「デニーズ時代」カテゴリーアーカイブ

若い頃・デニーズ時代 41

仕事帰りに“現場”へ立ち寄ってみた。
少々遠回りだったが、裏道は良く分からないので、素直に小金井街道で甲州街道まで進み、そこから西へ向きを変えて、立川方面を目指した。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯に当たり、甲州街道では随所で渋滞が発生、結局到着までに一時間弱ほどかかってしまった。
但、日野橋に近づくとしっかりサインポールが見えてきたので、迷わず駐車場へ車を入れることができた。上々なキャッチアイ効果である。
さっそく車から降りて、窓越しに店内を覗いてみる。
職人さん二人がまだ作業を行っていたが、内装は殆どできあがっていた。こうして現場を目の当たりにすると、自分の店なのだという現実も湧いてくるが、同時に自信のなさか、少々気も重くなってくる。しかし、常に梅本UMの残り香を感じつつの東久留米店勤務に対して、ピュア木代に染め上げることができるこの新店には、更にやりがいのある職場環境を作り上げられる希望があるのだ。

立川錦町店が建ったのは、現在東京日産がある場所である。日野橋交差点手前50mという立地はやはり交通量の影響を大きく受け、交差点側からの右折侵入や、店から右折して東方面へ出るのは、深夜か早朝のような交通量が少なくなる時間帯でなければ難しい。しかしどのような条件下であろうとも、店舗開発部と営業本部が手掛けた新店なので、我々現場スタッフは与えられた目標を達成するために尽力しなければならない。

開店への進捗状況は適時私のもとへ入ってきていた。肝心要の新規アルバイト面接はまずまずの成果らしく、職種の偏りもなく順調に採用が進んでいるとのことだ。
面接にはつい最近まで初の女性UMとして活躍していた人事部の三角冴子さんが責任者として当たってくれていた。彼女は同時にオープニングクルーとして、MDの教育も行う予定である。これは心強くありがたい。
彼女の指導方法が非常に分かりやすく丁寧なのは、社内の誰もが認めるところだろう。オープンに際しては近隣の店から若干名のスタッフが応援に来てくれるが、大凡その期間は三日から長くても二週間なので、その間に自力で店を回せるよう、開店前の十二分なトレーニングが重要になる。

そしてオープニングメンバーの発表があると、新店騒動は一気に現実味を帯びてきた。
右腕となるマネージャー職には、多摩地区での経験が長い佐々岡AMと、新人だが元気いっぱいの藍田UMITが付いた。店の成功は、彼らとうまくやっていけるかどうかで決まるので、特に円滑なコミュニケーションは欠かせない。
店舗の引き渡しが終わり、完全に東久留米店を離れた私は、二人のマネージャーと共に多量に運ばれてくるノーイング整理に忙殺されていた。
プレート、シルバー、カップ、グラス、ユニフォーム、ペーパー類、洗剤等々をカウントし、スケジュール表に記載されている数量と照らし合わせたら、それを順次既定の場所へセットしていくのだ。
LCとなった水上も古巣を離れ、昨日からキッチンを中心に孤軍奮闘である。

「マネージャー、坊屋と酒口はいつからくるんですか」
「今日の午後のはずだから、もうちょい1人で頑張れよ」

二人のクックは共に川崎地区から異動となった中間社員。
キッチンのセットアップはクックとして浦和太田窪店で経験しているが、各機器の適正温度チェックから始まって、グリル板磨き、ウォークイン、リーチインの食材並べと、やることは山ほどある。手助けが欲しいのは重々分かる。
オープンまで残すところ十日間。ここからが一番の山だ。
と、その時、

「おはようございま~す」

よく通る女性の声だ。
フロントへ目をやると、三角冴子さんのご登場である。
身長165cm、モデル並みのスタイルで颯爽と歩けば実に絵になる。
見ればその後ろに、若い女性が3人ついてきていた。

