「バイク屋時代」カテゴリーアーカイブ

バイク屋時代41 乗りやすいドゥカティ

 二〇〇三年。ドゥカティスーパーバイクがモデルチェンジ。その名も【999】。ラインナップは、ベーシックモデルの“999”、オーリンズサスペンションなどで足回りを強化した“999s”、そしてスーパーバイク世界選手権参戦用のホモロゲーションモデル“999R”の三機種である。
 916系のフォルムを跡形も残さないフルモデルチェンジの999は、巷で賛否両論になることは間違いなしと思われた。現に杉並店スタッフの間でも喧々諤々と意見が飛び交った。
 メカニックの大杉、坂上は、口をそろえて、
「悪くないけど、どうかな~、好きになれないかも~」
 ところが営業の原島は目を光らせた。
「店長、おれ、社販で買いたいんですけど」
 と、きたではないか。
「よく考えた?」
「もちろん。一目惚れですよ」
 Hライトが縦二灯になり、面構えが引き締まってグッときましたと言うから、人はわからない。ただ、このバイク、DJ開催の発表会の時に実車に跨ってみたのだが、スーパーバイク系とは思えないほど足つきがいいのだ。国内外問わず、昨今のスーパーバイクはやたらにシート高が高く、それに対してハンドル位置が低いので、実際なところ、頭に血が上りそうなライディングポジションを強いられる。サーキットや伊豆スカあたりを走るならまだしも、ツーリングに使ったら拷問器具以外の何物でもない。ところが999は違う。メーカーの意図かどうかは定かでないが、ハンドルとシートの位置関係がすばらしく自然で、肩に力を入れることなく走り出せそうなのだ。例えばレプリカと言っても俺のZXR750は一九八九年式と古いので、似たようなポジション。これも長く所有している理由の一つである。

 少なくない酷評に見舞われた999だが、実力は本物。ワールドスーパーバイク選手権では、メイドインジャパンのレーサーを相手に大暴れ。二〇〇三年、二〇〇四年、そして二〇〇六年とチャンピオンシップを獲得、これを受けて販売も好調に推移した。本格的な走行性能を持ちながら、様々な用途で使えるってのは、生半可な技術力では果たせるわけもなく、実にハイレベルな総合性能の証なのだ。ただこの頃、国産スーパーバイクは、一昔前のワークスレーサーと見間違えるほどの超高性能化が進み、ドゥカティ999sの最高出力143PSに対し、スズキのGSX-R1000は160PSオーバーという、とてつもないスペックを誇っていた。

DSエンジンとモンスターS2R1000

 ドゥカティの進化は何もフラッグシップのスーパーバイクだけではない。伝統の空冷エンジンにも素晴らしい技術の導入があった。
 排ガス規制対策のためにやむなくFI(フューエルインジェクション)仕様としたモンスター900、SS900だが、搭載される空冷エンジンは、前にも述べたようにキャブで動いていた頃のもので、それを単純にFI化すると、特性に変化が生じ、使い辛くなったり、味わいもイマイチになったりと、中途半端な製品になってしまう危惧はあった。こんな状況に対し、伝統の900cc空冷エンジンは排気量を1000ccへとスープアップ、さらに点火系をデュアルスパーク(DSエンジン)として生まれ変わったのだ。999の設計方針と同様、マニアックイメージが先行したドゥカティから、多くのライダーに支持されるドゥカティへと、大きく転換を図る必要が出てきたことは言うまでもない。
 DSエンジンを搭載したモンスター1000とSS1000は、見た目こそ前モデルと変わりないが、乗ってみれば驚くほど使いやすく、且つパワフルに進化した。店の試乗車であるS4は大のお気に入りだが、この新しいDSエンジン搭載のモンスター1000もなかなかどうして魅力的。
 このエンジンのフィーリングに関して、ちょっとした比較例がある。

 栃木県那須市にある【那須モータースポーツランド】は、バイク専用サーキット。一周12kmのテクニカルコースで、現在はレッドバロンが所有運営しているが、杉並店がオープンしたころは、うちの取引先である“ピレリジャパン”が管理していたので、ビッグツーリングの際には、半日貸し切りのサーキット走行会を開催し大いに盛り上がった。
「部長、なんか乗りにくそうですね」
 ホンダCBR900RRを駆る、うちの女性スタッフ山田美紀さん。スタッフ走行枠では終始テールトゥーノーズであおりまくられ、二周目の最終コーナーでは、横に出たなと思った瞬間アウトから抜かれ、そのままストレートで一気に離された。まったく情けないったらありゃしない。
「みきさん、速いねぇ~~、ついてけないよ」
「あら、部長らしくない」
 俺のテクではモンスター900を自在に操るのは不可能のようだ。パワーバンドが狭く、シフトミスでもすれば全然加速しない。観戦席から次から次へとヘアピンコーナーへ侵入してくる各車を眺めていると、さすが常連のTさんだ、SS900のオーナーだけあって見事な操り加減だ。悔しいが俺の場合、このサーキットでは間違いなくビューエルX1の方がスムーズ且つ速く走れると思った。

