「デニーズ時代」カテゴリーアーカイブ

若い頃・デニーズ時代 86

「菅村です。これからよろしくお願いします」

身長は170cm以上ありそうだ。体格も均整がとれていて、一見さっそうとした印象を受けるが、よく観察すると、地黒のうえに顔が怖い。額が妙に狭く、深いしわが何本も横へと伸び、おまけに鼻はつぶれ気味なので、よくあるボクサー面だ。しきりに笑顔を出そうとしているが、目は笑ってない。
恐らくこのタイプ、性格的に合いそうもないし、なんとなく嫌な予感もしてくる。

「みんなで成果上げて、本部をあっと言わしてやろうよ」

先ほどからしきりに士気高揚すべくアプローチをかけてくるのだが、空回り感は否めない。見回せばUM達の表情は固いままだ。空気の読めないやつは、本当に弱ったものだ。

「おいおい、元気ないな~、大丈夫かよ」

このあと菅村DMの簡単なプロフィール紹介と、関西地区全体の現況数値の説明があり、続いてUM達からは簡単な自己紹介と自店の現況報告が行われた。

「そうか、パンの発注ね」

たまたま二人のUMより、パンの鮮度に関しての話が出たのだ。パンは食材の中でもダントツに鮮度管理が難しく、発注過多ならコストが上がるし、コストを考えれば、新鮮さに欠ける品が提供される。もちろん発注が足りなければ、ご法度である品切れが発生してしまう。

「新田のところはパンの発注、どうやってる」

池田店のUMだ。

「パーストックですかね。ホワイトはまあまあの回転ですが、ディナーロールとライブレッドが難しいかな」
「近藤のとこは」

次は田島店UM。

「うちもパーストックですが、ホワイトも上下幅が大きいですかね。さき入さき出に反しますけど、野菜サンドには新しいもの、ホットサンドにはやや時間が経ったものを使って調整してます」

我中前田店もほぼ同じである。平日、土曜、日曜祝祭日それぞれのパーストックが決められており、在庫と照らし合わして適量を発注するのだ。

「月並みだな。もう一歩進めてみようよ」
「だったら一度、現況を数値化して、対策案のヒントにするってのはどうでしょう。曜日別でパンの実使用料をカウントしてみるとか」

いきなり谷田さんから意見が出た。しかし自店の正確な数値を把握することは、いずれにしても無駄にはならない。
MDが上がる際に行う伝票のカウント。この時にパンの使用量を別表に記入してもらえば造作もないことだ。

「実使用量から個別のパンの生産性を算出すれば、売上予測をベースに発注量を決められるんじゃないですか」

さすがエリアの知恵者。谷田さんの意見は的を得ている。

「谷田、いいこというね~」

菅村DMの細い目が一瞬パッと開き、光った。

「それやろうよ。大阪西の柱でいこう。バッチリ成果出してさ、本部長から評価もらおうぜ!」

突発的な成り行きでパンの発注改革が始まったが、会議後、谷田UMはバツの悪そうに、「ついついノリで言っちゃってすみません」を皆に連発していた。自分のせいで、各店に仕事が増えたことへの陳謝だろう。
それにしても菅村DM、実に分かりやすい男だ。“本部長から評価もらおうぜ!”は、まさに己の為。見え見えである。
それはさておき、手始めとして各店2週間、正確なパンの実使用量をカウントして、毎日DMへ報告を上げることになった。

さて、前述の“パンの生産性”について少々ご説明しよう。
これはいたって単純なもので、その算出法は以下となる。
【一日の売り上げ:30万円、実際に使ったバンズの数:8個】だったとすると、
30万円÷8個=バンズ1個当たりの生産性:37,500円となり、
明日の売り上げ予測が50万円だったとしたら、50万円÷37,500円=バンズの必要数:14個
本日夕方のバンズの在庫が3個なら、あと11個必要となり、バンズは1パック6個入りなので、発注量は2パックとなる。
生産性の値は平日と祝祭日、そして各店舗によって異なってくるので、カウントは正確性を要する。
そして最も大切なのは売上予測だ。予測の差異が大きければ、今回の発注計画はうまくいくはずもない。
中前田店は安定した売り上げがあったので、比較的予測はやり易かったが、やはり天候には少なからず影響をうけるので、天気予報には留意しなければならない。

