
今回はビューエル関連のトピックスをひとつ。
ビューエルビジネスは、一九九六年に販売を開始してから順調に推移していた。オリジナリティーに溢れた武骨なスタイルと、ビッグトルクが生み出すライディングフィールは、多くのライダーを虜にし、新たなスポーツバイクのカテゴリーを創造したと言っていいものである。そのビューエルが、<“0”から作り直した革新的なニューモデル>
「今回のモデルチェンジ、ずいぶんと雰囲気が変わっちゃったな~」
社長が封筒から出した書類に見入っている。
「売れそうですか?」
「わからないけど、製品説明会と販売研修をアメリカでやるみたいだ」
「へー」
「へーって、木代くんが行くんだよ。各ディーラーのビューエル販売責任者のみの参加だってさ」
「ナショナルディーラーズミーティングみたいに、社長が行くんじゃないんだ」
これは興味津々。社長から手渡されたスケジュール表にざっと目を通すと、販売勉強会なるものがハーレーダビッドソン本社、製品説明会はビューエル本社、それにアメリカ渡航時には全米でハーレーフェスティバルが開催中なので、ミルウォーキー近辺のディーラーとフェスティバル本会場への訪問も含まれる、ずいぶんと盛りだくさんな内容なのだ。全日程は九日間である。
その日の午後。同じビューエルディーラーであるヨーヨーの福田さんから電話があった。
「まいど。木代さん、見た?」
「見た見た、もちろん福田さんが行くんだろ」
「もちろんですよ。あっちじゃよろしく」
息が合うのか、ビューエル取扱い当初から、福田さんには何かと親しくしてもらっている。
「今回は担当者だけのイベントだから、堅苦しくなくていいかも」
「だね~」

二〇〇一年七月上旬。全国から集まった三十七名のビューエル専任担当者と、HDJのビューエル担当スタッフ二名を乗せたJAL機は、成田を飛び立ち、シカゴのオヘア空港を目指した。
ミシガン湖の畔にあるシカゴは、近代的なビル群と歴史を感じさせる教会などの建物が、見事に調和する魅力的な街。湖畔にある公園を中心に、一時間ほど辺りを散策した後は、予約してあったイタリアンレストランにてランチ。食後はチャーターしたバスで、いくつかのハーレーディーラーを訪問した。
驚いたのは、土地も店舗もスケール感があまりに日本と異なること。どこも敷地が広大で、最初に訪れたディーラーなどは、敷地内に自動車教習所レベルの試乗コースが完備されているのだ。サービス工場も広く、ワンピットの大きさが調布店の工場にほぼ近い。整理整頓や清掃は非常に行き届いていて、働く環境として見習う点が多々あった。
二番目に訪れたディーラーではハーレーフェスティバルに合わせて、様々なイベントが行われていた。突然耳をつんざく爆音が飛び込んで来たので、何だろうと福田さんと行ってみると、音源はシャーシダイナモに載っているカスタムハーレー。オーナーが自慢のハーレーやビューエルを持ち込んで、パワー競争をしているのだ。この単純明快さはいかにもアメリカ。左手の広場ではイベントテントがいくつか張られていて、国内ツインレースで優勝したビューエルの展示と、グランドチャンピオンとなったレーサーのサイン会が行われていた。
「ねえねえ木代さん見てよ、あのビューエル」
ふり向くと、やたらに眩しいビューエルS1がこちらへ向かって走ってくる。エンジン、フレーム、足回りからフューエルタンクまで、車体すべてにメッキが施されているのだ。しかも乗っている若い男性も、車体に負けず劣らずの派手なブロンドヘアーにサングラス。かっこよすぎる。
「えぐいね~、日本でやったらいくらかかるんだろ」
これで初日の予定は終了。ひとまずほっとした。俺はめっぽう時差に弱く、ディーラー訪問の初っ端から朦朧としていて、テンションが下がりっぱなしだった。ただ、見たいことや知りたいことは山ほどあるから、また明日からが楽しみ。

翌日はハーレーダビッドソン本社での販売研修でスタート。歴史を感じる社屋の隣には、ハーレーミュージアムがあり、映画「イージーライダー」に登場した“キャプテンアメリカ”を始め、創業当時のサイドバルブから現行モデルまで、ハーレー変革の歴史がわかりやすく展示されていた。意外に感じたのは、“キャプテンアメリカ”が思ったより小さかったこと。現行のハーレーは、でかすぎ?

販売研修はそれほど益に感じる内容はなかったが、幹部まで含め、本社スタッフのいで立ちがほぼ全員コットンシャツとジーンズというラフなもの。自由の国アメリカの文化を垣間見るようだ。当たり前だが、皆さん、よく似合っている。
「それでは休憩にします」
時計を見れば午後三時。しばらくして女性スタッフがワゴンにのせて運んできたのは“アイスクリーム”。バニラ、チョコ、ストロベリーと、大きな5Lパックで並んでいて、トッピングも五種類用意されている。
「へー、コーヒータイムじゃないんだね」
こんなところにもアメリカを感じてしまう。さっそくいただくと、味が濃くて俺好み。バニラの次はチョコと、おかわりしてしまった。
「木代さん、こうゆうの好きなんだ」
この日は販売研修の後に、ハーレーのエンジン組み立て工場二カ所の見学があったりと、いささかグロッキーである。
次の日は、今回の本題であるビューエル社訪問と、ニュービューエルの説明会が午前中に行われた。ところが到着すると、参加者全員呆気にとられた。
「えらくちっちゃいんだね、会社…」
「工場も粗末だぜ。これ見たら入荷が遅れても文句言えないよ」
「今日って、ここ、休み? ひと気がないね」
昨日にハーレーの近代的な工場を見たばかりだったので、まんま町工場のビューエル社を目の当たりにして、正直びっくりしたのだ。

