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バイク屋時代64 スポーツスター人気

 四名体制となったBFは様々な問題が勃発した。
 HD調布にいたころ、BFの仕事を任されたわけだが、手始めに不良在庫の整理からスタートし、ヤフオクを使っての中古電動アシスト自転車販売、そしてBDSやオークネットを使った仕入れを開始し、本格的な中古バイクの販売へと駒を進めていったが、実質のスタッフは俺一人だった。当初はあくまでも暫定的な施策だったので、倉庫やトラックの使用料など、本来かかるべき経費を計上しなかったこともあり、帳簿上は黒字を続けていた。ところが海藤くんと広田くんを引き受け、その後、のぶちゃんを代表に置いた組織に格上げしたため、人件費は一気に四倍となり、さらに府中店二階のBF展示スペース分の家賃を計上してみれば、見事に赤字転落。主な要因はメカの仕事がほとんど入ってこないことである。アフター等々は、メカ二人に個人的に付いているお客さん以外はHD三鷹で行っていたから無理もなかったが、二人の給与は歩合制、仕事がなければ実入りは大幅に減少する。どうしようもないが、彼らにしたら面白くない。
「歩合制にしてくれなんて言った覚えないですよ」
「もとの給料体系に戻してもらえないですか」
 と、うっぷんの溜まった二人は、それぞれ大崎社長へ詰め寄った。
「以前やった個人面談の時に言ってたよ。忘れちゃだめだな」
「記憶にないです」
 言った言わない問答である。
「いずれにしても府中店はスタートしたばかりだから、会社も借金抱えてきついんですよ。だから一日でも早く通常の仕事量に戻すことが先決だね」

 しかし、ただ待っていても仕事は増えない。そこで普段から疑問に感じていたことを話してみた。
「社長、三鷹の工場って仕事が溜まってるんでしょ? だったら仕事を下さいよ。こっちはベテラン二人なんだから」
「そうだね。武井くんに聞いてみる」
 理にかなっていると思って提言したが、三鷹店店長の阿木も工場長の麻生も、この意見には不満があるようで、
「うちのメカも、自分のお客さんのアフターは自分の手でやりたいみたいです。それをBFへ持っていったら今後の士気にかかわりますよ」
 と、突っぱねてきた。
 しかし現状はいっぱいいっぱいで、新規客の修理受付ができない状態が続いていた。だったらBFへ回すのは新規客分だけという条件で再度話を持ちかけると、渋々ではあるが承諾を得たのだ。ところが三鷹店は正規ディーラー、これに対し府中店は単なる中古車店。新規客の大半は正規ディーラーだからという安心感があるから頼みに来るわけで、一般店だったら他にもあるとの声が多く、そう簡単には事が運ばない。それでもオイル交換などのクイック作業を積極的に回してもらい、少しづつ仕事を増やしていったのだ。

 一方、営業の方は新たな展開が見え始めた。グーバイクの反応が俄然よくなり、内容をチェックすると、遠方からの問い合わせが増えている。ちなみにハーレーのみならず、この傾向はBFが扱うバイクにも表れていた。ただ、驚いたことに車両価格が300万円を超えるような高級中古車への問い合わせが、北海道や九州と、簡単には来店できないような超遠方から相次いでいるのだ。つまり実車を確認せずに商談へ入るパターンだ。お客さんに聞いてみると、なるほど理由があった。要するに田舎になればなるほど、中古車の流通在庫は少なくなり、地元で吟味などは到底できない。よって致し方なく通販を頼るだが、一番の心配事は販売店の信用。買ったはいいが、届いたバイクが目を覆うようなレベルでは困る。そこで正規ディーラーならばそれほど心配はなかろうという考えの下、物色を始めていたのだ。ただ、ハーレー正規ディーラーは中古車の在庫を多く持っていない。なぜならショールームに展示できる中古車の台数に制限があるからだ。しかも“HD認定中古車に限る”と言う縛りもある。よって、マフラーを交換したような不法改造車や、社外パーツ満載のカスタム車などは一切NGである。そんな中、モト・ギャルソンの営業指針は<中古車ハーレーの拡販>。つまりHDJからの縛りや制限などとは無縁の別会社、バイクフィールドにて府中店を立ち上げたのだ。
 府中店のショールームには、詰め込めば三十台のハーレーが展示可能である。スポーツスター、ダイナ、ソフテイル、ツーリングなど、ラインナップすべてが並ぶ。お客さんが来店した際も、選択肢がぐっと広がり、成約へのきっかけも作りやすくなる。さらに二階倉庫にも二十台ほどの在庫を持てば、グーバイクや、自社ウェブサイトでの訴求力は強いものになる。以前BDSへ行った時、千葉県下の輸入二輪車販売店ではダントツトップを走るG商会のS社長から面白い話を聞いた。

