「山歩き」カテゴリーアーカイブ

晩秋の刈寄山

 思った以上に微熱騒動が長引き、十月は一度も山へ行けなかった。年間でもベストなシーズンだけあって、森を歩きたい欲求はピークに達していた。

 十一月二十四日(月)。刈寄山の山中は晩秋色濃く、落ち葉を踏む音には季節を感じられた。
 両手を広げて大きく深呼吸をすると、冷っとした空気が鼻腔に流れ込み気も引き締まる。ただ、一か月ほど前から右膝の痛みがぶり返していたので、庇いながらの山歩きではあった。特に下る際には気を付けないと、顔をしかめるほどズキッとくる。どうせ病院で診てもらっても、
「レントゲンでは異常は見られませんね」
 で、終わりそうだから、引き続き毎日のウォーキングやジョギングで、膝回りの筋肉が落ちないよう精進したい。

 山と言えば、昨今熊問題が大きくクローズアップされている。特に今年は人身被害や死者数が過去最多となり、もはや登山者の留意事項を通り越して、社会問題へと拡大した。
 さて、ここからは私の持論になるので、参考程度に流し読みして欲しい。

 熊が人を襲うには理由があると思う。昔からよくある事例は、
 ・登山道での出会いがしら。びっくりした熊が襲い掛かってくる。
 ・子熊にちょっかいを出す。子供が危険にさらされていると勘違いした親熊が襲い掛かってくる。
 以上が主なもので、対策としては、熊鈴、ラジオなどの音で人の存在を察知させる。野生動物には手を出さない等々で、殆ど事故を回避できた。
 山中にいる熊は恐らく正常な生活を営んでいると思われる。よってわざわざ人を襲う理由はない筈。例外としては、普段の生活エリアに餌が乏しいため、他のエリアまで移動してきたとすると、気がたっていることもあり得る。
 一方、ニュースで報じられている熊被害の殆どは、山中ではなく人里で発生している。餌がなく空腹になれば、人だってイラつくものだ。我慢ができなくなり、普段は踏み込まない人の臭いがぷんぷんするエリアへ入り込めば、空腹と緊張でイライラは頂点に達っする筈だ。そんな中で人に出くわせば、熊にとってはまったくもって目障り、邪魔であり、攻撃してくる可能性は非常に高いと思われる。

 登山中にクマに襲われる例は“0”ではないので、決して油断はできないが、熊の生態と心情を考えれば、必要以上に登山を避けるのはナンセンスのような気がする。むしろ道路を歩いていて、交通事故に巻き込まれる確率の方が高いかもしれない。
 熊事件が勃発する以前、いや、遥か昔から山中には多くの熊が生活しているのだ。

三ツ峠山

 外出が億劫になるほど、酷暑が長々と続く今年の夏。そのせいか山歩きからは久しく遠ざかっている。珍しく八月は一度も出かけなかった。それでも朝夕が若干涼しく感じられるようになると、行きたい病が疼き始める。

 ― 久々に山へ行くんだったら、やっぱり富士山を見たい。
 何度眺めても飽きないどころか、そのたびに「日本一!」と唸ってしまう富士山。一昨年はそれが高じて“大月市秀麗富嶽十二景”制覇にトライした。これまで登頂したのは十二景のうち六景と半分だが、さすがにどこの山頂からも美しい富士山に会うことができる。今回は敢えてここを外し、昔から富士山の眺めと言って最初に挙がる“三ツ峠山”に決定。日本二百名山にも選ばれているポピュラーな山なのに、いまだ足を踏み入れたことがなく、一度は押さえておこうと、九月十六日(火)に出掛けてみた。

