「バイク屋時代」カテゴリーアーカイブ

バイク屋時代 36 モンスターS4

 「こんちは~」
 入口に姿を現したのは、DJの担当営業マン“新藤さん”。
「どうです部長、ドカの反応は」
 短くカットした頭髪と、人を射るように見つめる大きな目。やや強引なところはあるが、洗練されている所作からは、“やり手”を窺える。
「まだ始めたばっかりじゃない、これからだよ」
「ところで、店探しはどうです、いいとこありました?」
「五日市街道沿いにまあまあな広さの物件があったんだけど、歩道からの段差が大きくて、バイク屋として使うには無理っぽいかな」
 ちなみに彼にもサーチの協力をお願いしている。

モト・ギャルソン本店 ドゥカティコーナー

「どうせならストアにしちゃいましょうよ」
「だめだめ、うちの社長、ドカ嫌いだから」
「えええ、そりゃないでしょう」
「口癖のように、“ドカはもうからない”って言うんだぜ」
「なんですかそれぇ~、今日はちゃんともうかる話、持ってきましたから」
 営業マンが持ってくる“もうかる話”ほど、もうからない話はない。
「そのまんま持って帰ってよ、聞きたくないから」
「まあまあまあ」
 話とはこうだ。
 SS900Darkを三台まとめて買ってくれと。買ってくれれば一台当たり15万円のマージンをプラスしますよと。一見、もうかりそうな話だ。

モト・ギャルソン本店店内 左:ドゥカティコーナー 右:ビューエルコーナー

 Darkはその名のとおり、車体色は黒、それも艶消し。普通のSSだったらアルミ製のパーツを使う部分も、Darkは廉価版ということでスチールに換えてコストを抑え、上代も10万円ほど安く設定してある。このマットブラック仕様のモデルはSS900の他にモンスター900もあり、本国並びにヨーロッパではそこそこの人気があるらしい。しかし、日本でドゥカティと言えば、やはりボディーカラー“赤”または“黄”が定番として通っている。だから価格が安くても、マットブラックではなかなか売れず、結局のところDJの倉庫を圧迫しているのだろう。それを解消したいために、営業マンが必死になって売りに来るのだ。
 マージンがプラス15万円もついているなら、そこそこ儲かりそうだと思うだろうが、正規販売店の上にはドゥカティストアがあり、当然ストアのほうがプラスマージンは大きい。仮に親であるTモータースと競合にでもなれば、価格では確実に負ける。無理な値引きをして成約を取ったとしても、儲けは雀の涙かそれ以下。
「Tモータースさんは近いから、競合になることが多いんだよ。ストアってさ、プラスマージンいくら出してんのよ?」
「そりゃ~、ギャルソンさんよりは多少…」
「多少じゃないでしょ、25万??」
「いやいやそんな」
 終わりのないやり取りだ。
 ただ、時には営業マンの立場も考えてあげなければ、大人の関係は保てない。“肉を切らせて骨を断つ”。折れることの裏には意味がある。
「しょうがないなぁ~」
「ありがとうございます」
「二台で同条件なら買うよ」
「えええええ」
「今月はハーレーの支払いがかなり多いんで、ない袖は振れないな」
「そこをなんとか…」
「なんとかなりませ~ん」
「わ、わかりました、それじゃ今回は二台15万ってことで」
 不毛なやり取りはちょくちょく起こる。

 2001年。ドゥカティの市場に活況をもたらすニューモデルが発売された。モンスターS4である。それまでのモンスターは、搭載エンジンが空冷で、伝統は継承しつつも、他社ネイキッドモデルと現実的なパフォーマンスの比較をすれば、一時代前と言わざるを得なかった。ところがS4は、スーパーバイク916の水冷エンジンを再チューンした上で搭載し、その官能的フィーリングはもちろん、スーパーバイク916に肉薄する走行性能を、ネイキッドバイクで楽しめるという触れ込みが反響を呼び、各バイク雑誌のメイン記事として取り上げられた。うちもさっそく試乗車を用意し、拡販に向けての準備を進めた。

