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バイク屋時代61 オープンと閉店

 2015年2月。HD三鷹がオープン。見積もりをはるかに超える開店経費に、当初は暗澹たる雰囲気が流れていたが、そんな心配をよそに好調の波が延々と続いた。HDJが毎年評価する<全国ナンバーワンディーラー賞>を、オープン一年目で狙えるのではと店長である阿木の鼻息は荒い。スタッフ皆の頑張りが実ったのはもちろんだが、HDJが推進する新店舗規格に賛同しかねるディーラーが現れ始め、多摩地区の二店が更改を拒否、看板を返納したのだ。そのあおりを受けてHD三鷹の商圏は広がることとなり、車両購入、サービス関連共々、新規客が急速に増え始めた。これにより嬉しい悲鳴はいつしかただの悲鳴になり、オープン一年目を待たずしてスタッフの疲弊はピークに達した。特に工場のオーバーワークは著しく、納車や一般整備にクレームが出るほどの遅延が出るようになった。苦肉の策として、当面の間、一見客の受付を中止にし、既納客のカスタム依頼に対しても、純正パーツ以外の取付けはお断りとにした。これにより客離れも若干出てしまったが、対応としては致し方ないものだった。そして懸念はしていたが、離職が再び相次ぐようになる。

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 HD調布時代に中途採用した営業マンの大島は、ガタイがよくて明るい男。入社以降は俺の下につけて若手営業マンとして頑張っていたが、三鷹店の人手不足を解消するために異動が決まった。彼も三鷹店の様々な噂は耳に入っていたので、通達後は見るからに元気がなくなっていた。
「社長の考えだからしょうがないですけど、大島のやつ、あっちにいかせて大丈夫ですかね」
「今は三鷹のスタッフの負担を考えてやらなきゃ駄目だろう」
 三鷹店の状況を直接見ているわけではないので確かなことは言えないが、スタッフの疲弊を作り出している要因には、なにか内部事情が関係しているように思えてならなかった。一見客を断ったり、クイックを予約にしてもらったりと、できる範囲で仕事量の調整は行っているのだ。
 
 トラックのパワーゲートを操作する音がしたので、工場へ行ってみると、大島が下取の中古車を押して裏庭へ並べているところだった。学生時代にラグビーをやっていただけあって、重量が370kgもある大型のストリートグライドを軽々と取り廻している。もっとも、力だけではああはいかないが。
「おはようっす」
「ご苦労さん。どうだい三鷹の方は」
 三鷹と発したとたんに表情が曇る。大崎社長が言っていたが、大島はよほど三鷹勤務が嫌なのか、社長と会うたびに、いつ調布へ戻れるのかと聞いてくるそうだ。
「忙しさは平気ですけど、なんかあそこ、居辛いんですよね」
「なにがそう感じさせるの?」
 口角を上げるも目は笑ってない。
「どうしても合わない人が二人ほどいるんで」
「誰」
「まっ、いいじゃないですか」
「よくないよ」
 あとからわかったことだが、どうも店長の阿木と先輩営業マンの下田に対して不満があるようだ。大島の言い分だけでは判断しかねるが、阿木は責任感が強く、自他ともに対しとても厳しい男だ。彼独特のストレートな物言いは、なにかと誤解を招く。それとなんにでも首を突っ込むところがあって、不足があれば自分でかたずけようとし、しまいには自滅するという傾向があるらしい。
 下田も阿木とやや似たようなところがあり、波長の合わない相手とは無意識に距離を置くタイプだ。
 一方大島はまじめによく働くが、やや甘ったれたところがあり、仕事であってもその中に人情やウイットを感じないと力を発揮できないという、手のかかる男だ。ただ、お客さん受けはよく、彼目当てに来店する既納客は多い。
「とにかく爆発する前に社長と腹割って話せよな」
「もう導火線に火がついてますよ」
「おいおい」

 そんな中、中古車店の引っ越し先にめどが立った。三鷹店の常連さんが経営している会社の倉庫スペースで、広さとしてはぎりぎりだが、二階部分も使えるらしく、部品庫の心配がなくなり、即契約へと駒を進めた。場所は調布店から甲州街道を西へ約1km行ったところ。間口は南向きで街道沿いとなる。先回の三鷹店、そして今回の中古車専門店と、店舗物件には驚くほど恵まれている。
 そしてこれを機に、大崎社長はドゥカティ正規ディーラーの看板を降ろすことを決めた。長らくドゥカティメカとして頑張ってくれた坂上健治は辞意を固め、家族と一緒に故郷の福島へ帰ることになり、店長の大杉くんも、既納客のフォローに一段落がつけば離職すると社長へ伝えたようだ。
 ドゥカティディーラーの立ち上げを共に汗した二人が去るという現況は、モト・ギャルソンの一時代が完全に終わったことを意味し、言葉にならない脱力感に包まれた。特に大杉くんは、吉祥寺店時代からずっと同じ店で働き、街の小さなバイク屋、大型店舗、そして輸入車の取り扱いと、会社の変革そのものを支えてきた同僚だったので、寂しさはひとしおである。完全にハーレー一色となった職場を改めて見回せば、俺自身、ここから去る日もそう先ではないなと、新たな人生に思いを馳せてしまう。

