hori思い起こせば既に35年の交友があるジャーナリストの堀氏。
行動力旺盛な彼は、年の約一ヶ月間を東南アジアを中心とする海外での取材に当てている。
昨年も11月から12月にかけて、太平洋上に浮かぶ島国“マーシャル諸島”を旅し、この時の紀行文を“旅行主義”九号に掲載した。
第五福竜丸事件でクローズアップされたマーシャル諸島には、60年経った今でも放射能汚染の爪痕が深く残り、住民の苦悩は計り知れない。堀氏は言う、「日本だけが核兵器の被爆国などという考え方は間違いだ」と。
1954年3月1日に行われたビキニ環礁での水爆実験は、島民と周辺を航行していた漁船の乗組員を含め、2万人以上が被爆するという未曾有の大惨事となり、安全見極めを無視したこの実験は、もはや人体実験と言って憚らない。
今回の取材には11万円もしたサーベイメーター(携帯放射線測定器)を持ち込んだ。それは最も深刻な放射能汚染を受けたロンゲラップ島へ乗り込む為だ。ところがあてにしていた“ビキニ&ロンゲラップ環礁ツアー”は理由不明で取りやめとなっていて、事実上島へ渡る手だては消えた。飛行機をチャーターすれば行けないこともないが、費用は200万円を越える。しかし、ただでは引き下がらない堀氏は、その行動力で共和国の国会議員へのアポを取りつけ、ロンゲラップ島の近況について詳細なる取材を敢行、進まぬ除染で故郷の島へ帰れぬ島民の実態を知ったのだ。

核実験の歴史を調べ始めると、人間を狂わす核の魔性がクローズアップしてくる。
世界戦争を勝ち抜き、自他共に認める超大国となったアメリカは、核の罪と恐ろしさを覆い隠し続け、一方では核利用を輝く未来へ導く絶対的な存在としてアピールし、国威と経済発展の主原動力に位置づけてきた。
そして戦争に敗れ、勝者に従順するしか道のなかった日本政府も、敢えて核の恐ろしさには目を瞑り、国の復興と経済発展の元となる電力確保のために、ローコストな原子力発電を積極的に広めていったのである。

切り札

HD三鷹

ジリ貧傾向が止まらないバイク業界。普通のことを普通にやるだけではたちまち崖っぷちへと追い込まれる厳しい状況に変わりはなく、既存店の売上高は既に頭打ちとなって久しい。
そんな中、膨大なコストを掛けて2月7日(土)にオープンしたハーレーダビッドソン三鷹は、グループの切り札であると同時に賭でもある。それまで我が社にハーレーの歴史を刻み続けてきたハーレーダビッドソン調布並びにハーレーダビッドソン東村山を閉店し、新店・三鷹へと統合した今回の流れはまさにハーレーダビッドソン社と心中する誓いであり、覚悟を形にしたものに他ならない。

調布の看板を差替えて中古車専門店としてリニューアルオープンした“モト・ギャルソン中古車ギャラリー”。取扱の中心こそハーレーだが、ショールームには他メーカーのバイクも並べ、更には中古パーツを展示販売するという今までにないスタイルを持ち味として準備中だ。
新車も中古車も厳しい現況に置かれていることに変わりはない。但、中古車市場には僅かだが上昇気配も見られるようになり、一部の著名新車ディーラーが一層の力を持って中古車販売を押し進めていることでも頷ける。
そして肝心なことは、もしもこの波に乗り遅れたなら、後は無いということ…
情報収集とスピード感ある改革こそが鍵なのだ。

北鎌倉

1月29日(木)。春の芽吹きを待ちきれず、V2片手に家を出た。
行き先はかねてから計画していた北鎌倉。駅から徒歩で回れるエリア内に名刹が連なるところがポイントで、散歩半分、撮影半分で楽しむにはお誂え向きなところだ。しかも湘南新宿ラインを使えば、三鷹から乗り換え1回、乗車時間1時間強という好アクセスも見逃せない。

風が少々冷たかったが、見上げれば雲ひとつない青空が広がっている。これ以上のコンディションを求めたら贅沢というものだ。
オフシーズンの平日ながら鎌倉街道を歩く観光客は少なくない。ちょうど前を行く年輩夫婦の後を追うように、縁切り寺の名で知られる東慶寺の看板を右に折れてみた。
門を潜り黄色の花弁が目を引くマンサクの花を眺めながら谷戸に沿って進んでいくと、墓苑手前の大きな岩に“イワタバコ”の表板が目に入った。

