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バイク屋時代 31 大崎社長とゴルフ

 誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで店にいる大崎社長。まるで仕事が趣味のように見えるが、実は心底好きな遊びがあった。それはゴルフ。入れ込みようは半端でない。
 昨今ではバイク屋の社長でも普通にゴルフを楽しむ時代になった。それを反映し、バイクメーカー販社や損保などが、定期的にゴルフコンペを開催するようになり、販売店同士の中心的な親睦の場となっていた。もちろん大崎社長にとっては、この上ない楽しみであることは言うまでもない。今日はホンダゴルフ会、明後日はスズキゴルフ会、そして来週は商工会議所のゴルフコンペ、てな感じで、日焼けした顔が元に戻ることはなかった。

「木代くんはゴルフできるんだろ。近々にお客さんを交えてのギャルソンコンペをやろうと思ってさ」
 “できる”というレベルにはほど遠いが、まあ、なんとか回れる。
「東京海上が支援してくれるってさ」
「場所はどこです?」
「小淵沢」
「うっひょ~~、寒そ~」
 11月末の話である。

 これがきっかけになり、年に3~4回ほどスタッフ中心のゴルフコンペを行うようになった。レギュラーメンバーは大崎社長、下山専務、江藤さん、メカの柳井くん、そして俺。これに営業の吉岡くんとか、常連さん、そして計理士事務所の方がたまに加わった。
 毎年開催される海外社員旅行でも、スタッフコンペは必ず行われた。打つたびに重い土がフェイスにこびりついたグァム、開放感あふれるオワフ等々を思い出す。
 社長が好きでやっていることなので、口は挟まないが、スタッフコンペに加えて、ホンダ、スズキ、ヤマハのゴルフ会、商工会議所、ロータリークラブの定例コンペと、これらすべてに参加するのだから、ベストシーズンともなれば、週に1~2日は店を留守にする。
「ははは、やばいね~、今度はカワサキゴルフ会にも誘われたよ」
「うお、この上にですか」
「もう目一杯なんで、カワサキは木代くんに任せた」
 おいおいおい、なんだって俺なの?
 ゴルフは好きじゃないんだよね。


 実は俺、学生時代に地元の“小金井カントリー倶楽部”というゴルフ場でアルバイトキャディーをやっていた経歴がある。勤務スケジュールなどは一切なく、気が向いた時に行けば九割方仕事がもらえるというナイスな職場だった。給与は日給制で、仕事を終えるとその都度支給され、なんと紙幣も硬貨もすべて“新品”。格式の高いゴルフ場だから、客との金銭のやり取りを考慮したのだろう。さらにGooだったのは食事。従業員食堂では定食が120円。学食並みの値段だが味は別格だった。

 本物の“田中角栄”や“三波春夫”を目の当たりにしたのもここ。客のほとんどが政財界の著名人なのだ。最も印象に残っているのは、巨人軍の王貞治にあの“一本足打法”を指導した荒川コーチ。背が低く、ちょろちょろと小忙しく動き回る、やたらと元気な人で、それに付け加えて口が達者だった。毎回部下と思しき若い男を二人連れてプレイするのだが、さすが名コーチ。終始「握りがダメだ」、「ちゃんと振りぬけ」、「すでに向きが違う」などと、指導しながらのラウンドになる。さぞかし連れの二人はしんどいだろうと、気の毒になるほどだ。彼らとは二度ほど回った。


 ここのバイトを二年間もやると、客とのやり取りが自然と身についた。
「おはようございます! 一日よろしくお願いします」
「おおっ! いいね、今日は学生さんだ」
 夏休みなどは週に3~4日ほど働いていたので、色白の自分が驚くほど絶えず日に焼けていた。だからお客さんからすれば、一見、大学のゴルフ部、もしくは研修生だと思ってしまうのだろう。ラウンドが始まると早々に、
「キャディーさん、ここからだったら何番がいいかな」
「そうですね、7番で軽く振ってください。真正面の一本松の左側です」
「OK!」
 こんなアドバイスをすると、気分が楽になるのか、その気になるのか、十中八九うまく飛ぶ。
「ナイショォ!! いい感じですねぇ~」
「いや~~、今日は勉強になるなぁ~」
 実は俺、ラウンドはおろか、打ちっぱなしにも行ったことがなかった。そう、口八丁手八丁のみでお客さんに対応していたのだ。ただ、半年もこの仕事を続けていれば、クラブの選択くらいならほぼ間違いなく行えるようになっていたし、当然コースのことは隅々まで熟知していた。
「じゃっかん左に傾斜しているんで、カップ一つ分右でお願いします」
「了解!」
 なんてね。

