桜の蕾が脹らみ始めると、すぐその先で待っている躍動的な季節に恋い焦がれてしまう。気温上昇は気分を浮き立たせ、見る見るうちに冬の殻を壊していく。奥多摩の新緑、西伊豆の風、八ヶ岳の雲、そしてまだ見ぬ土地への誘いと、膨らむイマジネーションに悶々とする日々が始まるのだ。
中学1年の夏休み。あの頃は友人達と色々な遊びを企んだ。
板と釘と塩ビ管で作ったピンボールまがいのゲーム板は、宿題と時間の経過を忘れさせてくれた。
乳母車を改造したカート風な乗り物は、千本公園の下り坂でF1と化した。
大量の発砲スチールで作り上げた筏は、強度が足りなかったようで、沖合へ出ると見事バラバラになり、必死で浜まで泳ぎ戻る羽目になった。
オッチンとススムとで大汗をかきながら香貫山の頂上まで自転車を押し上げ、その後全員跨って下った時、生まれて初めて恐怖感というものを味わった。ブレーキが利かなくなり制御不能となった自転車は、山の中腹にある公園のジャングルジムへ激突、私とススムは飛ばされて、操縦していたオッチンは膝に大けがを負った。
ほんと、知らぬは親ばかりである。
「どっか泳ぎに行くか」
「千本浜は汚いから、静浦の方まで行ってみようよ」
牛臥の更に先だったが、全員自転車を持っていたので、しんどいと言う程でもない。
「水がきれいで波もないって父ちゃんが言ってた」
「いいね、いこいこ!」
青い空と白い雲。日差しは真夏のそれだったが、近年の東京のような度を超した不快感はなく、そこには絵に描いたような日本の夏があった。
皆でわいわいがやがやとお喋りをしながらのミニサイクリングはとても楽しいものだ。しかもこの道は、駿河湾越しの富士山を楽しめる絶景ポイントでもある。
但、沼津から静浦へ向かう国道414号線は幅員が狭いわりに車の往来が多く、路肩すれすれに自転車で走るのはそれなりの緊張感を伴うものだった。
「浜の先の岩場がいいみたい!」
当時、夏と言えばやっぱり海水浴。静浦海岸でさえも大勢の海水浴客で賑わい、色とりどりのパラソルがシーズンを演出していた。
海の家を過ぎて100mほど行くと古めかしい食堂があり、その脇を更に海側へ回り込むと、ビーチの喧騒が嘘のように消えた、ひっそりとした空間が待っていた。
自転車を壁際に並べて停めると、皆我先にと海パン姿になっていく。底がくっきり見えるほど澄み切った海。おまけに岩場には樹木が覆い被さり適度な日陰を作っていたから、休憩するにも好都合だ。
「あれ? 注意書きがあるよ」
「ここ遊泳禁止だって」
ビーチではない自然の岩場だから、どちらかと言えば釣り糸を垂れた方が自然なところである。
急深、速い潮の流れ、水温急変等々の危険性が予測できた。
「おい、どうする?!」
「いいじゃん、誰も見てないし」
「それに、俺たちみんなカッパだぜ」
正確に言うとみんなではない。私以外は全員沼津っ子で泳ぎが達者だ。
そんなやり取りをよそに、ヤスが真っ先に飛び込んだ。
「うえ~、きもちいい!」
ヤスの親父さんは漁師で漁協の役員。小さい頃から海と舟が生活の中心にあったから、同じカッパでも一枚上を行く。
それに誘発され、続いてクボチンと私が飛び込んだ。
水は冷たかったが、海はベタ凪だったので実に泳ぎやすかった。但、潮が怖いので沖には出ずに岩場近くでぷかぷかと浮ていることにした。
東京に住んでいる中学生にはお目にかかれない遊び場である。
こうして泳いだ後は、木陰で昼寝するか釣りを楽しむのだ。
少々疲れてきたので、足が届くほどの岩の上で休もうと辺りを探し始めると、右方向に大きな岩塊を見つけた。すっと泳いでいって体を立て、足を底へと向ける。黒っぽい岩はかなり大きな感じだ。
そして足の先が今まさにその岩に接触しようとした時、予期せぬ鋭い痛みが指先に走ったのだ。体勢が崩れ、危うく海水を飲み込みそうになったが、落ち着いてもう一度足を乗せてみると、、、
またあの痛みだ!
