「木代、まあ座れ」
橋田さん、機嫌がいいのかニヤケ顔がはじけている。
最近、売り上げも堅調に推移しているので、本部に対してずいぶんとおカブを上げているに違いない。
「なんでしょう」
「さっきさ、本田さんから電話があってね、」
「はい」
「次の通達で、“木代AM”が発表されるってよ!」
「ほんとっすか!!!」
きたか、ついに。
これで憧れの黄ジャケに袖を通せる。
因みに、デニーズジャパンの親会社でもあるイトーヨーカ堂も、マネージャー職は同じ黄ジャケが制服になっている。いつだったか、両替金が不足してしまい、イトーヨーカ堂の田無店へ助けを求めに行ったとき、フロアマネージャーがデニーズと同じ黄ジャケを着用していて、<俺もイトーヨーカ堂グループの一員なんだ>と、何だかこそばゆい気持ちになったことを覚えている。
AMに昇格しても、仕事内容はこれまでと何も変わらない。しかし、UMITと根本的に違うところは、UM昇格への発射台に立ったと言うこと。このままの出店ペースが続けば、1年以内に店を持てる可能性は大いにあり得るのだ。
「お前の同期でUMはいるの?」
「まだいないと思います」
「じゃ、一番、狙えるかもな」
「いやいや」
どうやら橋田さんのニヤケ顔がうつってしまったようだ。押さえても押さえても笑いがこみ上げてきて、苦しくてしょうがない。終いには、自分を中心に会社が回り出したように思えてくるから堪らない。
組織から評価を得ることは、サラリーマンにとって最上の喜びであり、また全てでもある。UMIT昇格の時も有頂天になったが、視界にUMの席がちらつき始めた今回の話しには、嬉しさの中にも重みがあった。
げんきんなもので、こんな話が持ち上がれば途端に気分が高揚し、やる気が出てくる。
「さてと、窓ふきでもやるか!」
普段は主にBHが行っている作業だが、なんだか急にやりたくなってきた。
ぐるりと3面、汚れをすっきり落としてやれば、店内は明るくなり気分がいい。
デニーズはもちろんのこと、どこのファミリーレストランでも、店舗の窓面積は非常に大きい。そこへ来て、ロードサイドに立地していること、そして当時は禁煙席など無かったこと等々で、外側も内側も短期間で汚れてしまうのだ。
その為、一週間に一度のサイクルで窓拭きを行う必要があった。
全ての窓ガラスがピッカピカの時と汚れている時では、店内の明るさと見栄えに天と地ほどの差が出てしまうので、窓ふきはルーティンワークの中でも最も重要な作業のひとつに数えられていた。
入社直後、そう、小金井北店では毎日のようにやらされていたので、そのコツは十分体に染みついている。
「おはようございます! 」
新入社員の武藤が遅番で出勤してきた。
今年度は彼と佐々木の二名が田無店へと配属されていた。
「おうっ、おはよう」
「珍しいですね、窓ふきなんて」
「マネージャーだってたまにはやらなきゃ」
「おっ! いいことあったみたいですね」
この顔を見れば、図星か…
「分かる?」
「そりゃ、分かりますよ」
「今度さ、黄ジャケを羽織ることになったよ」
「やったじゃないですか===!」
ちょっと大袈裟に喜んでくれた武藤だが、彼の眼は笑っていなかった。
同期生は無論のこと、先輩社員までもライバル視する出世意欲満々な彼にとって、私のAM昇格は心臓にチクンとくる出来事として捉えているに違いない。
思い起こせば、こんなファイト剥き出しの新入社員が目立ったのも、彼の世代までだったように思う。年を追う毎に視線に炎を感じる新人は減る一方で、それよりいつしか<出世より安泰>、<転勤より安住>という職場考が蔓延し、仕事に対して何を求めているのか分からない、摩訶不思議な社員ばかりが増えていくのだった。
「それにしても、みんな凄いですね~」
「えっ? みんなって」
「豊田さんもUMITに昇格らしいですよ。本人から聞きましたから」
「そうだったんだ」
豊田LCは中間社員だ。デニーズ社内では中途採用の社員を中間社員と称している。
プロパーの武藤にとって、私のAM昇格より豊田さんのUMIT昇格の方が何倍も衝撃であったに違いない。社内に漂うプロパーと中間社員との見えない確執は、彼のような出世第一の男こそが強く意識しているからだ。
そういう私も、入社して1年も経っていない豊田さんが、早々にUMITへ昇格する事実など、素直に受け止めることはできなかった。
夕方から風が出始め、早くなった雲の流れは、天候が崩れていく兆候だ。
今年初の台風上陸は、何と東京を直撃するらしい。
思い付きできれいにした窓も、明日には風雨にまみれてまた磨き直しか…
赤ジャケは、目立つので恥ずかしかったですね。
早く、ゴールデンジャケットの黄ジャケになりたかったです。