2010-HarleyDavidson-SportsterForty-Eighth

 15年前の2011年3月11日(金)14時46分18秒。
 この時俺はHD調布の二階総務部にいた。突然の強い揺れをうけて、社長ディスク脇の本棚が倒れそうになり、慌てて押さえた際に眼下のショールームを見下ろすと、展示車両がゆらゆらと揺れている。
「バイクやばいな!」
 大声を出すと同時に、武井くんが階段を駆け降り、展示台に乗ったバイクを押さえた。しばらくすると商談カウンターにいた社長が二階に上がってきて、安堵の表情を見せた。
「よかったよ、お客さんのバイクが倒れなくて」
 展示車両が倒れた場合は店舗保険の対象になるが、預り車は対象外なのだ。定期点検で預かった百万円ものカスタムを施したバイクを考えればぞっとする。しかしハーレーは車重があって重心が低く、しかもサイドスタンドをかけた状態ではかなり傾くから、揺れにはけっこう耐えた。これは発見だった。あとで聞いた話によると、近くのBMWモトラッドでは、センタースタンドで展示していた車両二台が倒れてしまったらしい。
「この状態じゃ商売にならないから、今日は解散にしよう。すぐにご家族と連絡を取ってください」
 社長に言われるまでもなく、皆必死に携帯を操作している。
「だめだ、全然つながらない」
「あたしも駄目です」
 そんな中、女房の携帯へは二度のトライで繋がった。たいがいのスタッフの携帯はFOMAだったが、俺は依然MOVAを使っていたのだ。少数派だったから回線が空いてて繋がりやすかったのかもしれない。
「今どこにいる?」
「もう会社出て青梅街道を歩いてる」
「わかった。とにかく四面道まできて、そこで待機してて」
 当時、女房のパート先は新高円寺にあったのだ。
 すぐに着替えて自転車を出した。俺は杉並店勤務の頃から通勤に自転車を使っていた。退職まで延べ十七年間、ひたすらペダルを漕ぎまくった。

 甲州街道はすでに交通量が増え始めていた。天文台通りを上がって東八通りに出ても同じ状況だった。こんな時の自転車は機動力がある。歩道を含めてどこだって走れるから、渋滞なんて関係なしだ。
 自宅へ到着すると、すぐに車を出した。井の頭通もそうだが、下りの交通量は急速に増えている一方、上りはそれほどでもなく、女房を荻窪まで迎えに行くにも問題はないと判断したのだ。案の定、青梅街道も上りは動いていたが、下りは早くも強烈な渋滞が始まっていた。目を見張ったのは、溢れかえる歩道上の徒歩帰宅者。初めてはっきりとクライシスを感じ取れた。
 八丁の交差点に近づくと、ガードレール脇にたたずむ女房の姿を発見。クラクションを鳴らす。
「おつかれ」
「ありがとう」
 ハンドルを左に切り、桃井の住宅街へ分け入る。この辺は杉並店勤務時代に掌握しつくしたところだ。ひんしゅくではあったが、一方通行は無視してひたすら住宅街を突き進んだ。途中、青梅街道を横断して善福寺に入り、同じく住宅街をあみだくじのように車を走らせた。帰宅は十九時過ぎと、思いのほか早かった。ちなみに、うちの娘の職場は水道橋にあるのだが、当時彼氏だった今の亭主が車で迎えに行き、連れて戻ってきたのは、日が変わった二時過ぎだった。

 店は翌日から開けたが、当然ながら商談客など来るわけもなく、整備仕事だけを黙々と進めた。ところが物流が止まった影響で、ガソリンスタンドに燃料が届かず、すぐにトラックの燃料タンクは底をつき、立川の車検場へ行くこともままならない。近所のガソリンスタンドが再開後も、燃料を求めた車が長蛇の列を作り、数時間待ちが常態となった。
 揺れが落ち着くと同時にTVのスイッチを入れたが、スタッフ達と一緒に見た津波の恐ろしい光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。

バイク屋時代60 ハーレーダビッドソン三鷹

 でっこみ引っ込みはあるものの、ここ一~二年ほどは、ハーレー部門もBFも比較的安定した収益を上げていた。ただ、懸念事項である従業員の定着度に関しては相変わらず不安定さが残り、営業もメカも優秀なスタッフの離職が相次ぎ、先々への不安は隠せない。そんな中、極めて厄介な問題が持ち上がった。HDJから契約更改に関して、思ってもみなかった条件を突き付けられたのだ。対象店舗はHD調布とHD東村山の二店。両店ともにHDJが求める店舗基準に達していないとのことで、準じた店舗を新たに用意しなければ契約更改はできないと一方的に言ってきたのだ。開いた口が塞がらないとはこのこと。脅し以外の何物でもなく、これではなんらやくざと変わらない。

「ふざけんじゃないよぉ、まったく」
 温厚な大崎社長もついつい言葉を荒げる。そもそもHDJが主張する基準とやらが、あまりにも現実とかけ離れていたのだ。結論から言えば、ショールーム並びに工場の基準をクリヤするには、現行の店舗では面積がまったく足りず、物理的に不可能。つまり、新たな店を作るしかない。しかも基準に準じれば一般的なカーディーラー並みの規模になる。果たして近郊に該当する物件があるかどうかの見当もつかない。仮に見つかったとしても開業までにどれほどの資金がかかるかと、考えるだけで暗澹となる。しかし、従わなければ正規ディーラーを下ろされ、事実上会社はTHE END。

