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若い頃・デニーズ時代 61

正式な辞令が出るのはまだ日数が掛かるとのことで、一応この件は長岡AMだけにそっと内容を伝えていた。
彼は近々にUM昇格が予定されていて、十中八九私の後任に収まる筈だ。それと同時にクックの矢部がUMIT昇格となるので、小金井南店は現スタッフが引き継ぐ形になりそうだ。
人員のバランスが取れていて働きやすい店だったが、今回だけは新天地への期待が大きく、心は既に千本浜から眺める霊峰富士の姿を捉えて離さなかった。

「マネージャー、本部の中川様からお電話です」

ん? 本部の中川?
フロントレップの大川が受話器を差し出している。
本部で中川と言ったら、営業本部長しか知らない。

「おはようございます、木代です」
「その声は、元気そうだな」
「ありがとうございます。元気にやってます」

それにしても営業本部長が直々に電話を掛けてくるとは珍しい。若しかして今度の異動がややこしい内容を孕んでいるのか、ちょっと不安が走った。

「ところで、木代は楽器やるよな」

えっ、いきなりなんだろう。

「ええ。たいしたことないですけど、ギターとドラムを少々」
「だよな。履歴書に書いてある」
「履歴書とは懐かしいですね。ところでそれが何か?」
「実はジャズバンドを結成しようかと」
「はあ?!」

話しの内容はこうだ。
我デニーズジャパンは今年でめでたく創業15周年を迎えた。これを記念して、なんとあの東京プリンスホテルの鳳凰の間を借り切り、ゴージャスなパーティーを三日間連続で開催することになったのだ。ちなみにこの鳳凰の間、同ホテルで一番大きな宴会場であり、演歌歌手の五木ひろしと、元女優である和由布子が結婚披露宴を行ったことで有名になった。それにしても一日500名で三日間だから、確かに総勢1,500名を招待するビッグイベントだ。対象は全社員並びに貢献度の高いパートアルバイトとのこと。
パーティーでの出し物は企画担当がいろいろ用意しているようだが、この中でデニーズのスタッフだけで結成するジャズバンドの演奏をぶちかまそうってことになったのだ。
ところがベース、トランペット、トロンボーンは本部スタッフで決まったものの、ピアノ、ギター、ドラムがまだ集まっておらず、人事部が必死になって社員の履歴書を基に候補者を探していたらしい。
その結果、ギターに営業管理の佐々木さん、ドラムは私がやることになり、ベースにテストキッチンの松田さん、トランペットは人事部の本田さん、同じく人事部のトロンボーン倉沢さん、そして最後まで探し出せなかったピアノには、銀座にあるジャズクラブの専属女性ピアニストが、某店のディッシュウォッシャーという触れ込みで加入することになった。実はこのジャズクラブ、中川本部長の行きつけの店だそうだ。
そして沼津店への赴任日は、なんと三日間のステージ最終日に決定。これまでとは全く異なる忙しい日々が始まったのである。

渋谷にある音楽スタジオは、プロのミュージシャンが利用する本格的なところ。そこを週二回三週間のスケジュールで予約を取り、猛特訓が始まった。講師はもちろんピアノ担当の山田さんだ。中肉中背、小顔にソバージュがいかにもその道の人という印象で、どの角度から見ても“皿洗いのおばさん”には見えない。年齢は恐らく40歳手前と言ったところか。
練習が始まると、大学時代にフュージョンバンドをやっていたギターの佐々木さん、横田基地で鳴らしたベースの松田さん、そして私の3人は初日でそこそこの形を作れるようになったが、ホーンセクションの二人はかなりとんちんかんな音を出していて流れに乗れない。

「本田さん、二小節目から大分外れるんで、頑張って意識してください。それから倉沢さんもテンポが遅れ気味ですよ」

山田さん、なかなかきびしい。いい大人たちが必死の形相である。
高校から大学までバンド活動をしてきたと言っても、それは全て我流であり、良いか悪いかの比較さえしたこともない。よって彼女のレッスンには目から鱗がふんだんにあり、得るものは多かった。
若干だが2回目の練習からまとまりが見え始め、3回目ともなると一応演奏らしきものへと進歩してきた。
バンド活動は一貫してロックをやってきたが、大学時代の友人が無類のジャズ狂で、二度三度と西荻窪にあるジャズライブハウス「アケタの店」へ連れて行かれ、気が付けば一枚、二枚とジャズのレコードを買い求める自分がいたのだ。そんなこともあり、今回のお誘いは好機到来として受け止め、真剣になって練習に励むのだった。

