沼津に赴任してからというもの、予想以上のリニューアル効果が出て仕事には弾みがつき、プライベートでも伊豆箱根と、バイクを楽しむにはこの上ないロケーションを得られ、久々に公私共々充実した日々を送っていた。
少年期もそうだったが、やはり私と沼津の相性は良いのだ。
いやいや、相性は抜群と言っても過言じゃない。なんてったって、MD若村麻美との交際がスタートできたのだから。
ただでさえ沼津での生活は順調だった。そこへきて彼女までGETできたのだから笑いが止まらない。これまでやたらと引っかかりの多かったデニーズでの毎日が、ここにきて大逆転である。
但、沼津での暮らしが始まってからも、伊坂文恵のことは時々思い出すことがあった。結婚を意識した初めての相手だったし、長時間労働と少ない休みで、ほとほと疲れ切っていた心に幾ばくかの潤いを与えてくれたのは、文恵の存在だった。しかし、いざ本気になって彼女との結婚を考えると、何故か説明のつかないブレーキが掛かってしまうのだ。
若村麻美は一見気が強いタイプで、自分の意見は誰にでも堂々と主張する女性である。但、嫌味がないので、彼女を嫌う者は知っている限り一人もいない。それより彼女、気がつくと人の輪の中心にいるから驚いてしまう。
実は麻美と知り合ってから、自分の結婚観に急速なまとまりが見えてきた。
<男子たるもの所帯を持ったら、逞しい牽引力を持って家族を幸せへと導く>
上記は社会一般の通念だろうが、局面によっては女房の力を借りたいと欲することも多々ある筈。一家の大黒柱と言ったって所詮スーパーマンではないのだ。
どちらがリーダーシップを発揮するというのではなく、互いに知恵を出し合い、力を合わせて難局を乗り越えていく夫婦像ってのは、なかなかの理想ではあるまいか。
麻美は11歳も年下なのに、どこか姉御を感じさせる頼もしさと押し出しの強さがあり、それは私が持ち合わせない能力でもある。この子となら結婚してもうまくやれるのではないかと直感した要因の一つだ。
それと私も既に30の大台に入っていたので、頭のどこかに家庭を持ちたいという欲求が芽生え始めていたのかもしれない。
「やっぱりさ、一番先に結婚するのは木代なんじゃないの」
「そうかな」
「いやいや、俺もそう思うよ」
以上は学生時代のやり取りである。
当時の仲間内で彼女がいたのは私だけだったので、こんな話が持ち上がったが、そもそも<彼女=結婚>なんていう公式は短絡すぎる。
私は生まれつきの慎重派であり、何をやるにも先ずは考えることから始める。考える前に行動だ!なんていう勇ましい芸当は今でも苦手である。
正直なところ、明るくて容姿端麗な伊坂文恵は彼女として申し分なかった。連れて歩けば男達の目線攻めにあうこと屡々で、あの優越感は堪らないものだった。ところがこれから生活を共とするパートナーとして慎重に考え始めると、互いの腹の中を見せ合い、それを理解し合おうとするシーンがどうにも想像できない。恋愛と結婚は違うとよく言われるが、恐らくこのようなニュアンスも含まれているのだろう。
麻美との交際が始まってひと月がたつ頃、スタッフの殆どに我々の関係は知れ渡っていた。私の感ずる限りでは、周囲の反応は大方ウェルカムだったように思う。皆が麻美に優しくしてくれたし、それが嬉しかった。そしてUMITの森嶋もこの雰囲気を作ってくれた立役者の一人だった。
沼津インター店UM高幡の退職が本決まりとなり、それに伴う人事異動が発表された。
何となく予測はしていたが、後釜には私、そして沼津店の新しいUMには森嶋が昇格抜擢。これから沼津地区を木代~森嶋ラインでやれると思うと無性に心が踊った。
沼津インター店はインストアである沼津店の倍近くの売上規模があり、しかも実績は順調に推移していた。特に夏場の売上だけを見れば、年商3億を超える店と同等のレベルを誇り、同エリアの清水インター店とは常々比較の対象となっていた。