「今回はよろしくお願いします」
「こちらこそ。それより先日は色々とありがとうございました」

実は三角さん、ついこの間まで小金井北店のUMをやっていたのだが、UMは初めての経験だったので、それなりの悩みや問題を抱えていたのだと思う。そんな中、我々は同じ時期に昇格した者同士で、しかも勤務店が近隣だったから、互いに話しやすく、ストレス解消とばかりに日常の疑問をぶつけあい大いに盛り上がっていたのだ。

「とんでもない。僕は“女性視点”の話がずいぶんと参考になりましたよ。ところで、これからトレーニングですか?」
「そう、今日は美女三人、よろしくお願いします」

まんざら社交辞令ともいえない美女三人発言。見れば皆なかなかの容姿である。面接会場の手伝いをしていた藍田UMITが事あるごとに<今度の店はかわいい子が多いですよ!>と少々興奮気味だったが、あれも誇張ではなさそうだ。
しかし、笑顔のいい子や器量のいい子の力は絶大である。
彼女達がそこにいるだけで店の雰囲気が明るくなり、常連さんは増加、且つ固定化が図れる。更に社員のモチベーションも高まってくるのだから、その効果たるや凄まじい。

「店長の木代です。力を合わせて頑張りましょう」
「よろしくお願いします!」

男という動物は呆れるほど単純だ。
器量良しが大勢入ってくると、俄然やる気がアップする。もちろん開店への不安は消えないが、そのやる気は不安を上回る勢いなのだ。

「店長…」

突如、藍田が体を摺り寄せてきた。

「なんだよ」
「あの背の高い子、かわいいと思いません?」

確かに目を引く子だが、他の二人も決して負けていない。
しかし、男どもがこれほどまでに浮き立つということは、今後の監視体制も強化する必要がある。男女問題はこうした職場にありがちな慢性病であり、放っておくと大問題にも発展する厄介な火種になりうるのだ。

「どうでもいいから、三角さんと一緒にロッカールームへ行って、彼女達のユニフォームの手当をしろ」
「ました!」

UMIT昇格と同時に新店勤務、そこへかわいこちゃんがわんさか集まれば、ウキウキ気分は隠し切れないだろう。
しかし適度に締めていかなければ、羽目を外すことになりかねない。

「おはようございます!!」

今度は元気な男性の声が飛んできた。坊屋と酒口だろう。
彼らとは今日が初対面なので、作業の前に軽い打合せを行う必要がある。

「おはよう。着替える前に3ステで話をしよう」

二人ともクック歴は2年目を迎える中堅どころで、今田DMの話によれば、新店こそ初めてだがよく動くファイトマンとのことだ。
それにしても、すらっと背の高い方、坊屋は鼻筋が通ったハンサムボーイである。うちでクックをやるよりどこかのホストクラブで働けばナンバーワン間違いなしだろう。
しかし、女性にとって彼の整いすぎた容姿はいかがなものか。何気に嫌な予感がしてきた。

若い頃・デニーズ時代 40

デイタイムのドロアーを上げようとレジ前へ来ると、今田DMの車がちょうど入ってきたところだった。
彼は東京エリア全てを見ているので、来店頻度はかなり低い。
それにしても何用だろう?
スケBは先日行ったばかりだし、他に特段問題はないはずだ。

< スケBとは☆ >
スケジュールBの略で、定期的にDMが行う店舗総合インスペクションのこと。
店舗全体のクリーンリネス、ポーションコントロール、グリーティング並びに接客マニュアル等々と、半日以上かけて大凡すべてのオペレーションをチェックするもので、基本的なUMの評価はこのスケBの点数と売上達成率で決まってしまう。
そしてスケBの厳しいところは抜き打ちであること。
実施日はある程度予測できるが、DMのスケジュール如何で急遽変わることが屡々である。いつもきれいにマニュアル遵守していればOKだが、完璧を期すとなると現実的には難しい。
スケBが終了すると、すぐにDMから詳しい説明が行われるが、及第点に達していない項目があれば厳しい指摘を受け、改善計画書を提出の上、再検査となる。

