「デニーズ時代」カテゴリーアーカイブ

若い頃・デニーズ時代 31

依然としてデニーズの出店ペースは落ちなかった。
埼玉や千葉ほどではなかったが、東京地区にも新店オープンの波は押し寄せ、メールバッグが届けば、何はともあれファスナーを開き、貪るように人事異動と新店情報を探したものだ。

「おっ、出店予定に八王子があるぞ」

橋田UMが見入っている。横顔が真剣だ。

「しかもインストアだ」

インストアとは、独立店舗ではなく、テナントとしてビルの一階等に入るケースである。
デニーズの記念すべき1号店・上大岡店は、このインストアタイプだ。

「それじゃ、街中ですね」
「この頃じゃ八王子も賑やかになったから、結構入るかもな」
「3億行っちゃいますかね」
「そこまではどうだろう」

新店情報は話のネタとして一級品である。自社の躍進ぶりには心も躍るし、マネージャーやリードクックの人事に至っては、他人ごとではない緊迫感が伝わり、大いに盛り上がる。しかし、同時にデニーズという会社には安住の場所はなく、激しい出店ペースに伴う問答無用の人事異動に、身も心も委ねるしかないという厳しい現実も露わになる。

「なあ、木代」
「はい?」
「このAMに昇格した“峰岸”ってやつ、知ってる?」
「店はどこですか」
「新所沢だ」
「もしかしたら、そいつ、私の同期かもしれません」

これには驚いた。あの峰岸だとしたら、恐らく同期ではAM一番乗りだろう。してやられた感じだが、入社1年半で早くも我々の時代が到来したことが実感できて、寧ろ無性にワクワクする。
確か峰岸はUMITになるもの早かったし、一見暗そうなやつだが、上層部からの受けは良いのだろう。

「だけど君にもそろそろAMの話が来るんじゃないの」
「本当ですか!」
「人事の本田さんが言っていたけど、今の出店ペースに沿うように、早急な新店UM候補のリストアップが行われているそうだ」
「それは既存のUMから選ばれるのですね」
「そして既存店のUMが新店へ駆り出されれば、自ずとUMの席が一つ空く。そこを順次AMが昇格して埋めていくんだよ」

秋にオープン予定の八王子店。仮にここのUMに橋田さんが抜擢されれば田無店のUM席が空く。この時点でAMへ昇格していれば、ちゃっかりと私が後釜に座ることも有り得るのだ。
店の成功不成功、すべてに責任を負わなければならないUM。やりがいは大いに感じるところだが、反面、オペレーションへの不安も同様に大きい。

「だからね、同時に既存店UM候補者のリストアップも行っているんだ」
「なるほど」
「そう言えば、、、」
「なんですか?」
「話は全然変わるけど、噂によれば、上西さん、どうやら辞めたみたいだ」
「辞めたってことは、退職ですか」
「そう」

<デニーズ田無店 = 上西帝国>
当時を知る者だったら、誰に聞いてもこう答えが返ってくるだろう。
マニュアルで管理されたデニーズレストランの中にあって、あれだけ自由に立ち振る舞っていたUMは極めて珍しい。とにかく上西UMは、全くと言っていい程仕事をしない。普段はMDを相手におしゃべりをしているか、漫画を読んでいるか、はたまた外出しているかで、ランチやディナーのピークですらフロントに出てこない。たまに出てきたかと思えば、すぐに踵を返し、クリーンキャップを被ってキッチンへ入って、センターの真似事をしつつライスを盛る。
いてもいなくても全く同じ。いや、いない方が効率よく回った。
キッチンは豊田LCが2名の新卒クックとKH達を上手に使って、大きな問題も起こさずそつなく管理していたし、フロントは橋田さんと私とで、一日並びに一週間の完璧なマンニングテーブルを作り上げていたので、正直なところ上西UMが居なくても十二分な店舗オペレーションは可能だった。
よってそれをいいことに、自由奔放な毎日を送っていたわけだ。
良し悪しは別にして、あのやり方は自分で作り上げた田無店だから許された。他の店へ移動してもそのままだったら、間違いなく総スカンである。