仕事とバンドの練習に明け暮れ、本番はあっという間に訪れた。
招待客の入場の前に簡単なリハーサルをやろうとステージに立つと、これまでの経験にない会場の広さに圧倒される。エキシビションだと分かってはいても、緊張は避けられない。

「本田さん大丈夫ですか」
「いや~~緊張するね、ダメかも」
「やめてくださいよ!」

演目は三曲。一曲目はシャンソンの名曲「枯葉」。後の二曲は不甲斐なく忘れてしまったが、ややアップテンポの聴きやすいスタンダード曲だ。
音を出す前は皆ガチガチだったが、いざスタートしてみるとさすがに練習の成果が表れた。ぎこちないが一応曲になっている。トランペットの音程が時々外れるが、これも愛嬌。我々はプロでもなければコンテスト出場でもないのだ。
何とか三曲を終えると、ホッとしたのかメンバーに笑顔が現れた。

「いい感じですよ。これで本番も頑張りましょう」

山田さんのこの一言で、ちょっとだが自信が湧いてきた。恐らくほかのメンバーも同じだろう。

しかし、実際に招待客が入場してくると様相はガラッと変わった。なにせ500名、会場を埋め尽くすとはまさにこのこと。うねるような人波を目前にして、あがらない人はいない。出番が迫ってくるにつれて脈拍は上がる一方である。

「さてさて会場の皆様。次はこのパーティーの為にデニーズのスタッフだけで結成されたジャズバンドの演奏となります!」

― いよっ、待ってました! 松田さーん!
― ビデオ撮るよ~~
― みんな笑って笑って♪

野次やらシュプレヒコールやらの波が押し寄せ、会場は一気にヒートアップ。なんとか小金井南のスタッフを見つけようとしたが、前面からの照明で殆ど見えない。尤も、良く見えたらそれこそガチガチになってしまう。

「皆さんいいですか」

山田さんの一声に反応して皆の背筋がピンと伸びた。
始まってしまえば、あとはやるだけだ。
そして静かに演奏は始まった。

― よし! いい感じだ、練習の成果が出ている!

ドラムは楽である。もちろんソロはないから、延々とリズムを打ち出せばいい。
要所要所で“おかず”を入れて抑揚をつける。落ち着いてくるとライドシンバルとスネアのリズム感がどんどん良くなっていった。そう、ノッてきたのだ。

三曲はあっという間、見回すと皆紅潮した笑顔にワンステージをやり遂げた達成感がありありと出ていた。
そりゃそうだ、盛大な拍手の嵐に包まれているではないか!!

「やったね!」
「ですね」
「いや~、良かった良かった」

その時、強い照明の中から射るような強い視線を感じ、合わせるように目をやると、ステージの真ん前に中川さんが立っている。
それもたいそうな拍手をしてくれている。

「みんなかっこよかったぞ==!」
「あっ、どうも」

仕事以外のことでも、本部長から褒められればスタッフの誰だって悪い気はしない。
メンバーも含めて久々に本部スタッフとコミュニケーションが取れた気がして、ちょっぴりだが嬉しくなった。
会社だから仕事仕事は当たり前だが、こうして文化活動を通してスタッフ同士の繋がりを持つことも、場合によっては必要なのかもしれない。
久々のプチ感動で胸が熱い!!

そしてパーティーは遂に最終日を迎えた。

若い頃・デニーズ時代 60

「あの~、、、木代さん、いらっしゃいますか」
「すみませんが、どちら様でしょう?」
「伊坂と申します」

情けないが、突然の訪問に慌ててしまった。考えてみれば最後に会ってから既に1年余りが経過している。それにしても年頃の女性の変化には目を見張る。初めて会った頃から、その均整の取れた容姿は男だけでなく、同性からの目線も引いていたが、これほど魅力的な大人の女性に変貌していたとは想像もしていなかった。
爽やかな笑顔、艶のある髪、ぴっと伸びた背筋、そして仄かに漂う香水の香り。そう、やや長めのナチュラルボブにパンツルックがよく似合う。

「元気にしてた?」
「ああ元気だよ。でも、今日はどうして?」
「近くに用事があったから、寄ろうかなって」
「そりゃ嬉しいね」
「元気そう、安心したわ」
「心配してくれるんだ」

