「バイク屋時代」カテゴリーアーカイブ

バイク屋時代 11・バイク屋の始まり

 入社から半年もたつと、ひととおり仕事も覚え、業界の何某かもおぼろげながら見えてくる。好きなバイクに囲まれて、顧客と共にバイクライフを歩む仕事は楽しいが、気になったことは、意外やバイク屋は儲かる商売とは言い難く、その根本的な要因が業界に根付く多くの悪習であり、なんと自分で自分の首を絞めているのが現状だったのだ。
 ほとんどのバイク屋に於ける販売促進策は“値引き”である。ただでさえ少ないマージンなのに、値引きをするから儲けなど出るはずもない。薄利多売ができた時代はとうに終わっているのに、値引きしか知りようのない経営者達は、儲からないと認識しながらも、ほかにやりようがないと黙々と続けている。店舗が父親の代から営んでいる住居兼用の自己物件ならまだしも、賃貸店舗、従業員二名規模あたりのレベルなら、間違いなく自転車操業だ。
 そもそもバイクのマージンはなぜ少ないのか。大崎社長に聞いてみたら、この業界の黎明期にその答えがあった。

 同じエンジン付き乗り物である自動車とバイク。ところがこの二つの乗り物の歴史的生い立ちは大きく異なる。
 戦後の日本復興に大きく貢献した自動車産業は、スタート時点から国家がらみのビッグプロジェクトであり、生産から販売まで無駄のない強力な一貫体制をとった。販売会社はメーカーの資本下におき、新製品ができあがるとTVを中心に大々的な宣伝広告を打ち、同時に立派なメーカーディーラーのショールームに華々しく展示される。そこには専門知識を持った営業マンが、新製品の説明から購入方法、そして自動車ライフに関する諸々を懇切丁寧に説明してくれる。客だってコーヒーを飲みながら憧れの新製品を見つめ、車のあるプライベートライフを想像すれば、購入意欲が盛り上がらないわけがない。
 自動車の販売店がメーカー傘下のディーラー体制であることに対し、バイク販売店はメーカーの直接傘下のディーラーではなく、バイク販売会社と個人商店との間で交わされる事業契約から成り立っている。現在でもこの形は基本的に変わらず、つまりバイク屋は規模の大小こそあれ、それぞれが独自に営む法人なのだ。そして設立時点からバイク専業店だったところは少なく、ほとんどのバイク屋の前身は“町の自転車屋”だった。

 終戦直後、ホンダが自転車用補助エンジン<ホンダA型>を発売すると、これが売れた。補助エンジンの翌々年には、最初からエンジンを搭載した“カブ”を早くも投入。ホンダの快進撃が始まったのだ。もちろん他のメーカーも負けてはなく、バイクは年を重ねるにつれ加速度的に性能が向上し、合わせるように販売価格も急上昇していった。そしてこの流れについていけなくなったのが自転車屋、つまりのこと販売店だ。
 自転車屋の殆どは家業であり零細企業以下である。価格が上昇した最新のバイクを五台も仕入れようとすれば、自転車とは比べ物にもならない大きな資金が必要になる。この五台が一週間で売れるような好回転が続けば問題もなかろうが、いくらなんでもそれはありえない。二台は売れても三台が残り金は眠る。こうなれば運転資金がすぐに枯渇するので、在庫は置いてもせいぜい一台どまり。これでは売るがためにある店舗としての体裁は保ちようがない。メーカーとしてはもっとたくさんのニューモデルを人の目につくように並べたいところだが、バイク業界の最前線は資金力のない自転車屋。自動車のようなメーカー資本で運営されるディーラー体制とは根本的に異なったのだ。そこでメーカーは苦肉の策を打った。それは委託販売である。
 販売店に仕入れ能力がないので、致し方なくメーカーは車両を無償で納入し、車両が売れればその時点で請求を発生させるというやり方だ。当然のことだが、資金がなくとも車両を展示できる代わりにマージンは低く設定された。メーカーや商品によって異なるが、おおよそ上代の5%から10%弱ほどだ。ところがこのマージン体系が完全仕切り制に移行した後も延々と踏襲され、現在もそれは変わってない。
 そもそも資金がなくても商売ネタを仕入れられるという“ぬるま湯”な環境下では、工夫や研鑽はもちろんのこと、斬新な販売アイデアなど生まれるはずもない。マンパワーを上げる必要もなければ、設備投資も不要である。ひと月にバイクを二~三台売って、あとは修理やらオイル交換等々をやっていれば、家族四人がなんとか食っていける程度の生活は維持できてしまう。
 そんなことで、八十年代初頭あたりから多くのバイク屋が乱立した。自転車屋のみならず、開業資金がほとんど要らないので、ガソリンスタンドなども敷地の一角にバイクを並べて販売をし始めた。こうなるとそれまでなかった店間の競争が勃発するようになり、ここで初めて「どうしたらうちで買ってもらえるか?」と不安に駆られながらも、頭をひねるようになったのだ。
 ところが、ビジネス経験のない店主たちにとって考案できる唯一の販促は、悲しいかな“値引き”だった。
 メーカー希望小売価格¥150,000のスクーターのマージンはたったの\15,000。なのに¥10,000近く引いてしまうところがほとんど。まんま慈善事業である。そこで注目したのが、大して手間がかからないのに納車整備代と称して¥7,000から¥10,000ほどを購入客から徴収する、自動車業界にもある“諸費用”という項目だ。ちなみにスクーターの納車整備はいたって簡単。ガソリンと2サイクルエンジンオイルを注入、ブレーキの遊び調整と車軸の増し締め、そしてタイヤの空気圧を確認したら最後にエンジンをかけておしまい。まだある。原付のナンバーを取得する窓口は、バイクや車のように陸運支局ではなく居住地の市役所、区役所だ。必要な書類は販売店が発行する“販売証明書”と、役所の窓口に置いてある“標識交付申請書”。そしてこの販売証明書を発行する際に、お客さんから“手数料”と称しておおよそ\3,000ほど徴収したのだ。販売店がお客さんの代理として役所へ足を運ぶ場合は更に“代行料”として\5,000~\8,000ほどいただく。代行料は致し方ないとしても、販売証明書の発行代を取るというのは、普通に考えて不自然極まりない。
 値引き合戦は終わらないばかりか、さらに激化していった。マージン分すべてを引いてしまい、諸費用分だけで凌ぐという店も出てくる始末。もはや末期的経営と言っていいものだ。よって一時はブームとばかりに乱立傾向にあった“簡易バイク屋”だったが、その逆、衰退も早かった。この頃から市場を守らなければと、販売店組合設立の声が上がりだした。