この頃、常に感ずることがあった。
デニーズジャパンは1974年にイトーヨーカ堂が新規事業として創設した組織であるが、当然ながら小売業であるイトーヨーカ堂には、コックも含めてレストラン業務の経験者はいなかった。しかし、創設時期のスタッフの面々には、飲食業経験者やそれに付随するような仕事を行っていた人達が多くいて、アメリカから仕入れたマニュアルはあったものの、先ずは経験者を採用して実際に動いてもらい、一日も早く開店~営業という流れを作らねばならないという切羽詰まった状況が容易に読み取れた。
上西さんもその採用された一人ではないだろうか。彼らの中には、きちっとした社風の中で育まれた組織経験者は少なく、寧ろ水商売丸出しが結構いて、異色を放っていた。
彼らのことを云々言いたくはないが、幹部社員である某DM。まんまヤクザのようなテカリのあるスーツを着て店回りをし、

「かわいいMDにシカトされちゃったよ」

なんて、チンピラ口調も飛び出すあり様なのだ。
こんな人が将来取締役になるのだろうかと想像したときは、正直なところ気が滅入った。
しかし、この様な思いを持っている者は決して少なくなかった。なぜなら、誰も言葉には出さなかったが、いつしか私を含めるプロパー(定期入社組)とその他との間で、見えない壁が作り出されていたからだ。

若い頃・デニーズ時代 30

デニーズはタクシードライバーをはじめとする多くの個人常連客から支持を受けていた。その理由はカウンター席にある。
繁忙時、一人で四人掛けテーブルを占拠するのは、あまり居心地の良いものではない。その点カウンターは一人専用だから、どのような場合でも落ち着いて食事を楽しむことができる。カウンター席はデニーズの全店舗タイプで採用されており、他社にはない個性であり、また強みでもあるのだ。
デニーズのフロアが開放的に感じるのも、このカウンターが大きく影響している。

「あら、おはようございます」
「いつものね」
「はいかしこまりました」

そしてカウンターに腰掛けると、目の前にコーヒーメーカーやウォーターディスペンサーが設置されているので、そこを中心に動くMDに声を掛けやすい。更に田無店のような106タイプになると、オープンキッチンだから、ディッシュアップカウンターを挟んで、クックとMDのやり取りを間近で見ることができ、一人でも退屈することがない。

「いいかい三池さん。覚えることはたくさんあるけど、先ずはグリーティングだよ」
「はい」
「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!を元気に、ね♪」

新人MDの教育第一歩は“グリーティング”。
“いらいっしゃいませ”は簡単に発声できても、“デニーズへようこそ”はなかなか声が出ないもの。しかし三池洋子はよく順応した。笑顔にやや硬さがあったが、何を教えても覚えが良く、動きもキビキビしているので、近い将来、相当な戦力になるのは確かだろう。

「ずいぶんと慣れてきたね」
「そうですか」
「それじゃ、今日は食器の持ち方を練習しようか」

当時のデニーズでは、フロント業務に“トレイ”を使わなかった。ホテルも含め、大概の飲食店はトレイを使って料理や飲み物を運ぶのだが、デニーズではなぜかこれを素手のみで行った。
よってプレートやグラスの独特な持ち方をマスターしないと、運ぶときはもちろん、バッシングにも多くの時間が掛かってしまうのだ。
一般的に二つのコーヒーを運ぶのなら、両手にひとつずつと考えるだろうが、この持ち方では歩き出すとカップが揺れてコーヒーがこぼれてしまうことがある。ところが不思議、左手に二つ持って歩くと安定感が生まれて、結構な速度で歩いてもコーヒーがこぼれることがないのだ。これは水の入ったグラスでも同様である。
ソーサーやプレートを左手に二枚持つことは基本中の基本になり、これが確実にできるようになるまでは、何度も練習を繰り返した。例えば一番大きな10インチプレートを広げて二枚持つと、それはトレイ並みの面積となり、その上に9インチや5インチを重ねていき、更にシルバーやグラスも載せてしまえば、見事トレイ代わりになるのだ。

