若い頃・デニーズ時代 59

小金井南店でUMをやり始めた頃と言えば、経済成長が作り出した豊かさによる平穏ムードが列島をすっぽりと包み込み、音楽界では松田聖子のデビューをきっかけに、花の中三トリオ以来となる第二次アイドルブームが再燃、中森明菜、小泉今日子、おニャン子クラブ等々がTVを賑わした。
大好きなモータースポーツ界では、ホンダがF1復帰というビッグニュースで沸き上がり、バイクレース界の最高峰GP500では、王者ケニー・ロバーツと最強の挑戦者フレディー・スペンサーとの激闘が、スポーツバイク好きを釘付けにしていたのである。
そんな中、外食産業も順調な発展を遂げていた。我がデニーズは総店舗数を150店にまで伸ばし、遂に東証二部上場を果たしたのである。

赴任から早くも1年が経とうとする頃、ディストリクトの再編が行われ、それに伴いDMが交代となった。
海田さんは常に仕事三割遊び七割の“いい加減の極み”のような人だったが、言い方を変えれば人間味があって付き合い易かったように思う。コミュニケーションがとれてくると、私事も含めていろいろ話もできるようになった。
ところが新しいDMの荻下さんはビッグマウスの自信家。自分のやり方以外は一切受け付けず、人の好き嫌いがはっきりしていた。
幸か不幸か私は嫌われたようで、ことあるごとにねちねちと小言を言われ、罵声を浴びることも屡々。

「おまえ何年UMやってんだよ。ファンダメンタル全く駄目じゃねえか。よくすましたツラして黄ジャケ着てんな」

確かに今日行われたスケジュールBの結果は惨憺たるもので、改善項目が片手では足りないほど。しかしスケジュールBの判定基準には個々のDMよって大きな差があり、その差を作り出しているのは、他でもない“私情”なのだ。DMに気に入られると好得点は間違いなく、反面、嫌われれば地獄の再検査となる。
私は嫌われていたので、最初から大凡の結果は見えていたが、それにしても結果が悪すぎた。
ちょっと納得できず、窓ふきの件について反論すると、

「ふざけんなよ、どこ目ぇ付けてんだ。俺が見てるから、いいって言うまでお前が拭け!」

私はこの一件から、荻下DMへ対してこちらから声を掛けることを一切やめた。そしてどのようなことを言われても抗うことなく、ただ「はい」を繰り返すことにした。
そしてこんな対応は更に荻下DMの不満不信を呼び、関係は悪化の一途となったのだ。

「木代さん、DMに嫌われちゃったね」

MDの曽我美智恵はDMとのやり取りをよく見ていた。

「どうも馴染めないんだよ、彼には」
「そんなこと言っちゃって、大丈夫なんです?」
「関係ないさ、俺は俺だ」
「フフッ、そんな強がり言っちゃって」
「なんだそれ」

曽我美智恵はやけに大人びたところがある。正直なところ、デニーズで働くよりはクラブのホステスの方が似合っていると思う。笑顔まあまあ、ボキャは豊か、そして何より聞き上手ってなところがGOO。
男に好かれ、男友達の多い女性ってのは大概同性からは好かれないものだが、彼女は老若男女問わずに誰からも好かれる人気者だった。

「私も荻下さんは苦手かな。まだ海田さんの方が取っつき易いって感じ」
「俺もそう思う。荻下さんは、何だか嫌らしいんだよ」
「あはは、分かる気がする」

ただ一度だけ、荻下さんとは新たな仕事にトライしたことがあった。
店の真ん前が多磨霊園ということで、春と秋の彼岸になると夥しいほどの人が墓参りに訪れる。もちろん店の売り上げはうなぎ上りだが、ランチタイムに発生するウェイティングの列は高田馬場店でも見たことのない凄まじいもので、回転さえ上げれば更なる売り上げアップは予想できた。