エレクトリック LiveWire ライブワイヤー

「また借り入れが圧迫してくるな。最低でも3000万以上は必要だろう」
「でも仕方がないじゃないですか。それより早く物件を見つけないと」
 半年ほど前から、大崎社長の長女である山口信代が、下山専務の後釜としてモト・ギャルソン総務部で勤務していた。それまで勤めていた大手信販会社での経験と実績を買われたことと、下山専務も、自身の年齢と持病のことを考えていたのだろう、引退を仄めかし始めていた。
 信代が資金の管理をし始めると、徐々にだが財務状況が上向いてきた。就任後から徹底的な節約を推進し、HDJに対してもこれまでのような過度な忖度を改め、常に自社の財務状況と照らし合わせた上での仕入れ計画を推し進めるよう、大崎社長へ強く求めていた。この方針変更によって、仕入担当の武井くんとは絶えず水面下で火花を散らすことになった。

XG750 STREET750

「近隣でカーディーラー並みのテナントか…」
「そんなおあつらえ向き、あるんですかね」
 金がかかる云々の前に、新店舗の候補物件を探すことが早急の課題だった。
 
 と、ある日。
 チャプターメンバーのQさんが、12ヵ月点検が完了した愛車FLHRを受け取りに来ていた。
「先週は車の車検だったし、出費が連チャンしてきついよ」
「なに乗ってんです?」
「ジープ」
「東八のレクサスのはす向かいですか?」
「そうそう。でもね、近々に引っ越すらしいよ。マックの先の角だって」
 この会話を何気に聞いていた大崎社長が反応した。
「Qさん、ジープのディーラーの電話番号、今わかります?」
「ええ、わかりますけど」
 ここから大崎社長の怒涛の攻撃が始まった。 
 すぐにジープへ馳せ参じると、引っ越しのスケジュールを聞き、オーナーと賃貸についての話をしたい旨を伝えた。ここを借りることができれば、それこそドンピシャのおあつらえ向きだ。
 数日後にオーナーと会って詳しい話を聞くことができ、他にも賃貸希望が一件あるものの、現時点では具体的な契約までは進んでないとのこと。これ以上の物件はないと即断した社長は、
「ぜひうちで借りたいのですが、よろしくお願いします」
 仮契約へと持ち込むことができたのだ。

 店舗経費については、HD調布とHD東村山二店分とほぼ同額と試算した。つまりはスタートさせた暁には、二店分以上の売上が必須となる。いずれにしても新店舗計画をスタートさせなければ会社の明日はない。ただ、今回の騒動はいい機会でもあった。期日ははっきりしていなかったが、HD調布は貸主である共進倉庫から明け渡しを通告されていたのだ。HD調布の店舗が入る本社倉庫の大半を、スポーツ施設のゼビオに改装するとのことだ。HD東村山も店舗の老朽化で、大幅な加修が必要とされていた。

ハーレーダビッドソン三鷹 スタッフ

「第一段階としてはHD三鷹を無事にオープンさせること。同時に調布は中古ハーレーの専門店とし、東村山はオーナーさんへ返す」
「でも、いずれは調布も返さなきゃならないですよね」
「そう。だから中古車店の引っ越し先も頭に入れとかなきゃ」
 さきほどから信代の表情がきつくなっている。
「社長、三鷹から始まって中古車店まで、どれだけ費用がかかるんですか?」
「いっぱい」
「いっぱいじゃないですよ、もう… 七~八千万はいくんじゃないですか」
「そこまではどうかな」
「銀行の方は大丈夫なの?」
 金庫番としては心配事が大きすぎる。信代の尽力でだいぶ借金が減ってきた矢先だけに、このタイミングでまた多額の借り入れが発生するというのだから穏やかではいられない。
「なんとかなりますよ」
 大崎社長は六十八歳を迎えていたが、老齢とはいえバイタリティーは健全で、ビジネスへ対する積極的な姿勢は相も変わらずだった。ただ、かなり以前から「七十歳になったら引退する」と周囲に漏らしていたこともあり、HD三鷹は責任を以って準備するが、運営に関しては基本的に関与しないと全体会議で公言した。HD三鷹は新体制のリーダーであり、専務取締役に昇進した武井くんにまかせて、社長自身は高収益化を目指すハーレーの中古車専門店で指揮を執るとのこと。そしてこの大改革のあおりを受けて、ついにドゥカティ部門の存続はジャッジにかけられることになる。
 日本国内におけるドゥカティビジネスは縮小均衡になりつつあり、ご多分に漏れず桜上水のドゥカティ店も、収益ラインを維持するのが精いっぱいという状態が続いていた。

