若い頃・デニーズ時代 58

小金井南店はスタッフの充足率が高く、且つ売り上げも安定していたので、仕事はやり易かった。
最も重要な人員配置、食材発注等々の管理でさえ、長岡AMとLCの佐藤に任せておけば、あとは確認だけで何ら問題は起こらなかったし、特にフードコストは非常にうまく管理されていて、常にディスクリクトのどの店よりも理想値に近かった。
但、古い店によく見られる問題は、やはりこの店でも表面化していた。
それは人件費コントロールの難しさである。
デイタイムの主婦MDは、勤続3年越え2名、2年越え1名、計3名で、それぞれ時給は700円の大台に乗っていた。昔のことで忘れてしまったが、あの当時、アルバイトのスタート時給は確か400円+αだったと記憶しているが、だとすれば一般的な従業員の大凡1.5倍の賃金を、売り上げ並びに利益率の低い平日のデイタイム勤務者に支払っていたことになる。
これに対して売上ボリュームの上がる週末に働く従業員は、勤続が短く低時給の学生達が中心だ。
人件費は管理可能費のひとつなので、適正値に近づけるのはUMの重要な仕事であり、達成如何によっては大きく人事評価に影響してくる。とは言っても長年の勤務に対して評価された時給を、人件費管理との理由だけで下げることは心情的にできないし、何より本人たちの同意など得られる筈もない。
このような場合、勤務日数と勤務時間の調整までがボーダーラインとなる。1日6時間勤務だったものを5時間へ、週5日勤務だったものを4日へと減らしていくのだ。もちろんこの修正にだって限界はある。度を越せば確実に退職してしまうだろうし、それ以前にもモラル低下などの弊害が出てくる恐れがある。
店の運営は「一に人」。よってこのハンドリングは従業員との綿密なコミュニケーションが前提になることは言うまでもない。
しかし、これを強行に推し進めるUMもいる。新規採用を強化し、一時は総人件費が上がるものの、それと同時にベテランスタッフの配置を急速に減らしていき、敢えて退職へと持ち込むのだ。これにより平均時給は下降の一途をたどり、総人件費は理想値へと近づいていく。
デニースには【13週間トレーニング】という基本がある。ずぶの素人でもマニュアルに沿った教育を13週間きっちりと徹すれば、一通りの業務をこなせるスタッフを育成することができる。よって計画的な求人活動と従業員教育を励行していけば、時給の高いベテランスタッフに頼らなくても正常なオペレーションを行えるということなのだ。

小金井南の毎日に馴染んでくると、体力的にも心情的にも大分ゆとりを持てるようになってきた。
高田馬場店へ赴任して以来、久しく会っていない伊坂文恵へ連絡を入れてみようと思ったのも、そんな気持ちの変化からだろうか。
電話に出た文恵は今どきの女子大生を謳歌していた。テニスサークルに入り、友人や複数のボーイフレンドたちとの“お遊び”に忙しいらしく、久々に飲みにいかないかと誘ってみても、返事はそっけないものだった。そりゃそうかもしれない。半年近くもほったらかしにしたのだから。
女性は往々にして、遠くにいる恋人より、近くでかまってくれたり優しくしてくれる男性になびくもの。
文恵との間にできた隔たりを目の当たりにし、寂寥感は膨らんだが、一方、これまでの日々には無かった確かなゆとりが、仕事漬けだった毎日にプライベートな楽しみを加味したいという、前向きな願望を生み出したのである。
空気が澄み渡り、秋の気配が濃くなったある日、突如閃きがあった。

「バイクだ☆ そうだ、バイクに乗ろう!」

高校3年生の冬。無免許でバイクに乗ってすっころび、左肩に重度の脱臼を負ってしまうという情けない過去があるが、バイクならではの爽快感や痛快さは忘れることのできない強いインパクトとして残り、いつかはまた乗ってやろうと心の隅で燻っていた。仕事第一の生活の中にゆとりが生まれることによって、その燻っていた願望が再燃したわけだ。
考え始めると転がるように話は進んだ。何をさておき先ずは二輪運転免許証の取得である。早速直近の休日に近所の教習所へ申込みに行くと、ラッキーなことに二輪教習の当日キャンセルが出ていて、手続きが終わると即ライド。その後は予定している休日全てを教習に費やし、一カ月少々でめでたく免許証をゲット。後はバイクを手に入れるのみとなった。
するとこのタイミングでまたまたラッキーが舞い降りた。
地元の友人が地方へ転勤するとのことで、所有のバイクを泣く泣く手放すというのだ。しかもその車両、バイク好きの間ではすでに神格化されていたヤマハ・RZ250だったのだ。2年前に発売されるとすぐに“ヨンヒャクキラー”の異名が付き、別格のパフォーマンスを誇った。搭載された水冷2サイクルエンジンは、最高出力35馬力とクラス最強。入手が決まった時は夜も眠れないほど興奮したものだ。

「マネージャー、二輪免許取ったそうですね」
「おっ、もう知ってんだ」

BHの堀口は大学4年生でバイク好き。
だからこの手の情報には敏感だ。

「もうバレバレですよ。それじゃあ、僕のホークⅡ貸してあげましょうか」
「いいっていいって」
「まさか、手に入れた?」
「RZだよRZ!」
「そりゃすげーや!」

当時の高校生・大学生の男子だったら、バイクに興味がない子は殆どいなかったはず。そんな関係か、バイクに乗るようになってから、男子アルバイト達との距離が縮まったように感じた。
そう、新しいヘルメットを手に入れ、嬉々としているアルバイト高校生の気持ちが良く分かるようになったのだ。
そして思い出す。浦和太田窪店でお世話になったLCの西條さんだ。彼も大のバイク好きで、愛車ヤマハXS750を通勤にも使っていた。あの頃は初の新店オープンを前に気持ちの余裕など全くなかったが、ある日バックドアを開けると、いきなりXS750が目に飛び込んできて、瞬間だが心が揺れたことを覚えている。

休日は雨さえ降っていなければ、必ずと言って伊豆箱根へとバイクを走らせた。
東名高速の御殿場ICを降りると、旧乙女街道、芦ノ湖スカイライン、箱根スカイラインと進み、ひと休憩したら今度は伊豆スカイラインを冷川の先のPAまでピストンするのだ。
折しも二輪モータースポーツ界では、その最高峰であるGP500で、王者ケニー・ロバーツと最強の挑戦者フレディー・スペンサーの壮絶なチャンピオン争いがピークを迎え、その影響からか、草刈正雄が主演するバイクレース映画「汚れた英雄」が大ヒットを遂げた。もちろん、伊豆スカイラインを爆走している時は、完全に“北野晶夫”になり切っていたのである。


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