私は呆れるほど馬鹿な男だ。こんなにいい女を1年以上もほったらかしにしていたのだから。
同期生の誰よりも早くUMに昇格、そして次には新店UMを任され、その勢いを保ちながら全店売上ベスト3に入る高田馬場店UMに任命され、、、と、
踊っていたのか踊らされていたのか、何れにしても盲目的仕事バカに変わりはない。
怱怱たる毎日に振り回され、一番大切なものへの配慮に欠き、気が付けば<時すでに遅し>ということだ。

「奥でお話したら」

よく気が付く曽我美智恵に即されて、ひとまずは4ステの一番奥まった席についた。

「ごゆっくり」

午後4時。一日の内で店が最も平穏になる時間帯である。文恵もその辺を見越して来たのだろう。
仕事中でもあるので、深い話には入れなかったが、テニスサークルを通じて複数のボーイフレンドができたこと、そして恐らく新しい彼氏だろう、その中には親しくしている人がいること等々、大まかだが彼女の現在を知ることができた。しかし、分かってくればくるほど、切なさと後悔の念が頭の中を駆け巡り、全身の力は抜ける一方である。
20分間ぐらいだろうか、腹に溜まっていたものを吐き出すように語り続けた文恵。そして吹っ切れたのであろうか、今までに見た中で最高の笑顔を残し、帰っていった。

「かわいい子じゃない、彼女?」
「違うよ」
「へ~、そうは見えなかったけど」
「ふられちゃったんだ」
「あらっ!大変!」

曽我美智恵には全てお見通しだろう。
女性はこんなシーンに敏感だし、特に彼女は強力な“”察知レーダーを持っているから大方筒抜けだ。

「あ~ぁ、さみしいなぁ~」
「私で良ければやさしくしてあげるよ♪」

冗談だろうが、彼女のこうしたリップサービスは、時として沈み込んだ気分を和らげてくれる。但、胸に空いた穴はそう簡単に埋めようもなく、風が抜けるたびにその空虚感を味わうことになり、重苦しい日々が何日も続いたのである。

そんなある日、荻下DMが来店すると、いきなり「話がある」と言われ、狭い事務所で向かい合うことになった。
いつものいやらしいニヤケ面が、なぜか今日は癇に障る。

「異動だ」

唐突な一言に、一瞬何のことか分からなかった。

「お前、UMになってから東京以外はやってないな」

なるほどね。東京の外へ飛ばそうってことかい。いつかこんな話が来るとは薄々感じていたが、実際に辞令が降りれば、色々と考えてしまうだろう。そろそろデニーズも潮時か、なんてことも高田馬場の頃からポツリポツリと出てきたし…

「どこです」
「沼津だ」
「えっ、どこですって?」
「だから静岡県の沼津だって」

こいつは驚きだ。沼津は私にとって第二の故郷と言って憚らない。大昔、親父の転勤で、小学校四年の夏休みから中学校2年の夏休みまでを過ごした思い出深き地なのだ。
少年にとって海あり山あり川ありは正にパラダイス。釣り、海水浴、山遊び、そしてサイクリングと、大自然を相手に嬉々たる日々を過ごし、その情景と高ぶりは今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
それに最近嵌っているバイクだって、その殆どが伊豆スカイラインや箱根峠がホームコースになっているので、帰りは決まって東名高速の沼津ICから乗ることにしている。

「そうですか沼津ですか」
「お前、なんか嬉しそうだな」
「いやいや。ところで沼津はインストアですか」
「そうだ。テコ入れってことでリニューアル対象店になっている。だからコストをかけた分、目標は高くなるから大変だぞ」

そうか沼津か。若しかするとこの異動をきっかけに、様々な出来事で疲弊しきった心をリセットできるかもしれない。思えば小学校の時もそうだった。
我儘でひねくれ者だった私は、気が付くとクラスメイトの大半を敵に回し、常に不安定な精神状態で学校生活を送っていた。他人の意見は受け入れず、誰に対しても優しくなれなかった。
そんなある日、親父が帰宅すると、「皆で沼津へ引っ越しだ!」といきなり言い放った。
もちろんびっくりはしたが、何故かほっとした気分も芽生えたことを覚えている。普通の小学生なら転校と聞いただけで落ち込むのが当たり前。恐らく不満だらけの毎日から逃避できる喜びの方が大きかったのかもしれない。
ところが沼津第二小学校での生活が始まってみると、これが摩訶不思議、びっくりするくらい素直な自分がいるではないか。新参者という立場で縮こまっていたわけではない。そんなことよりクラスメイトが皆大らかで、東京で感じた刺々しい視線が全く感じられない。そして大らかだけではなく、転校生の私に対して皆悉く親切にしてくれたのだ。
そんな優しい友達に囲まれ、気が付けば初めて他人に心を開けるようになっていた。

「いつからです」
「リニューアルの進行状況にもよるけど、一カ月以上先になると思う」

これまでに何度もあった異動。しかし今回は含意が余りにも異なる。
少年期を過ごした地で仕事ができる期待感、そして目と鼻の先にバイク天国があるという嬉しさ。
遠隔地へ赴任するというのに心が躍るなんて、こりゃ可笑しすぎる!

