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若い頃・デニーズ時代 66

沼津に赴任してからというもの、予想以上のリニューアル効果が出て仕事には弾みがつき、プライベートでも伊豆箱根と、バイクを楽しむにはこの上ないロケーションを得られ、久々に公私共々充実した日々を送っていた。
少年期もそうだったが、やはり私と沼津の相性は良いのだ。
いやいや、相性は抜群と言っても過言じゃない。なんてったって、MD若村麻美との交際がスタートできたのだから。

ただでさえ沼津での生活は順調だった。そこへきて彼女までGETできたのだから笑いが止まらない。これまでやたらと引っかかりの多かったデニーズでの毎日が、ここにきて大逆転である。
但、沼津での暮らしが始まってからも、伊坂文恵のことは時々思い出すことがあった。結婚を意識した初めての相手だったし、長時間労働と少ない休みで、ほとほと疲れ切っていた心に幾ばくかの潤いを与えてくれたのは、文恵の存在だった。しかし、いざ本気になって彼女との結婚を考えると、何故か説明のつかないブレーキが掛かってしまうのだ。

若村麻美は一見気が強いタイプで、自分の意見は誰にでも堂々と主張する女性である。但、嫌味がないので、彼女を嫌う者は知っている限り一人もいない。それより彼女、気がつくと人の輪の中心にいるから驚いてしまう。
実は麻美と知り合ってから、自分の結婚観に急速なまとまりが見えてきた。
<男子たるもの所帯を持ったら、逞しい牽引力を持って家族を幸せへと導く>
上記は社会一般の通念だろうが、局面によっては女房の力を借りたいと欲することも多々ある筈。一家の大黒柱と言ったって所詮スーパーマンではないのだ。
どちらがリーダーシップを発揮するというのではなく、互いに知恵を出し合い、力を合わせて難局を乗り越えていく夫婦像ってのは、なかなかの理想ではあるまいか。
麻美は11歳も年下なのに、どこか姉御を感じさせる頼もしさと押し出しの強さがあり、それは私が持ち合わせない能力でもある。この子となら結婚してもうまくやれるのではないかと直感した要因の一つだ。
それと私も既に30の大台に入っていたので、頭のどこかに家庭を持ちたいという欲求が芽生え始めていたのかもしれない。

「やっぱりさ、一番先に結婚するのは木代なんじゃないの」
「そうかな」
「いやいや、俺もそう思うよ」

以上は学生時代のやり取りである。
当時の仲間内で彼女がいたのは私だけだったので、こんな話が持ち上がったが、そもそも<彼女=結婚>なんていう公式は短絡すぎる。
私は生まれつきの慎重派であり、何をやるにも先ずは考えることから始める。考える前に行動だ!なんていう勇ましい芸当は今でも苦手である。
正直なところ、明るくて容姿端麗な伊坂文恵は彼女として申し分なかった。連れて歩けば男達の目線攻めにあうこと屡々で、あの優越感は堪らないものだった。ところがこれから生活を共とするパートナーとして慎重に考え始めると、互いの腹の中を見せ合い、それを理解し合おうとするシーンがどうにも想像できない。恋愛と結婚は違うとよく言われるが、恐らくこのようなニュアンスも含まれているのだろう。

麻美との交際が始まってひと月がたつ頃、スタッフの殆どに我々の関係は知れ渡っていた。私の感ずる限りでは、周囲の反応は大方ウェルカムだったように思う。皆が麻美に優しくしてくれたし、それが嬉しかった。そしてUMITの森嶋もこの雰囲気を作ってくれた立役者の一人だった。

沼津インター店UM高幡の退職が本決まりとなり、それに伴う人事異動が発表された。
何となく予測はしていたが、後釜には私、そして沼津店の新しいUMには森嶋が昇格抜擢。これから沼津地区を木代~森嶋ラインでやれると思うと無性に心が踊った。
沼津インター店はインストアである沼津店の倍近くの売上規模があり、しかも実績は順調に推移していた。特に夏場の売上だけを見れば、年商3億を超える店と同等のレベルを誇り、同エリアの清水インター店とは常々比較の対象となっていた。
そして私が抜ける沼津店の引継ぎには約一ヶ月間が用意された。森嶋UMの下に当てられたのは吉倉というクック上がりの新任UMITだったので、マネージャー教育期間として少し長めのインターバルが与えられたのだ。

