
時は1995年の初夏。
先週、社長から電話があったとき、次の店長会議は大事な事案になると告げられた。つねに勢いのある大崎社長だから、また新しい店でも作るのだろうか、それとも…..
今回の会議は八幡町にあるファミレスで行われた。店の入り口左脇には会議向きな小部屋がしつらえてあり、いつもと異なる雰囲気にちょっぴり緊張感を覚える。
参加者も通常メンバーの他に総務の矢倉さんも入っていた。テーブルに全員が着席すると、おもむろに資料が配られ、さっと目を通すと、やはり新店関連のようだ。
「さっそく本題だけど、このほど現在ある三店舗を閉めて、大型の一店舗に集約します。場所は資料の最初のページに掲載した、“武蔵野女子学生会館”の一階テナントです」
地元なので場所はよくわかる。井の頭道路沿いで三鷹駅にも近い。西隣はファミレスのアニーズだ。
「ショールームだけで百坪弱あるんで、四メーカーのラインナップもゆとりで展示できるんじゃないかな」
メガネを外し、ひたすら資料に目を通していた江藤さんが、
「オープンはいつです?」
「今、契約内容の最終煮詰めをやってるんで、決まればすぐだな」
「だから、すぐって具体的にいつごろですか?」
「この夏だね。各店は一か月以内に引っ越しを完了させるスケジュールを立ててください」
これだけでも騒然となったが、この後の発表がさらに場の雰囲気を緊迫化させた。
「店舗の運営は基本的に営業部とサービス部の二部制で、人員配置は…..」
なんと俺が営業部長と店長を兼任、松田さんがサービス部長、江藤さんは副店長、松本さんはサービスフロントのこと。
こいつはびっくり。先輩社員を飛び越えた抜擢就任である。こうなれば当然起こりうる“やっかみ”に、“ガラスの心臓”を持つ俺が、果たして耐えられるかと、入社以来味わったことのない不安がわき起こった。ところが売上規模の説明に入ると、そんな不安など消えるほどの緊迫感が迫ってきたのだ。
「店のロケーションに文句はないけど、その分家賃がね…..」
「どれほどです?」
「月100万以上は確実だな」
100万円以上とは驚く。おそらく三店舗分の家賃合計を上回るだろう。となれば売上目標は単純計算で三店舗合計以上ということになる。
「月100台以上は売らないと駄目だけど、いけるでしょう、そのくらいは」
根拠不明な説明と大崎スマイルが、皆の目を点にさせた。
いやはやこれは大ごとである。既存の三店舗を例を挙げれば、全店売上「0」っていう日は少ないがあることも確か。いかに新しくて大型の店舗でも、連日No「0」Dayを続けるのは容易なことじゃない。
「大丈夫ですかね…..いけますかね」
「今からそんな弱気じゃ駄目だろう」
土日で15台、平日で最低2台は売っていかないと達成は難しい。話が具体化していくと、それに伴い不安が膨らんでいった。
「木代さん、納整はばっちりやるから、遠慮しないで売りまくってくださいよぉ」
停滞ムードにカツを入れてくれたのだろう。そう放った松田さんが、ニコニコしながら煙草に火をつけた。
「それと、新店舗にはムーバも入ります。間口右側のスペースにね」
バイクとダイビングの相乗効果との説明だが、俺としてはちょっと引っかかる。まっ、ムーバの店長は下山専務の息子なんで、なんにも言えないが…..
三鷹本店の工事は着々と進んだ。自宅から徒歩五分と近いので、休みの日にちらっとのぞきに行くと、大工さん二人がショールームの壁を養生していた。
「ご苦労さんです。今日は東亜の社長さんはいないんですか?」
「ああ、ほかの現場へ行ってます」
内装工事を行っているのは東亜建設。ここの社長とうちの社長は仲がいい。
正面入って左側がサービスカウンターで、右手はムーバ、その奥に事務所があり、さらにその奥が会議室とのことだ。さすがにショールームは広く、これなら大崎社長の言ったとおり、フルラインナップは無理としても四メーカーの主力モデルは確実に展示できる。しかも間口が広く、きれいなテラスには目勘定でも十台は並べられそうだ。抜群なキャッチアイになることは間違いない。車やバイク、そして歩行者への訴求効果は大いに期待できる。ただ、サービス部長となった松田さんがこぼしていたが、工場の形があまり良くない。搬入口が狭く、どのようにレイアウトしても“ウナギの寝床”になってしまう。特に一番奥のピットからの出し入れはしんどいだろう。そしてテナントの構造上致し方ないが、工場のど真ん中に大きな柱が居座る。
「店長、昨日は 本店、見に行ってきました?」
出勤するとすぐに大杉くんが聞いてきた。
「もうほとんど出来上がってる。ぜったい目立つな、あの店は。それはそうと、工場の引っ越しは進んでる?」
「いらないものがあまりに多くて、だいぶ捨てました」
工場ってところは、どこの店を見ても謎の在庫だらけだ。今後使うことはまずないと思われる、マフラー、カウル、ハンドル、その他諸々が、ただでさえ広くない部品置き場を占領している。
「それ、使わないだろ」
「捨てるにはもったいないなぁ」
断捨離に踏み切ろうとしても、いつもこんな会話で終わってしまう。だから今回の引っ越しはいい機会だ。新店の工場管理は、細かい松田さんが担当するから、すっきりさっぱりになることは間違いない。
そもそも、なぜ一店舗集約というアイデアが生まれたのか。
大崎社長には同業者の友人がとても多い。彼は人気者なのだ。自社の成功事例などは包み隠すことなくオープンにし、そのきっぷのよさは類稀。だからオートバイ組合の理事は適任中の適任。そんなことで、組合の集まりがあれば、大崎社長が輪の中心となり、「最近どうよ」、「人がいなくてね」、「先月はよかったけど、今月はぜんぜんだよ」等々、井戸端会議が始まる。毎度情報が錯綜するようだが、そんな中、“大型店へと集約”という話題がもちあがったそうだ。訴求効果が高く、同時にイメージアップにもなり、さらに管理(人員、商品)に至っては、多店舗と比較してはるかにやり易く、また効果測定もしっかりとできる等々、いいことずくめ。大崎社長はこれをきっかけに豊富な人脈から得た情報を精査、そして結論へと進めたのだ。
開店に際しては、オープニングパーティーが行われ、来賓の常連さん、取引先、同業者等々合わせて、百名弱ほどの盛大なものになり、今後の発展を十分に予想できる華やかさだった。
ちょっと個人的なことだが、不運にもオープニングパーティーの前日から持病の“痔”が悪化し、立食パーティーゆえに痛みが増す“脱肛”がピークに達していた。おおよそ二時間の立ちっぱなしはまさに地獄。社長によるスタッフ紹介の後、俺、松田さんの順番でスピーチを行ったが、どくどくする重い痛みに冷や汗が出る始末。それを察知した吉祥寺店の常連たちから、
「木代さん、顔色がイマイチだよ。大丈夫?」
と、心配までされる始末。会社にとっても俺にとっても新たな船出の日に、こんな体たらくでは先が思いやられる。