バイク屋時代 10・ヤマハ袋井テストコース

 春のビッグツーリングは大成功だった。お客さんの定着も向上したように感じるし、やはり店と顧客のつながりを密にしようと考えた場合、一泊イベントの効果は想像以上だ。場の雰囲気とアルコールの入った盛り上がりのせいか、普段面と向かって店員に言いにくいような話題も抵抗なく出てきたし、それによって店側とお客さんのギャップが解消していくケースも見られた。良い意味で互いを知ることができたのは、営業マンにとって仕事上でとても益になる。
 そしてビッグツーリングのメリットはこれだけではなかった。
 参加者が出発準備にいそしむ翌朝の駐車場。この中でがぜん注目を集めるのがAチームのメンバーたち。彼らは全員、二輪好きが憧れる限定解除ライダーである。GSX-R1100、V-MAX、ZZR1100等々、大人気のモンスターモデルを颯爽と乗りこなす姿は文句なしにカッコいいし、同じツーリングイベントに参加するにも、Aチームで走ることができれば最高のステータスを心行くまで楽しめる。こんな雰囲気に影響され、「よっしゃ、俺も限定解除するかな!」と、奮起するお客さんも少なくない。
 また、いきなり限定解除とはいかなくても、VT250など、初心者向きなバイクのオーナーは、Bチームの皮ツナギを身にまとったFZR400やNSR250乗りに羨望のまなざしを向け、イベント終了の一週間後、「やっぱ、ヨンヒャクに乗り換えようかな」と、実際に代替商談を持ちかけてきたお客さんが二名も現れた。
 こうして考えると、たかがツーリングイベントとは言えなくなる。うまく運営すれば、社員のモチベーションアップ、顧客の定着率向上、そして販売促進にまでつながるからだ。

 ある日の午後。在庫で仕入れた数台のスクーターにプライスカードを取り付けていると、ヤマハの担当営業の三沢さんがやってきた。各メーカーには地区の担当営業マンがいて、定期的に来店してはキャンペーンやニューモデルの情報提供、カタログの補充等々を行っていく。彼らとのコミュニケーションはとても意味があり、業界の動向から近隣店舗のネタ話まで、なかなか入手できない貴重な情報が得られることも屡々だ。
「まいど! どうっすか景気は」
 どこの営業マンも、来店の第一声はたいがいこれ。
「ヤマハが売れるバイクを出してくれればね~」
「出てるじゃないですか、FZRシリーズが」
「はは、わかってるけどさ」
「こんどね、EXUPの威力をもっと知ってもらおうと、販売店向けの大々的な試乗会をやるんですよ」
「そーなんだ」
「もっと驚いてくださいよぉ」
 一九八八年。ヤマハの4サイクル人気レプリカシリーズ、FZR250、FZR400にEXUP(エグザップ)と称する可変排気システムが装着され、作用としては回転数に応じて排気の抜け(圧)を変化させ、排気脈動をコントロール。理論的には回転全域でパワーアップするという。
「おっ、三沢くん、きてたんだ」
 いつの間にか社長が中二階から降りてきた。
「社長、まいどです」
「そういえば、またあるんだって試乗会」
「はい。ギャルソンさんにはまだ返事もらってないですけど」
「そうだった?」
「ええ」
 試乗会とは何やら面白そうだ。
「ねえ、木代くん」
「はい」
「行ってみない、試乗会。サーキットみたいなところで走れるよ」
 な、なに、なんだって。
「どこでやるんですか? そもそも俺が行っていいんですか?」
「いいよ。これも経験ですよ」
 詳しく話を聞くと、試乗会の会場は“ヤマハ袋井テストコース”で、その名にあるように場所は静岡県の袋井だ。一周6kmのコースは一九六九年二月に開設されたもので、コースレイアウトはあの有名な鈴鹿サーキットにそっくりという。一般道ではなく、本格的なクローズドコースを使ってのニューモデル試乗会とはなんとも素晴らしい。
 しかもだ、テストコースまでの往復旅費は全てヤマハもちで、もちろんランチまで用意されているという。こいつは仕事を超えて猛烈に興味が湧いてきた。ビッグツーリング、そして今回の試乗会。バイク屋の仕事ってのは、かくも楽しく刺激的なのだ。

