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バイク屋時代 5・昔話

 俺が高校生の頃(昭和四十六年前後)、バイクはギターと並んで、多くの男子生徒が喉から手が出るほど欲しいアイテムの代表格だった。仲間が集まり会話が始まれば、話題はたいがい女の子かバイクか音楽。これは間違いなく全国区だったろう。もちろん俺もバイクは欲しかったが、当時の風潮であった“バイクとエレキは不良の始まり”が我が家でも強力に根付いていて、親からは絶対に手を出すなと再三釘を刺されていた。当然免許など取れるはずもなく、友人のスーパーカブを借りては、親とお巡りさんに見つからないよう、こそこそと欲求を晴らしていた。

 高校三年生の秋。通っていた学校が日本大学の付属高校だったので、エスカレーター進学を決める恒例の統一テストなるものが行われた。幸いなことに希望の学部へ滑り込むことができてひと安心。こうなれば二学期、三学期の期末試験なんぞは形だけ。あとは卒業するその日まで遊び放題やり放題!
 余談だが、懐かしの母校にはふたつ上の先輩に女優の松坂慶子さん、そして同級生には元キャンディーズの伊藤蘭ちゃんがいた。

 冬休みの初日。クラスメイトの中田が突然うちへやってきた。なぜか乗ってきたバイクを一週間ほど預かってほしいと言う。中田は学業優秀にもかかわらず、ぱっと見はヤンキー調なやつだったので、その大きなギャップからクラスでは“謎の男”と囁かれ、けっこうな人気者だった。
「預かるだけなら親もいいってさ」
「わりーな」
 預かったバイクはけっこうなオンボロ。よく見ればメインスイッチが取り外され配線を直結してある。まさか盗難車ではないと思うが、謎の男が乗ってきたバイクなのでやや不安。ただ、車種はヤマハの人気オフロードモデル“DT1”なので、どの角度から見てもたまらなくかっこいい。もともと野山を走りまくるバイクだから、少々ボロくてもむしろ雰囲気が出てそのワイルドさが倍増する。もちろん車体からほとばしるオーラはスーパーカブの比ではない。


 翌日の朝。トイレに行こうと廊下を歩いていると、門の脇に置いたDT1に朝日が反射し、俺に乗ってくれと言わんばかりに光り輝いていた。
 昼飯の後、誰も見ていないことを確認、そっとDT1を表の道路へ移動させた。250ccともなるとさすがに重く、スーパーカブとは大違いの重量感だ。門の段差を越えるとき危うく倒しそうになり冷や汗が出た。
 路肩に停めてサイドスタンドを下ろしキックアームを出す。ステップに立って思いっきりけり下ろした。かからない。もう一度繰り返す。かからない。これを五度繰り返した時、「パパン、パンパンパン」とついに火が入った。けっこうやかましい音にびっくり。これではおふくろか、さもなければ爺ちゃんに見つかってしまうので、急いでエンジンを切り、更に先の角まで押していった。
 再びエンジンをかける。ギアを一速に入れて恐る恐るクラッチを繋いでみた。すると、悲しくもプスン。エンストである。気を取り直してトライアゲイン!
 二度目はうまくいった。
 おっおっおっおっ! 走り出したぁー!
 いやはや力が半端じゃない。スーパーカブと比較するのもなんだが、まるっきりの別物。二速にアップしてクラッチをつなぐと、フロントが浮いたような感じがして、バランスを崩しそうになる。
 うおっ! こ、こわぁ……
 かなり乗り込まないとこんなモンスター、とてもじゃないが運転できない。衝撃の体験はバイクへの憧れをさらに膨らませた。
 しかし当時の流れでもあったが、大学生になるとバイク所有の夢は残しつつも、徐々に目線は車へと移っていく。
 大人への仲間入り、小さな俺世界、彼女とラブラブドライブなどなど、十九歳の男子にとって乗用車は様々な欲求を満たしてくれる夢の乗り物なのだ。そんな俺にとってトヨタ・セリカ1600GTVは、青春時代を共に走りぬいた最高の相棒になった。実はある条件を呑む見返りに、おやじが買ってくれたのだ。
 九十手前だった爺ちゃんが、膀胱がんにかかって寝たきりになってしまい、尿道へ挿入してあるパイプを一週間に一度交換する必要があり、それまで吉祥寺にあった泌尿器科へは毎回タクシーを使っていたのだが、行きにしろ帰りにしろ、呼んでもタイムリーに来てくれることは少なく、更に病人は乗せたくないのか、終始仏頂面の運転手もいたりして、おやじも俺もけっこうなストレスになっていたのだ。
「車買ってやるから、そのかわり毎週爺ちゃんをたのむ」
「わかった」
「中古だからな」
 さっそく当時つきあっていた彼女の兄貴に頼み込んで、憧れのGTV探しをお願いした。実はその兄貴、都内で整備工場を営んでいて、車を買うときはお願いしようと、彼女を通して根回しをしていたのだ。
 そもそもうちにマイカーはなかった。爺ちゃんは戦前からの警察官で、馬に乗って警らをしたり、T型フォードのパトカーに乗ったり、通勤にインディアンの赤バイ(現在の白バイ)を使ったりと、乗り物好き極まる男だったらしい。だがその職務故に嫌になるほど交通事故を見ることになり、息子たち、つまり俺のおやじにも車は乗るなと言い聞かせてきたのだ。おやじ自身も東京電力の総務課に勤務していて、社風から交通事故など起こせば即降格人事になりかねないんだと諦めていた節もあったようだ。