今回のパン発注法は極めてベーシックであり、そもそもパーストック量はこの生産性に基づき設定される。
それをわざわざ毎日売上予測のうえ発注量を決めると、その都度DMへ報告をしなければならず、はっきりいって面倒極まりない。もっとも祝祭日の発注に関してはメリットありと思っているが、反面平日の売り上げに大きな凹凸はないので、誰が考えたってパーストックの方が絶対に利口なやり方であることは明白だ。そのせいかエリアの士気は全く上がらなかった。
この発注法を必要以上にアレンジ誇張させ、「私達は画期的なことをやってますよ!」と、その意気込みを本部に伝え己の評価を得るという、組織人の嫌らしさだけが見えてならないのだ。

「新発注法から2週間がたったけど、どうよ、各店」

鋭い眼光がUMの面々を舐め回した。
しかし各店共々それほど評価できる結果は出ていなかったのだ。

「木代んとこはどんな感じ」

きたか。

「新発注法に代えてパンの鮮度が上がったとはまだ言い難いです」
「なんで」
「売上予測が難しいですね」

急にDMの表情が険しくなった。

「谷田はどう」
「同じですかね。今のところ大きな改善はありません」
「そうか……」

更に表情が険しくなり、爆発しそうにも感じてきた。

「お前たちさ、まさか俺に黙ってパンの貸し借りや、他から調達なんてしてないよな」

みんなうつむき加減だ。

「おかしいじゃねえか。おいっ、川野辺。お前んとこのホワイトの発注量と在庫カウント、どうみたって辻褄が合わないよ。俺には分かるけど、2回や3回の品切れは起こしてるはずだ」
「そんなことないですよ」
「なにいってんだ、品切れ報告したら俺に怒鳴られるって思ってんだろ。今の段階はさ、そんなケチなこと考えないで、まずはシステムを完成させることが先決だろうに。これがうまくいくようになれば、次は野菜やデイリー物へ広げられるだろ、そうなりゃ営業本部長賞もんよ!」

最後の“本部長賞もん”。いわなきゃよかった。
再三の話だが、ふたこと目には必ず“評価”が入る彼の言い方は、血気盛んな新入社員相手なら頷けても、我々ベテランUM達を手懐けようとするならば、あまりにも薄っぺらいのだ。

若い頃・デニーズ時代 85

赤ん坊ってのはドラマ作りの王様である。
夜泣きだ、ゲボだ、ミルクだ、おむつだと、我々夫婦に次から次へと初めての経験をぶつけてくる。慣れるまでのドタバタ騒ぎは正直なところ半端でない。8月に入ったある日、公園デビューも済ませ、やっと軌道らしきものが見え始めた頃、またしても新しいドラマを作ってくれたのである。

「ただいま」
「おかえり」

帰宅すると必ずベビーベッドへ行って絢子の様子を見るのが“お決まり”である。
今日も愛くるしい表情を見せてくれ、こっちもつられて目尻が下がる。
そして、そっと頭を撫でるのだ。

―あれ? ちょっと熱くないか……

「麻美。なんか絢子、熱っぽいぜ」
「ちょっとまって」

台所での手を休めて寝室に来た麻美は、すぐに絢子を抱き上げた。

「えーーなにこれ、かなり熱あるよ。どうしたんだろ」

おかげさんで病気らしきものはここまで一切なしだったから、初のアクシデントは我々夫婦を必要以上に慌てさせた。

「救急はたしか西宮病院だよな」
「たしかそう」

シフトは早番だったが、夏場に入ってからはディナーの客入りが上々で、日曜ということもあり、店を上がったのは21時を過ぎていた。近所の小児科は既にしまっている。

「行こう!」

さっき降りたばかりのセリカXXに、今度は家族3人で乗り込み、やや荒々しく発進させた。

「もっとおとなしく運転してよぉ!」
「わかったって」

不安に駆られる麻美は、かなり気が立ってるようだ。しかしそれはこっちも同じ。
西宮病院までは普通に走っても20分。慌てることはない。
無事病院に到着すると、急ぎ足で受付へ向かった。交代して絢子を抱く。やはりまだ熱い。
人気もなくやや薄暗い院内。数分もしないうちに40がらみのむっつりした医者が正面の通路から現れた。
すぐに処置室へ案内され、触診、そして聴診器を当てる。

