「バイク屋時代」カテゴリーアーカイブ

バイク屋時代68 心に残るバイク ホンダ スーパーカブ

「だいじょうぶそう?」
「日曜は十時ごろまで寝てるよ」
 K吉は手慣れた様子でロックを外すと、音をたてないようにそ~っと母屋脇からカブを引き出した。朝の七時前だというのに太陽は照り付け、緊張感も相まってすでに汗でびっしょりである。K吉の父親は北口の工場で働いていて、通勤にはホンダのカブを使っていた。
 二日前、通学している小学校のプールでK吉と会ったとき、バイクの話が出てきて、夏休み中に一度乗ってみないかと盛り上がり、今日が決行の日となっていた。釣り好きな俺が、夏休みに朝早く家を出ることは日常である。釣竿さえ持っていれば、どこへ行くの?、誰と遊ぶの?等々、疑われることはなかった。

 道路まで出し、一旦サイドスタンドを出す。自転車とくらべて大きく丈夫そうだ。
「どこで乗る?」
「小学生がその辺でバイクに乗ってたら目立ってすぐに捕まっちゃうじゃんか、だったら学校の校庭にしよう」
「夏休みだけど先生や用務員もいるぜ」
「あの広い校庭だったら逃げ切れるよ」
 あまりに突飛な考えだが、妙に納得する。それにK吉の家は小学校の目と鼻の先だから、誰にも見つからずに乗り入れはできるだろう。
 K吉がハンドルを握り、俺は後ろから押した。カブは軽いので、小学生でも二人で押せば小走りくらいのスピードは出る。ものの一~二分で体育館脇の西門を潜ることができた。日曜早朝の港町に人影はまばら。この日を選んで正解だった。
 一旦、給食棟とプールの間で一息つける。今日は一際暑い。近くにある蛇口を開いて、かわりばんこに水をがぶ飲みする。
 K吉は物凄く頭のいいやつだ。塾に行かなくても成績はいつもクラスで三番以内。勉強ができるだけじゃなく、周囲を驚かせるアイデアマンでもあった。物を作るのが好きで、これまでに乳母車を改造したゴーカート風乗り物、発泡スチロールをふんだんに使った筏、そしてK吉風ピンボール等々、いずれも発想にキラリ光るものがあり、小学生が考案したものとしては抜きん出たレベルだった。

 カブに近づいたK吉は、慣れた手つきでキックレバーを出すと、続いていとも簡単にエンジンをかけて見せた。
「すげー!」
「父ちゃんに教わったんだ」
 シートに座りなおすと、ギアを入れ鮮やかに走り出す。すぐに止まって後ろを振り向き、
「どうだい、乗ってみる?」
「なんもわかんないから、怖いよ」
「大丈夫だって」
 これがアクセル、これとこれがブレーキ、とにかくアクセルはゆっくり開ける等々の説明を受け、いざ跨ってみると、自転車とはまるで違う存在感に圧倒された。それでも憧れのバイクをこれから操作すると思うと嬉しさも湧きたつ。
 ギアを入れ、恐々とアクセルを開けていく。
「うぉっ!!」
 この走り出した時の感覚は、六十年経った今でも鮮明に思い出す。自分の力ではなく、動力を使って走る乗り物を初めて操作した一瞬だ。その後さまざまなバイクに乗ってきたが、あの時の感動を上回ることは一切ない。
 なさけないが、ビビりが入り、直線を20mほど走って終わりにした。そのあとK吉と交代、後ろに乗って校庭を一周したとき、なんか天下を取ったような気分だった。

 K吉は中学を卒業すると、地区でナンバーワンの県立進学校であるN高校へ進学。その後は音信不通だが、あの頭脳と行動力で大活躍していることは間違いないだろう。

バイク屋時代67 心に残るバイク ドゥカティ モンスターS4

 ドゥカティの扱いが決まったとき、嬉しさと期待で心は躍った。それはそうだ、なんてったってドゥカティは憧れだったから。

 モト・ギャルソンへ入社する以前に、静岡県の沼津に住んでいた時期があり、休日は雨さえ降らなければ、愛車ヤマハ・RZ250を駆り、日がな一日伊豆スカを走りまくっていた。
 ある日、快調に飛ばしていると、バックミラーに写った黒い点が見る見るうちに大きくなり、凄まじい排気音を吐き散らしながら、もんどういわずの追い越しをかけられた。スイッチが入った俺は、体をさらに伏せて、離されまいと追いかけた。ところがじわじわと車間は広がるばかり。こりゃ駄目だと諦めたとき、やつは左へウィンカーを出して、吸い込まれるように亀石PAへと入っていった。俺も続き、ちょっと離れた場所へ停めた。黒のヘルメットに黒のツナギと、全身黒づくめの彼が乗っていたのは、同じく黒のドゥカティ900SS。しかもベベルだ。