 カワサキゴルフ会に参加するようになって一年ほどたったころ、突如その事件は起きた。普段からパワー全開の大崎社長が体調不調を口にしたのだ。風邪をひいて熱があっても必ず出社したし、たとえ病院に立ち寄るほどの症状があっても、そのまま休むことなど一度もなかった。
「だるさと関節の痛みがとれないんだよ」
と、電話があり、これから総合病院で検査があるという。
「こっちは大丈夫なんで、しっかり診てもらってください」
 その日の午後、再度社長から電話があって、なんと入院する旨を聞かされびっくり仰天。詳しい事情は下山専務から皆へ伝えられた。
 病状はリウマチのようだが、検査結果だけでは断定できないという。入院先は杏林大学病院。見舞いは可なので、営業部長の俺とサービス部長の松田さんの二人は、適時運営報告書を持参するようにとのことだった。この時点では1~2週間ほどで退院できるのではと高を括っていたが、なんと入院は二か月以上におよび、大崎社長は最大の楽しみであるゴルフを、相当の間諦めなければならないという最悪の展開になってしまったのだ。

バイク屋時代 30 教習所で限定解除!

 ハーレー契約騒動の少し前、バイク業界に激震ともいうべき出来事が走った。大型二輪免許の限定解除が、なんと自動車教習所での受講で可能になったのだ。
 これまでは全国の運転免許試験場で行われる実技試験に合格する必要があったが、教習所にて12時間の実技カリキュラムを経て、卒業検定に合格すれば、あとは試験場で書換えを行うだけでOKなのだ。購入資金さえあれば、誰でも憧れのオーバーナナハンを手にれることができるのだ。これはTVのニュースや新聞でも大々的に紹介され、各教習所は大型二輪教習コースを設定するための許認可準備におおあらわとなった。
 準備内容としては、公安委員会の定めた大型二輪用のコースを新設したり、二輪車運転シミュレーター導入等々であるが、これだけではなく、実際に教習生へ対して要求する運転スキルを身につけさせることができるかどうか、技術をマスターさせた教習生に運転試験場で実技試験を受けさせ、決められた期間内に同じ教習所から一発合格者を10名出すことも条件の一つなのだ。
 教習所認定の情報が明らかになるにつれ、入校希望者が動き出した。東京近郊では和光市の“レインボーモータースクルール”が認定一番乗りを果たし、入校手続きをスタート。待ってたかのように入校者が押し寄せ、教習開始が2か月後になるという異例の状況になった。地元では尾久自動車教習所が比較的早く認定が取れたので、さっそくうちの常連客が申込みに行ってみると、現在120名が入校待ちだと告げられ、やはり初回の教習には2か月以上かかるとのことだった。
 オーバーナナハンの需要がこれほどまでに高まっていた事実にも驚いたが、ハーレービジネスへトライした大崎社長の判断はまさにタイムリー。あとからわかった話だが、この教習所で大型二輪免許を取得できるようになった背景には、HDJの敏腕社長、奥村氏の働きがあった。ハーレーのラインナップはすべて排気量が750cc以上なので、購入するには中型二輪の限定解除が必要になる。しかし限定解除の実地試験はあまりにも高い壁。これを解決するために奥村氏は米国政府の“外圧”を利用したのだ。まずはハーレー本社へ「免許制度を変更できるなら、売上を今の倍にできる」と進言。これは見逃せないと、ハーレー本社はこの話を米国政府へ伝えると、あれよあれよという間に目論見通りとなり、事実ハーレーはこの免許制度の変更以降、国内4メーカーが総じてぶったまげるほどの快進撃をスタートさせたのだ。ちなみに続くビッグニュース、“二輪車高速道路二人乗り解禁”も、奥村氏の手腕によるものである。