「うわ~、重たい」
「慣れだよ慣れ。がんばって練習しよう」

上手に二枚を持つコツは、この二枚を可能な限り水平にすること。水平にしなければ、ソーサーに乗せたコーヒーが不安定になり、急に立ち止まった時などは落としてしまう危険性もある。
MDは更に慣れてくると、左手に二枚どころか三枚のプレートを持つ。この三枚持ちをしっかりと安定させる為には二枚の水平が前提になるので、やはり基本は大切だ。

「塩原さん、すごいですね~」
「どうして」
「片手にシェーク二つですよ!」

シェークやソーダフロートをサービスする際はロンググラスを使う。
高さが15㎝もあって重心が高い恐ろしく不安定なグラスなのだ。こいつを5インチプレートに載せて左手に二つ持つのは慣れたMDでも怖いもの。
我々マネージャーでさえそう感じるのだから、新人MDが感心するのも無理はない。
追いかける目線に気づいたのだろうか、シェークをテーブルへ運び終わると、塩原早紀は我々がいる3番ステーションへとやってきた。

「三池さん、どう、慣れてきたかな」
「全然だめですぅ」
「木代さ~ん、ちゃんと優しく教えてあげなきゃ♪」
「おいおい、ちゃんとやってるって」

上西UMがいたころは、よく彼に連れられ銀行入金へ出かけていた塩原早紀。誰が見たって「UM」と「MD」の関係から逸脱しているその行動は、暗黙の裡に壁を作り、他のスタッフ達と表面上は和気あいあいであっても、側面では絶えず“特別なMD”という香りを放っていた。
これは職場の雰囲気に違和感を作り出し、敏感なスタッフは士気も下がる。況してこの状況をUM自身が作り出しているのだから、本当に困り果てた。
上西UMとのその後は分からない。しかし、一時期やや元気がないようにも見えたが、ここのところは彼女本来の快活さが蘇り、機敏な働きぶりを見せている。ヤンキー臭さも心なしか減って、自然な笑顔が店のムードを上げていた。

「三池さん、これからケーキカットするから教えてあげる。いいでしょ木代さん」
「もちろん。塩原さんはケーキカットが上手だからね」
「ありがとうございます。お願いします」

どうやらフレッシュな戦力が一人、定着しそうである。
こうして店は日々新陳代謝を繰り返していくのだ。

若い頃・デニーズ時代 29

な、なんとその深紅の車は、数年前から大ブームとなっているスーパーカーそのものであり、更に良く観察すれば、数あるスーパーカーの中でもランボルギーニ・カウンタックLP400と人気を二分する、あのフェラーリ・512BBだったのだ。
目の当たりにしたフェラーリは強力なオーラに包まれ、同じ駐車場内に並ぶその他一般の車は、あたかもフィルターをかけられた如くグレーに沈み、まったく目に入ってこない。
ドアが開き、ドライバーが降りてくると、<なに?>どこかで見たことのある顔である。
随分と若そうだが、金持ちであることに間違いはない。なんてたってこの車、豪華な一戸建てを買えるほどの値段なのだから。

