若い頃・デニーズ時代 22

UMIT昇格試験の話を貰った途端、仕事へ対する姿勢に変化が起こり始めた。
目線はいつのまにか担当職からマネージャー職のそれに取って変わり、キッチンやフロントで発生する個々の問題だけではなく、店全体の調和も気にかかるようになってきたのだ。
この姿勢の変わり様は自分でも驚きだったが、組織に認められた喜びがそうさせていたことは明白であり、期待に沿うような働きぶりをしなければと、無意識のうちに頭を使っていたのかもしれない。
一方、生まれて初めて味わう評価される重圧は、“逆に転べば即アウト!”を匂わせるものであり、何度も何度も気を引き締めては、前に進める方法を模索するのであった。

その日、家を出ようとすると、合わせるように小雪が舞い降り始めた。
こんな日は決まってセリカ1600GTVのご機嫌が斜めになるので、儀式に手抜きはできない。三度ほどアクセルを踏み込み、1/4開度でセルをひねと、重いセルモーター音と共に“SOREXツインDOHC4気筒”が目を覚ました。
タバコ一本を吸い終える頃には暖機が終える。一時間弱の通勤時間は頭の切り替えにちょうど良かった。

到着すると既に稲毛さんが出勤していて、ソースを鍋に移しているところだった。デニーズの就労規定で早番は6:30~15:30と定められているが、これに合わせて出勤すれば、開店時刻の7時まで30分しかなく、準備に時間のかかるクック職は、10分、15分早めに出勤するのが常になっていた。

「おはようございます」
「寒い寒い。ぱらぱらっときているよ」
「このくらいだったら、バイクで来ちゃいますね」
「元気だな~」
「ところで、常川さんの行先が決まったみたいですよ」

そうか、昨日は社内メールの日だった。

「エンプロイに貼ってあります」

さっそく辞令を見ると、千葉の超繁忙店へ異動と同時にAM昇格だ。どうみても楽な職場とは言い難い。
新興住宅街が乱立し、ニューファミリーと称する住民が多く暮らす地区にある店はどこも大盛況で、千葉や埼玉では、“ピークが切れずにスノコが洗えない”などという問題までも噴出しているようだ。
年商トップ10入りする店のAMとくれば鼻高々だろうが、実際は劣悪な職場環境に翻弄され、これでもかと重いストレスが溜まっていくのが現状である。殆どの新店が、人手不足で泣いた浦和太田窪のような状態になっているという噂は、大方当たっている。

「ねえ、稲毛さん。ここに出ている槇さんって知ってる?」
「今度うちに来るUMITですか」
「そうそう」

常川さんの後釜である。
どこかで聞いたことのある名前だったが、同期生以外の情報は分からないことが多く、況して人不足の折、人事部も積極的に中途採用を行なっていたので、たまに食材調達で近隣の店へ行ったときなど、たびたび知らぬ顔に出会すのだ。
ちょっと見、年齢、風格共々、本部のクックアドバイザーと思って挨拶をしたら、

「今日から働くことになりました○○です」

なんて答えが返ってきてびっくり。
同期のひとりは、新人が入ってきても殆どが年上なので、使い辛くてしょうがないとぼやいていた。確かにこれも難しい問題だ。デニーズは店舗オペレーションの全てをマニュアル化していると豪語するが、どのページを見開いても、“部下が年配者の場合の指導法”なんていう項目は見当たらない。しょうがないのでUMに相談しても、そのUM自身が中途社員より年下だから、的を得るアドバイスが返ってくることは殆どない。それより、スタッフ達とのより良いコミュニケーション構築には、地道な手探りによる経験の積み重ねこそが一番の近道と徐々に分かってくるものである。

「おはようございます」

岡田久美子が出勤してきた。大学の後期試験が終わり、3月末まではたっぷり時間があるとのことで、もっぱらこの時期は早番をやってもらっている。

「あら~、常川さん、異動なんですね。でも次の店がここでは可哀そうみたい」

デニーズのアルバイトには、やたらと社内事情に詳しい者が多い。

「辞令は命令。しょうがないさ。それよりAM昇格なんだからめでたいんじゃないの」
「木代さん、本当にそう思っています?」

ちょっとぐさりときた。
人手不足の現況を身を持って体験してきた者には、容易に異動後の生活を察するところ。それでも今の自分にとって、UMITの上を行くアシスタントマネージャー、つまり副店長という職位には、何事にも遮蔽されない光を感じてしまう。

「AMをやらせてもらえるなら、どこへでも行きまっせ~」
「やだぁ、うそ~」

うそ~と言われても、昇格はサラリーマンとして生き抜いていくための唯一の道。棘だろうが突き進むしかないのだ。
まっ、それは置いといて。
今度来る“槇”というUMITはどんな男なのだろう、、、
平穏を絵に描いたような立川店に波風が立たなければいいが。

この冬は暖冬なのか、2月に入ったというのに積もるほどの降雪はまだ一度もない。但、毎年私立高校の受験期になるとまとまった雪が降ることが多いので、ピークはこれからだと思うが、冬独特の鉛色の空も数えるほどであり、日々乾いた晴天が続いていた。


「若い頃・デニーズ時代 22」への2件のフィードバック

  1. 店舗の人間関係が上手くいっていれば、長時間勤務も何とか苦にならずに我慢出来ますよね。

    社員とアルバイトさんの人間関係には、マネジャーになってから気を付けていました。

    勤務シフト作成を任された時には、恋愛関係にも注意したり、生活費を稼ぐために働いている主婦の方については、勤務時間を考慮していました。

    1. ですね。人間関係は組織を上手に運営するにあたって、最も留意しなければならない大きなポイントでした。
      それは今でも全く変わらないです。

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