「心配いりません。まちがいなく赤ちゃんが最初にかかる病気、突発性発疹です」

ものの30秒。実にあっけない。

「あ~、よかった」
「すごく元気そうだし、オッパイも飲むんでしょ」
「はい」
「それなら薬もいりません。そのうち全身に発疹ができますが、それが消えるころには熱も下がります」

まるで狐につままれたような展開である。
双方の親でも近所に住んでいれば、何かしらの助言をもらえたのかもしれないが、とにかく大事にならず良かった。

「なんか気が抜けちゃった」
「はは、ほんと」

夏を迎えてから売り上げは上昇の一途だった。
相変わらず平日ランチのMDは不足していたが、夏休みに入ってからは高校生や大学生が入れるので、ほぼ一日を通してマンニングテーブルに穴はなかった。更には新規採用も順調で、ひと月ほど前に採用した女子高生DLの楠田恵理子と、平日ランチのKHである加藤愛子の二人は、ずばり言ってめっけもの的人材だった。
まず、楠田恵理子は、愛くるしい笑顔がチャームポイントで、仕事の覚えは抜群に良い。彼女がいるだけでフロントに明るさが増し、ウェイティング時のぎすぎす感も和らいだ。しかも他のMDとの連携もしっかりできているので、新人ながらピーク時間帯の司令塔たる仕事ぶりを発揮していた。それと面白い点として、仕事中は完璧な標準語でコミュニケーションをとることだ。
聞けば関東圏に住んだことはなく、両親も関西人なのに、何故かイントネーションも完璧である。
現在高校3年生だが、女子大の付属高校へ通っているので受験はなく、そのまま上へ進学できるので、小遣い稼ぎのためにも、一応ぎりぎり卒業まで働いてくれるとのことだ。
そして加藤愛子。KHにしておくのが惜しいほどの美人である。美人にもいろいろタイプがあるが、ずばり彼女はクラブのチーママタイプ。背が高くスタイルも良く、第一印象は色香である。MDのユニフォームも似合うだろうが、それよりも間違いなく着物がベストマッチだろう。

「加藤さん、なんとかMDできないかな」
「あかんあかん」
「どうして」
「近所の知ってる人来るから、いややもん」

これの一点張りだ。しかし、KHとしても期待以上の仕事をしてくれるで、無理強いはしないようにしている。

「マネージャー、お電話です」
「どちらさん?」
「神戸の谷田さんです」

谷田さんとは珍しい。神戸住吉は発注管理が非常にうまく回っている店なので、物の貸し借りが殆ど発生しない。
他店UMからの電話は、その殆どが物の貸し借り関連である。

「おはようございます。谷田さんから電話とは珍しいですね」
「いやいや、それより今、大丈夫ですか」
「ぜんぜん」
「先日の会議で、DMが代わるって話があったじゃないですか」
「春本さんは確か新しいエリアへ行くとか言ってましたね」
「そうなんですけど、今度来るDMが相当やばい人らしいですよ」
「やばいというと?」

谷田UMの話によると、春本DMの後釜に入る菅村DMという人物、物凄く強権的な運営をすることで有名らしく、これまでのエリアで幾度も問題を起こしているようなのだ。谷田UMは関西きっての情報通であり非常に顔が広いので、あながち間違いはないと思われた。

「上には平身低頭と媚びへつらい、UM達には個性を封印させ、絶対服従を迫るそうです」
「なんだそりゃ、食えないやつだな」

1週間後には菅村DMの関西入りが決まっていて、同時にUM会議が予定されていた。
関西エリアに不穏な空気が一気に広がっていくのだった。

若い頃・デニーズ時代 84

「マネージャー! 寮の近くが凄いことになってますよ」
「なんだ、どうした」

クックの辰吉が、出社早々興奮気味だ。

「昨日の晩なんか、踏切の周りにすごい数のパトカーや救急車で、今も報道がわんさか集まってますよ」

なんとこの騒動こそ、世の中を震撼させた【朝日新聞阪神支局襲撃事件】だったのだ。
1987年5月3日(憲法記念日)午後8時15分。「赤報隊」を名乗る犯人が起こした一連のテロ事件のひとつで、当時支局で勤務していた3名の記者の内、一人が死亡、一人が指を2本も失う重傷を負った。
その後5月6日には、時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届き、
・われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす
・反日分子には極刑あるのみである
・われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける
と、それは殺意むき出しの内容だった。
独身寮とこの阪神支局は僅か100mしか離れてなかったので、辰吉はもちろんのこと、この夜を徹しての大騒動で、大金も住吉店の鈴木も眠れたものではなかっただろう。
そして物騒ぎな事件は、あろうことか、まだまだ続いたのだ。