「知ってます、あの人?」

背後からの声に振り向くと、いつの間にか佐渡がほうきを抱えて立っていた。

「彼、まさか本物の“池沢さとし”?」
「その本物ですよ」

なるほどね。漫画家もあれだけ売れれば、夢の車も乗り放題ってわけか。
入社2年目のぺーぺーサラリーマンとは住む世界があまりにも違う。

「近くに住んでいるらしいです」
「よく来るの?」
「たま~に」

この頃のファミリーレストランはとてもポピュラーだったようで、我が職場でも有名人達の顔を見ることが屡あった。
西武球場帰りの阪神タイガースの面々、大竹しのぶ・服部清治夫妻、所ジョージ、浅野ゆう子、石橋政嗣と数名の社会党党員、そして伊丹十三、加藤和彦等々だ。
当時はちょっとお茶したり、軽食をつまみながら気軽におしゃべりする場所は少なく、現在のスターバックスのようなコーヒーショップの役割も兼ねていたのだろう。

2~3カ月が過ぎる頃になると、マネージャーの仕事にもだいぶ慣れてきて、一通りのことは橋田UMに頼らずとも進めていくことができるようになった。こうなると仕事はさらに楽しくなり、店舗運営の醍醐味すら感じてくるのだ。但し、人事に関することは、単純に“1+1=2”とはいかないことが多く、頭を悩めるところ。
特に安定的なバイトスケジュールを組み立てるのは容易でなく、スタッフ一人一人との意思の疎通なくして成せるものではない。
例えば高校生スタッフの中間・期末試験が近づいてくれば、勉強したいからと、2週間近くは休まれてしまう。その穴を埋めるべく、前々から主婦や大学生にその旨を伝えておき、過疎になる時間帯をすこしでもリカバリーできるように下準備を行っておくのだ。
但しこの作業も、前述のようにスタッフ達との良好な関係がなければ簡単には進まない。

「来週から高校生が試験休みに入ってディナーが人手不足になるんだけど、1日でもいいんで、夜、入ってもらえませんか」
「いちおう昼だけとの約束ですから…」

これが一般的な展開。
ところが日頃からランチの主婦達にその旨をしっかりと説明しておき、例えば、来春小学校へあがるお子さんがいたなら、筆箱の一つでもプレゼントしておけば、こんなピンチに助け船を出してくれることだってあるのだ。

「わかりました。主人に話して火曜と水曜は出るようにします」

と、こんな感じだ。

そしてもう一つ難しいのが、アルバイトの採用である。
募集広告は本部人事課が随時アルバイトニュース等へ掲載しているので、田無店を例に挙げれば、月平均で2~3人の応募はあった。採用面接は基本的にUMの仕事だが、不在時にはAM若しくはUMITが行う。
しかし、20歳代の若いマネージャーでは人を見極める眼力に乏しいので、容姿上々で採用したMDが、遅刻の常習犯になったり、高校時代は野球部だったと称した健康的な男子学生が、しょっちゅう体調不良で欠勤したりと、水沢慶子のような“めっけもの”には中々出会うことがない。
しかし店舗運営の良し悪しはスタッフのレベルで決まるので、人事管理並びに採用は、全店一環としてマネージャー最重要の仕事として捉えていた。

「木代さ~ん、面接の方です」
「わかった! 4番で待っててもらって」

この日はMD希望の女子高生が面接で来店する予定になっていた。
大概の高校は、公立・私立共にアルバイト禁止の校則があったので、通学する高校が店の近隣だと、MDやDLのような客の目に触れる仕事は危険性があるとの理由で避けられた。

「三池さんですね」
「はい、お願いします」

小柄で随分と日に焼けている。

「何か部活やってるのかな」
「ソフトをやっていましたが、2学期で退部しました」
「受験勉強?」
「いいえ、肩を痛めてソフトができなくなりました」

話し方がしっかりしている。しかも笑みが高校生らしくて爽やかだ。第一印象は頗るいい。
いろいろな項目を聞き出して吟味するより、第一印象だけをを頼りに採用してしまったら正解だったなんてことは意外に多い。
若いマネージャーには人を見る眼力は備わっていないのだから。

