「バイク屋時代」カテゴリーアーカイブ

バイク屋時代46 ドゥカティ国際会議とEICMA

 ドゥカティスーパーバイクのフルモデルチェンジが噂される中、二〇〇七年モデルとして発売される“1098”が、イタリアはミラノで行われたドゥカティ国際会議にて公開された。この会議には俺が参加した。各国から集まったディーラースタッフの期待に満ちたまなざしを目の当たりにし、こんどのはイケる!と確信した。難しいことなしに、ぱっと見がカッコイイのだ。999のように好き嫌いが出るデザインではない。
「木代さん、これ、売れると思います?」
 前の席に座っているO社長が振り向いた。やけに真剣なまなざしである。
「俺は売れると思います。これが駄目なら、レプリカ自体が飽きられてきたってことになるんじゃないですか」
「ですよね。私も久々に売れる商品が出たって感じてますよ」

 今回の国際会議は、同じミラノ市内で行われている世界最大の二輪車ショー【EICMA・エイクマ】に合わせて開催したようで、後日、日本から来たメンバー全員は、ほぼ半日をかけて会場を見て回った。圧倒的な規模は、幕張メッセで行われるモーターショーの上をいくもので、ヨーロッパの二輪文化を肌で感じることができた。自転車展示場にはなんとトラックコースまでが作られていて、プロフェッショナルライダーによる迫力あるデモ走行には目が釘付けになった。もちろんホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのブースも回ったが、展示車両は断トツに多かったものの、活況はそれほど感じられず、盛り上がっていたのは、やはり地元のドゥカティや、BMW、そしてKTMのブースである。中でも、KTMブースにはGP250の契約ライダーになった“青山博一”を招き、トークショーが行われ、プレスだけでも三十名以上が押しかけ、人の輪が切れることはなかった。
 一応ハーレーダビッドソン&ビューエルのブースも覗いてみたが、閑古鳥が鳴いていた。ヨーロッパの二輪車嗜好がよくわかるところだ。

2024年のEICMA・ドゥカティブース

 この度のミラノ行。EICMAをはじめ自由時間のほとんどを、株式会社KのM社長に、金魚のフンの如くくっ付いて回った。ドゥカティ並びにKTMの売上日本一に輝くM社長は海外出張が多く、特にミラノは十数回訪れたことがあるそうで、右だろうが左だろうが、新宿、渋谷並に熟知している。おまけに今回は部下二人のお供付きと豪勢だ。
「あれ! 木代さんじゃないですか」
 通路の方から声が飛んできた。振り向くと、吉祥寺店でベスパを扱っていた頃、大変お世話になった成川商会の塚田さんがこっちを向いて手を振っている。
「うわ~、久しぶりです~、EICMAとなるとやはりお仕事ですか?」
「そーなんですよ」
「自分はミラノ初めてなんで、M社長に案内してもらってるんです」
「会場は物凄く広いんで、時間をかけて見て回ってください」
「ありがとうございます」
 塚田さんの言ったとおり、本当に広い。あれもこれもと目についたブースへ足を運んでいると、時間はいくらあっても足りはしない。すでに疲れが出てきて、脚は棒のようだ。
 前方へ目をやると、M社長が男性二人と何やら話し込んでいる。近づいてみると、
「あらら、木代さん、 久しぶりです」
 これにはびっくり。ちょっと前までDJの営業部長をしていた笹澤さんである。その隣には金髪、小太りの、外人年配男性がにこやかな笑顔を振りまいている。
「木代さん、外人の彼はKTMジャパンのミッシェル社長です」
 なるほど、ということは笹澤さん、DJを辞めた後、KTMへ入ったんだ。
「去年KTMの売り上げが日本一になったんで、お祝いってことでミッシェル社長が今夜一席作ってくれたらしいよ」
 M社長がにこやかに説明してくれた。
「そりゃ素晴らしい、ぜひ楽しんできてください」
「木代さんも来れば」
「え? 俺なんか、行っていいんですか?」
 すると笹澤さんが、
「大歓迎ですよ、KTMの売り込みはしないから安心してください」

2024年のEICMA

 ミラノは、まるで町中すべてが世界文化遺産ではなかろうかと思うほど美しい。石畳の道、歴史を感じる家屋や街灯など、まるで映画のワンシーンのようだ。ミラノドゥオーモ駅の階段を上がりきった真正面にそびえるのがミラノドゥオーモ大聖堂。一歩中へ足を踏み入れると、宗教芸術の極みというべき世界に包み込まれ、暫し圧倒される。
「これは見事ですね~」
「初めて見た人は誰だってびっくりするんじゃないかな」
 この後ショッピングモールへと足を進めるが、ここがまたシック。モール全体で色彩が統一されていて、けばけばしさや安っぽさが一切感じられない。入ってすぐ正面にあるLouis Vuittonのショップなどは、モールに溶け込んでいるかのようだ。
 ぐるり時計回りで歩いていると、カフェ街にでた。どこの店もテラス席はほぼ満席で、そこで寛いでいる人たちが、これまた絵になる。
「そろそろ時間なんで、レストランへ向かいましょうか」
 右も左もわからない俺の目には、さっさと歩き進むM社長の後ろ姿が眩しく映る。
 夜のとばりが落ち始めた石畳の道を十分ほど行くと、前方に明るく輝くショールームが目に入る。
「あれ、フェラーリのショールームですよ」
「へー、イタリアですね。それにしてもセンスのいい展示だな」
「その右隣がレストランです」