 試乗に必要なヘルメット、グラブ、ブーツ、皮ツナギは、事前に宅急便で送ってあったので、当日は集合場所である袋井駅に行きさえすればOK。東京駅で新幹線に乗り込むと、座席にバイクメーカーのブルゾンを着込んだ若い男性がぽつりぽつりと目についた。行先は同じだろう。
 袋井で下車すると駅前にはすでに多くのバイク屋らしき人達が集まっている。送迎バスも到着していて、各々順次乗車していく。
 市街地を抜けると道は山間に入った。だいたいサーキットは人里離れた山の中にあるものだ。
 ゲートを通過すると広大な敷地が現れる。ここでヤマハの幾多の名車が生まれたと思うと実に感慨深い。当然RZ250も走りに走って煮詰められていったのだ。
 控室で参加者全員皮ツナギに着替えると、ずらりと試乗車が並ぶスタート地点へと案内された。
「こーゆーところで見るとレプリカは様になるな」
「これか、EXUPのユニットは」
 皆、バイクの周りに集まり、興味津々と眺めている。
 レプリカブームの中心は依然2サイクル車だったが、ヤマハに関してはホンダNSR250、スズキRGV250Γに押され気味で、4サイクルレプリカであるFZRシリーズに重きをおいているように感じらる。
「それではA班からスタートしますので準備お願いします」
 バイクレース並びに袋井テストコース経験者はA班、それ以外はB班に組み込まれた。もちろん俺は後者だ。
 試乗車はFZR400、FZR250それぞれ六台がグリッドに並んでいる。まずはベテランぞろいのA班、合計十二台+先導車が一斉にスタート。サーキットのようなコースと皮ツナギ、この組み合わせがレプリカバイクを本当にかっこよく見せる。
 先導車がいるのでストレートの速度はやや抑えられているが、第一コーナーである左70Rをクリアすると車間がばらつき始め、各自思いっきりスロットルを開けているのがわかる。連なってスプーンカーブを疾走するところなど、なかなかどうして迫力満点。あっという間に三周が終わった。一本三周で、今回は二本走る。
 いよいよ順番だ。跨ったのはFZR400。緊張の一瞬だ。EXUP未搭載のFZR400は少しだけ街乗りをしたことがあるが、スポーツ走行は未経験。しかもこのような広いところで走るのは初めてなので、とにかくスタート後は前車に食らいついて行くことだけを考えた。
 第一コーナーに入ると、悲しいかな、峠っ走りの癖が出てしまう。左カーブに対して自然とインベタになるのだ。ところが先行車は逆に右へ大きく膨らむラインを取り、クリッピングで一気に向き変えをした。瞬く間に離され、おまけに追従車にはあおられる始末。立ち上がるとスプーンカーブに入り、ここでは思いっきり加速できた。なかなかトルクフル。速度が上がったところでアピンが待ち構える。ブレーキングと共にシフトダウンするが、焦って今一段落とし切れぬままにスロットルを開けたが、なるほどこれがEXUPの効果か、明らかに“なし”とは異なる力強い立ち上がりを見せ、若干だがミスをカバーしてくれた。最終コーナーをクリアするころには多少操作に慣れて気持ちにゆとりが出てきた。あと二周、楽しむ!!

 FZR250へ乗り換えて二本目が終わると、休憩をはさんで今度はBW’sの試乗が駐車場の特設コースで行われた。BW’sは“ビーウィズ”と読む50ccのスクーターで、特徴はそのお洒落なスタイル。ファットなタイヤ、デュアルヘッドライト、そしてボディーカラーに白とスカイブルーを大胆にあしらったポップなデザイン。発売直後からヒット商品となっていた。
 ここでもA班とB班に分かれての試乗である。
「すげ~、みんなカッ飛んでるな~」
 先に走り込んでいるA班の面々を見て、隣の二人がにやにやしながら話している。
 すると突然、
「ペース落として!レースじゃないですよぉ!!」
 ヤマハのスタッフが拡声器片手に、唾を飛ばしながら叫んだ。
 その直後、目の前を一台が激しく旋回していくと、カランカランっと何かが転がってきた。目を凝らすと、なんと“センタースタンド”である。思いっきりフルバンクさせるので、センタースタンドの一部が路面に擦れ続け、しまいには削れ落ちてしまうのだ。これではヤマハのスタッフが怒るのも無理はない。スタンドがもげ落ちて、“自立”できないBW’sがすでに三台も施設の脇に置いてある。
 さて、B班に順番が回った。
 いざスタートすると、排気量50ccとはとても思えない加速にびっくり。前を走る青のツナギの彼についていくと、最初の左コーナーを物凄いフォームで旋回していくではないか。俗にいう“スクーターレース乗り”だ。そういえば八王子から来た彼、バスの中でスクーターレースをやっていると話していた。
 スクーターはバンク角があまりないから、スポーツ走行の場合、車体を立たせて極端なリーンインフォームを使うが、私には馴染みがないので、普通のバイクのように深くバンクさせてコーナースピードを上げていった。二週目に入ったとたん、やはりセンタースタンドを強く路面に当ててしまい、同時にリアタイヤが浮き転倒。気が付けばコースの外へ飛び出していた。この時顎の先をちょびっと削ってしまい、カッコ悪かったが、なかなか血が止まらなかったので、救急テントで大げさに絆創膏を張ってもらった。
「だいじょぶっすか?!」
「へへ、お騒がせしました」
 それにしても今回の試乗会はいい経験だった。Newモデルをいち早く試せたことも嬉しかったが、まんまサーキットのようなところで、しかも走行ラインに乗って走る楽しさを知ったのは大きな収穫だ。