 ドゥカティの水冷エンジンは以前からとても興味があったので、定休日に慣らしを兼ねて伊豆箱根を中心に走り込み、実際の魅力の程を探ってみた。
 東名高速は火が入ったばかりのエンジンを労わるために法定速度をキープ。御殿場ICで降り、箱スカ、芦スカと流していくと、空冷モンスターとは段違いな使いやすさに気がつく。これまでの900cc空冷エンジンは、「デスモってこんなもん??」と勘繰るほど高回転域に力がない。ところがS4は打って変わって伸びがスムーズ。4ストマルチのような爆発的なトルクは感じられないが、とにかく扱いやすく、伊豆スカへ入るころには、特性がわかってきたせいか、自然とペースが上がった。ただ、ハイスピードでコーナーへ侵入し、シフトダウンが甘かったりすると、エンジン回転と車速に差異が発生し、ホッピングという現象が簡単に起こり縮み上がる。こうなると曲がるどころではなく、下手すりゃガードレールへ激突だ。ホッピングはリアタイヤが路面をとらえられなくなり、スイングアームがポンポンポンと跳ね上がる現象であり、エンジンブレーキの利かない2ストでは基本起こらない。反面、4ストならどんな車両でも起きえるものだが、ドゥカティは抜きんでて顕著に出る。同じツインスポーツのビューエルでは、それほど気にすることはなかったので、ほんとびっくりした。尚、クラッチAssy.を“スリッパークラッチ”なるものへ交換すると、かなりなレベルで解消できる。
 
 一発で気に入ったS4。常連を皮切りに、新規来店客にも積極的に試乗を勧めたのは言うまでもない。
「どうでした?」
「いやぁ~~、エンスト、三回もしちゃいましたよ」
 そう、あまりにもレーシングライクに作られたドゥカティは、バイクライディングに不慣れな人、特に初心者は、違和感と手ごわさを訴えた。
 大きな要因は二つ。
 一つは“乾式クラッチ”。もう一つは低速でのぎくしゃく感。
 排気量が900cc以上のドゥカティは、全車乾式クラッチを採用している。ちなみに国産や他社のバイクのほとんどは湿式クラッチである。
 湿式はクラッチハウジングにオイルが入っていて、クラッチミートの際は滑らかにつながるが、乾式は何も入ってないので、クラッチ版が直接擦れ合い、繋がり方は唐突になりやすい。初心者でクラッチミートが苦手な人は苦戦すること間違いなし。半クラッチを多用すると、緩衝材であるオイルが入ってない関係上、クラッチ板だけでなく、ハウジングも想定以上に摩耗するという欠点がある。ではなぜドゥカティはわざわざ乾式を使うのか?
 これもレーシングライクに起因する。
 パワーを上げれば、それを受け止めるクラッチを大型化しなければならないが、当然重量が増える。その点、摩擦係数の高い乾式ならば、小型のままで使えるのだ。それと、注入されているオイルは、エンジン回転数が高まれば高まるほど、それ自体が抵抗となり、パワーダウンの一因となるのだ。
 低速走行時のぎくしゃく感については、もはや90度ツインの宿命。初心者にはやや抵抗があるだろう。4ストマルチのように、トップギヤホールドで、時速30kmからスムーズに加速するような芸当は逆立ちしても不可能だが、車速に対して絶えず適正なギアをチョイスできるようになれば、なんのこともない。
 このような諸々のマイナスイメージを感じつつも、ドゥカティならではのエンジンフィールに少しでも興味を持った方たちは、かなりな確率で成約してくれた。
「ちょっと手こずったけど、おもしろそう」
「加速の時の鼓動感がいいよ」
「ブレーキ、めっちゃ効くんですね」
 これまでドゥカティと言えば、かなりコアなファンのみの乗り物だったり、メーカーだったりしたが、モンスターS4は、少しでも多くのバイク好きにドゥカティの魅力をを知ってもらおうという、メーカーの意図がよく表れた会心のニューモデルなのだ。

バイク屋時代 35 ハーレーダビッドソン沖縄

 新しい店のサーチは思いのほか難航した。大崎社長は自称“店探しのプロ”?なので、不動産屋はもちろん、銀行、損保、組合と、広範囲に網を張っていたが、食指が動くような物件はなかなか出てこなかった。ただ、DJとの契約は完了していたので、モト・ギャルソン本店にはすでにイタリアンレッドのドゥカティが並んでいた。妥協してへんちくりんな店で苦戦するよりは遥かにマシである。
「それにしても996ってかっこいいですね~」
 常連の大田くんが、コーヒーカップ片手に深紅のボディをしげしげと眺めている。ビューエルコーナーの向かいにドゥカティコーナーを作り、とりあえずスーパーバイク996とモンスター900の二台を展示した。特に996はレーシングスタンドを使うと、そのレーサー然とした美しさが際立ち、俄然目を引く。モンスターもジャンル分けすればネイキッドなのだろうが、フレームを中心にバランスよく配置されたタンク、シート、サイレンサーは、傍に展示してあるヤマハのXJR400と比べると、どうしたって美的なまとまりは数段上だ。