 これを機にモト・ギャルソンのスタッフたちも、次々に大型二輪免許を取り始めた。女性営業マンの代々木里佳子(りかさん)は、免許取得と同じころに、注文済みだったBUELL・S1が納車になり、休みになれば箱根や奥多摩へと走りに出かけていた。そんな彼女が、
「部長、みんなでツーリングいきませんか。三波くんや美紀さんも来ますよ」
 三波くんとはハーレー要員として新たに採用した元気もりもりの21歳。
「免許取れたらハーレーを買うことになってるんで、インパルス最後のツーリングにしたいそうです。それと梶原さんもぜひ参加したいそうです」
 梶原君江さんは、三波くんと同様にハーレー要員として採用が決まっている女性営業マンだが、元々はうちの顧客である。大型免許は取得済みで、やはり入社後はハーレーを購入予定とのこと。山田美紀さんも手に入れたCBR900RRにやっと慣れてきたようだ。ふたを開ければ総勢5名のスタッフが集まっていた。

 一方、BUELLの売上は順調に推移し、年度途中にて目的であったハーレーの販売権を獲得、会社一丸となった販売活動が実ったのだ。しかもBUELL販売台数日本一を達成し、“ペガサスアワード”をハーレー本社よりいただいた。全国ディーラーミーティングにて表彰された際には、販売責任者の俺が自らトロフィーを受け取って実にいい気分。面白いもので、雑誌広告にこの賞の詳細を載せると効果てきめん。これまでの広告とは比較にならないほどの大反響を得られたのだ。
 そして1998年度限定モデルとして、S1のスープアップバージョン“S1W”が発表されると、BUELLへの注目度は格段に上昇した。日本人は限定というフレーズに弱いと聞くが、日本国内には200台ほどの割り当てしかなく、発表から2週間少々で全国的に完売。しかも単に限定ということだけではなく、エンジンにかなりなレベルで手を加えていたことも人気に拍車をかけた。エンジンは基本的にS1と同じだが、ヘッドをチューニングしたことによって最高出力が91馬力から101馬力へと大幅アップ。黒の結晶塗装を施されたヘッドと、大型化されたフューエルタンクが目を引いた。予想を超える反響にこたえ、およそ半年後にはオールブラック仕様の“S1WB”を追加発表。これも瞬く間に完売になった。

「ハーレーの店舗が決まりそうだよ」
 本店の売上はこれまでにない好調を推移していた。BUELLだけでなく、免許制度の改定でリッターバイクの商談もこれまでになく多く、売上アップに貢献。今日の役員会議でも社長は終始満面の笑顔である。
「どこです?」
「YSP調布が閉めるみたいなんだ」
 京王線の飛田給駅近くにあるYSP調布とは、イタリアのバイクメーカー“アプリリア”の業販関係で付き合いがあった。
「売上もイマイチのところに、番頭が退職するみたいで、決心がついたようだ」
「YSPならいいじゃないですか、居ぬきで」
「そうなんだよ。HDJに申請中だけど、おそらく今週中にも許可が出るんじゃないかな」
 ハーレー専業店を出店するには、いくつかのルールに留意しなければならない。各ディーラーには責任販売エリア、つまりは“縄張り”が決められていて、基本的に他ディーラーがエリア内へ出店することはNGである。だから店を探すにも、他店の縄張りを確認しつつとなるので簡単には進まない。たとえばモト・ギャルソン本店をハーレーディーラーに変更しようとしても却下される。なぜなら田無の新青梅街道沿いにあるハーレーパルコが近いからだ。本店からハーレーパルコまでは直線距離で5km弱。東京郊外の場合は店からおおよそ10km圏内が縄張りなのだ。YSP調布だったら10km弱あるので、このハードルはクリアする。
「それで肝心なスタッフは?」
「店長は武井くん、営業に山田美紀さん、そしてメカはとりあえず吉本くんにやってもらうことにした」
 人選の進捗に関しては、前々から話は聞いていた。一度は俺にもどうかと声がかかったが、“ハーレーダビッドソン”というブランドには少なからずの抵抗感があった。バイクが好きで入った会社ではあるが、バイクにも好みがあって、俺はスポーツバイク一途。決してハーレーが嫌いなわけではないが、ハーレーを取り巻く世界に身をおき、販売そしてアフター作りに情熱をかけられるかと問われれば、難しいと言わざるを得ない。
「武井くんが休みの日には、木代くんや江藤くんに順番でフォローしてもらうよ」
「じゃあ、ハーレーの勉強もしなきゃな~」
「そうだね。なにからなにまで国産メーカーとはやり方が違うし、メンバーの三人はHDJが行う研修参加が必須になってるんだ」
 ハーレーは教育プログラムがしっかり準備されていて、歴史も含めて徹底的なレクチャーが行われる。特にメカニックは技術プログラムの受講が盛りだくさんで、店の運営にも影響が出そうなほどだ。
「店の名称はハーレーダビッドソン調布ですか?」
 この問いには大崎社長から苦笑いが出た。
「厳しいんだよね~HDJは」
 “ハーレーダビッドソン〇〇”という屋号は、HDJが定めた業績を一定期間持続したうえで稟議にかけられ、承諾が出れば使えるもの。それまでは正規ディーラーではなく、販売協力店という立場に留まり、LTR調布(レターショップ調布)の屋号を使って、指定される親ディーラーの配下で運営しなければならない。モト・ギャルソンの“親”はハーレーパルコ。車両や部品等々は直接HDJからではなく、ハーレーパルコから仕入れることになる。よってマージンの一部はパルコへ落ちるわけで、想定していた利益には届かず、悔しさと不満を伴う船出になるのだ。
「なんとか頑張って、はやいとこディーラーに昇格したいもんだ」