 どの角度から見てもセクシーなフォルム。さらにフロント、リア共々フルオープンになるウィンドウは、走り出すと抜群の解放感を与えてくれる。そして最高出力115馬力を誇るDOHC・2T-Gエンジンの咆哮はマシンと呼ぶにふさわしく、学生時代の五年間(一留年)はセリカのある毎日にとことん酔いしれ、正直バイクのことは忘れていた。

 苦労の末、何とか大学を卒業すると、ファミリーレストランのデニーズを運営する株式会社デニーズジャパンへ入社。実社会の厳しさはある程度覚悟していたが、常態化された長時間労働が作り出す劣悪な労働環境は想像を超えるもので、蓄積する疲労は回復することがなく、貴重な休日も週に一日取れれば御の字という最悪な状況。プライベートを楽しむゆとりなど物理的にも皆無に等しく、特に埼玉エリアで新店オープニングメンバーになってからは、平均睡眠時間が四時間と、毎日考えることはただただ逃避。ある休日、ついにペンをとると退職願を書き始めてしまう。

「こんな環境じゃ、もう続けられないです」
 困惑顔の店長はすぐに本部へ連絡、その翌日にはエリアマネージャーが飛んできた。
「おまえの地元の東京へ戻すから、そこでいったん頭を冷やせよ」
 仕事そのものは嫌いじゃなかったので、ここは一度折れてもいいかなと、指示をのんだ。東京エリアの出店ペースは、他地区と比較してかなり穏やかだったのも決断の理由のひとつである。
 それから数年がたち、いい意味でも悪い意味でも仕事に慣れ、手の抜き方がわかってきたある日、愛読書だった少年マガジンに掲載されていった話題のニューモデル“ヤマハ・RZ250”の広告に目が止まった。過激なキャッチコピーはさておき、そのスペックに震えがきたのだ。
 高校時代にちょっとだけ味わった友人のDT1を思い出し、あれの上を行く性能ってどんなものだろうと、忘れかけていたバイクへの興味が一気に再燃した。 
 参考までに、DT1の最高出力は18馬力、これに対してRZは30馬力もあった。

バイク屋時代 4・オーバーナナハンライフ

「木代くん。今日JOGが六台入荷するから、特価のプライス付けて一番目立つところにバーンと並べといて」
「バ~ンはいいですけど、特価っていくらにしますか?」
「言ってなかった?」
「聞いてないです」
「いやぁ~、言ったな」
「……」

 うちの社長は“思い込みの権化”のような人だ。<俺が知っていることは君も知っている>という揺るぎない考え方を持っているから始末が悪い。

「そこのお菓子さ、〇〇さんが持ってきてくれたよ」
「〇〇さんって? 知りませんが」
「なに言ってんの、CBRの〇〇さんだよ」
「知りませんて」
「知ってるって」
 と、こんな感じ。

 ところでJOG六台の件だが、先日、ヤマハの担当営業マン・三沢さんが来店した際、社長へまとめ仕入れを頼んだようだ。お客さんに注文をもらってその都度メーカに発注を入れるより、売れ筋を見極め、台数をまとめて仕入れた方が即納できるし粗利も大きくなる。
「一台プラス20,000円だから大きいよ」
 20,000円とはヤマハも随分と奮発したものだ。車種にもよるが、原付スクーターのマージンはびっくりするほど少なく、平均で台あたり20,000円から多くても30,000円止まり。ということは、値引きなしで売ったとしても30,000円程度しか儲からない。ただ現況は厳しく、このご時世に値引きなしでスクーターを売っている販売店はまずない。お客さんもそれはよく知っている。つい先日、近所にある櫻井ホンダ吉祥寺店の前を通ったら、最新型のDioなのに、<現車に限り10,000円引き!!>とプライスカードに派手な蛍光カラーで安さをアピール、それこそバーンと店先に五台も並べてあった。
 そう、この人気のホンダ・Dioは実に画期的なモデルだ。


