八月十一日(水)。せっかくの四連休だというのに、二日目から雨続きの予報が出ていた。どこかへ出掛けるなら初日しかないと、初となる“臼杵山”へ登ってきた。
なぜここを選んだかといえば、戸倉三山の制覇である。戸倉三山とは、盆堀川を取り囲むように位置する臼杵山(842m)、市道山(795m)、刈寄山(795.1m)の総称で、これまでに刈寄山と市道山は登ったことがあったので、残すは臼杵山のみになっていた。
奥多摩山域には三山と呼ばれるところが三つある。最も有名なのは奥多摩三山で、多摩川の南岸にある大岳山(1,267m)、御前山(1,405m)、三頭山(1,531m)のこと。次は高水三山。奥多摩山域の最北側に位置し、高水山(759m)、岩茸石山(793m)、惣岳山(756m)がならぶ。そして今回の戸倉三山である。この三つの三山で未踏は臼杵山だけだったから、何度となく登ろうとは思っていた。ちなみに戸倉三山の刈寄山は足腰のトレーニングによく使う馴染みの山で、登頂回数はもうすぐ十回に届く。
私は山へ行く際、必ず車を使う。生まれつき極度の汗っかき故、特に夏は全身汗みどろになってしまい、人様にこのグシャグシャドロドロとなった姿を見せたくないという理由もある。よって山行計画を立てる際は、ピストンまたは置いた車へ容易にアクセスできる公共交通があるかどうかに絞られる。今回も先ずは駐車場を探した。すると十里木にトイレありの無料駐車場、そして荷田子にも有料だが立派な駐車場があることが判明。もちろん駐車場料金が無料に越したことはないが、十里木から登るとなるとやや距離が長くなる。なにしろ臼杵山は初めてだし、三山の中で最も標高が高いことも気になっていたので、スタートは荷田子に決定した。
睦橋通りを西へと進んだ。POLOの外気温度は九時をちょっと過ぎる頃から33。5℃を示していた。一昨日から猛暑日続きで、まるで熱せられたフライパンの上にいるようだ。こんな日だから水分は2,750ml用意した。荷田子の交差点が見えてきたのでウィンカーを出した。右折しようとすると、駐車場入り口に“満車”の看板が。これには参った。有料駐車場がこんな状態では手前の十里木は無料だから間違いなくウェイティングをおこしているに違いない。旧盆休みに入ってもコロナ禍だから遠出や帰省ができず、それではとファミリーで川遊びへ殺到しているのだ。これは計算外。しかたなく駐車場の先でUターン。せっかくここまで来たんだから、刈寄山にでも行くかと左にウィンカーを出した。するとT字路正面にいたご婦人が手を振って何か叫んでいる。ウィンドウを下げると、「こっち一台空いてますよぉ~!」。これはラッキー。川遊びのピークに自宅の駐車場を臨時貸ししていたのだ。しかも一軒家の駐車場だから着替えや準備もやり易い。これで料金は同じ一日千円。登山靴に履き替えていると、先ほどのご婦人の旦那さんだろうか、近づいてくると、「山へ行くんですか。ここは暑いけど、尾根まで上がると風が気持ちいいですよ」と、優しい笑顔で説明してくれた。
登山道の入口は、POLOを置いた一軒家のすぐ裏にある。急斜面が眼前までせり出していて、容易ではない予感がしてきた。農用電柵を潜ると鬱蒼とした森が続いた。2~3m毎に顔や腕にまとわりつく蜘蛛の巣にはほとほと参る。200mほどなだらかな坂を上がっていくと、突然急坂が現れた。結構な傾斜だ。片手をV2に塞がれているのでバランスがとりにくい。刈寄山と同じような山容だと勝手に思い込んできたが、大きな誤算のようだ。登山早々から大汗が噴き出てきた。
しばらく頑張ると荷田子峠の道標が見えてきて、正直ほっとする。尾根道に入ると駐車場のご主人がいっていたとおり、なんとも冷え冷えとした風が流れているのだ。これが薄暗い樹林帯ではなく、直射日光の雨嵐だったら、そのまま引き返したかもしれない。気がつくと、一本目のミネラルウォーターの半分が消えていた。