「おはよう。ちょっと話がある」
「おはようございます。それじゃ4番で」
「うん」

石田早紀にコーヒーふたつを頼んで、席に着いた。
長いデニーズ生活で感を養ったか、石田早紀がしきりにこちらの様子を窺っている。何かあると感じているのだろうか。DMの表情を見ると、機嫌が悪いという感じではない。

「東京の第2弾が発表されたんだよ。いわゆる八王子の次ね」
「へ~、どこですか?」
「立川」
「立川店があるじゃないですか」
「南口だよ」

最近の発展した立川からは想像もできないが、一昔前の南口は古い飲み屋が軒を並べる、やや暗い雰囲気のする街並みだった。それが頭にあるせいか、新店が立川の南口にと聞けば、余り印象は良くない。

「日野ロータリーって知ってるか?」
「いいえ」
「日野橋の交差点だよ」
「あの五差路ですか?」

日野ロータリーという呼び方はかなり古い。甲州街道、奥多摩街道、新奥多摩街道、そして立川繁華街へと繋がる道が重なる交差点で、昔も今も終日交通量が多く、渋滞のメッカとして知られている。
確か立川店時代に添田UMが、<渋滞の激しいところは立地的に良くない。>と言っていたのを思い出したが、果たして勝算はあるのか。
尤もプロ集団である店舗開発部が吟味した物件だろうから、心配ご無用ってところか。

「そう。それでね、君にやってもらおうと思うんだ」

一瞬思考が止まった。
天下の新店オープンを、UM経験たったの4カ月の私にやれってこと?!
それとも、、、

「ヘルプですか、新人教育、それとも面接??」
「何言ってんだよ、お前がUMやるんだよ。もう決まったことだからな」

突如のしかかってきた重い空気に押しつぶされそうだ。
しかし組織人にとってこれは光栄なことだし、水準以上のオペレーション能力ありと認められたことになる。しかし店舗を「0」から立ち上げるとなると絶対に容易ではない筈だ。

「私、やれますかね」
「やれますかじゃなくてやるんだよ」

おめでとう! 期待してるよ! 選ばれたね、頑張って!
なんてフレーズが今田DMから出てくる筈もないが、なんとなく引っかかる言い方である。

「店名は“立川錦町店”で、年商は3億位に設定しようかと思ってる」
「さ、3億ですか、、、いきますかね」
「ばか、売るんだよ!」

この話を聞かされた時点で、既に店舗の建設はある程度まで進行しているという。タイプは145型で浦和太田窪店や立川店と同じである。営業時間はオーソドックスな7時~23時でスタートするとのことだった。
新店オープンまでの流れは、綿密なスケジューリングが組まれていて、UMの仕事は進行状況の確認がメインになるらしい。
アルバイトの採用広告は店舗建設に先んじて出されていて、店舗受け渡しと同時にトレーニングが始まるという。

「スケジュール表は熟読するように」
「ました」

分厚い関連書類だけが残った4番テーブルで暫し呆然。
嬉しさと不安が混在する微妙な気分に陥り、ため息が出てきた。それにしてもなぜ新米UMに新店オープンという重責が回ってくるのだろう。既存店を見渡せば優秀なベテランUMはいくらでもいる。案外、能力を認められたというより、顎で使い易いタイプだから選ばれたのかもしれない。
考えれば考えるほど混乱して頭が重くなるが、同期で最初にUMになったのも、そして最初に新店を任されたのも自分と思えば、してやったり感だけは大きい。