 シートを開けるとフルフェイスヘルメットがすっぽり収まるラゲッジスペースが確保されていて車体カラーも明るくポップ。デザインはやや丸みを持たせ、どんな年齢層にもアピールできる第一印象を醸し出している。これまでのスクーターは、ちょっとした荷物を積むためにはフロントバスケットを取り付ける必要があった。ところがこれを<オバンくさい>と毛嫌いする若者は少なくなかった。
 そもそもスクーターは“町の便利な脚”として使われることが殆どなので、車体に物を入れるスペースがあったら便利との声は以前から多く上がっていた。よって一九八八年初頭に発売されたこのDioは、時代の要請に応えよく売れた。これにより業界ナンバーワンの売り上げを誇っていたヤマハのJOGはその座を奪われてしまう。だがヤマハも当然次の戦略を準備していた。一年もたたないうちにメットインタイプのNewJOGを発表、巻き返しを図った。


 一方、スズキはDioに先立ちアドレスというメットインモデルをラインナップしていたが、車体が大きく物々しいデザインは女性層に受けずDioの独走を許した。これに対し小型でお洒落にまとまったセピアを新規投入。ホンダ、ヤマハ、スズキのスクーター合戦は加熱極まった。

「社長、でもこのJOGって、旧JOGですよね」
 旧JOGとはメットインタイプになる以前のモデルだ。
「当たり前だよ。じゃなかったら¥20,000もマージンつくわけないじゃない」
 社長は知らないのだ、今日の読売新聞の折り込みチラシを。
 近所のYSP三鷹は旧JOG在庫一掃セールと銘打って、な、なんと50,000円引きである。“YSP”とはヤマハモーターサイクルスポーツプラザの略で、フルラインナップを揃えたヤマハ専業店のこと。ちなみにモト・ギャルソンは単一メーカーの専業店ではなく、ホンダ、ヤマハ、スズキの正規販売店になる。これにカワサキが加われば、国産メーカーすべてを扱え店格も上がるが、正規店の看板を手に入れるには幾多のハードルがあった。

 カワサキというメーカーは他の三社と較べると製品に独自性があり、自他ともに認めるブランディング路線を堅持していた。趣味性の薄いスクーターなどはラインナップせず、他の三社が競うように発表し続けていた動力性能重視のレーサーレプリカをしり目に、GPZ400Rのようにスポーツからツーリングまでと、総合性能を売りにした製品をメインに打ち出し、特にツーリングライダーからは絶大な支持を受けていた。事実、GPZ400Rの売上げ台数は400ccクラスナンバーワンを誇り、カワサキここにあり!をアピールした。
 ちなみに大崎社長の愛車はカワサキGPZ1000RXという逆輸入車。最高出力は125馬力を誇り、最高速度に至っては260Kmを突破する世界最強のスーパーマシンなのだ。もちろん名実ともにカワサキのフラッグシップである。


 一九七〇年代。四メーカーが自ら掲げた自主規制により、国内においては排気量750ccが販売できる上限になっていた。GPZ1000RXのように排気量が1000ccもある車両を手に入れるには、海外向けに輸出したものを改めて輸入、つまり製造したメーカーからではなく、それを生業とする並行輸入業者から購入するしかなかったのだ。ただ、メーカーとは組織的に何の関係もないところから、価格が高額にもかかわらず車両保証は付与されない。それでもメイドインジャパンの高品質に支えられた大排気量と絶対性能は多くのライダーを魅了していた。

 さて、それじゃおれも購入するかと懐具合をチェック、
「ふふ、なんとかいけそうじゃん」
 どっこいこれだけではオーバーナナハンライフは手に入らない。実に厄介な壁、そう、極めて難関と言われている二輪の限定解除試験に合格する必要があった。教習所で取得できる自動二輪免許は、乗車車両の最大排気量が399cc以下と定められる排気量限定付きなのだ。
 内容は試験車両であるナナハンを駆る実技になるが、受験者数五十~六十名に対し合格者数三~四名という狭き門で、そんな厳しい事情があったからこそ、限定解除免許はライダー憧れのライセンスとして崇められ、同時にオーバーナナハンを颯爽と操るライダーは羨望の眼差しで見られた。そしてこの事実はそのまま私の職務上の立場にもプレッシャーをかけてきた。バイク屋の営業マンが店舗で扱う車両を運転できないでは済まされないからだ。近い将来、乗り越えなければならない高い壁を見上げた。

