バイク屋時代 29 BUELL・その2

 全国一斉試乗会当日。快晴とまではいかないが、薄曇りで風もなく、試乗会としては上々のコンディションを迎えた。のぼり、ポスター、そして試乗申込書、見積書、カタログ、来店記念品等々の準備を確認、朝礼にてスタッフ全員に本日のポイントを再度伝える。俺もあまり知らなかったBUELLだけに、はたして興味津々で来店してくれる方々はどれほどいるかと、かたずをのんで待ち受けた。BUELLの展示コーナーではS1ライトニングとS2Tサンダーボルトが相変わらず異彩を放っている。初めて見るお客さんへのインパクトは大きいに違いない。

「いらっしゃいませ!」
 10時オープンと同時の来客、試乗の可能性大だ。
「お手数ですがこちらで試乗申込書の記入をお願いします」
 幸先のいい試乗一発目は男性三人組。全員バイクを所有し、BUELLには大いに興味があるという。この後もBUELL関連の来客が続き、午前中だけで10件を超える試乗があった。
「すごいね~、びっくりだね~」
 予想以上の反応に大崎社長も笑顔が絶えない。
「このペースだと午後も期待できそうですね」
「まだまだ、これからですよ」
 試乗を終えた方々に感想を聞いて回ると、良いか悪いかというより、初めて体験する乗車フィーリングにびっくりとの声が大半で、質問も多く寄せられた。内容は以下に列記するが、やはり外車ということで、耐久性とランニングコストに集中する。
 A:車検費用は?
 B:オイル交換の頻度、費用?
 C:壊れやすいところは?
 D:部品は高いのか?
 E:ガソリンはハイオク?
 以上が多かった質問である。
 乗車の感想としては、ライディングポジションが合わない、強い振動に馴染めるかどうか等々がマイナスイメージの筆頭。一方、トルクフルで加速感が楽しい、日本車にない個性がかっこいい等々の嬉しくなる言葉もたくさんいただき、何件かの商談は確実につながると思われた。土日二日間の試乗件数は55件にのぼり、即決こそはなかったが、試乗会から一か月の間に成約5台と、知名度の低いモデルながら上々の結果を得ることができた。
 その後も問い合わせや試乗が途絶えることはなく、売り手の我々がびっくりするほどの高反応が続いた。しかし実際に納車が進むに従い、“外車の洗礼”も予想どおりに待っていた。国産バイクではまずない些細なトラブルが連続したのだ。
 ナンバー基台と一体型のリアマッドガードが、強い振動によって取付ねじ付近にクラックが入るという件が多く、酷い例ではマッドガード自体が脱落した。キャブの吹き返しで、エアクリーナーの取付け部からオイルが漏れる。ウィンカーのステー部分が脆く、わずかな当たりでも折れてしまう。リアブレーキがまったく効かない。フューエルタンクのデカール部分が浮き出し剥がれてしまう。フロントフォークの液漏れ等々と、数えればきりがなく、そのたびに深々と頭を下げることになり、スタッフのモチベーション低下につながらないかと、日々緊張が続いた。

