二〇二二年一月二日。何年ぶりだろうか、女房と二人で浅草の浅草寺へ初詣に出かけた。
ここ数年は脚の不自由な父親を連れて、彼の好む川崎大師へ行っていたのだが、その父親も一昨年に亡くなってしまい、昨年の初詣はスルーした。その反動か、恐ろしいほど混雑する浅草寺が無性に懐かしく思えてきた。
知り合いには「なんでそんな人ごみの中へ好んでいくの?」と問われたが、「初詣はお祭りみたいなもの。賑やかなところの方が、より大きなご利益があるのさ」と返答した。
分かってはいたが猛烈な人出である。雷門周辺を見回せば、コロナへ対する警戒感や恐怖感などみじんも感じられない熱気があった。私も女房もマスク着用、手洗い、うがいの励行はきちっと行っているが、反面、コロナ慣れは否めない。東京都の新規感染者がたとえ一日1,000名になったとしても、総都民数1億4千万人を味の素スタジアム満席の観客に置き換えれば、たったの2名。このように解釈を変えれば、安堵感を覚えても不思議ではない。しかもオミクロン株は感染力こそ強いが、重篤にはなり辛いとの情報も流れている。気の緩みの果てには再び緊急事態宣言の発令が待っているとは思うが、この繰り返しが徐々にウィズコロナへと導いてくれるような気がする。
さすがに人出の絶対数は減っているので、仲見世通りは例年よりスムーズに流れた。参拝を済ませ、腕時計を見るとちょうど十二時。とたんに腹が減ってきた。
「花やしきの方へ行ってみるか」
時間も時間だし、時期も時期。見渡すどこの飲食店も空き席待ちで長蛇の列。
「並ぶしかないかな」
その時だ、ガチャポンショップの角を曲がったら、左脇にある小さな食堂から客が三名出てきた。
「あそこの店、入っちゃおうよ」
さっそく暖簾をくぐると、もの凄い人いきれに圧倒される。狭い店内にこれでもかと客を詰め込んでいる。一瞬どうしようかとひるんだが、「すぐにテーブル空けますから!」という店員の元気な声がかかり、諦めた。
メニューは街の定食屋。ここは無難にいこうと、私がカツカレーと生ビール、女房はハンバーグ定食を注文した。先ずは生ビールが到着、あては小さなサラダと魚の甘露煮だ。真後ろの席では八十代と思しきおじいさん二人が、生姜焼きで日本酒をやっている。定員とのやり取りから常連客らしいが、それにしてもうまそうに飲んでいる。
「はい、カツカレーとハンバーグおまたせしました!」
シンプルというより、雑な盛り付けにちょっとびっくり。先ずは女房の前に置かれたハンバーグ。どうみても湯煎したパックから出してそのまま乗せたってな感じだ。付け合わせは千キャベツのみ。しかもドレッシングがかかってない。テーブルに置いてある調味料の中にあるのではと探してみたが、それらしきものは見当たらない。これはウスターソースでやってくれってことだろう。次はカツカレー。ご飯の上にカットしたトンカツが乗り、カレーソースがかかっているところまでは普通だが、更にその上に千キャベツが乱雑に振りかかっている。この盛り付けは珍しい。
「どお、ハンバーグの味は?」
「びみょう…」
カツカレーのカツは、まあまあだった。揚げ方もちょうどいいし肉は柔らかい。ところがカレーを一口してびっくり。物凄く甘いのだ。しかも肝心なカレーの風味が殆どない。カレーっぽい雰囲気を持つ黄色いとろみと表現した方がいい代物だ。二口ほど食べると、自然にウスターソースの容器に手が伸び、躊躇なくカレーの上にかけた。
隣の四人連れへ目をやると、手前に座っている客がアジの干物定食を食していた。あんなペラペラの干物が一枚乗っているだけで千円じゃ、きっと幸せな気分じゃないだろうなと、余計な心配をしてしまう。
一応満腹になり、店を出ると、やたらと人力車が目に付いた。数年前は客待ちの空車が目立ったが、昨今では人気上昇中なのだろう、周りを見てもざっと四台ほど客を乗せて疾走中だ。面白いことに、どの車夫もイケメン揃い。花やしきの前で車を停め、二名の女性客に観光ガイド中の車夫は、美しいと表現しても過言でない笑顔と、ウィットを交えた絶妙なトークで、女性客の視線を釘づけにしている、二人のうっとりとした表情が何よりの証拠だ。
「浅草橋まで歩く?」
「いいよ」
雷門から浅草橋までは、国道六号をひたすら歩いて三十分弱。疲れたなと思う頃に駅が見えてくる、ちょうどいい距離感だ。歩くほどに喧騒が遠ざかり、冬のきりっとした空気が心地よく体を包み込んでいく。