「うわっ! 凄い音」
 突如工場に炸裂音が轟いた。
「保谷さんのRC30にHRC純正のレーシングマフラーを取り付けてるんだよ」
 HRCとはホンダのレース用車両、パーツ開発、販売等々を目的とした株式会社ホンダ・レーシングのこと。
「うおっ、HRCの純正ですか。ずいぶんとえぐいものつけるんですね」
「保谷さん、好きなんだよ」
 そしてRC30とは昨年(一九八七年)にホンダから発売されたワークスレーサーRVF750のレプリカモデルのことで、正式名称はVFR750R。世界耐久ロードレースに二年連続優勝したマシンのレプリカだけあって、外観だけでなくエンジンなどには実際のレーサーに準ずる高級素材で作られたパーツをふんだんに使用しており、何と販売価格は148万円。そんな高価なバイクだったが、モト・ギャルソンでは三台の販売実績があった。


「いいですね、うらやましいな~」
「サーキットで走るようなバイクだから、一般道じゃ扱いにくいよ」
 それは社長の言うとおりだろうが、レプリカ好き、ホンダ好きには別格というべき一台に違いない。ちなみにこの二年後、ヤマハもワークスレーサーFZR750のレプリカモデルOW01(FZR750R)を発売。500台限定販売車両で価格はRC30を上回る200万円と非常に高価だったが、発表と同時に完売。レプリカ全盛という時代背景が、とてつもない勢いをつけていたのだ。

バイク屋時代 3・バイクをトラックへ載せる

「じゃあさ、ウォルターウルフのガンマ、のっけといて」
「一台でいいっすか」
「おお」 
 江藤さんと最年少メカ西くんとのやり取りだ。一昨日三台入荷した新車スズキRG250Γの一台をギャラツーへ移動するようだ。

 “バイクをトラックへ載せる”
 バイク屋スタッフならではの作業である。はたから見るといとも簡単そうだが、どっこい自分でやるとなると、これがなかなか一筋縄ではいかないのだ。
 そりゃそうだ。バイクも排気量が250cc以上になれば車格も格段にアップし、押して歩くにも力がいるし緊張感も覚える。それを路面よりはるか高いトラックの荷台へ上げるのだから、簡単なはずがない。

 これから載せるガンマもそうだが、新車はエンジンがかからない。それは整備前だから。この点は四輪車と異なる。
 四輪車はディーラーへ運ばれてきた時点ですでに燃料、オイル、そしてバッテリーも充填されていて、始動~運転が可能だ。ところがバイクはエンジンオイルこそ入っていても、バッテリーは充電されてないし燃料も入ってない。この“動かないバイク”を軽トラの荷台へ載せる作業は意外や頻繁に行われる。
 手順としては先ず荷台にラダーレールと称するアルミ製のスロープをセットする。ガンマの重量は軽いと言っても100㎏以上あるので、どんな怪力の持ち主だろうとそのまま押し進めようとすれば、ラダーレールに前輪が乗ったところでびくともしなくなる。ではどうするか。一旦トラック後方4~5mまで下がり、うぉっしゃー!と気合を入れ、勢いよくバイクを押しながら猛ダッシュ! 十分に惰性をつけたら、一気に荷台へと押し上げる。バイクはラダーレールから、人間は地を蹴り荷台へ飛び乗るのだ。実際やってみると非常にアクロバチックであり、250ccクラスまでならばそれほど難しくはないが、これがナナハンともなれば非常にリスキーな作業となる。
 一方、車検場への持ち込みのようにエンジンがかかる場合は、その動力を利用する。スロットルと半クラッチを巧みにコントロールし、バランスを崩さぬよう注意しながらスムーズに進めることがポイント。ただ、いきなりやれと言われてもそうはうまくいかない。
 しかもまだ先がある。あの軽トラの小さな荷台へ、なんと二台載せるというのだ。
 先日、西くんが車検場へ行くとのことで、裏から軽トラを出してきた。
「手伝うよ」
「あっ、おねがいします。今日は二台なんで」
「うっひょ、そりゃ大変だ」
 目の前で二台積むところは見たことがない。がぜん興味がわいてきた。
「そこのSRとXJ、歩道の脇に並べといてください」
「はいよ!」