「あのマッドガード、くそですよ!」
 BUELLの担当メカになっていた海藤くん、憤慨のひと言である。
 多発するクレームの第一防波堤は彼だから、ストレスは溜まる一方。そもそも天邪鬼気味な性格の持ち主なので尚更だろう。もちろん俺だって溜まりに溜まっていた。
「構造的に駄目だと思うよ、素材が薄すぎるもん。解決方法を考えなきゃ」
 すると、急に真顔になった海藤くんが、
「フェンダレスキットと普通のマッドガードを、オリジナルで作りましょうよ」
「それができれば一番だけど、なんか考えてる?」
 これはいいアイデアだと思った。すぐに社長へ報告すると、あっけなくGOが出た。
「海藤くんに簡単な図面作らせてさ、製作会社に見積もり出してもらってよ」
 さすがに大崎社長もあまりの苦情の多さに辟易としていたのだろう。こうして一か月後、試作品が完成した。車体に装着するとリアビューの迫力が格段にアップする優れものである。
「いいじゃないこれ。何個から作れるって?」
「20個からだそうですが、50個やればだいぶ安くしてくれるそうです」
「いっちゃおう、50個。木代くんさ、アース企画にパブリシティ頼んどいて」
「了解」
 海藤くんが中心となって作ったこのオリジナルパーツ、これが予想以上に売れた。BUELLの社外パーツを他社に先駆け、いち早く製品化したことが功を奏したのだ。初回ロットは瞬く間に完売、すぐに追加発注した。鼻高々の大崎社長は、同業のBUELLディーラーに自慢のフェンダレスキットを強力にアピール、すると業販分だけで20個以上の注文が入った。
 ある日、某有名カスタムパーツメーカーの営業マンが来店したとき、
「すごいですねギャルソンさんは。普通のバイク屋で作ったカスタムパーツが、100個以上も売れるなんて聞いたことないですよ。うちも早めにやっとけばよかったな~」
 と、まじめに悔しがっていた。
 弾みのついた海藤くんは、早くも第二弾を計画していた。BUELLの泣き所、フロントブレーキの強化パーツ、“ダブルディスクキット”である。
 国産ディスクロータ×2、ブレンボ・4ポッドキャリパー×2、キャリパーサポート×2、ブレンボ・ラジアルポンプ、グッドリッジ・メッシュホース、T型ジョイントを、工賃込みのセット価格で338,000円というもの。ただ、ディスクロータ―の在庫の関係で、販売数は限定15セットのみ。そしてこのパーツの人気もすさまじく、情報を聞きつけた常連客が次々に注文を入れてくれ、発売前に完売となった。

 BUELLというバイクは、まさに“未完成の極み”。
 普通に考えれば、これほど欠点があって、価格だけは一丁前に150万円もする商品など、国産車の感覚だったらまず誰も買わない。ところがトラブルとリコールの嵐にもまれながらも、弊社ユーザーたちのBUELL愛は消えることがなかった。
 それどころか、
「こいつの欠点って、なんか憎めないんだよな」
「マイナス面があっても面白いから、カスタムや手直しして乗りたいね」
「あばたもえくぼ!」
 これが外車の世界なのかもしれない。この傾向はうちだけでなく、BUELLディーラーのほとんどに当てはまった。これを受け、関東のBUELLディーラーが手を組んで、“ブルドッグ”と称するオーナーズグループを結成。多くのオーナーたちが賛同してくれた。
 さっそく第一回目のイベントを長野で開催。参加者は100名を軽く超えた。イベント名は“ワインディングハント”。カスタム好きなBUELLオーナーが多い故に、会場のいたるところで、オーナー自慢のカスタムBUELLを囲みながらの情報交換が盛り上がり、ディーラーを超えたオーナー同士の輪ができたのだ。その後、モト・ギャルソンでも“G GLIDE”(ジーグライド)と称したオーナーズグループを結成、ツーリングや飲み会を中心に大いに盛り上がったのだ。

バイク屋時代 28 BUELL・その1

「木代くんさ、BUELL(ビューエル)ってバイク、知ってる?」
 突然社長が聞いてきた。
「以前、雑誌に載ってたのをチラッと見たけど、印象は薄いですね」
「松田くんは?」
「おれも良くは知りません」

 社長の話によれば、BUELLとはハーレー社が販売するスポーツモデルのことで、エンジンはハーレーに搭載しているものと基本的に同じだが、かなりの度合いでチューンしてあるらしい。
「そのBUELLがどうかしたんですか?」
「複雑な話なんだよ、ハーレーとの契約がさ…..」

 ハーレーの現地法人である㈱ハーレーダビッドソンジャパンへ、正規ディーラーの契約申請を出すと、意外な回答が返ってきた。
 ハーレー販売の実績がない会社は、まずBUELLを売ることから始めてもらい、その内容をよ~く観察した上で、ハーレー取り扱いへとステップアップできるかどうかを吟味するという、手厳しい一撃が返ってきたのだ。ずいぶん横柄な対応に思えたが、いずれにしてもBUELLを売らなければ先へは進めないのが現実。しかたがないので、まずはBUELLを研究し、よく知ることからスタートしようと、重い腰を上げたのだ。