 こんな機会がなければ、一生来ることはないだろうと、なんだか緊張してきた。
 店内に入ると、満面の笑顔をたたえるスタッフが二階へと案内してくれた。個室が並び、そのうちの一つのドアを開くと、
「お待ちしてました。お疲れ様です」
 入口でミッシェル社長と笹澤さんが迎えてくれたが、他にもテーブルの向こう側に若い男性と女性がいる。
「紹介します。今年度からKTMのエースライダーを務めている“青山博一”さんと、隣の美女は彼の秘書の中山さんです」


 おおっ!EICMAで見かけたあのGPライダーの青山博一が同席とは、こいつはびっくり。彼の一印象は、笑顔がまぶしい好青年。隣の中山さんは、知的な色香が漂う実に魅力的な女性だ。GPライダーともなると、こうして美人の秘書までつけられるんだなと、うらやましくなる。ミシェル社長、笹澤さん、M社長の三人は、アルコールが進むほどにビジネスの話で盛り上がっていたので、これはチャンスと、青山さんへ色々と質問をしてみた。
 チームから出るギャラと広告収入は、年二回に分けて支払われるとのことだが、その時点の為替を考慮の上、円建て若しくはドル建てをチョイスしているようだ。中山さんはなかなか頼もしいパートナーなのだ。
「広告と言えば、先日タイヤメーカーの撮影があったんですが、ものすごい寒い日なのに、いきなり膝を擦るシーンを撮りたいなんて無理難題を押し付けてきたんです」
 気温が低ければ、当然タイヤも冷えているわけで、いかにサーキットとは言えどもグリップ力は殆ど無いに等しい。これでフルバンクしたらさすがの青山さんでもすってんころりんである。
「すぐには無理ですよって言ったら、時間がないなんて反論されちゃって」
 GPライダーのこんな裏話が、しかも本人の口から聞けるなんて…
 牛肉メインの料理が続き、デザートには生ハム&メロンが出た。この時とばかりに、出された料理はすべて平らげ、高級そうに見えたワインは、ほぼ一人で一本近く開けてしまった。
「木代さん、お酒強いんですね」
「いやいやお恥ずかしい」
 ドゥカティ国際会議とEICMA視察、ミラノ観光とすべてが美味しいイタリアンフード。そして何より青山さんとおしゃべりができたこと。こんな充実した日々を味わえるのは、今後の人生にもそうそうないだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。レストランを出るとき、顔を真っ赤にした笹澤さんが近づいてきて、耳元でささやいた。
「KTMの話、大崎社長にぜひぜひお伝えくださいね」
「は、はい…」

 後日談になるが、このイタリア行にはニコンD100を持参し、張り切って二百枚以上撮りまくったのだが、うっかりしたことにそのデータを入れたMOディスクを紛失してしまう。自分自身、本当に情けなくなった。

バイク屋時代45 メーカーそれぞれ

 HDJとDJ、同じ外車販売会社とはいえ、社風をはじめ、営業方針や販売店とのかかわり方はずいぶんと異なる。もっとも取扱い商品の特性が及ぼすものは大きいと思うが…

 ハーレーは、大排気量空冷OHV、V型ツインエンジンがもたらす独特の鼓動感と外観。思い浮かぶイメージは、旅、自由、文化、レザージャケット等々。一方ドゥカティは、国際レース、情熱、チャレンジ、官能、美学と言ったところか。
 HDJは定性的な色合いを基本にしたイメージ戦略を好む一方、具体的でしっかりとした効果を生み出す営業手法を構築し続けた。DJは国際レースを背景とした華々しい雰囲気の演出と、商品の強力な進化をアピールする広告展開を得意としてきたが、販売店側が求める営業戦略に関してはHDJに大きく後れを取っていた。双方の登録実績を比較すれば如実である。

 HDJの会議は毎回全ディーラーの社長を対象に都内のホテルで行われるのに対し、ドゥカティの会議は列島を東地区と西地区に分け、会場もコンベンションホールや時にはクラブで行われた。これは社風以前に、企業規模の違いによる会議予算の大小も影響していただろう。
 両方の会議はもちろんのこと、国産メーカーの会議にも出席していた俺は、各々の特色がよく分かった。簡単に言ってしまえば、HDJは車両と共に購入後の満足も考慮したハーレーワールドを売る。DJは満ち溢れる最新テクノロジーで武装された車両と、ドゥカティレーシングワールドを売る。そして国産四メーカーは安心感と充足に満ちた商品を売るのだ。