 西くんはサービスカウンターで車検場へ提出する書類をチェックしている。捺印された申請書、車検証、自賠責保険、そして納税証明書。どれが欠けても継続車検は通らない。
 まずはXJのエンジンをかける。チョークでアイドリングが上がっている間に、ラダーレールをセットする。一速に入れ、絶妙なクラッチ操作でスルスルッと車体を前進させると、まっしぐらにラダーレールへ向かい、あらよあらよという間にXJは軽トラの荷台へと収まった。うまいもんだ。いくらエンジンの動力を使ったって、あんなに大きくて重いバイクを正確に操作するのは相当な慣れが必要なはず。しかも更にもう一台載せるというのだからたまげる。XJは荷台の右側ぎりぎりまで寄せた。
「じゃ、ちょっと押してください。これ軽いんでエンジンかけないから」
 SRは同じ400ccでもXJと較べて車体はスリムで車重も20㎏近く軽い。ラダーレールを右側から左側にセットしなおすと、合図とともにSRを押す。すると西くんは路肩の縁石に飛び乗ってそのままSRを荷台へ押し上げた。なるほど。縁石に乗ることによって肩の位置が上がり、荷台に上がったSRを安定的に扱えるのだ。左手でハンドルを支え、空いた右手でサイドスタンドを出すと、見事にSRが左側に収まった。いやはや大したもの。これぞバイク屋!
 ちなみにモト・ギャルソンでは、軽トラにバイクを上げる際、ラダーレールは一本しか使わない。他のショップは二本使うことが多いらしい。右側はバイク、左側は人が駆け上がるためだ。これを西くんに聞いてみると、
「結局ラダーレールも軽トラに積まなきゃならないんで、邪魔なんですよ、二本もあると」
 なるほど。
 しかし、この二台を一人で下すのも結構難しいのではなかろうか。
 西くんが軽トラの運転席に乗り込むと、すぐ後ろに2トン車のアトラスが入ってきた。三鷹店のもう一台のトラックである。さっきから姿が見えないと思ったら、社長が運転している。ウィンドウを下ろすと大崎スマイルの登場。そう、大崎社長はいつだって明るい笑顔を絶やさないのだ。これは生粋の営業マンたる証。
「あれ木代くん、積み込みやってるの?」
「ええ、西くんにいろいろ教えてもらいました」
「できそう?」
「最初はフォローしてもらわないと、いきなりじゃ怖いかな」
「よし、それじゃバッチリ手本を見せてあげよう」
 その時、メカの武井くんがホンダのCBX400Fを工場から押してきた。
「武井くん、そのバイク、俺が載せるからトラックの後ろに置いといて」
 修理が完了した車両で、これから小金井市のお客さん宅へ納車するらしい。
「社長、大丈夫ですか」
 武井くんも心配顔である。
「へいきへいき!」
 納得のいかない表情を見せつつも、武井くんが手際よく二本のラダーレールをアトラスにセットした。軽トラとくらべればさすがに2トン車の荷台は高さがある。とてもではないが軽トラのように飛び乗れるレベルではないので、人用に一本必要なのだ。
「ほら見ててよ! エンジンかけてね、こうやって惰性つけて!!」
 社長のやり方は凄い。エンジンの動力プラス、己の走りで惰性をつける。西くんのように絶妙なスロットルコントロールでゆっくり上げていくのとは違い、バイクを押しながら疾走する社長の姿はなんだか大迫力である。まっ、人それぞれ。安全に載せられればそれでよしだ。
「ははは!どうだうまいもんだろ!!」
 お疲れさまでした。

バイク屋時代 2・常連さん

 バイクという乗り物は、一般的な車(四輪車)とくらべると格段に趣味性が濃い。
 車屋へは何らかの用事がなければ出向くことはないが、バイク屋は違う。親しくなった店員やお客さん同士のコミュニケーションを求めて、“常連”と称する馴染み客がびっくりするほど訪れてくる。特に週末ともなればその数はおびただしく、彼らを相手にすることで一日が終わってしまうことも屡々だ。

「あれ、新人さん?」
 どこから見ても俺より年下。なのに、なれなれしい。
 おっといけないいけない、彼はお客さんだ。
「入ったばっかりなんでよろしくお願いしますね」
「なに乗ってんですか?」
「RZ250」
「へ~、渋いな、僕はFZRだからおんなじヤマハだ」
 こうして話がうまく噛み合えば、初対面のお客さんとでもバイク談義に花が咲く。こんなことが何度か繰り返されると、彼は用がなくても俺とのおしゃべり目当てで来店するようになり、車両の代替えに至れば、いの一番に相談を持ちかけてくる。
 自分の常連さんが少しずつ増えていくと、営業マンとして店内でより強力に幅を利かせることができ、精神面でも快適な職場環境が得られるのだ。