若い頃・デニーズ時代 59

小金井南店でUMをやり始めた頃と言えば、経済成長が作り出した豊かさによる平穏ムードが列島をすっぽりと包み込み、音楽界では松田聖子のデビューをきっかけに、花の中三トリオ以来となる第二次アイドルブームが再燃、中森明菜、小泉今日子、おニャン子クラブ等々がTVを賑わした。
大好きなモータースポーツ界では、ホンダがF1復帰というビッグニュースで沸き上がり、バイクレース界の最高峰GP500では、王者ケニー・ロバーツと最強の挑戦者フレディー・スペンサーとの激闘が、スポーツバイク好きを釘付けにしていたのである。
そんな中、外食産業も順調な発展を遂げていた。我がデニーズは総店舗数を150店にまで伸ばし、遂に東証二部上場を果たしたのである。

赴任から早くも1年が経とうとする頃、ディストリクトの再編が行われ、それに伴いDMが交代となった。
海田さんは常に仕事三割遊び七割の“いい加減の極み”のような人だったが、言い方を変えれば人間味があって付き合い易かったように思う。コミュニケーションがとれてくると、私事も含めていろいろ話もできるようになった。
ところが新しいDMの荻下さんはビッグマウスの自信家。自分のやり方以外は一切受け付けず、人の好き嫌いがはっきりしていた。
幸か不幸か私は嫌われたようで、ことあるごとにねちねちと小言を言われ、罵声を浴びることも屡々。

「おまえ何年UMやってんだよ。ファンダメンタル全く駄目じゃねえか。よくすましたツラして黄ジャケ着てんな」

確かに今日行われたスケジュールBの結果は惨憺たるもので、改善項目が片手では足りないほど。しかしスケジュールBの判定基準には個々のDMよって大きな差があり、その差を作り出しているのは、他でもない“私情”なのだ。DMに気に入られると好得点は間違いなく、反面、嫌われれば地獄の再検査となる。
私は嫌われていたので、最初から大凡の結果は見えていたが、それにしても結果が悪すぎた。
ちょっと納得できず、窓ふきの件について反論すると、

「ふざけんなよ、どこ目ぇ付けてんだ。俺が見てるから、いいって言うまでお前が拭け!」

私はこの一件から、荻下DMへ対してこちらから声を掛けることを一切やめた。そしてどのようなことを言われても抗うことなく、ただ「はい」を繰り返すことにした。
そしてこんな対応は更に荻下DMの不満不信を呼び、関係は悪化の一途となったのだ。

「木代さん、DMに嫌われちゃったね」

MDの曽我美智恵はDMとのやり取りをよく見ていた。

「どうも馴染めないんだよ、彼には」
「そんなこと言っちゃって、大丈夫なんです?」
「関係ないさ、俺は俺だ」
「フフッ、そんな強がり言っちゃって」
「なんだそれ」

曽我美智恵はやけに大人びたところがある。正直なところ、デニーズで働くよりはクラブのホステスの方が似合っていると思う。笑顔まあまあ、ボキャは豊か、そして何より聞き上手ってなところがGOO。
男に好かれ、男友達の多い女性ってのは大概同性からは好かれないものだが、彼女は老若男女問わずに誰からも好かれる人気者だった。

「私も荻下さんは苦手かな。まだ海田さんの方が取っつき易いって感じ」
「俺もそう思う。荻下さんは、何だか嫌らしいんだよ」
「あはは、分かる気がする」

ただ一度だけ、荻下さんとは新たな仕事にトライしたことがあった。
店の真ん前が多磨霊園ということで、春と秋の彼岸になると夥しいほどの人が墓参りに訪れる。もちろん店の売り上げはうなぎ上りだが、ランチタイムに発生するウェイティングの列は高田馬場店でも見たことのない凄まじいもので、回転さえ上げれば更なる売り上げアップは予想できた。

「なあ木代さ、あのウェイティングの列、もったいないよな」
「ですね。しかしこれ以上回転を上げようってのは、どうでしょう」
「無理だな。ちょっと考えたんだが、弁当を売るってのはどうかな」
「弁当ですか? あのウェイティング客に?」
「そうだ。間口にベンチを並べてさ。いいと思うぜ」

