若い頃・デニーズ時代 38

「おはようございます」
「久しぶりだな、元気でやってるかい」
「おかげさまで何とか」

田無店新入社員の佐々木である。3カ月ぶりに見たその顔には既に組織の一員となった逞しさが滲み出ていた。
そう、何やらホワイトを切らしたようで、先ほど橋田さんからその旨の電話があったのだ。
時計を見れば16時を回ったところ、あとはディナーでのサンドイッチ需要をカバーできればいいわけだから、それほど数量はいらないだろう。
ところでこの店舗間の食材貸し借り、実は御法度である。なくなったら借りればいいやでは、売り上げ予測はいい加減になるし、それよりコスト管理が煩雑になって、正確な数値が見えなくなる。元々は貸し借りに際しては、届け出票を運用していたのだが、頻度が高ければ店の恥にもなるので、いつの間にか暗黙裡に処理されることが常となっていた。

「それより木代さん」
「なに?」
「橋田UM、辞めちゃうんですね」

この件は田無店在籍中に本人から聞いていたことだが、最近になってスタッフ皆に伝えたのだろう。
家業を継ぐらしいが、真意は定かでない。親身になって指導をいただいた上司なので、正直残念でありまた寂しい。
それにしてもデニーズ、辞める者が多い。
これまでに掌握している同期生の退職者数は5名にのぼり、風の噂ではあるが、特に千葉エリアではかなりの退職数が出ているらしい。
正直なところ楽な仕事ではないし、レストラン業が好きで入社した者ならまだしも、とりあえずの職場を求めて入ってきた者には、続けられる環境であるとは言い難い。
“通し”がまかり通る長時間労働、時には“蹴り”まで入るパワハラの常態化、そして頻繁な人事異動等々、今でいうところのブラック企業の典型だ。

「そうだな、寂しいよな。俺なんかお世話になりっぱなしだよ」
「でもどうなんでしょう」
「なにが?」
「橋田さんは立場的にこれからっていうところだから、もったいないなとは思うけど、それ以上に先々の魅力が見えなくなったんじゃないですかね」

新入社員の佐々木がこんな発言をするとは意外だった。UMになって有頂天の私は、後輩の心情を察するゆとりをどこかに置き忘れたのかもしれない。佐々木はたった1年後に入社してきたのだから、仕事や組織に対する考え方は私と殆ど同じだろうと何の疑いもなく接してきたただけに、仕事の将来性に疑問を持つような一言には強い違和感を覚えた。

「定かじゃないけど、実家の仕事を継ぐらしいよ」
「それって本当ですかね」
「俺はそう聞いてるけどな」

この年、デニーズジャパン労働組合が結成された。私はあまり興味をそそられなかったので、注目はしていなかったが、現状の職場環境がこのまま続けば、様々な問題が噴出してくる懸念は、誰でも感じていたと思う。
そして組合の活動が進むにつれ、それまで知る由もなかった社員の考え方や会社への要望、そして将来の展望等々が徐々に明らかになってきたのだ。
少なくとも私は、男たるもの組織へ入ったらとにかく出世だろうと頑なに信じていた。もちろん同期入社の面々も大方同じ考えを持っているものと認識していた。誰よりも早く店長へ昇格し、年商の大きい店を担当、全店店長会議では進捗率ナンバーワンで表彰され皆の注目を浴びる。 これに向かって全力で突っ走ることこそ本流であり、それ以外は無いとまで思っていた。
ところがだ、後に“それ以外”の考え方を持つ社員が相当数にのぼることが判明、これを反映させたか、会社から全社員を対象に、将来の進路を<出世重視、どこへでも転勤OKの“ナショナル社員”>と、<出世より安定感、転勤は住まいから通える範囲に限るという“エリア社員”>のどちらかで希望を取るという方針が発表されたのだ。
私は殆どの者がナショナル社員だろうと確信していたが、何と蓋を開ければ大凡半々と、思ってもみなかった結果が出た。
まだまだ「モーレツ社員」という言葉がまかり通る時代ではあったが、1980年代に入ると、それは徐々に形骸化が進み、サラリーマンの多くは仕事よりプライベートを重視する傾向へと変化していくのだった。

「新しいUMは決まってるんですか?」
「それは俺にも分からない」
「そうすか、、、」

一瞬眼差しが伏したように見えたが、すぐにいつもの佐々木スマイルに戻ったようだ。

「マネージャー試験が近いんだろ、頑張れよな」
「ありがとうございます! それじゃ失礼します」

彼は年明けの2月に埼玉エリアでUMITをスタートさせた。しかし、激しい新店オープンラッシュに駆り出され、遂には疲れ果てたか、時期は不明だが、UMになることもなく退職に至ったらしい。
そういえば、小金井北店の時、中間社員で入社してきて、その後立川店で再会した槇さん。新店オープンである碑文谷店でUMITに抜擢されたまでは良かったが、地獄のような毎日でぼろ布のようになり、自ら退職願を提出、彼も知らないうちにデニーズから消え去っていた。
個人的には余り好きなタイプではなかったが、後からその経緯を聞かされると、口惜しさだけではなく、会社へ対するはっきりとした憤りを覚えたのだ。
この頃からかもしれない。
まだほんの灯レベルだったが、自己のmotivationを阻害する動きが芽生えたのが、、、


「若い頃・デニーズ時代 38」への2件のフィードバック

  1. 久しぶりの更新ですね!待ってました。私はずっと後の時代でしたが、労働環境は変わらず劣悪でしたね。ブラック企業なんていう言葉は無かったですが、間違えなくそれに該当してました。同期も先輩も後輩も気付いたら居なくなってました。当時は前しか向いてなかったので何も感じませんでしたが感覚が麻痺していたんだと思います。恐ろしい事です。当時を思い出しながら自分と重ねながら読ませて頂いています。

    1. 同感です。当時は私も馬車馬の如く突っ走るだけでしたから、職場環境の良し悪しなどを吟味するゆとりはありませんでした。
      しかし、1年2年と月日がかさむにつれ、本当にこのままでいいのか?と、小さな疑問が膨らみ始め、事あるたびに悩んだものです。
      但、今から振り返れば、こんなに張り切れる自分がいたんだと、思わずにんまりとしますね☆

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