬉しくなってくる。チームで事をなす充実感が否応なしに感じられるからだろう。
さて、遅番クックはここからが大変だ。戦場となったキッチンは汚れに汚れ、それは荒ましい。
しかしここできちっと〆の作業を行わなければ、明日、そして今後に影響が出てくるのだ。
「木代、下地」
「はい」
「俺がオーダー受けるから、二人で〆の方、よろしく頼むよ」
「ました!!」
月2回くらい、茶色のスカーフのクックアドバイザーの方が指導に来ていましたよね。
調理の素人の私も何とか料理が出せるようになって来ました。