なるほど。やっこさんも考えたもんだ。キッチンはまだゆとりがあるから、やれないこともない。
とりあえず価格を決めて採算ベースを精査する必要があるが、前向きに考えてもいいかもしれない。特に彼岸の頃は春も秋も気候がいいから、ベンチに腰掛けての弁当ランチは極々ありだ。

「至急本部に稟議を出してみる」
「ました」

ところがこの妙案、いきなり躓いたのである。
現在は定かでないが、当時はレストランの営業許可だけで弁当販売は扱えないとのことで、結果、本部からは、<彼岸時のみの施策に対して新たな許可を取得するのは得策でない>と却下されてしまったのだ。
イレギュラーな施策を講じる場合、当然本部の稟議が必要になるが、実は小金井南店時代に、この弁当販売に関する稟議の他にもう一件稟議を出したことがあった。
ご存知の方も少なくないと思うが、店前の東八道路では当時ゼロヨンが大流行りになり、当然の如く社会問題にまで発展した。
ゼロヨンとは、2台の車がスタートから400m地点までを競うレースだが、これを東八道路という一般道で行い、しかも悪いことにそのスタート地点が店の真ん前なのだ。爆音とタイヤの焦げる匂い、そしてギャラリー達の嬌声等々、とてもじゃないがレストランの営業どころではなく、おまけに5~6組の客しかいないのに、ギャラリーや参加者の車で駐車場は満車という、ブチ切れる状況にまで悪化した。
この騒動に対し、小金井警察署が中心となり、沿道の法人が招集されて対策会議が行われた。私もデニース代表として出席、現況を報告すると、それに対して警察より要望が出た。
店の駐車場の出入り口は道路側と西側の2カ所あるが、西側を閉鎖して道路側だけにしてもらえないかとのこと。
何故なら、駐車している違法車をを検挙しようとしても、どちらかの出入り口から逃げてしまうからで、1カ所にすれば簡単に袋のネズミにできるということだ。
この件をDMに伝えると、すぐに稟議を回してくれ、さすがに回答も早かった。
これまで店のぐるりはネットフェンスだったが、これは全て取り壊し、改めてパイプフェンスに変更するというもの。数日後に施工は行われ、完成したそれを見てびっくり。頭の中ではジャングルジム程度のパイプを想定していたが、何と金属バットほどの太さがある、ものごっつい柵だったのだ。
これで小金井警察署の一網打尽作戦は間違いなく成功するだろう。
そう、このゼロヨンだが、店の常連さんにも参加している者がいた。車は6気筒のハコスカで、何やら3000cc近くまで排気量を上げてあり、その他足回りも強化を施してあるようで、常連さん曰く<大概の車には負けない>と豪語していた。つい最近鳴り物入りで発売されたトヨタ「ソアラ2800cc」も早々とこのゼロヨンへ参加してしたが、見事に駆逐したと自慢げに話していた。
それと驚いたことに、あるゼロヨンの日、何やら大型トラックが車を積んでやってきて、下ろしてみたらオーバーフェンダー、スポイラー付きのまんまサニーのレーサー仕様。まさかこれで参加するのかとびっくり。もちろんナンバーなどは付いていない。警察が躍起になるのも頷ける。そしてドライバーを見てさらにびっくり。な、なんと東久留米店時代にアルバイトをやっていた男性なのだ。こんな凄まじい趣味を持っていたとは知らなかった。

フェンスを作り直してからは、やつらその意図を察したのか、不正駐車は激減し、警察による一網打尽作戦は行うこともなかった。時を同じくして、ゼロヨンも急速に下火となり、日々本来の東八道路へと戻っていったのだ。