 DJが東地区の会議を六本木のクラブで行った頃、国内外においてドゥカティの売上はまあまあの線で推移していたが、順風満帆とは言い難かった。よってこの目新しい会議で営業戦略の発表でもあるのかなと期待していると、モデルチェンジ情報、新アパレルの説明、そして新規参入店の紹介等々で終わってしまった。ただ後半でMoToGPやスーパーバイクでの活躍を、センスよくまとめ上げたPVを放映すると、参加者の喝采を浴びた。
「ドカ、がんばってるじゃん」
「これ見てスーパーバイクが欲しくなる人も多いんじゃないの」
「ヨーロッパスポーツは間違いなくドカだな」
 盛り上がるのいいとして、これを士気高揚と捉えているような安直な声が聞かれ、驚いた。同じ時期に行われたHDJの会議内容とはずいぶんと異なるところだ。まあ、俺自身も派手なプレゼンに飲まれていたことは確かで、これからもドゥカティの勢いは変わらないだろうと、根拠のない安心感が湧きたっていたことは事実だ。
「木代さん、どうですか、これからも行けそうですね!」
 振り向くと、満面の笑顔をたたえたO社長が立っていた。

 ドゥカティ社は一九九六年に、米国の投資家集団“テキサス・パシフィック・グループ(TPG)”に買収された。これにより潤沢な運営資金と世界を見据えた経営戦力を得た。主な需要国には現地法人(ドゥカティジャパン・DJ)を設立し、これまでの受け身な商売を一気にワールドワイドなビジネスへと昇華、目論見通りの快進撃が始まった。ところが数年を過ぎるとやや陰りが見え始め、伸びは鈍化してしまう。こうなると母体が倍々ゲームを求める投資家集団なので、毎年の進捗は絶対に必要ということになり、徐々に現況とはそぐわない目標が独り歩きをするようになってきた。
 売り上げを伸ばすためには様々な要素が必要になるが、悠長なことを言ってられなくなったドゥカティは、得意なニューモデル開発に集中し、営業戦略は場当たり的なものに終始した。ニューモデルが当たればいいが、もしも滑ったら、大きな損失を被るだけではなく、組織の士気も落ちる。こうなると復活までは遠い道のりになる。絶好調のHDJと比べると、国内登録台数では十分の一にも届かず、DJの倉庫は日に日に在庫車両で膨らんでいったのだ。
「木代さん、おねがいしますよ。1098、三台口で10%つけますから」
「だめだめ、今月はハーレーの支払いが多いんだよ」
「そう来ると思った。今度ね、支払の分割をやるんですよ。どうです、三分割では」
「だめだめ、分割にしたって結局は払わなきゃダメじゃん」
「そりゃそーですけど…」
「モンスターならまだしも、1098がポンポン売れるわけないじゃん」
「いやいや、ところが最近動いてるんですよ!」
「だったらその動いてる店に買ってもらえば。そうだよ、Tモータースに頼んだら」
「あそこ、まじな話、目いっぱいです」
「そんなことないでしょぉ、O社長だったら、よっしゃ!とか言って買ってくれるよ」
「もーーー」

 この商談、俺としては珍しく根負けした。おかげで大崎社長にはこっぴどく怒られるし、案の定、1098三台はしぶとく在庫として残ってしまった。
 売込みの限界を悟り始めたDJは、経費節減策に出た。まずは部品倉庫の廃止。これにより倉庫の家賃と部品の在庫金利ロスをなくせる。店舗からの部品発注はすべて本国イタリアへダイレクトに行われ、そのために入荷日数は一週間から十日ほどかかるようになった。緊急を要するもの、例えばレバー、ステップ、ウィンカー、ミラー等々は店舗で在庫しなければならず大迷惑。それとDJ内の人員整理も滞りなく行われ、契約当初から仲の良かった営業とサービスのスタッフが、それぞれ一人ずつ退職になった。
 まだ入社して一年半の営業マン赤根さんから電話があった。
「木代さん、お世話になりました」
「なんだか寂しいね。話は聞いてるけど、転職先はもう決まってるの?」
「おかげさんで損保の営業をやることになりました」
「だったら遊びにおいでよ」
「ありがとうございます。ぜひ」
 このような厳しい展開の中でも、さすがにイタリア企業である。会議や商品発表会などでも、人生を楽しむことを優先するイタリア人気質がいかんなく発揮され、美意識と表現力を欠かすことにない内容へと組み上げるのだ。HDJの社長は日本人だが、DJの社長は代々本国から赴任するイタリア人ってことも大いに関係している。
 新アパレルの発表会を代々木の某クラブで開催することになり、俺と坂上、そしてバイトの真理ちゃんの三人で出かけた。
 会場に入ったとたん、大音響のディスコミュージックとミラーボールの出迎えを受け、間違ったところへ足を踏み入れたんじゃないかと一瞬冷や汗をかく。周囲を見回せば、アパレルやバイクがかっこよくディスプレイされ、壁に洋酒がずらっと並ぶバーカウンターもオープンしている。一番奥にはファッションショーに使う本格的なランウェイも作られ、周囲には相当な人数を見越したパイプ椅子が並べられている。

