9月20日(金)。彼岸の入りに合わせて墓参りに行ってきた。
毎度の墓参りを一番楽しみにしているのは親父である。しかし悪くなった脚が回復から程遠い状況にあり、今回もパスとなった。一応リハビリには通っているが、普段は殆ど腰掛けているか横になっているかなので、間違いなく筋力低下が進んでいるのだ。
かかりつけ医からは、< 歩かないとどんどん悪化しますよ! >と、事あるごとに言われているが、94歳の超高齢者ともなれば、どうしたって楽な方へ向いてしまうのだろう。
大仙寺に到着すると、驚いたことに半数以上の墓石に新しい花が供えられていて、既に墓参り済みになっている。
< あの世と現生が最も近づく彼岸に墓参り >というのは皆分かっていても、行けるとき、または行きやすいときに行くのが今流なのだ。
お袋から預かった墓参り七ッ道具を脇に置き、その中からビニールの手袋を取り出す。先ずは草むしりからスタート。
秋の彼岸は夏を越えているだけあって、雑草の生え様が凄まじい。但、6年前に行った墓のリニューアル前と較べたらまだまし。以前は墓石周りの土の層が厚かったので、半年手入れを怠ると雑草の森と化し、全部引き抜くにはひと汗もふた汗もかかなければならない。
草むしりが終われば、後は墓石にじゃんじゃん水をかけながらタワシで磨き上げ、米と花を供えたら線香に火をつけ手を合わせる。
目を瞑って爺さん婆さんを回想すれば、線香の香りと共に大家族だったファミリー9人の面々がリアルに蘇ってくる。あの幼少のころから既に50年以上の月日が流れた事実は正直恐い。私も来月になれば65歳を迎えるわけで、寂しい話、着実に彼岸の面々に近づきつつあるのだ。残った僅かな時間でどれだけのことができるのか?!
こう考えれば、毎日をだらりだらりと過ごす己に鞭を打ちたくなる。
勤め先は65歳になった段階で一旦退職とし、その後改めて雇用してもらう予定だ。
同時に年金の受給も考えているので、せっかくの年金を減額されないよう、収入のコントロールを行わなければならない。但し年金の仕組みは非常に難解なので、何れにしても年金事務所で話を聞いてからのアクションとなりそうだ。
それにしても、つくづく人生の黄昏を感じてしまう今日この頃である。