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バイク屋時代 16 Vespa 1

 Vespa(ベスパ)というバイクをご存じだろうか。1953年公開の映画“ローマの休日”では、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックがベスパに乗ってローマの町を駆け抜け、そのシーンが話題となった。

 1979年に公開された映画“さらば青春の光”では、モッズスタイルの若者の象徴的な乗り物として強烈にアピール。そう、ベスパはイタリア生まれの“元祖スクーター”なのだ。
 ちなみに工場長の吉本くん、この映画“さらば青春の光”にかなり影響を受けたと思われる。

 社長に呼ばれたので仕事帰りに三鷹店へ寄ると、前置きなしに「吉祥寺店でベスパの取り扱いを始めようと思ってね」との一声。詳しく聞くと、なにやら吉本くんの押しの一手に社長が屈したようなのだ。店長である俺をスルーしての話なので、ちょっとカチンときたが、うちの会社はとにかく組織運営が希薄な社風なので、似たようなことには屡々遭遇する。ただ、どのような経緯があったにせよ、一従業員の趣味的な要望をビジネスとして受け入れたことは驚きだ。

 ベスパの取り扱いを始めるにあたり、目玉商品としてビンテージ車両を店頭へ並べることも決まっていた。そのために素性の知れない輸入業者から決して安価とはいいがたい、スタンダード、GS等々の人気ビンテージ車両を仕入れるとのこと。支払いはすでに済んでいるようだが、これが悪徳業者だったらどうするのか。これも社長得意の「スタッフの自主性を重んじた」ということだろうが、間違いなくリスクは大きい。
 一方、新車の仕入れ先になる銀座の成川商会とは、具体的な取引方法の打ち合わせを吉祥寺店で行った。

「はじめまして、成川商会の塚田です」
 40代後半と思しき担当営業マンの塚田さんは、親しみやすい笑顔が印象的だった。車体、部品、オプション品のマージンとそれぞれの発注方法、最後に車体クレーム時の対応等々の説明が順序よく行われた。
「ギャルソンさんのような販売力のある会社に扱ってもらえて、ほんと、期待してます」
 揉み手である。
「いやいや、流行にちょっと乗ってみようかなってね」
「またまたぁ~、実力が他とは違います」
「まあ、うちだけの売り方ってのも考えてますけど」
「えっ? それはどのような」
「企業秘密」
 成川商会を介して売ることになったベスパは、本国イタリアではとうの昔に発売終了となっているベスピーノというビンテージモデルが中心になる。なんとベスピーノは日本市場だけのために継続生産するというのだ。現行モデルはモダンなスタイルで、残念ながら日本国内での注目度は低い。


