開店準備は順調に進んでいた。
ランチのフロントメンバーに若干の不足が出ていたが、その他の充足率は概ね問題のないレベルにあり、トレーニングの成果もきっちりと上がっていた。
一方、プライベートの方も、麻美のおなかの子は順調に育ち続け、2月に入ったら出産準備で沼津の実家へ戻ることになっていた。公私双方からプレッシャーが掛かるが、考えてみればそれは大きな楽しみでもあるのだ。
オープン2日前の20時頃。仕事を終えてエンプロイで寛いでいるのは、谷岡、宗川、そして私の3名。
「タイミングばっちりだな。この時期のオープンならハチャメチャにはならないだろう」
「ゴールデンウィークまでには万全な体制を作りましょう」
「これが正月前だったらきつかったでしょうね」
年末年始、ゴールデンウィーク、旧盆休みは、地方の店舗にとって普段の1.5倍から2倍近くまで売上が上がる三大書入れ時だ。スタッフがまだ育ちきれないオープン直後にこのようなピークに突入すれば、まともなサービスができないどころか、クレームの嵐にもなりかねず、そうなれば店の評判はがた落ちとなり、これを取り戻すには大変な労力と時間が必要になる。
ー ピンポ~ン
「誰だ、こんな時間に」
「納入業者じゃないよね」
宗川が難しそうな顔をしながら裏口のドアに手をかけ、そっと開くと、
「店長おるか」
宗川を押しのけるように侵入してきたのは男二人。誰が見ても普通の人たちではない。
一瞬にして高田馬場の悪夢を思い出した。
「私が店長ですが」
「あんたか。これからいろいろと大変やろな」
「はは、なんとか」
本物の迫力に血の気が引く。
一歩後ろに下がっている、子分と思しき若い男の暴力的な視線が、今にも噛みつくぞとばかりに我々に注ぐ。
「なんかあったらいつでも相談にのるさかい、まあ、とりあえず花こうてや」
やはりきたか、、、いわゆる“守代”だ。
弱気になれば、後で手が付けられなくなるのは明白。ここはしっかりと断らなければ。
「すみません。そういったものの購入は本部からきつく禁じられているんです、、、」
「そんなん店長のポケットマネーでかまへんねん」
「いや~、、、そ、それも、、、」
「わかったわかった、また来るわ」
名刺を一枚渡されると、不思議なくらいにあっさりと帰っていった。
「なんですか今の? めっちゃこわいわ~」
谷岡の顔が異常に強張っている。
改めて名刺をじっくり見てみると、金色の菱がしっかりと印刷されているではないか。これはまぎれもなく山口組の代紋だ。
「山口組とは、またずいぶん本格派ですね」
「しょっぱなから頭いてえな」
日本〇〇同盟の佐々木を思い出していた。背が高く蛇の目を持つ陰湿な男。何度も繰り返し店に来ては、金出せを繰り返した。帰るときは必ずレジ台のガムやキャンディーを鷲掴みにしてポケットに入れる。もちろん代金など払ったことはない。
あのムカムカイライラした日々が再び訪れると思うと、正直萎える。
「ここは皆で団結して店を守りましょうよ」
「ありがとう。DMにも報告入れとく」
宗川の一言は心強い。救われる思いだ。そもそもあんな輩に大切な店を踏みにじられたらたまったもんじゃない。
何事も最初が肝心、これは身をもって経験したこと。目白署の刑事に言わせれば、一度でも金品を差し出したり甘い顔をしたら最後、ケツの毛まで抜きに掛かるのがやくざ。怖くても勇気を奮い、毅然とした態度を守り続けなければ、それこそ最悪の結果を招いてしまうのだ。
「まっ、今のことはおいといて、明日は朝からプリパレだな」
谷岡の顔に別の緊張が走る。
「オープニングマニュアルだとかなり多めなようですが」
「かまわない。ロスのことは考えなくていいよ。それより品切れは絶対NGだ」
「ました!」
オープン日は金曜日だが、当然この特別な日は平日も祝日も関係ない。このご時世、平日でも絶対にごった返す。
売上予測が難しい新店に対しては、本部からオープニングマニュアルが提供されていて、パン類や青果の発注量から、日替わりランチ、ピザ、クレオール等々プリパレ量や、ステーキ、ハンバーグ、パティーの解凍量まで、事細かな数量が記載されている。
「そうそう、オープン日にはスーパーバイザーの三頭さんも急遽来ることになったんだ」
スーパーバイザーとは、全店クックの頂点に立つ役職であり、主な職務は新メニューの開発並びにクッキングマニュアルの管理だ。谷岡からすればまさしく雲上の人。
「へー、嬉しいけど緊張しますね」
「三角さんもそうだけど、東京から来てくれるんだからありがたいよな」
「頑張らないと怒られちゃいますね」
「あはっ、ま、そんなところだ」
この仲間達となら、なんとか行けそうだと確信。
急にオープンが楽しみになってきた。