若い頃・デニーズ時代 58

小金井南店はスタッフの充足率が高く、且つ売り上げも安定していたので、仕事はやり易かった。
最も重要な人員配置、食材発注等々の管理でさえ、長岡AMとLCの佐藤に任せておけば、あとは確認だけで何ら問題は起こらなかったし、特にフードコストは非常にうまく管理されていて、常にディスクリクトのどの店よりも理想値に近かった。
但、古い店によく見られる問題は、やはりこの店でも表面化していた。
それは人件費コントロールの難しさである。
デイタイムの主婦MDは、勤続3年越え2名、2年越え1名、計3名で、それぞれ時給は700円の大台に乗っていた。昔のことで忘れてしまったが、あの当時、アルバイトのスタート時給は確か400円+αだったと記憶しているが、だとすれば一般的な従業員の大凡1.5倍の賃金を、売り上げ並びに利益率の低い平日のデイタイム勤務者に支払っていたことになる。
これに対して売上ボリュームの上がる週末に働く従業員は、勤続が短く低時給の学生達が中心だ。
人件費は管理可能費のひとつなので、適正値に近づけるのはUMの重要な仕事であり、達成如何によっては大きく人事評価に影響してくる。とは言っても長年の勤務に対して評価された時給を、人件費管理との理由だけで下げることは心情的にできないし、何より本人たちの同意など得られる筈もない。
このような場合、勤務日数と勤務時間の調整までがボーダーラインとなる。1日6時間勤務だったものを5時間へ、週5日勤務だったものを4日へと減らしていくのだ。もちろんこの修正にだって限界はある。度を越せば確実に退職してしまうだろうし、それ以前にもモラル低下などの弊害が出てくる恐れがある。
店の運営は「一に人」。よってこのハンドリングは従業員との綿密なコミュニケーションが前提になることは言うまでもない。
しかし、これを強行に推し進めるUMもいる。新規採用を強化し、一時は総人件費が上がるものの、それと同時にベテランスタッフの配置を急速に減らしていき、敢えて退職へと持ち込むのだ。これにより平均時給は下降の一途をたどり、総人件費は理想値へと近づいていく。
デニースには【13週間トレーニング】という基本がある。ずぶの素人でもマニュアルに沿った教育を13週間きっちりと徹すれば、一通りの業務をこなせるスタッフを育成することができる。よって計画的な求人活動と従業員教育を励行していけば、時給の高いベテランスタッフに頼らなくても正常なオペレーションを行えるということなのだ。

小金井南の毎日に馴染んでくると、体力的にも心情的にも大分ゆとりを持てるようになってきた。
高田馬場店へ赴任して以来、久しく会っていない伊坂文恵へ連絡を入れてみようと思ったのも、そんな気持ちの変化からだろうか。
電話に出た文恵は今どきの女子大生を謳歌していた。テニスサークルに入り、友人や複数のボーイフレンドたちとの“お遊び”に忙しいらしく、久々に飲みにいかないかと誘ってみても、返事はそっけないものだった。そりゃそうかもしれない。半年近くもほったらかしにしたのだから。
女性は往々にして、遠くにいる恋人より、近くでかまってくれたり優しくしてくれる男性になびくもの。
文恵との間にできた隔たりを目の当たりにし、寂寥感は膨らんだが、一方、これまでの日々には無かった確かなゆとりが、仕事漬けだった毎日にプライベートな楽しみを加味したいという、前向きな願望を生み出したのである。
空気が澄み渡り、秋の気配が濃くなったある日、突如閃きがあった。

「バイクだ☆ そうだ、バイクに乗ろう!」

高校3年生の冬。無免許でバイクに乗ってすっころび、左肩に重度の脱臼を負ってしまうという情けない過去があるが、バイクならではの爽快感や痛快さは忘れることのできない強いインパクトとして残り、いつかはまた乗ってやろうと心の隅で燻っていた。仕事第一の生活の中にゆとりが生まれることによって、その燻っていた願望が再燃したわけだ。
考え始めると転がるように話は進んだ。何をさておき先ずは二輪運転免許証の取得である。早速直近の休日に近所の教習所へ申込みに行くと、ラッキーなことに二輪教習の当日キャンセルが出ていて、手続きが終わると即ライド。その後は予定している休日全てを教習に費やし、一カ月少々でめでたく免許証をゲット。後はバイクを手に入れるのみとなった。
するとこのタイミングでまたまたラッキーが舞い降りた。
地元の友人が地方へ転勤するとのことで、所有のバイクを泣く泣く手放すというのだ。しかもその車両、バイク好きの間ではすでに神格化されていたヤマハ・RZ250だったのだ。2年前に発売されるとすぐに“ヨンヒャクキラー”の異名が付き、別格のパフォーマンスを誇った。搭載された水冷2サイクルエンジンは、最高出力35馬力とクラス最強。入手が決まった時は夜も眠れないほど興奮したものだ。