「店長、いいっすね~このムード! 早々と一杯やっちゃいましょう」
 すでに坂上はのまれている。真理ちゃんもキョロキョロが止まらない。
「あらっ! 木代さん、お久しぶり」
 アパレルスタンドの脇からTモータースの看板娘“恵子さん”現れた。
「いやいや久しぶりだね、ラリー以来かな、ところで今日、社長は?」
「アパレルだから、おまえ一人で行ってこいって」
「はは、うちも同じだよ」
 恵子さんは小さい顔に長い手足と、まんまモデルのようなひとだ。お客さんには絶大な人気があり、店ではアパレルだけではなく、バイクを売らせてもトップクラスと言う。急に音楽が変わると、ランウェイに照明が降り、新作のファッションショーが始まった。
「それじゃ失礼しま~す」

 プロのモデルだけではなく、一部DJのスタッフがモデルになって会場を沸かせた。
「店長、これってずいぶんとお金かかってるでしょうね」
「ずいぶんどころじゃないよ」
「いいじゃないっすかぁ、ドカらしくて~~」
 おっ、坂上のやつ、いつの間にかグラス持ってやがる。
「真理ちゃん、俺たちもなんか飲もうぜ」
「はい♪」

バイク屋時代44 MoToGPとムルチストラーダ

 ドゥカティオーナーたちが集まりバイク談議が始まると、ちょくちょく持ち上がる話題がMoToGP。そりゃそうだ。これまでMoToGPと言えば、長い間メイドインジャパンのレーサーが圧巻し続け、ロードレース発祥の地であるヨーロッパ勢は見る影もなかったが、二〇〇三年、ついにドゥカティがMoToGP参戦を開始。当初は期待された活躍は見せなかったものの、二〇〇五年からパワー重視でチューニングされた“GP5”を投入。ヤマハのバレンティーノ・ロッシ一色の年度ながら、コンスタントに六位以内へ食い込む健闘を見せ、第十二戦“もてぎGP”ではついに念願の初優勝を奪取、その後は優勝争いに顔を出す唯一の外国勢として大躍進が始まったのだ。ちなみに翌年二〇〇六年では十七戦中四度の優勝に輝いた。

「店長、面白いものが届きましたよ」
 茶封筒を持った原島がにやついている。
「今年のもてぎGPで、DJが応援スタンドをやるみたいです」
 資料によると、観戦セットを枚数限定で販売し、ドゥカティ応援スタンドからの観戦、応援グッズ(キャップ、ベスト等々)付、決勝直後のパレード走行という、なかなか魅力的な内容なのだ。
「これ、いいじゃない」
 実は俺、バイクレースなるものは一度も観たことがない。たいがいのレースは週末開催なので、仕事とバッティングするのだ。だから、MoToGP、もてぎ、ドゥカティとくりゃ、行きたさはマックス。仕事は休めないが、仕事という名目で行けばいいことだ。
「やるか、MoToGP観戦ツーリングを」
「そう来ると思いましたよ。早めに二十枚ほど確保して、明日からでも告知しましょう」
「わかった、それじゃハラシに任せるよ」
 こういうときのハラシ(原島)は抜群の働きを見せる。すぐさまDJへ電話を入れると、チケットを確保。PCで告知のポスターをササっと作って店内に掲示。最後は杉並店のウェブサイトに、<モト・ギャルソンメンバーへお知らせ>と称し、MoToGP観戦ツーリングの内容をアップ。反応はすこぶるよく、週末までに二十枚を完売。参加者名簿を作った後はツーリングのスケジュール作りに取りかかった。