 ベスピーノは、映画“さらば青春の光”に出てくるビンテージベスパのディテールを承継する、いわゆる古き良き時代のデザイン。エンジンは2サイクルだが、給油の際、入れたガソリンの量に合わせて、その都度2サイクルオイルをガソリンタンクへ注ぎ入れる混合ガソリンタイプになる。日本国内の製品でこの方法を使っているのは、モトクロッサーなどの“コンペティションモデル”のみ。ホンダ・Dioやヤマハ・JOGなど一般的なスクーターを始め、市販2サイクルモデルは全て2サイクルオイルタンクを持つオートループタイプで、エンジンシステムが自動的にガソリンと2サイクルオイルを混ぜてくれるのだ。
「じゃ、とりあえず、50S、100、ET3を各一台ずつ入れますよ」
「ありがとうございます!」
 モデル名称の通り、50Sは50cc、100は100cc、そしてET3は125ccという排気量になる。
 塚田さんに豪語した“うちだけの売り方”。これに関しては、ベスパを十二分に研究していた吉本くんが秘策を持っていた。
 ベスピーノの発売は1960年代と非常に古く、設計はまさに前時代的なもの。それを日本からのオーダーにより、再び当時の仕様そのままで製造する。当然期待できる需要が見込まれたからこそ発生したプロジェクトであり、渋谷を中心に広まったモッズブームの影響はそれだけ大きかったと言えよう。その波は吉祥寺の町にも押し寄せ、“さらば青春の光”から飛び出てきたようなモッズパーカーを羽織り、首にはハルシオンのゴーグルを提げている若者達をあちこちで見かけるようになった。
 このブームに便乗し大きく飛躍したのがホノラリー(Honorary)と称するベスパ専門ショップ。噂によればその昔、渋谷のモッズ族にホノラリーというグループがあって、そこのメンバーがベスパビジネスを起業しようと、グループ名と同名のショップを立ち上げたらしいのだ。いずれにしても、<ベスパ=ホノラリー>という公式ができあがるほど東京界隈では有名になっていたので、後発となる我々モト・ギャルソンとしては当然“策”は必須だった。
 吉本くん考案の秘策とは、ベスパの前時代的な設計からくる数々の使いにくさやトラブルを全て改良し、誰でも安心して乗れるベスパを標榜するというもの。
 ベスピーノの主な問題点は以下である。
1. クラッチならびにシフトの操作が重く渋く、どちらもワイヤーが切れやすい。
2. ブレーキが甘い。
3. エンジンカバーが走行中に脱落する。
 以上を改良し、出来上がった車体を“モト・ギャルソンコンプリートベスパ”と称し、販売価格は新車価格に30,000円を上乗せする。
 そもそもベスパのワイヤー類は、現行他車に使われているものとは比較できないほどの低品質。鉄製でしなやかさがなく、また錆びやすいので、アウターとの抵抗が生じ、重いとか渋いとか、数々の問題が出てくるのだ。これを国産モトクロッサーに採用されているステンレス製をベスパの寸法に合わせて作ってもらい、交換&調整することにより数段滑らかな操作性を得るというもの。
 ワイヤーの試作品が納品されたので、さっそく組み付け操作してみると、驚いたことに別物へと変貌した。
「これ、全然違うね」
「でしょ」
 試乗すればさらに一目瞭然。とにかく操作系がスムーズ。まるで国産メーカーが作ったベスパ?のようである。軽く握れるクラッチ、前後に小気味よくカチッカチッと入るシフト、利かないブレーキもレバー&ペダルタッチが向上したためにコントロールが容易になった。この改良による“差”を多くのユーザーにアピールできれば、ホノラリーに対して一矢を報いることができるかもしれない。
 さっそく成川商会の塚田さんへその旨を伝えると、すごく興味を持ってくれ、
「すぐに広告掲載した方がいいですよ!」
と、逆にはっぱをかけられた。うちの雑誌広告を手掛けている広告代理店“アース企画”へは既にすでにその旨を伝えていて、打ち合わせのアポも取ってあった。
 この他、オリジナルワイヤーの正式発注や店内レイアウトの変更に追われ、あっという間にひと月が経とうとしていた。

「きたよビンテージが!」
 一刻も早くショールームに並べなきゃと、はやる気持ちを抑え、皆で木枠をトラックから降ろして開梱作業にかかった。
「おおっ、あんがいまともじゃん」
「これ、スタンダードだけど、まあまあオリジナルだね」
 配達された三台のコンディションはおおむね良好で、スタッフ一同胸をなでおろした。外国から仕入れるビンテージバイクなんてものは、博打以外の何物でもない。
「これだったらもっと欲しいな」
 ええっ?!、いいのかな、そんなに入れ込んで、、、
 実は、吉本くんのこの一言。余計だった。

バイク屋時代 15・RZ+TZR

 RZの車体にTZRのエンジンを載せる。そしてどうせ載せ替えるなら、足回りも強化してカスタムバイクを作っちゃおう!
 こんな大胆な話がオーナーである奥村くんを通り越し、吉祥寺のメカニック二人で盛り上がるという、ややおかしな展開になった。ちょっと心配になり、その旨を奥村くんへ伝えると、
「いいっすね!」
 と、あっけない。
 この後、渋る社長に頭を下げて、奥村くんのRZの件をなんとかクレーム対応で進めてくれるようお願いしたのは言うまでもない。