朝日新聞阪神支局襲撃事件からひと月ほど経った晩。
仕事を終え、自宅マンションで寛いでいると、電話が鳴った。

「はい、いつもお世話になっております……、パパ、お店から」

受話器を受け取ると、宗川がいきなり早口でまくし立ててきた。

「大変です!マネージャーがピザの出前をした事務所が」
「事務所のなにが大変なんだよ」
「襲撃されたようです」
「えっ?!襲撃?!」
「どうやら他の組が殴り込みをかけたらしいです」

近畿土木は山健組系の暴力団がバックなので、十二分ありうる話だ。しかし殴り込みとは、まるでやくざ映画そのものではないか。

「拳銃の発射音も聞こえたって、野次馬が言ってました」

拳銃とは恐ろしい。朝日新聞社襲撃といい、この界隈、一体どうなっているのだ。

「店に被害は?」
「それはありません」
「わかったご苦労さん。それじゃきっちり閉めて上がってください」
「ました」

翌朝出勤すると、スタッフ間では、やはり“殴り込み”の話題で持ちきりになった。
聞くところによれば、人的被害はなかったものの、事務所自体はけっこう派手にめちゃくちゃにされたらしい。
スタッフ達の話を聞いていると、そのめちゃくちゃ具合がやたらと気になってきた。
現場が引けたらちょいと様子をうかがいに行ってみようと、ピザボックス等々の小道具も用意して、性懲りもなく頃合いを待つことにしたのである。
そして意外や早く、その頃合いがやってきたのである。
事件の翌日には立ち入り禁止のテープだけを残して警察は引き上げ、完全に無人となったのだ。
それではと、夕暮れを待って事務所のあるビルへ近付いた。

「こんばんわ~、ピザをお持ちしました~」

夜の帳が降り始めているにもかかわらず、2階にある事務所の窓は真っ暗だ。人のいる気配は感じられない。
足を忍ばせ階段を上がっていくと、半ばあたりに張り巡らせた立ち入り禁止のテープが邪魔をしてそれ以上は進めない。一度はくぐろうとも考えたが、余りに大人げないので、持参した懐中電灯の光を頼りに、目を凝らし奥を観察してみた。
まず、ドアのガラスはすべて割れて吹っ飛んでいた。そこから先は懐中電灯の光量では少々頼りなげで、はっきりとは確認できなかったが、ディスクの上にあった書類やファイル入れ、そして電話機が見当たらない。以前ピザを届けた際には、ごく普通の事務所然としていたので、この差は大きいと思う。
拳銃の球が当たった跡が見られればと、更に目を凝らしたが、この暗さでは無理そうだ。しかし、噂のとおり、かなりめちゃくちゃにされたことは容易に想像できた。
<やられたらやり返す>
ヤクザの世界ではごく当たり前の流れなので、この一件を発端に組対組の抗争が始まることも危惧されたが、物騒な事件は幸いにしてこれが最後だった。
新店オープン2日前の20時頃。突如店に訪れ、守代を要求してきた輩たちも、あれから音沙汰はないし、隣の事務所もいつの間にか平常を取り戻しているようだ。
恐ろしいことはもう勘弁してほしいし、これからも平穏が続いてくれることを祈るのみである。

「マネージャー」

ランチピークが引け、完全にアイドルタイムへ入った頃、MDの宮内啓子がクリーマを作りながら話しかけてきた。

「3番テーブルのお客様、最近よくご来店されてますが、マネージャー、知ってます?」
「なに、知ってるって?」
「こないだの土木事務所、あそこやってる組の親分さんです。お会計の時、ちらっと札入れを見たら、すごい厚みでした」
「へぇ、そうなんだ」
「連れてる小さい女の子はお孫さんらしいですよ」
「ああ、わかった。たまに奥さんも一緒だよね」
「そうです」

実はオープン当初より、21時過ぎからラストまでの時間帯に、その筋と思しきお客さんの来店がちょくちょくあった。夏になると上着はノースリーブかTシャツ一枚になるので、刺青がこれでもかと周囲を圧迫する。

