「木代くん。今日JOGが六台入荷するから、特価のプライス付けて一番目立つところにバーンと並べといて」
「バ~ンはいいですけど、特価っていくらにしますか?」
「言ってなかった?」
「聞いてないです」
「いやぁ~、言ったな」
「……」
うちの社長は“思い込みの権化”のような人だ。<俺が知っていることは君も知っている>という揺るぎない考え方を持っているから始末が悪い。
「そこのお菓子さ、〇〇さんが持ってきてくれたよ」
「〇〇さんって? 知りませんが」
「なに言ってんの、CBRの〇〇さんだよ」
「知りませんて」
「知ってるって」
と、こんな感じ。
ところでJOG六台の件だが、先日、ヤマハの担当営業マン・三沢さんが来店した際、社長へまとめ仕入れを頼んだようだ。お客さんに注文をもらってその都度メーカに発注を入れるより、売れ筋を見極め、台数をまとめて仕入れた方が即納できるし粗利も大きくなる。
「一台プラス20,000円だから大きいよ」
20,000円とはヤマハも随分と奮発したものだ。車種にもよるが、原付スクーターのマージンはびっくりするほど少なく、平均で台あたり20,000円から多くても30,000円止まり。ということは、値引きなしで売ったとしても30,000円程度しか儲からない。ただ現況は厳しく、このご時世に値引きなしでスクーターを売っている販売店はまずない。お客さんもそれはよく知っている。つい先日、近所にある櫻井ホンダ吉祥寺店の前を通ったら、最新型のDioなのに、<現車に限り10,000円引き!!>とプライスカードに派手な蛍光カラーで安さをアピール、それこそバーンと店先に五台も並べてあった。
そう、この人気のホンダ・Dioは実に画期的なモデルだ。
シートを開けるとフルフェイスヘルメットがすっぽり収まるラゲッジスペースが確保されていて車体カラーも明るくポップ。デザインはやや丸みを持たせ、どんな年齢層にもアピールできる第一印象を醸し出している。これまでのスクーターは、ちょっとした荷物を積むためにはフロントバスケットを取り付ける必要があった。ところがこれを<オバンくさい>と毛嫌いする若者は少なくなかった。
そもそもスクーターは“町の便利な脚”として使われることが殆どなので、車体に物を入れるスペースがあったら便利との声は以前から多く上がっていた。よって一九八八年初頭に発売されたこのDioは、時代の要請に応えよく売れた。これにより業界ナンバーワンの売り上げを誇っていたヤマハのJOGはその座を奪われてしまう。だがヤマハも当然次の戦略を準備していた。一年もたたないうちにメットインタイプのNewJOGを発表、巻き返しを図った。
一方、スズキはDioに先立ちアドレスというメットインモデルをラインナップしていたが、車体が大きく物々しいデザインは女性層に受けずDioの独走を許した。これに対し小型でお洒落にまとまったセピアを新規投入。ホンダ、ヤマハ、スズキのスクーター合戦は加熱極まった。
「社長、でもこのJOGって、旧JOGですよね」
旧JOGとはメットインタイプになる以前のモデルだ。
「当たり前だよ。じゃなかったら¥20,000もマージンつくわけないじゃない」
社長は知らないのだ、今日の読売新聞の折り込みチラシを。
近所のYSP三鷹は旧JOG在庫一掃セールと銘打って、な、なんと50,000円引きである。“YSP”とはヤマハモーターサイクルスポーツプラザの略で、フルラインナップを揃えたヤマハ専業店のこと。ちなみにモト・ギャルソンは単一メーカーの専業店ではなく、ホンダ、ヤマハ、スズキの正規販売店になる。これにカワサキが加われば、国産メーカーすべてを扱え店格も上がるが、正規店の看板を手に入れるには幾多のハードルがあった。
カワサキというメーカーは他の三社と較べると製品に独自性があり、自他ともに認めるブランディング路線を堅持していた。趣味性の薄いスクーターなどはラインナップせず、他の三社が競うように発表し続けていた動力性能重視のレーサーレプリカをしり目に、GPZ400Rのようにスポーツからツーリングまでと、総合性能を売りにした製品をメインに打ち出し、特にツーリングライダーからは絶大な支持を受けていた。事実、GPZ400Rの売上げ台数は400ccクラスナンバーワンを誇り、カワサキここにあり!をアピールした。
ちなみに大崎社長の愛車はカワサキGPZ1000RXという逆輸入車。最高出力は125馬力を誇り、最高速度に至っては260Kmを突破する世界最強のスーパーマシンなのだ。もちろん名実ともにカワサキのフラッグシップである。
一九七〇年代。四メーカーが自ら掲げた自主規制により、国内においては排気量750ccが販売できる上限になっていた。GPZ1000RXのように排気量が1000ccもある車両を手に入れるには、海外向けに輸出したものを改めて輸入、つまり製造したメーカーからではなく、それを生業とする並行輸入業者から購入するしかなかったのだ。ただ、メーカーとは組織的に何の関係もないところから、価格が高額にもかかわらず車両保証は付与されない。それでもメイドインジャパンの高品質に支えられた大排気量と絶対性能は多くのライダーを魅了していた。
さて、それじゃおれも購入するかと懐具合をチェック、
「ふふ、なんとかいけそうじゃん」
どっこいこれだけではオーバーナナハンライフは手に入らない。実に厄介な壁、そう、極めて難関と言われている二輪の限定解除試験に合格する必要があった。教習所で取得できる自動二輪免許は、乗車車両の最大排気量が399cc以下と定められる排気量限定付きなのだ。
内容は試験車両であるナナハンを駆る実技になるが、受験者数五十~六十名に対し合格者数三~四名という狭き門で、そんな厳しい事情があったからこそ、限定解除免許はライダー憧れのライセンスとして崇められ、同時にオーバーナナハンを颯爽と操るライダーは羨望の眼差しで見られた。そしてこの事実はそのまま私の職務上の立場にもプレッシャーをかけてきた。バイク屋の営業マンが店舗で扱う車両を運転できないでは済まされないからだ。近い将来、乗り越えなければならない高い壁を見上げた。
「うわっ! 凄い音」
突如工場に炸裂音が轟いた。
「保谷さんのRC30にHRC純正のレーシングマフラーを取り付けてるんだよ」
HRCとはホンダのレース用車両、パーツ開発、販売等々を目的とした株式会社ホンダ・レーシングのこと。
「うおっ、HRCの純正ですか。ずいぶんとえぐいものつけるんですね」
「保谷さん、好きなんだよ」
そしてRC30とは昨年(一九八七年)にホンダから発売されたワークスレーサーRVF750のレプリカモデルのことで、正式名称はVFR750R。世界耐久ロードレースに二年連続優勝したマシンのレプリカだけあって、外観だけでなくエンジンなどには実際のレーサーに準ずる高級素材で作られたパーツをふんだんに使用しており、何と販売価格は148万円。そんな高価なバイクだったが、モト・ギャルソンでは三台の販売実績があった。
「いいですね、うらやましいな~」
「サーキットで走るようなバイクだから、一般道じゃ扱いにくいよ」
それは社長の言うとおりだろうが、レプリカ好き、ホンダ好きには別格というべき一台に違いない。ちなみにこの二年後、ヤマハもワークスレーサーFZR750のレプリカモデルOW01(FZR750R)を発売。500台限定販売車両で価格はRC30を上回る200万円と非常に高価だったが、発表と同時に完売。レプリカ全盛という時代背景が、とてつもない勢いをつけていたのだ。