 俺の常連さん第一号は、ホンダ・シャリ―に乗っていた奥村くんだ。
 ちょくちょく店へ顔を出していたが、特段用事があるようには見えず、いつも一人寂しく談話コーナーで雑誌を読んでいた。ある日なんの気なしに声をかけると、ぽつりぽつりと好きなバイクや乗ってみたいバイクのことを語り始めた。
 年齢は二十六歳で北海道出身とのこと。痩せていて眉毛が薄く、やや病的な雰囲気が漂うが、会話が進んでいくとなかなかウィットもあって、根は明るい青年かもしれない。
「木代さんのRZ、売ってくださいよ」
「はぁ?!」


 いきなり飛び出した話に最初は冗談かと思ったが、詳しく聞けば以前から欲しくて欲しくてしょうがなく、大手中古車店のレッドバロンにも当たってはいたが、めぼしいものが見つからず半ば諦めていたという。ところが思いもよらず身近なところにRZが現れたので、物欲が急上昇したらしい。
「俺のは勘弁してくれよ。もう少し乗りたいからさ」
「店員がそんな古いの乗ってたらだめだめ」
 どこかで聞いたことがあると思ったら、“古いの乗ってたらだめ”は大崎社長の口癖だった。常連さんってのは、スタッフの会話を聞いてないふりして実はよく聞いている。
 モト・ギャルソンの主たる販売商品は新車である。お客さんに新車を勧める立場にいる販売員が、旧車に乗って喜んでいるようでは格好がつかないというのが社長の言い分だ。
 モト・ギャルソンには社内販売規定が設けられていて、スタッフがバイクを購入する際には幾分お得な価格が用意されるが、原則は新車のみ。どうしても中古車が欲しい場合は、社長と下山専務に相談し、二人の許可が得られれば可能となる。規定としてはずいぶんと緩いが、このあんばいがいかにもモト・ギャルソンらしい。
 ケースバイケース、しょうがない、とりあえず、ペンディング等々の文言が日常頻繁に飛び交っている職場は、当初とてつもなく違和感を覚えた。

「飲み物買ってくるけど、なにがいい?」
「じゃ、コーラ」
 奥村くんの頭の中は既にRZ欲しさでいっぱいだろう。できればなんとか望みをかなえてあげたいが、新車じゃないし在庫もない。しかも古いモデルを社長に探してくれとは頼みにくい。だが、相談しなければ先へは進まない。

「RZなんかだめだめ、納車してすぐ壊れるよ」
「重々承知で」
「クレームになるな」
「その件もしつこいほど説明してますから」
「そうか、しょうがないな。それだけ言うなら、当たってみるか」
「すみません、お願いします」

 社長に頼んでから数日後のことだった。ラッキーにも、支店のひとつであるギャラリーⅡに下取としてRZ250が入荷したというのだ。
 モト・ギャルソンは三店舗を展開していた。俺が勤務する<三鷹店>、吉祥寺の女子大通りにある<吉祥寺店>、そして武蔵野女子学院正門近くの中古車専門店<ギャラリーⅡ>だ。
 電話をとるとギャラツー(ギャラリーⅡの通称)店長の江藤さんだった。
「木代くんのお客さんがRZ欲しいんだろ。入ったよ」
 江藤さんは一見すると“その筋の人”に見える。てかてかなスキンヘッドと額にはえぐい古傷、さらに体型はあの手の人たちにありがちながっしり形なので、普通の人なら確実に引く。
「ありがとうございます。助かります」
「午後にそっちへ行く用事があるから持ってくよ」

 昼食が終える頃、トラックが到着。降ろしたばかりのRZをじっくりと観察した。
「ものはそんなに悪くないだろ」
 一見きれいだし、大きな傷や凹みも見当たらない。前後タイヤもまあまあ残ってるし、エンジンのかかりも問題なしだ。なにしろ奥村くんが買う車両なので、俺としても慎重になる。
「あれ~、これ、ちょっと怪しいなぁ~」
 いきなり背後から声が降ってきた。振り向くとメカニックの海藤がRZをまじまじと観察している。
「距離が12,000kmでこのチェーンとスプロケの減り方は不自然だな。これ、交換しないと売れないですよ」
 なるほど、メカニックの視線である。走行距離に対して消耗部品の状態をチェックしているのだ。中古車のオーソリティーと豪語していた江藤さんは、先ず事故車かどうかの確認として、ハンドルストッパーを見なきゃだめだと力説していたが、消耗品と走行距離との相関関係も重要なポイントになるってことだ。新車と違って中古車は個々の扱い方が違うので難しい。
 モト・ギャルソンへ入社する前の話をひとつ。
 弟と二人で上野へ遊びに行ったとき、有名なKモータースの前を通ると、発売されたばかりのスズキ・GSX-Rの中古車が展示されていたので、足を止めて眺めていると、
「極上でしょ! ほかを探してもまずないですよ」
 小太りの店員がいきなり近づいてきて売込みが始まった。
「いやいや見てるだけだから」
 言ったとたんに笑顔が消え、店の奥へと引っ込んでしまう。まっ、こんな対応の店員はこの辺じゃ珍しくないので、それはどうでもよかったが、このGSX-R、よく見るとフレーム側のストッパーがない。しかも削り取ったようにきれいになくなっている。ぱっと見は新車然だが、どう考えても事故車だ。
 これが、極上ね……