「ドゥカティ、欲しいの?」
「ん~~、今はお金ないけど、一度は所有してみたいな」
 よく来店するスポーツバイク所有の常連客に、ビューエルやドゥカティの感想を聞いてみると、興味があるとないとでほぼ半々に分かれた。1992年にホンダCBR900RRが発売されてから、スーパースポーツ好きユーザーは、頂点性能を売り物にしている国産リッタースポーツへと視線が向いているのも改めてはっきりした。それこそ一昔前のGP500マシーンに迫るスペックは、難しいこと抜きに魅力的だ。ただ、ドゥカティのデザインについては、揃って「かっこいいね」が飛び出した。
 一方のビューエルも予想以上の健闘である。二年目に入ってからもモト・ギャルソンの販売台数は全国トップを継続し、週末に訪れる常連客の大半はビューエルオーナーと化していた。G GLIDEの会員数は二十名を超え、ツーリングのみならず、飲み会なども頻繁に行われるようになり、仲間の輪は着実に広がっていた。

南伊豆・奥石廊駐車場にて

「こんちわ~」
 春先に逆輸入車のホンダCBR1100XXを新車で購入してくれた原島くんだ。
「おうっ、ツーリングの帰りかい?」
「いやいや、ちょっとお話があって」
 彼はカスタムに興味があるから、マフラー交換の相談かもしれない。
「どこのマフラーにするか決まったんだ」
「違うんです。実は代替えしようと思って」
「えっ、ブラックバード買って半年ちょっとしかたってないじゃん」
 詳しく話を聞くと、先回のビッグツーリングへ参加した際に、刺激的なVツインサウンドを放つビューエルに一目惚れしてしまい、しかも愛車を囲み、和気あいあいとしたメンバー達を見ていたら、どうしてもビューエルが欲しくなり、つい最近発売したばかりのX1に買い替えたいとのこと。

 X1 LightningはS1の後継モデルで、発売は1998年9月。ハーレーでいうところの1999年度モデルである。フルモデルチェンジと称して憚らない内容は、エンジン本体がスポーツバイクであるビューエルに最適化された新設計になり、排ガス規制に対応するため、キャブレターからフューエルインジェクション(DDFI)へと変更になった等々、大幅な変更が図られた。実際に乗ってみると、エンジンマウントとフレームの強化によって、コーナリング中の安定感は格段に向上していた。
「ブラックバードみたいにはスピードでないよ」
「いいんですって。それともうひとつお願いがあるんですけど」
「なに?」
「入れてください、ギャルソンに」
 原島くん、学校を卒業してからも進むべく道が見つからず、アルバイトをしながらいろいろと考えていくうちに、好きなバイクを扱える仕事がいいのではと、つい最近決心が固まったようである。
「わかった。とにかく社長に話してみる」
「よろしくお願いします!」

 小太りで色白、くりっと目が大きく、いかにもいいところの家庭で育ったボンボン。そんな雰囲気剥き出しの彼。大崎社長の好きなタイプではなかったが、ビューエル&ドゥカティの新店要員として採用が決まり、一か月間の研修が調布店で始まった。
 調布から本店へ本配属されると、当初の予想を覆す頑張りをみせ、コンスタントに売り上げを伸ばしていった。
「原島くん、けっこう売るね」
「だめですよ。新店要員なんだから」
 社長も笑みが出る。もともと原島くんは俺のお客さんだったから、採用に際しては社長にやや無理を通してもらった。だから彼の働きぶりを見てひと安心である。販売に慣れてくると、今度はG GLIDEの世話係を買って出て、ツーリングコースの選定から飲み会の段取り等々、積極的に動いてくれた。いい意味でまだお客さん感覚が抜けていないから、このような仕事が楽しくてしょうがないのだろう。久々に頼りがいのあるスタッフが育ちつつあり、新店への展望が開けてきた思いだ。