「森嶋、良かったな」
「いえいえ、ご指導ご鞭撻、お願いします」
「次回のUM会議から、いっしょに麻雀できるじゃん」
「嫌いじゃないんで、楽しみにしてます」
「まっ、お隣さん同士なんで、うまくやっていこうや」
「ました!」

人事異動発表からちょうど2週間後。吉倉が初出勤してきた。これからの1ヶ月間はマネージャー3名体制になる。
吉倉にはこの期間にマネージャー業務のルーティンをしっかりとマスターしてもらわなければならない。
彼は身長160cmほどと、男性としてはだいぶ小柄である。いつもニコニコしていて、周囲を明るくするところは森嶋と似ているが、年齢が23と若いので、既に昼間の主婦MD達やKHの山岸さんには、“言いやすい人”と認知されたようだ。

「ねえねえ吉倉さん、ランチスープを用意するときはクルトンも一緒にお願いしますね」
「あっ、はい、そうですね」
「そうそう吉倉さん、最近ろくなレタス持ってこないんで、八百屋さんに言ってちょうだい」
「あっ、はい、言っときます」

吉倉は真面目だ。夏でもないのに額に汗して動き回る。
頑張る姿は好感が持てるが、そそっかしいところも多々あって少々不安だ。
売上金の計算などは顕著な例で、

「あれ、おっかしいな、、、」
「どうした、合わない?」
「1,000円ほどですかね」
「その束、もう一度数えてみなよ」
「あっ、はい」
「どお?」
「合ってました、すみません」

と、こんな感じである。
それでも一週間の通し勤務が終了すると、一通りの仕事は覚えたようなので、翌週からは一人でワンシフトを任せることにした。
その日の早番は私、吉倉は遅番、森嶋はOFFだ。
キッチンの遅番にはLCの大岩、フロントはベテランMDの関島が22時まで、そして麻美がラストまで入っていたから布陣としては万全である。リニューアル効果で着実に売上は伸びていたが、平日のディナーの波は大概21時になる前に引いていた。

欠かさない晩酌。思い起こせば大学入学と同時に始めたので、この時点で既に10年以上は続いている。好きな肴を並べてはちびちびとやり、ほろ酔い加減を楽しむのだ。
きちっとした夕飯を取ることもあるが、殆どはこの晩酌で済ましてしまう。職場はイトーヨーカ堂の中だし、住まいの近くにも惣菜を売っている店やケンタッキーフライドチキンもあるので、酒の肴には困らない。
仕事帰りに買った少年マガジン。ゆっくりとページを捲りながらバーボンウィスキーをちびりちびり、そして肴を口へと運ぶ。これぞ至福のひととき。いつも発売されると同時に購入する“週間少年マガジン”には、「バリバリ伝説」と「あいつとララバイ」が連載されていて、私もそうだが、大概のバイク好きは発売日が待ち遠しくて、悶々とした1週間を過ごしている筈だ。

氷を足そうと冷蔵庫のドアを開くと、電話が鳴った。電話機は冷蔵庫の上に置いてあるので、すぐに受話器をとった。

「はい、木代です」
「お休みのところすみません、吉倉です」

彼の慌てる口調に嫌な予感が、、、

「おっ、ご苦労さん。どうした、こんな時間に」

腕時計に目をやれば、23時10分を回ったところだった。

「若村さんが事故りました」
「なに?! 事故ぉ??」

いったいどうしたんだ。

「駐車場から出るときに、横から来た車とぶつかったみたいです」

麻美は普段の足として、ホンダのスクーター“リード50”に乗っている。

「怪我は?!」
「それほどでもないようですが」
「わかった今すぐ行く!」

なんてこった、大事に至らなければいいが。
上着を羽織ると、店まで猛ダッシュ。酔はとっくに消えていた。

若い頃・デニーズ時代 65

外食産業は相変わらずの伸びを続け、我がデニーズも好調な出店ペースを維持していた。但、幸か不幸か、東海地区には新たな出店情報は入らず、温暖な地域と共にまったりとした日々が流れていた。因みに同地区は、東から沼津店、沼津インター店、清水インター店、静岡長沼店、そして西端の豊橋店の5店舗で、エリアは極端に東西に細長いのが特徴だ。よって月例のUM会議は、エリアのちょうど真ん中に位置する静岡長沼店で行うのが常になっていた。