「ほーらやっぱり壊れたじゃない」
「すみません。 なんとかこの件、フォローをお願いしたいんですが」
 おでこをテーブルに擦り付けて得られた結果は、
 その壱:TZR250の事故車を奥村くんに8万円で買ってもらう。
 その弐:組み立ておよび加工工賃、並びに工材は全て会社負担。
 その参:この作業に費やする時間は1日1時間までとする。
 ただ奥村くん、さすがに8万円の負担には難色を見せたので、それではと、再度社長を訪ね、頭を下げてその旨を伝えると、
「しょーがないな、まったく……」
 嫌みはたっぷりと言われたが、なんとか5万円にまけてもらうことができた。
「あとはこじれないようにちゃんとやっておくこと、いいね」
「社長、あ、ありがとうございました」

吉祥寺店の面々

 RZ改造計画の概要は、事故車のTZRからエンジン、フロント並びにリアの足回りを取り外し、RZへ移植するというものだが、実際にやるとなるとこれが容易ではない。RZのフレームに移植パーツの“受け”を作る段からつまづき始め、作業は一向に進まない。なんとか装着できたとしても強度的にそのまま使うには無理がありそうなので、フレームの強化も行わなければならないだろう。
 フロントサスを取り付ける際に、あらためてRZとTZRのフロントフォークを見比べてみたのだが、
「RZのって、こんな細かったんだね。ガンマ50とあんま変わんないかも」
 250ccクラスにしては怖いほど貧弱である。
「TZRのつけてそのまんまフルブレーキしたら、フレーム曲がっちゃうじゃないの」
 同様なことはスイングアームの取付け部でも考えられたので、この二カ所についてはパイプを溶接して補強することにした。溶接は吉本くんが行うが、スイングアームのサスペンション取付け部だけは高度なアルミ溶接の技術が必要になる。幸いなことに、大杉くんの友人で名の知れたプロの溶接技術者がいたので、なんとか頼んで店まで来てもらい、さすが!と唸らせる作業を行ってもらったのだ。
 1週間がたち2週間がたちと、少しずつ形になっていく様ははたから見ていてもワクワクする。1か月を過ぎると前後サスペンションの取付けが完了し、次の大仕事であるエンジンの載せ替え作業にかかった。塗装業者へ依頼していた外装のオールペイントも、あと数日で発送できるとの連絡が入っていたので、完成は予定よりだいぶ早くなりそうだ。外装デザインは奥村くんのリクエストで、イエローをベースにストロボグラフィックを入れたU.S.ヤマハのチームカラーである。
「フレームの補強はどれくらいやればいいのかな」
「こればっかりは乗って様子見ないとわからないんじゃないですか」
 二人のメカが雁首揃えて溶接個所を見つめている。
「やりすぎてもだめっていうじゃない」
「まあね」

 週明けの月曜日。待ちわびた外装が届いた。まずはガソリンタンクを取り出し仕上がりをチェックすると、文句のない出来だ。プロの仕事はやはり違う。
「いいじゃないですか」
「取付だけやっちゃおう」
 社長との約束で、作業時間は1日1時間と決められている。とりあえずタンクと外装の取付とフューエルラインの結線だけを済ませ、あとは終業後に行うことにした。
「奥村くん、これ見たらびっくりするだろうな」
「絶体よろこんでくれるよ」
 この日の閉店間際、たまたま奥村くんがやってきて、うれしいことに我々の想像を上回る感激様を見せてくれた。エンジンを始動、これから最終確認である試乗を行うのだ。
「奥村くん乗ってくれば」
「いやいやいや、大杉さんお願いしますよぉ」
 即座にヘルメットをかぶった大杉くん、やる気満々である。
 軽く三回ブリッピングすると、RZ改は猛烈な排気煙を吐き出しながら走り出した。約十五分後、無事に戻ってくると、
「まあまあだな。加速もいいしブレーキも安定してるけど、サスの動きがちょっと悪いかも」
 心配顔の奥村くん、
「どんなかんじ?」
「倒しこみが重いんだよ。セッティングやっていけば良くなると思うけど」
 試行錯誤の連続だったおおよそ3か月間の作業を経て、一応だが予想を超えるナイスな1台を完成させたのだ。写真を残していればぜひ公開したいところだが、なんといっても35年前の話、まだデジタルカメラなどが出現する前の時代である。ただ、完成車に大満足だった我々は、だめもとで雑誌社に事の顛末を伝えると、快く取材に応じてくれ、なんと翌月のCYCLE WORLD誌にカラー見開きで掲載されたのだ。この一件で奥村くんのRZ改は巷でちょっとした“有名車”になった。 
 ある日、仲間と数台で東伊豆方面へツーリングした時のことだ。
 東伊豆の伊東港近くの路肩に停めて一服していたら、背後から白バイが近づいてきて最後尾に停車した。
 やべ!!ここ駐禁?!、みんな色めく。
「すみません。ちょっと見せてもらっていいですか」
「はい?」
 この白バイ隊員、CYCLE WORLDを読んで奥村くんのRZに興味津々となっていたのだ。驚いたことにその現車が目の前を走っていったので、思わず追尾したという。
 そもそもほとんどの白バイ隊員は、バイクが好きだから交通機動隊を志望するらしい。この辺は一般の警察官とはちょっと違う。
「写真で見るよりぜんぜんいいですねぇ~。あちこちで声をかけられるでしょう」
「そ、そうですね、いいんだか悪いんだか、、、」
「はは、おじゃましました。気をつけて!」

