
「木代くんさ、明日のためにいいもの借りたよ」
杉並店の内装工事が完了し、ついに明日、本店から引っ越しである。工場とショールームには、持って行くものと不要なものとが整然と分けられているが、不要なもののあまりの量に唖然。断捨離は普段から行うべきと常に意識しているが、これがなかなかできない。
さて、江藤さんが“いいもの”と言っていたのは、HDJが所有するイベントトラック。10トン車でガルウィングのゲートを持ち、バンドのステージにも早変わりできる巨大なトラックだ。これなら荷台の全周囲から片っ端に積み込みが可能だし、その積載量は半端でなく、何度もピストンすることはないだろう。
「そりゃ凄い、ありがとうございます!」
イベントトラックを借りられたことにより、引っ越しはダブルヘッダーとした。同日に総務課の家具備品も、すべてHD調布の二階へ移すのだ。
引っ越し日は全店休業とし、スタッフ総動員で行われた。最初にイベントトラックを借りてくる必要があったので、スタートはやや遅めの午前九時過ぎになったが、リーダーシップ炸裂の江藤さんが陣頭指揮を取ってくれ、無駄なくスムーズに事は進み、当日の午後六時前には移動がすべて完了。江藤さんはイベントトラックを戻しに、再び横浜のHDJ倉庫へと向かっていった。
「えらくバタバタしたけど、これならすぐに営業できそうだな」
「だめだめ、坂上がのろくってさ、、、まだ自分の工具と、修理に使う部品の整理が終わってないんだよね、なっ!、坂上」
「は、はい…」

坂上健治、メカニック見習。入社して早くも一年が経つが、メカニックとしてはややイレギュラーな入社の経緯があった。
ホンダCB400SFを所有する顧客のAさんは、プロの料理人。アルバイトだがアシスタントを一人雇っていて、それが坂上だった。坂上は以前からバイクが好きで、いつかはバイクを扱う仕事がしたいとA氏に話していたそうで、ついに親心が芽生えたのか、ある日俺に坂上の面倒話を持ちかけてきたのだ。しかし、メカニックを採用する際、基本的にうちは経験者または整備士学校卒業者に限った。社長に相談すると、
「未経験者じゃ務まらないな」
「大杉くんがマンツーマンで鍛えるって言ってくれたし、もし三か月経って使い物になりそうにないなら、その時は辞めてもらうという条件じゃだめですか」
なかなか首を縦に振ってくれなかった大崎社長だったが、
「しょうがないな~、Aさんの頼みってことで、受け入れるか」
晴れてギャルソンファミリーの一員になった坂上は一生懸命働いた。たまたま同じころに入社した、整備士学校出の新卒がいたので、負けん気が出たのかもしれない。彼の長所の際たるところは明るさ。工場に快活な張り切りボーイが一人いるだけで、雰囲気はガラッと変わる。ただ、ちょっとだらしないところが難点であった。やりっ放しの傾向があり、絶えず彼の周囲は散らかっていた。これが教育責任者の大杉くんにとって悩みの種であり、癪に障るところ。技術的なことは呑み込みがよかったから、尚更目につく。
「坂上、帰るまでに一時間あるから、ちゃっちゃと片付けろ」
「はい」
そんなやり取りを横目で見ていた営業の原島は、坂上が部品を棚にしまい始めると、何気に手を貸しだす。そう、二人は仲がいい。
「原島、手伝わなくっていいんだよ!」
すかさず大杉くんの檄が飛ぶ。



杉並店開店日は二〇〇三年十二月二十日(土)。初日は常連さんが大挙したが、そんな中にも商談が二件あっててんてこまい。昼頃に大崎社長と仲のいい、某ハーレーディーラーのU社長が様子を見に立ち寄ってくれたようだが、商談の真っ最中でちゃんとした挨拶もできなかった。気がつくと姿が見えないので、とりあえず大崎社長に顛末だけを電話しておいた。
「そうなんだ。ハーレーじゃない店なのに、お客がわんさか来てたんでびっくりしたんじゃないの」
「すみませ~~ん、とおりま~す」
正面の自動ドアが開くと、坂上が黄色のモンスターを押して入ってきた。通路には臨時のテーブルを出していたので、バイクの出し入れのたびに、寛いでるお客さんに避けてもらわなければならない。どうにもあんばいが悪い。
そうそう、スタッフ紹介が遅れてしまったが、ドゥカティメカニックは工場長の大杉と坂上、ビューエルメカニックは柳井、そして営業スタッフは原島と店長である俺の、総勢五名でスタートである。