尾根道に入ってもひたすら上りの連続で体は悲鳴を上げた。初の山道だから、今どのあたり、あとどのくらいがわからずで、ペース配分が取りづらい。そんな中、今回、ちょっとしたミスを犯してしまう。
眼前の山道が急に九十度近く右へと曲がり、さらに下っていったのだが、それをうまく確認できず真っすぐ進んでしまったのだ。そちらの方が明るく、しかも若干だが踏み跡も確認できたからだ。あとから考えればそこは林業の伐採地であり、踏み跡は従事者のものだったのだろう。違和感を覚えつつも急斜面を慎重に下っていった。
しばらくして完全に踏み跡を見失う。しかも斜面はさらに斜度を増し、これは間違いだと判断。水補給して一旦気分を落ち着かせ、今度は登りとなった急斜面を慎重に踏み出した。
ミスコースしたのは数年前に歩いた稲村岩尾根以来である。山岳遭難の最たる原因はミスコース。どこかに気の緩みがあったに違いない。もう一度基本に戻る必要がありそうだ。この一件で約三十分のタイムロスである。
上りの連続に大きなアップダウン。久々の山歩きでもあり、六十七歳の萎えた体には悲しいかなハードである。ただ、天気にも助けられたが、眺望の良さとビューポイントの多さは刈寄山の上を行った。何度も立ち止まっては写真を撮ったが、五分も佇むと汗でぬれたTシャツがヒヤッとしてくるほどで、なんとも気持ちがいい。ただ、ちょっと残念だったのは、やっとの思いで到着した山頂は、狭く展望もさほど良くないということ。刈寄山のようなベンチや東屋はなく、正直長居できる場所ではない。おにぎりとアンパンでカロリー補給。十五分間の休憩で下山とした。
帰りは急斜面対策としてトレポを使った。路面は終始しっかりしていて滑る危険性はなかったが、やはりトレポはバランス維持も含めて安心感が向上する。撮影は十分堪能したので、カメラはザックにしまいこみ、両手フリーで下っていった。
上りで酷使した膝も中盤までは違和感も出ず快調だった。ところがもう少しで荷田子峠というところから急に違和感が出始めた。この時、数年前にトライした今熊神社遥拝殿~市道山ピストンを思い出した。
ウィークポイントでもある左膝の腸脛靭帯炎。ちょっときつい山行では必ずといって下りで発症するもので、ひどい時は冷汗も出るほど痛む。ところがこの市道山のときはちょっと様相が違った。腸脛靭帯炎の症状は比較的軽かったのに、それ以上に両膝の膝頭が悲鳴を上げ始めたのだ。腸脛靭帯炎は左足が地面を離れる瞬間に痛みが走るが、この膝痛は両足とも着地した時に重い痛みが発生する。あくまでも素人判断だが、要は筋肉が落ち始めていて、下りの際の体重を支えきれなくなっている証拠なのだ。加齢には逆らえないが、これは山へ行く頻度が落ちたことによるものではなかろうか。日頃からもっと体を鍛えることを具体的且つ真剣に考えなければならないところだろう。
荷田子峠からの下りは予想通りしんどかった。歩幅を10cm以下にとり、膝になるべく負担を与えないようゆっくりと歩を進めなければならない。なんとか電柵までたどり着くと、ほっとすると同時に道はアスファルトの緩い下り坂になるので、膝の痛みが嘘のように出なくなった。
POLOの脇で汗まみれになったウェアを全て脱ぎすて、着替えを行う。残ったアクエリアスを飲み干すと、やっと人心地がついた。結果的にきつい山行になってしまったが、初の山道は見るところが豊富だったし、歩き方の工夫や筋トレ等々、新たな目標も生まれたようだ。
翌日、大腿四頭筋の筋肉痛が半端でなかった。実はその翌日までも痛みが残り、悲しいやら情けないやら。やはり思っている以上に足の筋肉が落ちているのか、はたまた足に負担をかけすぎる歩き方をしているかのどちらかなのだ。この辺を冷静に精査して、好きな山歩きがいつまでも楽しめるよう頑張りたい。