「デニーズ時代」カテゴリーアーカイブ

若い頃・デニーズ時代 22

UMIT昇格試験の話を貰った途端、仕事へ対する姿勢に変化が起こり始めた。
目線はいつのまにか担当職からマネージャー職のそれに取って変わり、キッチンやフロントで発生する個々の問題だけではなく、店全体の調和も気にかかるようになってきたのだ。
この姿勢の変わり様は自分でも驚きだったが、組織に認められた喜びがそうさせていたことは明白であり、期待に沿うような働きぶりをしなければと、無意識のうちに頭を使っていたのかもしれない。
一方、生まれて初めて味わう評価される重圧は、“逆に転べば即アウト!”を匂わせるものであり、何度も何度も気を引き締めては、前に進める方法を模索するのであった。

その日、家を出ようとすると、合わせるように小雪が舞い降り始めた。
こんな日は決まってセリカ1600GTVのご機嫌が斜めになるので、儀式に手抜きはできない。三度ほどアクセルを踏み込み、1/4開度でセルをひねと、重いセルモーター音と共に“SOREXツインDOHC4気筒”が目を覚ました。
タバコ一本を吸い終える頃には暖機が終える。一時間弱の通勤時間は頭の切り替えにちょうど良かった。

到着すると既に稲毛さんが出勤していて、ソースを鍋に移しているところだった。デニーズの就労規定で早番は6:30~15:30と定められているが、これに合わせて出勤すれば、開店時刻の7時まで30分しかなく、準備に時間のかかるクック職は、10分、15分早めに出勤するのが常になっていた。

「おはようございます」
「寒い寒い。ぱらぱらっときているよ」
「このくらいだったら、バイクで来ちゃいますね」
「元気だな~」
「ところで、常川さんの行先が決まったみたいですよ」

そうか、昨日は社内メールの日だった。

「エンプロイに貼ってあります」

さっそく辞令を見ると、千葉の超繁忙店へ異動と同時にAM昇格だ。どうみても楽な職場とは言い難い。
新興住宅街が乱立し、ニューファミリーと称する住民が多く暮らす地区にある店はどこも大盛況で、千葉や埼玉では、“ピークが切れずにスノコが洗えない”などという問題までも噴出しているようだ。
年商トップ10入りする店のAMとくれば鼻高々だろうが、実際は劣悪な職場環境に翻弄され、これでもかと重いストレスが溜まっていくのが現状である。殆どの新店が、人手不足で泣いた浦和太田窪のような状態になっているという噂は、大方当たっている。

「ねえ、稲毛さん。ここに出ている槇さんって知ってる?」
「今度うちに来るUMITですか」
「そうそう」

常川さんの後釜である。
どこかで聞いたことのある名前だったが、同期生以外の情報は分からないことが多く、況して人不足の折、人事部も積極的に中途採用を行なっていたので、たまに食材調達で近隣の店へ行ったときなど、たびたび知らぬ顔に出会すのだ。
ちょっと見、年齢、風格共々、本部のクックアドバイザーと思って挨拶をしたら、

「今日から働くことになりました○○です」

なんて答えが返ってきてびっくり。
同期のひとりは、新人が入ってきても殆どが年上なので、使い辛くてしょうがないとぼやいていた。確かにこれも難しい問題だ。デニーズは店舗オペレーションの全てをマニュアル化していると豪語するが、どのページを見開いても、“部下が年配者の場合の指導法”なんていう項目は見当たらない。しょうがないのでUMに相談しても、そのUM自身が中途社員より年下だから、的を得るアドバイスが返ってくることは殆どない。それより、スタッフ達とのより良いコミュニケーション構築には、地道な手探りによる経験の積み重ねこそが一番の近道と徐々に分かってくるものである。

「おはようございます」

岡田久美子が出勤してきた。大学の後期試験が終わり、3月末まではたっぷり時間があるとのことで、もっぱらこの時期は早番をやってもらっている。

「あら~、常川さん、異動なんですね。でも次の店がここでは可哀そうみたい」

デニーズのアルバイトには、やたらと社内事情に詳しい者が多い。

「辞令は命令。しょうがないさ。それよりAM昇格なんだからめでたいんじゃないの」
「木代さん、本当にそう思っています?」

ちょっとぐさりときた。
人手不足の現況を身を持って体験してきた者には、容易に異動後の生活を察するところ。それでも今の自分にとって、UMITの上を行くアシスタントマネージャー、つまり副店長という職位には、何事にも遮蔽されない光を感じてしまう。