 中央道の河口湖線からは、冠雪の全くない素の富士山をバッチリ拝めた。ところが御坂の旧道へ入ると、いきなり濃いガスが立ち込めてきた。まっ、登ってみなければわからんと、登山口駐車場にPOLOを停め、林道をゆっくりと歩き進んで行った。ところが標高が上がるにつれ、ガスは濃くなる一方である。
 一時間ちょっとで三ツ峠山荘へ到着。ベンチにザックを置き、ぐるり周囲を眺めるが、見えるのは左手にそびえる屏風岩のみ。ガスさえ立ち込めていなければ、斜め左に富士山が現れるはずだ。あきらめてここで休憩にした。
 山荘の周りをうろつくと、不動と思しきジープが四台(一台は修理中?)も放置されている。オーナーがマニアなのかなと訝るが、よく考えれば、登ってきた道は登山道ではなく林道。この山荘への物資運搬に使っているのだ。ただ、林道とは言え、えらく急な個所がいくつもあり、ジープの性能には詳しくないが、四駆をフルに駆使しても、かなりしんどいと思われる。ごっついタイヤにチェーンを装着しているのも、あながち冬場のことだけではないのだろう。
 景色は期待できなくても、ここまで来たのだから、三ツ峠山を形成する三つの山、開運山(ここを三ツ峠山と呼ぶことが多い。1,785m)、木無山(1,732m)、御巣鷹山(1,775目m)は回ってくるつもりだ。

 開運山で一服していると、途中で追い越した年配男性が上がってきた。
「おつかれさん」
「どうも、ずいぶん時間かかっちゃったな~」
 甲府にお住いのご主人は、定年退職後の運動不足対策として登山を始めたとのこと。
「家にいたってなにもすることないしね」
「ですね。なにもしないとメタボになっていいことないですよ」
 年齢は聞かなかったが、恐らく七十五前後だろう。
「以前は女房も一緒だったけど、山は疲れるからって、最近じゃひたすら単独です」
「自分も同じようなものです」
 暫し会話を楽しんだあと、ご主人は下山、私は御巣鷹山へと向かった。

 開運山からはものの十分で到着。山頂は電波塔の施設が占めていて、休むところも眺望もなし。フェンスに何か小さな看板がかかっていたので確認すると、“御巣鷹山”と記してある。
 ― なんだこりゃ?
 すぐに木無山へ向かう。

木無山へもすぐに到着したが、どこが頂上なのかわからない。相変わらず周囲はガスに覆われている。いちおう目の前には、ここが木無山との看板が立っているが…
 久々の消化不良な山行に溜息が出る。手前の広場にいくつかベンチがあったので、ここでランチにした。景色はなくとも腹は減る。
 おにぎりにかじりつきながら、お湯を沸かしてカップパスタに注ぐ。しばらくするとキノコクリームのいい香りが漂い始めた。何でもないおにぎりやカップパスタでも、山で食すればこの上ないご馳走になる。
「ん?」
 西側の登山道から人の声が聞こえてきた。間もなくして男性二人、女性二人の若い外国人グループが姿を現した。

「こんにちは」
「コニチハ」
 髪の長い女性はキュートで愛想がよかった。彼らも近くのベンチで休憩するようだ。それにしても昨今の日本、どこに行っても外国人を見かける。
 それから一分も経たないうちに、同じ道からこれまた若い外人の男性がトレラン姿で疾走してきた。目線が合うと、笑顔と共に「ドーモ♪」ときた。
 まだある。
 今度は山荘の方から、若い二人の外人女性が歩いてきた。二人とも背が高くスタイル抜群だが、その前にいで立ちに目を奪われる。上半身は水着にやや毛の生えたほどのブラ、下半身はボディーにピッタリの五分丈スパッツで、上下とも色は黒。山中だからまだいいものの、このまま河口湖に下山して街中を歩いたら、たまげる人も少なくないはず。浴衣を着たおっさんたちの舐めるような目線の餌食になること請け合いだ。
 おにぎり二個、カップパスタ、そしてアップルパイを平らげ、腹もくちくなったところで下山にした。