 一躍有名になったRZ。仕上げ作業に関しては、相変わらず足回りの詰めがうまく進まず難航したが、エンジンは快調そのもので、奥村くんも大いに満足してくれた。吉本さんはスイングアームピボットまわりの補強が強すぎたのではかと言うが、やり直すのは現実的でないし、確実に改善できるかどうかも微妙である。色々と考えた挙句、作業担当の大杉くんはサスの調整で煮詰められるところまで煮詰めた上で、妥協点を見出す方法を選んだ。奥村くん自身がツーリングへ行っては様子を伝えること3~4回、完璧とまではいかないものの、慣れも含めてようやく納得できるハンドリングを得ることができたのだ。

バイク屋時代 14・NSRというバイク

「ところでさ、NSRって速いんだってね」
 シマちゃんがサバ味噌をつつきながらつぶやいた。
 NSRとはホンダNSR250Rのことで、つい最近発売になった’88と称する1988年式モデルの高性能ぶりが、バイク好きの間ではもっぱら話題の的になっている。そのパフォーマンスはレーサーに迫る勢いだというから聞捨てならない。もちろんうちでも扱っているので、納車前の試乗で街を軽く流したことはあるが、スポーツ走行はまだ未経験だった。
「おもいっきり回してないからわかんないけど、トルクの盛り上がりは凄いよ」
「おいおい、お客さんのおもいっきり回しちゃだめでしょ。だけど俺はやっぱヤマハだな」
「僕もRZが好きだから、あんまり興味ないね」
 ヤマハ好きの二人の反応はあっさりしたものだ。まあ俺もどちらかと言えばパラレル2サイクルの鼓動と排気音のほうが好みではあるが、これほど話題になっているNSRなので、正直なところ、一度はそのスポーツ性とやらを味わってみたいと思っていた。


 そんなある日、常連の赤沢くんと有田くんがそろって来店した。彼らは同じ職場の同僚で、バイクの趣味でも気の合う二人は、つい最近一緒にNSRを購入してくれたのだ。赤沢くんはホンダのVT250Fを下取りとして、有田くんはNSRが初めてのバイクだ。よって納車当初はかなり手こずったようで、エンジンがかからない、プラグがかぶる、乗車姿勢が馴染まない、パワーありすぎ!等々、NSRを購入した初心者にありがちな悩みに四苦八苦していた。
「こんちわー」
「おう、どっか走ってきたの?」
「いやいや、こんどの木曜日、木代さんにツーリングへ連れてってもらいたいなって」
 聞けばその木曜日、会社の創業記念日だそうだ。
「創業記念日を休みにするとは、太っ腹な会社だね」
「天気もよさそうなんで、伊豆なんてどうです」
 とんとん拍子に話は進み、当日の8時、東名高速の海老名SAで待ち合わせることになった。