「ハーレーの中古車をビジネスレベルで売ろうとしたら、最低でも五十台の在庫が必要なんだよ。この数は長い経験でわかったことでね、五十台を大きく割ってくると必ずと言って売れなくなる」
 これはハーレーの各ファミリーの売れ筋を松竹梅で揃えると、おおよそ五十台近くなるということである。ただ、一般的にハーレーの台当たり仕入れ平均は百七十万円前後になるので、在庫金額は八千五百万円にものぼり、うちの財力では到底不可能である。よって在庫金額五千万円を目標とし、商品の偏りが出ないよう日々確認、一定の在庫日数を経たものはオークションで売り払い、新たなものを仕入れなおすという“リフレッシュ”に尽力した。
 ところがハーレーの世界にも売れ筋と死に筋があり、これが近年極端な傾向を見せ始め、リフレッシュもなかなかどうしてままならない。

 昨今、排ガス規制の問題を受けて、スポーツスターのエンジンが製造できなくなるという情報が頻繁に耳に入るようになり、ただでさえ人気モデルである、XL883N・アイアン、XL1200X・フォーティーエイトの二機種が、中古車市場で異常ともいえる引き合いが起きており、ファインカスタムを施した極上車などは、新車の仕切りを上回る高値で落札されるのだ。元々スポーツスターファミリーは製造台数が少なく、各ディーラーへの引き当て台数も微々たるものだったので、尚更中古車に注目が集まった。
 すると、買取業者はいつでもこの二機種に限り、高値で買い取るという情報が広まり、せっかく新車を購入したものの、あまり乗る機会に恵まれず、宝の持ち腐れを感じ始めたユーザーが売りに転じ始め、うちの既納客にもその傾向が表れ始めた。先日も三鷹店で新車を購入したお客さんが、府中店へ売りの相談で来店した。
「去年買ったフォーティーエイトなんですけど、あんまり乗らないんで売ろうかなって思ってるんです」
「そうですか。ちょっともったいない感じもするけど、決心がついているならぜひうちに売ってください」
「だいたいでいいので、買取値段を教えてほしいんですが」
「お客さんのフォーティーエイトの状態は、先ほど三鷹店の担当に問合せしました。それほど距離も進んでないし、車検も二年近く残ってますので、どうでしょう、180万円では?」
「190万円にはなりませんか」
「それはきついかな…」
 一瞬考えるそぶりを見せたお客さん、
「実はレッドバロンで見積もりをお願いしたところ、今なら190万円って回答があったんです」
 ネットには買取情報が溢れかえっている。相場状況を調べて「少しでも高く」と、あいみつに持っていくのは当然の流れだ。
 けっこうて厳しい金額ではあったが、当社の既納客であることと、立ちごけなしの極上品、Screamin’ EagleのサイレンサーとK&Hのカスタムシート付という内容だったので、買取は成立した。ちなみに五点評価以上のフォーティーエイトだと、つい最近のBDS落札実績を見ても185万円は下らない。実際にBDSで買うと、185万円に消費税と手数料が加算されるので、実際の支払額は200万円を超えてしまう。それでもフォーティーエイトなら一週間もかからずに売りさばけるので、ちょっと無理をしても買ってしまうのだ。尚、スポーツスター以外でも、ブレークアウトや最終型ツインカムエンジンのローライダーなどは同じような傾向にあった。