 ちなみにこの七年後。ヤマハの本格ツインスポーツ・TRX850が発表されると、再び袋井テストコースを走ることになった。この時は、ワールドGPで活躍したヤマハのエースライダー“平忠彦”と、同じく250ccクラスのエース“難波恭司”が参加し、見事なデモ走行を披露してくれた。


このTRX850はヤマハにとってかなりな自信作だったらしく、試乗会にはツインスポーツの最高峰と呼ばれる、イタリアDUCATI社のスーパーバイク888と900SSが二台づつ用意され、比較試乗という趣向だった。残念ながら俺は抽選にはずれ、DUCATIに乗ることはできなかったが、これまで馴染みのなかったビッグツインの面白さを感じられた最良の機会になった。

バイク屋時代 9・さあビッグツーリング!

 開催初日。雲一つない快晴である。自宅から井の頭通り~環八と気分よく流す。
 参加人数が多いため、集合場所は二か所に分かれていた。Aチーム、Bチーム、そしてオフロードチームは東名の海老名SA。CチームとDチームは環八東名入り口にある「マクドナルド用賀インター店」だ。

 環八から東名に入る際、ちらりと左側にあるマクドナルドへ目をやると、駐車場には既に相当な数のバイクが集結していて、ドライブスルー以外一般客の駐車スペースは殆どなさそうだ。参加客それぞれがコーヒー一杯でもいいから何か注文しないと、これは間違いなく営業妨害。ちょっと心配……

 高速道路へ入ると一気にスロットルを開けた。天気最高、加速最高。今回乗ってきたのは愛車RZではなく、弟から借りたTZR250。いわゆるRZの進化版で、エンジン、シャシ共々性能は大幅に進化している。ただ、本心を吐露すれば、RZで来たかった。
「木代くん。ビッグツーリングにRZは駄目だからね」
「えっ?!なんでですか」
「古すぎるよ。いつ壊れてもおかしくないだろう」
 社長は何かにつけRZを嫌う。
「ヤマハの三沢くんにたのめば試乗車を貸してくれるよ」
「いいです、あてがありますから、、、」

 海老名SAへ到着すると、いるいる! 凄い数のバイクだ。ガソリンスタンドの手前に集結しているのがうちのお客さん達だが、それ以外にも好天の土曜日だけあって、待ち合わせ場所のメッカ海老名SAには多くのライダーが集結するのだ。
「おはようございます」
 さっそくBグループの参加者を確認すると未着は四人。早い人は一時間前に来ていたようだ。
「みなさんガソリンは大丈夫ですよね」
 ガソリン満タン集合はマスツーリングの鉄則。“全員満タン”を前提にスタッフはガソリン給油のタイミングを計る。ひとりでもこの決まりを破れば、給油回数が増えるとともに、下手をすれば山中でガス欠などという最悪の事態に陥ることもある。ビッグツーリング開催に当たっては、このようなトラブルを避けるため、事前に“ビッグツーリング説明会”を行う。場所は大勢になるので、店ではなく武蔵野市内にいくつかあるコミュニティーセンターを利用している。毎回ツーリング参加予定者の七割以上の参加があり、お客さんの期待度の高さもうかがえる。
 内容は各グループの担当者紹介と、集合場所の詳細、持参物、“ちどり走行”など、マスツーリングならではの走り方、そして注意点と決まり事等々だ。説明会に参加したお客さんにトラブルを起こす例は殆どなく、ガソリン満タンにせず、カッパ忘れ、集合に遅刻、タイヤエア圧不足によるパンク等々は決まって未参加者が引き起こすようだ。
 突如爆音!!
 高松くんが仲間二人を引き連れて登場である。それにしても彼のGSX-R1100は雷のような音を出す。マフラーはUSヨシムラだ。しかもリアタイヤをワンサイズアップしているので、見た目の迫力も相当のもの。
「おはようっす!」
「よろしくね」
 そんなやり取りをしていると、音色は違うが同じくうるさい排気音が近づいてきた。レーシングチャンバーに交換したNSR250コンビだ。これでBグループは全員揃った。
「今村くん! みんな揃ったからミーティングやって出発しようよ」
「あいよ!」
 ガソリンのチェック、次の休憩場所、降りるIC、先頭とケツ持ちのスタッフ紹介等々が終わると、全員へ出発を促した。
 