 そして二年後。注目のDSエンジンを搭載する、スポーツクラシックシリーズのGT1000で那須モータースポーツランドを走る機会が訪れた。もちろんビッグツーリングでの企画だから、ここまでツーリングしてきて、すでにその乗車フィーリングの一端は確認していた。
 まずはグループの先頭で皆をひっぱり慣熟走行。一周回ってきたら一旦ピットへ入り、すぐに最後尾へ付けてフリー走行を開始する。
 裏ストレートではスピードの乗りが格段にいい。ツバメ返しからの立ち上がりも力強く自然。ヘヤピン中もスロットルパーシャルにギクシャク感がないのでスムーズにクリア。最終コーナーを深いバンクから加速し、ゼブラを踏みながら速度を上げる。
 やはりDSエンジンは全くの別物だった。中級レベルの集団だったら鼻歌まじりで付いていけるし、なにより流していて楽しい。もはやGT1000は一番のお気に入りになったが、ちなみに同じエンジンを載せている、マルチパーパスのムルチストラーダ1000もご機嫌なバイクである。オンとオフの中間的なモデルだから、サスペンションストロークが長く、トラクションの掴み具合が掴みやすい。乗り心地もソフトで、どんな用途でも安心して使うことができる。

Multistrada1000とGT1000

 DSエンジンの可能性は一年前から気づいてはいた。一度だけだが埼玉の“本庄サーキット”で走行会を開催したことがあり、残念なことに雨降りにやられて欲求不満に終始したが、この時に持ち込んだ車両がDSエンジンを搭載した、発売直後のモンスターS2R1000。馴らしが終わったばかりで、操作もイマイチ慣れていなかったが、レインコンディションの中でも、抜群に使いやすいトルク特性のおかげで、そこそこペースを上げてもそれほど不安は感じなかった。
「木代くん、コケないでよぉ===!」
 同行した大崎社長が心配するのはわかる。ただでさえおろしたての試乗車なのに、それをスリッピーなサーキットで飛ばしているのだから。ところがどっこい。スロットル開度に対して従順なトルクが出るDSエンジンは、こんな悪いコンディションだからこそ真価を発揮するのだ。

バイク屋時代40 二〇〇三年十二月

「木代くんさ、明日のためにいいもの借りたよ」
 杉並店の内装工事が完了し、ついに明日、本店から引っ越しである。工場とショールームには、持って行くものと不要なものとが整然と分けられているが、不要なもののあまりの量に唖然。断捨離は普段から行うべきと常に意識しているが、これがなかなかできない。
 さて、江藤さんが“いいもの”と言っていたのは、HDJが所有するイベントトラック。10トン車でガルウィングのゲートを持ち、バンドのステージにも早変わりできる巨大なトラックだ。これなら荷台の全周囲から片っ端に積み込みが可能だし、その積載量は半端でなく、何度もピストンすることはないだろう。
「そりゃ凄い、ありがとうございます!」
 イベントトラックを借りられたことにより、引っ越しはダブルヘッダーとした。同日に総務課の家具備品も、すべてHD調布の二階へ移すのだ。
 引っ越し日は全店休業とし、スタッフ総動員で行われた。最初にイベントトラックを借りてくる必要があったので、スタートはやや遅めの午前九時過ぎになったが、リーダーシップ炸裂の江藤さんが陣頭指揮を取ってくれ、無駄なくスムーズに事は進み、当日の午後六時前には移動がすべて完了。江藤さんはイベントトラックを戻しに、再び横浜のHDJ倉庫へと向かっていった。
「えらくバタバタしたけど、これならすぐに営業できそうだな」
「だめだめ、坂上がのろくってさ、、、まだ自分の工具と、修理に使う部品の整理が終わってないんだよね、なっ!、坂上」
「は、はい…」