「ちょっぴりだけど、聞いちゃいました」

石田早紀がすぐ背後にいるのに気が付かなかった。
それほどぼーっとしていたのだ。

「凄いですね、おめでとうございます」
「からかうなよ」
「でも店長がいなくなるのは寂しいかな、、、」

彼女に聞かれたってことは、数日でほぼスタッフ全員に広まるってことだ。

「辞令は週明けらしいから、それまでは余りペラペラ喋るなよな」
「はいはい」

そしてこの日から三日後。人事部の本田さんから電話があって、東久留米店の後任UMには、現UMITの君澤を昇格就任するのだと聞かされた。
明るいニュースに沸き立つ東久留米店では、早々に君澤体制へとシフトさせ、それが功を奏したか、店全体が新たな活気に溢れ始めたのだ。
しかしそんな中、未だに気持ちの切り替えができていない優柔不断な自分だけが、日に日に大きくなる焦燥感に頭を抱えるのだった。

若い頃・デニーズ時代 39

デニーズは順調な出店ペースを持続していた。
この大躍進の源は、もちろん全店舗スタッフによる尽力に他ならない。きびしい人員配置の中、何とかシフトを死守しようと奮闘する姿は健気であり、ほんと、カッコ良かった。しかし、彼らの日々を支える緊張の糸は、突如として切れてしまうことがある。
原因は人それぞれだが、恐らく最たるものは頻度の高い“異動”だろう。
異動や転勤には様々なドラマが付きまとう。特に引っ越しを伴うものは、体力的にも精神的にもしんどいことこの上ない。
特に担当職は借り上げ住宅を基本とした寮住まいになることが多いので、プライベートで発生するストレスも考慮しなくてはならない。
住まいを共とする寮生との間に問題が起これば、仕事のそれと重なり、窮地に至ることもありうる。
実際、私が浦和太田窪で勤務していたころ、早番だった同期の村尾が、<よく眠れない>とぼやいていたことを思い出す。
遅番から戻ってきた同じく同期の下地が、シャワーを浴びたり夕飯を取ったり、はたまたテレビを観たりと、その生活音が眠りの邪魔をしていたのだ。完全に独立した部屋ならこんな悩みもなかったろうが、何と部屋と部屋との仕切りは、襖一枚だったのだ。キッチン、トイレ、風呂場は完備されていたが、もちろん共同で、そこから発する生活音はいとも簡単にそれぞれの部屋へと侵入してしてしまう。夜昼逆さまのシフトを任されている二人が住むには到底具合が悪い。
もちろんこれが全ての原因ではないが、結局二人とも退職してしまった。
私も最初は寮へ入るつもりでいて、一旦は身の回り品と寝具を抱えて寮へ持ち込んでみたが、間取りを目の当たりにした瞬間、そのまま引き返した。何故なら、直観的に“休めない”と感じたからだ。
デニーズの独身寮がどこも同じ状況だとは言わないが、出店ペースの速さはやっつけ仕事を常態化させ、緻密な養生ができていないことは明らかだった。

「マネージャー、これ」
「ん?」

君澤が届いたばかりのメール便の中から一通の書類を差し出した。
見れば「全店店長会議」の通達である。半年に一度、本部の大会議室で行われるもので、業績不振に該当する面々には胃が痛くなる恒例行事だ。私はもちろん初参加になるので、緊張よりも楽しみの方が大きい。

当時の株式会社デニーズジャパンは、イトーヨーカ堂を筆頭とするIYグループ各社と共に、東京タワーの隣にある森ビル(現在のメソニック38MTビル)に移り入っていた。東京の中心地という立派な場所にある立派なビルだけに、ここへ出勤することは大きな楽しみであった。
入社した頃の本部は、確か九段下駅の近くにあったように記憶している。

「幹部たちと先輩UMだらけじゃ緊張しますね」
「まあね。でもどんな内容か見てみたいよ」

そして初となる全店店長会議。これが意外や興味深かった。
入社式以来1年半ぶりに聞く池澤本部長の講話。小寺RMによる外食産業界の現況報告。そして営業管理部より発表された具体的な数値等々、どれも知識、情報として濃い内容であり、仕事をする上で大きな指針になったことは言うまでもない。
但、休憩時間では新米UMの初参加ということで、色々な方々にずいぶんと茶化された。

