モト・ギャルソンは“有限会社バイクフィールド”という子会社を持っている。モト・ギャルソンを創設した数年後に、スクーバダイビングのビジネスを行うために作った会社だ。大崎社長はバイクビジネスのみならず、時節を鑑みた上で、チャンス到来と判断すれば、新ビジネスへトライする姿勢を持ち続けていた。
しかしバイクフィールド(以下BF)の道のりは険しいことの連続に終始した。
ダイビングショップ・ムーバを開業した頃は、一九八九年に公開された映画『彼女が水着に着替えたら』の大ヒットも手伝い、世の中は空前のダイビングブームに沸いていた。そんな助けもあって上々の滑り出しを見せていたが、悲しいかなブームはそれほど長く続かなかった。結局“まだやれるだろう”があだになった。
消費者は賢い。ウェットスーツ、マスク、フィンなどの機材は、安く手に入る量販店で買い求め、アットホームで内容の楽しいツアーだけはムーバを利用したのだ。ところがツアーの収益性は低く、そもそも日頃の愛顧に対するサービス行為でしかない。それでも常連客の要望には抗えず、身を切るようなツアーを企画しては実行を繰り返していた。ショップは機材の売上あってこそ存続できるもの。気がつくと倉庫は売れ残った機材で溢れていた。こうなると泣く泣くだが赤字覚悟で売りさばくしかない。しかし大特価セールだけでは焼け石に水、ついには十円スタートのヤフーオークションを使ってまで、現金化を図るしかなかった。
親会社であるモト・ギャルソンには運営資金を借りていた経緯があり、双方に対しこれ以上の負担はかけられないと判断、ムーバは独立した。社長は下山専務の息子である。しかし孤軍奮闘はしたものの、結局は店じまいに終わった。
一時はおどろくほど繁盛し、米国領のグアムに店を持ったこともあった。プレジャーボートも手に入れて、大勢のお客さんに囲まれ賑やかなものだった。結局バイクフィールドに残ったのは、多額の借金だけである。
しばらく時期を置いてから、起死回生と、こんどは中古ゴルフクラブの販売店“ゴルフィックス”を開業した。大崎社長はなによりもゴルフが好きで、業界の内外には精通していた。当時、中古クラブの専門店などはなく、中古バイクの旨味をヒントに計画をスタートさせたのだ。商品の入手はゴルフダイジェストなどの専門誌にゴルフクラブの買取広告を掲載、最初はレスポンスに乏しかったが、そのうちにぽつりぽつりと問い合わせが来るようになってきた。バイクや車の中古車はオークションがあるので、誰でも仕入れはできるが、当然ゴルフクラブにはそのようなシステムはない。
<S-YARDアイアンセット〇〇円、PINGアイアンセット〇〇円で買い取りいたします!>
そんなシンプルな広告だったが、掲載を続けていくと、買取希望の問い合わせは確実に増えていった。半年もするとショップの体面がとれるほど在庫が増えてきたので、新品の半額ほどの価格で店頭に並べると、これがすごい、瞬く間に品切れである。大崎社長は考えた。これほど反響があるならフランチャイズ化してみようと。さっそく専門誌にフランチャイズ加盟の宣伝広告を載せると、数社から声がかかり、大崎社長は、説明、契約、開業フォローと、関東はおろか遠く東北にまで日々飛び回ることになった。
ゴルフィックスの成功は急速に広まり、ついにはマスコミの目に留まる。なんと朝日新聞社のニュース雑誌“AERA”から取材要請が飛び込んだのだ。大崎社長の写真を中心に、カラー見開きで掲載され、大げさではなく、まさに時の人となったのだ。
ところがここまで有名になると、ゴルフ用品大手が黙ってはいない。うちが<〇〇アイアンセット三万円で買取します>と広告を出せば、翌週にはシントミゴルフが同じアイアンセットを五万円で買取ります!と反撃してくるのだ。こうなると企業の体力勝負になり、悲しいかな中小企業に勝ち目はない。じわじわと問い合わせは減っていき、みるみるうちに商品の確保が難しくなってきた。売るものがない!、粗利が取れない!とのクレームが続出、せっかく軌道に乗りつつあったフランチャイズも辞退が相次いだ。
結局ビジネスレベルではおおよそ三年弱しか維持できなく、ムーバと同様、終いには経営権を手放すことになった。
それでも銀行評価を考えれば、赤字状態であるバイクフィールドを遊ばせておくことはできず、苦肉の策として、ハーレーの中古車を専門に扱う会社として再びスタートさせたのだ。二〇〇九年春のことである。