「なあ木代さ、あのウェイティングの列、もったいないよな」
「ですね。しかしこれ以上回転を上げようってのは、どうでしょう」
「無理だな。ちょっと考えたんだが、弁当を売るってのはどうかな」
「弁当ですか? あのウェイティング客に?」
「そうだ。間口にベンチを並べてさ。いいと思うぜ」

なるほど。やっこさんも考えたもんだ。キッチンはまだゆとりがあるから、やれないこともない。
とりあえず価格を決めて採算ベースを精査する必要があるが、前向きに考えてもいいかもしれない。特に彼岸の頃は春も秋も気候がいいから、ベンチに腰掛けての弁当ランチは極々ありだ。

「至急本部に稟議を出してみる」
「ました」

ところがこの妙案、いきなり躓いたのである。
現在は定かでないが、当時はレストランの営業許可だけで弁当販売は扱えないとのことで、結果、本部からは、<彼岸時のみの施策に対して新たな許可を取得するのは得策でない>と却下されてしまったのだ。
イレギュラーな施策を講じる場合、当然本部の稟議が必要になるが、実は小金井南店時代に、この弁当販売に関する稟議の他にもう一件稟議を出したことがあった。
ご存知の方も少なくないと思うが、店前の東八道路では当時ゼロヨンが大流行りになり、当然の如く社会問題にまで発展した。
ゼロヨンとは、2台の車がスタートから400m地点までを競うレースだが、これを東八道路という一般道で行い、しかも悪いことにそのスタート地点が店の真ん前なのだ。爆音とタイヤの焦げる匂い、そしてギャラリー達の嬌声等々、とてもじゃないがレストランの営業どころではなく、おまけに5~6組の客しかいないのに、ギャラリーや参加者の車で駐車場は満車という、ブチ切れる状況にまで悪化した。
この騒動に対し、小金井警察署が中心となり、沿道の法人が招集されて対策会議が行われた。私もデニース代表として出席、現況を報告すると、それに対して警察より要望が出た。
店の駐車場の出入り口は道路側と西側の2カ所あるが、西側を閉鎖して道路側だけにしてもらえないかとのこと。
何故なら、駐車している違法車をを検挙しようとしても、どちらかの出入り口から逃げてしまうからで、1カ所にすれば簡単に袋のネズミにできるということだ。
この件をDMに伝えると、すぐに稟議を回してくれ、さすがに回答も早かった。
これまで店のぐるりはネットフェンスだったが、これは全て取り壊し、改めてパイプフェンスに変更するというもの。数日後に施工は行われ、完成したそれを見てびっくり。頭の中ではジャングルジム程度のパイプを想定していたが、何と金属バットほどの太さがある、ものごっつい柵だったのだ。
これで小金井警察署の一網打尽作戦は間違いなく成功するだろう。
そう、このゼロヨンだが、店の常連さんにも参加している者がいた。車は6気筒のハコスカで、何やら3000cc近くまで排気量を上げてあり、その他足回りも強化を施してあるようで、常連さん曰く<大概の車には負けない>と豪語していた。つい最近鳴り物入りで発売されたトヨタ「ソアラ2800cc」も早々とこのゼロヨンへ参加してしたが、見事に駆逐したと自慢げに話していた。
それと驚いたことに、あるゼロヨンの日、何やら大型トラックが車を積んでやってきて、下ろしてみたらオーバーフェンダー、スポイラー付きのまんまサニーのレーサー仕様。まさかこれで参加するのかとびっくり。もちろんナンバーなどは付いていない。警察が躍起になるのも頷ける。そしてドライバーを見てさらにびっくり。な、なんと東久留米店時代にアルバイトをやっていた男性なのだ。こんな凄まじい趣味を持っていたとは知らなかった。

フェンスを作り直してからは、やつらその意図を察したのか、不正駐車は激減し、警察による一網打尽作戦は行うこともなかった。時を同じくして、ゼロヨンも急速に下火となり、日々本来の東八道路へと戻っていったのだ。


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