バイク屋時代63 還暦を越えて

 2017年春。府中店の内外装の養生がもう少しで完了するというので、早々と引っ越しが始まった。
 狭い工場スペースには、道路側から順に、海藤、広田、大杉のピットが並び、それぞれの工具等々が配置されると、どう見ても窮屈そうである。この密な空間に、コミュニケーションのできない面々が入るのだから、先が思いやられる。
 中二階にある事務所の狭さもかなりなものだった。一段が恐ろしく丈のある階段を上がると、まずは来客用の丸テーブルが配置され、その奥が備品棚、そこから左へ事務机が三つ並び、一番奥が社長のディスクになった。総務スタッフの金村さん、のぶちゃん、そして社長が並ぶと、人いきれを感じる。閉所が苦手な人は、ここでの仕事は苦痛になるだろう。
 商談コーナーはちょうど事務所の真下になる。よってショールームの中ではここだけが天井付きで、何気に落ち着ける一角である。商談カウンターは調布からそのまま運んできたL字型のもので、やや窮屈だが、同時に二つの商談を行える。一番端は事務用として登録書類の作成などを行えるよう、脇には書類棚、小型プリンター、シュレッダーが並ぶ。最奥には横長の木製ディスクを置いて、顧客管理システムがインプットされたサーバーを設置した。
 ショールームは、元々倉庫だった荒い造りをうまく利用して、床のコンクリート打ちっ放しはそのままに、艶の出るコーティング処理を行うと、都会的な雰囲気が出て正解だった。ここにハーレーを並べると妙に映えるのだ。府中店はあくまでも中古車専門店なので、談話コーナーは最小に抑え、一台でも多くバイクを並べられるようレイアウトを考えた。
 二階へバイクを運ぶ際は、大型の業務用エレベーターを使う。重量の最大許容が1000kgなので、最も重いツーリングシリーズのウルトラでもへっちゃらだ。ただ、ウルトラはフルパニアケース装備で幅があるので、載せる際には慎重を期す必要があり、取り廻しになれたメカニックでないと難しい作業になる。二階は部品庫並びに預り車両の置き場が主な用途だが、ハーレー以外の下取車をここに並べてミニショールーム化し、これまで以上の販売増を狙った。それに伴いグーバイクのBF車両掲載台数枠も、三台から五台へと増やした。尚、西端にはスタッフのロッカーと休憩スペース、そして更衣室を設けた。
 店舗の北側にはトラックも置ける駐車場を完備。大崎社長とのぶちゃんの車は常駐とし、その他にも来客用として三台は駐車可能な広さを確保した。ただ、大家さんの話によると、ここに数人の若い輩がたむろすることがこれまで何回かあって、近所から苦情が出たことがあるらしく、念のために防犯カメラを設置した。新しい店にとってご近所さんとの良好な関係は、なによりも重要なことなのだ。

甲州街道側から見たモト・ギャルソン府中店

「なかなかいい店に出来上がったじゃない」
 大崎社長、ご満悦である。甲州街道側に巨大なハーレーの写真パネルを設置すると、中古バイクの店とは思えない高級感と専門店ムードが醸し出され、社長と同様、俺もこの店ならきっと売れると、オープンが楽しみになってきた。
「社長、それでも中古車はweb戦略が要になるんで、アップデートについては早急にマニュアル化しましょう」
 中古車はオンリーワンである。見つけた車両に価値観を覚えれば、どんなに遠方からでも問い合わせはやってくるものだ。そして従来のバイク雑誌掲載では、“在庫の鮮度”をアピールすることは到底不可能である。

 二〇一七年四月。府中店はめでたくオープンした。
 オープン後三か月は、認知が行き渡らず、やや目標を下回る成績だったが、三鷹店からの下取りが増えるにつれ、徐々に上向きになっていった。以前にも記したが、中古は売れ筋さえ手に入れば必ず売れるもの。逆を言えば、売れ筋の在庫不足が続けば閑古鳥が鳴く。
 ちなみにハーレー以外の売れ筋筆頭はやはり国産車。排気量を問わずなんでもよく売れる。ただし、下取で入荷したものに限った。人気故にオークションでは高くて買うことは難しく、仮に無理して落札してもお値打ちな販売価格は提示できない。