 行きも帰りも林道歩きオンリーってのは、登山らしさにやや欠けるが、本音を言えば楽。危なっかしい個所はないし、そもそも車が通るくらいだから傾斜も緩い。体力や脚力が落ちた下山時に、これほどありがたい環境はない。
 おっと、また外人だ。半袖短パンの若い男性が、これから頂上を目指すようである。
「こんにちは」
「こんにちは」
 日本語の発音がなかなか様になっている。観光客ではなさそうだ。
 するとその直後、
「ドーモ!」
 さきほどのトレランくんではないか。ちょうど目の前には、林道から分け入る登山道の入口だ。
「You,this way?」
 近づいてくると、いきなり話しかけてきた。
「No,looks dangerous」
「Oh!」
 彼、にやつきながら林道の方を駆け下りていった。
「気をつけろよ!」

 ガスが立ちこめなければ、絶景を堪能できたことだろう。頂上にはさほど苦労せずに立てるので、何かの機会にもう一度トライしてみるか。

野反湖と草津温泉

 早朝五時にPOLOのエンジンをかけた。パネルへ目をやるとうんざり。外気温計がすでに28.5℃を示している。愛すべき日本の夏はどこへ行ったのか。
 今回の目的は、野反湖畔に咲き誇るノゾリキスゲ(ニッコウキスゲの地域名)を愛でつつ、トレッキングも楽しみ、さらに下山後は草津温泉の湯畑でシャッターを切りまくること。

 群馬県中之条にある野反湖は、標高1500mにたたずむ天空の湖。ノゾリキスゲは湖の南端、富士見峠を中心に群生している。咲き乱れる鮮やかな橙黄色を楽しんだ後は、弁天山を経由して標高1,744mのエビ山に登り、キャンプ場へ下山したら、湖畔東側コースでゴールへ戻るというもの。つまり野反湖一周だ。
 それにしてもこの涼しさは宝物級。時折雲の切れ間から降りそそぐ陽光は強く、ジリジリと肌を焼くが、それでも気温が26℃しかないので、実に爽やかだ。弁天山への上りにかかってもまったく苦を感じるどころか、周囲はノゾリキスゲの他、さまざまな植物が開花していて、去年の夏に歩いた花の山・平標山の尾根道のようだ。ただ、登山道は背丈ほどもある笹薮で終始し、歩きやすいとは言い難く、おまけに鋭い棘のあるアザミがいたるところに待ち構えているから油断ができない。もし半袖短パンで歩いていたら、腕には無数のかすり傷、脛は血だらけになったこと間違いなし。
 小さなアップダウンを繰り返し、徐々に標高を上げていくと、野反湖が見え始める。
「こんにちは」
 70代後半と思しき小柄な男性が下ってきた。赤銅色の肌は山慣れを誇っているかのようだ。
「この先は滑るから気をつけてください」
「ありがとうございます。慎重に行きます」
 笹薮はたっぷりと雨を含んでいるので、すでにズボンはけっこう濡れている。ただ、登山道はそれほど気になるほどでもないが…
 ところが十分ほど進むと、注意喚起の意味が分かった。急坂が待ち構えていて、おまけに登山道には土が顔を出し、踏みどころを間違えるとズルっとくる。しかもこの急坂、けっこうしんどい。瞬く間に汗が噴き出してきた。息を整えつつ、水分補給をしつつの登りが続いた。
 上方に人の気配を感じて顔を向けると、トレラン姿の若い男性だ。
「こんちわ。 頂上はもうすぐですよ」
「どうも」
 笑顔に白い歯がまぶしい。しかしトレランとは言えども、この下りは慎重にならざるを得ないだろう。  
 平らなエビ山の頂上へ出ると、暫しの一服。東側の山並みには広くガスが張っていて見通しがあまりきかない。あんぱんとポカリがやたらと美味い。

 キャンプ場への下りではさらに笹薮の勢いが増し、足元などほとんど見えない。こんな時は躓きに注意だ。思わぬ怪我をする。
 炊事場の脇を通り抜けるとテントサイトに出た。開放感、景色と、言うことなし。ここだったら一度くらいは利用したいもの。入り江のようなところに小さな橋が架かっていたので渡ってみると、水面が近くなり、湖水の透明度がかなり高いことがうかがえた。はす向かいの岩場では男性が釣竿を振っている。ここはニジマスとイワナの交配種である“ハコスチ”が釣れることで人気があるようだ。
 ダムを渡り、管理棟を左手にしながらそのまま車道をすすみ、十分ほどすると湖畔に降りるハイキングロードの入口が見えた。この辺まで来ると、さすがに疲れが出てきた。スタートからすでに五時間近くが経過している。
 ゴールが近づいてくると、丘の上にある富士見峠の休憩舎が見え始め、周囲は再びノゾリキスゲの群生地となった。