そして私が抜ける沼津店の引継ぎには約一ヶ月間が用意された。森嶋UMの下に当てられたのは吉倉というクック上がりの新任UMITだったので、マネージャー教育期間として少し長めのインターバルが与えられたのだ。
「森嶋、良かったな」
「いえいえ、ご指導ご鞭撻、お願いします」
「次回のUM会議から、いっしょに麻雀できるじゃん」
「嫌いじゃないんで、楽しみにしてます」
「まっ、お隣さん同士なんで、うまくやっていこうや」
「ました!」
人事異動発表からちょうど2週間後。吉倉が初出勤してきた。これからの1ヶ月間はマネージャー3名体制になる。
吉倉にはこの期間にマネージャー業務のルーティンをしっかりとマスターしてもらわなければならない。
彼は身長160cmほどと、男性としてはだいぶ小柄である。いつもニコニコしていて、周囲を明るくするところは森嶋と似ているが、年齢が23と若いので、既に昼間の主婦MD達やKHの山岸さんには、“言いやすい人”と認知されたようだ。
「ねえねえ吉倉さん、ランチスープを用意するときはクルトンも一緒にお願いしますね」
「あっ、はい、そうですね」
「そうそう吉倉さん、最近ろくなレタス持ってこないんで、八百屋さんに言ってちょうだい」
「あっ、はい、言っときます」
吉倉は真面目だ。夏でもないのに額に汗して動き回る。
頑張る姿は好感が持てるが、そそっかしいところも多々あって少々不安だ。
売上金の計算などは顕著な例で、
「あれ、おっかしいな、、、」
「どうした、合わない?」
「1,000円ほどですかね」
「その束、もう一度数えてみなよ」
「あっ、はい」
「どお?」
「合ってました、すみません」
と、こんな感じである。
それでも一週間の通し勤務が終了すると、一通りの仕事は覚えたようなので、翌週からは一人でワンシフトを任せることにした。
その日の早番は私、吉倉は遅番、森嶋はOFFだ。
キッチンの遅番にはLCの大岩、フロントはベテランMDの関島が22時まで、そして麻美がラストまで入っていたから布陣としては万全である。リニューアル効果で着実に売上は伸びていたが、平日のディナーの波は大概21時になる前に引いていた。
欠かさない晩酌。思い起こせば大学入学と同時に始めたので、この時点で既に10年以上は続いている。好きな肴を並べてはちびちびとやり、ほろ酔い加減を楽しむのだ。
きちっとした夕飯を取ることもあるが、殆どはこの晩酌で済ましてしまう。職場はイトーヨーカ堂の中だし、住まいの近くにも惣菜を売っている店やケンタッキーフライドチキンもあるので、酒の肴には困らない。
仕事帰りに買った少年マガジン。ゆっくりとページを捲りながらバーボンウィスキーをちびりちびり、そして肴を口へと運ぶ。これぞ至福のひととき。いつも発売されると同時に購入する“週間少年マガジン”には、「バリバリ伝説」と「あいつとララバイ」が連載されていて、私もそうだが、大概のバイク好きは発売日が待ち遠しくて、悶々とした1週間を過ごしている筈だ。
氷を足そうと冷蔵庫のドアを開くと、電話が鳴った。電話機は冷蔵庫の上に置いてあるので、すぐに受話器をとった。
「はい、木代です」
「お休みのところすみません、吉倉です」
彼の慌てる口調に嫌な予感が、、、
「おっ、ご苦労さん。どうした、こんな時間に」
腕時計に目をやれば、23時10分を回ったところだった。
「若村さんが事故りました」
「なに?! 事故ぉ??」
いったいどうしたんだ。
「駐車場から出るときに、横から来た車とぶつかったみたいです」
麻美は普段の足として、ホンダのスクーター“リード50”に乗っている。
「怪我は?!」
「それほどでもないようですが」
「わかった今すぐ行く!」
なんてこった、大事に至らなければいいが。
上着を羽織ると、店まで猛ダッシュ。酔はとっくに消えていた。