左から、ホンダ・レブル250、ヤマハ・セロー250、カワサキ・Ninja250

 人気の中心は250ccクラス。ホンダ・レブル、カワサキ・Ninja250、ヤマハ・セローは鉄板だ。このほか125ccクラスのスクーターも安定した人気があり、特にホンダ・PCX125、スズキ・アドレスV125は、グーバイクへアップしたとたんに問い合わせがあるほどだ。

ホンダ・PCX125とスズキ・アドレスV125

 二年前、俺もついに還暦を迎え、体力的にも気持ち的にもひとつの峠を越えたと自覚した。慣れた作業とは言え、ヘビー級のハーレーを押して歩くことは、次第にきつく思えるようになってきたし、お客さんとの結びつきも、共にバイクライフを楽しむ形から、杓子定規な顧客関係へと変わり、一抹の寂しさが否めない。最近では、もうひと踏ん張りしたら卒業かなと、ぼんやり考えることが多くなり、なんとなく人生の黄昏を感じるようになった。
 昨年はいろいろなことがあった。家族の一員として愛されたミニチュアダックスフントのロックが、十五歳を目前にして死んでしまい、心に空いた穴の大きさに愕然とした。そしてデジタル一眼の楽しさを教えてくれたニコン・D100が、愛用十三年目にして突如壊れてしまったのだ。相棒のたび重なる消失は、時の流れの速さを改めて気づかされると同時に、今後の生き方について考えるきっかけを与えてくれた。
 仕事はこれまで同様、生活の基幹であることに変わりはないが、プライベートのあり方を見直そうという意識が表れ始め、二年前より、この“西久保日記”で【デニーズ時代】の連載を開始した。そして約十年前から始めた山歩きも、この頃では多い時で毎週、少ない時でも最低月に一度は出かけるようになり、生活の比重を意識的に仕事とプライベートをイーブンにしようという思考が固まってきたのだ。

バイク屋時代62 四人になったバイクフィールド

 勤め人にとって昼休みは特別なひとときだ。単に昼食を取るだけではなく、就業時間中に心身をリセットできる貴重なチャンスでもある。HD調布へ異動後、昼食はほとんど外食にした。財布に優しい配達弁当もあるが、お粗末な調理が口に合わず、二~三回試してやめた。それにさっきまで仕事をしていたディスクで弁当を広げるってのは、どうも…
 HD調布は京王線の飛田給駅に近いので、徒歩圏内に、すき家、バーミヤン、ロイヤルホスト、華屋与兵衛等々と飲食店がけっこう並ぶ。ある日すき家へ行こうと駅に向って歩いていると、居酒屋の“庄や”に、ワンコインランチを始めた云々のポスターが掲示されていたので、試しに入ってみた。正面のカウンター席に陣取りメニューを確認すると、本日のワンコインは“サンマの塩焼き”と記してあった。
「お決まりですか?」
「ワンコインで」
 まもなくして運ばれてきたお盆には、焼き立てのサンマと、ご飯、みそ汁、ミニサラダが載っている。これで税込500円はどう考えても安い。さっそくいただくと、味もまったく不満はないし、サンマの焼き方などはさすがに居酒屋クオリティ。もちろんたっぷりの大根おろしも忘れてない。勤務中でなければ冷酒が欲しいところだ。
 これがきっかけで、庄や詣でが始まった。週に三~四回も顔を出すと店員に覚えられ、いつしか常連扱いとなった。
「あら木代さん、今日はちょっと早いですね」
 ウエイトレスは三十代から四十代のお姉さんが中心だが、中には二十代と思しき、ぴちぴちな子もいる。この店の馴染めるところは、お姉さんたちの愛想のよさにつきた。
「これから約束の商談があるんだよ」
「繁盛してていいですねぇ」
 こんなやり取りでも、気分はずいぶんとリフレッシュする。事務所で黙々と冷えた弁当を食らうよりははるかにいい。
 しかし、お世話になり続けた庄やも、残念なことにあのコロナ禍のあおりを受け、ついには店じまいとなってしまった。あのお姉さんたち、元気でやっているだろうか。