「AMをやらせてもらえるなら、どこへでも行きまっせ~」
「やだぁ、うそ~」

うそ~と言われても、昇格はサラリーマンとして生き抜いていくための唯一の道。棘だろうが突き進むしかないのだ。
まっ、それは置いといて。
今度来る“槇”というUMITはどんな男なのだろう、、、
平穏を絵に描いたような立川店に波風が立たなければいいが。

この冬は暖冬なのか、2月に入ったというのに積もるほどの降雪はまだ一度もない。但、毎年私立高校の受験期になるとまとまった雪が降ることが多いので、ピークはこれからだと思うが、冬独特の鉛色の空も数えるほどであり、日々乾いた晴天が続いていた。

若い頃・デニーズ時代 21・入社後10ヶ月目

日を追うごとに身につくフロント業務。お客さんからオーダーを取ってキッチンへ依頼するところまでは誰でも同じだが、その後の段取りには奥深さがあり、個人差が大きく反映される。要点を押さえ、それにスピードが加味できれば、駆けずり回ること必至の週末ディナーピークだって怖くない。
・ドリンクは食前か食後か
・速攻第一のビール、スープ、サラダ
・必須!テーブルチェック ~ コーヒーサービスと中バスでお客さんの様子伺い
・デザート作りのタイミング等々
この辺のポイントが分かってくると、接客レベルを保ったまま受け持ちステーションの回転を向上させ、その結果チェックの枚数が増えて売り上げUPにつながっていく。
もちろんノウハウを蓄積していけば、MDに対して生産性の高い教育ができるし、強いリーダーシップもとれる。更にこの勢いでチームワークも良くなれば言うことなしだ。

「ビールは真っ先に持っていくんだよ。FFやOリングの注文があれば、それはおつまみだから、キッチンに言って早めに出してもらうんだ」

この辺のニュアンスは、お酒を飲まない女子学生には分からない。

「21番のJランチ、そろそろ終わりだろ?! このタイミングでデザートのアイスをお持ちしていいか訊いてくるんだ。子供は待てないよ!」
「カウンター2番、中バス! 新聞広げるのに邪魔そうだろ」
「18番、そろそろ終りだから、中バスお願いね」

“中バス”とは中間バッシングの略称で、お客さんがいるテーブルへ行き、空いたプレートや器を下げてくることである。
帰った後のバッシングが容易になるし、人によっては席を立つきっかけになることもあるのだ。

ブレークを取りにエンプロイテーブルへ行くと、BHの山江君が出勤していた。彼は東京経済大学の2年生。明るい性格で、自他とも認めるバイク好きだ。つい先日、スズキの“マメタン”を手に入れ、かなりご機嫌。

「木代さん、なんか最近、ミスターの方が似合うようになりましたね」
「微妙なこと言うな」
「いやいやまじめにバッチリっすよ」

眼がやたらと細くて、笑うと本当に筋のみだ。

「今度マメタン貸してくれよ」
「おっ、いいっすよ」
「冗談冗談。こかしたら殺されそうだもんな」

立川店は職種問わず大学生のアルバイトが揃っている。反面、高校生はMDが一名のみと珍しい。恐らくこれが立川店独特の落ち着いた雰囲気を作り出しているのだろう。

「そう言えば、稲毛さんも新しいバイクを買ったらしいですよ」
「へぇ~、彼もバイク好きなんだ」
「買ったのホンダの400ccですよ!」
「本格的だな。俺も買っちゃおうかな」
「えっ~、木代さんはかっこいいダルマを持っているじゃないですか」
「あはは、まあね」

稲毛さんは唯一の社員クックで、且つリードクックも任されている。すらっとしたイケメンで、笑った時に出る真っ白な八重歯がなんとも爽やかだ。唯一の高校生MDである水谷智子は彼の大ファンで、はたから見てもメロメロは隠せない。
その彼女が出勤してきた。

「山江さん、おはようございます」
「おっ、智ちゃん。今の話聞いてた?」
「稲毛さん、新しいバイクが来たら、私を真っ先に乗せてくれるって言ってました」
「やったじゃん!」

どこの店へ行っても、バックヤードではこの手の話が花盛り。若い男女がこれだけ集まっているのだから当然と言えば当然だ。
水谷智子は小柄でスレンダー。しかも顔が小さく均整がとれているので、大概の男なら振り向いてしまうだろう。幼い顔立ちとのアンバランスも魅力的だ。