ドゥカティ 最新型のパニガーレ―とスクランブラー

「木代くん、ちょっと相談があるんだけど」
 大崎社長の“ちょっと相談”に、いいことのあったためしはない。
「BFでね、海藤くんと広田くんの面倒を見てくれないかな」
 海藤はHD調布のメカ、広田はHD東村山のメカである。HD三鷹は調布と東村山の合体なのだが、なぜか三鷹のメカニックメンバーに二人の名前は載っていない。
 HD三鷹は武井くんを長とした若いメンバーで構成した。その際重視したことがコミュニケーションと意思の疎通である。海藤と広田は共にキャリアが長く、メカとしてのスキルは十分なものを持っていたが、一匹狼的な行動が多く、これまでにも独断による周囲との摩擦が幾度も起きていて、これを懸念した武井くん、店長の阿木、工場長の麻生は、彼ら二人を三鷹メンバーから外した。
 つまりのこと二人は浮いてしまったのだ。個別に見ると仕事はできるし積極性も感じられるが、組織に放り込むと例外なく問題を起こし、汚点を残してきた。
「えっ!あの二人をBFのメカとして使うんですか?!」
「いいじゃない、BFもこれで社員三名体制ですよ。中古車をこれまでの倍売るんで、彼らの力が必要です」
「そりゃわかりますけど…」
 これまでBFは俺一人だったから、自由気ままにやってきた。しかしこれからは二名の部下を管理しなければならないし、おまけに海藤と広田である。せっかく黒字経営までこぎつけたのに、これからは二人分の給料を確保したうえで利益を上げなければならない。
 どうなることやら…

バイク屋時代59 いろいろありました~

 思い返せば、ビッグツーリングではいろいろな事件が起きたものだ。我々スタッフの接客サービス業従事者としての自覚が足りなかったことは否めないが、スタッフもお客さんも怖さの知らない若者だったことが、様々なトラブルに繋がっていたように思い出される。

 メカの柳井は方向音痴だ。おまけに道が覚えられないときている。だからツーリングイベントで先頭を走ったことは一度もない。いつぞやのビッグツーリングでコンビを組むことになったときは、ケツ持ちくらいならやれるだろうと、それほど気にも留めなかった。
「コースは頭に入ってんだろ?」
「ついていきます」
「はっ??」

 ビッグツーリング前には必ずスタッフ全員で下見を行う。当然ながらコースの状態を各自で確認し、頭に叩き込むためである。もちろん柳井も参加したが、方向音痴を自覚しているにも関わらず、道を覚えてやろうという気概がほとんど伝わってこなかった。
「いやいや、ついていきますじゃなくて、覚えなきゃ」
「覚えられないんです」

 本番は朝から絶好のツーリング日和。中央道経由で伊豆に入り、下田のセントラルホテルで一泊というスケジュールだ。初日は山中湖から日本ランド経由で、三島、修善寺と巡る。
 日本ランドを通過し、あと少しでR246に出るというところで、うしろがついてこないのに気がついた。信号のタイミングで間が開くことはよくあるので、十台ほどのお客さんと路肩に駐車して待つことにした。一応携帯電話を呼び出したが、走っていれば出られない。
 十分ほどするとはぐれた集団が追いついてきたのでひと安心したが、先頭が柳井ではなく、GSX-R250のK子さんなのだ。はぐれた時は先頭になってお客さんを引っ張らなければならないのに、なんと柳井は最後尾。
 違和感を覚えつつも、全員そろっていることを確認し、ふたたび走り出した。
 ランチは大仁の和食屋でとったが、食事が終わって出発準備をしていると、さきほどのK子さんが近づいてきて、
「柳井さん、ほんとひどいですよ」
 口をへの字に曲げ、横目で柳井を睨みながらいきさつを話し始めた。
 信号で先に行かれたのはしょうがない。しかし追いつくまではスタッフが責任を以って引っ張っていくのは当たり前。それを柳井に言ったら、
「道がよくわからないから」
 平然と言ったまま動こうともしない。
「なんですかそれ。わかりました、もういいです」
 呆れかえったK子さんは、信号が青に変わると同時に先頭を切って走り出し、他のお客さんもそれに続いたという流れだそうだ。
「ほんとうに申し訳ない。あとできちっと言って聞かせるんで」
 いったん事は丸めたが、なんとこの後、思いもよらない光景に驚くことになった。

 出発後は、サイクルスポーツセンター経由で一旦修善寺へ出て、冷川ICから伊豆スカへ乗るという流れ。出発ミーティングで再三釘を刺したので、半ば安心して出発した。ところが、間違いやすいポイントでもあるのから、サイクルスポーツセンター脇から熱海大仁線へ出る交差点で後続を待っていたのだが、待てど暮らせど現れない。トラック隊の矢倉さんにも連絡を入れ、頻繁に柳井の携帯を呼び出すようお願いしたが、何度かけても繋がらないという。
「あとは柳井にまかせたんで!」
 と伝え、出発した。
 予定通り冷川から伊豆スカに乗ると、ものの数分で長い直線に出る。その時、目を疑った。な、なんと、柳井を先頭に数台のバイクが“前方”から向かってくるではないか。
「なんでケツ持ちとすれ違うんだよぉぉぉ!!」
 後で顛末を聞くと、サイクルスポーツセンターへ向かう途中、赤信号に引っ掛かった後、そのまま直進して亀石ICから伊豆スカへ乗ったというのだ。そしていつまでたっても追いつかないので、途中でUターンしたということなのだ。今度はちゃんとお客さんを従え、先導してきたからまだいいが、出発ミーティングの際には念を押すようにコースポイントの説明を行っているのだ。いくら覚えられないと言っても、このていたらくには唖然とした。