「今回は結構なビッグニュースだよ」
「まさか新店ですか?」
「違う違う。この夏で200店舗達成だと」
「全社では順調だけど、東海は蚊帳の外みたいですね」

― あははははは

「もう一つ更にでっかいのがあってさ、何と米国のデニーズから商標権を買い取ったらしいよ」
「へ~、凄いというか、それ、どういうことです?」
「むこうはこっちと違って経営がイマイチらしくて、何とヨーカ堂に金の無心をしてきたんだ」
「本場は駄目なんだ~」
「らしいね。それで金を貸してやる代わりに商標権をいただいたってことなんだ」
「さすがIYグループ!業績いいからな」

詳しい数値は分からないが、本国へのロイヤリティーは結構な額だったらしい。それを無くしたわけだから、その分はすべて利益ってことになる。お偉方は笑いが止まらないだろう。これで財務状態は強化され、出店ペースに拍車が掛かることは間違いない。飛ぶ鳥を落とすってのはこんな感じか。

「それより、今日はどうします? 囲みます?」
「もちろんでしょう、それは」

デニーズのDMってのは麻雀好きが多い。当時のサラリーマンの必須項目と言えばそれまでだが、これまで進んで麻雀をやろうとしなかったDMは荻下さんと土田さんくらいだ。
東海の坂下DMは、あの海田DMに負けずとも劣らない麻雀好きである。

「じゃ、先行ってますよ」

静岡長沼店から車でちょっと行ったところにある古びた雀荘。歳の行った親父さん一人で切り盛りする何ともレトロな店なのだ。客が多い時でも埋まるのは精々三卓なので、いつも落ち着いた雰囲気でやれるところがいい。
今は時効ということでご勘弁いただきたいが、全員脚は車なのに、卓を囲むと先ずはビールと寿司を注文。飲みながら、つまみながらの、半チャン4~5回ってところがいつものパターン。
東海地区はDMも含めてメンバー同士の仲がいいから、ポン、チーやりながらも日頃を題材とした会話に花が咲く。これが結構なストレス解消になっていた。

「昔からいるKHのおばちゃんが突然辞めちゃってさ、もう大変だよ」
「そのおばちゃんって、蕪木さん?」
「そうそう」
「あの人長かったもんね」
「ムードメーカーだったから尚更きついよ」
「うちも去年は大変だった~」
「知ってるよ、遅番のミスター3人がまとめて卒業だったよな」
「いくら募集打っても、全然後釜が入ってこないんだもん。1カ月半だったかな、社員二人で〆やったよ」
「おっと!それポンね」
「待ってました。その捨て牌、ロ~~ン!!」

同じ立場同士だから、悩みも喜びも自分のことのように分かる。

「そう言えばDM、高幡の件はどうなりました」
「うん。ちゃんと話そうと思ってんだけど、決まりだな」
「そうですか、、、」

高幡とは沼津インター店のUMである。
麻雀はそれほど好きではないようで、殆どの場合、会議が終わると直帰する。厳つい顔に似合わぬ物腰の柔らかい男で、そつなく仕事をまとめられる優秀なUMだ。そんな彼のポテンシャルが買われたのか、地元のローカルレストランチェーンからマンハントが入ったという噂が流れていたが、どうやらそれは噂ではなく本当の事だったようだ。
彼はまだ30代中盤だったが、持ち家があるから、デニーズの転勤の多いところに不満を感じていたのかもしれない。
尤も、持ち家がなくても転勤が頻発すれば、大きなストレスになることは間違いない。

「いつまでです」
「まあ、一ヶ月後かな」
「後任は」
「リージョン越えで揉んでいるらしい。それはそうと、木代、いい話が入ってるよ」
「何ですか?」
「前年対比トップ店として、今度の全店会議で表彰されるってさ」
「おぉぉぉ!!やったね、おめでとう」
「本当っすか」
「ああ。正式な通達が近々来るんじゃないかな」

リニューアル効果が出ていることは確かだった。沼津への異動を聞かされた時には、ついに年商最下位レベル行きかと多少がっかりもしたが、リニューアルオープン後はスタッフ全員の奮闘に助けられ、みるみる売り上げが伸びてきた。業績が上がれば自然と店に活気が生まれ、黙っていてもいい方向へと転がっていくものだ。

「マネージャー、この頃パンの発注量が大分増えましたね」
「半年前の倍だよ」
「やっぱり」

KHの佐二は二十歳になったばかりの好青年だが、何故か決まった職には付かず、デニーズ沼津店で2年近くもアルバイトとして働いている。よって仕事は慣れたもの。平日の早番業務だったら、もうひとりの早番KH山岸と二人で完璧にこなしてしまうし、たまたまランチピークでチェックが溜まったときなどは、ちょっと応援に入ればすぐに元のペースを取り戻せる力がある。