 今回はせっかく野反湖まで行くので、おおよそ三十年ぶりとなる草津温泉に宿を取っていた。いつものように素泊まりである。
「予約してある木代ですが」
「今日はハイキングだったんですか」
 なりで分かったようだ。
「野反湖をぐるっと」
「それじゃすぐに温泉入ってください。うちのは自慢なんで」
 私と同年配ほどの女将。笑顔溢れる優しい表情は、長年の接客業で培われたものだろう。
「ありがたいですね~」
 さっそく浴衣に着替えて浴場へ行ってみると、草津温泉ならではの硫化水素の匂いに満ち溢れていた。好き嫌いはあるかもしれないが、いかにも温泉といった匂いは旅情を掻き立てるものだ。誰もいなかったので、のびのびと体を洗い湯船へ。熱めの湯だったが、少しずつ慣らして首まで浸かる。いやはや、気持ちがいい。この程度の山行なら、ちょっと前までは日帰りだったが、この頃ではゆとりや余裕を重視するようになり、登山で出かけた土地の何がしかも、一緒に感じてみたいという気持ちが高まってきている。
 一時間ほどの仮眠を取ってから、湯畑に向かった。


 坂を下り、左へ折れて西の河原通りに入る。軒を重ねる旅館と土産物屋。さすが日本三名泉に数えられるだけのことはある。人通りが多くなってくると間もなく湯畑に到着。ホテルから十分ほどか。
 ここもインバウンドの波が押し寄せている。そぞろ歩く外国人観光客は、ぱっと見ても二十人以上。観光庁なるものを設立し、観光立国を目指した結果が表れている。
 五時半だと陽は落ち切ってないので、ライトアップはまだのようだ。今回は湯畑の撮影を楽しみに、RX100Ⅲのほかにα6500も用意した。
 さて、その前にビールで喉を潤わそうと、店探しをスタート。さすが一級観光地だけあって、湯畑のぐるりは、平日でも閉まっている飲食店はないようだ。とある居酒屋の前を通ると、店内が見渡せ、カウンター席が空いていたので入ってみた。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか」
 案の定、カウンター席をすすめられた。元気があって笑顔もいい。
「とりあえず生ください」
「大きさはどうしましょう」
「大生で」
 肴には牛筋の煮込みを注文した。
 道に面した焼き場には窓はなく、裏口もオープン。天然の風が入り込むのでエアコンは使ってない。ちょっと汗ばむレベルだが、それがいい。
 煮込みは出汁が何とも深い味わいで、それを吸い込んだ豆腐がGoo。味は濃いめではないが、ビールがどんどん進んだ。
「おかわりください、地ビールで!」
 このあと客が立て続けに入り、テーブル席の半分が埋まって賑やかになる。温泉場だけあり、浴衣姿の女性客が多く、とってもいい雰囲気。ついつい目が吸い寄せられ、酔っぱらいの己を戒める。

◇ 草津温泉 居酒屋キッチン笑りぃ

 微酔でシャッターを切りまくる楽しさったらありゃしない。湯畑は完璧にライトアップされ、見物客もかなり増えている。疲れも酔いも回ってきたところで、明日の朝食分をセブンで買い込み、ホテルへと踵を返した。ちょっと名残惜しいと感じるほど、界隈は被写体に満ち溢れていた。
 と、その時。ぽつり…
 こいつは早く戻らねばと歩を速めたが、群馬の夕立は待ってくれなかった。直後、滝のような大雨となったのだ。カメラをコンビニ袋へ入れて、きつく口を結ぶ。しかしこれだけ強い雨になると諦めもつく。全身ずぶ濡れも時と場合によっては悪くない。ホテルへ戻って温泉へ直行。ちょっとだけ冷えた体に草津の湯が染み入るようだ。
 酔いが回っていたこともあるが、エアコンはかけずに、網戸から流れてくる雨音と外気を感じつつ、ぐっすりと眠ることができた。