「この減り方だと、本来どのくらい走ってるの?」
「メンテの状態にもよるけど、20,000Kmは越えてるんじゃないかな」
 それが正しければ、これはメーターを改ざんして距離をごまかしていることになる。
「オークション物だったら、ほとんどがこんな感じっすよ」
「でも江藤さんがこれは下取車だって」
「へー、じゃ、江藤さんがちゃんと見ていれば、下取り価格は安いはずだな」
 下取車査定となるとまだまだ未知の領域。これから覚えなきゃならないことは山ほどありそうだ。

バイク屋時代 1・好きなことを仕事に

  一九八八年二月一日(月)。新しい仕事が始まった。頑張れねば家族が路頭に迷う。まさに後戻りのできない崖っぷちに立ったのだ。
 モト・ギャルソン三鷹店の営業カウンターに腰を据えると、真正面の見慣れた水道道路が、やけに寒々しく感じた。不安と気負いが胸中を圧迫するのか……
 そんな入社初日から早三十六年の月日が流れた。バイク業界からきっぱりと足を洗い、悠々自適な日々を送る今日この頃。光陰矢の如しとはよく言ったものだ。

 前職であるファミリーレストランチェーン“デニーズジャパン”は二部であれ上場企業である。そこから小さな町のバイク屋に転職するなんてことは、周囲の雑音に耳を傾ければ、無謀、バカだぁ~、もったいね~、生活は?、なんてところが連発するだろう。事実ごく親しい友人にも、
「おまえさ、先々のこと考えた?」
 と、説教じみた嫌みをくどくどと聞かされた。
 世間一般、バイク屋のイメージなんてものは、自転車屋に毛の生えたような小さな店で、汚ねえツナギを着たおっさんが、スパナを握りつつ仏頂面で作業をしてるってなところだろう。どの角度から眺めても、発展性などという力強さは見いだせない絵面だ。
 しかしあの頃のデニーズの生活には、絶えず不満と不安が付きまとい、精神的には八方ふさがりの状態だった。頭の中はいつだって、もういい十分働いた、そして頭の悪い上司と仕事をするのは我慢ならぬ!が、渦巻いていた。
 てなことで、現況から一日でも早くおさらばしたかったが、その前に次の仕事を見つけなければない。先のことを考え、慎重さをもって吟味することは当然だが、素直な胸の内を明かせば、“好きなこと”を仕事にしたかった。よってモト・ギャルソンだったら頑張れると思った理由のひとつに、“バイク好き”がことのほか大きく占めていた。ただ現実問題、給料の手取りがかなり下がってしまったのは頭痛の種ナンバー1だった。間違いなく女房に苦労をかけることになる。新居探しも家賃の上限がネックになり難航した。そしてやっと見つけた物件は築年数が長く、見るからに疲れたアパートで、日当たりも悪く、すえた匂いが気になった。
「いいよ、ここで。なんとかなるでしょ」 
 気丈な女房はそう言ってくれたが、表情には落胆と諦めがありありとうかがえた。俺のわがままが家族に迷惑をかける現実は胸苦しかったが、こんな時だからこそ早く仕事に慣れて、少しでも多くの給与をもらえるようにと鞭を打ち続けたのだ。

 一九八〇年代後半、バイク業界は空前のレプリカブームに湧いていた。レプリカとはレーシングレプリカの略で、サーキットを疾走するレーシングバイクのスタイルはそのままに、公道仕様へと改良したバイクのことだ。これに皮ツナギを着込んで跨れば、気分はグランプリレーサー。俺もイタリア・ダイネーゼ製の皮ツナギを手に入れ、エディ―・ローソンになったつもりで伊豆スカイラインを飛ばしたものだ。ただ、当時の愛車は一九八〇年発売のヤマハ・RZ250だったので、レプリカとはだいぶ異なる地味なデザイン。皮ツナギとのマッチングはイマイチである。
 そもそもなぜレプリカブームが到来したのか。それはワールドグランプリ(WGP)の頂点である500ccクラスの大活況が影響したことにある。