 坂上健治、メカニック見習。入社して早くも一年が経つが、メカニックとしてはややイレギュラーな入社の経緯があった。
 ホンダCB400SFを所有する顧客のAさんは、プロの料理人。アルバイトだがアシスタントを一人雇っていて、それが坂上だった。坂上は以前からバイクが好きで、いつかはバイクを扱う仕事がしたいとA氏に話していたそうで、ついに親心が芽生えたのか、ある日俺に坂上の面倒話を持ちかけてきたのだ。しかし、メカニックを採用する際、基本的にうちは経験者または整備士学校卒業者に限った。社長に相談すると、
「未経験者じゃ務まらないな」
「大杉くんがマンツーマンで鍛えるって言ってくれたし、もし三か月経って使い物になりそうにないなら、その時は辞めてもらうという条件じゃだめですか」
 なかなか首を縦に振ってくれなかった大崎社長だったが、
「しょうがないな~、Aさんの頼みってことで、受け入れるか」
 晴れてギャルソンファミリーの一員になった坂上は一生懸命働いた。たまたま同じころに入社した、整備士学校出の新卒がいたので、負けん気が出たのかもしれない。彼の長所の際たるところは明るさ。工場に快活な張り切りボーイが一人いるだけで、雰囲気はガラッと変わる。ただ、ちょっとだらしないところが難点であった。やりっ放しの傾向があり、絶えず彼の周囲は散らかっていた。これが教育責任者の大杉くんにとって悩みの種であり、癪に障るところ。技術的なことは呑み込みがよかったから、尚更目につく。
「坂上、帰るまでに一時間あるから、ちゃっちゃと片付けろ」
「はい」
 そんなやり取りを横目で見ていた営業の原島は、坂上が部品を棚にしまい始めると、何気に手を貸しだす。そう、二人は仲がいい。
「原島、手伝わなくっていいんだよ!」
 すかさず大杉くんの檄が飛ぶ。

 杉並店開店日は二〇〇三年十二月二十日(土)。初日は常連さんが大挙したが、そんな中にも商談が二件あっててんてこまい。昼頃に大崎社長と仲のいい、某ハーレーディーラーのU社長が様子を見に立ち寄ってくれたようだが、商談の真っ最中でちゃんとした挨拶もできなかった。気がつくと姿が見えないので、とりあえず大崎社長に顛末だけを電話しておいた。
「そうなんだ。ハーレーじゃない店なのに、お客がわんさか来てたんでびっくりしたんじゃないの」

「すみませ~~ん、とおりま~す」
 正面の自動ドアが開くと、坂上が黄色のモンスターを押して入ってきた。通路には臨時のテーブルを出していたので、バイクの出し入れのたびに、寛いでるお客さんに避けてもらわなければならない。どうにもあんばいが悪い。
 そうそう、スタッフ紹介が遅れてしまったが、ドゥカティメカニックは工場長の大杉と坂上、ビューエルメカニックは柳井、そして営業スタッフは原島と店長である俺の、総勢五名でスタートである。

ドゥカティ三人組

 実際に営業が始まると、予想はしていたが、ぽつりぽつりと問題が起き始めた。
 なにより頭が痛かったのが、店の真裏に自宅を持つEさんから、「排ガスと化学臭が酷いからすぐに対処しろ!」と怒鳴られたこと。
 Eさん宅は、夫婦と娘二人の四人家族。このうち、奥さんと上の娘さんが極端な化学臭嫌いで、以前マイカーを導入したところ、この二人だけがどうしても車の匂いに馴染めず、購入早々に売却したとの話を聞いた時は、生半可な対処では解決できないと直感。すぐに東亜建設の長嶋さんへ事の次第を伝え、専用の排気ダクトを作ってもらうことにした。整備の際、バイクのマフラーへダクトの吸い込み口を取り付けて、それをマンションの外壁に沿って這わせ、店前の歩道まで持ってくるというものだ。バイクから出た排気は、環八の大渋滞の中へと散っていく。これでとりあえず排気ガス問題は落ち着いたが、依然Eさんの怒りは静まらなかった。今度はガソリン臭である。
 ガソリンは燃料であるとともに、部品、特にキャブの洗浄には欠かせない溶剤だ。工場内の匂いは、換気扇から裏へ向かって吐き出されるので、これにも排気ダクトを取り付けて環八へ放出するとこにした。ところがダクトが長くなるにつれ、換気扇の能力が足りなくなり、終いには逆流し始める。これでは仕事どころではない。よってこれにも途中に換気促進のためのモーターを取り付けるはめになった。この他にも、「インパクト音がうるさい!」と怒鳴りこまれ、大きな音が出る作業は平日の昼間のみに限定することで、なんとが了承を得ることができた。
 東京でバイク屋を営むとなれば、当然周囲は一般住居。音と臭いのトラブルは間違いなく降りかかってくる。この点を事前にもっと掘り下げ、開店前に対策を講じておけばよかったと深く反省。ハーレー店二店の出店を含め、勢いだけで進めてきたことによる“手落ち”に他ならない。自分たちの都合だけで商売を進めたなら、間違いなく周囲との摩擦が起こり、大きなしっぺ返しがやってくるのだ。

 ビューエルのニューモデルXB9Rは、良いにつけ悪いにつけ、常連たちの話題に上がった。X1までの既存ユーザーは、皆そろって「ビューエルらしくないな。買い替えはありえない」と冷めた目線を突き付けた。実際にうちでは一人の買い替えも起こらなかった。そんな中、ドゥカティとビューエル両方を正規ディーラーとする斬新さが功を得て、どちらにしようか迷っている新規客から、試乗も含めて比較検討をしたいという問い合わせが、日に日に増えてきたことだ。こいつは思惑通り!と、店は沸いた。そして試乗が増えてくると、興味深い傾向が見え始める。