「おっ、木代か、なんでここにいるんだ?」
「誰かと思ったよ」
「いつUMになったの?」

等々だが、歓迎の意と解釈すれば、これもまた愉快である。
それにしても、いい時代だった。
会議が終わり、浜松町駅へと歩く道すがら、この会社で頑張れば、間違いなくレストラン界の王道を胸張って歩けると、すばらしく高揚した気分に包まれたものだ。

全店店長会議から休む暇もなく、年末年始の準備に取り掛かる。
当時の飲食店で年末年始も休むことなく営業を行うのはファミリーレストランしかなかった。ということは必然的に来店客は増え、特に帰省先の地方店では通常週末の倍近くまで売り上げを伸ばす例もある。よって売り上げ予測を始めとした準備は非常に大事な仕事になる。
最も留意しなければならないのは人員確保。数か月前からアルバイト一人一人に根回しをしておかないと、いきなり正月休みの直前に出てきてくれと頼んでも通用しない。当然彼らにもプライベートがあり、旅行、スキー、帰省等々、楽しみな計画は満載だろう。
私の場合は、各シフトごとに小ミーティングを1~2度行い、<年末年始は一日でもいいから出勤してもらいたい>との店側趣旨を述べ、協力ムードを盛り上げていった。中でも大晦日から三が日が大きな勝負となるので、9月以降の新規応募者には面接時にその旨を伝え、必須採用条件とした。
こうして東久留米店での年末年始は、思ったより楽に仕事が運び、おかげで何の問題もなく新年を迎えることができたのだ。
ところがこの後、都心部の店舗展開に更なる弾みがつき、思いもよらない方向へと突き進んでいくのだった。

若い頃・デニーズ時代 38

「おはようございます」
「久しぶりだな、元気でやってるかい」
「おかげさまで何とか」

田無店新入社員の佐々木である。3カ月ぶりに見たその顔には既に組織の一員となった逞しさが滲み出ていた。
そう、何やらホワイトを切らしたようで、先ほど橋田さんからその旨の電話があったのだ。
時計を見れば16時を回ったところ、あとはディナーでのサンドイッチ需要をカバーできればいいわけだから、それほど数量はいらないだろう。
ところでこの店舗間の食材貸し借り、実は御法度である。なくなったら借りればいいやでは、売り上げ予測はいい加減になるし、それよりコスト管理が煩雑になって、正確な数値が見えなくなる。元々は貸し借りに際しては、届け出票を運用していたのだが、頻度が高ければ店の恥にもなるので、いつの間にか暗黙裡に処理されることが常となっていた。

「それより木代さん」
「なに?」
「橋田UM、辞めちゃうんですね」

この件は田無店在籍中に本人から聞いていたことだが、最近になってスタッフ皆に伝えたのだろう。
家業を継ぐらしいが、真意は定かでない。親身になって指導をいただいた上司なので、正直残念でありまた寂しい。
それにしてもデニーズ、辞める者が多い。
これまでに掌握している同期生の退職者数は5名にのぼり、風の噂ではあるが、特に千葉エリアではかなりの退職数が出ているらしい。
正直なところ楽な仕事ではないし、レストラン業が好きで入社した者ならまだしも、とりあえずの職場を求めて入ってきた者には、続けられる環境であるとは言い難い。
“通し”がまかり通る長時間労働、時には“蹴り”まで入るパワハラの常態化、そして頻繁な人事異動等々、今でいうところのブラック企業の典型だ。

「そうだな、寂しいよな。俺なんかお世話になりっぱなしだよ」
「でもどうなんでしょう」
「なにが?」
「橋田さんは立場的にこれからっていうところだから、もったいないなとは思うけど、それ以上に先々の魅力が見えなくなったんじゃないですかね」