 一九八三年。“キング”と呼ばれた絶対王者ケニー・ロバーツと、若き挑戦者フレディー・スペンサーによる、熾烈極まるワールドチャンピオン争いはその最たるもの。最終戦まで息もつかせぬデッドヒートを繰り広げ、バイク好きの誰しもが、そのリザルトを確認しては一喜一憂したものだ。俺もバイク雑誌の発売日には、何をおいても書店へと駆け込んだ。
「くっそぉ、またスペンサーかよ!」

 出勤初日は朝から強い北風が吹きまくっていた。
「よろしくお願いします」
 スタッフ一人一人へ挨拶をすませ、皆が引き上げた後、配属店である三鷹店のショールームを商談コーナーからぐるりと見まわした。
 店前の展示コーナー左側には色とりどりのスクーターが並べられ、右側には人気のホンダCBX400F、スズキのRG250Γがかっこよく展示されている。その横には修理車らしき二台が置かれているが、商品との混在で見た目が悪い。
 店内に移ると、正面ウィンドウの脇に昨年発売されたヤマハのユニークなモデルSDRが、きらりとフレームに陽光を浴び、いかにも“イチオシ”と言わんばかりに展示台の上に載せられている。
 商談コーナーの右手には、スチール製の展示ラックが置かれ、ヘルメットを中心に、グローブ、レインウェア、バイクカバー等々が並び、左手はこじんまりとしたサービスフロントがあった。メカの武井くんが何やら伝票記入中である。
 商談カウンターの上には、バイク雑誌、最新式スクーターのカタログが雑然と置かれ、吸いさしが山盛りとなった灰皿がそのままになっていて、アバウトな社風をありありと感じさせた。
 それにしてもこのショールーム、空気が悪るすぎる。紫煙が充満してまるで雀荘のようだ。モト・ギャルソンのスタッフにはタバコが好きが多く、特に社長の大崎さんは極端なチェーンスモーカ―。愛煙銘柄はニコチン、タール共に少ないライトタイプだが、驚くことに一日に四箱近くも吸いまくる。出勤してから退社までの間、食事以外は絶えず煙草をくわえている猛者ぶり。私も煙草を嗜むので、最初はそれほど気にならなかったが、呼吸の度に大量の副流煙を吸い込んでしまう劣悪な職場環境は、今時だったら間違いなく訴訟レベル。
 社長より年上で、おばちゃまの下山専務も負けちゃいない。彼女はタバコを吸っていないと会話が進まない性分らしく、特に他人の中傷話が始まると、プカプカ、ペラペラ、プカプカ、ペラペラと絶好調になり、しまいには吐き出す多量の紫煙で彼女の姿は見えなくなる。
 総務の矢倉さんだってなかなかだ。吐く息がむせるほどヤニ臭く、笑った時に見せる歯は見事なタール色。おまけに彼は地黒で顔も黒いから、この笑顔はかなりキモイ。ザクトライオンでもプレゼントしようかと思ったが、嫌みだと思われるのは間違いない。

 さて、こうしてバイク屋の営業スタッフとして新しい生活が始まったわけだが、当然おぼえなければならないことは山ほどある。バイクは趣味として親しんできたので、好きなスポーツモデル関連ならば、素人とは言っても商品知識には自信があったが、スクーターやそれ以外のジャンルは殆ど未知の世界だったので、早急な知識武装が必要だった
 覚えることはバイク本体だけではない。商談が成立して契約書を作るには、車両代以外に諸費用という項目を書き込む必要があり、それは名義変更代、納車整備代、重量税、自賠責保険等々だ。しかも排気量ごとに異なるから容易でない。特に自賠責保険を作成するには損害保険の資格が必要とのことで、近いうちに受験してもらうよと、先日も矢倉さんに言われていた。

 新しい職場も一週間が経つと、ゆとりが出てくるせいか、疑問が次々と出てきた。
 今こうして営業カウンター席に座っているが、特に何かをしているわけではない。初日に大崎社長がこう言った。
「座ってればいいよ。暇だったら雑誌でも読んでれば。雑誌読むのも勉強だから」
 教えに従い今日もモーターサイクリスト誌を開いているのだが、商品や営業マンのイロハ等々はいつ誰が教えてくれるのだろう。店長の松田さんからは自賠責保険の作成方法を聞いたが、社長からのレクチャーは、“在庫車を売る”ことと、至極簡単な注文書の記入説明だけである。デニーズだったらアルバイト相手でも最低一週間はレクチャーの嵐になる。<いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!>は、どのような意味を含んでいるかというように、企業のポリシーにまで遡って、スタッフの仕事へ対する方向性に狂いをきたさないよう丁寧に説明していくのだ。