 十五台のバイクを引き連れながら、高速道路を流すってのはなかなか爽快だ。もちろん初めての経験になる。前方のトラックを追い越そうと、ウィンカーを出しレーンチェンジすれば、後続もそれに従い、きれいに追従してくる。しかも皆凄まじい排気音を発していて、これがちょっとした快感なのだ。暴走族の気持ちもわからないでもない。しかも最後尾には吉祥寺店店長の今村くんがしっかりと張り付いているから安心して飛ばせる。足柄SAで小休止のあとは御殿場ICで東名を降り、プライベートでもよく利用する、旧乙女街道~箱根スカイライン~芦ノ湖スカイラインを軽快した。
 借りてきたTZR250は乗りなれてなかったので、旧乙女ではややリズムが狂ってしまったが、箱根スカイラインも終わりになるころには、その卓越したハンドリングを十二分に引き出せるようになった。ただ、すぐ後ろに付いていた高松くんのGSX-R1100が相変わらず恐ろしい音と加速力を発し、いい感じにコーナーへ侵入して直線へ向かってフルスロットルをかましても、一瞬のうちに追いつかれてしまう。バックミラーに写る巨体と凄まじい排気音には慣れることがなく、次第に疲れてくる。
 料金所手前で皆を待ち、再び走り出すと背後がR1100から黒いGSX-R400へと入れ替わった。同じく三鷹店常連の権田くんだ。新人スタッフの腕前をチェックしようというところか。峠好きな権田くんもけっこうな腕達者で、執拗にあおってきたが、加速の鋭いTZRを前に、コーナーの立ち上がりではずいぶんと苦労している様子が見える。ふふっ。
 芦ノ湖スカイラインが終わると次は伊豆スカイラインへと進む。料金所で全員分の料金を支払い人数を確認。今村くんもOKの合図を上げた。
 景色を見ていては事故ってしまうが、ここ伊豆スカイラインは山々の稜線に沿って南へと伸び、眺めと開放感は抜群だ。ブラインドコーナーも比較的少なく気持ちよくスロットルを開けられる。道の状態ほとんどが頭に入っているので、TZRのポテンシャルを十分に引き出し悦に入る。RZとくらべるとブレーキが格段に効くので、コーナーの進入に安心感がある。相変わらず権田くんがぴったりと付けていたが、鹿ヶ谷公園のストレートに入る前の緩い左コーナーでフルバンクさせ、思いっきりスロットルを開けると、排気煙に霞むGSX-Rの姿は徐々に小さくなっていた。ストレートの終わりは右コーナー。ここをクリアすると間もなく左側に亀石峠の駐車場が見えてくる。ここで休憩だ。
 駐車場へ入ると、江藤さんが先導するAグループが既に到着していた。
「おつかれ。全員無事か」
「おかげさんで。江藤さんたち、ここからは」
「俺らはここで降りて、サイクルスポーツセンターの脇通って土肥かな」
「へー、そんな道あるんだ。うちらは冷川まで行きますよ」
 江藤さんも無類のバイク好き。伊豆だけではなく東京からの日帰り圏内だったら、知らないところはないと日頃から豪語していた。俺が詳しいのは伊豆だけだから、これからのツーリングイベントを考えると研究開拓は必須だ。

 お楽しみの“ラリー”は若干二名の道迷いがあったものの無事終了。無事故、ノントラブルで一日目を終えることができた。いくつものテーブルに散った八十名にのぼる大宴会は大いに盛り上がり、その勢いを残したまま、今度はプールサイドに設えた二次会会場へと移動。喧騒は衰えることなく夜は深まっていった。もちろんスタッフ達もその群れに混ざって楽しむわけだから、やはりビッグツーリングはお客さんにしてもスタッフにしても特別な意味合いを持つイベントというのは間違いない。ただ、これに乗じていささか飲みすぎてしまい、翌朝にも少々残ってしまったのは大反省。

「うちのビッグツーリングには他のショップも関心ありありでさ、最近じゃみんな真似してんだよ。でも肝心なノウハウがないから、いろいろと教えてやってるけどね」
 と、ことあるごとく大崎社長は自慢するが、確かにこれまでのバイク屋では想像もつかない規模と内容のイベントであるし、モト・ギャルソンのポリシーである<遊べるバイク屋>は言葉だけではないことが今回でよくわかった。

バイク屋時代 8・ビッグツーリング下見

 ビッグツーリングの下見の日程が決まった。定休日の木曜を含む水曜~木曜一泊二日である。ところがこの下見、バイクの乗って実際にツーリングかと思っていたら、何台かの車に便乗していくのだという。せっかく店を臨時休業までするのに、これでは下見の意味が薄くなる。道なんてものは実際に自分で運転しなけりゃ覚えられないし、バイクから見る景色と、車の特に後部座席から見るそれとはニュアンスに大きな隔たりがある。これも社風の“ゆるさ”だろうか。
 下見の当日は、社長のアコード、武井くんのサニー、俺のセリカXX、松田店長のサーフ、そしてムーバ社用車のハイエースにそれぞれが便乗し出発。東名高速をひた走り、沼津ICを降りた後は駿河湾に沿って延びる県道十七号に入った。静浦からはオフロードチームの二人が乗るサーフだけが山側の林道へと消えていった。