◇ 草津温泉 ルーバン山田

赤城山・ツツジ

 間違いなく週明けには梅雨入り宣言が出るだろうから、その前に一本行ってこようと、週間天気予報とにらめっこをした末、ツツジの最盛期を迎えた赤城山系をチョイス。どうせなら盛りだくさんなルートにしようと、まずは大沼から地蔵岳(1674m)へ登り、小沼に下山したら長七郎山(1579m)へ登り返す。その後は“小さな尾瀬”と呼ばれる覚満淵を散策。我ながら思う、実に楽しそうだ。

 六月六日(金)。またしても古いカ―ナビにやられた。関越道を使って大沼の駐車場までへ行くには、赤城ICで降りるのが最短なのに、なぜか一つ手前の前橋ICで降ろと言ってきた。一度はナビを無視しようと思ったが、何かしらの要因があるのではと、そのまま従うことにした。ところがだ、距離が増えることはある程度諦めるとしても、前橋の市街地を通過するのに時間を食い、結局到着が予定より三十分近く遅くなってしまったのだ。確認のためGoogleマップで検索すると、やはり赤城IC経由と出た。これから遠出の機会も増えると思うので、このタイミングで新しいナビに買い替えるのも一案かもしれない。

 大洞駐車場の目の前にある登山口からは、初っ端から急登が始まった。この区間は山地図にも“崩落が進み歩きにくい”と記してあったが、それに加えて、前日に降った雨により非常に足元が滑りやすく、結構な緊張を強いられた。頂上手前ですでに上半身は汗でずぶ濡れだ。それでも途中で見ることのできるツツジの群落は、一瞬でも疲れを忘れさせてくれた。このツツジ満開の情報は広く知れ渡っているのだろう、平日なのに驚くほど多くの登山者をあちこちで見かける。六十代から七十代と思しき夫婦連れがそのほとんど。
 地蔵岳の頂上で休憩を取ったあとは、小沼へと下った。
 湖畔も見事なツツジの群落になっていて、登山者に混ざって一般観光の人達も多く目にする。水門からは右に折れ、長七郎山を目指した。

 長七郎山の標高は一応1579mあるが、小沼がすでに1470mに位置するので、標高差は100mほどしかなく、ハイキング気分で登頂できた。残念だったのは、途中から急にガスが出てきて、頂上からの眺望はまるできかず、あきらめてスルー。最後のチェックポイントである覚満淵へ向かった。

 小さな尾瀬とはよく言ったもので、一周できる木道と、よく管理された湿原は撮影ポイントの宝庫と言っていい。もっと早い時期ならばミズバショウを楽しめただろう。ただ、県道七十号線沿いに大駐車場付きというシチュエーションなため、やや観光擦れしているきらいは否めない。

