山との関わり合い

 ふとしたきっかけである書籍に目がとまり、即購入。一心不乱に読み進めた。
 その書籍とは、金 邦夫著の【侮るな東京の山】。
 著者は警視庁山岳救助隊員として定年退職に至るまで青梅警察署に所属、他の誰よりも奥多摩の山々に精通していた。その金氏が現役時代に経験した数々の救助活動を詳細に書き綴ったのが本書である。

 自宅から最も近い山域ということで、私に登山の楽しさを教えてくれたのは奥多摩である。おおよそ二十年前から足しげく通っているので、〇〇尾根から〇〇谷を抜けて等々、文中に出てくる捜索現場の七割以上はすぐに情景までが浮びあがる。さらにリアルを深めるために、読書の最中は常に昭文社の“山と高原地図”を脇に開いておいた。
―こんなところを下ったんだ……
―このコース、今度歩いてみるかな。
―何度も歩いたあの登山道から滑落なんて……
―これはありえる。気をつけねば。
―焚火しながらビバークね……
 ページをめくるに従い、文中の世界へと引き込まれていった。

 これから登山を始めようとする人はもちろん、十年、二十年のベテラン組も、ぜひ一度この本を手に取って、まずは普段見ることのない登山の裏側事情を知ってもらいたい。<遭難なんてするわけないよ>と思う気持ちのすぐ隣に“隙”という穴が開いていることを具体例と共に認識できるはずだ。
 後半は急増している中高年の登山者についての記述が中心になる。私も本年七十歳をむかえる高齢者のひとりなので他人事では済まされない。
 体力および判断力の低下、そして持病等々、加齢と共に登山への適応力は確実に減退していく。自分ではまだまだと思っていたが、この流れに抗えるはずもなく、一度真剣に山との関わり合いを再考する必要性ありと痛感した。

金 邦夫(こん くにお)
1947年:山形県生まれ。高校時代から山に目覚め、東北の山々を登る。
1966年:警視庁警察官になり、1970年に警視庁山岳会「クライム・ド・モンテローザ」を設立。
1977年:ヨセミテにおける山岳救助研修に参加。機動救助隊、五日市市警察署山岳救助隊、レンジャー部隊などを経て、1994年から青梅警察署山岳救助隊副隊長として奥多摩に勤務。
2003年:警視庁技能指導官(山岳救助技能)の指定を受ける。警察功労賞、警視総監賞詞、人命救助の功績による警視総監賞など受賞多数。
2008年:定年退職。以後再任用、嘱託員(山岳指導員)として後進の指導にあたる。
2013年:山岳救助隊退任。
2024年3月23日:心筋梗塞により急逝

守屋山・展望の頂

 五月二十四日(金)。信州百名山のひとつである“守屋山”へ登ってみた。
 長野県諏訪市と伊那市との境に位置し、標高は1,651m。山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった錚々たる山々が三六〇度で眺望できるという魅力溢れる山だ。よって決行は快晴が大前提だった。六月に入れば入梅も考えられるので、一週間前から“てんきとくらす”を随時チェックし様子を窺った。

 完全リタイヤ後のメリットの一つとして、快晴を選んで登山ができることがあげられる。昨今の天気予報は素晴らしく精度がいいので、ほとんどと言って裏切られたことはない。特にてんきとくらすでは、山自体をピンポイントで検索できるので非常に便利。さらに万全を期すために、該当地域の予報をウェザーニュースで確認することにしている。この日は両方共々◎。意気揚々と出かけることができた。

 家を出たのは五時半過ぎ。近所のセブンで食料を確保すると、中央道で諏訪ICを目指した。登山口があるのは杖突峠。ICからはものの二十分で到着。三十台は楽に停められそうな駐車場に車は二台のみ。平日のメリットである。
 今回のコースは上りに杖突峠コース、下山には立石コースと決めていた。

 森に分け入ると、待っていたのは蝉時雨。新緑の森の魅力を最大限に盛り上げてくれる演出だ。忘れかけていたピュアな夏がここにはあった。
 今に生きる人たちは、五感を研ぎ澄まして味わう四季を忘れかけているかもしれない。歩き進むとせせらぎまでが聞こえてきてムードは最高潮。新緑の眩しさはこの上なく、何度となく深呼吸を楽しんだ。

守屋山東峰

 山道は歩きやすく、急斜面に鎖を張ったところもあったが、難しいことは全くない。山道の常だが、山頂が近づいてくると一気に急登が始まり、汗が噴きだす。これ以上気温の上がる夏はかなりな苦行となるだろう。入梅直前までがひとつのリミットかもしれない。