実際に営業が始まると、予想はしていたが、ぽつりぽつりと問題が起き始めた。
なにより頭が痛かったのが、店の真裏に自宅を持つEさんから、「排ガスと化学臭が酷いからすぐに対処しろ!」と怒鳴られたこと。
Eさん宅は、夫婦と娘二人の四人家族。このうち、奥さんと上の娘さんが極端な化学臭嫌いで、以前マイカーを導入したところ、この二人だけがどうしても車の匂いに馴染めず、購入早々に売却したとの話を聞いた時は、生半可な対処では解決できないと直感。すぐに東亜建設の長嶋さんへ事の次第を伝え、専用の排気ダクトを作ってもらうことにした。整備の際、バイクのマフラーへダクトの吸い込み口を取り付けて、それをマンションの外壁に沿って這わせ、店前の歩道まで持ってくるというものだ。バイクから出た排気は、環八の大渋滞の中へと散っていく。これでとりあえず排気ガス問題は落ち着いたが、依然Eさんの怒りは静まらなかった。今度はガソリン臭である。
ガソリンは燃料であるとともに、部品、特にキャブの洗浄には欠かせない溶剤だ。工場内の匂いは、換気扇から裏へ向かって吐き出されるので、これにも排気ダクトを取り付けて環八へ放出するとこにした。ところがダクトが長くなるにつれ、換気扇の能力が足りなくなり、終いには逆流し始める。これでは仕事どころではない。よってこれにも途中に換気促進のためのモーターを取り付けるはめになった。この他にも、「インパクト音がうるさい!」と怒鳴りこまれ、大きな音が出る作業は平日の昼間のみに限定することで、なんとが了承を得ることができた。
東京でバイク屋を営むとなれば、当然周囲は一般住居。音と臭いのトラブルは間違いなく降りかかってくる。この点を事前にもっと掘り下げ、開店前に対策を講じておけばよかったと深く反省。ハーレー店二店の出店を含め、勢いだけで進めてきたことによる“手落ち”に他ならない。自分たちの都合だけで商売を進めたなら、間違いなく周囲との摩擦が起こり、大きなしっぺ返しがやってくるのだ。
ビューエルのニューモデルXB9Rは、良いにつけ悪いにつけ、常連たちの話題に上がった。X1までの既存ユーザーは、皆そろって「ビューエルらしくないな。買い替えはありえない」と冷めた目線を突き付けた。実際にうちでは一人の買い替えも起こらなかった。そんな中、ドゥカティとビューエル両方を正規ディーラーとする斬新さが功を得て、どちらにしようか迷っている新規客から、試乗も含めて比較検討をしたいという問い合わせが、日に日に増えてきたことだ。こいつは思惑通り!と、店は沸いた。そして試乗が増えてくると、興味深い傾向が見え始める。
「ドゥカティを考えてるんですけど、S4の試乗の後にビューエルも乗っていいですか?」
「もちろんです。ぜひ比較してもらって、感想も聞かせてください」
両方の試乗を終えたお客さんが、ビューエルを何度も見返している。実はこの方、ドゥカティのS4が欲しくて、購入見積まで作ったのに、ビューエルに乗った途端、心が揺れ始めたのだ。最終的には既に発売が告知されていたXB9Rの亜流的モデル、XB9Sの購入を決めてくれた。
その後も試乗をすることによって、ビューエルの良さを発見し、購入まで進むケースが連発した。
無理もない、、、
以前にも述べたが、ドゥカティは低速トルクのなさと、特殊な乾式クラッチのフィーリングで、街中での乗り味はお世辞にもいいとは言い難い。その点ビューエルはエンジンのベースがハーレーなので、単純な乗りやすさだったらこっちに軍配が上がる。これがワインディングも絡めた試乗となれば、反応はずいぶんと違ってくるはずだが…