新入社員の佐々木がこんな発言をするとは意外だった。UMになって有頂天の私は、後輩の心情を察するゆとりをどこかに置き忘れたのかもしれない。佐々木はたった1年後に入社してきたのだから、仕事や組織に対する考え方は私と殆ど同じだろうと何の疑いもなく接してきたただけに、仕事の将来性に疑問を持つような一言には強い違和感を覚えた。

「定かじゃないけど、実家の仕事を継ぐらしいよ」
「それって本当ですかね」
「俺はそう聞いてるけどな」

この年、デニーズジャパン労働組合が結成された。私はあまり興味をそそられなかったので、注目はしていなかったが、現状の職場環境がこのまま続けば、様々な問題が噴出してくる懸念は、誰でも感じていたと思う。
そして組合の活動が進むにつれ、それまで知る由もなかった社員の考え方や会社への要望、そして将来の展望等々が徐々に明らかになってきたのだ。
少なくとも私は、男たるもの組織へ入ったらとにかく出世だろうと頑なに信じていた。もちろん同期入社の面々も大方同じ考えを持っているものと認識していた。誰よりも早く店長へ昇格し、年商の大きい店を担当、全店店長会議では進捗率ナンバーワンで表彰され皆の注目を浴びる。 これに向かって全力で突っ走ることこそ本流であり、それ以外は無いとまで思っていた。
ところがだ、後に“それ以外”の考え方を持つ社員が相当数にのぼることが判明、これを反映させたか、会社から全社員を対象に、将来の進路を<出世重視、どこへでも転勤OKの“ナショナル社員”>と、<出世より安定感、転勤は住まいから通える範囲に限るという“エリア社員”>のどちらかで希望を取るという方針が発表されたのだ。
私は殆どの者がナショナル社員だろうと確信していたが、何と蓋を開ければ大凡半々と、思ってもみなかった結果が出た。
まだまだ「モーレツ社員」という言葉がまかり通る時代ではあったが、1980年代に入ると、それは徐々に形骸化が進み、サラリーマンの多くは仕事よりプライベートを重視する傾向へと変化していくのだった。

「新しいUMは決まってるんですか?」
「それは俺にも分からない」
「そうすか、、、」

一瞬眼差しが伏したように見えたが、すぐにいつもの佐々木スマイルに戻ったようだ。

「マネージャー試験が近いんだろ、頑張れよな」
「ありがとうございます! それじゃ失礼します」

彼は年明けの2月に埼玉エリアでUMITをスタートさせた。しかし、激しい新店オープンラッシュに駆り出され、遂には疲れ果てたか、時期は不明だが、UMになることもなく退職に至ったらしい。
そういえば、小金井北店の時、中間社員で入社してきて、その後立川店で再会した槇さん。新店オープンである碑文谷店でUMITに抜擢されたまでは良かったが、地獄のような毎日でぼろ布のようになり、自ら退職願を提出、彼も知らないうちにデニーズから消え去っていた。
個人的には余り好きなタイプではなかったが、後からその経緯を聞かされると、口惜しさだけではなく、会社へ対するはっきりとした憤りを覚えたのだ。
この頃からかもしれない。
まだほんの灯レベルだったが、自己のmotivationを阻害する動きが芽生えたのが、、、

