五月二十四日(金)。信州百名山のひとつである“守屋山”へ登ってみた。
長野県諏訪市と伊那市との境に位置し、標高は1,651m。山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった錚々たる山々が三六〇度で眺望できるという魅力溢れる山だ。よって決行は快晴が大前提だった。六月に入れば入梅も考えられるので、一週間前から“てんきとくらす”を随時チェックし様子を窺った。
完全リタイヤ後のメリットの一つとして、快晴を選んで登山ができることがあげられる。昨今の天気予報は素晴らしく精度がいいので、ほとんどと言って裏切られたことはない。特にてんきとくらすでは、山自体をピンポイントで検索できるので非常に便利。さらに万全を期すために、該当地域の予報をウェザーニュースで確認することにしている。この日は両方共々◎。意気揚々と出かけることができた。
家を出たのは五時半過ぎ。近所のセブンで食料を確保すると、中央道で諏訪ICを目指した。登山口があるのは杖突峠。ICからはものの二十分で到着。三十台は楽に停められそうな駐車場に車は二台のみ。平日のメリットである。
今回のコースは上りに杖突峠コース、下山には立石コースと決めていた。
森に分け入ると、待っていたのは蝉時雨。新緑の森の魅力を最大限に盛り上げてくれる演出だ。忘れかけていたピュアな夏がここにはあった。
今に生きる人たちは、五感を研ぎ澄まして味わう四季を忘れかけているかもしれない。歩き進むとせせらぎまでが聞こえてきてムードは最高潮。新緑の眩しさはこの上なく、何度となく深呼吸を楽しんだ。
山道は歩きやすく、急斜面に鎖を張ったところもあったが、難しいことは全くない。山道の常だが、山頂が近づいてくると一気に急登が始まり、汗が噴きだす。これ以上気温の上がる夏はかなりな苦行となるだろう。入梅直前までがひとつのリミットかもしれない。
守屋山には頂上と称すところが二カ所ある。守屋神社奥宮のある“東峰”と、1,651mの標高をもつ“西峰”。一般的には西峰を守屋山と定めているようだ。
東峰へ到着すると、まずはその広がる景色に息をのむ。気象条件さえよければ、頂上から日本百名山のうち33座を望められるとのことだが、恐らく今がそうなのだろう。特に日本アルプスと八ヶ岳はくっきりと見渡すことができる。こんな場所はなかなかない。
休憩していると、若い女性が上がってきた。先ほど出発するときに駐車場へ入ってきた車のドライバーだ。あいさつ代わりにその旨を聞くと、
「ああ、あの赤い車の、、、」
「そうです」
平日休みの仕事をしているようで、山へはちょくちょく出かけるそうだ。住まいも八ヶ岳の東側とのことだから、韮崎辺りになるのか。いずれにしても山へ出かけるには都合のいいところに住んでいる。それにしてもこのタイミングで追いついて来るとは、さすがの脚力。というよりも私の脚力が減退しているのだろう。
「ここから諏訪湖の花火をみたら、さぞかしきれいだろうね」
「ですね。でも暗闇の中、ここまで上がったり下ったりは熊もいることだろうし、ちょっと怖いかな」
「熊注意の看板、けっこうあったもんね」
西峰へはいったん下っての登り返しになるが、高低差はさほどない。
尾根に入ると先発したさきほどの女性が目に入った。近づいていくと何やら木の枝を見つめている。
「なんかいるんですか?」
「どうやら蝉がふ化の時に失敗したみたいです。これじゃ飛べないな……」
目を凝らすと、片方の羽が小さくて縮れているように変形している。
「まっ、ちゃんとふ化しても一週間の命だからね」
盛大な蝉時雨は、麓の森ばかりではなく、頂上近くまで続いていた。
西峰はとても広く、木製のベンチも数カ所設置があった。既に幾人かのハイカーが景色を楽しんでいる。見渡せるものは東峰と同じだが、広いせいか開放感を覚える。空腹の限界だったので、さっそくお湯を沸かして好物の“日清チキンラーメン”とセブンの特製鮭にぎりを食らいつく。これほどの景色を愛でながらのランチとは、まさに贅沢の極みである。先週の杓子山の富士山と言い、山歩きはこれがあるからやめられない。どんな低山であろうと全くしんどくない山なんてひとつもないが、それを上回る感動があるから、次の山行計画へと進んでしまうのだ。
下山路の立石コースは、浅間の滝、百畳岩、鬼ケ城、夫婦岩等々と、また違った趣があり、巨岩を中心とする見どころが続いた。天候も安定していたし、ゴールまであと少しというところで地図を確認。ロストなしで順調に下ってきたのだが、よく確認すると次の分岐から山道ではなく一般道になるようだ。山歩きにはよくあることだが、その分岐まで来ると、目の前の道はR152。アスファルトの路面はサングラスが必要なほど、強烈な照り返しを放っている。それまでは涼しい樹林帯歩きだったのが、この先日射の下を2Km強、黙々と進むしかないようだ。しかも緩いがゴールまでずっと上り坂である。ここまで使わなかった帽子を取り出し被った。
汗を拭きつつ杖突峠まで戻ってくると、あの女性ハイカーがちょうど車を発進させようとしていた。
「おつかれさ~ん」
「あら、おつかれさまです」
「まいったよ、この暑さ」
「私もです。同じコースを下山すればよかった」
「ほんとだね。じゃ、気をつけて」
涼しい季節ならなんのこともない一般道歩きも、この日照りでは地獄になる。
比較的楽に登れて、危ない個所もないが、景色だけは来た価値あり!というような山を表す、私が勝手に作ったCSP(Comfortable&Safetyパフォーマンス)で採点すれば、守屋山は限りなく満点ではなかろうか。
入梅前にもう一座、トライしてみようか。