「その前にさ、俺の後ろに乗ってみてよぉ」
「けっこうで~す」

山江君、もしかすると水谷智子にほの字かもしれない。しかしライバルが稲毛さんではきつそうだ。
その時、バックヤードの通用口脇にあるマネージャールームのドアが開いて、添田UMが誰かを捜すように顔を突き出した。

「おっ、木代いた」
「なんですか?」
「もうすぐ人事の本田さんが来るんで、3ステ開けとくように」
「ました」

人事の本田さんとは、新入社員研修の際に一度話をしたことがある。とても快活な方で、つまらない質問に対しても、はっきりとした話し方で丁寧に教えてくれるところが印象に残っている。
それにしても人事部が来店とは何事だろう。恐らく異動絡みと思うが、私は数ヶ月前にここへ来たばかりだし、稲毛さんに至ってはまだ1ヶ月少々。よく考えればUMの添田さんだって赴任して半年である。では、立川店で在籍が一番長い社員といえば、、、
そうだ、UMITの常川さんだ。AM昇格は既に確定しているから、近々にどこかの店へ異動してイエロージャケットを羽織るのだろう。
この流れが正しければ、常川さんの後釜について添田UMへ何らかの通達があるのかもしれない。但、マネージャーが替われば店のムードやスタッフの結束にも影響してくるので、ちょっと不安だ。
しかし、いくら東京地区の出店ペースが他県と較べて低いと言っても、関東全体でこれだけ店が増えているのだから、エリアの枠を越えて人事異動が行なわれるのは誰にだって分かる。

本田さんと添田UMは、笑顔も交えながら既に30分近く話し合っていたが、コーヒーのおかわりでテーブルへ近づくと、

「木代、どうだフロント業務は」
「もう殆どOKですし、MDの指導も徐々に慣れてきました」
「そうか。今、添田さんとも話していたが、来月辺りにUMITの試験を受けてみないか」
「えっ!? いいんですか?」
「マネージャーになりたくないの?」
「とんでもない!」

大感激である。今でも良く覚えているが、実際にUMITへ昇格したときよりも、この一言を受けたときの方が何倍も心が躍った。同期生の中でも、二人、三人と昇格試験を受けたというニュースを耳にしていたので、正直なところ少々の焦りを感じていたのだ。
普段の働きようが評価を受け、本部人事まで伝わっていたのだ。

「添田UM、本田さん、本当にありがとうございます!」
「良かったじゃない」

この春、新しい展開が始まりそうである。

若い頃・デニーズ時代 20

異動先である立川店は、近年「多摩モノレール」で栄え始めた立川市幸町のちょうど真ん中あたりに位置した。店前の道路は交通量が少なめで、周囲は見渡す限り住宅街。産業道路沿いに面して、新店オープンの活況に満ちた浦和太田窪店とは大きく異なる第一印象に、少々複雑な思いが胸を過ぎった。
但、通勤距離はこれまでの半分に減り、気分的には随分と楽になった。距離が長ければその分渋滞を考慮する必要があり、この精神的負担は意外に大きいもの。

立川店店長の添田さんは、若干東北なまりの残る一見ぼくとつとした印象を受けるが、言葉の節々に神経質を思わせる言い回しがあり、案の定、実際はシビアでかなり厳しい人だった。しかもリードクックからのたたき上げということで、全ての業務への精通度は高く、太田窪の井上UMとは仕事へ対する考え方に大きな違いがあった。
UMITは常川さん。ひとつ年上の学卒組で、添田さんとは正反対のおっとりタイプ。誰に対しても人当たりがいいが、仕事はしっかりとこなし、聞くところによれば年明け早々にAM昇格とのことだ。
東京西地区に於ける新店オープンの頻度は、埼玉のそれと較べて格段に低く、立川店へ異動してからというもの毎日が平穏なムードに包まれ、何よりマネージャー職へなるまでの勉強をしっかりとおこなえる環境を得られたことは、まさにチャンス到来であった。

「明日からミスターやるか」
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
「シフトはジュウニックでいいだろう」
「ました」

立川店のキッチンは人員に恵まれていた。平日のモーニングからランチまではKHだけで対応できる布陣を持ち、彼らの仕事はしっかりとRoutine化できていてチームワークも万全だ。主婦二名と男子学生二名は、全員一年以上のキャリアを持っていた。そんな環境にあるため、異動後の基本シフトはもっぱら遅番で、人員配置の状況によってたまにジュウニックをやるのがパターンだった。
こんな理想的な環境に配属され、マネージャー試験までに習得しなければならないフロント業務にまで着手できるのは願ったり叶ったりだ。
但、人手不足地区・埼玉で奮闘している同期達を思うと、何だか後ろめたい気分になってくるのは否めなかった。