「ドゥカティを考えてるんですけど、S4の試乗の後にビューエルも乗っていいですか?」
「もちろんです。ぜひ比較してもらって、感想も聞かせてください」
 両方の試乗を終えたお客さんが、ビューエルを何度も見返している。実はこの方、ドゥカティのS4が欲しくて、購入見積まで作ったのに、ビューエルに乗った途端、心が揺れ始めたのだ。最終的には既に発売が告知されていたXB9Rの亜流的モデル、XB9Sの購入を決めてくれた。
 その後も試乗をすることによって、ビューエルの良さを発見し、購入まで進むケースが連発した。
 無理もない、、、
 以前にも述べたが、ドゥカティは低速トルクのなさと、特殊な乾式クラッチのフィーリングで、街中での乗り味はお世辞にもいいとは言い難い。その点ビューエルはエンジンのベースがハーレーなので、単純な乗りやすさだったらこっちに軍配が上がる。これがワインディングも絡めた試乗となれば、反応はずいぶんと違ってくるはずだが…

バイク屋時代 39 アメリカを味わう

 今回はビューエル関連のトピックスをひとつ。
 ビューエルビジネスは、一九九六年に販売を開始してから順調に推移していた。オリジナリティーに溢れた武骨なスタイルと、ビッグトルクが生み出すライディングフィールは、多くのライダーを虜にし、新たなスポーツバイクのカテゴリーを創造したと言っていいものである。そのビューエルが、<“0”から作り直した革新的なニューモデル>

「今回のモデルチェンジ、ずいぶんと雰囲気が変わっちゃったな~」
 社長が封筒から出した書類に見入っている。
「売れそうですか?」
「わからないけど、製品説明会と販売研修をアメリカでやるみたいだ」
「へー」
「へーって、木代くんが行くんだよ。各ディーラーのビューエル販売責任者のみの参加だってさ」
「ナショナルディーラーズミーティングみたいに、社長が行くんじゃないんだ」

 これは興味津々。社長から手渡されたスケジュール表にざっと目を通すと、販売勉強会なるものがハーレーダビッドソン本社、製品説明会はビューエル本社、それにアメリカ渡航時には全米でハーレーフェスティバルが開催中なので、ミルウォーキー近辺のディーラーとフェスティバル本会場への訪問も含まれる、ずいぶんと盛りだくさんな内容なのだ。全日程は九日間である。
 その日の午後。同じビューエルディーラーであるヨーヨーの福田さんから電話があった。
「まいど。木代さん、見た?」
「見た見た、もちろん福田さんが行くんだろ」
「もちろんですよ。あっちじゃよろしく」
 息が合うのか、ビューエル取扱い当初から、福田さんには何かと親しくしてもらっている。
「今回は担当者だけのイベントだから、堅苦しくなくていいかも」
「だね~」

 二〇〇一年七月上旬。全国から集まった三十七名のビューエル専任担当者と、HDJのビューエル担当スタッフ二名を乗せたJAL機は、成田を飛び立ち、シカゴのオヘア空港を目指した。
ミシガン湖の畔にあるシカゴは、近代的なビル群と歴史を感じさせる教会などの建物が、見事に調和する魅力的な街。湖畔にある公園を中心に、一時間ほど辺りを散策した後は、予約してあったイタリアンレストランにてランチ。食後はチャーターしたバスで、いくつかのハーレーディーラーを訪問した。
 驚いたのは、土地も店舗もスケール感があまりに日本と異なること。どこも敷地が広大で、最初に訪れたディーラーなどは、敷地内に自動車教習所レベルの試乗コースが完備されているのだ。サービス工場も広く、ワンピットの大きさが調布店の工場にほぼ近い。整理整頓や清掃は非常に行き届いていて、働く環境として見習う点が多々あった。
 二番目に訪れたディーラーではハーレーフェスティバルに合わせて、様々なイベントが行われていた。突然耳をつんざく爆音が飛び込んで来たので、何だろうと福田さんと行ってみると、音源はシャーシダイナモに載っているカスタムハーレー。オーナーが自慢のハーレーやビューエルを持ち込んで、パワー競争をしているのだ。この単純明快さはいかにもアメリカ。左手の広場ではイベントテントがいくつか張られていて、国内ツインレースで優勝したビューエルの展示と、グランドチャンピオンとなったレーサーのサイン会が行われていた。
「ねえねえ木代さん見てよ、あのビューエル」
 ふり向くと、やたらに眩しいビューエルS1がこちらへ向かって走ってくる。エンジン、フレーム、足回りからフューエルタンクまで、車体すべてにメッキが施されているのだ。しかも乗っている若い男性も、車体に負けず劣らずの派手なブロンドヘアーにサングラス。かっこよすぎる。
「えぐいね~、日本でやったらいくらかかるんだろ」
 これで初日の予定は終了。ひとまずほっとした。俺はめっぽう時差に弱く、ディーラー訪問の初っ端から朦朧としていて、テンションが下がりっぱなしだった。ただ、見たいことや知りたいことは山ほどあるから、また明日からが楽しみ。