「モーニングのお客さんも増えたけど、それよりサンドイッチがよく出るようになったよね」
「ですね」
「それより佐二くん、今日は何時まで?」
「5時までですけど」
「それじゃあさ、4時から1時間、ドライストレッジの棚卸しを手伝ってくれよ」
「了解。早めに〆を終わらせます」

頑張ってくれるスタッフがいてこそ躍進があるのだ。

若い頃・デニーズ時代 64

朝7時。イシバシプラザ駐車場入り口に待ち合わせた3人は、早朝の空気を楽しんでいるようだった。

「おはようございます!」
「けっこう寒いっすね」
「エンジンの掛かりが悪かったもんな~」

吐く息が白い。温暖な沼津でも、3月半ばの早朝はまだまだ冷える。
しかし陽が昇って来れば、やはり伊豆は暖かい。

「今日は予定通り西から下田ですか」
「行けますって、行っちゃいましょう」
「OK!」

因みに、延々と西海岸沿いを下田まで走り抜くと、距離は130kmにも及び、ツーリングペースで走ればノンストップで3時間以上はゆうにかかるハードディスタンス。良し悪しは別として、これなら丸一日たっぷりとライディングに浸れそうだ。
顔を見回せば皆走りたくてうずうずしているのが良く分かる。
スタート後は御成橋からR414に入り、口野橋を渡ったらすぐに右折。ここから下田までは延々と道なりだ。
それにしても、2サイクルツイン、4サイクルマルチ、4サイクルシングルと、各車のエンジン音が全く異なるので、走り出すとそのアンサンブルが堪らなく楽しい。
シーパラダイスを過ぎ、富士見トンネルを通過すると、徐々にスロットルは開いていった。

このコースは、夏場さえ除けば非常に交通量が少なく、スポーツライディングを楽しむにはもってこい。ガソリンスタンドも内浦、戸田、土肥、松崎と、要所々々にあるから万全だ。海の幸を食わせる食事処などはそれこそいくらでもある。
天気にも恵まれ、3人は快調に飛ばした。先頭は佐藤さん、次が高橋君でケツ持ちは私だ。最初は先頭をやってくれと言われたが、何しろRZ250は2サイクル。オイル混じりの煙を吐きながら走るので、後ろの面々はそれをもろに被ることになる。大瀬崎まではやや道が荒れていて慎重な運転が続いたが、その先からは幅員が広がり路面も新しくなるので軽快感がまるで違う。
案の定、前の二人のペースが上がってきた。回り込むきついカーブとアップダウンがライディングの楽しさを倍増し、自然とスロットルが開いてしまうのだ。RZはややブレーキが甘いのが欠点。しかし加速は流石に2サイクル。カーブの立ち上がりではいとも簡単に高橋君のケツに接近できる。
それにしても、流石ナナハン乗りの佐藤さんはスムースだ。全くペースが乱れないし、フォームもリーンウィズかきれいに決まっている。
痛快なエキゾーストノートを響かせながら、あっという間に土肥に到着。
バイクを国道沿いの市営無料駐車場に入れ、ここで一回目の休憩を取った。

「今日は最高だね」
「貸切ですよ、道」
「ほんとほんと」

駐車場の目の前は海水浴場になっていて、ロケーションは言うことなし。
ベンチに腰掛け、海風を頬に感じながらの一服はなんとも贅沢。気温もだいぶ上がってきたようで、佇んでいても寒さはそれほど気にならない。
この時期になると、西海岸の山々には早咲きの山桜が開花し始め、緑の斜面の所々に白いアクセントをつける。
眺めるだけで春を連想し、気分は浮かれてくる。年間で最もバイクツーリングに適したシーズンの到来だ。
土肥からも道なりで南下していくが、松崎の町はずれから今度は海岸沿いでなく山間へとルートチェンジ。この先に待つ蛇石峠はタイトターンが連続し、夏場ならひと汗かくほどの頻繁な体重移動が必要になってくる。このような道でスポーツするなら、大型なナナハンより高橋君や私のような小型軽量なバイクの方が断然面白い。
上賀茂、大賀茂を経て無事に下田の市街へ入ると、ちょうど昼前だったので、ロードサイドにあったラーメン店で昼食とした。ヘルメットを脱ぐとさすがに皆疲れが顔に出ている。