 当時伊豆スカの常連たちの殆どは、ハングオンスタイルで攻めていたが、彼はシンプルなリーンウィズ。美しいフォームで深々とリーンしていく様は見惚れるほどだった。センスタをかけてヘルメットを取ると、白髪混じりの年配男性である。実にカッコいい。俺もいつかはあんなおやじになって、ドゥカティを操れればと真剣に思ったほどだ。 
 この一件以降、ドゥカティは俺にとって特別なバイクに位置付けられた。
 それから何年かが経ち、国際レース界でスーパーバイク選手権が開催されると、なんとドゥカティ851レーサーは強力なメイドインジャパンの各車を抑え、圧倒的な走りを見せたのだ。これには驚きだけでなく、正直なところ感動で胸がいっぱいになった。
 ちなみに、同じイタリア生まれのフェラーリとドゥカティは、四輪と二輪の差こそあれ、非常に共通点が多く、国民性そのものを具現化した工業製品でもある。息をのむデザインとプレミアム性、独自技術、レース命、そしてイメージカラーがロッソ。両社製品は定量的な評価だけでは語れない、この上なく深い魅力を湛えているのだ。

 ドゥカティジャパン(DJ)の担当営業マンが初めてモト・ギャルソン本店へ訪れたとき、まずは実際にドゥカティに乗ってみて、その魅力を体感してほしいとアドバイスされた。SS900ならデモ車としていつでも貸し出せるとのことなので、早速納入してもらった。
 その戦闘的なスタイルは、ワインディングを連想させ、思わずニンマリしてしまう。さっそく井の頭通りから女子大通り、そして新青梅と走らせてみた。ところが感想を言えば、何とも例えようのない不可解な乗り物だったのだ。正直なところ、ビューエルに親しみ、ツインエンジンの魅力を知っていなかったら、マイナス面しか見えなかっただろう。
 まず街乗りには向いてない。下のトルクが細いので、速度を落とすとすぐにガクガクッと車体が揺れだし、それではとギヤを落とせば今度は神経質なレスポンスになったりと、スロットルコントロールがシビアすぎる。女子大コーナーに持ち込み、S字の切り返しにトライするが、パワーバンドが狭く俺のテクニックではスムーズにクリアできず、思いがけなかったマイナスイメージの連発に落胆したものだ。以前にちょっとだけ乗ってみた、キャブの頃のSS900はもうちょっとましだったような記憶があったから猶更である。
 乗り物としてのドゥカティに難しさを感じつつも、商談はコンスタントに発生し、モンスター900を中心に予定通りの売上を推移した。そして一年が経った頃、センセーショナルなニューモデルが発売された。水冷のモンスター、S4である。

 スーパーバイク916と同型のエンジンを搭載した新生モンスターは、一斉試乗会でも上々の評価を得られ、それまでの人気車モンスター900の商談が殆ど「0」になったほどだ。実際に乗ってみても、空冷900で泣かされた難しさがほとんどなく、ビューエル程ではないにせよ、低中速でのトルクは十分確保されていて、街中でも四苦八苦することはない。ただ、開きすぎたハンドルは改善の余地ありで、案の定、カスタムパーツメーカー各社から、すぐに良好なポジションが得られる製品が発売になった。特にアエラ製のテーパーハンドルはフィット感がよく、うちの試乗車に取り付けると、S4の新規購入者の殆どが、クラッチレリーズシリンダーと一緒にオプションとして取り付けてくれた。
 ドゥカティ製品への印象が打って変わって急上昇し、それではとS4を伊豆スカに持ち込むと、もう笑いが止まらない。初っ端の旧乙女ではまだ操作に慣れてないはずなのに、連続するタイトなコーナーをひらりひらりと自在に操れ、箱スカへ出るとさすがに水冷エンジン、スピードの乗りが俄然いいのだ。ドゥカティ車全般に共通することだが、ブレーキ性能はピカイチなので、どのようなコーナーへでも安心して突っ込め、あっという間に足スカを通り越し、伊豆スカへと入っていった。
 ハンドルをアエラへ交換したことにより、ツーリングでの疲れも殆ど感じず、様々な用途で万能性を発揮できるのではと感じた。三年後にはスーパーバイク996のエンジンを搭載するS4Rが発売され、最高出力も13馬力アップと大幅に向上したが、俺個人としてはS4の方がトータル的に扱いやすいと今でも思う。
 ビッグツーリングの下見で、ヤマハ・FZ750を駆る大杉くんと二人で走った“奥利根ゆけむり街道”を思い出す。中速コーナーが延々と続くこの道は、S4の特性にとてもマッチし、永遠に走り続けたいと思うほど気持ちがよく、メーターの警告灯が点滅するまで、少なくなっていた燃料残に気がつかなかったほどである。