 当日に乗っていく車両は“ムルチストラーダ1000”と決めていた。発売されて早二年がたつが、販売状況は思わしくなく、その特異なデザインに賛否両論が集中した。
 ― ドゥカティらしくない。
 ― 顔が変だ。
 デザインはあくまでも好みの範疇なので、なんとも言えないが、俺は一発で気に入った。しかも運転してみると、楽ちんなポジションで乗り心地もよく、DSエンジンとのマッチングもすこぶる良好。ドゥカティラリー箱根の時、箱スカ、芦スカで思いっきり飛ばしてみたが、サスストロークが長いので、グリップ感をつかみやすく、強力なブレーキも手伝って、気持ちのいいスポーツランを楽しめた。実はこの時、お客さんを四台引き連れてのツーリング中だったのだが、芦スカ区間に入って間もなく、BMWの1200GS にものすごい勢いで抜かれ、途端に“ブチッ!!”っとスイッチが入ってしまった。
 GSはかなりの走り好きらしく、スロットルの開けっぷりは惚れ惚れするほどだったが、コーナーの立ち上がりでは僅かにムルチストラーダに軍配が上がり、テール・トゥ・ノーズが延々と続いた。そんな素晴らしいムルチストラーダではあったが、ぜいたくを言えば、もう少々サスに腰があると、S字コーナーなどでクイックに向き変えが可能になるだろう。ただ、ビギナーツーリングにムルチストラーダに乗っていった大杉くんは、
「ダメっすね、あれ。おれのケツには合わないみたい。痛くて痛くて」
 まっ、このような意見もある。ちなみに俺はまったく平気。

 初めてのツインリンクもてぎは、ゲートをくぐった瞬間から圧倒された。とにかく人の溢れかえり様がすごいのだ。特にグランドスタンドからは、まだレースが始まっていないのに熱気が発散していた。
「あら! 木代さぁ~ん!」
 振り返ると、ナイスなCガールがこっちを見て手を振っている。
「おっ! Uちゃんじゃない、久しぶりだな」
 ドゥカティラリーで一緒にイベントを盛り上げたCガールの一人だ。
「ドゥカティブースにいるんでよろしくお願いしま~す」
 今日はメイクもMoToGPに合わせたのか、やや濃いめで人の目を引いた。抜群のスタイルと笑顔がまぶしい。
「うわー、木代さん、ぼくにも紹介してくださいよぉ」
 そう来ると思った。

 さすが国際レース、125ccクラスから驚きの連続である。当たり前だが速い。いや、速すぎる。ストレートはさすがに排気量が小さいため、やや迫力に欠けるが、コーナーは切れがよく、世界クラスのライダーの力量がうかがえた。250ccクラスになると、コーナーこそそれほど変わらないが、やはり立ち上がりの加速とストレートの伸びが格段に上がり迫力満点。ところが、四~五台の集団でストレートを駆け抜けるときの排気音は凄まじいものだが、出走を前に、MoToGPクラスのマシーンがパドックでエンジン暖機を行う時の排気音は更に大きく暴力的で、レース中の250ccの音が聞こえないほど。中でもドゥカティGP5は音量はもちろん、音色も他を圧倒した。フォンフォンフォン、フォーーン、フォーーンが国産マシーンならば、GP5はバンバンバンである。
 250ccクラスが終わるとMoToGPの前に、往年の名ライダー“ランディー・マモラ”によるエキシビジョン走行が行われた。ランディーが抽選で選ばれた一般のお客さんをドゥカティGP5の後ろに乗せ、スポーツ走行をするというもの。
「うわぁ、面白そー! いいなぁ~、あたしも後ろに乗りたいぃぃぃ」
 紅一点のツーリング参加者である長谷川さんは、さっきから隣で興奮気味。女性ながら愛車はSS1000と根っからのスポーツ派。さすがにランディーのこともよく知っていた。
 するとすかさずハラシが、
「長谷川さん、ぼくの後ろに乗せてあげるよ」
 きつい視線がハラシへ投げられる。
「けっこうです」
 それにしてもランディーの走りは凄い。まるでサーカスだ。フル加速でコーナーへ突っ込むとウィリーしながら立ち上がり、次のコーナーではフルバンク、タンデムのお客さんも膝を擦っていたかもしれない。最後はブレーキングの最後でジャックナイフ。お客さん、降りるとしばらく足元がおぼつかなかった。しかし最高の経験だったことは間違いないだろう。

 ついにMoToGPが始まった。ドゥカティのエースライダー“ロリス・カピロッシ”は予選から絶好調で、決勝もポールポジションからのロケットスタートでレースを牽引。ホンダのマックス・ビアッジと手に汗握るデッドヒートを展開、最後はみごと競り勝ってポール・トゥ・ウィン。完璧なレースを作り上げたのだ。おかげでツーリングメンバーたちは大喜び。応援グッズの価値もさぞかし上がったことだろう。

 そして興奮冷めやらぬうちにパレードランが始まった。さっきまで熱い戦いがあった同じコースを走る嬉しさはこの上ないもの。各コーナーブースにはまだ少数の観戦客が残っていて、前を通過すると手を振ってくれる。なんだかGPライダーになったような気分がしてきてこそばゆい。
 あっという間のレースイベントだったが、こんな楽しい一日を仕事と言う名目ですごした後ろめたさは、明日出勤して大杉くん以下、スタッフ達と目が合った時に、はっきりと出てしまうのでは…