「うわっ、モンモンやで、怖いわ~~」
「しっ===、聞こえるよぉ!」

そんな輩が2名ないし3名で来店すれば、店内には緊迫感が漂うし、彼らのテーブルだけが周囲から大きく浮き上がる。但、具体的な悪さは一切なかったので、腫れ物に触るようなことはあえて避けたが、店の雰囲気に与える影響を考えればばうんざりした。
ところがだ、その組長がお孫さん連れで来店するようになってから、不思議と刺青の輩が寄り付かなくなったのである。
たまたま偶然だろうが、余りにもタイミングがドンピシャだったので、何某かの力が働いたのかと、勘ぐってしまった。

「コーヒーのお替りいかがですが」
「あん、もうええわ」
「お孫さんですか、可愛いですね。実は私も4月に初めての子供が生まれて、娘なんです」
「そりゃおめでとう」

正体を知ってしまえば、なるほど迫力がある。しかし、知らずに接したなら、どこにでもいる優しいお爺ちゃんだ。

若い頃・デニーズ時代 83

東名高速道をひたすら西へと向かうセリカXX。
目を横にやれば、助手席に座る麻美の膝の上で、すやすやと娘の絢子が眠っている。
なんだかとても暖かく、そして優しい空気がキャビンに充満し、新しい家族の歴史がまさにスタートしたんだなと、ハンドルを握る両手にも力が入った。
ほどよい緊張感のせいか、名古屋を過ぎても疲れは全くといって感じず、快適なドライブが淡々と続いた。

「ちょっと休もう。トイレも行きたいし」

リクエストに応えて、十数キロ先にある養老SAへ寄ることにした。
麻美が車から降りる前にバトンタッチ。腕の中の絢子は意外や重かった。
赤ちゃん独特の温かさと匂いが立ち込め、その寝顔と相俟って、なんてかわいいのだろうと思わず顔が緩んでしまう。特にパパの顔をじっと見つめる視線には、「まいったぁ」としかいいようがない。
予想された渋滞もなく、順調に京都を通過。ここまでくれば目指す西宮は目と鼻の先だ。
さすがに疲れたか、大あくびをすると、前方に西宮出口の案内板が見えてきた。

「どうですか、新家庭のご感想は」

丸顔の宗川UMITが、ニコニコしながら聞いてきた。

「てんやわんやって感じかな」

実際、てんやわんやだった。
全ては絢子を中心に回っていて、ミルクがどうだ、ウンチがどうだ、鼻水垂れた、ゲップしたと、四六時中ドタバタである。だけど、なんか楽しい。
夜泣きも半端でない。殆ど2時間おきにオギャーオギャーが始まり、ミルクを与えるまで収まることがない。
母乳の量が少ないので、粉ミルクも飲ませなければならないが、絶えず麻美に作らせては大変なので、交代で私も行う。ただ不思議なもので、これだけしょっちゅう起こされても辛いとは感じず、翌日の仕事にも殆ど影響が出ない。これが親ばかパワーだろうか。

一方、店の売り上げは安定期に入り、オープンの頃のような怒涛の入客は鳴りを潜め、西宮中前田店も関西レベルに落ち着いた。
関西エリアは年商3億に手が届きそうな超繁忙店はない代わりに、2億を大幅に割るような不振店もない。言い換えれば、並レベルで“団栗の背比べ”になっているのが特徴だ。

「そういえば独身寮ですが、住吉の中間社員が先日一人入って、一応満室になったようです」
「じゃ、今日上がったら様子を見に行ってくるよ。高級マンションだから汚されたらたまったもんじゃないからな」
「活を入れてきてください」
「そうだね」

寮は阪神西宮駅の南口にあり、駅からも近ければ、店まで歩いて20分弱の好立地にあった。
内外装も限りなく新築に近い状態で、これまで知っている独身寮の中ではダントツ級だ。
寮生の辰吉が早番だったので、仕事上がりに一緒に行ってみることにした。

「おっ、意外ときれいにしてるじゃん」

テーブルセットしかない15畳のリビングは、やけに広く感じる。

「ここ広いですけど、みんなが集まることはあんまりないんで」
「まあそうだよな。お前と大金は正反対のシフトだもんな」
「でも、住吉の鈴木さんも含めて、みんなマナーがいいから暮らしやすいですよ。それと谷岡さんがたまに差入してくれるし」

それは知らなかった。あいつ、気が利くし、LCとしてスタッフの使い方がうまいのは、こんなところからも窺えるな。

「鈴木さんが入ってきた時は、ビール買ってきてくれて小歓迎会もしましたよ」
「なんだ、俺も呼んでくれたらよかったのに」
「クックだけでってことで」
「なんだ、冷てえな」