 快晴の下、気持ちよく高速を流し、御殿場ICで降りると、“伊豆スカ詣”と同じにまずは旧乙女峠へ向かった。二人とも出発前に「あんまり飛ばさないでくださいね」とは言っていたが、旧乙女のテクニカルコースに入ると、どうしても気分は浮き立つ。今日もRZは絶好調。
 いくつかのコーナーをクリア、バックミラーに目をやると、彼らの姿はない。NSRのパワーを持て余しているのか、はたまた慣れてないのか。
 道なりに箱スカ(箱根スカイライン)、芦スカ(芦ノ湖スカイライン)と流し、伊豆スカの料金所を抜けたとき、どうしてもNSRのパフォーマンスが知りたい欲求が膨れ上がった。
「赤沢くん、亀石までNSR貸してくれない」
「いいっすよ。でもおれ、RZ運転できるかな」


 RZのアップライトな乗車姿勢が一転して超前傾となり緊張感が走る。弟のTZR250より明らかにきつい。スタート後、まずは右コーナーをクリアすると長い上り坂を一気に加速する。RZとは全く異なるフィーリングは新鮮だ。すばらしく回転の伸びがいいのにはびっくり。次の左コーナーはやや回り込むので、手前からブレーキをかけ始める。制動力のよさはRZの比ではない。この後も伊豆スカの長い直線を気持ちよく加速、スピードの乗りが尋常ではない。
 マシンの基本性能がRZが輝いていた時代とは根本的に異なるのだ。NSRは“走り屋垂涎のマシン”と言われるが、決して大げさではない。借りものなので当然スロットル全開にはしなかったが、やればヨンヒャクはおろかナナハンをもってしても手こずるだろう。
「ありがとうね。やっぱ速いわ」
「ですよね。でもおれはRZの方が合ってるかも……」
 
 ホンダの創始者である本田宗一郎は、2サイクルエンジンが嫌いだった。「あんな物は水鉄砲の竹筒と同じだ」と揶揄し、2ストロークの作動原理がエンジニアとしてどうしても認められなかったらしい。
 1979年から1980年代前半まで、ホンダは4サイクルGPマシーン・NR500をもってWGPに参戦していたが、残念ながら一度もお立ち台に上がることはなかった。当時の技術では、GP500のレギュレーション、つまり排気量の上限が500ccという縛りがあったため、4サイクルエンジンとすれば限界に近い設計を強いられ、130馬力近くまでパフォーマンスを上げたものの、耐久性不足やその他諸々の不具合が多発していたのだ。


 1981年。チームとして確実な勝利を収めるため、不本意ではあったが、やはり2サイクルマシーンの開発に着手することになり、なんと翌年1982年には三気筒2サイクルGPマシーン・NS500を完成し参戦させた。そして1983年、エースライダーだったフレディー・スペンサーが、ヤマハのケニー・ロバーツとの激闘を制し、なんとワールドチャンピオンの座をもぎ取ったのである。
 そんな経緯で得られた技術を、惜しむことなく投入したのが、市販バイクNSR250R。
 インターネットがまだ存在しない時代にもかかわらず、NSRの高性能ぶりは瞬く間に広がり、奥多摩周遊道路や大弛峠など、ローリング族が集まるところでは、あれだけ高性能をうたったRZの姿はほとんど見かけなくなり、ヤマハのTZR250、スズキのRG250Γの間に割り込むように、NSRを筆頭としたホンダ勢が幅を利かすようになった。同じく2サイクルの雄スズキも、NSRを追うようにエンジンをV型にしたRGV250Γを発売し好評を得た。ところがRZ~TZRで、このレプリカクラスを牛耳っていたヤマハは、翌年1989年にフルモデルチェンジした後方排気型のTZR250(3MA)を発表したが、デザインはまんまGPレーサーと、発売直後は一定のセールスを得たものの、肝心のマシン性能はぱっとせず尻つぼみとなった。