「店長。おみやげは?!」
「ご、ごめん」

バイク屋時代43 ライダースミーティング

 モト・ギャルソンのモットー【遊べるバイク屋】の訴求は順調に進んでいた。自社イベントの盛り上がりはもちろんのこと、もう一つの要素として、ドゥカティのライダーズミーティンク゛“ドゥカティラリー”と、関東圏のビューエル正規販売店が設立した組織、BuellDOK(ブルドック)が定期的に行うライダーズミーティンク゛“ワインディングハント”が予想を上回る盛況に沸いたことが好影響したようだ。特に少数派のビューエルオーナー達にとっては、自分の車両以外、普段あまり見ることのないビューエルが、毎回二百台近く集結する様を目の当たりにすれば、驚きと同時にうれしさも感じるはずだ。販売台数は数値でわかっていても、実際にこれほどの数のビューエルを目の当たりにすると、俺だってびっくりだ。

「ビューエルって、こんなにいたんですね」
「わかってても驚いちゃうね」
 BuellDOKの役員である大崎社長も、広場に集結したビューエルを唖然と見つめている。初のミーティングは清里で行われ、百台を超えるビューエルが集結した。二〇一一年に解散となるまでに十一年間の活動実績があり、最終回のワインディングハントは二百五十台の参加で盛り上がり、惜しまれる雰囲気が場内に満ち溢れていたのは覚えている。ハーレーダビッドソンとビューエルの決別が、オーナーたちの楽しみを奪ってしまったのだ。

 一方のドゥカティも販売店主導型のドゥカティラリーを、ビューエルミーティングを追うように第一回目を蓼科のホテルで開催した。ただ二回目からはドゥカティラリーを運営をするための販売店グループを作り、その中で毎回幹事を選出、イベント内容、宿泊先等々を持ち回りで行った。うちのグループは東京から三社、群馬から一社、新潟から一社の計五社で構成された。初回の幹事は、小平のO社長率いるTモータースが行うことになった。
「大崎社長から聞いちゃったんですけど、木代さんって抜群にMCが上手なんですって」
「ええ、そんなこと言ってたんだ~」
 大崎社長のおしゃべり好きは相変わらず絶好調のようだ。
「御社のビッグツーリングの宴会の様子を詳しく話してもらいました」
 やっぱり。
「そこでお願いがあるんですけど、MCの子とペアを組んで、会場イベントを盛り上げてもらいたいんです」
 そうきたか。
「えええ、ちょちょっと、重荷かも~」
「そんなこと言わないでお願いしますよ」
 てなことで最後は押し切られ、記念すべき第一回目の蓼科を皮切りに、第二回の伊香保、そして第三回の箱根まで、連チャンでMCをやることになったのだ。

 蓼科のホテルの裏庭にはこじんまりした別棟があり、そこがCガール三人の控室になっていた。
「どーも、木代ですが」
 突き当りのドアが開き、ひとりの女性が出てきた。
「あら、木代さんですね、どうぞこちらへ」
 部屋に足を踏み入れると、メイク中のCガールが二人いて、会釈された。
「初めまして、MCの横沢です」
 横沢直美さんは目元パッチリのロングヘア―で、スタイルが抜群にいい。年のころは二十代後半から三十前半てなところか。Cガールたちは共に二十代だろう。いちおう打ち合わせということで来てはみたが、
「随所で話を振りますので、合いの手はアドリブってことでいきましょう」
 これは願ったりかなったりである。へんに台本があると緊張するし、ビッグの宴会はいつだって100%アドリブだから、そっちの方が慣れている。
「OKです。俺もその方がいいかな」
 幸いなことに、直美さんとは初っ端から息が合った。と言うか、やはり彼女はプロ。話の廻し方が抜群に上手で、乗せられたようにアドリブが飛び出てくる。それとビッグの時もそうだが、事前にアルコールを少し入れてあるので、リズムにさえ乗れば、あとは勝手に舌が回り続けるのだ。
 こうなると多数の参加客を前にしてマイクを握るのは楽しい。しかもCガールは毎回変わっても、MCは第三回目までずっと直美さんだったから、安心してやり遂げることができた。

「木代さん、おつかれさまでした」
「いやいや、つたないMCでかえって迷惑かけちゃったね~」
「とんでもない、ものすごくお上手でした」
 さっきからニヤニヤしているTモータースのO社長、
「木代さん。バイク屋からMCに転向したらどうですか」
「なに言ってんですか」
「うちの事務所、紹介しますよ」
「直美さんまで、なにバカなことを」
 とは言ったものの、なんだか嬉しい。