バイク屋時代66 心に残るバイク ビューエル X1

 ビューエル。予想と実態がこれほどまでにかけ離れたバイクはなかなかお目にかかれない。

 以上は、<バイク屋時代28 BUELL その1>からの抜粋である。

 “いくらスポーツモデルと言ったって、エンジンはハーレーなんだろ?!”
 当時、ハーレーは純粋なツーリングバイクであり、スポーツライドとは縁のないカテゴリーだと頑なに思っていた。さらにハーレーだけでなく、4サイクルエンジンのシングルやツインは、味はあっても、いざ動力性能となれば、マルチエンジンの高性能には遠く及ばないとも思っていた。
 この認識はある意味まちがいではないが、頭の片隅にあった<高性能=いいバイク>という公式が、歪んだ価値観を生み出していたことは確かだった。

 ビューエルを初めて峠に持ち出したとき、驚きと落胆が入り交じる複雑な印象を持った。試乗車として準備したS1 Lightningはシートがオフ車のように幅が狭く、御殿場ICを降りるころから尻が痛み始めた。
 旧乙女に入ると同時にペースアップ。すぐに頭打ちになるエンジン、つるつる滑って二―グリップがままならないシート等々、まったくリズムに乗れない。箱スカからは速度を上げてみたが、やはり頭打ちが早くてどうにもコツをつかめない。俺のレベルでは乗りこなせるバイクじゃないと諦めかけてきたころ、マルチのようにエンジン回転をぶわーっと上げて速度やリズムに乗るのではなく、ギアを一段上げてイエローゾーン手前の最もトルクが乗ってフレキシブルな回転域をキープすると、Vツインの鼓動感がもりもりと出てきてやけに気持ちがいいのだ。コーナーでトラクションがかかりやすくなり、フルバンク時の安定感もグンと増した。芦スカに入るころには、なんとなくツインの乗り方が掴めてきて面白さが倍増。そのまま伊豆スカへと突入、気がつけば亀石を通過していた。東名高速では時速130kmを超えると、スピードがまったく伸びずがっかりしたが、峠道での速度域では笑っちゃうくらいに楽しい。
 三年後の一九九九年。大幅な改良を施したX1 Lightningが登場。見た目はやや個性に乏しくなったものの、問題のあったライディングシートやフロンフォークが改善され、乗りやすさは格段に向上した。サスの動きがスムーズになった分、荒れた峠道でも恐怖を感じることはなく、アグレッシブなライディングが可能になった。S1やS1Wはサスが固く、特に荒れた道でのコーナーではサスがついていかず、車体が暴れることが屡々あったのだ。これが改善されたのは大きい。翌年に那須スポーツランドでモト・ギャルソン主催のサーキット走行会を開催、もちろん我々スタッフも大いに走り楽しんだが、一周1kmのテクニカルコースで、X1の扱いやすさがより深く体感できた。
 日本向け車両にのみ、フューエルラインが加熱してエンジンストールするというトラブルが出て、十月発売予定が年越しの三月になったのは参ったが、ハーレーのエンジンを使ってこれほどまでに心躍るスポーツバイクに仕上げたことは称賛に価する。ちなみにX1はこれまでのキャブレターからFIへ変更になったが、トラブルや変な癖もなく、ビューエル社の技術力を再確認した。
 二〇〇三年になると、フルモデルチェンジしたXB9Rが発表されたが、コンパクトさを狙いすぎた超ショートホイールベースな車体は、高速域で安定感に欠け、俺個人としては、どうしても馴染むことができなかった。なんと言っても、ホンダの125ccスクーター“PCX”のホイールベースとほとんど変わらないのだから。
 ただ、感心するポイントもそれなりにあった。筆頭はやはり軽さ。S字コーナーなどは、大げさな体重移動は無用、ステップ加重だけでスイッスイッと小気味よくバンクしていく様はとてもリッタースポーツとは思えない。この後、ハーレーエンジン搭載のビューエルはXB12Ssで終焉を迎えるが、この最終型は、フレームとスイングアームの見直しで、異常なまでに短かったホイールベースを一般的なサイズに戻したのだ。個性は薄くなったが、反面、バイクとしてのまとまりはよくなった。ワインディングでは、あのドゥカティモンスターと較べても、何の遜色もない走りを披露する。
 X1は、粗削りだが個性溢れるS1と、完成度が光るXBシリーズのちょうどいいとこ取りであり、ハーレーエンジンの魅力を堪能しながら、本格的なスポーツ走行を可能にしてくれた歴史に残るモデルだと思う。