バイク屋時代 29 BUELL・その2

 全国一斉試乗会当日。快晴とまではいかないが、薄曇りで風もなく、試乗会としては上々のコンディションを迎えた。のぼり、ポスター、そして試乗申込書、見積書、カタログ、来店記念品等々の準備を確認、朝礼にてスタッフ全員に本日のポイントを再度伝える。俺もあまり知らなかったBUELLだけに、はたして興味津々で来店してくれる方々はどれほどいるかと、かたずをのんで待ち受けた。BUELLの展示コーナーではS1ライトニングとS2Tサンダーボルトが相変わらず異彩を放っている。初めて見るお客さんへのインパクトは大きいに違いない。

「いらっしゃいませ!」
 10時オープンと同時の来客、試乗の可能性大だ。
「お手数ですがこちらで試乗申込書の記入をお願いします」
 幸先のいい試乗一発目は男性三人組。全員バイクを所有し、BUELLには大いに興味があるという。この後もBUELL関連の来客が続き、午前中だけで10件を超える試乗があった。
「すごいね~、びっくりだね~」
 予想以上の反応に大崎社長も笑顔が絶えない。
「このペースだと午後も期待できそうですね」
「まだまだ、これからですよ」
 試乗を終えた方々に感想を聞いて回ると、良いか悪いかというより、初めて体験する乗車フィーリングにびっくりとの声が大半で、質問も多く寄せられた。内容は以下に列記するが、やはり外車ということで、耐久性とランニングコストに集中する。
 A:車検費用は?
 B:オイル交換の頻度、費用?
 C:壊れやすいところは?
 D:部品は高いのか?
 E:ガソリンはハイオク?
 以上が多かった質問である。
 乗車の感想としては、ライディングポジションが合わない、強い振動に馴染めるかどうか等々がマイナスイメージの筆頭。一方、トルクフルで加速感が楽しい、日本車にない個性がかっこいい等々の嬉しくなる言葉もたくさんいただき、何件かの商談は確実につながると思われた。土日二日間の試乗件数は55件にのぼり、即決こそはなかったが、試乗会から一か月の間に成約5台と、知名度の低いモデルながら上々の結果を得ることができた。
 その後も問い合わせや試乗が途絶えることはなく、売り手の我々がびっくりするほどの高反応が続いた。しかし実際に納車が進むに従い、“外車の洗礼”も予想どおりに待っていた。国産バイクではまずない些細なトラブルが連続したのだ。
 ナンバー基台と一体型のリアマッドガードが、強い振動によって取付ねじ付近にクラックが入るという件が多く、酷い例ではマッドガード自体が脱落した。キャブの吹き返しで、エアクリーナーの取付け部からオイルが漏れる。ウィンカーのステー部分が脆く、わずかな当たりでも折れてしまう。リアブレーキがまったく効かない。フューエルタンクのデカール部分が浮き出し剥がれてしまう。フロントフォークの液漏れ等々と、数えればきりがなく、そのたびに深々と頭を下げることになり、スタッフのモチベーション低下につながらないかと、日々緊張が続いた。