 こんなこともあった。
 ビッグツーリングは春は五月、秋は十月に開催する。世のツーリング好きライダーたちがこぞって動き出すベストシーズンである。よって週末ともなれば、早朝から主要高速道路の都心側SAはどこもバイクだらけだし、高速道を走れば、グループでツーリングする集団の一つや二つは必ず目にする。

「出発ミーティングやりま~す、集まってくださぁ~い」
 東名高速の海老名SAである。ガソリンスタンド手前のゼブラゾーンには、Aグループ、Bグループ、そして俺が担当するCグループが集合していた。今回の参加者は百名を超えていたので、初心者グループとオフロードグループは、東京インター入口のマクドナルドに集まっていた。
「皆さん、ガソリンは満タンにしてありますよね。全員満タンを基準にして給油ポイントを決めますから、もしまだの方がいたら至急給油ねがいます。ここを出発したら次の休憩場所は足柄SAです。いいですね、覚えてくださいね。もしも寄らずに通過してしまった場合は、沼津ICで待っててください」
 これだけ念を押しても、はみ出す人がいるので、高速道路はフリー走行にして、スタッフ二人は最後尾からという形が定着していた。途中で何かトラブルが起きた場合、対処を行えるのはケツ持ち一人になってしまうからだ。
「それでは出発しま~す。しつこいようですが、次の休憩ポイントは足柄SAですからね~」
 全員が走り出たことを確認し、俺とケツ持ちの松本くんも走り出した。空は晴れ渡り風もない。この上ないコンディションに、今日はツーリングライダーがとりわけ多く感じた。
 後方から確認すると、うちのお客さんは二~三台ないしソロで流しているようだ。時々様子をうかがいながら追い越し車線へ出ては遅い車をパスしている。この追い越しに関してもアドバイスは行っている。集団心理とでもいうのか、みんなで走るとソロの時と比べて集中力が低下する傾向がある。車線変更の際、後方確認をせずに前の車両につられて行ってしまうのだ。

 N美さんの後ろ姿が目に入った。彼女は納車からひと月ほどしか経ってないピッカピカの初心者で、愛車はヤマハのSRV250。XV250ビラーゴのエンジンを搭載したライトウエイトモデルで、軽快なハンドリングに癖はなく、おまけに省燃費ときてるから、初心者や小柄な女性にはおすすめしているモデルだ。
 頑張って走っているN美さんの前を行く二台が、右にウィンカーを出して追い越し車線へと入っていく。そこまでは何ら意識することはなかったが、続くようにN美さんも右車線へと入っていったのだ。嫌な予感がした。もしかすると先行の二台が同じグループのメンバーと思っているのでは…
 あと数キロで足柄SA、最初の休憩ポイントだ。先行の二台は速度の遅いトラックを抜くと再び左へウィンカーを出して走行車線へ戻った。ここでまたついていったら仲間だと勘違いしている可能性がある。予感は当たり、N美さんは再び二台の後ろへついた。これはまずいと、俺もトラックを追い越してN美さんの左側に付け、大きく手を振って彼女を誘導しようと試みた。
 俺だということは分かってくれたようだが、なにを訴えているのか分からないそぶりである。ちょっと前へ出て俺について来いというような、おいでおいでのジェスチャーを繰り返すと、やっと左手でOKのサインを出してくれた。そう、やはり彼女は先行の二台をビッグツーリングの参加者と勘違いしていたのだ。そりゃそうだ。昨今のライダーは、アライかSHOEIのヘルメット、上着はGWスポーツのライディングジャケット、下は黒色のレザーパンツと相場が決まっていた。こんななりをしたライダーが高速道路上にうじゃうじゃいるのだから間違いは起きる。あのままついていったらとんでもないことになっただろう。

 おまけにこのときもう一件トラブルが起きていた。N美さんを従えて最後尾を走っていると、前方の路肩に二台のバイクが停まっている。近づくとヤマハR1Zの大田くんとスタッフの松本くんだ。二人ともヘルメットをかぶり直し、出発するようだったのでスルーしたが、あとから話を聞くと、大田くんが徐々に速度を落とし、ついには止まってしまったので、松本くんも路肩に寄せて状況を聞くと、なんとガス欠。出発ミーティングの際に、満タンにしたかどうか確認したのにだ。
「なんで満タンにしてなかったの?!」
「二週間前に満タンにしたから大丈夫だと思ったんです」
 大田くんも初心者。初心者ってのは、通常では考えられない判断基準を持ってるから怖い。松本くんがガソリンコックをリザーブにすると、あっけなくエンジンがかかり、ギリギリだったがなんとか足柄SAまでたどり着けたという顛末だ。
 今日からの二日間、まったく気が抜けない。