若い頃・デニーズ時代 37

心配していた従業員の気質に問題はなく、むしろ“明るくて良く動く”というのが第一印象だった。各職種の頭数も充足していて、ランチや週末のディナーも難なくクリアできるところは、フォーメーションができあがっている証拠だろう。なんだかんだ言っても梅本UMの人事管理はさすがなものだ。
但、ファミレスはこの時代の高校生、大学生にとって人気のアルバイト先であり、本部の募集広告だけで月に4~5人の面接があったので、私の知る限り、どこの店でもそこそこの充足度はキープできていたように思う。
あとは採用者をいかに短期間で戦力として育て上げるかが最大のポイントになる。
アルバイトの教育は、マネージャーによる接客サービスの基本や就業ルールの説明から始まり、次は担当職やアルバイトスタッフに預け、マンツーマンで具体的な仕事の手ほどきを受けるのが一般的。この際、教えるのが上手なスタッフがいると当然ながら効率は良い。
この点、東久留米にはベテランBHの栗原浩二が非常に光った存在となっていた。大学を卒業後、専門学校に通いながらのアルバイトだったので、週の出勤日数も1~2日程度、一度の就労時間も4時間を上回ることはなかったが、新人のBHへ対しての指導はとても詳細なもので、彼に任せておけば、20時間から30時間ほどでBH全ての仕事を教え込むことができた。
BHはとかく縁の下の力持ちと言われるが、実はこの縁の下の力持ちこそ、デニーズの健全な営業の要となっている。
< レストランの基本 = クリーンリネス >は言うまでもなく、駐車場のごみ拾い、雑草除去、トイレ掃除、窓ふき、グリーストラップの清掃、食器洗い、食器補充、バッシング補助等々、あげればきりがないほど大切な仕事を担っているのだ。

「マネージャー」
「はい」

さっきから皿洗いをしていた栗原が、仏頂面を下げて事務所へ入ってきた。

「フォワード、もうないんですけど」
「そうか、すぐ発注しとくよ」
「こないだも同じように君澤さんへ頼んだんですよ」
「そうか、ごめん」
「ほんと、お願いしますよ」

不機嫌さがもろに出ている。
生真面目さは買うところだが、アルバイトの中では最長老であること、前UMに可愛がられていたことなどが、増長を生んでいるようで、正直なところ、使い勝手のいい従業員とは言えなくなっていた。先週の日曜日などは、MDの食事回しの指示を勝手に行い、それを咎めた君澤と激しい口論になり、危うくつかみ合いになるところだった。

「もっと早く回さないとピークに間に合わないじゃないですか」
「そんなこと分かってるよ」
「分かっててなんでやらないの」
「なんだお前、その口の利き方は!」

前UM、そう、梅本さんは35歳だ。私と君澤UMITは同い年の25歳、そして栗原は23歳。
ベテランUMに鍛えられながら切磋琢磨してきた栗原にとって、殆ど年の差のない新米マネージャーの仕事ぶりは、認められるものではなく、また歯痒いものとして映ったのだろう。
そもそも若いマネージャーが人を使うのは、想像以上に難儀だ。特に主婦を中心とする平日のランチメンバーの殆どは年上で、それなりに経験を積んできた人生の先輩だ。よって作業のアドバイスをするにも、注意をするにも常に気を使わなければならず、年長者やベテランを重んじる気持ちを多少なりともアピールしていかないと、思うように動いてくれないことが多々あるのだ。
ちょっとした指示も、“俺はマネージャーなんだ!”とばかりの命令調では反発や反感を食らい、店の統制がぐらつきかねない。

「マネージャー」
「うん、どうした」

さっきからエンプロイテーブルで食事をとっていたMDの石田早紀である。
ちらっとディッシュウォッシュの方へ目をやると、おもむろに声を潜めて、

「栗原さん、なんか最近イライラしてるみたいですね」
「そうみたいだね。なんかあったの?」

どうせ私が原因なのだろうが、何気に訊いてみると、

「分かりませんけど、最近になって“この仕事、もういいかな”って、何度か漏らしてました」

アルバイト歴も3年を過ぎれば、人によってはマンネリを感じるだろう。そんな時、新しい仕事を考えたりもするだろうが、慣れた職場は捨てがたいし、仮に他へ移っても、新しい仕事を一から覚えるのは容易なことではない。
彼もその辺の葛藤に苦しめられているのかもしれない。