 二〇〇九年十月。世界的な金融危機などの影響を受けたハーレーダビッドソン社が「経営資源の選択と集中」を理由に、傘下であったビューエルブランドの生産終了を突如発表。ビューエルオーナー並びに我々正規ディーラーにとってはまさに青天の霹靂ではあったが、長期在庫になっていたXB12R三台が、このニュース発表の後、たったの二週間で完売になった。購入を検討していた方々からすればまさにラストチャンスだったろう。
 ビューエルの終焉により、関東圏のビューエル正規販売店が設立した組織、BuellDOK(ブルドック)も存在意義を失い解散が決まった。よってBuellDOKが定期的に開催してきた人気のオーナーイベント゛“ワインディングハント”もこの夏を最後に幕を閉じた。
 ワインディングハントは、ビューエルオーナー各々が開催場所に集まるのだが、モト・ギャルソンでは毎回十五~六台のグループを作り、マスツーリングを行ってきた。いつも先導は俺の役目だ。しかしこの最終回には、試乗車も含めビューエルはすべて売りつくしていたから、その代わりに昨年発売されたばかりのハーレーニュースポーツモデル“XR1200”に乗っていくことにした。鳴り物入りで登場したモデルだったので、ビューエルとの差はどんなものか、実際に峠道を走って確かめるチャンスでもあった。
 ツーリングコースは、中央道の韮崎ICを降りて、茅ヶ岳広域農道からR23へ至るもの。前半は殆どが中高速のワインディングになる。
 高速道路でのパワー感は、ほとんどスポーツスターと変わらず、ややがっかり。しかも安定感重視にしているようでレーンチェンジの軽快性もまんまハーレーである。ワインディングへ入ると、この傾向は顕著になる。中速のS字コーナーではしっかり体重をかけないとアンダーが強く出てヒヤッとする場面も。やはり一般的なハーレーの味付けとなんら変わらない。ただ、ブレーキング時の安定感はビューエル以上と思えるほどで、制動力も悪くなかった。しかしだ、“XR”を冠する割には、ほとんどスポーツスターと変わりがないし、お茶濁し感は否めない。ビューエルはエンジンこそスポーツスター1200のものを使ったが、エンジンヘッドを独自技術で作り直し、60馬力にも満たないスペックを100馬力を絞り出す別物に仕立てた。車体に至っては、真のスポーツバイクを目指すため、“0”から考えた別次元の設計によるものだ。改めてErik Buellの拘りと凄さがわかるところである。

バイク屋時代65 心に残るバイク ヤマハ・XJR1200

 一九九四年春。モト・ギャルソン本店にて。

「今度のは他社製品と比べても遜色ないし、絶対売れますよ」
 昼前にヤマハの三沢さんが来店し、新しく発売されたJOGの派生モデル“アプリオ”の売り込みに必死である。より大きくなったラゲッジスペースと、6Lの大容量ガソリンタンクがアプリオの特徴ではあるが、丸みを帯びたボディーフォルムは、現行のJOGと比べてより多くのユーザーに支持されそうだ。