 ワインディングハントとドゥカティラリーは共に毎回盛況で、有力バイク雑誌社も取材に来るようになり、雑誌掲載効果によるものか、売り上げも好調に推移した。しかし何よりの恩恵は顧客の定着化である。イベントに参加したお客さんの来店頻度は決まって上がり、お客さん同士、そしてお客さんとスタッフの繋がりが強くなる。この流れは店に活況を生み、具体例として、紹介、カスタム、点検等々が増えていった。
 ただ、このようないいことずくめは長くは続かない。
 ビューエルとハーレーの決別でワインディングハントが中止に追い込まれるのは致し方ないとしても、DJが徐々にドゥカティラリーから離れる方針を打ち出したときは、かなりカチンときた。
 東京は中目黒にあるDJのオフィス。昼過ぎからドゥカティラリー運営グループの会議が行われた。
「えっ? それって、イベント会場の隣で試乗商談会をやるってことですか?」
 これまでのドゥカティラリーとは趣向がだいぶ異なるので、各店代表はそろって眉を曇らせた。しかも試乗商談会を実施するに当たり、各社から二名のスタッフを出してくれと言う。
「うちはお断りします。箱根で商談会をやっても、まさか新潟のお客さんは来ないでしょうから」
 新潟のAモーターの発言はもっともである。
「ドカを買ってよかったと、既納客に満足してもらうためにドゥカティラリーがあるんだから、それに全力投球しましょうよ」
「僕もそう思います。試乗商談会は別にやったらどうですか」
 なんでいきなり方針を変えようとするのか、その理由をDJ営業へ詰め寄ると、最初は遠まわしな回答を続けるだけだったが、要は半年ほど前からDJの業績が落ち始め、イベントへの予算を捻出するのが難しいところまで来ていたと言うのだ。
「売上なんて、そんな商談会を単発でやっても、すぐにどうにかなるもんじゃないでしょうに」
 販社には販社の、販売店には販売店の悩みや問題がある。それとは裏腹にお客さんは楽しさと満足を絶えず求めてくる。三者それぞれの欲求を独自に解決しようとすれば限界があり、絶えず三者一体となった、つまりウィンウィンを目指すような考え方を基本としなければ、結局空回りに終わるのだ。これを当時最も効率的に行っていたのは、国産、外車バイク界のなかでも、唯一ハーレーダビッドソンファミリーだったように思う。
「とにかくイベントへの予算は控えてくれというのが本国の意向なんで、そのへん、ご理解をいただきたいのです」
 平行線は延々と続き、ドゥカティの三者一体となった素晴らしいイベントは、尻つぼみとなっていくのだった。

バイク屋時代42 遊べるバイク屋

 ビッグツーリングの参加者はここ二、三年増加の一途にあり、ハーレー二店で約七十名、杉並店は三十名前後、そして少なくはなったが国産オーナーが五~六名と、常に百名オーバーで推移している。そのためか、宴会場などではハーレーのお客さんが必然的に幅を利かせているような形に映り、杉並店や国産バイクのお客さんにしてみれば、隅へ追いやられるような居心地の悪さを感じてきたのかもしれない。

プチホテル フルールの駐車場にて

 ある平日の午後。店には常連の西ノ宮さん、滝沢さんが遊びに来ていて、なにやらカスタムの話で盛り上がっている。
「お話し中失礼。ちょっと意見を聞きたいんだけど、ビッグはこれまで全店合同でやってきたけど、どうかな、年に一回は店別でやるってのは」
「ああ、それ賛成」
「わたしもそっちの方がいいですね」
 現況のビッグツーリングは、以前とは趣がやや異なる。本店、吉祥寺店、ギャラリーの国産バイク時代は、どの店も取扱車種が同じだったので、お客さんのバイクライフも似てくる。だから話題に共通項が多く、仲間が作りやすかった。ところが同じバイク好き、同じライダーなのに、どうもハーレーオーナーとスポーツバイクオーナーの間には、何やら壁ができてしまうようで、会話が始まることは至極まれ。話題を作ろうにも共通項が少なく、話のきっかけを見出すことは難しい。もっとも国産バイク時代も、ツナギを着てフルバンクで駆け抜ける峠好きと、泥だらけになって山を走る林道好きの間には、やはり壁のようなものが
あったにはあったが…
「さっそくだけど、秋のビッグは杉並店単独でやろうと思ってるんですよ」
「そうなんだ」
「いいじゃないですか」
 細かいことだが、お客さん同士の見えない壁問題の他にもいろいろある。たとえば宴会でゲームを行い、勝者には景品を進呈するのだが、ハーレー関連、ドゥカティ関連でそこそこの数量は用意しても、ゲーム勝者がドゥカティのお客さんなのに、ハーレーのTシャツしか残っていなかったり等々はよくあることなのだ。
 ある時、そんな諸々を大崎社長へ話してみると、
「壁というか、バイクライフの楽しみ方の違いについてはスタッフもお客さんも以前から感じてたんじゃないの。それとは別だけど、これだけ参加者が増えてくると、宿を取るのが難しくてさ、矢倉くんがぼやいていたよ」
 同じことを下山専務も言っていた。スタッフを合わせると、総人数は百二十名以上になり、宿によっては“暴走族の集会”と誤解されるらしい。
「なら試しに次回は別々にやってみませんか」
「そうする? でも、時間があまりないから、宿の件は近ツリの田中さん、紹介しようか?」
「いや結構、自分で探します」