 話はそれるが、青春時代の相棒であったセリカ1600GTVは、大きなトラブルもなく走行距離144,000Kmを走り切り、1983年の秋には同じトヨタのニューモデル、セリカXX2.0ターボへとバトンタッチを遂げていた。
 当時國學院大學の学生だった弟が、学校の帰りに渋谷のトヨタディーラーの前を通ったら、ショールームに発表したばかりのNewセリカXXが展示されていて、そのスタイリングに痛く感激。帰宅して俺の顔を見るなり、
「あれはかっこいいよぉ! ほんとロータスエスプリみたい」
 と放った。
 これが引き金になり、興味は加速的に膨れ上がった。それまでもカー雑誌のグラビアを眺めては、これまでの国産車にはなかったスポーティーなデザインに惹かれ、まだまだ走るが疲れが出始めていたGTVの代替タイミングをうかがっていたのだ。それとGTVの燃料には“有鉛ガソリン”を使うので、年を追うごとに扱うガソリンスタンドは減る一方。地方へドライブする際には有鉛添加剤を持参しないと不安があった。しかし引き締まったオリーブドラブの車体を眺めれば、なかなか手放す決心がつかず、優柔不断な性格も手伝って、不便を感じつつも通勤に遊びにと乗り続けていたのだ。
 それから一年半後、セリカXXに新ラインナップ追加のニュースを耳にするといてもたってもいられなくなり、一刻も早く販売価格を含めた詳細を知りたくて、何はともあれ北烏山のトヨタディーラーへ行ってみた。
「新しいターボは置いてないんですか?」
「発表直後で配車が追いつかないんですよ」
 今注文をもらっても納車は二か月後になるという。価格は諸費用等々含めて240万円。決して安くはないが、すでに心は決まっていた。さらに営業マンの話を聞けば、2.0ターボの車体色“白”は、オフホワイトやクリームの入ったマイルドな白ではなく、スマッシュホワイトと称するわずかに青が入った“見た目真っ白!”が売りとのこと。これは大いに気に入った。しかもちょうどこの頃、ドアミラー解禁直前というタイミングもあり、納車はドアミラー仕様だということも嬉しすぎた。

 残った四台は、ビッグツーリング恒例の“ラリー”と称するゲームが行われるコースを下見した。このラリーとは、一般公道上に設定した出発地点からゴールまでを、まずはモト・ギャルソンの女性スタッフに走らせて、その要した時間に最も近くなるように走りきるというシンプルなものだが、上位入賞者への景品は、ヘルメット、ジャケット、グローブ等々、バイク乗りだったら誰でも欲しがるグッズを毎回豊富に用意するので、参加者の熱の入り様は半端ではないという。

 ラリー候補と思しき林間の道は、中低速コーナーが連続しブラインドも多く、初心者には安全とは言い難かった。幅員が小さいのでわずかでも対向側へはみ出せば正面衝突は避けられないだろう。そんな中、先頭を走るアコードのペースが上がった。つられるように後続のサニーが速度を上げれば、必然的に俺のセリカも速度が上がる。気がつくと矢倉さんの運転するハイエースの姿は遥か後方で見え隠れしている。
「おぉぉー! この走りいいっすね~~」
 助手席の大杉くんは大はしゃぎ。しかし社長は何の意味があってこれほど飛ばすのだろう。それどころかペースはさらに上がっていった。コーナーではタイヤから悲鳴が上がりっぱなしだ。
「今テールが流れましたよね!」
 大杉くん、相当な好き者だ。
 ペースが落ちることはなくテールトゥーノーズは延々と続いた。たしか大崎社長は学生時代に四輪のジムカーナ選手権に出場したことがあると言っていたので、峠に入るとスイッチが入る質なのかもしれない。
 山間のワインディングがやっと終わり、開けた国道へ出ると、アコードが路肩へ寄せたので、後続もならって順に停めた。
「この道、危ないな」
 車から降りてきた社長の開口一番である。この道が危ないのではなく、あんたが危ない。
 この後も下見とは言い難い下見が続き、午後の遅い時間になってようやくこの日の宿のある河津七滝温泉郷に到着。夕食前に行ったミーティングでは、ラリーのコースについて再討議し、最終的にはサンセットリゾート近辺で交通量の少なく分かりやすいコースに決定。何よりお客さんの安全を重視したのである。
 二人ペアで行う各チェックポイントの係も同時に決めた。この他、宴会の出し物については、宴会係の五名のスタッフが後日企画をまとめたうえで報告ということでお開きになった。
 やはり自慢のビッグイベントだけあって、普段は緩いギャルソンでも、ことビッグツーリングとなると綿密な計画が立てられ、スタッフ総出で進めていく気合いが感じられる。ちょっと安心した?かな……