 守屋山には頂上と称すところが二カ所ある。守屋神社奥宮のある“東峰”と、1,651mの標高をもつ“西峰”。一般的には西峰を守屋山と定めているようだ。
 東峰へ到着すると、まずはその広がる景色に息をのむ。気象条件さえよければ、頂上から日本百名山のうち33座を望められるとのことだが、恐らく今がそうなのだろう。特に日本アルプスと八ヶ岳はくっきりと見渡すことができる。こんな場所はなかなかない。
 休憩していると、若い女性が上がってきた。先ほど出発するときに駐車場へ入ってきた車のドライバーだ。あいさつ代わりにその旨を聞くと、
「ああ、あの赤い車の、、、」
「そうです」

 平日休みの仕事をしているようで、山へはちょくちょく出かけるそうだ。住まいも八ヶ岳の東側とのことだから、韮崎辺りになるのか。いずれにしても山へ出かけるには都合のいいところに住んでいる。それにしてもこのタイミングで追いついて来るとは、さすがの脚力。というよりも私の脚力が減退しているのだろう。
「ここから諏訪湖の花火をみたら、さぞかしきれいだろうね」
「ですね。でも暗闇の中、ここまで上がったり下ったりは熊もいることだろうし、ちょっと怖いかな」
「熊注意の看板、けっこうあったもんね」

中央アルプス  昨年の晩夏に登った“木曽駒ケ岳”もくっきり見えた。

 西峰へはいったん下っての登り返しになるが、高低差はさほどない。
 尾根に入ると先発したさきほどの女性が目に入った。近づいていくと何やら木の枝を見つめている。
「なんかいるんですか?」
「どうやら蝉がふ化の時に失敗したみたいです。これじゃ飛べないな……」
 目を凝らすと、片方の羽が小さくて縮れているように変形している。
「まっ、ちゃんとふ化しても一週間の命だからね」
 盛大な蝉時雨は、麓の森ばかりではなく、頂上近くまで続いていた。

南アルプス

 西峰はとても広く、木製のベンチも数カ所設置があった。既に幾人かのハイカーが景色を楽しんでいる。見渡せるものは東峰と同じだが、広いせいか開放感を覚える。空腹の限界だったので、さっそくお湯を沸かして好物の“日清チキンラーメン”とセブンの特製鮭にぎりを食らいつく。これほどの景色を愛でながらのランチとは、まさに贅沢の極みである。先週の杓子山の富士山と言い、山歩きはこれがあるからやめられない。どんな低山であろうと全くしんどくない山なんてひとつもないが、それを上回る感動があるから、次の山行計画へと進んでしまうのだ。

八ヶ岳連峰

 下山路の立石コースは、浅間の滝、百畳岩、鬼ケ城、夫婦岩等々と、また違った趣があり、巨岩を中心とする見どころが続いた。天候も安定していたし、ゴールまであと少しというところで地図を確認。ロストなしで順調に下ってきたのだが、よく確認すると次の分岐から山道ではなく一般道になるようだ。山歩きにはよくあることだが、その分岐まで来ると、目の前の道はR152。アスファルトの路面はサングラスが必要なほど、強烈な照り返しを放っている。それまでは涼しい樹林帯歩きだったのが、この先日射の下を2Km強、黙々と進むしかないようだ。しかも緩いがゴールまでずっと上り坂である。ここまで使わなかった帽子を取り出し被った。

北アルプス

 汗を拭きつつ杖突峠まで戻ってくると、あの女性ハイカーがちょうど車を発進させようとしていた。
「おつかれさ~ん」
「あら、おつかれさまです」
「まいったよ、この暑さ」
「私もです。同じコースを下山すればよかった」
「ほんとだね。じゃ、気をつけて」
 涼しい季節ならなんのこともない一般道歩きも、この日照りでは地獄になる。

諏訪湖

 比較的楽に登れて、危ない個所もないが、景色だけは来た価値あり!というような山を表す、私が勝手に作ったCSP(Comfortable&Safetyパフォーマンス)で採点すれば、守屋山は限りなく満点ではなかろうか。

浅間の滝

 入梅前にもう一座、トライしてみようか。

杓子山・迫りくる絶景!

 五月十七日(金)。“眺める富士山好き”の私としては是非一度チェックしておきたいと常々思っていた、山梨百名山の一つ“杓子山”へ登ってみた。標高は1597.6m、ちょうど富士吉田市、都留市、忍野村の境界に位置するので、富士山の眺めは推して知るべしだ。

 登山口は鳥居地峠。中央道の富士吉田西桂スマートからが最も近いが、ちょうど朝の通勤渋滞にはまり込んでしまい、結構なタイムロスが発生。ただ、車中から望む富士山でさえ圧倒的なスケール感があり、期待は否応なしに膨らんだ。
 到着した峠の駐車場は予想外の満車。いくら絶好の好天とは言え平日である。杓子山の人気度が推し量れるところか。しかたがないので、ちょっと進んだ右側に広い路肩スペースを見つけたので、そこにPOLOを停めることにした。