 外車の色が濃くなるにつれ、当然のように国産ユーザーの店離れが進んだ。独立して修理メインの店を出した近江くんに連絡を入れると、アフターサービス等々を求めて来店してきたギャルソンのお客さんはそれほど多くなく、ほとんどの方たちは他店へ鞍替えしたと見るべきか。致し方ないとは言え、週末ごとに遊びに来てくれた国産ユーザーの面々が、ことごとく離れて行ってしまう現実を目の当たりにすると、言いようもなく寂しいものだ。
 そんなある日。社長からまたまたとてつもない話が飛び出した。
「木代くん、こんどね、ハーレーダビッドソン沖縄を出すことにしたよ」
 びっくりである。いくらハーレービジネスに勢いが付いてきたと言っても、こう立て続けでは、はたして人員体制やら資金やらが追い付いていくものなのか。三十坪のバイク屋を出すのとはわけが違う。しかも店名にハーレーダビッドソンを冠するということは、正規ディーラーである。
「ハーレーダビッドソンって、それ、LTRじゃなくて正規ディーラーなんですか」
「ふふ」

 HDJ社長の奥村さんと取引をしたのだそうだ。
 ハーレーネットワークは順調に全国へと広がり、今や都道府県下で正規販売店がないのは沖縄県のみ。これを何とかしたいのが奥村さん。そこで沖縄に明るい大崎社長へ白羽の矢が立ったわけだ。子会社のゴーランドが運営するダイビングショップ“ムーバ”が、一年前に沖縄でプレジャーボートを手に入れ、ダイビングツアーを始めており、開設まで至るに当たって、現地に多くの人脈を作っていた。そんな背景を考慮され、声がかかったのだ。
「でも社長、沖縄ですよ。遥かかなたの店をどうやって管理するんですか。そもそも開業資金は大丈夫なんですか?」
「まあまあ、これがね、いい条件付きなんだよ」

 沖縄に正規ディーラーを出店してくれれば、その見返りに調布と東村山の二店を同時にLTRから正規ディーラーへと昇格させるというのだ。新規獲得力や既納客の満足度などを考えれば、これはとてつもなく大きい。当然、HDJとは直接取引となるので、トータルマージンは増え、利益は大幅に増えるはず。しかも正規ディーラー三店舗体制でだ。資金さえ何とかなれば、またとないチャンスかもしれない。
「肝心のスタッフは、だれが?」
「茂雄がなんとかウンと言ってくれたよ」
 茂雄とは、大崎社長の長男である。俺が吉祥寺店担当になったころ、ちょくちょく店に遊びに来ていて、メカたちにアドバイスをもらっていたのを覚えている。彼はバイクいじりが大好きで、現在は練馬にある某ハーレーカスタムショップにメカニックとして勤めている。ただ、新店の店長ともなれば、当然バイクいじりだけでは済まされず、人をコントロールしての店舗運営が求められる。
「よかったじゃないですか。まっ、俺はドカとビューエルで頑張りますけど」
「なんだか冷たいね」
 冷たいと言われてもしょうがない。頭の中はドゥカティ&ビューエルでいっぱい。これこそ俺の進む道なのだ。

バイク屋時代 34 降ってきたチャンス☆

「木代く~ん、ちょっといいかな」
 振り返ると、社長が事務室の窓越しから手を振っている。営業報告書を作っていたので、まずは忘れないうちに保存ボタンを押す。おっちょこちょいの俺は、せっかく作った資料を上書き保存しなかったために、幾度となく泣いていた。
「はいはい、なんでしょう」
「昨日さ、ドカから電話があってね」
「えっ、ドカって、ドゥカティ?」
「そう」
 最近仕入れた情報によると、ドゥカティも遂に日本現地法人“ドゥカティジャパン”を設立したようだ。これまでは新宿にある村山モータースが最大の輸入玄関口で、うちのお客さんがドゥカティを欲しいとなると、業販してもらっていた。つい先月も900SLを仕入れたばかりだ。
「で?」
「やらないかって、販売店を」

 とにかくバイクは2ストかマルチだと、俺は若い頃から言い張っていた。トルクの盛り上がりが爆発的な2スト、心拍数を上げるマルチの伸び。刺激的な乗り物の最右翼であり続けるバイクにとって、搭載されるエンジンが生半可なインパクトでは許されない。ところがBUELLを知ってからツインの面白さに目覚めてしまい、自然な成り行きで、ツインスポーツの名門、イタリアのドゥカティへ目が行くようになった。90度L型ツインと独自のバルブ開閉機構“デスモドロミック”(Desmodromic)にこだわり、しかもその性能をレースによって証明し続ける企業姿勢からは、ただならぬ情熱がほとばしる。レースはもちろん、スポーツバイクが大好きな俺にとっては興味津々の対象だ。
 きっかけの一つとして挙げられるのが、スーパーバイク世界選手権(SBK)。ドゥカティ851SPを駆るレイモン・ロッシュの活躍には目を見張った。