「バイトは初めてですか」
「以前ちょっとだけ駅前のマックでやってましたけど、部活が忙しくなったので、、、」
「そうですか。ウェイトレスをやるとしたら、週に何回来られます」
「3回位だったらできると思います」
「週末もOK?」
「土日どっちかなら、なんとか、、、」

ますますいい感じである。
<毎日でも来られます>、<土日は丸々空いています>、<試験中もOKです>等々、
やる気満々なことを述べる人ほど、その通りに来たためしがない。
この傾向は、まず九割方当たるし、この人たちの殆どは飲食店での仕事の経験がない。

「分かりました。それでは早速明日から出勤してください」
「お願いします」
「とりあえず勤務時間は18時~21時で大丈夫かな」
「大丈夫です」
「それと、髪はショートだからそれでOKだけど、香水や装身具の類はNGだからね」
「分かりました」
「それじゃこの就労承諾書を親御さんに記入してもらって、いっしょに持ってきて下さい」
「はい」

こうして新人MDの獲得が成功したが、肝心なのはこれからだ。
そう、彼女・三池洋子を一日でも早く一人前のMDに育て上げることがマネージャー職最大の責務。デニーズではMDやKHの教育スケジュールもマニュアル化されており、何れも13週間で一通りの仕事をこなせるように仕組まれているが、その内容を如何に個々のスタッフへ当てはめていくかは、マネージャーの力量であり、これにはそれなりの経験が必要になる。よってUMITは、UMのアドバイスを受けながら、正に体当たりの試行錯誤を繰り返していくのである。

若い頃・デニーズ時代 28

通しを始めて一週間。さすがに疲れが溜まってきた。
ランチピークが終わり、アイドルタイムに入って一息つくと、猛烈な眠気が襲いかかり辛かった。
レジ金のカウントにもミスが連発し、一度目に合計が合わずとも、再度数えたらぴったりという、明らかに集中力が低下している兆候が出ていた。
昨今、労働環境の改善が大きくクローズアップされて久しいが、やはり疲弊した体や精神では絶対に良い仕事はできないし、それどころか生産性は確実に落ち、しまいには慢性化してしまう危険もあるのだ。

田無の従業員にもひととおり面通しができ、個性溢れる面々には歯ごたえを感じるところだったが、ひとりだけこの店特有の雰囲気を持たない、やや風変わりなバスヘルがいて、彼の仕事ぶりには何かにつけて目に留まった。
彼の名は堀之内 勝。田無店に限らず、バスヘルの殆どは大学生か高校生の男子と相場が決まっていたが、彼は私より2歳上の26歳だった。恐らく大学卒業後、何らかの理由で就職をせずにアルバイトだけで凌いでいるのだろう。
働きぶりはまじめを絵に描いたようで、他の従業員と無駄話をすることもなく、就業時間中は黙々と動き回り、ひとつひとつの作業を丁寧にこなしていく姿は、これまでどこの店のバスヘルにも見られなかったものだ。例えば、カウンターテーブルの下はバスタブ置き場になっているが、ここを通る時も、下げた食器が溜まっていないか、わざわざ指差し確認まで行っている。
ピーク時のフットワークも軽い。お客さんの動きを見ているから、バッシングがスムーズで、回転率の向上にも一役買っていた。
そんなある日、

「木代さん、聞いていいですか」
「なんです?」

いつも真面目そうな顔つきの堀之内さんが、更に神妙さを重ねている。

「外食産業は、これからどうでしょうか」

いきなりである。しかもアルバイトからの話題としては幾分硬い。

「堀之内さんは外食産業に興味があるんだ」
「そうなんですよ」
「デニーズに入りたいとか?」
「いや、他を考えてます」

詳しく話を聞けば、彼は外食産業に就職したいが為に、デニーズでアルバイトをしながら様子を窺っていたのだ。当時の外食産業はバブル景気に押されて、デニーズのようなファミリーレストランだけではなく、ファーストフードや居酒屋系なども恐ろしいほどの躍進を遂げ、特に東京近郊を車で流せば、ガソリンスタンドの数を超えるであろう飲食店の乱立に、誰もが眼を見張ったものだ。