さて、新たな職種となったミスターとはミスターデニーズの略称で、正社員のウェイターのことである。一方、アルバイトのウェイターはサービスアシスタントと称し、通常はSAと呼ばれている。
但し、デニーズのフロントの主役は女性であるMD(ミスデニーズ)であり、男性はあくまでも脇役だ。

「あら~、木代さん、今日からですか?」
「うん。でも、このユニフォーム、何だか照れちゃうね」
「そんなことないわ、似合いますよ~♪」

MDの岡田久美子は色白で均整の取れたボディーラインをこれ見よがしにする色気むんむんな女子大生である。既にMD歴は2年選手で、仕事自体には何ら問題ないが、彼女独特のプライドのせいか、他のMDを一段上から見る傾向があり、添田UMもその点は要注意だと言っていた。

「こっちの仕事は素人なんで、よろしくたのむね」
「いえいえ。それよりびしびしMDの教育をやって下さい」
「そ、そんな、、、」
「最近、たるんでる子が多いんですよ」
「分かった、先ずは観察してみる」

これまではMDに関する諸々も対岸の花火程度にしか見ていなかったが、ミスターとなったからには彼女達を直接指導しなければならない。これは想像以上に難儀そうだ。

デニーズではデザート類や飲み物全般を“ファウンテン”と称し、食材であっても管理するのはクックではなく、プリパレからサービスまで全てフロントスタッフが行なっている。
各シフト毎には持ち回りで責任者を置き、品切れなどが起こらないよう十二分な配慮がなされ、氷、コーヒー、コンディメント、ジュース、ビール、アイスクリーム等々の補充。クリーマ作り、ホールケーキ&パイのカット、ゼリー流し、レモンカット。そしてノーイングの補充等々、その仕事は多岐に渡っているのだ。

「木代さん。Hサンデーひとつ頼んでもいいですか?!」
「OK!」

Hサンデーとはデニーズの人気デザート“ホットファッジサンデー”のオーダリングコード(略称)。これはホットファッジという温めて使うチョコレートソースを冷たいアイスクリームへかけ、そこへ更にホイップクリームやナッツをトッピングしたもので、他のレストランチェーンには絶対にないピュアアメリカンメニューである。深い味わいのホットファッジとアイスクリームの相性は言うまでもなく、甘党の私としては個人的にも大ファンだ。

「わぁー、きれいに作りますね」
「そお?! ありがとう」

ミスターとなり、これまでとは違う新たなデニーズ生活が始まった。

若い頃・デニーズ時代 19

その日は朝から落ち着かなかった。
プリパレをしていても集中できず、計量を間違えたり、インサートを落としたりと、普段のリズムが戻らない。
無理もない。一介の平社員の進退話に対して、会社の大幹部がわざわざ聞きに来てくれるというのだから。ふと何かとんでもないことをしでかしたのではと、胸がざわつく。

「木代、RMがお見えだぞ」
「は、はい」

クック帽を脱ぎ、前掛けをはずして、田岡RMの待つ3番ステーションへと向かった。
一瞬の緊張は走ったものの、既に胸の内は割り切ったものが支配していたので、なんとか正常心で話せそうだ。

「おはようございます!」
「おうっ! オープン以来だな」
「はい」

細面な田岡RMは、小柄で痩せていて、一見迫力に欠けるが、目つきだけは異常に鋭く、怒るとその雰囲気は一変する。
オープン前日に来店したときが凄かった。駐車場のぐるりに植えられた植木の一部が、散水不足だったのだろう、既に葉が枯れ始めていたのだ。それを見つけたRMはすぐさま井上UMを呼びつけ、

「管理不足だ!! どこに目をつけて仕事をしている!!!」

と、ダイナマイト級のかんしゃく玉を落としたのだ。

「まあ、掛けたまえ」
「失礼します」

話す内容は整理できていた。どの様に捉えてもらえるかは定かでないが、全て吐き出せばスッキリするし、停滞している気持ちも動き出すに違いない。
個々の負担が大きいこと、長時間勤務が常態化していること、そして先々の展望が見えないこと等々を一気に述べてみた。
頷くだけで暫し無言だった田岡RM。しかし、一呼吸おいて出てきた言葉は、