これは何かある。
「痛ってぇ!」
その時、傍で泳いでいたヤスが何やら慌てて岩場へ引き返してるではないか。
「どうした!」
「分かんないけど、足が痛てえ」
同じだ。攣ったわけじゃないし、神経痛でもない。
ヤスに続いて岸に向かった。
必死に岩を這い上がり、平らなところを見つけて横になる。
「うわー、やばいよこれ!」
クボチンが目を大きく見開いてヤスの足を指さしている。恐る恐る自分の足へ目をやると、そのあり様に一瞬貧血を起こしそうになった。
「参ったな、この棘には、、、」
「ちきしょー、これはウニの棘だ」
ヤスが足を抱え込んで、神妙に観察している。
右脚の親指とその付け根を中心に、ざっと数えても10本は刺さっている。しかも殆どが1㎝近く入っている。但、幸いなことに痛みはそれ程強く感じられない。
試しに一本抜いてみようと、学生帽に付けていたバッジを外し、その安全ピンの鋭い先を利用してほじくってみた。
当時の沼津二中の男子生徒は、全員坊主頭が決まりだった。その関係か、登校時は無論のこと、休みの日でも殆どの男子二中生は学生帽を被っていた。
「駄目だ、中で折れちゃうよ」
普通の棘とは様子が違った。刺さった中で簡単に折れるようなことは今までに経験がない。
一体どうすればと途方に暮れた。
とりあえずひたすら棘抜きに没頭していると、向こうから年輩男性二人組が近づいてきた。見るからに漁師である。
「おい坊主、どうした?!」
「ウニの棘が刺さって弱ってるんです」
「そんな時は、アンモニアをかけるんだよ」
「アンモニアって?!」
「あはは、小便だよ。特に女の小便が効くんだ」
大声で笑いながら、そのまま歩き去っていった。
少年たちの不幸をからかうなんて、まったくもって酷い大人達である。
「海でやっちゃったから、俺、出ないよ」
「俺も」
「クソ親父が!小便かけたらバイ菌が入るだろうに!」
このまま抜けない棘と悪戦苦闘してもらちが明かないので、海水浴はお開きにし、とにかく家路を急ぐことにした。
ペダルは踵でこげば痛みを感じず走らせることができたが、来た時とは打って変わり、帰りは憂鬱なサイクリングになってしまったのだ。
「ただいま」
母親がどんな顔をするか。
「どうしたのよ、びっこひいて?」
徐に踵をつぶした運動靴を脱ぎ捨てると、足先を母親の顔へ向けた。
「えっ?!」
目線は棘にくぎ付けだ。
「ウニを踏んだみたいだ」
「とにかくお医者さん行かなきゃ!」
両足合わせて10数本の棘。しかも抜こうとすれば中で折れてしまう状況である。単純に考え、一本一本切り開いて取るとすれば、間違いなく足はズタボロになる。
考えただけでぞっとするし、病院へ向かう足取りはこれ以上にない重さになった。
ほんと、出るのは溜息ばかりである。
その外科病院は初めて利用するところだった。外観はお化けでも出てきそうな古めかしい建物で、中へ入っても薄暗く、気のせいかやや強く感じられる消毒液の匂いが緊迫感を煽った。
呼ばれて診察室へ入ると、小柄なお爺ちゃん先生が口を真一文字に結び、私に目線を合わせてきた。見るからに怖そうな人である。
「そこ、座って」
きつめに足首を掴んだ手は冷たかった。
10秒ほどだろうか、足先をじっと見つめたのち、徐に患部へ赤チンと思われる薬を塗り始めたのだ。棘を抜くとばかり考えていたので、ちょっと呆気にとられた。
「はい、お大事に」
傍で心配そうに眺めていた母親だが、さすがにたまりかねて先生に訊いた。
「棘はそのままですか?」
「ウニの棘はね、そのうち溶けて無くなります」
驚きである。
「十日もすれば元通りですよ」
ホッとするやら嬉しいやら。母親も胸を撫で下ろしているようだった。
ちょっとばかり痛かったりびっくりもしたが、夏という季節と海と青空が、若い私にエネルギーを与えてくれたからこそ経験できた珍事であり、今となってはいい思い出だ。
さて、還暦を過ぎたロートルに対し、暖かい空気はどれほどの行動力を与えてくれるだろうか。
楽しみである。