「それじゃ立ち位置は変わるけど、お互い同業で頑張るってわけだね」
「いろいろとアドバイスをお願いします」
「いやいや、俺だって新米だぜ」

これから先、外食産業に身を置き切磋琢磨していきたいという熱い情熱が互いの共通点となってからは、マネージャーとアルバイトの関係が、いつしか同志へと変わっていった。
結局、堀之内さんは、3カ月後にデニーズを辞めると、大手清涼飲料水メーカー系のレストランチェーンへめでたく就職し、なんと約40年経った今でも交流が続いている。
人生の友とは、ひょんなきっかけから生まれるものだ。

堀之内さんがデニーズを去る頃、上西UMは他店へ異動していき、橋田AMがそのまま田無店UMへと昇格した。その間、アルバイトの入れ替わりも頻繁に発生、日を追うごとに鼻についていた田無店臭さが薄れていき、仕事の慣れも手伝って、毎日は充実した。
特に目に見えて変わったフロントの雰囲気は、新人DLの採用が大きく影響した。
まだ高校3年生だったが、笑顔には品があり、スタッフの誰とでも協調できる柔軟性を持ち合わせた逸材で、彼女がレジ脇に立つだけで店内はパッと明るくなった。
水沢慶子は決して美人というタイプではないが、愛くるしさと健康的な第一印象が多くの者達から視線を引き込んだ。

「20番テーブル2名様お願いします」

このグリーティングひとつでフロントには爽やかな空気が流れるのだ。

「いい子が入ったね」

カウンター席の常連さんが、笑みを浮かべながら彼女の動線を追う。

「彼女のおかげで店の雰囲気が明るくなりました」
「昔からさ、美人は得なんだよ」

美人が得かどうかはさておいても、実際、笑顔と容姿のいい女性スタッフがいれば、それだけで店が活気づき、常連さんの表情も穏やかになる。
容姿の善し悪しで女性の価値を量れば、それは差別発言となってしまうだろうが、一昔前のスチュワーデスやコンパニオン、そしてキャンギャル等々を思い起こしてもらえれば、その場の付加価値を上げる最良の要因になっていることは理解いただけるであろう。国際線の機内に美人スチュワーデスが3人もいれば、たとえそれが長旅であろうと、一服の清涼剤となって疲れや苛立ちを緩和してくれるのだ。
かわいい女性スタッフの効能はまだある。
それはお客さんの満足だけではなく、男子スタッフの働きぶりにも多大な影響を及ぼす。
ある日のエンプロイテーブルでは、

「水沢さんが来てからさ、店が明るくなったような気がするよ」
「だよな、俺もそう思う」
「仕事やってても、なんか楽しいじゃん」
「おっ、気があんの?」
「俺なんか相手にされないよ」

大学生のKHとバスヘルが、目をらんらんとさせながら語りあっている。
そこへブレークだろうか、LCの豊田さんが乱入してきた。

「お前たち何馬鹿言ってんだよ」

いつもの大げさでまじめくさった口調である。

「女性は気立てだよ」
「なんすか、それ?」
「気立てもわからないの、しょうがないな」

実におっさん臭い。

「気持ちの優しい性格のいい人のことだよ」
「へ~~、さすがっすね!」
「でも俺なんか、やっぱかわいくないとグッとこないかな」
「まっ、それは男だからわからないでもないけど、、、」

なんだなんだ。いつも偉ぶってるLCが、大学生にやられているではないか。

季節は初夏を迎え、交通量の多い新青梅街道沿いとは言っても、気持ちのいい空気感がしっかりと店全体を覆っていた。
エアコンをきかせた店内より駐車場へ出た方が清々しく、久々に植木への散水と駐車場の清掃に精をだしてみた。
店の前を行き来するおびただしい車から発せられる走行音。ところがその走行音の中に割って入ってきた野太いエキゾーストノート。瞬間的に振り向くと、真っ赤でグラマラスな車が目前に現れ、その威嚇的ともいえるフォルムに目線はくぎ付けになってしまった。