「疲れた~~」
「そりゃそうだ、ここ、下田だよ」
「ガッツリ食いましょうや」

伊豆はバイクツーリングのメッカ。ところが今日はここまで来るのに我々以外にバイクは一台も見かけていない。
やや季節が早いこともあるが、やはり平日のメリットは大きい。

どんな仕事であろうと苦労や悩みは多々あるものだ。
入社以来、出世だ、トップだと馬車馬の如く突き進んできたが、ある程度仕事の要領が分かってくると当然余裕が生まれ、それに導かれるように雑念が湧き出す。簡単に言えば、冷静に自分の立場や今後を考えるようになってくるのだ。
日常茶飯事の残業、通し勤務、そしてバイトの充足率に連動する休日取得率等々、これほど真っ黒な問題だらけなのに、これまで何の疑いもなく当たり前の事象として捉えてきた。ところが、ある日を境に突如猜疑の対象として浮かび上がる。
体が潰れ、次に精神が病み、最後は苦しさや不満からの逃避。これは多くのブラック企業に見られる“負の連鎖”。
会社と労組が最大限の努力を続けなければ、この深刻な問題の抜本的解決には至らないが、それはひとまず脇に置いても、先ずは自分自身の心身維持を図る必要があると思う。
私にとってバイクという趣味を得られたことは、大袈裟な表現でなく、救いだったと確信している。
仕事の問題は仕事上でしか解決できないし、その行為は責務でもある。しかし、伴う精神疲労は何かしらのケアをしない限り蓄積する一方だ。放っておけば十中八九潰れることになる。要はストレス解消が必要なのだ。
伊豆の山々をリズムに乗って疾走している時は、日常の全てを忘れるだけではなく、快感の坩堝に浸れ、更に自在に走るにはどうしたらいいかと真剣な試行錯誤が始まる。このプロセスこそがアドレナリンの源であり、結果として際限のない活力が生まれてくるのだ。
“生き返る”という表現が最も相応しいだろう。
過酷な労働環境で心身共々クタクタになっていても、バイクに乗って伊豆を駆け巡れば、何とも言い難いエネルギーをチャージでき、まるでRPGの主人公のように蘇るのである。
現在のデニーズの労働環境は素晴らしいだろうが、それにしたって仕事をすれば大なり小なりストレスは溜まるもの。何でもいいからプライベートに打ち込める楽しみを持ち、幾度となく生き返って欲しいと願っている。

― いらっしゃいませ、デニーズへようこそ♪

若い頃・デニーズ時代 63

リニューアル前の沼津店には立ち寄ったことがないので比較はできないが、施工完了後の店内は、どことなく高田馬場店やサンシャシンシティーの池袋店に似通った印象を受け、独立店舗の陽光がたっぷりと注ぎこまれた明るくライトなイメージとは異なるシックでお洒落な佇まいとなっていた。
但しキッチンはオープンタイプなので、ピークともなれば活気が店内中に溢れるだろう。
ところでこの沼津店のキッチン、初めて足を踏み入れた時、これまでの店では見たことのない珍しい備品に目が行った。

「あれ、これ中華鍋だよね」

するとLC大岩が説明してくれた。

「ローカルメニューですよ。野菜炒めを作るんです」
「へー、そうなんだ」
「手前のガス台がハイカロリーになってます」

点火すると頷けた。すごい火力で、まんま中華料理店である。
そういえば、全店店長会議の際、確かに地方戦略の説明の中にローカルメニューはあった。しかし中華鍋であおるとなると、クックの力量差が出てしまい、間違いなく料理にムラが出てしまうと思う。

さて、今回の異動では前UMが退職、そして前UMITが他店へ異動という波乱の展開。よって新体制は真っ新なマネージャー陣でのスタートとなった。
新しい相棒には同店でクックをやっていた森嶋がUMITへ昇格、そのまま同店に着任した。新任マネージャーと二人で新しい店の運営になるので、多少の不安は感じていたが、そんな憂慮はすぐに吹き飛んだ。
新任の森嶋UMITは頑張り屋で、仕事の覚えも早く、また、スタッフ達からのうけも良かった。最低ラインのコストコントロールはほぼ2週間で要点を把握し、MDの教育要領も一通り理解実行できるようになった。そして何よりの長所は持って生まれた明るさであり、何でも楽しくやらなきゃという、プラス思考の塊のような男なのだ。
そんな彼のおかげか、リニューアル後の運営は頗る順調。嬉しいことに数字も当初の目標を上回る勢いで伸び続けた。