レイモン・ロッシュと市販車851

 当時のロードレース世界選手権最上位クラスである、GP500の参戦マシーンを見ると一目瞭然だが、そのほとんどが日本メーカー製なのだ。エディー・ローソンはヤマハYZR500、ワイン・ガードナーはホンダNSR500、そしてスズキはRGVΓ500のケビン・シュワンツ等々である。つまり、速いマシーン、勝てるマシーンは日本製が当たり前の世界だった。そんな中、SBKが市販車ベースのレースとは言え、ホンダのRC30やヤマハOW01等々、強力なモデルが出揃う中、驚くなかれ、イタリアのバイクがトップを激走、チェッカーを受けているではないか。当然だが、ドゥカティというメーカーに興味がわき、製品開発の何たるかが徐々にわかってくると、それまで頑なに信じていた、高性能バイクには必須とされていた様々な要素が、ことごとく崩れていった。
 レプリカ時代が始まり、スポーツバイクの高性能化が急速に進んで行く中、どこのメーカーも車体のフレームはクレードルタイプから強度の高いツインチューブへ移行していった。ところがドゥカティは伝統のトレリス型のパイプフレームを採用し続け、絶対強度よりも経験から得た“しなり”を重んじていた。

ヤマハ・デルタボックスフレームとドゥカティ・トレリス型のパイプフレーム

 4サイクルエンジンに於ける高出力化には多気筒化が必須。これに対してもドゥカティは前面投影面積が小さく、冷却効果に優れたL型ツインを堅持した。
 他にもある。1994年からカール・フォガティ―が駆り、連戦連勝を誇った916レーサーには、なぜかリアに片持ち型のスイングアームが採用されていた。耐久レースではタイヤ交換をクイックに行えるという利点はあるが、スプリントレースには何のメリットもないはず。ところがどっこい、なんとコーナーで日本製レーサーをことごとく突き放したのだ。コーナリングスピードは、フレーム性能を表すバロメーターとも言われているのに…

カール・フォガティと916レーサー

 俺の愛車はカワサキ・ZXR750。だから米国MUZZYカワサキチームのスコット・ラッセルの大ファンだった。彼とZXR750Rは最高のマッチングで、1993年にSBKへ初挑戦すると、いきなり総合優勝をもぎ取った。続く1994年には、カール・フォガティ―のドゥカティ916と熾烈な優勝争いを展開、結果は二位に甘んじてしまったが、この年のバトルシーンを観ていくうちに、ドゥカティのとんでもない総合力を改めて知ることになり、なによりその美しい車体に魅了されてしまったのだ。

スコット・ラッセルとZXR750R

「やりましょう! ドゥカティ」
 降って降りてきた願ってもないニュースに、ついつい声が大きくなった。
「木代くんがやりたいって言うなら、ちょっと考えがあるんだ」
 その考えとは、これを機にもうすぐ開店から十年が経つモト・ギャルソン本店を閉めて、新たな店をビューエルとドゥカティのみを扱う正規店にするというもので、同時に国産バイクの扱いを完全に終わらせることになる。長らくご愛顧いただいた国産バイクのお客さんには申し訳ないが、二大ツインバイクを扱う正規販売店の話は大きく心を震わせた。
 ドゥカティジャパン(DJ)へ返答する前に、本店スタッフへその旨を伝え、ドゥカティビジネスと新しい店の有りようへの同意をうながすと、大杉メカ、柳井メカ、そしてつい一か月前に入社したメカニック見習の坂上くんも、ぜひやってみたいと、前向きな姿勢を見せた。これをもって、正式にドゥカティ正規販売店参入願の申請をDJへ提出したのだ。
 構成メンバーは、大杉くん、坂上くんがドゥカティメカニック、柳井くんはビューエルメカニック、俺は店長兼任の営業マンでだ。
 そして一週間後、大崎社長が中目黒にオフィスのあるDJへ出向き、本契約並びに規約説明を受けた。