若い頃・デニーズ時代 27

「すげー! 木代さんの車って、ダルマっすか」

初出勤の日、車から降りると、自転車に乗った若い男が近づいてきた。

「もしかして、佐渡君?」
「ええ、よろしく」

小柄だが、髪はびしっとオールバック。馴れ馴れしさの中にも目つきは鋭く、挨拶に来店したときに感じた田無店の独特な雰囲気が彼からも染み出ていた。

「新米なんで、よろしく」
「じゃあ今日から通しってわけですか」
「へ~、よく知ってるね」
「もう2年もやってるんで」

そんなやり取りをしているところへ、白いカローラが入ってきた。一日だけ“通し”に付き合ってくれる橋田AMの出勤だ。
橋田さんには異動前からも色々とアドバイスをいただいていて、その第一印象も合わせて、実直さを強く感じていた。慣れない職場に頼りがいのある先輩がいるのは心強いものだ。それに田無店ムードに全く染まっていないところも何だか可笑しく、いかにも彼らしい。

「木代君、おはよう」
「おはようございます。よろしくお願いします!」
「たのむから今日一日でマスターしてくれよな」
「ました!頑張ります」

橋田さんには迷惑をかけられない。大まかでも今日一日で仕事の流れをつかまなければ。
早速事務所へ入り、金庫からドロアーを取り出すと準備金を数えなおした。手抜きをすると違算金が出たときに苦労するので、しっかり慎重に行なった。

「おはようございま~す」
「あっ、おはよう!」

早番の要と説明を受けたMDの塩原早紀だが、それにしてもあの茶髪、何とかならないものか。いくら上西UMが承諾しているからと言って、DMの目に留まれば間違いなく突かれるレベルなのだ。その辺、店としてはどう判断しているのか、一度橋田さんに聞いてみる必用がありそうだ。
レジにドロアーをセットすると、パン、野菜の納入が続き、その検品が終わると、次は社内メールが到着した。朝の準備が整い次第、メールバッグの中身に眼を通す。本部からの通達に確認漏れがあったらそれこそ大変だ。マネージャー職は、売上やコストの管理は無論のこと、本部の通達事項を正確に店舗スタッフへと伝えることも重要な仕事になっている。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!」

いよいよ開店か。
デニーズはチェーン店なので、どこの店へ行っても、同じ味、同じサービス、同じ品質をモットーとしている。しかし、所詮オペレーションは人がやるものだから、そこには必ず個性が加味される。特にフロントに充満する雰囲気は、スタッフ一人一人の持ち味が醸し出すものだ。
やや笑顔に乏しいが、塩原は実にてきぱきと動いた。特に朝というsituationには欠かせない要素だ。

「トースト、あと一つ出ます?」
「ごめん、いま出す」

KH佐渡との呼吸もバッチリだ。
カウンターと、2、3番ステーションはほぼ7割入っているが、乱れは全くなく、コーヒーお替りサービスも適時行われている。
時計を見ると開店からそろそろ1時間が経過し、ランチスタッフ達も、ひとりふたりと出勤してきた。

「塩原さん、ブレーク行っちゃおうか」
「はい、じゃ入ります」

塩原はバイトだが、基本的にフルタイムの早番でシフトを組んでいた。6:30出勤の15:30退社、拘束9時間実働8時間だ。デニーズではこの場合、午前中に15分の休憩1回と30分の食事休憩、そしてランチピーク後に2度目の15分休憩を入れる。ブレークとは15分休憩を指す。
その時だ。駐車場へ目をやると、ちょうど上西UMが車から降りてきたところだった。
相変わらず肩で風を切るような歩き方だが、妙にはまっているところが面白い。