「とりあえず五台はお願いしたいんです」
「マージンは?」
「新発売キャンペーンをやってるんで、五台入れてもらえれば一本つけさせていただきます」
「でもさ、はっきり言ってスクーターは儲からないよね」
「そんなこと言わないで」
 結局押しに押され、五台のまとめ買いを承諾した。
「五月のビッグは蓼科か、いいですね~。ところで木代さん、今回はなにに乗っていくんですか?」
「まだ決めてない」
「だったらうちのをぜひ!」
 ビッグツーリングは参加者が毎回百名近くにもなるモト・ギャルソン最大のイベントだ。一泊で行うから、お客さん同士、またはお客さんとスタッフが親密になれるチャンスも多く、固定客化の効果としては抜群の実績を上げている。なんと言っても百台のバイクとオーナーが集まるので、バイクの大見本市の様相があり、いろいろな機種を近くで確認したり、直接オーナーから感想を聞けたりと、代替えのきっかけ作りとしては大いに役立つ。ツーリングが終わると、たいがい各店一~二台の代替え商談が発生するのも頷けるところ。
「なにを貸してもらえるの?」
「先月発売されたばかりのXJR1200です」

 今話題のリッターネイキッドである。すでにホンダはCB1300、カワサキはZRX1200を発売し好評を得ている。ネイキッドはどんな用途にでも対応できるオールラウンダー性が魅力であり、購入後の満足度は往々にして高い。
 CB1300、ZRX1200共々、高性能の水冷エンジンを搭載しているのに対し、XJR1200は数値的には劣る水冷エンジンを採用した。これには開発のポリシーが関わっている。
 ネイキッドには最高速がなんぼとか、サーキットでどうかなんてことはほとんど意味がない。それより乗って操作してみたら、「へ~、いいバイクだな」と、わかりやすく感心させる要素が必要だ。しかしこの“よさ”を数値で表すのは難しく、一般的に工業製品は、まず数量的な計画がなければ、作り出すことはできない。そこでヤマハの開発陣が考えたのが、ヒューマノニクス手法。大勢のスタッフ達が実際に乗ってみて、ここがいいとか悪いとか、あれこれどうなのこうなの等々、試行錯誤しながら徐々に完成形へと煮詰めていく方法だ。時間はかかったが、この手法で作り上げたのがXJR1200である。

 ビッグツーリングの前日。貸与されたXJR1200を店から自宅まで乗っていくと、びっくりしたのは、すぐに馴染んでくる不思議な感覚だ。それと操作全般でリッターバイクとはとても思えないほど軽いこと。この手のバイクとしてはサスが柔らかくストローク感がつかみやすいのだ。制動時はややフロントダイブが大きいが、安定感は抜群。明日からの二日間、どんな走りができるのか、期待は膨らんだ。

 中央道は予想より交通量が少なく気持ちのいいクルージングができた。トイレ休憩で双葉SAに寄ると、
「木代さん、高速降りるまで交代OKですか?」
「もちろんだよ。これ、ちょっとびっくりするぜ」
 言い寄ってきたのはゼファー750を駆るKさん。吉祥寺時代からの常連さんで、すでに三台購入いただいている。ナナハンとリッターバイクとのパフォーマンス差は、ややもすると250と400ほどの開きがある。どんな感想が飛び出てくるか。
「やっぱでっかいな~」
 Kさんは小柄なので、XJR1200に跨ると脚がつんつんである。立ちごけが心配されたが、そこはKさん、さすがベテランライダー、不安気なしに扱っている。

 本線に戻るとゼファーの非力さに愕然。スロットルを開けても車速が付いてこない。バランスのいいバイクには違いないが、唯一の弱点が高速域のパフォーマンス。もっとも空冷ナナハンにこれを求めたら可哀そうだ。ジムカーナのチャンピオンマシンにとって高速域は無用の領域である。
「別物だね~」
 須玉ICでのKさん開口一番である。その気持ち、よぉ~くわかる。
 清里から八ヶ岳高原ラインへ入ると、XJR1200は水を得た魚となった。すべてがソフトなのに安定感に溢れ、速度を上げても不安はまったく感じない。下手なレプリカよりハイペースで行けそうだ。途中かなり回り込むコーナーに侵入したとき、カリンっとステップが路面を擦った。慣れない借り物のバイクでここまでやれるのは、深くバンクしても揺るぎない安定感のおかげだ。これだけ使いやすさを感じるのは、なにもエンジンや足回りだけではなく、絶妙なフィット感のあるシートも大いに関与している。やや幅は広めだが、長く乗っていても疲れないし、スポーツランの時もしっかりと腰を支えてくれる。そしてなにより鉄板なのは絶妙なアップライトポジション。デザインバランスに富んでいるとともに、バイクという乗り物の原型たる操作感を与えてくれる。ヒューマノニクス手法の目視するところが、なんとなく理解できたような気がした。
 性能とは関係ないが、駐車場に置いたXJRを遠目で眺めれば、空冷エンジンの冷却フィンがネイキッドのかっこよさを引き立てているのがわかる。CBやZRXに搭載の水冷エンジンは、性能こそいいが、無機質な外観とラジエターの存在が、ネイキッド本来のシンプルな美しさの邪魔をする。
 XJR1200は発売から四年後にXJR1300へと進化し、さらにヒューマノニクスぶりを進化させた。
 残念なことは、新たな排気ガス規制に合致することができず、2017年にはカタログ落ちとなってしまう。ただ、バイク本来の楽しさを提示してくれた稀有なモデルであったことは間違いない。