 翌日はハーレーダビッドソン本社での販売研修でスタート。歴史を感じる社屋の隣には、ハーレーミュージアムがあり、映画「イージーライダー」に登場した“キャプテンアメリカ”を始め、創業当時のサイドバルブから現行モデルまで、ハーレー変革の歴史がわかりやすく展示されていた。意外に感じたのは、“キャプテンアメリカ”が思ったより小さかったこと。現行のハーレーは、でかすぎ?

 販売研修はそれほど益に感じる内容はなかったが、幹部まで含め、本社スタッフのいで立ちがほぼ全員コットンシャツとジーンズというラフなもの。自由の国アメリカの文化を垣間見るようだ。当たり前だが、皆さん、よく似合っている。
「それでは休憩にします」
 時計を見れば午後三時。しばらくして女性スタッフがワゴンにのせて運んできたのは“アイスクリーム”。バニラ、チョコ、ストロベリーと、大きな5Lパックで並んでいて、トッピングも五種類用意されている。
「へー、コーヒータイムじゃないんだね」
 こんなところにもアメリカを感じてしまう。さっそくいただくと、味が濃くて俺好み。バニラの次はチョコと、おかわりしてしまった。
「木代さん、こうゆうの好きなんだ」
 この日は販売研修の後に、ハーレーのエンジン組み立て工場二カ所の見学があったりと、いささかグロッキーである。

 次の日は、今回の本題であるビューエル社訪問と、ニュービューエルの説明会が午前中に行われた。ところが到着すると、参加者全員呆気にとられた。
「えらくちっちゃいんだね、会社…」
「工場も粗末だぜ。これ見たら入荷が遅れても文句言えないよ」
「今日って、ここ、休み? ひと気がないね」
 昨日にハーレーの近代的な工場を見たばかりだったので、まんま町工場のビューエル社を目の当たりにして、正直びっくりしたのだ。

 そんな我々の思惑を知ってか知らずか、社長のエリックは弾ける笑顔を保ちつつプレゼンを開始。目の前のXB9Rへ視線を向けながら熱弁を続けた。だが、熱弁になればなるほど空しく感じたのは俺だけじゃないはず。周囲を見回すと、目を輝かせる者が半分居れば、残りは思案顔である。俺は、後者。
 エリックが特に自信をもって説明したのがフロントブレーキシステム。ZTL(Zero Torsional Load)と称する大径ローターをリムオンとしたシングルブレーキは、強力な制動力を得られるのはもちろんのこと、バネ下加重を低減させる理想のシステムだと言い切ったが、初日に訪問したディーラーで見たツインレースでチャンピオンマシンになったビューエルを思い出せば、疑問が湧いてくる。なぜならそのマシン、フロントブレーキはオーソドックスなブレンボ製のダブルディスクだったのだ。これではあまりに説得力に欠ける。
 さらには、ステップ加重で右に左にひらりひらりと向き替えができる、反応性の高いシャーシを作り上げたと自信満々だが、それ以前にこのXB9R、車体があまりにも小さい。初めて実車を見たとき、原チャリスポーツのホンダ・NS-1とそれほど変わらないと思ったほどだ。ちなみに、XB9RとNS-1のホイールベースの差は25mmしかない。これだけ小さければ、当然反応性はいいだろうが、高速コーナーの安定感はいかほどのものかと、またまた疑問が湧いてくる。

 エリックはアメリカ人としては小柄だ。もしかすると、彼に合わせて設計されたのか…
「さっ、皆さんどうですか。プレゼンは以上となりますが」
 HDJのビューエル担当・野淵さんがいきなり立ち上がった。説明が始まって、まだ十五分も経ってない。
「エリックはこれから大事な用事があるようです」
 とのことで、慌しく記念写真を撮り終えると、逃げるように去っていった。あとから野淵さんに聞いたところ、あの後バンドの練習が予定されていたようなのだ。今夜は郊外にあるリゾートホテルに於いて、ビューエルオーナーズグループBRAG(Buell Riders Adventure Group)のミーティングがあり、我々も参加するのだが、そこでエリックの率いるロックバンドのライブが行われるとのこと。
 まっ、そりゃ大事な用事だわな。

 BRAGミーティングは、映画に出てくるいかにもアメリカらしいパーティーだった。巨大なコンベンションホールに、BRAGのメンバーはもちろんのこと、ビューエルディーラーやカスタムショップのスタッフ、そして日本から参加した我々と、大勢の参加者がひしめき合い、豪勢なバイキング、アルコールとオーデコロンの匂い、嬌声とタトゥー、大きな胸とお尻ぷりんぷりんのイベントギャル、そしてエリックバンドのライブ等々、よどみなく盛り上がり続け、時間は瞬く間に過ぎていった。お開きになっても熱気は冷めず、二次会へと流れていった。そこでビューエルのカスタムショップの社長達と話が弾み、貴重なひと時を過ごすことができた。