きれい好きな谷岡がたまに来てくれるなら心強い。統制もとれるし、問題の種はいち早く私の耳に入るだろう。帰りしなに辰吉の部屋をちらっと覗いたら、今の若者らしくTVやラジカセもちゃんと揃えてある。よく見りゃ私のマンションなんかよりよっぽど贅沢な造りだ。遥か昔、浦和太田窪店の独身寮と較べてたら、それこそ天と地の差がある。

「お前ら恵まれてるよな」
「おかげさんで」
「それじゃあ、また明日」
「お疲れさんです」

全てに安心して寮を後にした。
ところがだ、この数日後。寮の目と鼻の先で、恐るべき事件が勃発したのである。

若い頃・デニーズ時代 82

「子供が生まれたら当分の間身動きがとれないだろうな」

出産で実家のある沼津へ帰る前に、一度夫婦水入らずでどこかへ出かけようと、武庫川から車で1時間の京都・嵐山に行ったことがある。沼津や東京に住んでいたら、そうは気軽に行けないのも理由だった。

この日はかなり寒かったが天気は良かった。渡月橋を渡り、三条通をぶらつく。腹も減ってきたし、ちょうど昼頃ということで、通り沿いにあったそば屋へ入った。京都だったらやはりニシンそば。実はニシンそば、大好物である。
10分と待たないうちに、何ともいい匂いを発するどんぶりが目の前に置かれた。
麻美は魚が苦手なのでキツネそばを注文。

「はいこれ、七味」
「サンキュー」

そばやうどんには必ず振りかけるのを麻美はよく知っている。

「いただきま~す。ありゃ?ちょっと香りが違うな」
「どうしたの」
「この七味、山椒が多めに入ってるみたい」
「あらほんと」

京都の七味は山椒が多めかどうかはわからないが、甘辛いニシンそばの風味にはとても合うと思った。
おつゆも全部飲み干せば、体が芯からポッカポカである。再び散策を始めたが、先ほどまでの寒さは感じなくなっていた。

桂川と渡月橋、そして西には嵐山。まさに京都を代表する眺めである。ところがその眺めの中には必ずと言って修学旅行生の姿が入ってくる。これほど大挙しているとは予想だにしなかったのでびっくり。
実は京都に訪れたのは、中学生の修学旅行以来。当時は黄色と朱色に塗られた修学旅行専用列車「ひので号」なるものがあり、東海道本線をのんびりと走って、ひたすら京都を目指したものだ。新幹線や飛行機などで一気に行っては感じることのできない大きな距離感が旅情を誘い、はたまた興奮止まない帰りの夜行では、暗い車内で眠るクラスメイト達を横目に、目を爛々とさせていたことを思い出す。

午後10時半過ぎ。マンションの電話が鳴った。

「木代さん、生まれたわよ。玉のような女の子。かわいいよ~~」
「いやぁ~、よかったです。明日朝一でそちらへ向かいますので、よろしくお願いします」
「わかった、気をつけてね」

この後、東京の実家にも電話を入れた。

「生まれたってさ、女の子だよ」
「そう、よかった。お父さん、名前考えてますよ」
「へ~、こんど東京で会議があるから、そのとき寄るね」

自分に子供ができたなんて、何だか一向に現実味を帯びてこない。
嬉しいけど不安。今のところこれが一番正直な感想になるのではと思う。
ところが翌日。新幹線で沼津へ向かう道中、意外と気分は落ち着いていた。腹が据わったとでもいうのか、今後のことを考えるでもなく、先ずはとにかく自分の娘を一目見たかった。
沼津駅から歩いてすぐの病院へ駆けつけると、赤ちゃんを抱いた麻美のお義母さんが待ち構えていた。

「ほら、可愛いでしょう」

恐る恐るだが、抱かせてもらうと徐々に実感が湧いてくる。俺の子だと。
とにかく小さく、温かく、そして赤い。
麻美も一見元気そうだったが、お義母さんの説明によると、出産直後から血圧が高くなっていて、医者からは安静を指示されたらしい。
よく言われる“産後の肥立ち”が悪いのだろう。
この後一旦西宮へ戻り、改めて娘と女房を迎えに来たのは、2カ月が経った良く晴れた日だった。