「木代。東京へ戻るか」
「えっ?!」

意外な一言に思考回路が一瞬停止。
冷静になれば、それは用意された回答だと理解はできたが、“東京”という一節と、優遇措置としか捉えようのない内容に、退職という選択肢は瞬く間に薄らいでいった。

「戻していただけるんですか?!」
「頑張り続けるなら戻してやる」

本当は辞めたくなかったのかもしれない。引き留めてもらいたい気持ちは潜在的に存在していたのであろう。
但、下地や村尾達のことを考えると素直に喜べないし、世話になりっぱなしの西條さんを裏切るような展開を思うと抵抗感すら覚えた。
ところがだ。そんな心の内を見抜いたようなRMの話は素直にありがたかった。

「いいか。これはあくまでも会社から発せられた辞令だ。お前の要望を考慮したものじゃない」

それから三日後。本部より正式な人事異動が発令される。
その内容を見ると、当たり前だが、単に私が出て行くだけではなく、ついに西條さん一人となってしまった
太田窪店のキッチンへは2名のクックが配属と記されていた。それにしてもオープンから2ヶ月余りで殆どのクックが入れ替わってしまうとは…

「寂しくなりますね」

ブレークに入った西峰かおるが、左手に持ったグラスを見つめながらつぶやいた。

「こればっかりはな、、、しょうがないって言えばそれまでだけど…」
「せっかく親しくなれたのに、みんないなくなっちゃうんだもん」

太田窪店オープンにあたり、がっちりとスクラムを組んだスタッフ達。この仲間だったらやれそうだと、湧き上がるやる気に体が熱くなったものだが、まさかこんな終局が待っていようなど夢にも思わなかった。

「落ち着いたら遊びに来るから、西峰さんも頑張ってね」
「は~い」

51096JA4QJL実際、寂しかった。
一方的だったかもしれないが、西峰かおるとはオープン当初から不思議に波長が合い、私にとっては頼りになる“相棒”だった。特にクックとMDの橋渡し役では嫌な顔をひとつも見せずに尽力してくれ、このことは明るい職場づくりの立役者として店の誰もが認めていた。
それに正直言うと、明るく笑顔が抜群の彼女にはちょっぴり“ほの字”だった。
今回の異動は心理的にずいぶんと揺れ動いたが、これは田岡RMからいただいた最後のチャンスと解釈し、その期待に応えるべく、次の職場へ向けて強制的に気持ちを切り替えていくのだった。

異動先は『立川店』。既に歴史のある三多摩地区の中堅どころだ。
新店とは異なる既存の環境に不安は隠せないが、突っ走る覚悟はできていたし、これを機に次のステップを狙おうと心に決めていた。
この夏、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でセンセーショナルなデビューを飾り、一気にスターダムへと加速。何を言っているのかわからない歌い方だったが、なぜが心にズキュンときて、日本のPOP界も変わっていくのだろうと強く感じた。

若い頃・デニーズ時代 18

「クソ暑いから大変だな」

早番のスノコ磨きは、夏の午後、最も気温が上がる時間帯に行なうことが殆どだ。
はた目以上に力を使う作業なので、炎天下では大汗が吹き出し、しんどいことこの上ない。薄い半袖シャツは瞬く間に透けてピッタリと体に吸着してしまう。

「寮の冷蔵庫にぎんぎんに冷えたビールが入ってるから、この後、ぐびっとやるさ」
「そりゃいい」

裏の大樹から発する壮大なセミ時雨が酷暑を増幅させた。

「ところで村尾、この頃元気がないってみんな言ってるぞ」
「そうかい」
「俺もそう感じる」

デッキブラシを持つ手を休めると、急に真顔になり、

「今の仕事、選択ミスのような気がしてさ、、、ついこの間、何気に西條さんへ話してみたんだ」
「そうなんだ」
「全然ゆとりないし、いつまで続くかって思うし。それと下地は気の毒だったけど、あいつ、あの怪我でやめたじゃんか、、、なんだかそれが羨ましく感じるんだよ」