「マネージャー、二輪免許取ったそうですね」
「おっ、もう知ってんだ」

BHの堀口は大学4年生でバイク好き。
だからこの手の情報には敏感だ。

「もうバレバレですよ。それじゃあ、僕のホークⅡ貸してあげましょうか」
「いいっていいって」
「まさか、手に入れた?」
「RZだよRZ!」
「そりゃすげーや!」

当時の高校生・大学生の男子だったら、バイクに興味がない子は殆どいなかったはず。そんな関係か、バイクに乗るようになってから、男子アルバイト達との距離が縮まったように感じた。
そう、新しいヘルメットを手に入れ、嬉々としているアルバイト高校生の気持ちが良く分かるようになったのだ。
そして思い出す。浦和太田窪店でお世話になったLCの西條さんだ。彼も大のバイク好きで、愛車ヤマハXS750を通勤にも使っていた。あの頃は初の新店オープンを前に気持ちの余裕など全くなかったが、ある日バックドアを開けると、いきなりXS750が目に飛び込んできて、瞬間だが心が揺れたことを覚えている。

休日は雨さえ降っていなければ、必ずと言って伊豆箱根へとバイクを走らせた。
東名高速の御殿場ICを降りると、旧乙女街道、芦ノ湖スカイライン、箱根スカイラインと進み、ひと休憩したら今度は伊豆スカイラインを冷川の先のPAまでピストンするのだ。
折しも二輪モータースポーツ界では、その最高峰であるGP500で、王者ケニー・ロバーツと最強の挑戦者フレディー・スペンサーの壮絶なチャンピオン争いがピークを迎え、その影響からか、草刈正雄が主演するバイクレース映画「汚れた英雄」が大ヒットを遂げた。もちろん、伊豆スカイラインを爆走している時は、完全に“北野晶夫”になり切っていたのである。

若い頃・デニーズ時代 57

田無店の上西UMを思い出す。
自分にはとても親切にしてくれ、色々とお世話になったが、店を平気で私物化するところや、とてもUMとは思えない言動の数々、傍から見ればハラハラドキドキであった。
そしてその上西UMを彷彿、いやそれをはるかに上回るのが海田DMである。初めて全店店長会議へ参加した時は度肝を抜かれた。
イトーヨーカ堂の伊藤社長以下、デニーズのお偉方にDM陣、そして全国から集まった大勢のUM、彼らは例外なくダークスーツと白のワイシャツを身にまとい、まっとうな会社人をアピールする身なりだが、ただ一人、場違いな光を放つ男がいた。
こげ茶のブレザーに濃紺のワイシャツ、これに合わせるのがベージュのタイに同色のスラックス。これでは誰が見てもチンピラかやくざで、場違いも甚だしく、もはや常識を疑うレベル。更にはガムを噛みながら大声で喋り、絶えずニヤついた笑顔は、まんま“ニヤケタひょっとこ”。
あの時、まさか彼がDMだとは夢にも思わなかった。

「なにがあったか知らねえが、南の売り上げ落としたら承知しねーぞ」

据わった眼で下からギロリ。全く呆れる。
これではチンピラの恫喝と何ら変わらない。情けなさを通り越して溜息が出る。

「まっ、かたいことはおいといて、木代、おまえ麻雀出来るか?!」

顔つきが一瞬のうちに180度変わった。うぉ!キモイ! まじめに鳥肌が立ってしまう。
今気がついたが、海田DMって、昔はボクサーだったのでは?!
鼻の潰れ方がタイトルマッチに出てくる歴戦のボクサー達のそれと全く同じなのだ。

「いちおうできますが、、、」
「よし決まった。行くぞ」
「えっ?!今から、ですか」
「行くって言ったら行くんだよ。おい長岡、よろしくな」
「ま、ました」

麻雀てのは、やり出したら1~2時間では終わらない。いくらDMの命令だとしても、就業時間中に麻雀はまずい。これから強力なタッグを組まなければならないAM長岡の手前、ばつが悪すぎる。
しかしせかすDMにしょうがなく車を出し、渋々後を追ったのだ。連れて行かれたのは調布店からすぐ近くの雀荘。既に調布店UMの中田と北村が雀卓でお待ちかねだ。
店内は薄暗く、学生時代に良く通った習志野の雀荘に良く似た雰囲気である。
それにしても北村の奴、戦場と化している千歳船橋から良く抜け出してきたもんだ。あ~辛!
結局20時過ぎまで激闘は続き、海田さんの一人勝ちで幕が下りた。