 出発してしばらくは林道歩きが続くが、前方にゲートらしきものが見えると、同時に辺りは明るくなり、茅に覆われた山の斜面が広がった。そのまま進むと更に開け、頂上から裾野へ至るまで、遮蔽物“0”の広々とした富士山が現れる。痛快無比とはこのような光景を指して言うのだろう。
 左カーブの突端に、ちょっと前に追い越していったヤマハのセローが見えた。近づいていくと、なるほど、オーナーが富士山をバックにして愛車の撮影を行っている。
「こんにちは」


 ナンバーを見ると“八王子”である。なかなかイケメンの若い男性は、よく日に焼けていた。
「ずいぶんとゴージャスな撮影場所を知ってるんだね」
「もう4~5回来てます」
「東京からなのに、大変だ」
「7月にある吉田の花火大会がここから眺められるんですが、めっちゃきれいです」
「そりゃ凄そうだ。いい情報を教えてもらったな」
 富士山といっしょに見下ろす花火なんて、どう考えても写欲が湧きたつ。これは詳しく調べる価値がありそうだ。
「でも、その日はここも混むんだろうね」
「それほどでもないんです。多分、ここ、あんまり知られてないと思いますよ」

 若い男性と別れた後、林道から一気に尾根へ上がる道があったので、大汗覚悟で取りついた。途中、左手から正規の登山道を上がってくる人が見えたが、そっちもかなりの傾斜がありそうだ。遠めに見てもしんどそうである。
 上りきると先ほどのハイカーが一歩一歩近づいてきた。四十~五十代ほどの男性である。
「どうも。けっこうきついですね」
「でも登りきったところが高座山の頂上なんで、頑張りましょう」
 昭文社の山と高原地図にも“急坂”と記載されているポイントである。斜度もあるがそれ以上に土の路面が滑りやすく、ちょっと油断するとズルっときて冷や汗が出る。ただ、ロープが張ってあるので大いに利用した。噴き出した汗が乾いた路面に滴り落ちる。


 やっと頂上へ出ると年配男性が休憩していた。思った以上に息が上がったので小休止とした。
 先ほどの男性は三島市から来た五十一歳の山好きで、自宅から比較的近い富士山界隈については驚くほど詳しく、杓子山も今回で四度目だそうだ。聞けば八ヶ岳の主な峰もすべて登頂済みで、時間があればアルプスへも足をのばすというベテランである。
「それじゃお先に」
「気をつけて」
 ベテランさんも年配男性も順次出発していった。私は汗が引くまで留まることにした。あんパンとポカリで体を整える。

 茅の斜面は高座山の頂上までで、この先は樹林帯へと変わった。
 いったん下ると、上り返しが待ちかまえる。最初に体力を使ったのでかなり堪えた。しかも単純な樹林帯歩きだけではなく、ロープ付きの岩場も二カ所ほどあって気が抜けない。大権首峠まで下ってくると右膝に僅かだが鈍痛が出始めた。しかしここから杓子山までの一気登りが始まるのだ。先発していた年配男性が立ち休みをしていた。

 ひとことふたこと話をすると、御年七九歳で登山は一年ぶりだという。自宅は相模原で、同じように車を鳥居地峠に停めてあるとのこと。
「初心者向きってガイドブックに書いてあったけど、ちょっと違うね」
 要注意な危険個所がないところから、相対的なボリュームを鑑みて“初心者向き”と記載されたのだろう。ただ、初心者も様々であり、定年後の趣味にしようとする高齢者がトライしたら、しんどいことこの上ないはずだ。

 頂上へ近づくにつれ傾斜はきつくなり、立ち休みを余儀なくされた。それでも空が大きく見え始めると気持ちは「もうすぐ!」となり両脚に力が入った。
 丸太の階段をクリアすると、待っていたのは正真正銘の絶景。
「おつかれさん」
 先に登頂していたベテランさんが手を振っている。
「いやはや、大汗かきましたよ」
 頂上はそこそこの広さがあり、ベンチも三つある。ぐるり見回すと、年配夫婦が二組、年配男性の三人組、そして年配女性の二人組、そしてベテランさんと私と、人気の山ならではの活況を帯びていた。

 三六〇度の眺望は見事に尽きる。富士吉田の町並みとその先にある雪を被った南アルプスの山々、富士山の左手には先月登った越前岳、更にその左手には山中湖もはっきりと見渡せ、久々の感動である。
「今日は珍しいです。これほど風がないのは初めてかな」
 頂上には斜辺物がないので、風があったらゆっくりと休憩するどころではない。この恩恵をうけ、絶景を愛でながらのランチと洒落こんだ。私としては珍しく一時間弱ほどの長い休憩をとったが、この景色から離れることを考えると、無性に後ろ髪を引かれたのだ。

 下山路はかなりな遠回りになるが、茅の斜面を行く林道を選んだ。なぜなら、ずっと富士山を見続けることができるから。
 総歩行距離:8.3Km
 山中滞在時間:六時間四十分