 開催日に向かって募集は順調に推移していた。参加者はゴールデンウィークが終わった時点で七十名を超えたが、まだまだ増えそうな勢いである。
「木代さん、女の子集まってます?」
 エクセルの集計表をにらんでいると、車検書類を作っているメカの西くんが声をかけてきた。
「今んとこ十四名かな」
「へー、けっこういるじゃないですか」
 男性スタッフたちにとってビッグツーリングの女性参加者は大いに気になるところ。お客さんとスタッフたちの平均年齢は共に二十歳代だ。となるとビッグツーリングは“大規模一泊合コン”と称してもおかしくない。既に結婚しているスタッフは、社長、江藤店長、松田店長、総務の矢倉くんそして俺。その他は男女ともに花の独身なのだ。そりゃ楽しみだろう。大崎社長の話によると、ビッグツーリングで知り合ったお客さん同士がめでたくゴールインしたのは、知っているだけでも十組近くあるという。話半分でも凄いことだ。今のところスタッフには寿な例はないようだが、今後の確率は決して「0」ではない。
「女性はまだ集まるよ。今月納車の三人が参加を前向きに考えてるみたい」
「先週VT250を買ってくれた子も?」
「うん。乗って自信が出てくれば参加するってさ」
「いいじゃないですか!」
 なるほどね、彼女のようなおとなしそうな子が西くんのタイプなんだ。
「でも彼女、バリバリの初心者だからグループはDだよ」
「社長にお願いして佐々さんと代わってもらおうかな~」
「勝手はダメ」
 参加者の最終集計は女性十七名、男性五十五名、合計七十二名と予想を上回った。このうち体験ダイビング希望者は十二名で、これも上々の結果ではなかろうか。

バイク屋時代 7・ビッグツーリング

「木代くんはバイクの運転、自信ある?」
 社長がいきなり聞いてきた。
「まあ、人並み以上はやれると思いますが」
「そうか。それならBをやってもらおうかな…」
 ますますわからないことを言う。戸惑っていると、ニヤッとした社長は説明を始めた。

 モト・ギャルソンのモットーは<遊べるバイク屋>。それを最も具現化しているイベントが、春と秋に開催される“ビッグツーリング”と称する大規模な一泊ツーリングだ。参加台数は七十~八十台にものぼるが、運転技量に合わせて五つのグループに振り分けることにより、すべての参加者が気持ちよくライディングを楽しめることを売りにしている。
 グループの内訳は、オーバーナナハンの限定解除組がAグループ、250ccから400ccの走り好きはBグループ、Cグループは一般ツーリングで、Dグループは初心者並びにのんびり派、そしてEグループはオフローダーだ。
 社長曰く、これほどの規模のツーリングイベントを行っているのはうちだけだそうで、最近になって評判を聞きつけた他のショップが真似し始めていると、にやけながら自慢していた。
「Bって、走り屋グループっぽいですね」
「そうね、レプリカが多いかな。先頭を走る時もその辺を考えてペースをつくるんだ」
「なんだかおもしろそうじゃないですか」
「誤解しないでな。あくまでもみんなが楽しめるレベルだから」
 いいね、いいじゃない。つまりはガソリン代と有料道路代を会社もちで峠を楽しめるってことだ。
「それとね、会社挙げてのイベントなんで、下見はスタッフ全員で行くよ」
 聞けば下見も本番と同様に一泊とするらしい。この力の入れようは本物。下見と本番で合計三日間も店を閉めることになり、売り上げにはそれなりに響くはず。大崎社長は太っ腹だ。そしてスタッフ達もこのイベントを心底楽しみにしているようだ。なぜなら開催日が近づくにつれ、スタッフ間の話題は圧倒的にビッグツーリング一色となるからだ。
「社長と組むとほんと大変だぜ。うしろのことなんかまるっきり考えてないから」
「いつものことじゃん」
「それよりさ、なんども行ってる伊豆なのに、下見の必要あんの」
「何回行っても道を覚えないやつが一人いるじゃない、ね」
「下見意味なし!」
「そういえば今回はムーバが一緒らしいぜ」
「へー、そうなの」

 ムーバというのは、大崎社長がモト・ギャルソンと並行して経営するスクーバダイビングショップの屋号。さすが大崎社長、儲かりそうだと思うと、すぐにビジネスにしてしまう行動力が半端でない。店舗は吉祥寺店のすぐ近くにあり、同じく女子大通り沿いだ。店長は下山専務の息子である孝彦くんが務めている。
 昨今徐々に人気を高めつつあるスクーバダイビング。そこにきて原田知世が主演する映画『彼女が水着にきがえたら』公開されると一気にブームの波が押し寄せた。この波はもちろんムーバにもやってきて、沖縄に支店を出すほどの活況に沸いていた。
「木代くん、ダイビングのライセンス取ったらどう。今なら社員特別価格だよ」
 鼻息を感じるほど近づいてきた社長のニヤリ顔が恐ろしい。
「ダイビングですか~、あんまり興味ないですね」
「つれないこと言わないでよ。メカの海藤くん、柳井くん、それに営業の佐々さんも取るってよ」
「はぁ~、そうですか……じゃ、、、おつきあいしますか」
 てなやり取りで、おおよそ一か月の間、貴重な休日はプールやら海やらで、お魚さんとお友達になる訓練に費やされることになった。
 講習の流れは、座学、プール講習、海洋講習と進む。
 ちなみに、湯河原にあるダイビングプールはやたらと水温が高く、これ温泉じゃないの?と疑うほどだった。何度か潜っているうちに湯あたりのような症状になり、ぐったり。翌週はダイビングプールの目の前に広がる琴ヶ浜でビーチエントリーの練習。ビーチエントリーとは海岸からそのまま海へと入っていく方法で、これに対しボートに乗って沖まで出て、そこから海へ飛び込むのがボートエントリー。重い機材を背負って波のある砂浜を沖へ向かって歩いていくのはけっこうな体力が必要だ。ただ、プールと違って海は水中に景色があったり魚がいたりとなかなか楽しい。
 卒業がかかった最終練習は、まだまだ寒さ厳しい三月の西伊豆・大瀬崎で行われた。当日は風が強く、沖には白波が立つ初心者には厳しい環境。ウエットスーツで水温14℃は過酷である。雰囲気は練習を飛び越し限りなく訓練に近く、海から上がると全員の唇は紫色に変わっていた。
 苦労の末ゲットしたライセンスは、BSAC(The British Sub Aqua Club)のノービス1ダイバー。