「変なところばっかりHDJの真似してさ、やりにくいし、メリット小さいよ」
 本契約の翌日に行われた報告会での社長第一声である。これからの話なのに、社長は不満面だ。
「浮かない顔じゃないですか」
「浮くわけないよ」
 取引形態がハーレーと良く似ていて、ハーレーダビッドソン〇〇と同じく、ドゥカティ○○という屋号は、正規ディーラーである“ドゥカティストア”にならないと使えないとのことで、そもそもドゥカティストアは専業店である。もっとも、うちはビューエルとドゥカティの二本柱の店をやりたかったので、それ自体に問題はなかった。ただ、ハーレー店を二店立て続けに出したうちの台所事情は甚だ厳しく、仮にドゥカティストアを立ち上げようとしても、到底無理な話だった。
「ドゥカティなんかさ、ハーレーのようには売れないって」
 二言目にはこれが出た。そんなことは俺だってわかってる。が、スタッフに面と向かって言っちゃいけね~よな。うちの社長はこうゆうところが、ほんとわかってない。
 仕入れについてもハーレーと同様、ストアでない販売店は、直接DJから卸してもらうのではなく、“親店”経由になり、当然マージンは抜かれる。しかも基本マージンがハーレーより少ないから、ビジネスとしてのうまみがあまりない。ちなみに親店になるのは東久留米にある【Tモータース】。これまで付き合いがまったくないのでちょっと不安だ。

 まぁ、大崎社長の胸の内を察すれば、恐らく契約を白紙に戻したいところだろうが、スタッフの新店へ対するモチベーションが上がっている現況を鑑みれば無下にもできず、一縷の望みにかけた苦渋の決断なのだ。よって社長には絶対に迷惑をかけられない。まじめな話、< 失敗 = 玉砕 = 退職 >である。

バイク屋時代 33 意思の疎通

 ハーレー快進撃はうちだけではなく、多少の差こそあれ、全国ほとんどのディーラーから好調を示す数字が上がっていた。LTR調布の成功で勢いづいた大崎社長は、一年もたたないうちにハーレー二号店となるLTR東村山をオープン。サービス部長の松田さんが店長を受け持った。新青梅街道沿いで、野口橋交差点から西へ1.5Kmのところだ。
 ハーレー店の活況に合わせるように、ハーレー要員として採用していたスタッフの再配置が行われ、三波くん、瀬古くんがLTR調布、そして長野くん、梶原さんがLTR東村山へと異動になった。
 これとは対照的に、一人二人とスタッフが減っていった本店は、うら寂しい空気が漂うばかり。開店から早くも九年目を迎えていたが、最盛期の面影はもはやどこにも感じられず、あいかわらず低い利益率に悩まされていた。
 モト・ギャルソンの方向性を憂えたのか、はたまた見限ったのか、ここ一年ほどでスタッフの離職が相次いだ。代々木里佳子は実家へ帰り、岸山裕子は寿退社、松本くんは転職、そしてメカニックの近江くんの独立がついに本決まりとなった。
 本店の契約期間は十年。再契約か撤退か?!
 判断が迫る。

「これからはハーレーだよ」
 最近、耳にたこができるほど聞かされている社長の口癖である。
 業績好調で会社が潤うのはけっこうなことだが、俺としてはどうにも引っかかるところがあり、もろ手を挙げて喜ぶ気分にはなれない。以前にも記したが、俺も含め、うちのスタッフはバイクが好きという一心で働く意味を保っているのだ。しかも関わりたいバイクやジャンルはしっかりとある。そんなところへ会社はハーレー一色になろうと動き出している。ハーレーを扱いたくて入社してきた面々は良しとして、古くからいるスタッフのほとんどはスポーツバイクが大好きなのだ。松田さん、江藤さん、吉本くん、近江くん、大杉くん、そして俺などは、ぶっちゃけハーレーには食指が動かない。与えられた仕事と言われればそれまでだが、モチベーションの低下は避けられない。以前にも述べたが、バイク屋の仕事はちょっと特殊であり、趣味の延長上と捉えている者は想像以上に多く、中には経営者さえも同様に考えているところも少なくない。
 そんな中、事件が起きた。
 オープン直後から好調を維持していたLTR東村山。ある日店長の松田さんが整備作業中に手に怪我を負い、それ以降一週間ほど休みを取っていたのだが、復帰することなく、そのまま離職となったのだ。怪我の状態が芳しくないというのが流れている退職理由だが、それは違う。俺なりに彼のことは知っている。どう足掻いたって松田さんはハーレーワールドに馴染めないのだ。そして彼と仲の良かったメカニックの吉本くんも、連鎖的に去っていったのである。松田さんは役員、吉本くんは元工場長という、会社側に最も近い立場だった。
 大崎社長にとってハーレービジネスの拡大は、大きな利潤を得られる最良の手段だろうが、経営者と従業員では根本的に仕事へ対する捉え方が異なる。国産からハーレーへと、取り扱い車種が変わる過渡期に、最も留意しなければならなかった、<経営者と従業員間の意思の疎通>がほとんど図られなかったのは、大きな手落ちではなかろうか。いつもどおり、大崎社長はひとり突っ走ったのだ。
 それでもこの騒動を乗り越え、ハーレー好きで固まった両LTRのスタッフ達は、次のステップへと力強く進んでいった。尚、松田さんの後釜には、初となる女性店長・山田美紀さんが入った。彼女は営業手腕にたけていたので、LTR東村山がさらなる売り上げ増を遂げたのは言うまでもない。