バイク屋時代58 若かったね~

 最近はコンスタントに下取車が入ってくるので、仕上げや納車整備を依頼するために、週に一~二度はPモーターサイクルへ足を運んでいた。
 その日は日曜だった。店前の駐車スペースにトラックを入れようと歩道へ乗り上げると、近江くんがお客さんとなにやら立ち話中。中断してすぐにトラックの脇へ来ると、運んできたバイクの固定を外し始めた。
「GSX-Fですね」
「二週間ほど時間をもらってるよ」
「そりゃありがたい」
 作業を眺めているお客さんと目があった。
「あれ、久しぶり!」
「ご無沙汰してます」
 モト・ギャルソンの古いお客さん、Kくんだ。その昔、カワサキのゼファー750を新車で買ってくれ、その後も大事に乗り続けて、今日は車検整備が上がったので受け取りに来たそうだ。
「何年ぶりだろう」
「ビッグツーリングに行ってた頃が懐かしいですよ」
「ビッグね、はは、大昔だ」

 確か入社して二度目のビッグツーリングである。本当に大昔だが、Kくんが絡むエピソードは鮮明に思い出す。大人げない冷や汗ものの行為だったと共に、愛車ヤマハ・RZ250で参加した唯一のビッグツーリングだったから。

 宿泊先はみなかみ町の猿ヶ京温泉。Cグループを大崎社長と組んだ。RZは古くて壊れやすいからツーリングに使っちゃだめだと釘を刺されていたが、一度でいいから青春の愛車RZを駆って参加したかったので、メカの海藤くんに点検を依頼、お墨付きをもらった旨をごり押しして、不承不承了解を得たのだ。
 社長が先頭、俺がケツ持ちで、三国街道を軸とした周辺のワインディングを流していた。ところがすぐ前を走っていたKくんが突然ペースを落とし始め、しまいには路肩に停ってしまった。その時はまだゼファー750を所有する前で、スズキ・250Γで参加していた。先行する他のメンバーは、このアクシデントに気づかなかったのか、俺たち二人を残して走り去ってしまう。
「だめかい?」
「エンジンはかかるんですが、アクセルを開けると止まっちゃうんです」
 おそらくキャブのトラブルだと思うが、俺が対処できる範囲を越えている。まだ携帯電話などない時代だったので、途方に暮れていると、右手に広がる森の奥から、バイクらしき排気音が聞こえてきた。もしやと思ったその直後、前方にある林道の出口と思しきところから、ヤマハ・DT200に乗った松田さんが現れ、次から次へとオフロードグループの面々が飛び出してきたのだ。最後はカワサキ・KDX200Rの吉本くんだったので、こっちへ来るよう大きく手を振った。

 彼のKDX200Rはつい最近手に入れたばかりの新車である。今回のツーリングが初の林道走行になると言っていた。やかましい排気音を吐き出すこのオフ車、実は通常なら一般公道走行不可の本物のエンデューロレーサーなのだ。ところが世の中にはそんな競技専用車に保安部品を取り付けて、登録代行までやってくれる業者がある。そこへ大枚をはたいてナンバープレートを手に入れたわけだ。レーサーなので性能は半端でなく、たとえば俺のRZ250は“ナナハンキラー”と呼ばれるじゃじゃ馬マシンで通っているが、重量139kg、最高出力30馬力と、発売当時はスーパースペックだった。ところがKDX200Rは、重量100kg、最高出力37馬力と、比較にならないほどの性能を有していた。
「どうしたんですか?」
「KくんのΓがさ、突如止まっちゃったんだよ」
「わかりました、見てみます。松田さ~~~ん! おれ修理やるから、先行ってて!!」
「了~~~解!」
 さっそく携帯工具を取り出し調べ始めたが、五分、十分と時が進む。
「これ、一度キャブをばらさないとだめかも」
「トラック隊呼びに行ってこようか」
「いいや、応急でやってみますよ」
 それからさらに十分ほど作業を行い、なんとか完了。ちょっとアイドリングが高いが、スロットルに反応するようになった。
「じゃ、ぼくが先導するんで、ゆっくりついてきてください」
 吉本くんがバイクにまたがり走り出す。その後に俺、Kくんと続いた。しばらく行くと三国街道に出たのでそこを左折。ここからはラリーの集合場所であるドライブインまで緩い上り坂が続く。
 のんびり走っていると前方に観光バスのテールが見えてきた。俺たちの速度も低かったが、喘ぎながら坂道を上る大型バスはさらに低速だ。しかも二台連なっている。
 もしやと思ったその瞬間、吉本くんが右車線へ出た。ここは黄色ライン、追い越し禁止だが、連なるバスを追い越すというのだ。引っ張られるように俺も続いた。フルスロットルで加速、車速は瞬間的に上がった。二台の2ストマシーンの咆哮が森にこだまする。と、その時、
「前のバイク止まりなさぁ===い!!」
 反射的に目が行ったハンドルミラーに赤色が点滅している。パトカーが左脇から出てきたのだ。目線を元に戻し、前方の様子をうかがうと、
「おいおいおい、加速かよぉ!!」
 吉本くん、問答無用でぶっちぎる気だ。反射的にスロットルを全開にしている自分も恐ろしい。
 パリィ~~~~~ン、パアァ~~~~ン、パリィ~~~~~ン、パアァ~~~~ン!!
「おりゃぁぁぁ!!」
 パトカーに追跡されているという危機的状況下なのに、2ストサウンドに酔いしれるクレージーさ。