この後、村尾は淡々と話し始めた。
こなすだけのシフトと長時間労働。まったく予定の立たない休日。考えていたものと異なる仕事内容。そして何よりもっと落ち着いて将来を考えたいこと等、止めどなく出てきたのである。
話の内容に頷ける部分は多々あった。しかし、節々には既に退職の決意が込められた言い回しが感じられ、終いにはこっちまで暗澹な気分に堕ちいていくのであった。
このやり取りから二週間後。村尾は退職願いを提出し、実家のある名古屋へと帰っていった。
これで太田窪のキッチンメンバーは西條、小田、KH西、そして私の四名になってしまったが、幸か不幸か相変わらず入客状態は良かったので、ひとりひとりの負担はピークに近づき、いつしかキッチンからの笑い声は消え去った。
そしてとどめは予定通り行われた小田さんの異動。
これを機に休日を取ることもままならない最悪な状況へと進んでいったのである。

「木代さん、いいから上がりなよ!」

早番固定となっていた私は、西さんとタッグを組んで太田窪のモーニングとランチを何とか切り盛りしていた。
一方、基本的にディナータイムは西條さん一人の戦いが続いていた。適時井上UMや神谷UMITがフォローに入るものの、週末になれば大挙をなす来店客があり、落ち着き始める21時頃まではキッチンから離れることは到底不可能になる。よって土日は6時出勤21時退出の15時間拘束が当たり前のようになっていた。もちろん遅番の西條さんもランチのことを考慮して出勤は昼前だったから、彼も13時間以上の労働を強いられていたわけだ。
但、忙しい時は辛いとか大変だとか感じている余裕すらなく、ひたすらディッシュアップし続けるだけだったが、本当にしんどいと思えたのはウィークデーに上がる時だった。
平日でも団体客が入ることはちょくちょくあり、そうなれば一人でキッチンを動かすのは容易ではない。遅くなったディッシュアップでクレームが出ることも屡々なのだ。
よって、上がる際は毎度後ろ髪を引かれる思いだったが、平日までもディナーに付き合っていたらそれこそ体がもたなくなり、自滅することは必至。西條さんを一人残して帰るしかなかった。
体力的、そして精神的な疲労が蓄積していったのだろう、いつしか仕事の楽しさは完全に消え失せていた。

「木代さんまでもってこと、ないよね」
「どうかな」

一日一回、西峰 かおるは心配そうな顔をして聞いてきた。
ちょっと前までだったら、“何言ってんの”の一言で終わったところだが、この頃では問いかけられるたびに考え込む自分がいた。
切羽詰まっていることは自覚していたし、このままでは駄目になるとも感じていたから、ここは思い切って西條さんへ相談することにした。
入社して半年でこんな状況下に置かれるとは夢にも思わなかったし、一人で判断するには余りにも社会生活の経験が少なかった。

「俺はさ、好きなんだよね、この仕事」

私の話を一通り聞いた後、西條さんの開口一番だ。

「木代さんはどうなの? 今の仕事」
「さっきも言いましたけど、こんな環境じゃ好きなものも好きになれないですね」
「そうだよね、しんど過ぎるかもしれない」
「西條さんは辛くないですか?」
「この状況がいつまでも続くとは思ってないよ。このエリアは今、山なんだと思う。俺ね、この店を軌道へ乗せたらマネージャー職の試験を受けるんだ」
「推薦もらったんですね!おめでとうございます」
「ははっ、ありがとう。それでね、受かったらUMITやって、そしていつかUMになった時、このままやるかどうかを考えるつもりなんだ。とにかくそこまではやるつもりさ」
「目標ができてるんですね」

それまでうつむき加減だった西條さんは、徐に顔を上げ、

「まっ、話は分かった。何れにしてもこの後マネージャーに相談しなきゃ」
「分かりました。そうします」

ギョロ目がさらにギョロ目になった井上UM。
怒りたいのか、呆れたいのか、さもなければ叫びたいのか。何れともとれる微妙な表情が数秒続いた。

「どいつもこいつも、、、」
「すみません」
「RMに連絡して来てもらうから、思いっきり話しなよ」
「RMですか、、、分かりました」

RMとはリージョナルマネージャーの略で、広い範囲を受け持つエリアマネージャーのことだ。営業本部長直下の立ち位置であり、その下には数名のDM(ディストリクトマネージャー)が配置されていた。
つまり平社員の私から見れば、組織の大物であって、普段は個別に話をすることもままならない。
これはあくまでも推測だが、普通に考えて、一社員の離職相談にRMが駆り出されることは考えづらい。ということはこの埼玉エリアに予測を超える離職騒動が勃発しているのではなかろうか?!
今、太田窪店に起きている惨状は、恐らく近隣の新店でも同様なのだ。
ここは井上UMのいうとおり、真摯な気持ちを包み隠さず思いっきり吐き出した方がよさそうだ。
理解されなければ辞めちまえばいい!