 今やネットの時代。海外旅行でもあるまいし、マウス片手に検索しまくれば、いくらだって見つかるだろう。旅行代理店に任せれば手間はいらないが、当然マージンを取られるので宿泊代は高くなる。ただでさえここ一~二年、ビッグツーリングの参加費用が高くなったと、一部の常連から嫌みを言われているのだ。
 さっそく仕事そっちのけで検索をスタート。旅行予約サイトは使わずに、エリアを絞って片っ端から当たった。するとそれほど時間を要せず、東伊豆のぐらんぱる公園のすぐ近くに、よさげな宿を発見。【プチホテル フルール】と称するそのホテルへ電話をかけ、要件を伝えると、価格、部屋数、料理、そして駐車場と、要望にほぼぴったりの条件を備えていた。
「それじゃオーナー、週明けの木曜日に伺わせていただきます」
「お待ちしております」
 “花に囲まれた静かな佇まい”。これが第一印象。交通量の多いR135からさほど離れてないのに、周囲は静寂に包まれ、プチホテルとは言えども安っぽさがない。むしろ瀟洒な雰囲気が感じられ、間違いなくカップルにはうけそうだ。
「人数はスタッフ含めて四十名ほどですかね」
「だったら貸し切りにいたします」
 これはいい。他の客がいなければ、ロビーも気を遣わずに使えるし、多少騒いでも問題はないだろう。料理は基本的にフレンチのようだが、漁港が近いので、同業者へ依頼して特別な船盛も出してくれるという。
「では、よろしくおねがいします」
「ありがとうございます」
 こうして初となる杉並店メンバーだけで行くビッグツーリングが実現したのだ。これまでは大きな観光ホテルばかりだったので、いったいどんな感じになるのか楽しみである。

ペンション ネイチャークラブ

「今回は洒落たところですね」
「お風呂がいいよ、開放感あってさ」
「料理はこれまでのビッグで一番ゴージャスかも」
「やっぱ貸し切りってのがいいよ」
 お客さんの反応は上々でひとまず安心。おまけにスタッフ達の反応もよく、大杉くんには「いいとこ見つけたじゃん」と褒められた。ハーレーがどうこうではなく、純粋に同好の士だけが集まったことにより、寛いだ雰囲気が醸し出されたのだろう。ただ残念なことに、この二年後、大崎社長の一存で、ビッグツーリングの開催は年に一度へと減らすことになった。この決定により、これまで長い間、お客さんやスタッフたちにとって唯一の全店合同のお祭りだっただけに、惜しまれる声は少なくなかった。
 モト・ギャルソンのモットーである【遊べるバイク屋】をもっともっとアピールしようと、ビギナーツーリング、サーキット走行会、そしてHOG(ハーレーオーナーズグループ)の毎月開催されるイベント等々を強力に推進してきたために、実質的な営業日数や店を守るスタッフの数が減り、売上に少しづつ影響が出始めたのだ。そんな状況下に、杉並店独自のイベントとして、さらに“現地集合一泊ツーリング”なるものを年一回夏に開催。企業の身上である利益の獲得がなおざりとなり、本末転倒へと傾きつつあったのだ。
 ちなみに前述の現地集合一泊ツーリングは、スタッフに労力をかけないようにと考案した企画で、名称のとおり、皆を引き連れてのツーリングではなく、参加者各自が宴会までに宿へ到着してもらうという極めてシンプルな趣向であり、翌日も朝食が終われば現地解散とした。しかし一泊すれば気の合う仲間ができ、帰りがソロになる人はごく僅かだった。当然、固定客増へは大いに貢献した。
 現地一泊の宿は、清里高原牧場通りにある【ペンション ネイチャークラブ】。気さくなオーナーは画家でもあり、館内のいたるところに清里を含め、山梨や長野の山々や田園風景を描いたすてきな水彩画が飾られていた。

「こないだのビッグは遊びすぎたんじゃない」
「たまにはいいでしょう。大きくて有名な温泉地なんだから」
 坂上がニヤニヤしている。
「みんなで伊東の街に繰り出しちゃったんですよね~」
 そういえば、二次会の席に常連客の姿が少なくて、変だなと思っていたのだ。
 宿泊先は“伊東温泉・ホテル聚楽”。宿から“脱走”した面々は、スナックから始めると、最後はピンサロで大はしゃぎ。ホテルに戻ったのは午前様だったようだ。
「ずいぶんと夜を楽しんだみたいだね。二次会じゃ待ってたんだよ」
「いやいや、一度は行ったんですよ。そしたらハーレーの人たちが大挙してて、ちょっと居心地悪いかな~って」

 この回の参加者数は過去最高の百四十名越えとなり、大いに賑わったが、同時に全店合同で行う最後のビッグツーリングでもあった。