 ハーレー部門の躍進で明るさを取り戻したモト・ギャルソンだったが、相変わらず本店の行く先は不透明だった。唯一決まっていたのは中古車店ギャラツーの閉店。店長の江藤さんは一旦ハーレー部門に身を置き、関連の仕事を覚えた後は、ハーレーの中古車部門を任されるとのことだった。

 ちょっと話はそれるが、Windows98が発表されたタイミングから、モト・ギャルソンでも本格的にパソコンを導入することになり、総務課では経理ソフトを使って業務の生産性向上を、そして営業、サービス部門では、新たに構築した顧客管理プログラムにより、営業戦略とアフターサービスのデジタル化にトライした。
 【モト・ギャルソン顧客管理システム】と名付けたプログラムは実に使い勝手がよく、顧客とバイクをメインのデータベースとし、顧客関連ならば、購入、下取り、点検、修理、イベント参加等々の履歴を管理し、バイクならば、仕様詳細のデータを基本に入出庫履歴が記録され、もちろん顧客と紐付いた。このシステムを活用すると、営業なら商談メモ、サービスであればカルテが不要になり、様々な仕事の効率が飛躍的に向上した。また、Word&Excelの勉強会も開き、会議資料、プライスカード、簡単なチラシや案内であれば、四苦八苦しながらも、スタッフの手によって作成できるようになった。
「ホームページを作るとどうなるの?」
「どうなるって、これからの時代には必要ですよ」
「とは言っても金がかかるしな。その分売り上げが上がればいいけどさ」
 パソコンを導入したまではよかったが、社長はいざホームページの話になると、頑なに懐疑的な立場をとった。まあ、わからないでもない。俺だってホームページの効果を的確明瞭に説明しろって言われたら困ってしまう。
「作って公開しても、すぐに反応はないと思いますが、データの更新を地道にやっていけば、アクセスは増えていくはずです」
「安ければいいんだが…」
 二言目には金である。
「社長、それ言ったらバイク雑誌の広告なんて、どぶに金を捨てるようなもんじゃないですか」
「そりゃ言い過ぎだろう」
 今日も実らない意見の応酬が続く。

バイク屋時代 32 大崎社長は強運の人

 社長の病気がリウマチと診断されたのは、ずいぶん後になってのことだ。
 この頃、国内におけるリウマチ治療は現在ほど進んでおらず、効果的な薬もなかった。これに対して米国はリウマチ医療の先進国だったので、社長の検査データを米国の大学病院へ送り、分析してもらって初めてリウマチだと判明したのだ。ただ、同国に様々な治療薬が出回ってはいても、日本では国の承認が下りてないため簡単には使用できない。そんな中、関東圏でリウマチ治療に積極的だった埼玉医科大学が、治験を行うという情報を聞きつけ、杏林病院を通じて問い合わせたのである。

埼玉医科大学病院と杏林大学病院

 大崎社長は強運の人。
 治験はややもすると万能の救済策と思われがちだが、実際に効果が表れるのはほんの一握り。ところが社長の場合、幸運なことに効き目があらわれ、痛みは残ったものの、進行にはブレーキがかかるという、願ってもない結果を得られたのだ。
 ただ、起床したらまず風呂につかり、体を十分に温めてから、手首、膝まわりの関節を少しずつ動かしていく。こんな日課は変わらず続ける必要があった。
 そもそもリウマチは現代の医学をもっても完治は不可能。症状を低減させ、生活に支障のない状態までもっていく“寛解”が限度なのだ。当時それに近いレベルまで回復したのだから、万々歳と言えた。ただ、ゴルフを普通に楽しめるようになるまでは、ここからおおよそ二十年を要した。