 中速コーナーと緩いのぼりが続いた。バイクにとって最も有利になるシチュエーションだ。リズムにも乗ってきてどんどん速度が上がる。回り込むS字コーナーをクリアした直後、後方を確認すると、パトカーとの距離が開き始めている。それにしてもKDXの立ち上がりは鋭い、さすがオフ車、さすがレーサーだ。しかし俺のRZも捨てたもんじゃない。ぎりぎりだが、このレベルならなんとかついて行ける。
 パトカーとの距離は徐々に開いていった。そろそろドライブインが見えてくる頃だ。
「いるいる!」
 無数のバイクが駐車場に溢れかえっている。ラリーのスタート地点に参加客が集合してるのだ。
 吉本くんそして俺と、続いてドライブインへ飛び込む。俺は敷地の最も奥へバイクを入れ、その脇に隠れるように身を潜めた。道路の方へ目をやると、吉本くん、赤色を回しながらパトカーが通過する様を路肩で何食わぬ顔して眺めている。リバーシブルのジャケットを裏返しに着なおし、地味なモスグリーンから、目にも鮮やかなオレンジに変わっている。いやはや堂々としたもんだ。まっ、いずれにしても逃げ切れたのは間違いないだろう。しかし大人げないことをしでかしたもんだ。ただ、あの痺れるエキゾーストサウンドと暴力的な加速には、一瞬のうちに人を飲み込む魔力がある。いやはや、俺はのまれやすいたちなんだと、よぉ~~くわかった。

「あまりに一瞬のことだったし、木代さんたち、あっという間に見えなくなって、なにが起こったのかわかりませんでしたよ。そんなことがあったんですね」
「いや~、お恥ずかしい」
「木代さん、若かったね~」
 近江くん、なんだか嬉しそう。

バイク屋時代57 デュアルパーパスの魅力

 モト・ギャルソンに入社して以来、三十年という長い間、ひたすら店の責任者として収益を確保、お客さんには満足のいくバイクライフを提供できるよう常に努力してきた。それに俺はバイクが大好きだから、様々なツーリングイベントでお客さんと共に走り、時には酒を酌み交わしながらのバイク談議はとても楽しく、ついつい仕事だということを忘れてしまった。だから、なんていい会社に入ったもんだと心底感じていたし、同時にやりがいも大きかった。
 そんな職務の毎日が、BF勤務となった途端、顧客関係が大きく様変わった。特にツーリングを通じてお客さんと接する機会がなくなったことは、俺にとって就労意義を喪失したに等しい一大事であり、正直なところ気落ちした。ただ、個人的なことも含め、バイクライディングについては還暦を待たずして卒業を決めていた。ワインディングが好きという、ただそれだけの理由でバイクを乗り続けてきわけだが、加齢の影響により、徐々に動的視力が落ちてきたことを自覚、最後に走ったスポーツランド那須では、下車後に“目が回る”という摩訶不思議な症状に当惑した。これが潮時だと結論付け、きっぱりバイクライフの幕を閉じたのだ。
 バイクは二十代のころからずっと乗り続けてきたので、「もうおなか一杯だ!」と自分に言い聞かせ、バイクは乗って楽しむものから、生活するためのビジネス商材へと見方を切り替えた。だからBF勤務はタイミング的にも合っていたかもしれない。すべて自分のコントロール下において、仕入れ、販売準備、利益構築と駒を進める醍醐味は、お客さんと共に歩んだバイクライフに匹敵、いや、それ以上と感じ始めたのだ。
 BFのスタッフは俺一人。同僚や部下のいない環境ってのは初めてのこと。なにからなにまで自分でやらなければならないが、軋轢がないし、人間関係で悩むこともないので意外や楽しい。しかもモト・ギャルソンから仕入れる中古車は、社長の意向で最低限の利益しかのせてないから、売れさえすれば儲かり充実感も覚える。

 先日もHD東村山で、下取車がヤマハ・セロー250になる商談が入り、お客さんの欲しいモデルが入荷数が少なく、近隣のディーラーにも在庫ならびに入荷予定もない車体色のXL1200Xだったので、営業マンも強気に出たわけだ。ただ、下取り価格をあまり低く提示してしまうと、バイク王などの買取り業者へ持っていかれる危険があるので、すぐにオークション相場を調べ、ころ合いの価格をアドバイスしたのだ。商談は成約し、おまけにオークション相場より二割強ほど低い価格で下取れたのだ。セロー250は人気車種なので、グーバイクへアップするとその日のうちに見積もり依頼が入り、こちらも数日後にはめでたく成約である。
「木代くん」
「なんですか」
「十中八九、今期のBFは黒字転換になりそうだ。何年ぶりだろう」
 わずかな利益だろうけど、嬉しいことに変わりはない。それより、webを駆使した無店舗商売の可能性を証明できたことの方が俺にとっては大きかった。

