玉川上水は幼年の頃から身近な存在として今に至っている。
水路の両側には大小様々な樹木が生い茂り、遮光された水の流れはいつ見下ろしても暗澹とした雰囲気を放ち続け、上水道として機能していた時代を想像するのは難しい。
それでも救いは四季折々の花が色香を添えることだ。
二週間前だったら、数種類の紫陽花が我こそはと言わんばかりに咲き誇っていた。
上水道に掛かる“ぎんなん橋”は、新道の建設に伴って掛けられた新しい橋で、ロックの散歩ではよく利用している。
欄干から下を覗くと、決まって5~6匹ほどの黒い鯉が餌欲しさに集まってきて、上へ向かい大きな口をぱくつき広げる。餌を投げ込んでいる人を時折見かけるから、これは条件反射なのだろう。
どの様な経緯を経てここへ放流されたか定かでないが、鯉達にとっては気の毒なことだ。
1986年に開始された玉川上水の清流化運動で、一時はきれいな姿に生まれ変わったものの、その後、空き缶やペットボトル等を捨てる不届き者が後を絶たず、いつ見ても流れや土手の彼方此方にゴミが散乱して痛々しい状況となっている。2003年には「文化財保護法」に基づく国の史跡にまで指定されたのに、本当に嘆かわしい現況としか言いようがない。
そしてこんな環境の中へ放たれた鯉達こそ、甚だ迷惑ではなかろうか。
ゴミの中から人に餌を乞う姿は何とも物悲しい。
そもそもここの鯉達は、普段何を食しているのだろう。
鯉は雑食性で、口に入る物なら何でも食べると言われているが、この上水道で生きていく相当量の、水草、貝類、昆虫類、甲殻類、カエル等々を確保するのは結構厳しいと思う。
そしてもうひとつ知っておきたいことがある。
ゲリラ豪雨などによる増水時に、鯉達はどこに身を寄せているのか。
ごく普通の川ならば、川底や川岸にそれなりのエスケープゾーンもあるだろうから、激流をやり過ごすことも可能と思われるが、画一的に設計された人工の用水路では、そのような場所は希有に違いない。
増水の度に鯉の姿が減っていくような気がするのは、私だけだろうか。
全く気の毒な話だ。