そんな我々の思惑を知ってか知らずか、社長のエリックは弾ける笑顔を保ちつつプレゼンを開始。目の前のXB9Rへ視線を向けながら熱弁を続けた。だが、熱弁になればなるほど空しく感じたのは俺だけじゃないはず。周囲を見回すと、目を輝かせる者が半分居れば、残りは思案顔である。俺は、後者。
エリックが特に自信をもって説明したのがフロントブレーキシステム。ZTL(Zero Torsional Load)と称する大径ローターをリムオンとしたシングルブレーキは、強力な制動力を得られるのはもちろんのこと、バネ下加重を低減させる理想のシステムだと言い切ったが、初日に訪問したディーラーで見たツインレースでチャンピオンマシンになったビューエルを思い出せば、疑問が湧いてくる。なぜならそのマシン、フロントブレーキはオーソドックスなブレンボ製のダブルディスクだったのだ。これではあまりに説得力に欠ける。
さらには、ステップ加重で右に左にひらりひらりと向き替えができる、反応性の高いシャーシを作り上げたと自信満々だが、それ以前にこのXB9R、車体があまりにも小さい。初めて実車を見たとき、原チャリスポーツのホンダ・NS-1とそれほど変わらないと思ったほどだ。ちなみに、XB9RとNS-1のホイールベースの差は25mmしかない。これだけ小さければ、当然反応性はいいだろうが、高速コーナーの安定感はいかほどのものかと、またまた疑問が湧いてくる。

エリックはアメリカ人としては小柄だ。もしかすると、彼に合わせて設計されたのか…
「さっ、皆さんどうですか。プレゼンは以上となりますが」
HDJのビューエル担当・野淵さんがいきなり立ち上がった。説明が始まって、まだ十五分も経ってない。
「エリックはこれから大事な用事があるようです」
とのことで、慌しく記念写真を撮り終えると、逃げるように去っていった。あとから野淵さんに聞いたところ、あの後バンドの練習が予定されていたようなのだ。今夜は郊外にあるリゾートホテルに於いて、ビューエルオーナーズグループBRAG(Buell Riders Adventure Group)のミーティングがあり、我々も参加するのだが、そこでエリックの率いるロックバンドのライブが行われるとのこと。
まっ、そりゃ大事な用事だわな。
BRAGミーティングは、映画に出てくるいかにもアメリカらしいパーティーだった。巨大なコンベンションホールに、BRAGのメンバーはもちろんのこと、ビューエルディーラーやカスタムショップのスタッフ、そして日本から参加した我々と、大勢の参加者がひしめき合い、豪勢なバイキング、アルコールとオーデコロンの匂い、嬌声とタトゥー、大きな胸とお尻ぷりんぷりんのイベントギャル、そしてエリックバンドのライブ等々、よどみなく盛り上がり続け、時間は瞬く間に過ぎていった。お開きになっても熱気は冷めず、二次会へと流れていった。そこでビューエルのカスタムショップの社長達と話が弾み、貴重なひと時を過ごすことができた。

最終日は、ハーレーフェスティバルのメイン会場である遊園地で、思いがけない出来事が待っていた。福田さんと俺の二人が、地元TV局のインタビューを受けたのだ。
「木代さん、ちょっとやばくない」
「なにが?」
「ほら、あそこのマイク持ってる人、さっきからこっち見てるよ」
振り返ると、インタビュアーと思しき人とカメラマンが近づいて来る。そして満面のスマイルをたたえると、いきなり英語でまくし立ててきた。どっから来たんだ? ハーレーに興味があるのか?等々と言ってるのだろうが…
とその時、うまい具合にHDJの野淵さんが通りかかる。
「野淵さん、ちょっとちょっと!!」
「あははは、ピンチですねぇ~」
野淵さんはHDJへ入社する前にも、長い間アメリカ在住の仕事をしていたので、英語はネイティブレベル。通訳が入ったおかげでインタビューは順調に進んだ。当事者である我々は観られなかったが、その日の夕方、ローカルTV局のニュース番組で、まんまその様子が放映されたそうである。
午後は地元ミラービールの見学でほろ酔いとなり、夕方からは今年完成したばかりの新球場“ミラーパーク”で、ホームとするブルワーズのMLBを観戦。惜しくもブルワーズは負けてしまったが、最高の“旅”の締めくくりであることは間違いなかった。後日談になるが、このMLB観戦は当初のスケジュールには入ってなく、帰国後野淵さんは、HDJの奥村社長からずいぶんと絞られたらしい。
それから二か月が経ったある日、アメリカ人を震撼とさせる、あの事件が起きたのだ。
9.11である。