 BUELLというネーミングは、このバイクを作ったERIK(エリック) BUELL氏のラストネーム。彼は以前、ハーレー社のスタッフだったが、理想のスポーツバイクを作りたい願望が抑えきれず、同社を辞職してBUELL社を立ち上げた。ハーレーとのパイプは残っていたから、エンジンを単体で供給してもらい、それをチューンしたうえで自作のシャーシに乗せたのが製品としてのBUELLだ。
 俺はBUELLはおろか、ハーレーのこともほとんど知らなかった。映画『イージーライダー』に出てくるスタイリッシュなバイクだとか、ローリングストーンズのポスターの中で、革のロングコートを羽織ったキースが、チョッパータイプのハーレーに跨っている姿が渋いとか、そんなレベルだった。ただ、エンジンがOHVのVツインだというのは認識していて、進化の激しいバイク業界において、何故ひたすらOHVなのかと不思議には思っていた。
 4サイクルエンジンには、サイドバルブ~OHV~OHC~DOHCと性能を上げてきた歴史があり、昨今バイクではほとんど使うことのなくなったOHVを採用する真意が当時はわからなかった。よってそんな古い形式のエンジンを載せたバイクなんて、走るの?!と、やや見下していた。

「社長、HDJ(ハーレーダビッドソンジャパン)に頼んで、BUELLの試乗車を借りてください」
「試乗車用の車両は買ったから、週明けには来るよ」
「えっ?! わざわざ買ったんですか? 借りればいいのに」
 “海外ビジネスとの遭遇”である。国産メーカーだったら、どこの販社からでも無償で試乗車は借りられるが、ハーレーは違った。<試乗車の設置は売上を向上させるために必要な投資>という考え方である。なににつけても投資という名目で金が必要になるのだ。立て看板、袖看板、キャンペーン用のぼり、カタログ等々は有料自動出荷。さらに米国会議への旅費などはビジネス投資に当たるため、すべて持ち出し。これが国産メーカーだったら真逆である。高利益率とうたう裏に隠された、予測を超える経費増の実態が明らかになりつつあった

「うわ~、かっこいい~」
 箱出しが完了し、姿を見せたBUELL・S1。興味津々で、今か今かと待っていた瀬古くんの目が光っている。という俺も車体に目が釘付けだ。
 スタイルはかなり個性的。ナンバープレート基台がマッドガードと一緒になっているのが目を引くが、なによりテール周りのすっきりとした印象が際立った。これはサイレンサーがエンジン下部に取り付けられているためだ。従来のバイクにはなかったレイアウトである。エリックによれば、デザインを考えたのではなく、“マスの集中化”の実現という。車体の中心に重量を集中させることにより、クイック且つコントローラブルなハンドリングを得られるとのこと。実際に走らせて検証したいものだ。
 次に跨ってみると、これが違和感だらけ。シートの幅がやたらに狭く、ほとんどオフ車並み。しかも座面にアールがついているから着座感に乏しく、おまけにシートレザーがつるつるとした素材なので、これでフル加速でもしたら、冗談ではなく後方へずり落ちそうだ。
「この車格でエンジンが1200ccでしょ、シングルディスクで止まるのかな」
 海藤メカの指摘はもっともだ。リッタークラスのスポーツバイクで、フロントブレーキがシングルなんてバイクは、これまでに見たことも聞いたこともない。
「これで伊豆スカ100Kmオーバーはリスキーかも」
「まあ、走ってみなきゃね~」

