浅間嶺と松生山

 秋の気配がぐっと濃くなってきた。最高気温も30℃へ届くことはなく、朝夕は20℃前後と、とても過ごしやすい。こうなると体が軽く感じてきて、無性にカメラを持ってどこかへ出かけたくなる。写真を撮れば、それに関するブログの執筆があり、この繰り返しが日々最大の楽しみになっている。

 九月十六日(木)。檜原村の深部、浅間嶺を歩いてきた。
スタートは最も短時間でアクセスできる上川乗バス停だ。ただ、浅間嶺のピストンのみだと歩行時間も三時間ほどしかなく、やや物足りないと思ったので、東隣にそびえる松生山まで足を延ばすことにした。
上川乘バス停には隣接して無料の駐車場がある。しかしマキシム三台と心細い規模なので、もしも空いてなかったらと、ちょっぴり心配だった。二時間強をかけて到着してみると、予感が的中、満車である。ところが引かれている駐車ラインの右側、つまり街道側にやたらと広いデッドスペースがあって、POLOの車格だったらすっぽり収まるし、他車の出し入れに迷惑をかけることはないだろうと即駐車した。新調したばかりのドイター ・フューチュラ28を背負うと、すぐ先にある登山口へと向かう。

 のっけから上りが続いた。傾斜は比較的緩かったので、顎が出ることはないが、植林帯の中を淡々と進むのは景観に変化がないこともあり、すぐに飽きがくる。まあ、救いだったのはいまにも降りそうなどんより空。気温が低く、上りでもタオルの出番はない。これが真夏の35℃だったら、ここはかなりきつい区間になりそうだ。
スタートから約一時間半、ようやく尾根へ出た。右手の階段を上がりきったところが浅間嶺だ。
頂上には木製のベンチやテーブルまで設置されており、景色を見ながら寛ぐには最高の場所だろう。青空は望めなかったが、北側も南側も開けていて、胸のすく眺めが広がっている。特に北側には、右手に大岳山、左手に御前山と、奥多摩の主峰クラスが姿を見せ、その山塊の奥深さが東京都であることを忘れさせる。
時刻は十一時四十分。松生山ピストンを終えた後、再びここへ戻り、ランチとしよう。

 松生山の頂上には太陽光パネルの施設がその大部分を占拠していて、眺めも良くなければ寛げるような場所もない。しかし、浅間嶺とこの松生山の間には素晴らしい原生林が広がり、それまでの単調な山道とは一線を画す。
―この感じ、どこかで見たことあるな… そうだ、伊豆、天城の森だ。
原生林ならではの暖か味はここも天城も同じである。それと、登山口に“熊注意”の看板があったが、栗の樹を見かけたことや、野イチゴが実っている等々、熊の生息に合致した環境も概ねそろっているようだ。

 前方からにぎやかな話声が聞こえてきた。しばらくすると奥様四人組がススキの中から現れる。年の頃、六十代後半から七十代前半といったところか。
「こんにちわ。あら、カメラは何撮ってんですか」
「いろいろですよ」
「今日山の中で初めて会った人だわ」
「僕もそうです」
それにしても皆笑顔いっぱいい、元気がいい。私と同じに上川乘から登ってきたのだろうか。この先、北秋川へ抜けるとすれば、彼女たちの歩行速度では休憩抜きで優に二時間はかかるはず。頑張って!

 まもなくして彼女たちの姿が見えなくなると、再び静寂が戻ってきた。
それにしてもこのパノラマを目の前にしてのランチは、なんとも贅沢だ。いつの間にか風も収まり、半袖一枚でも寒いことはない。カップヌードル、鮭のおにぎり、そしてあんぱんと定番の品々を木のベンチに並べ、ストーブを点火するとケトルをのせた。
雲がつくる影が、ゆっくりと山の斜面を流れていく様など、これまでじっくり眺めたことはなかったが、頂上にただ一人、静寂の中に身を置くと、いつしか景色と同化してしまったような錯覚に陥り、気がつけば無心に景観の変化だけを追っていた。

 最近の山行を振り返ると、臼杵山、霧ヶ峰、そして浅間嶺と、次々に新しいエリアを歩いている。この心境の変化はどうしたものか。わが身のことながらはっきりしない。
とくだん体調がいいわけでもないし、もちろん膝の不安が解消したなんて奇跡的なことも起きてない。恐らく少々マンネリ化してきた山歩きに、ちょっとした変化を加味したかったのだろう。思い起こせば山に興味を持ち、手探りだが足を向けるようになった頃は、毎回新たな山にチャレンジし、テン泊実現まで一気に上り詰めたものだ。
―地図を片手にあそこだここだと、計画を広げたよな~
<おいおい、いくつになったと思ってんだよ。無理すると何が起きるか分からんぞ>
―隠居にはまだ早いさ。
<ふっ、あと三年で古希のくせに>
―古希だろうがなんだろうが、俺には関係ない。
<威勢がいいのも今のうちだ>
山に入れば、汗が噴き出す、膝は軋む、肺と心臓はフル回転、決まって翌日には筋肉痛に苛まれる。ところが山は日常と百八十度異なる世界であり、そこには前述の苦しみを差し引いても没入したくなる不思議な魅力に満ち溢れている。
山道に咲く何気ない花、鳥のさえずり、風の音、確かな空気感、せせらぎの音、そして気持ちのいい展望等々、難しいこと抜きで心に潤いを与えてくれるし、一歩この世界に入り込めば、己の五感と体力だけが頼りなのはいうまでもなく、この事実が精神のリフレッシュに大きく関与してくるのだ。

 ベンチに広げた食料は全て胃に落ちた。二本目の水を飲み干し一息つくと、尻に根が生え始めたようだ。満腹感からの気怠さが、軽い眠気を誘ってきた。根が深くなりすぎると厄介なので、そろそろ下山しよう。


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