「あのマッドガード、くそですよ!」
 BUELLの担当メカになっていた海藤くん、憤慨のひと言である。
 多発するクレームの第一防波堤は彼だから、ストレスは溜まる一方。そもそも天邪鬼気味な性格の持ち主なので尚更だろう。もちろん俺だって溜まりに溜まっていた。
「構造的に駄目だと思うよ、素材が薄すぎるもん。解決方法を考えなきゃ」
 すると、急に真顔になった海藤くんが、
「フェンダレスキットと普通のマッドガードを、オリジナルで作りましょうよ」
「それができれば一番だけど、なんか考えてる?」
 これはいいアイデアだと思った。すぐに社長へ報告すると、あっけなくGOが出た。
「海藤くんに簡単な図面作らせてさ、製作会社に見積もり出してもらってよ」
 さすがに大崎社長もあまりの苦情の多さに辟易としていたのだろう。こうして一か月後、試作品が完成した。車体に装着するとリアビューの迫力が格段にアップする優れものである。
「いいじゃないこれ。何個から作れるって?」
「20個からだそうですが、50個やればだいぶ安くしてくれるそうです」
「いっちゃおう、50個。木代くんさ、アース企画にパブリシティ頼んどいて」
「了解」
 海藤くんが中心となって作ったこのオリジナルパーツ、これが予想以上に売れた。BUELLの社外パーツを他社に先駆け、いち早く製品化したことが功を奏したのだ。初回ロットは瞬く間に完売、すぐに追加発注した。鼻高々の大崎社長は、同業のBUELLディーラーに自慢のフェンダレスキットを強力にアピール、すると業販分だけで20個以上の注文が入った。
 ある日、某有名カスタムパーツメーカーの営業マンが来店したとき、
「すごいですねギャルソンさんは。普通のバイク屋で作ったカスタムパーツが、100個以上も売れるなんて聞いたことないですよ。うちも早めにやっとけばよかったな~」
 と、まじめに悔しがっていた。
 弾みのついた海藤くんは、早くも第二弾を計画していた。BUELLの泣き所、フロントブレーキの強化パーツ、“ダブルディスクキット”である。
 国産ディスクロータ×2、ブレンボ・4ポッドキャリパー×2、キャリパーサポート×2、ブレンボ・ラジアルポンプ、グッドリッジ・メッシュホース、T型ジョイントを、工賃込みのセット価格で338,000円というもの。ただ、ディスクロータ―の在庫の関係で、販売数は限定15セットのみ。そしてこのパーツの人気もすさまじく、情報を聞きつけた常連客が次々に注文を入れてくれ、発売前に完売となった。

 BUELLというバイクは、まさに“未完成の極み”。
 普通に考えれば、これほど欠点があって、価格だけは一丁前に150万円もする商品など、国産車の感覚だったらまず誰も買わない。ところがトラブルとリコールの嵐にもまれながらも、弊社ユーザーたちのBUELL愛は消えることがなかった。
 それどころか、
「こいつの欠点って、なんか憎めないんだよな」
「マイナス面があっても面白いから、カスタムや手直しして乗りたいね」
「あばたもえくぼ!」
 これが外車の世界なのかもしれない。この傾向はうちだけでなく、BUELLディーラーのほとんどに当てはまった。これを受け、関東のBUELLディーラーが手を組んで、“ブルドッグ”と称するオーナーズグループを結成。多くのオーナーたちが賛同してくれた。
 さっそく第一回目のイベントを長野で開催。参加者は100名を軽く超えた。イベント名は“ワインディングハント”。カスタム好きなBUELLオーナーが多い故に、会場のいたるところで、オーナー自慢のカスタムBUELLを囲みながらの情報交換が盛り上がり、ディーラーを超えたオーナー同士の輪ができたのだ。その後、モト・ギャルソンでも“G GLIDE”(ジーグライド)と称したオーナーズグループを結成、ツーリングや飲み会を中心に大いに盛り上がったのだ。

バイク屋時代 28 BUELL・その1

「木代くんさ、BUELL(ビューエル)ってバイク、知ってる?」
 突然社長が聞いてきた。
「以前、雑誌に載ってたのをチラッと見たけど、印象は薄いですね」
「松田くんは?」
「おれも良くは知りません」

 社長の話によれば、BUELLとはハーレー社が販売するスポーツモデルのことで、エンジンはハーレーに搭載しているものと基本的に同じだが、かなりの度合いでチューンしてあるらしい。
「そのBUELLがどうかしたんですか?」
「複雑な話なんだよ、ハーレーとの契約がさ…..」