 最終日は、ハーレーフェスティバルのメイン会場である遊園地で、思いがけない出来事が待っていた。福田さんと俺の二人が、地元TV局のインタビューを受けたのだ。
「木代さん、ちょっとやばくない」
「なにが?」
「ほら、あそこのマイク持ってる人、さっきからこっち見てるよ」
 振り返ると、インタビュアーと思しき人とカメラマンが近づいて来る。そして満面のスマイルをたたえると、いきなり英語でまくし立ててきた。どっから来たんだ? ハーレーに興味があるのか?等々と言ってるのだろうが…
 とその時、うまい具合にHDJの野淵さんが通りかかる。
「野淵さん、ちょっとちょっと!!」
「あははは、ピンチですねぇ~」
 野淵さんはHDJへ入社する前にも、長い間アメリカ在住の仕事をしていたので、英語はネイティブレベル。通訳が入ったおかげでインタビューは順調に進んだ。当事者である我々は観られなかったが、その日の夕方、ローカルTV局のニュース番組で、まんまその様子が放映されたそうである。
 午後は地元ミラービールの見学でほろ酔いとなり、夕方からは今年完成したばかりの新球場“ミラーパーク”で、ホームとするブルワーズのMLBを観戦。惜しくもブルワーズは負けてしまったが、最高の“旅”の締めくくりであることは間違いなかった。後日談になるが、このMLB観戦は当初のスケジュールには入ってなく、帰国後野淵さんは、HDJの奥村社長からずいぶんと絞られたらしい。
 それから二か月が経ったある日、アメリカ人を震撼とさせる、あの事件が起きたのだ。
 9.11である。

バイク屋時代 38 MH900e エボリツォーネ

 ドゥカティ関連のトピックスをひとつ。
 二〇〇〇年の元旦に、web注文のみという、これまでにない販売方法と共に全世界へ発表された限定モデル【MH900eエボリツォーネ】。そもそもこのMH900e、一年前のモーターショーで、コンセプトモデルとして出品されたのだが、あまりの反響の大きさにドゥカティが市販化を公言したのだ。

 一般的に車でもバイクでも、コンセプトモデルはデザインの制約なしに作られるので、たいがい“カッコいい”。ところが市販化すると、保安部品やら実用性やらを加味しなければならず、結果、当初のインパクトは消え去り、普通の乗り物と化してしまうことがほとんど。だから世の中はMH900eへ対しても、それほど大きな期待はしていなかった。ところがどっこい、イタリアンデザインここにあり!と言って憚らない、スタイリッシュ且つアートな雰囲気を醸し出すボディーは、モーターショーへ出品された時の形をほとんど崩していなかった。このあっぱれに、ドゥカティへの興味は格段と深まっていったのだ。

「木代さん、ちょっと教えてください」
「どうしました?」
「MH900eをどうしても欲しいんですけど、パソコン持ってない場合はどうすればいいんですか?」
 当時はパソコンを持ってない人もそこそこいた。よってこのようなケースは大いにありえる。すぐにDJへ問い合わせると、MH900eの注文は極めてイレギュラーであり、特設サイトもイタリアで運営していて、今回、現地法人は一切間に入らないので、DJ輸入枠はなく、あくまでも特設サイトと個人ユーザーとのやり取りに終始するらしい。
 その旨を伝えると、
「木代さん、もしパソコンをお持ちなら、僕の代わりに落としてもらえないでしょうか」
 ということは、せっかくの年末年始休みの、しかも元旦の午前九時からスタートるす一斉注文にトライしろってことだ。一瞬考えたが、納車店はうちになるし、一台ご成約だ。当然利益も入る。
 たびたびあることじゃないし…
「一肌脱ぎましょう!」

 言ってしまったので、やらないわけにはいかない。全世界でどれだけMH900eを欲しがっている人がいるのか想像もつかないが、二〇〇〇台という限定数はどう考えてもかなりなバトルになるはず。
 新年を迎えた朝。だるい体に鞭を入れ、ベッドから這い出ると特設サイトを開いた。せっかくの正月なので、とっておきの冷酒をグラスに注いだ。
 時計を見ながらカウントダウン。九時ジャストにマウスをクリック!
 ピーーガーー、ツーーータラ、ツツーーータラ、ピーーガーー、ツーツーーータラと、耳障りな音と共にアクセスを待つ。ところがまるで繋がる気配がない。そう、この時代には光回線どころか、ADSLだってありゃしない。俺のネット環境は、激遅のダイヤルアップである。アクセスが集中しているうえに、遅い回線ではどうにもこうにも歯が立たない。何度トライしたのか忘れてしまったが、繋がったのは、なんと昼飯後の午後三時過ぎである。時給八百円換算で、少なくとも五千円ほどの賃金はいただきたいところだ。
 まっ、とにもかくにも責任は果たしたので、肩の荷は下りた。もし再びこんな機会が巡ってきたなら、たとえ依頼者が常連さんでも、きっぱりお断りである。