「やばいよ。ヤマハの所長がかんかんだってさ」
「えっ? どうしてですか」
 LTR調布の認可が下りて、開店準備は急ピッチで進んでいた。ところがだ、元の店であるYSP調布の社長が、ヤマハへ閉店報告を入れたタイミングがかなり遅かったらしく、うちが既に契約を完了させ、近々にハーレーの専業店として新たにスタートする間際になってやっと販社の耳に入ったようなのだ。当然ヤマハにも管轄エリアがあるわけで、知らぬ間に商圏に穴があき、しかもそこに競合メーカーの店が建つという最悪のパターンになったわけだから、かんかんにならないわけがない。
「そりゃやばいですね~」
「まあYSPの社長はやめちゃうわけだから、後のことはどうでもいいって感じだったんだろ」
「それにしても…」
「そうそう、週明けにヤマハ西東京の会議があるんで、木代くん行ってね」
「えぇぇぇぇぇ」
 針の筵。

 ハーレー騒動はヤマハだけでは終わらなかった。
 YSP撤退は突如湧き出た話だったので、大崎社長もこのチャンスはとにかくものにしようと、わき目も振らずに突っ走った感があり、本来なら踏んでいかなければならない様々なステップを端折っていたのだ。
 そう、もう一つの騒動とは、事前に行わなければならない、近隣二輪販売店への開店挨拶を、忙しさにかまけて後回しにしていたことで、同業者から非常識との声が出始めていたのだ。特に目と鼻の先にある〇〇府中オートが大憤慨の様子。この店は組合員ではなかったから、全く情報が入ってこなかったようだ。外装もほぼ完成し、Harley-Davidsonのロゴ看板を取り付けたその日に、煮えくり返った店主が乗り込んできた。
「おたくもずいぶんだね。業界の常識ってもんがあるんじゃないの」
「いや~、ほんとすみません、バタバタしてたんで」
「この辺の社長連中、みんなぶつぶつ言ってるよ」
 仏頂面のまま、なめるように店内を見回している。
「ちなみにさ、月何台くらい売る予定なの?」
「まだ何とも言えないですが、4台から5台売れればいいかなって」
「ほ~、そんなもんだ」
 府中オートの社長、急に仏頂面が緩んだ。
「まっ、がんばってよ」
「お騒がせしました。近いうちに顔出します」
「おう」
 踵を返すと、あっけなく帰っていった。
「嵐は過ぎ去りましたね」
「たぶんあの社長、売り上げが4~5台って聞いて安心したんだ。ハーレーの儲け幅を知らないからな」
「なるほど」
 ハーレーを5台売ったら、国産バイク20台分の儲けに迫ることを知っていたら、仏頂面は収まらなかったかもしれない。
 商談カウンターに戻り、缶コーヒーのプルトップを開けて一服つける。
 真正面に甲州街道が走り、左手には“東京オリンピック・マラソン折り返し地点”の看板。そして北方面は、広大な関東村跡地という荒涼とした風景。ついつい思う、果たしてこのロケーションで売れるだろうかと。YSP調布が撤退した理由がなんとなくわかるような気がしてため息が出る。それにモト・ギャルソンは創業以来、ずっと武蔵野市を中心として営んできた。近いとは言っても今回の店は調布である。
「社長、ここって、けっこう寂しいところですね」
「まあね。でも、ハーレーはエリア販売だから、知れてくれば絶対売れるよ」
 いやはや力強い。大崎社長はいつだってぶれないしポジティブだ。経営者はこのような性格じゃなければ務まらないかもしれない。
 そう、大崎社長はとにかく強運の人なのだ。
 LTR調布をオープンして一年ほどすると、関東村跡地に重機や多量の資材が運ばれ始め、なにやら物騒ぎなムード。聞けばサッカーをメインとして開催する東京スタジアム(現在の味の素スタジアム)の建設工事が始まるとのこと。サッカーの試合があればおびただしいほどの観戦客がやってくる。LTR調布はそんなファンで沸き立つスタジアムの目の前にあるのだから、人の目につくことは必至。これ以上効果を見込める宣伝は絶対になく、モト・ギャルソンにとっては強力な追い風になるわけだ。

 LTR調布はオープン直後より予想以上の成果を上げ続けた。売上はもちろん、既納客の固定化についても、チャプターと称するハーレー公認のメンバークラブの積極運用で、ツーリングをはじめ、クリスマスパーティーやボーリング大会等々の定期イベントも回を増すごとに盛り上がった。