「そういえばさ、ギャラツーの柳井さん、後方排気、買ったらしいよ」
「わー、金持ち」
 柳井はメカニック。もちろんバイク好きには違いないが、走り志向はなく、所有しているバイクもホンダのレブル250というアメリカンタイプ。そんな彼がなにゆえ過激なレプリカを買ったのだろう。謎だ。
「それよりRZをちゃんと直さないと」
「え? 奥村くんのRZ、調子悪いんだ」
 実は奥村くんのRZ、どうもエンジンがやばそうなのだ。「古いバイクは壊れるよ」と、悔しいが大崎社長の言うとおりになってしまった。ただ奥村くんも重々承知の上で購入したので、ある程度は納得しているとは思うが、納車してから間もないこともあり、なんとかしてあげたい気持ちでいっぱいだった。この件をメカの大杉くんへ相談すると、仮にオーバーホールをしても、完全に元通りにはならないし、そもそもRZのエンジンは品質的にばらつきがあるという。どうせ手を入れるなら、抜本的且つ奥村くんに喜んでもらえるやり方を探すしかないとの話になった。
「エンジンを載せ替えれば」
 そこへメカ長の吉本くんの何気ない一言。
「エンジンなんて、どこにあるの?」
「TZRの事故車があるよ」
 一瞬だが、場が静まった。なんだか凄いことになりそうだ。
「あれさ、ストッパーがイッてるから一応全損だけど、エンジンはもちろん前後の足回りも使えるよ」
 メカ長の話を頷きながら聞いている大杉くんの笑顔が怖い……

バイク屋時代 13・吉祥寺店

 吉祥寺店のある女子大通りは、吉祥寺通りの四軒寺交差点から住宅街を突き抜けるように青梅街道の桃井四丁目交差点へと繋がる、意外や“知る人ぞ知る道”。沿道にはその名の通り東京女子大学が所在し、その関係か、おしゃれな佇まいを持つ店が多く点在する。

 配属後は一刻も早く店に慣れたかったので、出勤は一番乗りを続けた。
 開錠したら先ずは店頭にバイクを並べて磨きを行う。埃を落とし、バイク専用ワックスで艶を出す。このワックスはエアゾールタイプで、カーワックスのような拭き取りは不要だ。単に塗り込むだけだが、汚れも落とせて同時に被膜が作れる優れもの。作業ついでに俺の愛車ヤマハJOGも、こいつでピッカピカに磨き上げた。
「あら、新しい人?」
 顔を上げると、がっちりとした体格のおばさんがすぐ脇に立っていた。なんとも姿勢がよくまるで仁王様のようだ。
「おはようございます」
「はい、となりの清水屋です」
 酒屋のおかみさんだ。この後挨拶に伺おうと考えていたので都合が良かった。
「新しい責任者の木代と言います。よろしくお願いします」
「そう。うちの息子、原付持ってるんで、なにかあったらお願いしようかな」
「いつでもどうぞ」
 あとからわかったことだが、見るからに豪快さを漂わせる清水屋のおかみさんは、モト・ギャルソン吉祥寺店も属している、ここ四軒寺商店会の“顔”らしい。そのせいではないと思うが、おかみさん、ご主人、息子さん、皆そろって顔が大きい。後日、高校生になる息子さんがヘルメットを買いに来てくれたが、在庫してあったアライのXLサイズでは、おでこに突っかかって入らず、致し方なく最大クラスの特注XXXLサイズを発注した。アライヘルメットの場合、最大と最小サイズの商品は受注生産となるので、納期はだいたい一か月以上かかる。

 吉祥寺店勤務となった最初の週末。嬉しいことに俺の常連客となっていた面々が、さっそく遊びに来てくれた。

吉祥寺店常連客の“今”

「お~っす! 木代さん、元気にしてる」
 奥村くんだ。スタッフみんなに紹介すると、RZ250のオーナーである彼は、ヤマハ好きのメカニック大杉君とすぐに打ち解けたようだ。
「じゃあこれから、カスタムの話なんかは大杉さんに頼めばいいんだ」
「やるよ。お金くれれば」
「あったりまえじゃ~ん」
 ふと腕時計を見ると、ちょうどお昼を回ったところ。
「奥村くん、飯食いに行こう」
「どっかあるんすか?」
「目の前」
「はぁ?」