バイク屋時代64 見えてきた潮時

 うちも含め、バイク業界はなんとかコロナ禍を乗り越えた。最も被害が大きかった宿泊業や飲食業と較べればかすり傷程度ではなかろうか。リーマンの時もそうだったが、バイクも特に輸入車やオーバーナナハンクラスになれば、完全に趣味の範疇であり、不況には比較的影響されにくいカテゴリーに入る。日常品には節約の意識が生まれても、趣味や好きなことに対しては金を惜しまないのが人の常。簡単に諦めがつくものではない。

 プライベートな話になるが、コロナ禍が徐々に落ち着きを見せ始めたころ、施設に入っていた親父が、誤嚥がもとで容体が急変、三鷹にある総合病院へ救急搬送された。老人に多い誤嚥性肺炎である。症状は比較的軽かったが、さすがに九十五歳の体には堪えたようで、日が経つにつれ嚥下がままならなくなり、急速に体力が失われていった。担当医師から胃ろうの相談も受けたが、こんな状態で生きながらえても、本人はもちろん俺も含めた家族の心情は辛くなるだけ。むしろ親父には良い意味で楽になってもらいたいという一念から、この話は丁重に断りを入れた。それから十日後、いつも通りに出勤すると、先に来ていた海藤くんが、
「ほんの五分前にご家族の方から電話があって、すぐに病院へってことです」
 死に目には間に合わなかったが、頬に手を当てると、まだわずかなぬくもりが感じられた。
 それから一年後、九十歳になるおふくろが同じく老衰により永眠した。
 納骨式が終わって一息つくと、これからの人生を考える自分がいた。
 もう充分働いた。娘も結婚して幸せな家庭を持った。あとは悠々自適にやればいいだけ。俺も今年の十月が来れば満六十九だ。

 三十四歳から三十五年間、がむしゃらに働けたのは、飯よりも好きだったバイクを扱える仕事に就けたからだ。もちろん職務上のことで落ち込んだことは幾度もあるが、バイクと接していると、いつしか笑顔が戻り、気持ちも和らいだ。
 良き時代の国産四メーカーや、輸入車のビューエル、ドゥカティを扱えたことは本当にラッキーだった。現在はハーレーを中心に中古車を扱っているが、たまに最新鋭のレプリカモデルや、一昔前のドゥカティSSなどが下取りで入ってくると、性懲りもなく嬉しくなる。
 大昔、友人たちと三人で伊豆の白浜にテントを張り、高校生活最後の夏を謳歌したことがある。遊泳中であろうと何をしていようと、バイクが海岸通りに入ってくると、発する排気音に反応し、岬の先に消えるまでその疾走する姿を追ったものだ。俺たちは電車とバスを乗り継いでここまできたが、バイクで海へ行くなんて、なんて羨ましいことかと、出るのは溜息ばかりだった。
 大学へ進学し、一時は車にのめり込んだが、社会人になって資金に余裕が出てくると、二輪車免許を取得して、中古車だが欲しかったヤマハ・RZ250を入手。その年の末に公開された映画『汚れた英雄』を弟と二人で観に行けば、弾かれたように“伊豆スカ詣”が始まった。加速、排気音、革ツナギ、フルバンク等々、バイクのあるべき姿はここにあると心底思った。そして爺さんになった今も、それは変わらない。
 七十になる前に退職しようとは、だいぶ前から考えていたこと。ぎりぎりまで頑張ってもあと一年ちょっとだ。三十五年間を振り返ると、いろいろなことを思い出すが、やはり数々のインパクトあるバイクとの出会は強く胸に刻まれている。次回からは、そんなバイクの話も披露していこうかと考えている。