「それより、マネージャーの歓迎会をやろうと思うんですが、来てくれますよね」
「おおっ、そりゃ嬉しいね」
「私と香苗ちゃんと、そのほか3~4人ですけど」
「ありがとう、行かせていただきます!」

UMになったばかりで不安が大きい中、こうしてスタッフの方から一席設けてくれるなんて、感慨ひとしおである。

「香苗ちゃんの家はスナックなんで、そこでやります」
「そうなんだ、それは知らなかったな」

こんなやり取りから一週間ほど経ったある晩、MD時田香苗の実家である“スナックLULU”に、私を入れて7名が集まり、歓迎会がひらかれた。
盛り上がる宴の中、発起人の石田早紀と、唯一の年輩、DWの立川さんは共によく飲みよく喋った。彼女達は年齢が親と子ほど離れているのだが、気が合うみたいだ。

「早紀ちゃん、彼氏いるんだったらそろそろ結婚じゃないの」
「いるようないないような、結婚したいようなしたくないようなって感じかな」
「なにそれ、わけ分かんない」

石田早紀は20歳代半ばで独身。以前にOLの経験があるそうだが、大人っぽく、中々の男好きするタイプである。これまで浮いた話も多々あっただろうが、本人曰く、独り身の気軽さが一番らしい。恐らく立川さんはそんな彼女が無性に心配なのだろう。確か立川さんには同じ年頃の娘がいたはずだ。そんな立川さんの心情が石田早紀には分かるから、自然にこんなやり取りができるのかもしれない。
それにしてもデニーズという職場は興味深い。
高校生から上は60歳代までの男女が仕事を通じて切磋琢磨し、そしてコミュニケーションする、れっきとした一社会を形成しており、学校生活だけの学生や専業主婦には到底味わえない人の絡みに溢れ、個々にとっては人生勉強となったり、楽しさにもつながっていく。
但し、職場でできた友人、職場で芽生えた恋と、その社会は良い意味での広がりも見せる反面、問題も多々発生する。特に恋愛沙汰には様々な落とし穴が口を開いて待ち受けており、日頃から十二分な人事管理が必要となっている。
しまったり、MDとBHの恋愛が壊れて、ふたり共々アルバイトを辞めてしまったり、ひとりのMDを巡って、二人のアルバイトが取り合いとなり、負けたKHがそれっきり店に来なくなったり、更には何と社員と主婦MDが駆け落ちして裁判沙汰と、営業体制に支障の出ること屡々なのである。

「マネージャー、、、送ってくれますか」

突然のひとことに場が騒めいた。

「ヒューヒュー、やりますね新店長!」
「おいおい勘弁してくれよ」

それにしても頬を染めた石田早紀、ちょっと危険な艶めかしさを放っている。今日は車で来ているのでアルコールは飲んでいないが、若しも酔っていたら、自制心との戦いになりそうだ。

「だって私スクーターで来ちゃたから、、、」
「マネージャー、送ってあげてくださいよぉ」

傍にいた立川さんがすり寄ってきた。彼女もけっこうな酔い加減で、石田早紀よりもむしろ危なそうだ。場は相当に盛り上がっていたが、腕時計を見ると午後10時を回るところだった。

「それではみなさん、今夜はありがとうございました。これでお開きにしますので、気をつけて帰ってください」

よろけながら立ち上がった石田早紀にMDの時田香苗が声をかけた。

「早紀さん、気をつけてね♪」
「何言ってんだお前!」

スタッフ達との関わり合いも、UMITやAMの頃とくらべて、自然体でできるようになった気がする。
以前はコミュニケーションやトレーニングに際しても、絶えず総責任者である店長のフィルターを意識しないわけにはいかなかったが、その店長の立場になってみると、個々のスタッフとより深まった内容がストレートに交わせ、良いにつけ悪いにつけやり易くなった。しかし裏を返せば、全ての責任がのしかかっているのだから、今まで以上にタガを締めていかなければならない。

「早紀、行くよ」
「お願いしま~す」