 店の真ん前はT字路になっていて、その右側に“まるけん食堂”なる定食屋の暖簾が見える。異動初日に青田くんに教えてもらい、さっそくお昼に伺ってみると、その安さにびっくり。ほとんどの定食メニューがワンコインでいけるのだ。しかも冷奴や納豆などの単品メニューも豊富にそろっていて同じく安いので、リーズナブル且つ自分好みの定食にアレンジできる。若いご主人らしき男性とそのお母さん?の二名で切り盛りしている繁盛店だ。創業は昭和三十五年と、まさに老舗。
「じゃ、豚カツ定食ください」
「おれは親子丼で」
 互いにタバコを取り出して一服つける。奥村くんが気持ちよさそうに紫煙をくゆらせた。
「こっちの店の方が居心地よさそうじゃない」
「まあね。社長がいないから気が楽だよ」
 そう、まるでデニーズの頃と似たような環境である。たまに地区長が顔を出す時だけはやや窮屈だが、普段はのびのびとできる。
「はい、おまたせしました」
 出来立て熱々の料理はなにより。たまには弁当も悪くないが、やはりご飯は茶碗にふっくらとよそられた方が断然うまい。
「へ~、この味でこの値段なら毎日でもいいよね」
「ほんと、助かる」
 昼時とあって、次から次へと客がくる。
 すると、
「二人で行ってるって聞いたからさぁ、それうまそうじゃん!」
 声をかけてきたのは中央大学三年生の嶋恒くん(通称シマちゃん)。彼の愛車もRZ250初期型で、RZ250三羽烏の三人は面白いほど気が合った。
「すみませ~ん、サバ味噌定食ください」
 ちなみにまるけんのサバ味噌はうまい。甘辛さがちょうどよく、ご飯が限りなくすすむ。
「ところで木代さんさ、おれ、次のビッグツーリングは行くよ」
 シマちゃんは仲間ができたのでツーリングへ行きたくてしょうがないのだ。それはRZ250を手に入れた奥村くんも同じこと。彼らが参加すれば間違いなく面白くなりそうだ。
「木代さん、その時はRZで来てよね」
 その時ぎらっと目を輝かせた奥村くん、
「あ、それだめだめ。ギャルソンの社長が許してくれないから」
「そーなの?! 三人RZでそろわなきゃつまんないじゃん」
 そのとおりだ。ここはなんとか社長を説得しなければ……

バイク屋時代 12・店長!

