暴力団が全ての原因とは断定できないが、この一件以降、微妙に売り上げが下がってきているのが気になっていた。
ちらつかせる暴力に怯え、その挙句に売り上げが落ちたら、それこそ精神がぶっ壊れるのではと真剣に思ったりする。更にこの流れでは騒動の責任を一人で被ることになりそうだし、八方は完全にふさがりつつあった。
但、ひとつだけ営業部の尽力による進展もあった。
親会社であるイトーヨーカ堂の総務部には暴力団対策課のような部署があるらしく、デニーズ営業部の依頼により鈴木さんという元警視庁の方が事情聴取に来店してくれるというのだ。
この話をDMから聞いた時、少しは考えてくれているんだなと思いつつ、もうちょっと早くアクションはできなかったのかと溜息が出た。
ぎょろ目が頻繁に来店するようになった頃、だめもとで戸塚警察署へ相談を持ち掛けたことがあった。
しかしその対応は杓子定規以外の何ものでもなく、現況を事細かく説明しても、殴られた、刺された等がなければ動けないの一点張りであり、商品を持っていかれた一件を話せば、犯人を確保してから110番してくれとのこと。開いた口は塞がらず、悔しいというか情けないというか、こんなことだからいつまでたっても犯罪がなくならないのだと全身から力が抜けてしまった。
「マネージャー、お客様です」
ランチピークも終わり、午前中に届いたメールバックの中身を確認していると、ノックと共にMDの新見和子が事務所のドアを開けた。
彼女は勤務3年目に入るベテランで、高田馬場店ランチメンバーの要である。丸顔でポチャッとした容姿にトレードマークのえくぼが、笑顔と共に良妻賢母の典型と思わせる雰囲気をつくっている。
「ヨーカ堂の方らしいです」
鈴木さんかもしれない。DMから告げられたのが先週末だったから、早々のお出ましかもしれない。世間では四六時中暴力団と対峙しているマル暴は、ぱっと見で極道と見分けがつかないとか言われているが、鈴木さんは一体どんな感じの人なのだろうか。
新見和子がご案内したという奥のテーブルへ行ってみると、ん?!
年の頃は70手前、背は170止まり、やせ形で白髪が目立つ老齢者と言ってもおかしくなく、予想していたがっしり型で強面とはまさに正反対である。途端に心細くなってきた。
「初めまして、鈴木です。今日はここで佐々木と待ち合わせしています」
「ご苦労様です、木代です。佐々木、さんですか?」
「そう言っても分からないかな、“ぎょろ目”ですよ」
そうなんだ、あいつ、佐々木っていうんだ …
それにしても、鈴木さん、なんでぎょろ目の正体を知っているのだろう?!
「依頼を受けた後に、日本〇〇同盟へ電話を入れてね、それで、背が高くて“ぎょろ目”の男について聞いたんです。あそこの先代は知り合いなんで」
凄い。さすがはOBである。
「それではここでちょっと待たせてもらいます」
鈴木さんは口数の少ない人だ。それと長年の警視庁勤務で染みついたのか、一般の社会人にはないオーラのようなものが滲み出ていて、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。
佐々木を待つ間、何か資料を見るわけでもなく、ひたすら床と平行に走らせる目線を保ったまま微動だにしない。
それから15~20分ほど経った頃、大きく黒い影が入口に現れた。佐々木のお出ましだ。
「いらっしゃい。奥へどうぞ」
これまで見たことがない緊迫した面持ちである。今日は一瞬たりとも私に目線を合わせない。そしてぎょろっとした目は絶えずフロントの奥へと向けている。
佐々木が来たことは当然分かっている筈だが、鈴木さんは全く動ぜず、先ほどからの姿勢は変わらない。
そして佐々木が目の前まで来ると、途端に無表情だった顔に変化が現れた。口をへの字に曲げて、力の漲った眼光で佐々木を捕らえると、
「まあ座れや-」
鈴木さんの一言に、なんの抗いも見せず、素直に従った佐々木が不思議に思えた。
「おやじは元気か」
佐々木の目がこの上ないほど見開き緊張が走ったが、言葉は出さない。
「店長さん、ここからは二人で話すんで、すみませんが」
「分りました、それでは …」
レジまで戻ったので、二人のやり取りは全く聞こえないが、遠目で見ても佐々木からの恫喝的な素振りはなく、静かに事が進んでいるようだ。
30分もたった頃、佐々木はいきなり立ち上がると、何も言わずに踵を返し、来た時と同じように私とは全く視線を合わせずに店から出ていったのである。
佐々木の後ろ姿を目で追っている間に鈴木さんがすぐ傍まで来ていた。
「あ、どうも」
「また何かあったら連絡ください」
「ご苦労様でした」
バタバタっと詳しい説明を受けないまま帰ってしまったので、なんだか狐につままれたようで釈然としない。
しかしこの後、ウソのように佐々木は来なくなった。
恐らく鈴木さんが言っていた、“先代”、“おやじ”等々は、現役時代に関係のあった旧知の仲といったところで、その伝を利用して佐々木に圧力をかけたのだろう。何れにしてもこれで目の前の問題は解消されたわけだから、まさしくひと段落ついたのだ。
普通の毎日がいかに幸せなことか、このような事件を体験すると痛いほど良く分かる。
ところがホッとしたのは束の間。この数日後に思いもよらぬアクシデントに見舞われ、心底翻弄されるのであった。
疫病神はまだべったりと張り付いたままだったのだ。