 S1の整備が完了。どのようなテイストを持つバイクなのかは、実際に走ってみなければわからないので、社長へ許可を取り付け、定休日に体験ツーリングを試みた。行先は慣れ親しんだ伊豆箱根である。
 街中ではとにかく振動の大きさに閉口した。特にアイドリング時が顕著で、信号待ちのたびにハンドルから手を放して痺れを回避。ところが環八から東名へ入ると振動の様子が変化した。車体を揺らすようなものから微振動へと変わり、エンジンにスムーズさが出てくる。それでも慣れてないせいか、高速クルージングには不向きと思った。しかし、不満ばかりではなく、面白さも徐々にわかってきた。80Km前後からの加速がなんとも小気味いいのだ。ビッグツインならではの“ドロドロドロ”っと、いかにも大きなピストンがクランクを押し回しているというリアルな感じはマルチエンジンでは決して得られないもの。ただ、面白さや力強さやを楽しめるのは時速70Kmからせいぜい130Kmまで。130Kmを超えると振動は再び不快なものに変わり、なによりパワー不足を感じてしまう。まだ慣らし運転中なので、スロットルのワイドオープンは躊躇したが、時速150Km近くへ到達するためには、苦しそうなエンジンの唸りを聞き続けなければならない。これ本当に排気量1200ccか??とまじめに思ったほどだ。年式は古いが、俺のZXR750だったら、トップギアで180Kmから猛然と加速する。新車おろしたて故、まだ当たりがついてないことを考慮してもプアである。やや消沈しつつ、御殿場ICから旧乙女向かった。

 高速道路とは打って変わってタイトターンの連続である。マスの集中化とはうたっているが、倒しこみはそれほど軽くなく、癖のほうが目立ち手こずった。ただ、慣れてくるにつれ、本来の姿も見えだした。
 やはりOHVである。エンジン回転の頭打ちがすぐに来るので、いつものようにギアダウンしスロットルを開けても唸るだけで加速はしない。パワーが乗らないから後輪にトラクションがかからずコーナーが不安定。この辺がマルチや2ストと比べるとかなり異なる。ところがだ、しょうがないとシフトダウンはせずにそのままスロットルを開けると、ドロドロドロドロと、大きなトルクで低回転のまま加速していくではないか。<加速 = 回転を上げる>に間違いはないが、美味しい回転域がマルチとは違うところにあったのだ。この特性が判明すると、これまでマイナス面しか目立たなかったBUELLが一気に光りだした。逆にこれまで経験のなかったライディングフィールを覚え、面白くて笑った。芦ノ湖スカラインも終盤に差し掛かるころには、気持ちよくスロットルを開けられ、「ツインスポーツってのもありだ~♪」と大いに満足。ただ、フロントシングルディスクによる制動力不足は、最後まで慣れることはなかった。
 それから一週間後。知名度の低いBUELLを一人でも多くのライダーに知ってもらおうと、国内初となる【BUELLディーラー全国一斉試乗会】の開催がHDJより発表され、各バイク雑誌にでかでかと告知された。

バイク屋時代 27 大方向転換

 新ギャラツーのオープンもまずまずの滑り出しを見せた。来店客は多く、在庫はたちどころに売れていった。売れることは嬉しいが、納車が進めばたちまちショールームに空きが目立ち、みすぼらしいことこの上ない。当然であるが中古車の売上は在庫が少なくなると落ちていくので、江藤さんは仕入れ資金の許す限り、足繁くオークションへ通い、新たな売れ線を買い求めた。だが人気車種はどこの業者だって欲しいから、セリは過熱、話にもならない高値がついてしまう。無理して買っても、まともな儲けなど望めるわけもない。
 そう、中古車の仕入れってのは、とにかく難しい。
 常に程度のいい中古車を安く仕入れられれば、これほど楽に儲かる商売はない。なんと言っても良策は、直接ユーザーから買い取ることだが、町のバイク屋に買ってくれと持ち込む例は本当にまれで、現状はレッドバロンのような知名度が高く、多大なる広告費をかけて買取の訴求を常に行っているところへ集まるのだ。末端ユーザーは素人、よって売り買いの相場など知る由もない。そこへ言葉巧みなプロのバイヤーが買取交渉を持ちかければ、ことごとくオークション相場より低い価格で買い取り交渉が成立し、場合によっては店頭で売らずともそのままオークションへ横流しするだけで、けっこうな利益を上げられるのだ。