 長七郎山を下山する頃から、やたらと腹が鳴ってきた。
 午後一時前にはスタート地点へ戻れる山行計画だったので、用意するのは行動食のみにし、ランチは湖畔の食堂で地のものでも食そうかと考えたのだ。
 駐車場のトイレで顔を洗ってから、営業中の店が数件かたまっているボート乗り場へ行ってみた。どこへ入ろうかなと物色すると、
「おにいさん! 試食の佃煮食べてって!」
 やたらに元気のいい声が飛んできた。見れば五十代後半ほどのお姉さん。
「これおいしいですよ。食事もできますから」
 “おにいさん”の一声に釣られ、ここに決定。
「それじゃ、この“冷やしおっきりこみ”にしようかな」
「はい、ありがとうございます」
 おっきりこみとは群馬の郷土料理。食するのは初めてであるが、いわゆる山梨の“ほうとう”のようなものだ。それにしてもお姉さん、せわしなく動き、せわしなく観光客へ声をかけている。
「食べてみて」
 佃煮が小皿にのっている。
「これね、きくらげとこんにゃくを甘辛く味付けしてあるの」
 ちょっとつまんでみると、ほう、なかなかいける。
「ご飯が止まらなくなるから」
 ほんと、そうかもしれない。ただ、肝心の料理がなかなか運ばれてこない。何しろさっきから腹が鳴っているのだ。十五分はかかっただろうか、
「おそくなってすみません!」
 目の前におかれたおっきりこみには、色々なものがのっていた。天ぷら四種、とろろ、きんぴら、山菜等々、賑やかである。どれを口へ運んでもけっこうイケるし、主役のおっきりこみはコシがあって、しかも冷たい汁とうまく絡みあい、ぐんぐんと箸が進む。あっという間に完食。お茶で一息入れた後、伝票を持ってレジへ行くと、
「料理遅くてほんとごめんなさいね。これ、あとで食べてください」
 小さな紙袋に、熱々のまんじゅうがひとつ入っている。
「そんな待ってないのに、悪いよ」
「いいからいいから、また来てください」
 憎めないお姉さんだ。
「じゃあ、さっきの佃煮、一つください」
「ありがとうございます!」
 登山はもちろんのこと、赤城を楽しめた一日になった。

大尽山・霊場恐山

 五月十一日(日)から三泊四日の日程で行ってきたのは、下北半島の恐山。十五年前に津軽半島の竜飛崎を訪れたとき、陸奥湾を経た対面にある下北半島にも大いに興味をそそられたが、日程の関係でそこまで回る時間的余裕がなく、いつかはゆっくりと訪れたいと思っていた。
 白い砂浜に風車、神秘的な宇曽利湖とその背後に鎮座するようにたたずむ大尽山と、これほど霊場感満点なところは他に見当たらないないし、なにより本州最北端の地というSituationは旅心を誘った。

 今回は意を決してPOLOで出かけた。自宅からむつ市内にあるホテルまで、距離にして770km、所要時間は十時間半。これほど長い時間にわたり車を運転し続けたのは人生初である。最も痺れたのは、延々と続いた自動車専用道がやっと終わり、一般道へ出て最初の交差点へ入ったとき、“むつ市まで105km”の看板が目に留まったのだ。とどめを刺された思いである。いくら田舎の道といえども、ここからさらに一般道で100km近くを走るのは辛すぎた。まっ、これについては実になさけない理由が影響した。POLOに搭載されたナビ情報が古く、新設された自動車道である天間林道路に乗れなかったため、太平洋側のR338をひたすら走ることになり、大幅に時間を食ってしまったのだ。やはり未知の地ではGoogle mapの併用が必要かもしれない。とほほ…..

 まずはシャワーで気分転換後、あまりにも疲れたのでちょっとひと眠り。目覚めると、町へ繰り出すにはちょうどいい頃合いである。腹も減ったし、適当な居酒屋か食事処でもないかとでかけてみた。
 さすがに最果ての町である、チェーン系の居酒屋やファミレス等々はいっさい見当たらず、反面、田舎にありがちなスナックやBARが驚くほど乱立している。ところが見まわしても営業しているのは二割にも満たない。日曜なので定休日ということもあるだろうが、とにかく寂れたムードは否めない。数少ない営業中の店から、“居酒屋・遊”の暖簾をくぐってみた。


「いらっしゃいませ」
 正面は四脚あるカウンター席。右端には常連客と思しき年配男性が腰を据えていたので、左端の席についた。店員はママひとりのようだ。居酒屋とはうたっているものの、店内はずばりスナック。生ビールをたのんだ後、手作り風のメニューを開くと、やはり普通の居酒屋にありがちな品はほとんどない。
「ソーセージの盛り合わせをください」
 当たりはずれのないところをチョイス。この後、右端の客の仲間が二人やってきて、隣は大いに盛り上がる。雰囲気のいいママと予想を裏切るソーセージのうまさで、ビールをお代わり。気がつけば一時間近く長居をしてしまった。
 ホテルに戻ってユニットバスに身を沈めると、途端に眠気が襲ってくる。髪の毛も乾かさずにベッドに横になると、そのまま爆睡。朝はあっという間にやってきた。