「いやいやいやいや、皆さんしけたツラだね~~」

有頂天の海田DMとは正反対の3人。しかし、うんざり感を全く隠さないところが、なんだか可笑しい。

「それじゃ私、とりあえず店に寄ってから帰ります」

北村はさっさと帰り支度である。私もこれに便乗して退散だ。

「私も店に向かいます」

それにしても野放し状態であるDMを管理するシステムはないものだろうか。
ずばり言って海田さんや土田さんは給料泥棒だ。部下を仕事中に遊びに連れ出したり、“売上を落としたら承知しねーぞ”なんて恫喝まがいな発言をしたり、はたまた相談事をしようとしても、“聞かなかったことにしてくれ”とか、一体どうなっているのか。益になることは一つもしないくせに、給料はUMをはるかに上回るのだから、どう考えても納得できない。RMに進言したって、彼らも同じ穴の狢だから、下手すりゃ報復される可能性の方が大きい。ほんと、弱ったものだ。

「お疲れさんでした。大変でしたね。戦果はどうでしたか?」
「山田さんの一人勝ち」
「そうですか、強いっすよね~あの人、北村さんもやられてましたよ」

引きが強いというか、強引に通すというか、確かに上昇気流を掴む術には長けていると思う。いずれにせよお手柔らかに願いたいものだ。

「それはさておき、キャンペーンのキウイ、どのくらい発注した?」
「とりあえず1ケースにしときました」
「大丈夫かな」
「イチゴの時と較べてやや食材が特殊かなと思って、、、」
「なるほど」

デニーズでは季節のフルーツを使って、期間限定のスペシャルメニューキャンペーンを行っている。先回のイチゴキャンペーンは好評を博し、最も個数を使うイチゴパフェへ予想を上回るオーダーが入り、慌てて小金井北店まで借りに飛びてんやわんやだった。
とにかくレストランにとって品切れはご法度であり、せっかく来店下さったお客さんの要望に叶えられないことは大きなペナルティーだ。それにデニーズ全体の評価にも影響してくる。
但し、品切れを恐れて過剰に発注すれば、当然ロスが出ることになり、フードコストは上がり収益はダウンする。
定番商品は個別の生産性から、かなり正確な発注量を算出できるが、キャンペーン商品で且つ生ものは難しい。
反対に余り気味になってきたら、フロント全員でおすすめ作戦を展開するのだ。

キウイキャンペーンが始まった最初の週末、天候も良く朝から客足は順調だった。小金井南店は小金井北店と同様に106型で南向きなので、店内は非常に明るく、清潔感と活気がほとばしる。鬱蒼とした木々に囲まれ、西向きに建つ東久留米店とは、同じ106型でも入店時の印象は大分違う。
おまけに店前を走る東八道路は新道であり、片側2車線と広く、これも店内の明るさに大分影響していると思う。
今日はベテランランチスタッフのMD大川がDLをやってくれているので、既にウェイティングが数組にも膨らんでいるのに、レジ周りは至ってスムーズ。

「25番OKです」
「ありがとう。それではご案内いたします!」

相変わらずBHの猪野は動きがいい。バスタブを下げる際にも絶えずフロントの状況を気にしているから、お帰りのお客さんを目ざとく見つけ即バッシングに掛る。彼のようなBHがいるとピーク時の回転は格段に良くなる。
それにしても客席を見渡すとキウイメニューがよく出ている。やや不安が走った。
レジのすぐ後ろにあるファウンテンエリアに目をやれば、新人MDの中森がぎこちない手つきでキウイシェークを作っている。

「中森さん、キウイあといくつ残ってる?」
「え~と、あと5~6個です」

朝一でリーチインの在庫を確認した時は残り1トレイだったから、もっても明日のランチまでだ。

「長岡、やっぱりキウイがアウトになりそうだ」
「すみません、予想外に好調ですね」

すぐに近隣店に在庫の照会を掛けたが、やはりどこも好調なようで余剰はないとのこと。

「そうだマネージャー」

突如何かを思い出した長岡に笑顔が出た。

「どうした」
「確か隣のガソリンスタンドでキウイ売ってましたよ」

あそこは良く利用するが、キウイなんて置いてあったかな、、、
でもスタンドの裏手には農園らしき土地が広がっていたような気がする。
いずれにせよ指定業者以外からの仕入れは禁じられているが、本当に置いてあるならここはUM判断で手に入れてしまおう。

「わかった。それじゃ長岡、10個ほどでいいから買ってきてくれ」
「ました、行ってきます!」

キウイの一件にはオチがあった。
ガソリンスタンドで手に入れたキウイは、指定業者から納入する品物より安くて味も格段に良かったのだ。これを使ったキウイパフェを召し上がったお客さんが、リピーターとなって再度注文したとき、どの様な反応が現れるのか、ちょっと怖い、、、