 しかし、その後社員旅行でグアムに行った際、ダイビングスポットとして有名なブルーホールとバラクーダロックの二本を経験したのを最後に、二度と潜ることはなかった。

「春のビッグツーリングの宿泊先が決まりました」
 閉店後、スタッフ全員が三鷹店に集まり、春のビッグツーリングの説明会が始まった。プレゼンは社長自らである。
「宿泊先は西伊豆の浮島海岸にあるサンセットリゾートで、ここはダイビングの拠点として有名なところです。目の前の海にはダイビングスポットがたくさんあるんで、今回のビッグツーリングはムーバと合同開催とし、ギャルソンのお客さんで希望者には体験ダイビングを楽しんでもらおうという特別企画にしました。よって帰路の引率にはダイビングチームを作りましたので、行きと帰りは若干引率メンバーの変更があります」
 一瞬、スタッフたちがざわめく。
 間髪をいれず吉祥寺店店長の今村くんが手を挙げた。
「じゃ、そのチーム担当はダイビングが終わるまで待ってなきゃならないってことですか」
 不満の色がありありと顔に出ている。なんともわかりやすい奴だ。
「レクチャーや終わった後の着替えがあるから、出発はだいたい二時間遅れになるかな。だから帰路のコースは最短で直帰だね」
 まだ不満顔である。
「ダイビングやる人の中にはベテランライダーもいるわけでしょ。そういうお客さんは現地解散でもいいと思うんですけど」
「そうだね、その考えもありだな。この件は一旦ペンディングにしよう」
 モト・ギャルソン得意の“ペンディング”である。
 続いて引率チームのメンバーが発表された。
 Aチーム:江藤、松本、武井
 Bチーム:今村、木代
 Cチーム:海藤、西、大杉
 Dチーム:大崎社長、矢倉、佐々
 オフロードチーム:松田、吉本
 ダイビングチーム(二日目):矢倉、松本、西
 トラック:柳井、下山専務
 というものだが、具体的に誰がどのような仕事をするかは今一つ不明。何しろ初めてのビッグツーリングだから。ただ、行先が伊豆ってのはラッキーだ。散々“詣”で走り込んでいたから、東伊豆の一部を除けば伊豆のほとんどの道は頭に入っている。それより大好きな伊豆スカイライン等々、ルートは俺好みに組めるってところがたまらない。

「ねえねえ、木代さんはどのグループ担当なの?」
 ものすごい圧迫感である。目の前には人の壁と言って憚らない巨体がどんと構えている。大常連である獣医大アメフト部の高松くんが、友人を連れて遊びに来ているのだ。顔の幅と首の幅がおんなじで、二の腕は俺の太ももほどあろうか。更には背丈もある。こんな奴に思いっきりタックルされたら、交通事故と何ら変わらないダメージを被りそうだ。隣にいる友人とやらも似たようなものだったから、息苦しいったらありゃしない。高松くんの愛車はGSX-R1100と大型のリッターバイクだが、彼が跨るとGSX-R250にしか見えないところが笑える。
「Bグループ」
「おれ、いつもAなんだけどさ、木代さんの走りを見たいから、社長に言って今回はBにしてもらうよ」
 ずいぶんとしゃらくさいことを言う。
「あはは、お手柔らかにね」
 高松くんは社長や専務、そして総務の矢倉さん等々、創業時からのメンバーと親しかったので、彼らが勤務している三鷹店にはよく遊びに来ていた。そんなことで、入社早々から彼とは話をするようになり、いち早く気の合う常連さんになっていた。
 獣医大アメフト部の“顔”のようは存在の彼は、バイクが欲しい新入部員を見つけると、その圧力?を使って半ば強引に連れてきて、すでに四~五台の成約を上げていた。モト・ギャルソンにとってはまさにオピニオンリーダー的な常連客なのだ。そんな彼もビッグツーリングをとても楽しみにしていて、やはり開催日が近づいてくるにつれ、話題はビッグツーリング一辺倒になっていた。
 お客さんからスタッフまで、皆が楽しみにしているビッグツーリング。なんだか俺もワクワクしてきた。