 ハーレーの現地法人である㈱ハーレーダビッドソンジャパンへ、正規ディーラーの契約申請を出すと、意外な回答が返ってきた。
 ハーレー販売の実績がない会社は、まずBUELLを売ることから始めてもらい、その内容をよ~く観察した上で、ハーレー取り扱いへとステップアップできるかどうかを吟味するという、手厳しい一撃が返ってきたのだ。ずいぶん横柄な対応に思えたが、いずれにしてもBUELLを売らなければ先へは進めないのが現実。しかたがないので、まずはBUELLを研究し、よく知ることからスタートしようと、重い腰を上げたのだ。

 BUELLというネーミングは、このバイクを作ったERIK(エリック) BUELL氏のラストネーム。彼は以前、ハーレー社のスタッフだったが、理想のスポーツバイクを作りたい願望が抑えきれず、同社を辞職してBUELL社を立ち上げた。ハーレーとのパイプは残っていたから、エンジンを単体で供給してもらい、それをチューンしたうえで自作のシャーシに乗せたのが製品としてのBUELLだ。
 俺はBUELLはおろか、ハーレーのこともほとんど知らなかった。映画『イージーライダー』に出てくるスタイリッシュなバイクだとか、ローリングストーンズのポスターの中で、革のロングコートを羽織ったキースが、チョッパータイプのハーレーに跨っている姿が渋いとか、そんなレベルだった。ただ、エンジンがOHVのVツインだというのは認識していて、進化の激しいバイク業界において、何故ひたすらOHVなのかと不思議には思っていた。
 4サイクルエンジンには、サイドバルブ~OHV~OHC~DOHCと性能を上げてきた歴史があり、昨今バイクではほとんど使うことのなくなったOHVを採用する真意が当時はわからなかった。よってそんな古い形式のエンジンを載せたバイクなんて、走るの?!と、やや見下していた。

「社長、HDJ(ハーレーダビッドソンジャパン)に頼んで、BUELLの試乗車を借りてください」
「試乗車用の車両は買ったから、週明けには来るよ」
「えっ?! わざわざ買ったんですか? 借りればいいのに」
 “海外ビジネスとの遭遇”である。国産メーカーだったら、どこの販社からでも無償で試乗車は借りられるが、ハーレーは違った。<試乗車の設置は売上を向上させるために必要な投資>という考え方である。なににつけても投資という名目で金が必要になるのだ。立て看板、袖看板、キャンペーン用のぼり、カタログ等々は有料自動出荷。さらに米国会議への旅費などはビジネス投資に当たるため、すべて持ち出し。これが国産メーカーだったら真逆である。高利益率とうたう裏に隠された、予測を超える経費増の実態が明らかになりつつあった

「うわ~、かっこいい~」
 箱出しが完了し、姿を見せたBUELL・S1。興味津々で、今か今かと待っていた瀬古くんの目が光っている。という俺も車体に目が釘付けだ。
 スタイルはかなり個性的。ナンバープレート基台がマッドガードと一緒になっているのが目を引くが、なによりテール周りのすっきりとした印象が際立った。これはサイレンサーがエンジン下部に取り付けられているためだ。従来のバイクにはなかったレイアウトである。エリックによれば、デザインを考えたのではなく、“マスの集中化”の実現という。車体の中心に重量を集中させることにより、クイック且つコントローラブルなハンドリングを得られるとのこと。実際に走らせて検証したいものだ。
 次に跨ってみると、これが違和感だらけ。シートの幅がやたらに狭く、ほとんどオフ車並み。しかも座面にアールがついているから着座感に乏しく、おまけにシートレザーがつるつるとした素材なので、これでフル加速でもしたら、冗談ではなく後方へずり落ちそうだ。
「この車格でエンジンが1200ccでしょ、シングルディスクで止まるのかな」
 海藤メカの指摘はもっともだ。リッタークラスのスポーツバイクで、フロントブレーキがシングルなんてバイクは、これまでに見たことも聞いたこともない。
「これで伊豆スカ100Kmオーバーはリスキーかも」
「まあ、走ってみなきゃね~」