「夜をもう少し固めたいですね」
「ランチはいいスタッフが揃っているのにね」

リニューアル計画にはアルバイト募集の予算も組み込まれ、幾つかの媒体に求人広告を出していたが、反応はいまひとつ鈍かった。
モーニング~ランチはアルバイト歴1年を超える主婦MDの高峰と芹田、そしてKHの山岸が頼れる戦力として日々頑張ってくれていたので心配はなかったが、一方、ディナーではMDの絶対数が不足していて、もっぱら短時間勤務のみの高校生、大学生をその場その場でやり繰りしているのが現状だった。それでも高校生MDの関島と女子大生MDの石川がコンスタントに週3日前後は出てくれているのでギリギリ形にはなっていたが、学校の試験期間に突入すればマンニングテーブルは穴だらけとなり、マネージャーが駆けずり回る羽目になるとのこと。
売上増がこのまま順調に推移するなら、当然人員配置は厳しさを増すだろうし、下手をするとサービス低下が起きる危険性だってある。せっかく出ているリニューアル効果は絶対に落とすことはできない。

たまの休日が晴ともなれば、待ってましたとばかりに早朝からRZ250のメンテと磨きが始まる。
タイヤの空気圧チェックとチェーンの清掃は毎度のこと、月に一度はプラグのチェックやケーブル類への給油も行う。安全且つ気持ちよく走り回るには欠かせない作業だ。
完了後はDAINESEのレーシングスーツを身に纏い、いざ出発である。
季節が良ければ、R1を三島から駆け上がり、箱根峠から県道20号に入って伊豆スカイラインをピストンするのだが、今はまだ達磨山周辺に積雪が残る時期なので、楽しみは後にとっておき、西伊豆の海岸線をひたすら走るのだ。低中速のカーブがこれでもかと連続するこのルートは、体慣らしにはちょうどいい。右へ左へと体重移動を繰り返していくと、冬場でも汗ばんでくる。
ルートにある内浦湾から駿河湾越しにそびえ立つ富士山は、何度見ても日本一!
これだけでここへ来る価値はある。

「マネージャー、さっきアルバイト応募の電話がありまして、午後に女子大生2名が来店します」
「了解、やっと広告が効いてきたかな」

更にこの後にも高校3年生のMD希望者から電話があり、俄かに活気付いてきた。

女子大生二人の就労条件は上々であった。二人とも週3日は出勤可で週末もOK。女子高生は試験期間以外だったら毎週週末可ということで、彼女達が戦力化してくれれば、平日、週末、シフトと、どこを取っても人員配置は完璧に近いものになる。

「なんか最近、店に活気があるね」
「ほんとほんと」
「若い子がいっぱい入ってきたからよ」
「みんな明るくていい子ばっかりだし」

ランチピークが終わり、締め作業にかかっている主婦MDの高峰さんと芹田さんが、感心したように話していた。
ベテラン従業員が肌で感じるこの変化はもちろん私も頷けるところ。
女子大生コンビのひとり、若村麻美は機転が利いて動きも素早く、通い始めてひと月も経つ頃にはベテランMDと同等の仕事をこなすようになり、もはや完全な戦力として誰もが認めていた。相棒の松本恵はややおっとりしていてポカミスもあるが、笑顔の絶えない天然の明るさは貴重なムードメーカー。そんな彼女は週末のピーク時間帯に屡々DLをやらせた。
高校生の福田香織は「かおりちゃん」と呼ばれて皆から可愛がられていた。ちょっと生意気だけど、仕事ぶりはまじめだし、責任感もある。気が合うのか、若村麻美には良く懐いているようだ。

「若村さん、クリーマ作っといてくれる」
「はい、一本でいいですか」
「うん、そうだね」

そう、新人の3名は誰もが高峰さん、山岸さんに良く懐き、ランチとディナーを繋ぐ良きパイプの役割を果たしていた。

それにしてもこの和気あいあいとした雰囲気は、やはり“人”だろう。沼津の気候風土が生み出す穏やかで明るい人柄は、屈託のない笑顔とわだかまりのない従業員関係をつくりだすのだ。
子供の頃に東京から沼津の小学校へ転校してきた時も、同じような感覚に包まれ、心が和んだことを思い出す。
若しかすると沼津は自分に合っている土地柄なのかもしれない。