ー そうだ、確かイワタバコって奥多摩のむかし道に咲いていた花だ。

紫色の可憐な花が梅雨の頃にはこの岩いっぱいに咲き誇ると思うと期待が脹らみ、それを撮影するだけでも再び訪れる意味があると思った。
3名の若い植木職人がせっせと梅の木の手入れをしている。後ひと月もしないうちに見事な咲きっぷりを見られるに違いない。

鎌倉街道へ戻り再び歩を進めると浄智寺の入口がすぐに見えてくる。
ここには鎌倉七福神のひとつである“ほてい様”の石像があり、近づくとその何ともゆるい表情におもわず笑みが出てしまう。しっかりとお腹をなぜたので、御利益を期待できそうだ。
因みにこの日の夕方、試しにLOTO6を買ってみたが、かすりもしなかったことをご報告したい。

次は踏切を渡り、明月院へと向かった。
ここは長谷寺と並ぶ紫陽花のメッカで、梅雨時期ならば連日多くの観光客が押し寄せてくるのだろうが、この時期は人影も少なく、憚ることなく撮影を楽しむことができた。
境内には見事に咲き誇るロウバイや竹林、そして小さな枯山水など被写体には事欠かないが、中でも有名な“円窓”は確かに趣と張り出しが感じられ、殆どの人が立ち止まってカメラを向けていた。
但、私の場合、それ以上にインパクトを覚えたのが入口手前の石橋に置かれた“ウサギとカメの像”。彼らは一体何を見ようとしているのか、その一心な姿形が理屈抜きにかわいいのだ。

ー 腹減った。何か食うか、、、

これだけ歩き回れば、朝食のトースト一枚は完全に消化されている。但、これまでに見かけた食い物屋はどこも小洒落た店ばかりで、昼飯として食したいものは見当たらない。高級な蕎麦や薬膳食、そして子牛の煮込みなんぞは鼻っからNo,Thank You。どうしようかと思案していると、駅前にあった中華料理屋を思い出した。

ー そうだ、あそこへ行こう。

駅前の踏切を再び鎌倉街道側へ渡り、ちょっとやれた感じののれんを潜ってみた。
お母さんと息子の二人で営んでいると思われるその店は、活気に乏しく第一印象は芳しくなかったが、壁に貼り付けてある品書きを見渡すと、各種ラーメンから餃子、チャーハン、そして一品物に至るまで、町の中華料理屋にあるものはひととおり揃っている。但、ランチや定食の記載はなかったので、それなら冷え切った体を温めようとモヤシソバを注文してみた。
具材を煽る中華鍋の音がすると、間もなくして湯気が立ったモヤシソバが運ばれてきた。

「お待たせしました」

手がかじかんでレンゲを持つ左指の動きがぎこちない。恐らく冷えだけではなく、ずっとV2を構えていた緊張疲れが指先に出ているのだ。
口に運んだスープはずいぶんと薄味で、血圧を気にする方々にはうってつけの塩分量とみた。モヤシの炒め具合と麺の茹で具合に申し分はなかったので、バランス的にちょっともったいないような気がした。
完食すると腹の底から温まり、だいぶ疲れもとれてきた。撮り溜めた写真にざっと目を通した後、最後の目的地へ向かうことにした。

ー ずいぶんと広い寺だな。

昨年訪れた建長寺と同様、きわめて広大な敷地を持つ円覚寺。しっかり見て回るとなるとそれなりの時間が必要になる。
入口である三門から圧倒的な規模でスタートし、仏殿、方丈と、力と文化を感じさせる建築物が続くその様は、当時の朝廷や幕府からいかに大きな帰依を受けていたかが容易に想像できるものだ。
ぐるりと一周し、最後に国宝指定されている洪鐘を見ようと長い階段を上った。
弁天堂の脇からは東慶寺を見下ろす爽快な景色が広がっていて、柵に肘をついてじっと眺めていると、やはり鎌倉は特別なエリアであり、遙か昔、鎌倉幕府体制下で栄えた仏教文化がいかに壮大なものであったかがひしひしと伝わってきた。

写真好きな中年男の独り言