店舗を三鷹の狐久保に構え、スタッフにはハーレー統括部長の江藤さんと、元ムーバ代表の下山くんの二名が選ばれた。二十坪ほどの小さな店だったが、極上車のみをピカピカに磨き上げて並べ、プロショップの雰囲気を演出した。ただ、メカニックは置かずに、注文が入ればその都度HD調布またはHD東村山へ納車整備を依頼するという仕組みにした。
ちょうどこのころから、中古車の告知を雑誌で行うことはほとんどなくなり、メインをwebへと転換した。ただ、自社のHPでは告知に必要なアクセス数を見込めないことから、利用したのが中古バイク掲載台数国内トップの“グーバイク”。掲載料は幾分高かったがさすがに反応はよく、モト・ギャルソンの営業手段として欠かせないツールになっていった。
開業後、ハーレー中古車店はまずまずの成果を上げた。しかし内容を見るとそのほとんどが江藤さんのつてからの商談だった。江藤さんは昔からなかなかの人気者である。彼が代表となった新店の開店情報は常連客の間で瞬く間に広がり、その常連客の紹介による商談が結構入っていたのだ。商談だけではない。遊びに来店するお客さんがひっきりなしだったから、江藤さんは日々彼らへの対応で一日が終わってしまう。外から見て店内に常連らしき客がうじゃうじゃいる状況は、新規客からすれば“入り辛い店”と映ってしまう。そのせいだろう、新規商談が非常に少なく、せっかくグーバイクから入る問い合わせに対してもフォローが不十分となり、取れる商談も落としてしまうという悪循環に陥ていたのだ。もう一人のスタッフである下山くんの仕事は、もっぱらグーバイクへのアップ作業。それはそうだ、スクーバダイビングに関してはプロだが、バイク関連はまだまだ素人。よって、店頭にしろweb問い合わせにしろ、上手に対応して商談から成約までもっていくのは難しかったと思う。
家賃ならびに開業経費の返済、そして二人分の人件費は重くのしかかった。
BFの借金軽減のために開業した中古車店だったが、半年もすると軽減どころか再び借金しなければならない状況へと転落。
残念だったが、一年を待たずしてハーレー中古専門店は閉店。同時に江藤さんは会社を去った。
とある日、大崎社長が話があるというので、連れ添って近所の和食屋へランチに出かけた。
ドゥカティ部門は新しい店で大杉くんと坂上くんが奮闘を続け、なんとか現状維持を保っていた。一方ハーレー部門はメカたちの頑張りで、工賃収益を高いレベルでキープしていたが、HDJによる車両の押し込みが激化する傾向にあり、資金繰りは絶えず崖っぷち状態だった。契約台数を仕入れなければディーラー評価が落ち、ホールバックマージンを削られるという理由で、限度すれすれの仕入れが常態化しつつあった。こうなると在庫は膨らむ一方である。もはや返済金利と在庫金利ロスは、見過ごせないレベルにまで達していた。
「BFの借金をこのままにはしておけないんで、なんとかしなきゃならないけど、どう考えてもうまい方法は見つからない。それでね、目を付けたのが共進倉庫に眠っている不良在庫の処理を、とりあえずBFに仕事としてやってもらおうと思うんだ」
話はわかるが、とても嫌な予感がしてきた。
「木代くんにお願いしたいんだけど」
やはり…
正直なところ、ハーレー営業統括の仕事は、気分的にも構造的にも暗礁に乗り上げていた。各店の勝手な動き、それを見て見ぬふりを続ける店長と社長。そんな環境下での毎日は、モチベーションを下げ、気づけば自分の仕事にも手抜きが目立ち始めていた。そう、まったくやる気が出ないのだ。
もっとも、このやる気のなさは社長にも明らかに伝わっていた。営業統括としては使い道がなくなった木代部長、それでもこれまでの経緯があるので、これをラストチャンスとして、せいぜいBFで踏ん張ってみろよということだ。
この時点から社内の立ち位置が変わった。モト・ギャルソンに於ての役員はそのままに、職務上はバイクフィールドの社員となったわけだ。中小企業の役員報酬なんてものは雀の涙以下、明日からはこの腕で稼いでいかなければ生活に差し障りがでる。まったく頭が痛い。
「わかりました。やりかたは私に一任でいいですよね」
「かまわない。とにかく始めてみてくれ」
さて、目を避けたくなる不良在庫の山。こいつをどうやって料理するか。