 年末年始休みに入る前、本店に集まってくる常連さんの話題はもっぱらMH900eだった。会社経営者のTさんは、知り合いの分も含めて二台注文を入れると言っていたが、他の方々はどうだったのか。ギャルソンを納車店に指定した人はどれほどいるのだろう。楽しみで仕方がない。
 そして年明け早々にDJから届いた納車予定者リストによると、合計八台とまずまず。ただ既納客は四台とやや寂しい。特に外車にありがちだが、愛車を正規店ではなく、個人店でアフターを行っているユーザーは意外に多く、手に入れるためにweb申し込みを行い、その際の納車店を“自宅から近い”という理由で、モト・ギャルソンに指定したと話してくれたお客さんが二人いた。

 待ちに待った入荷第一便は、web申し込みからおおよそ一年後の、二〇〇一年三月末。三台だったが、その内二台は常連のTさん分。彼の話によると、元旦にサイトへアクセスする際、最も効率よく行える手法を使ったとのこと。彼の経営している会社はコンピューターソフトを扱っているから、裏の手でも使ったのだろう。
「部長、ちょっと跨ってみてよ」
 箱出しを終えた大杉くんがニヤついている。
 かなりな前傾姿勢を強いられそうだ。
「つんつんだよ」
 俺の身長は180cm。日本人男性では高い方だ。それなのに両脚のつま先がかろうじて接地している状況。おまけに高いシート高に対してハンドル位置が低く、跨っていると頭に血がのぼりそうだ。Tさんの友人はそれほど背が高くないが、大丈夫だろうか。
 まだまだあった。ドゥカティ車全体に言えることだが、このMH900eも恐ろしくクラッチが硬い。ただせさえきつい前傾で両手に負担がかかるので、クラッチレリーズピストンの交換はもはや必須だ。デザイン重視の設計は大いにウェルカムだが、バックミラーの大きさと位置には首をかしげる。後方がほとんど見えないのだ。これでよく運輸省の認可が取れたもんだ。やはり商品化には幾多の無理があったのだろうが、それでも美しさは格別なものがあり、オーナーの満足度は大きいものに違いない。
「これ、けっこう手直ししないと走りにくいんじゃないの」
「試乗に出かけるのが怖いですよ」
 MH900eに搭載される904ccの空冷デスモエンジンは設計が古く、一九九一年に発売された900SSにも搭載されていた。当然ながら燃料供給装置は現行車やMH900eで使っているFI(電子制御フューエルインジェクション)ではなくキャブレターだ。それが排ガス対策のために、一九九八年からマレリのFIに代わったのだ。
 何を言いたいか…
 904ccの空冷デスモは、元々キャブレターで調整されたエンジンであり、雰囲気の違いは実際に乗り比べてみると明らかである。まずは“味”が違う。MH900eはきついライディングポジションと、味を出し切れていないエンジンが醸し出す、ちぐはぐなところが気になってしまう。これがキャブだったらとついつい考えてしまうのは、俺だけではないはず。
 入荷第一便は二〇〇一年三月末と前述したが、二便は二か月後の五月だった。実はこの入荷時期に大きな意味が含まれている。
 二輪車に対する新たな段階の排ガス規制が二〇〇一年四月から施行され、該当車は継続車検の際に排ガス検査を受けなければならない。
 手に入れたMH900eに“味”を求めたいとなると、最終的にはFIからキャブレターへの交換になると思うが、二便以降に入荷してきたMH900eは、排ガス規制該当となっているので、もしもキャブレターへ交換したなら、そのまま継続車検を通すことはできない。これに対し、一便で入ってきた三台は該当にあたらずなので、キャブレターに交換しても、FIのチューンを行っても、その他の検査項目がOKならば車検は通る。
 このラッキーを利用して、Tさんの友人はミクニのTMRキャブレターに交換。フィーリングの激変に驚いたとのこと。俺も一度試乗させてもらったが、体感パワーだけでも20%以上は向上したように感じた。
 排ガス規制は環境保全という、ゆるぎないお題目に守られているので、今後はさらなる締め付けも考えられるが、四輪車に追従するような厳しい規制を、バイクにも適応させるのはあまりに手厳しすぎると思うし、その前に、バイクの排ガスが世界環境に与える影響を、もっと現実的にシミュレーションしてもらいたいものだ。

