
モト・ギャルソンのモットー【遊べるバイク屋】の訴求は順調に進んでいた。自社イベントの盛り上がりはもちろんのこと、もう一つの要素として、ドゥカティのライダーズミーティンク゛“ドゥカティラリー”と、関東圏のビューエル正規販売店が設立した組織、BuellDOK(ブルドック)が定期的に行うライダーズミーティンク゛“ワインディングハント”が予想を上回る盛況に沸いたことが好影響したようだ。特に少数派のビューエルオーナー達にとっては、自分の車両以外、普段あまり見ることのないビューエルが、毎回二百台近く集結する様を目の当たりにすれば、驚きと同時にうれしさも感じるはずだ。販売台数は数値でわかっていても、実際にこれほどの数のビューエルを目の当たりにすると、俺だってびっくりだ。

「ビューエルって、こんなにいたんですね」
「わかってても驚いちゃうね」
BuellDOKの役員である大崎社長も、広場に集結したビューエルを唖然と見つめている。初のミーティングは清里で行われ、百台を超えるビューエルが集結した。二〇一一年に解散となるまでに十一年間の活動実績があり、最終回のワインディングハントは二百五十台の参加で盛り上がり、惜しまれる雰囲気が場内に満ち溢れていたのは覚えている。ハーレーダビッドソンとビューエルの決別が、オーナーたちの楽しみを奪ってしまったのだ。

一方のドゥカティも販売店主導型のドゥカティラリーを、ビューエルミーティングを追うように第一回目を蓼科のホテルで開催した。ただ二回目からはドゥカティラリーを運営をするための販売店グループを作り、その中で毎回幹事を選出、イベント内容、宿泊先等々を持ち回りで行った。うちのグループは東京から三社、群馬から一社、新潟から一社の計五社で構成された。初回の幹事は、小平のO社長率いるTモータースが行うことになった。
「大崎社長から聞いちゃったんですけど、木代さんって抜群にMCが上手なんですって」
「ええ、そんなこと言ってたんだ~」
大崎社長のおしゃべり好きは相変わらず絶好調のようだ。
「御社のビッグツーリングの宴会の様子を詳しく話してもらいました」
やっぱり。
「そこでお願いがあるんですけど、MCの子とペアを組んで、会場イベントを盛り上げてもらいたいんです」
そうきたか。
「えええ、ちょちょっと、重荷かも~」
「そんなこと言わないでお願いしますよ」
てなことで最後は押し切られ、記念すべき第一回目の蓼科を皮切りに、第二回の伊香保、そして第三回の箱根まで、連チャンでMCをやることになったのだ。



蓼科のホテルの裏庭にはこじんまりした別棟があり、そこがCガール三人の控室になっていた。
「どーも、木代ですが」
突き当りのドアが開き、ひとりの女性が出てきた。
「あら、木代さんですね、どうぞこちらへ」
部屋に足を踏み入れると、メイク中のCガールが二人いて、会釈された。
「初めまして、MCの横沢です」
横沢直美さんは目元パッチリのロングヘア―で、スタイルが抜群にいい。年のころは二十代後半から三十前半てなところか。Cガールたちは共に二十代だろう。いちおう打ち合わせということで来てはみたが、
「随所で話を振りますので、合いの手はアドリブってことでいきましょう」
これは願ったりかなったりである。へんに台本があると緊張するし、ビッグの宴会はいつだって100%アドリブだから、そっちの方が慣れている。
「OKです。俺もその方がいいかな」
幸いなことに、直美さんとは初っ端から息が合った。と言うか、やはり彼女はプロ。話の廻し方が抜群に上手で、乗せられたようにアドリブが飛び出てくる。それとビッグの時もそうだが、事前にアルコールを少し入れてあるので、リズムにさえ乗れば、あとは勝手に舌が回り続けるのだ。
こうなると多数の参加客を前にしてマイクを握るのは楽しい。しかもCガールは毎回変わっても、MCは第三回目までずっと直美さんだったから、安心してやり遂げることができた。










「木代さん、おつかれさまでした」
「いやいや、つたないMCでかえって迷惑かけちゃったね~」
「とんでもない、ものすごくお上手でした」
さっきからニヤニヤしているTモータースのO社長、
「木代さん。バイク屋からMCに転向したらどうですか」
「なに言ってんですか」
「うちの事務所、紹介しますよ」
「直美さんまで、なにバカなことを」
とは言ったものの、なんだか嬉しい。
ワインディングハントとドゥカティラリーは共に毎回盛況で、有力バイク雑誌社も取材に来るようになり、雑誌掲載効果によるものか、売り上げも好調に推移した。しかし何よりの恩恵は顧客の定着化である。イベントに参加したお客さんの来店頻度は決まって上がり、お客さん同士、そしてお客さんとスタッフの繋がりが強くなる。この流れは店に活況を生み、具体例として、紹介、カスタム、点検等々が増えていった。
ただ、このようないいことずくめは長くは続かない。
ビューエルとハーレーの決別でワインディングハントが中止に追い込まれるのは致し方ないとしても、DJが徐々にドゥカティラリーから離れる方針を打ち出したときは、かなりカチンときた。
東京は中目黒にあるDJのオフィス。昼過ぎからドゥカティラリー運営グループの会議が行われた。
「えっ? それって、イベント会場の隣で試乗商談会をやるってことですか?」
これまでのドゥカティラリーとは趣向がだいぶ異なるので、各店代表はそろって眉を曇らせた。しかも試乗商談会を実施するに当たり、各社から二名のスタッフを出してくれと言う。
「うちはお断りします。箱根で商談会をやっても、まさか新潟のお客さんは来ないでしょうから」
新潟のAモーターの発言はもっともである。
「ドカを買ってよかったと、既納客に満足してもらうためにドゥカティラリーがあるんだから、それに全力投球しましょうよ」
「僕もそう思います。試乗商談会は別にやったらどうですか」
なんでいきなり方針を変えようとするのか、その理由をDJ営業へ詰め寄ると、最初は遠まわしな回答を続けるだけだったが、要は半年ほど前からDJの業績が落ち始め、イベントへの予算を捻出するのが難しいところまで来ていたと言うのだ。
「売上なんて、そんな商談会を単発でやっても、すぐにどうにかなるもんじゃないでしょうに」
販社には販社の、販売店には販売店の悩みや問題がある。それとは裏腹にお客さんは楽しさと満足を絶えず求めてくる。三者それぞれの欲求を独自に解決しようとすれば限界があり、絶えず三者一体となった、つまりウィンウィンを目指すような考え方を基本としなければ、結局空回りに終わるのだ。これを当時最も効率的に行っていたのは、国産、外車バイク界のなかでも、唯一ハーレーダビッドソンファミリーだったように思う。
「とにかくイベントへの予算は控えてくれというのが本国の意向なんで、そのへん、ご理解をいただきたいのです」
平行線は延々と続き、ドゥカティの三者一体となった素晴らしいイベントは、尻つぼみとなっていくのだった。