 この頃、下取車が入るハーレーの商談には、面白い傾向が二つほど見られた。
 ひとつは、憧れで手に入れたスーパースポーツだったが、実際の乗ってみると、あまりのパフォーマンスの高さに持て余し気味になり、期待していたほどの満足を得られないと言った声。ZZR1400、GSX-R1000、YZF-R1、パニガーレが、ほとんど似たような理由でハーレー購入の際の下取り車として入ってきたのだ。どれも市場では人気車だったので、全車一か月以内に商談成約となった。特にカワサキ・ZZR1400は、スズキのGSX1300R隼と並んで超のつく人気車。オークションではとてもじゃないが高くて買えない。昨今レーサーレプリカの人気はかなり落ち込んでいたが、両車のカテゴリーであるロングツアラーは根強い人気が長く続いており、キャブレター仕様のホンダ・CBR1100XXでさえ高値で取引されていた。
 もうひとつも興味深い。
 若いころからのバイク仲間たちも歳を重ねるうちに、動力性能重視のスポーツモデルから、ツーリングユースで楽な国産ネイキッド、BMW、はたまたハーレーへと乗り換えが続いたのだ。
「いや~、全然楽」
「ツーリングの疲れ方が半分だね」
 周囲からそんな言葉が聞こえてくると、やはり考え出すのだろう。KTMの排気量が1000ccもあるスーパーモタードから、BFでドゥカティのディアベルへと代替えしていただいたお客さんが、その後、上記のような流れがさらに加速し、ついにはハーレーに興味を持つようになり、一番親しい仲間の方が、他ディーラーだが、ハーレーFXDL・ローライダーを購入したのだ。

「ぜったい買い替えた方がいいよ」
 と、強く押されようで、うちでディアベル下取りに出して、同じFXDLを購入してくれたのだ。同様なパターンがその後も二件あり、バイクライダーの高齢化による売れ筋の変化が窺えた。
 性能重視でストイックなモデルは、バイク好きなら一度は憧れるもの。まして三十代、四十代なら、その魅力を全身で感じながら、箱根や伊豆で丸一日遊べるだろうが、これが五十代を迎えるころになると、余りある高性能と、攻撃的なライディングポジションが次第に負担になってくるのだ。そんなタイミングでハーレーに試乗してみれば、それまで眼中になかったジャンルのバイクが、びっくりするほどフィットすることに気がつく。食わず嫌いとはこのことだ。
「木代さん、ローライダー正解だったよ」
「そりゃよかったです」

 カワサキZXR750は最高の相棒だった。こいつを駆って伊豆へ出かけるのは、日常のすべてを忘れるほどの楽しみであり、特に峠で一体感を覚えた時の快感は病みつきになる。尾根に沿って延々と伸びる伊豆スカは、音の反響が小さいから、USヨシムラの咆哮は混じりっ気のないストレートなサウンドを奏で、否応なしにスロットルは開くのだった。よって国産バイクを売っていた頃は、毎度のビッグツーリングに、メーカーからの試乗車貸与がなければZXR750を使っていた。それがビューエルの正規ディーラーになってからは、当然ながらS1W、X1を乗っていくことになり、アップライトなバイクのツーリングにおける優位さが体を以ってわかるようになってきたのだ。峠のみで使うのだったらZXR750は十分な満足を与えてくれるが、多くのお客さんを従えてのツーリングとなれば話は別になる。
 ドゥカティを扱うようになると、イベントの脚はもっぱらポジションの楽なモンスターをチョイスし、挙句の果てには、エンジンパワーもおとなしく、アップライトなポジションが際立つGT1000が定番のイベント用バイクになった。よくお客さんに言われた。

「店長、今度のビッグツーリングはスーパーバイクに乗ってきてくださいよ」
「いやいや勘弁、いじめないでよ」
 歳を取ってくると間違いなくこうなる。
 それぞれに好みはあるだろうが、俺の思うに、やはりバイクっていう乗り物は、軽くて取り回しが楽で、かつ峠道でもスポーツモデルと同等かそれ以上に走れる性能を有して欲しいもの。
 1991年とずいぶん昔のことになるが、ビッグツーリングが間近に控えていたある日、
「店長、ヤマハから電話入ってます」
 ツーリングに使う試乗車を依頼していたので、その返事だろう。
「はい毎度、木代です」
「お世話さま。面白い試乗車がありますよ」
「なに?」
「アルテシアです。ぜひ乗ってみてください」

ヤマハ アルテシアとカワサキ KLE400

 SRX400のエンジンを搭載したデュアルパーパスモデルだ。一年先に出ていた欧州向けXT600Eの日本版である。まだまだレプリカ人気が衰えてない時代なのに、カワサキもKLE400を発売して好調だったから、何気にそのジャンルが気になっていた。しかもカワサキがそのKLE400を同じく試乗車として出してくれたので、面白い比較もできそうである。
 結果は目からうろこ。なんと、楽、面白い、速いの三拍子が揃っていたのだ。そもそもアルテシアは車体の基本ジメオトリがオフ車なので、サスペンションストロークが長くて乗り心地がいい。しかもSRX譲りのエンジン性能は、立ち上がりなどで後続を離すことなど容易い。サスペンションもよく動くから、コーナー時のトラクションを確認しやすく、安心してバンクできるのだ。

 ちなみに、2007年にヤマハから発売になったWR250Xは、モタードというジャンルを確立し、まさに操って楽しいバイクの最右翼。250ccというキャパではあるが、躍動感あふれるエンジンパフォーマンスは、ツーリングユースでも十分な満足を得られるだろう。