 入社から半年たったころ、三鷹店の松田店長が統括マネージャーに昇格することになり、彼の後釜にはギャラツーの江藤店長、江藤店長の後釜には吉祥寺の今村店長、そしてなんと今村店長の後釜に、俺が抜擢された。
 もちろん嬉しかったが、いっぱしのバイク屋として学ばなければならないことはまだまだあり、正直なところ時期尚早感は否めない。ただ、業態こそ異なるが、前職では十年近く店長職をこなし、それ相応のノウハウは身につけてきた自負がある。前向きに解釈すれば、その経験を活かし、自分の色に染めたショップづくりのチャンスが到来したとも言える。
 辞令発表から一週間後、引継ぎのために吉祥寺店を訪れた。場所は吉祥寺東町を貫く女子大通り沿いなので、駅周辺の喧噪からは離れている。三十坪強というこじんまりした店舗はガラス面が多く、なかなか洒落た間仕切りになっている。入り口にJOGを停め、店内に入った。
「おっ、おつかれさん」
 店長の今村さんだ。彼とは初のビッグツーリングでペアを組んでいたので、人柄はだいたいわかっていた。よく笑う明るい男だが、喋り方が口先でまくしたてる独特なもので、地声がやけに高く、会話の際は集中しないと何を言っているのか聞き取れない。
 右手にある工場のドアが開いてメカニックの吉本くんと大杉くんが現れた。工場長の吉本くんは会社全体の工場長でもある。大杉くんは今時珍しいリーゼントヘアーで決めていて、一見ヤンキー。バイクよりは車に興味津々だとか。
「来週からきますんでよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
「木代さん、こんどダルマの写真、見せてくださいよ」
「ああ、持ってくる」
 突如引き戸が開き、背後から元気な声がかかった。
「あっ、木代さん!こんにちは」
 営業の青田くんだ。楊枝をくわえているってことは、昼食からの戻りか。
 彼とはほとんど同期入社で、わずか一週間だったが三鷹店で一緒に働いた。顔や体つきが俳優の梅宮辰夫にちょっと似ていて、笑顔を絶やさない明るい性格は営業マンそのもの。ただ、一か月後にはギャラツーへの異動が決まっていた。
 俺を含めたこの四人で、新しい吉祥寺店がスタートすると思うと、楽しみではあるが同時に緊張もする。
 店舗の両隣は、西側に清水屋酒店、東側は鈴木内科医院。更に医院の隣には“ゴッツェ”という屋号のドイツ菓子の店になっている。
「青ちゃんさ、近くに食べるところあるの?」
「近くも何も、向かいですよ」
 聞けばこれがなかなかよさげな店。職場の近所に飲食店があると本当に便利だし楽。吉永くんと青ちゃんはほとんど毎回その定食屋を利用するらしい。ちなみに小杉くんはお母さん手作りの弁当を持参するようだ。少しだけ歩いて五日市街道まで出れば、西友ストアの食堂やジャンボ餃子で有名な“一圓”まであり、さすが吉祥寺、よりどりみどりだ。
「木代さんさ、引継ぎって言っても、メカの二人が全部わかってるんで、彼らとうまくやってよ」
 今村さん、いとも簡単にまとめようとするが、大丈夫だろうか。
「現況に問題とかないの?」
「ないない」
 心ここにあらずといった感じ。というよりか、この今村という男、どこから観察しても組織に組み込まれて仕事をするタイプとは思えない。
 そもそもモト・ギャルソンは、社内外へ発信する【遊べるバイク屋】というモットーこそあるものの、それを具現化させるコーポレートアイデンティティ(CI)が、いかんせん“絵に描いた餅”なのだ。特に気になる点は社長自身が行動規範を曖昧視する傾向があり、特に若手社員は例外なくこの影響を受けているようで、正否を取り間違えているシーンを多々見かける。
 一応、【お客様の笑顔がスタッフの喜びとすることに価値を見出す。感謝される接客。感動を与えるサービス。】なる企業理念を打ち出しているし、ロゴやコーポレットカラーにもお金をかけているので、外から見ればちゃんとした会社に映るだろうが、内側を覗けば、“社員の自主性を重視している”と胸を張る大崎社長の目の届かないところではやりたい放題が横行、もはや制御不能だ。いくら“自主性”とは言ってもモト・ギャルソンは会社組織なのだから、社長は社員の間違った行為に目を向け、勇気をもって必罰で臨んで欲しいもの。
 と、このような状況なので、デニーズの時のような管理方法を行使すれば、まわりから反感を食らうこと必至。まずは空気を読み読み進めていくしかないようだ。

「まいど!」
 スズキの担当営業、峰岸さんのお出ましだ。ますます腹が出てきたようで、Yシャツのボタンがはじけそうである。
「木代さん、店長昇格おめでとうございます」
「ありがとう。来週からなんでよろしく」
「ここの店はスズキ第一でお願いしますね」
「みんな同じこというから、今のところホンダもヤマハも第一だよ」
「いじめないでくださいよぉ。今日は“売れるニューモデル”のカタログとポスターを持ってきたんだから」
 手渡された資料に目を通すと噂の“バンデット400”関連である。
 バイク市場は相変わらずレプリカ勢が圧倒していたが、その中に突如出現したカワサキ・ゼファー400は予想を反し売れに売れていた。レプリカとの判別で、各バイク雑誌ではこのようなスタイルのバイクを“ネイキッド”と呼ぶようになり、レプリカに馴染まないバイクファンにとって、待ちに待ったカテゴリーになったようだ。
 ところでこのスズキ・バンデット400。俺の目にはとても魅力的に映った。
 この手のモデル、つまりネイキッドの車体フレームはダブルクレードルと相場が決まっていたが、ヨーロッパ車を彷彿させるパイプダイヤモンドフレームを採用したところが斬新で、とてもスズキ製とは思えないハイセンス。おまけに排気量リミット上限の五十九馬力をたたき出す強力なエンジンを搭載し、見た目はオーソドックスなネイキッドでありながら動力性能は今どきのレプリカに近いという、やけにイカしたニューモデルなのだ。