若い頃・デニーズ時代 41

仕事帰りに“現場”へ立ち寄ってみた。
少々遠回りだったが、裏道は良く分からないので、素直に小金井街道で甲州街道まで進み、そこから西へ向きを変えて、立川方面を目指した。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯に当たり、甲州街道では随所で渋滞が発生、結局到着までに一時間弱ほどかかってしまった。
但、日野橋に近づくとしっかりサインポールが見えてきたので、迷わず駐車場へ車を入れることができた。上々なキャッチアイ効果である。
さっそく車から降りて、窓越しに店内を覗いてみる。
職人さん二人がまだ作業を行っていたが、内装は殆どできあがっていた。こうして現場を目の当たりにすると、自分の店なのだという現実も湧いてくるが、同時に自信のなさか、少々気も重くなってくる。しかし、常に梅本UMの残り香を感じつつの東久留米店勤務に対して、ピュア木代に染め上げることができるこの新店には、更にやりがいのある職場環境を作り上げられる希望があるのだ。

立川錦町店が建ったのは、現在東京日産がある場所である。日野橋交差点手前50mという立地はやはり交通量の影響を大きく受け、交差点側からの右折侵入や、店から右折して東方面へ出るのは、深夜か早朝のような交通量が少なくなる時間帯でなければ難しい。しかしどのような条件下であろうとも、店舗開発部と営業本部が手掛けた新店なので、我々現場スタッフは与えられた目標を達成するために尽力しなければならない。

開店への進捗状況は適時私のもとへ入ってきていた。肝心要の新規アルバイト面接はまずまずの成果らしく、職種の偏りもなく順調に採用が進んでいるとのことだ。
面接にはつい最近まで初の女性UMとして活躍していた人事部の三角冴子さんが責任者として当たってくれていた。彼女は同時にオープニングクルーとして、MDの教育も行う予定である。これは心強くありがたい。
彼女の指導方法が非常に分かりやすく丁寧なのは、社内の誰もが認めるところだろう。オープンに際しては近隣の店から若干名のスタッフが応援に来てくれるが、大凡その期間は三日から長くても二週間なので、その間に自力で店を回せるよう、開店前の十二分なトレーニングが重要になる。

そしてオープニングメンバーの発表があると、新店騒動は一気に現実味を帯びてきた。
右腕となるマネージャー職には、多摩地区での経験が長い佐々岡AMと、新人だが元気いっぱいの藍田UMITが付いた。店の成功は、彼らとうまくやっていけるかどうかで決まるので、特に円滑なコミュニケーションは欠かせない。
店舗の引き渡しが終わり、完全に東久留米店を離れた私は、二人のマネージャーと共に多量に運ばれてくるノーイング整理に忙殺されていた。
プレート、シルバー、カップ、グラス、ユニフォーム、ペーパー類、洗剤等々をカウントし、スケジュール表に記載されている数量と照らし合わせたら、それを順次既定の場所へセットしていくのだ。
LCとなった水上も古巣を離れ、昨日からキッチンを中心に孤軍奮闘である。

「マネージャー、坊屋と酒口はいつからくるんですか」
「今日の午後のはずだから、もうちょい1人で頑張れよ」

二人のクックは共に川崎地区から異動となった中間社員。
キッチンのセットアップはクックとして浦和太田窪店で経験しているが、各機器の適正温度チェックから始まって、グリル板磨き、ウォークイン、リーチインの食材並べと、やることは山ほどある。手助けが欲しいのは重々分かる。
オープンまで残すところ十日間。ここからが一番の山だ。
と、その時、

「おはようございま~す」

よく通る女性の声だ。
フロントへ目をやると、三角冴子さんのご登場である。
身長165cm、モデル並みのスタイルで颯爽と歩けば実に絵になる。
見ればその後ろに、若い女性が3人ついてきていた。

「今回はよろしくお願いします」
「こちらこそ。それより先日は色々とありがとうございました」

実は三角さん、ついこの間まで小金井北店のUMをやっていたのだが、UMは初めての経験だったので、それなりの悩みや問題を抱えていたのだと思う。そんな中、我々は同じ時期に昇格した者同士で、しかも勤務店が近隣だったから、互いに話しやすく、ストレス解消とばかりに日常の疑問をぶつけあい大いに盛り上がっていたのだ。

「とんでもない。僕は“女性視点”の話がずいぶんと参考になりましたよ。ところで、これからトレーニングですか?」
「そう、今日は美女三人、よろしくお願いします」

まんざら社交辞令ともいえない美女三人発言。見れば皆なかなかの容姿である。面接会場の手伝いをしていた藍田UMITが事あるごとに<今度の店はかわいい子が多いですよ!>と少々興奮気味だったが、あれも誇張ではなさそうだ。
しかし、笑顔のいい子や器量のいい子の力は絶大である。
彼女達がそこにいるだけで店の雰囲気が明るくなり、常連さんは増加、且つ固定化が図れる。更に社員のモチベーションも高まってくるのだから、その効果たるや凄まじい。

「店長の木代です。力を合わせて頑張りましょう」
「よろしくお願いします!」

男という動物は呆れるほど単純だ。
器量良しが大勢入ってくると、俄然やる気がアップする。もちろん開店への不安は消えないが、そのやる気は不安を上回る勢いなのだ。

「店長…」

突如、藍田が体を摺り寄せてきた。

「なんだよ」
「あの背の高い子、かわいいと思いません?」

確かに目を引く子だが、他の二人も決して負けていない。
しかし、男どもがこれほどまでに浮き立つということは、今後の監視体制も強化する必要がある。男女問題はこうした職場にありがちな慢性病であり、放っておくと大問題にも発展する厄介な火種になりうるのだ。

「どうでもいいから、三角さんと一緒にロッカールームへ行って、彼女達のユニフォームの手当をしろ」
「ました!」

UMIT昇格と同時に新店勤務、そこへかわいこちゃんがわんさか集まれば、ウキウキ気分は隠し切れないだろう。
しかし適度に締めていかなければ、羽目を外すことになりかねない。

「おはようございます!!」

今度は元気な男性の声が飛んできた。坊屋と酒口だろう。
彼らとは今日が初対面なので、作業の前に軽い打合せを行う必要がある。

「おはよう。着替える前に3ステで話をしよう」

二人ともクック歴は2年目を迎える中堅どころで、今田DMの話によれば、新店こそ初めてだがよく動くファイトマンとのことだ。
それにしても、すらっと背の高い方、坊屋は鼻筋が通ったハンサムボーイである。うちでクックをやるよりどこかのホストクラブで働けばナンバーワン間違いなしだろう。
しかし、女性にとって彼の整いすぎた容姿はいかがなものか。何気に嫌な予感がしてきた。


「若い頃・デニーズ時代 41」への4件のフィードバック

  1. デニーズ現役店長(97年入社)です。
    おもしろくて一気に読みました。
    早く続きが読みたいです。

  2. 現役店長からお便りをいただけるとは嬉しいです☆
    私が店で飛び回っていたのは既に30数年前。それから店舗運営システムは大きく進歩したかと思いますが、当時はライバルのすかいらーくやロイヤルホストと比べて一歩抜きんでたところが自慢でした。
    これからもナンバー1ファミレスを背負って頑張ってください!
    三島北店と吉祥寺北町店には時々お邪魔しています。

    1. 自分は入社以来千葉・茨城ばかりの勤務です。
      現在は市原です。

      1. 現役の頃、千葉は神奈川と並んで関東一の激戦区でした。
        トップ3はもちろんのこと、リンガーハットや“さと”等々、様々な店がしのぎを削っていたようです。
        懐かしいなぁ~~

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