さすがにオープン前日ともなると、店は戦場さながらと化す。
「おーい、ペーパータオルの補充がないぞ!」
「Tジューは1本でいいのよ」
「ロールパンは明日の朝一に入れて」
「ビールはバックで2ケースだよ」
「髪の毛、後ろで結んできなさい!」
こんなやり取りが夕方近くまで飛び交い、否応なしに緊張感が膨らんでいく。
一方、キッチンは西條さんが陣頭指揮をとり、てきぱきと準備が進んでいった。
「要はね、解凍だよ」
「ハンバーグはドロアーに2シート、あとはウォークインですね」
「OK。パティーは様子を見よう。それとミックスチーズはワンインだよ」
「準備できてます」
きちんと解凍のできていないハンバーグではまともな調理はできない。開店早々に品切れなど出したら、首が飛ぶ。
「そしたらサラミとハム、それとパンケーキミックスをやって終りにしよう」
「ました!」
当時のデニーズでは、ピザのトッピングとして使うサラミやハムを、肉屋が使っているものと同じ電動スライサーで薄切りにしていた。サラミだったら5本ほどを束にして紐で結わき、それを台座に固定して、回転する刃に何度もスライドさせてカットしていくのだ。
先輩クックの小田さんが慣れた手つきで淡々と進めているが、回転刃の切れ味は恐ろしいレベルで、この作業には最大の注意を要する。
「うわ~、凄いな~」
気が付くと西峰かおるがシンクの脇からスライス作業に見入っていた。
「きれいに切れるんですね♪」
「んっ? えへへ」
顔を真っ赤にした小田さんは、“えへへ”しか発しない。女性に対して相当な照れ屋のようだ。
“人が良さそう”を絵に描いたような小田さんは、周囲の緊張感を和らげるキャラがあり、そのせいか新人MDからも良く声をかけらる。同期の下地はちょっとした仕事の質問等は、西條さんではなく小田さんに訊いているほどだ。
「私にもできるかな~」
「んっ?、、、えへへ」
やはり“えへへ”だけである。
「やっぱりレストランはコックさんで決まりですね」
その時、
「そんなことないさ。西峰さんのような可愛いMDがいなきゃお客さんはこないよ」
わおっ! 根暗だと思っていた村尾の奴、結構ストレート。
「えぇ~、そうですかぁ?!」
「絶対そうさ、なあ下地」
「あはは、いきなり俺に振るなって」
下地がずいぶんと動揺している。たまに西峰さんをチラ見しているところから、案外“ほの字”かもしれない。
若い男女が多数在籍するデニーズでは、壮絶な争奪戦も日常の光景だ。
「それより西峰さん。ウェイトレスステーションの準備は終わったのかな?」
「はい。残りは明日来てやるものだけです」
「そっか、そりゃご苦労さん」
その時、突然スイングドアが開いて、井上UMが現れた。
「西條君、キッチンはどうかな?」
「バッチリです」
「そうか、フロントも完了のようなんで、そろそろ全員引き上げよう。明日から大変なことになるだろうから、早く帰って休もう」
「ました!!」
浦和太田窪店の営業時間帯は朝7時から夜の11時。基本勤務シフトは早番(6:30~15:30)と遅番(14:30~23:30)だが、双方の補強と円滑な繋ぎのために中番(12:00~21:00)というシフトも設定している。
オープンのフォーメーションは、早番に西條リードクック、村尾、KHの西さん、応援スタッフ。中番には小田さん、応援スタッフ。遅番は下地、応援スタッフ、そして私という布陣だ。
応援スタッフには本部のお偉方から近隣店舗のベテランクックと、技量的に優れた人達が参加することになっていて、彼らは各々1週間から1ヶ月の期間で店に張り付き、キッチンの実作業をメインとしながら、KHの指導教育にも目を光らせる。
もちろんフロントにも近隣店から5~6名のMDが応援に駆けつけてくれ、レストラン運営が滞らないよう全員で接客サービスに当たるのだ。
よって応援スタッフがいる間に、店として一本立ちできるようにしなければならないことは言うまでもない。
よっしゃぁ、寝て起きたら本番だ!
はじめまして。
デニーズ日記とても面白いです。
9年間もお勤めだったんですね。
私も、学生時代デニーズでバイトしてました。(キッチン)
更新楽しみにしています!
ブログを読んでいただきありがとうございます。
とても励みになります。
9年間の在籍で11店舗を渡り歩きましたが、今となってはどれも懐かしい思い出です。
日々薄れていく遠い記憶を辿っては書き進めていきますので、これからもよろしくお願いいたします。
オープン1か月は、休み無しで、家に帰らないで3ステのブース席で寝ていましたね。(笑)
プリパレとパーストックが落ち着くまでには、3か月はかかりましたよね。
大阪初出店の上住吉店は、半年程度で、落ち着くと岐阜鏡島店に、転勤して行きました。