赴任して二カ月ほど経ったころ、イシバシプラザのテナント交流会が催された。ショッピングモールは巨大であり、テナント数は優に50を超えていたので、立食会は賑やかなものだった。
この集まりがきっかけとなって、名古屋に本店のあるチョダ靴店の店長・佐藤さんと親しくなった。もともとランチではよく利用してもらっていたので、顔はよく覚えていた。日頃のお礼を兼ねて話し掛けると、何と通勤にも利用しているほどバイクが好きで、しかも愛車はホンダ・CB750Fと、ホンダのフラッグシップたる名車なのだ。

「よかったら今度ツーリングに行きませんか」

何気に誘ってみたら、

「いいですね、ぜひぜひ。うちのアルバイトにCBX250Sに乗っている大学生がいるんで、彼もつれていきますよ」
「そりゃ最高です」

同好の士はこのような感じでとんとん拍子に話が進む。
バイトの大学生は高橋君と言って、相当なライテクの持ち主らしい。佐藤さんが本腰を入れて飛ばしても、250ccの愛車CBXーSで楽々とついてくるそうだ。但しこの春に大学を卒業し、東京の会社へ就職するとのこと、そう、この三人で行くツーリングは最初で最後の企画なのだ。
桜の季節が到来し、空気感は一気に春めいてきた。

若い頃・デニーズ時代 62

東京プリンスホテルの駐車場に停めたトヨタ・セリカXXのトランクには、折り畳んだ電気炬燵、布団一式、着替え等々、後方が全く見えないほど、ぎっしりと引っ越し荷物が積み込まれていた。セリカXXは後部座席を目一杯倒すと、トランクと繋がってフラットな積載スペースができあがる。身長180cmの私でも斜めになれば、問題なく横になることができ、季節が良ければ車中泊も楽々こなす。よってスポーティーなクーペながらトランク容量はセダンの比ではない。
学生時代から大切に乗り続けてきた初のマイカー“トヨタ・セリカ1600GTV”。走行距離も148,000kmに達し、さすがに老朽化は否めなく、しかも初期タイプ故に、燃料には有鉛ガソリンを使わなければならず、当時は排気ガス規制のあおりを受けて、有鉛ガソリンを取り扱うスタンドが急激に減っていく傾向にあった。特に地方へドライブへ行くとなると結構気を遣う。
そんなある日、弟が家に戻ってくると、開口一番、

「ついに出たぜ、XX。渋谷のトヨタに展示されてたよ」

國學院大學に通っているので、通学の途中で目に入ったのだろう。
現行のXXは非常にやぼったいデザインで、いくらセリカという名前がついていても全く興味が湧かなかったが、つい最近トヨタから発表されたNewセリカXXは、まるで英国のロータスエスプリを彷彿させるウエッジシェイプデザインで、久々にかっこいいな!と思える車だった。最上位の2800cc(5M-GEU)は確かに魅力的な内容だったが、購入となると予算的にやや厳しく、それに今更高性能を生かして峠を激走なんてことはしないわけなので、2000cc6気筒の1Gエンジン搭載車あたりでも十分満足できるのではと、何気に現実的な購入計画を考え始めたのである。
それから間もなくしてM型エンジンにターボ(M-TEU) を装着したモデルが追加となり、しかもボディーカラーにスーパーホワイトがあることを知ると、いてもたってもいられなくなって、直近の休みに北烏山のカローラ店へ話を聞きに行った。覚悟はしていたが、NewセリカXXの魅力は圧倒的で、気が付けば契約書にサイン。一ヶ月後の納車を待つばかりとなった。

たった三曲と言っても、三日間のステージが終わるとさすがにどっと疲れが出た。これからすぐに沼津へ行くのはややしんどかったが、音楽まみれになった数週間が良い意味での切り替えになり、真っ新な気持ちで赴任できそうだ。
アパートや駐車場の手配はちょうど一週間前に現地へ飛んで、その日の内にすべて済ましてきたので、この後無事に到着し、車に積み込んだ荷物を部屋に降ろせば一応生活はスタートできる筈。
缶コーヒーを飲み、煙草を立て続けに二本吸うと、気持ちが落ち着き、目は既に遠州灘の大海原へと向けられていることを実感。赤羽橋から首都高、そして東名高速と、セリカXXは期待をのせて走り続けた。