「おはようございます」
「おっ、木代、頑張ってるか」
「はい!」

この後、4番ステーションでコーヒーを飲みながら、上西UMから今後の説明を受けた。

「まあ、全部橋田に任せてあるから」

その方がいい。生意気な発言になってしまうが、この人に細かなレクチャーは無理だと思った。なにしろ話すことやること全てがアバウトで、これまで幾人ものマネージャーたちから教わってきた<やらねばならないこと>、そして<してはならぬこと>等々の規範は彼に備わっていなかった。

「じゃあ俺はこれから銀行へ行ってくる」
「ました。行ってらっしゃい」

売上金を銀行へ入金する業務はマネージャーの仕事である。当日の売上金は必ずその翌日に入金しなければならず、それも午前中と決められていた。土日分はまとめて月曜日に、そして正月やGW分は売上額が多くなるので、まとめることはなしにナイトデポジットを使って、やはり翌日入金と決まっていた。

「いってきま~す」

はっ? 何だ今の?
上着を羽織った塩原早紀が上西UMについて出て行ったではないか。まさか銀行入金へMDを連れて行くのか?!

「上西さんは、いつもああなんだ」

知らぬ間に傍へ寄っていた橋田さんが、辟易とした表情を隠さずにつぶやいた。
公私混同は明かであり、あんなことを続けていたらスタッフ達に示しがつかないだろう。見方によっては、“所帯持ちと独身女性の怪しい関係”と勘ぐられても致し方ない。
上西さんはUMであり、田無店の最高責任者だ。その彼に新米マネージャーの私がとやかく言うのはおかしなことかもしれないが、どう考えてもモヤモヤが残ってしまう。

ランチピークが終え、ひと段落すると、初のマネージャー業務で緊張していたのだろう、少々疲れが出できた。橋田さんからオペレーションステートメントの説明を受けていても、やたらとあくびが出てくる始末なのだ。店の経営状態を示す書類を前に大あくびはご法度なので、何とかこらえるのだが、これが辛かった。
オペレーションステートメントとは、ある一定期間の、売り上げ、管理可能利益、税前利益等々が明記された店の成績表であり、もちろんUMの人事評価はこの結果が大きく反映する。特に管理可能利益をつかさどる、フードコスト(食材原材料費)、レイバーコスト(人件費)、ノーイングコスト(食材以外原材料費)の3大コスト管理はシビアに見られ、中でもレイバーコストは人事生産性の管理と共に、UMの力量が試される。
田無店の従業員数はUMも含めて社員5名、パートアルバイト17名の計22名。社員5名分の人件費は固定費だが、パートアルバイト17名分の人件費は管理可能費、つまりコントロールができるということだ。
仕事評価や貢献度に向上が見られる者に対しては時給をアップしていくが、その逆のパターンで、作業に落ち度やむらがあったり、基本的な出退勤に問題がある者に対しては、出勤スケジュールから徐々に削っていく。
更には長年貢献の高時給者に対しても、評価に向上が見られなくなったら、非情だが、同じく徐々に出勤数を減らしていくのだ。

「お~い木代ちゃん、さっきからMDが無駄話してるよ。注意しなきゃ」

私のことをからかうような言い回しは、リードクックの豊田さんだ。年齢は確か私より5~6歳上で、どこかの調理師学校で教師をやっていたらしい。しかし、入社で言えば後輩にあたり、もちろん職責においても私の下にある。それなのに対面早々から“木代ちゃん”だ。
マネージャーと言ったって新米の青二才と決めつけているのだろう。体こそがっちりしているが、額がやや上がり気味の典型的な老け顔。牛乳瓶の底のようなメガネがそれを倍増させている。

独特な雰囲気と個性派面々が集う田無店。
これからどのような展開が待っているのだろう。