 S1の整備が完了。どのようなテイストを持つバイクなのかは、実際に走ってみなければわからないので、社長へ許可を取り付け、定休日に体験ツーリングを試みた。行先は慣れ親しんだ伊豆箱根である。
 街中ではとにかく振動の大きさに閉口した。特にアイドリング時が顕著で、信号待ちのたびにハンドルから手を放して痺れを回避。ところが環八から東名へ入ると振動の様子が変化した。車体を揺らすようなものから微振動へと変わり、エンジンにスムーズさが出てくる。それでも慣れてないせいか、高速クルージングには不向きと思った。しかし、不満ばかりではなく、面白さも徐々にわかってきた。80Km前後からの加速がなんとも小気味いいのだ。ビッグツインならではの“ドロドロドロ”っと、いかにも大きなピストンがクランクを押し回しているというリアルな感じはマルチエンジンでは決して得られないもの。ただ、面白さや力強さやを楽しめるのは時速70Kmからせいぜい130Kmまで。130Kmを超えると振動は再び不快なものに変わり、なによりパワー不足を感じてしまう。まだ慣らし運転中なので、スロットルのワイドオープンは躊躇したが、時速150Km近くへ到達するためには、苦しそうなエンジンの唸りを聞き続けなければならない。これ本当に排気量1200ccか??とまじめに思ったほどだ。年式は古いが、俺のZXR750だったら、トップギアで180Kmから猛然と加速する。新車おろしたて故、まだ当たりがついてないことを考慮してもプアである。やや消沈しつつ、御殿場ICから旧乙女向かった。

 高速道路とは打って変わってタイトターンの連続である。マスの集中化とはうたっているが、倒しこみはそれほど軽くなく、癖のほうが目立ち手こずった。ただ、慣れてくるにつれ、本来の姿も見えだした。
 やはりOHVである。エンジン回転の頭打ちがすぐに来るので、いつものようにギアダウンしスロットルを開けても唸るだけで加速はしない。パワーが乗らないから後輪にトラクションがかからずコーナーが不安定。この辺がマルチや2ストと比べるとかなり異なる。ところがだ、しょうがないとシフトダウンはせずにそのままスロットルを開けると、ドロドロドロドロと、大きなトルクで低回転のまま加速していくではないか。<加速 = 回転を上げる>に間違いはないが、美味しい回転域がマルチとは違うところにあったのだ。この特性が判明すると、これまでマイナス面しか目立たなかったBUELLが一気に光りだした。逆にこれまで経験のなかったライディングフィールを覚え、面白くて笑った。芦ノ湖スカラインも終盤に差し掛かるころには、気持ちよくスロットルを開けられ、「ツインスポーツってのもありだ~♪」と大いに満足。ただ、フロントシングルディスクによる制動力不足は、最後まで慣れることはなかった。
 それから一週間後。知名度の低いBUELLを一人でも多くのライダーに知ってもらおうと、国内初となる【BUELLディーラー全国一斉試乗会】の開催がHDJより発表され、各バイク雑誌にでかでかと告知された。

バイク屋時代 27 大方向転換

 新ギャラツーのオープンもまずまずの滑り出しを見せた。来店客は多く、在庫はたちどころに売れていった。売れることは嬉しいが、納車が進めばたちまちショールームに空きが目立ち、みすぼらしいことこの上ない。当然であるが中古車の売上は在庫が少なくなると落ちていくので、江藤さんは仕入れ資金の許す限り、足繁くオークションへ通い、新たな売れ線を買い求めた。だが人気車種はどこの業者だって欲しいから、セリは過熱、話にもならない高値がついてしまう。無理して買っても、まともな儲けなど望めるわけもない。
 そう、中古車の仕入れってのは、とにかく難しい。
 常に程度のいい中古車を安く仕入れられれば、これほど楽に儲かる商売はない。なんと言っても良策は、直接ユーザーから買い取ることだが、町のバイク屋に買ってくれと持ち込む例は本当にまれで、現状はレッドバロンのような知名度が高く、多大なる広告費をかけて買取の訴求を常に行っているところへ集まるのだ。末端ユーザーは素人、よって売り買いの相場など知る由もない。そこへ言葉巧みなプロのバイヤーが買取交渉を持ちかければ、ことごとくオークション相場より低い価格で買い取り交渉が成立し、場合によっては店頭で売らずともそのままオークションへ横流しするだけで、けっこうな利益を上げられるのだ。