BDS柏の杜オークション会場

「木代くんさ、なんか下取り入ってこない?」
「きびしいっすね。週末におんぼろスクーターが一台だけかな」
「今さ、バカみたいに高いからさ、ほんと買えないよぉ」
 さすがの江藤さんもお手上げである。しかもさっき下山専務から、
「今月は支払いが多いから、買取は月が替わって残高を見てからじゃないと駄目よ」
 と、釘を刺されていた。実は本店の経費が予測以上にかかっていたのだ。そんな中、かなり膨れ上がっている借入金の返済は容赦なく訪れるので、ここ数か月、下山専務の機嫌はかなり悪い。そんな中でも店は相変わらず忙しく、昼食をとるのもままならない状況に変わりはなかった。しかし、忙しいからと人員を大幅に補充したことによる経費増、そして解決できずにいる単価の低さと値引きの悪循環により、台所事情は急速にひっ迫していた。
 そんなジリ貧状況が一年近く続いていただろうか。ある日の店長会議で、大崎社長が会社の方向を大きく転換させようと、驚くべき計画を発表したのだ。

Harley-Davidson本社 アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー

 要約すると、
 これまでの国産4メーカーを主軸とした販売は、単価の低迷などの煽りを受け、利益率は下がる一方。しかも業界の値引き合戦はいまだ熾烈で、特にスクーター販売は慈善事業になりつつある。各メーカーとの契約には少なくない保証金を入れなければならず、売上は目標をクリアしなければ当然達成マージンは出ない。こうなると四つのメーカーと契約し続けるのは効率が悪く、運営資金的にも負担が大きいのだ。
 国産バイクは創業以来の商品であり、それによって多くの既納客を獲得してきたが、現況を鑑みて、この先利益を上げ続けるのが困難になることは間違いない。そこで考えたのが、収益性が極めて高いといわれてるハーレー(Harley-Davidson)の扱いを始め、国産は状況を見ながら順次減らしていき、1~2年をめどにハーレー専業へと様変わりさせるというものだった。さらに、一時は流行りに流行ったレーサーレプリカが、今では見る影もなくなり、それに代わって、スティード、ドラッグスター、バルカン、イントル―ダー等々のアメリカンバイク大きく売上を伸ばしている現況があった。

「これまでのお客さんのアフターはどうすんのよ?」
 江藤さん、爆発する勢いだ。
「内々の話だけど、メカの近江くんが近い将来に独立したいって言ってきてるんだ。だったらその時うちから多少バックアップしてあげて、彼の店でアフターをやってもらおうかと思ってる」
 社長の頭の中ではすでにハーレー構想は確定事項だろうが、こればっかりは素直に承諾できない。いくら国産の収益性が悪いからと言っても、もう少しやりようがあると思うし、これまで信頼関係を築いてきた各メーカーとのパイプは太く、簡単に断ち切れるものではない。特に営業部長という俺の職務上、メーカー営業担当とのやり取りをはじめ、目標設定、ニューモデル説明会、新年大会等々、販売会社との関りすべてに携わってきたので、繋がりの重要性は誰よりわかっているつもりだ。それともう一つ気になることがある。

ヤマハ新年大会 ゲストは【ザ・ワイルドワンズ】 浜松グランドホテルにて 

 うちの社員、特にメカニックの入社のきっかけは、そのほとんどがバイクが好きだからというシンプルなもの。好きなバイクにも好みがあり、興味のある対象を受け持てることが就労を続ける理由にもなっている。例えば常連客から社員になった富澤くんは、ベスパに興味が湧いたことがもとで入社し、現在は吉本くんの弟子となって、イタリアンスクーター全般を扱えるメカニックを目指し、日々嬉々として奮闘中である。その彼に「うちはハーレー一本になるんだよ」と告げたら、どのように考えるだろうか。実は富澤くん、このハーレーディーラー化計画を聞かされた後に独立を決断。近江くんに先んじて退職し、こじんまりだが、早々と杉並にベスパ専門店を持ったのだ。
「これまでのお客さんすべてを近江が一人で受け持つんですか? そりゃ物理的にも無理でしょ」
「今回のように取り扱い車種が変わるような大きな変革を行えば、国産のお客さんの大半は離れると思ってる。おそらく近江くんがつかんでいる一握りのお客さんしか残らないさ」
「いいんですか、それで?」
「全部見越したうえですよ。それより収益性の高い新しいギャルソンを一日でも早くスタートさせるほうが肝心だよ」
 もう社長の腹は完全に決まっている。経営者に逆らうわけにはいかない。
 ところが… ハーレーディーラーへの道は予想以上に険しかったのだ。