アパートの契約は、大家さんのご厚意で、前任の向井UMが住んでいたところをそのまま継続という形にしていただけた。よって礼金や敷金は無し、感謝である。駐車場はアパートから少々離れていたが、月極4,000円と格安。そう、アパートの家賃も東京では考えられないリーズナブルなもので、基本家賃29,000円に共益費が3,000円で、合計月32,000円。間取りは6畳+4.5畳、それにキッチンと風呂が付いている。築は古いが男子独り身には必要十分な空間であり、人生初となる一人住まいにワクワク感が止まらない。
炬燵をセットし、衣服を片付け、最低限の食器を並べればひとまず完了。電気ストーブをつけて一服付けると、腹が減っていることに気が付き、それではと、飲食店探しも兼ねて近所をぶらつくことにした。
アパートはリコー通りにあるケンタッキーフライドチキンの裏手で、辺りは何の変哲もない住宅街。そんな中に、薄暗くて営業しているのか?と一瞬疑ってしまうようなラーメン屋を見つけた。
恐る恐る引き戸を開けると、カウンターのみの小さな店には歳のいったご主人が一人奮闘していた。
年配夫婦が先客として一番端に陣取っている。

「いらっしゃい」

古びた店内には、何年前に掲示したのか、油が染みついて茶色くなった品書きや、古いコカコーラのポスターやらが、長い時の流れを思わせる。

「じゃ、ラーメンください。それとお酒も」
「お燗にしますか」
「そのままでいいです」

酒のあてにと、チャーシューの端っぱと搾菜が出された。ちょいとつまんだらこれがGoo。ご主人、料理の腕前は確かかもしれない。
しかし、知っている土地とは言え、こうしてひとり沼津へ出てきて場末のラーメン屋で酒を舐めるという絵は、やや寂しさを覚える。まあ、それと引き換えに自由は得られたので、どっぷりと恩恵に浸るつもりだ。

「おまたせしました」

豪快に湯気を放つラーメンがカウンターの上に置かれた。そっとどんぶりを持って目の前に置き換えると、醤油のいい香りが鼻腔を刺激した。

沼津市内にデニーズは2店ある。東名高速沼津ICを降りてすぐ真ん前に見えるのが沼津インター店。そしてもう一つがJR沼津駅北口のリコー通りに面するイトーヨーカ堂沼津店にインストアする沼津店だ。この沼津店が私の赴任先であり、インストアでの勤務は初の経験だ。アパートから徒歩で7~8分と利便性はいい。
ヨーカ堂のストアマネージャー並びにオペレーションマネージャーへの挨拶はUM引継ぎの際に済ましていたが、その時、地下食料品売り場のフロアマネージャーを紹介され、初対面だというのにその彼が仏頂面でおまけに結構きつい調子で注意項目を指摘してきた。
内容はこうだ。
デニーズのファウンテンエリアには必ずアイスクリームなどを入れておく専用フリーザーが設置してある。一般的なフリーザーと環境的に違うところは、ファウンテンを作るたびにスライドドアの開け閉めをする点で、週末のピーク時ともなれば、それこそ開けっ放しに近い。
よって霜が付きやすく、汚れやすいので、最低でも週に一度は清掃を行わなければならない。電源を切って中身を大型フリーザーに移したら、ホースで水をじゃぶじゃぶかけて霜を除去し、最後に汚れと水気をきれいに拭き取る。
ところがだ、フリーザーのドレンから下水溝へ繋がるパイプの一部に亀裂若しくはズレがあるようで、そこから水が漏れてしまうらしい。
デニーズのフロアは1階。悪いことに漏れた水は、その真下にある地下1階のヨーカ堂食料品売り場の天井へ盛大に流れ込み、青果売り場へポタポタと滴るとのこと。単純に修理すればとも思ったが、それには大規模に床を斫らなければならず、ずっと後回しにされているそうだ。実はヨーカ堂自体も独立店舗ではなく、石橋プラザという大型商業施設の一部に間借りしているので、施設の修理は段階的に稟議を踏む必要があり、厄介とのこと。
話しを戻すと、要は清掃時に流すほどの水を使わないようにしてくれということだが、厄介なことに、単にフリーザーの霜取りを行おうと、弊店時に電源を切って帰社すると、
翌朝、、、

「おい!なにやってんだ! 天井が沁みだらけじゃないか!!」

と、なるらしい。
それも極めつけの鬼の形相だったようで、向井UMもこの点だけは注意するようにと、再三念を押された。
独立店舗にはない難点がこの他にもあるのだろうが、これだけはやってみなければ分からない。