BDS柏の杜オークション会場

「木代くんさ、なんか下取り入ってこない?」
「きびしいっすね。週末におんぼろスクーターが一台だけかな」
「今さ、バカみたいに高いからさ、ほんと買えないよぉ」
 さすがの江藤さんもお手上げである。しかもさっき下山専務から、
「今月は支払いが多いから、買取は月が替わって残高を見てからじゃないと駄目よ」
 と、釘を刺されていた。実は本店の経費が予測以上にかかっていたのだ。そんな中、かなり膨れ上がっている借入金の返済は容赦なく訪れるので、ここ数か月、下山専務の機嫌はかなり悪い。そんな中でも店は相変わらず忙しく、昼食をとるのもままならない状況に変わりはなかった。しかし、忙しいからと人員を大幅に補充したことによる経費増、そして解決できずにいる単価の低さと値引きの悪循環により、台所事情は急速にひっ迫していた。
 そんなジリ貧状況が一年近く続いていただろうか。ある日の店長会議で、大崎社長が会社の方向を大きく転換させようと、驚くべき計画を発表したのだ。

Harley-Davidson本社 アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー

 要約すると、
 これまでの国産4メーカーを主軸とした販売は、単価の低迷などの煽りを受け、利益率は下がる一方。しかも業界の値引き合戦はいまだ熾烈で、特にスクーター販売は慈善事業になりつつある。各メーカーとの契約には少なくない保証金を入れなければならず、売上は目標をクリアしなければ当然達成マージンは出ない。こうなると四つのメーカーと契約し続けるのは効率が悪く、運営資金的にも負担が大きいのだ。
 国産バイクは創業以来の商品であり、それによって多くの既納客を獲得してきたが、現況を鑑みて、この先利益を上げ続けるのが困難になることは間違いない。そこで考えたのが、収益性が極めて高いといわれてるハーレー(Harley-Davidson)の扱いを始め、国産は状況を見ながら順次減らしていき、1~2年をめどにハーレー専業へと様変わりさせるというものだった。さらに、一時は流行りに流行ったレーサーレプリカが、今では見る影もなくなり、それに代わって、スティード、ドラッグスター、バルカン、イントル―ダー等々のアメリカンバイク大きく売上を伸ばしている現況があった。

「これまでのお客さんのアフターはどうすんのよ?」
 江藤さん、爆発する勢いだ。
「内々の話だけど、メカの近江くんが近い将来に独立したいって言ってきてるんだ。だったらその時うちから多少バックアップしてあげて、彼の店でアフターをやってもらおうかと思ってる」
 社長の頭の中ではすでにハーレー構想は確定事項だろうが、こればっかりは素直に承諾できない。いくら国産の収益性が悪いからと言っても、もう少しやりようがあると思うし、これまで信頼関係を築いてきた各メーカーとのパイプは太く、簡単に断ち切れるものではない。特に営業部長という俺の職務上、メーカー営業担当とのやり取りをはじめ、目標設定、ニューモデル説明会、新年大会等々、販売会社との関りすべてに携わってきたので、繋がりの重要性は誰よりわかっているつもりだ。それともう一つ気になることがある。

ヤマハ新年大会 ゲストは【ザ・ワイルドワンズ】 浜松グランドホテルにて 

 うちの社員、特にメカニックの入社のきっかけは、そのほとんどがバイクが好きだからというシンプルなもの。好きなバイクにも好みがあり、興味のある対象を受け持てることが就労を続ける理由にもなっている。例えば常連客から社員になった富澤くんは、ベスパに興味が湧いたことがもとで入社し、現在は吉本くんの弟子となって、イタリアンスクーター全般を扱えるメカニックを目指し、日々嬉々として奮闘中である。その彼に「うちはハーレー一本になるんだよ」と告げたら、どのように考えるだろうか。実は富澤くん、このハーレーディーラー化計画を聞かされた後に独立を決断。近江くんに先んじて退職し、こじんまりだが、早々と杉並にベスパ専門店を持ったのだ。
「これまでのお客さんすべてを近江が一人で受け持つんですか? そりゃ物理的にも無理でしょ」
「今回のように取り扱い車種が変わるような大きな変革を行えば、国産のお客さんの大半は離れると思ってる。おそらく近江くんがつかんでいる一握りのお客さんしか残らないさ」
「いいんですか、それで?」
「全部見越したうえですよ。それより収益性の高い新しいギャルソンを一日でも早くスタートさせるほうが肝心だよ」
 もう社長の腹は完全に決まっている。経営者に逆らうわけにはいかない。
 ところが… ハーレーディーラーへの道は予想以上に険しかったのだ。