 7時30分。宇曽利湖湖畔の空き地に到着するが、車も人影もなし。ここにPOLOを置いて行っていいものか、悩みながら出発準備を進める。気温は12℃とやや肌寒いので、ひとまずウィンドブレーカーを着込んだ。
 登山口へとつながる湖畔の道はミズバショウの大群生地。ブナの緑と相まって、すばらしいプロムナードを作り上げている。ここを歩くだけでも来たかいがあるというもの。そして無数の小さな沢が道を横切り湖へと注いでいるところから、森の貯水量の豊かさが想像できる。
 一時間ほどで道は登山道へと代わり、少しづつ標高を上げていく。すぐに体が火照り始め、ウィンドブレーカーはここでお役目終了。少々疲れがたまってきたが、原生林のすばらしさに見入れば足取りも軽い。
 T字路に突き当たると、左方向“大尽山”と示す小さな看板があった。そしてここから先が頂上直下になり、急登が待っていたのだ。どこの山へ登っても頂上間近から急登となり、最後は歯を食いしばることになるが、ここは急坂にプラスして登山道に雪が残っていた。慎重に進んでいくと、お次はロープ場である。変化に富んでいて飽きさせないが、大腿筋と右膝はすでに悲鳴寸前である。
 最後のひと踏ん張りで頂上へ出ると、360度の絶景が疲れを忘れさせた。大きな岩があり、そこへ立つと宇曽利湖及び恐山が見渡せ、ずいぶんと長い道のりを上がってきたもんだと、感心してしまう。天気が良ければ、津軽半島、はたまた北海道まで見渡せたはずだ。
 
 POLOまでもう少しのところから雨が降り出した。車内で小降りになるまで三十分ほど待機、その後はお目当てだった恐山に向かった。
 入山料700円を支払い、順路に沿って歩を進める。溶岩帯を超えると、漂う強い硫化水素の臭いと湖畔の白い砂浜が、異次元世界へと誘ってくる。恐山はその昔、慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)が開いたとされるが、一帯は霊場という場所にふさわしい無二無三の雰囲気を醸し出している故に、おそらく“彼”も圧倒されてニンマリしたに違いない。

 疲れた体で一気に東京まで帰るのは、安全運転的にやや問題がありそうなので、途中、気仙沼に宿を取ることにした。せっかく寄るのだから、プチ観光として、日本一のツツジの群生地として知られる、標高711mの“徳仙丈山”へ出かけてみた。山とは言っても、群生地まで車で行けるので、体力云々は心配ご無用だ。ただ、残念なことに開花が遅れていて、見回せばまだほとんどがつぼみ。しかしこれでも景色として十分耐えられるレベルなので、開花のあかつきには、とんでもない光景が広がることだろう。残念だ。

 せっかく悠々自適な毎日を送れる立場にいるのだから、旅を楽しみながら見聞を広げていこうと、まずは“広島・桜巡り”からスタートしたが、実際にその土地に立ったうえで歴史や文化を考えてみると、当たり前かもしれないが、リアリティに格段の違いを感じる。
 原爆ドームのわきに立ち、破壊された細部を仰ぎ見れば、これまで感じたこともない重い感情が胸に広がった。
 気仙沼の街を車で流していると、いたるところに【過去の津波浸水区間ここまで】と書かれた看板を目にするが、岩井崎に到着して何気に“龍の松”を眺めていると、楽しそうに犬を連れて散歩をしている人の背後にも、想像を絶する歴史が張り付いているのではと、ついつい想像してしまう。
 動ける範囲内でこれからも様々な土地へと赴き、そこでしか得られないリアリティを、ゆっくりと時間をかけて味わえれば幸いである。

四日間の総走行距離:1,673km