バイク屋時代 37 モト・ギャルソン杉並店

 新店舗探しの進捗状況は相変わらず芳しくなく、本店の契約満了日だけが日一日と迫っていた。
「ここしかないかな」
「環八ですよね?」
 荻窪の四面道交差点から北へ300mのところにある、マンション一階部分のテナントが空いているのを、たまたま通りかかった社長が見つけたのだ。さっそく不動産屋を当たってみると、賃料がやや予算オーバーだったが、間口が広く、ショールームとしてはまあまあな条件がそろっていた。ただ、来店客用の駐車スペースが一台分しかなく、しかも交通量の多い環八からバックでの車庫入れを強いられることになり、利便性が良いとは言い難い。それと工場スペースはショールームの真裏になるが、車両の出し入れは正面入り口一カ所のみで、ショールームのど真ん中を突っ切らなければならない。この二点が気になるところだが、ほかにこれといった物件も見当たらず、社長の考えもほぼここで決まりのようだったし、俺も二度ほど現地を見に行ったが、理想を追いすぎてもタイミングを逃してしまうのではと考えるようになった。
「うん。悪くないと思うよ」
「この先見つかるとも限らないですよね。いっちゃいましょう、ここで」
「いくか」
 理想を追えばきりがないし、何より先に進めたい気持ちが膨らむばかりだった。

 賃貸契約が完了すると、翌日には東亜建設が入り、内装、外看板等々の打ち合わせが行われた。東亜建設の社長である長嶋さんは、かなり以前から大崎社長と懇意にしているようで、本店、ギャラツー、そして調布、東村山と、モト・ギャルソンの店舗建設はすべて任せていた。このような経緯があったため、東亜建設は業界の中でもバイク屋の店舗ノウハウが抜きんでて高くなり、親切な大崎社長は、同業者へその旨を含めて紹介し、この頃では東京エリアのハーレーディーラーとドゥカティディーラーの新店舗やリニュアル工事の大半を手掛けるようになっていた。
「ギャルソンさんへ足向けて寝られないですよ」
「ははは、だろ~。ところでさ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「ドゥカティ大田をやったからわかっていると思うけど。今度のうちの店、ドゥカティストアのデザインをパクリでやって欲しいんだ」
「いいですけど、ジャパンの方は大丈夫なんですか?」
「関係ないね」
 さすが大崎社長。このような展開には有無を言わない即断力がある。
 ハーレーのディーラーやドゥカティのストアには、店舗の設計やリニューアルの際に、メーカー指定の店舗デザインに準じなければならないという決まりがあり、店側の勝手は許されない。しかもデザインだけでなく、内装などの部材もDJ指定のものを使わなければならず、コストは驚くほど膨らむ。ところが今回の杉並店はドゥカティストアではないし、また、ハーレーと違ってBUELLの正規ディーラーにはデザインの縛りがない。この隙間を使ったわけだ。まあ、完成の暁には間違いなくDJからクレームが出るだろうが、社長に言わせれば、
「作った者勝ちだよ」

 杉並店はフロアや工場スペースの形や大きさが、ドゥカティ大田にていると、DJ営業の新藤さんが言っていた。ショールームや部品スペースのレイアウトを考えるにあたり、大いに参考になると思い、アポを取って大田区は環七沿いにある同店へ見学に行ってみた。店長Aさんは以前からの顔見知りなので、いろいろと聞き出すつもりだ。

「どうも、ご無沙汰してます」
「いらっしゃい、ギャルソンさんもついにドゥカティ本腰ですね」
「いやいや、ストアじゃないから」
「でも、ビューエルといっしょにやるっての、いいかも」
 Aさん、ずいぶんと細かいところまでよく知っている。もっとも、うちの社長は“情報漏洩のプロ”だし、そもそもAさんが所属する㈱KのM社長とは特に仲がいいから無理もない。

現在のドゥカティ東京大田

 ドゥカティ大田のショールームは、言われたように杉並店と縦横寸法もほぼ同じであったが、工場と部品庫は“裏”ではなく、何と二階である。入口は北側になり、正面には大きく頑丈そうなリフトが備えられている。リフトのランニングコストと使い勝手は定かでないが、ショールームを突っ切るよりかはましかもしれない。そして参考になったのは部品棚。うちの本店やハーレー店でも使っている移動式のスチール棚だが、部品の整理の仕方が上手く、始めて見る者にでも、何がどこにどれほどストックしているのかが分かりやすい。本店のメカニック達にも見せてやりたいものだ。
「ここは何人でやってるんです?」
「僕入れて五名だけど、人件費の枠としてはぎりぎりかな。近いうちにメカを一名東名横浜へ持っていかれそうですよ」
 “ドゥカティ東名横浜”は㈱Kのいわば基幹店であり、その売上げは全国のドゥカティストア中トップである。
「そりゃたいへんだ。今日は忙しい中ありがとうございました」
「落ち着いたころに木代さんの店、遊びに行きますよ」
 帰路の車内では、様々なアイデアが浮かび上がっていた。