ワンコインランチ 左から、チキンカレー、マグロ竜田揚げ、鶏唐揚げ柚子胡椒炒め、ブリかま

 BF所属となった海藤くんと広田くん。顔合わせをしたその日から、互いに嫌厭なムードを放ち始める。
「なんでそれほど?!」と思うほど相手を無視するのだ。言葉は交わさない、目線も合わせない。仕事はそれぞれきちんとこなしているので、一見問題はなさそうだが、工場としての生産性は間違いなく低い。陸運支局への“持ち込み”などは顕著な例。
 持ち込みとは、車両の持ち込み検査のことで、陸運支局へ検査対象車をトラックで運び、そこで検査ラインを通して合格を取得する一連の作業だ。新車並びに中古車の新規検査、継続車検、構造変更等々があり、調布店では、中古車新規検査と継続車検で週に何度か出かけている。ところが彼らは、互いに自分が担当する車両のみの持ち込みしかしないので、週に各々一台づつ、計二台の継続検査があると、普通はトラックに二台積んで一度で済むが、彼らは自分の分しか行かないので、トラックは週に二度出動することになる。これにはさすがの社長も腰を上げた。
「これは非効率ですよ」
 うつむいていた海藤くんが顔を上げた。
「どんな整備をしているかわからない他人の仕事ですよ。それで通らなかったら僕の責任になるじゃないですか」
「どんな整備って、、、互いにベテランメカでしょ」
 今度は広田くんが言い放った。
「いや、彼の整備は信用できないんで、僕も嫌です」
 
 この問題は結局解決することなく、延々と続く。このいがみ合いの原因は、当人たちの性格と相性にあるとは思うが、俺は社長の考えた“歩合制の給与”も原因の一つと考えている。そもそもうちの会社は、以前から給与の査定について何度ももめごとが起きている。スタッフ達の多くが査定基準の不明確さと給与の低さを訴えていて、これにより離職する者もいた。
 例えば営業職。営業マンのAくんがお客さんから注文書にサインをいただいた。この一台成約はAくんの手柄となるのだが、実はこのお客さん、先週来店していて、そのとき別の営業マンBくんの対応と説明がとても印象よく、検討してまた来ますと言っていたのだ。そして再来店した時、たまたまショールームにいたのがAくんだったから、Bくんとしてはトンビに油揚げをさらわれる形になり面白くない。このようなケースの場合はその都度社長のジャッジが入り、ポイントは五分五分だとか、Aくんのエンディングはなかなかよかったから、今回はAくんの手柄だとか、非常にあいまいな結末にしてしまう。当然ながら営業マンには毎月の売上目標が課されているので、納得がいかない場合は士気低下にもつながりかねない。
 BFの二人のメカについては、給料が歩合制になったことでさらに拍車がかかっていた。
 仮に海藤くんが整備したバイクを、広田くんが自分で整備したバイクと計二台、トラックに積んで持ち込みに行ったとしよう。持ち込みは回数並びに台数に対して手当がつくから、彼の給料には持ち込み一回分と車両二台分の手当として一万数千円が加算されるのだ。
 歩合制の給料計算方法については、大崎社長と何度も検討し合って作り上げたが、最初から完璧な形にするのは至難の業で、幾度となく改定を余儀なくされた。従業員にとって給料は最大の関心ごとだから、なんとか納得してもらわないとうまくない。
「部長、ちょっといいですか」
 サービスカウンターで、整備書類を作っていた広田くんから声がかかった。
「どした」
「なんで歩合制になったんですか」
 意外な質問だった。なぜなら、彼らの方から歩合制の給料にしてほしいと社長へ要望が上がっていたと聞いていたからだ。
「えっ? だってそれ、希望だったんだろ」
「いや、そんなこと言った覚えないです」
 このあと新藤くんにも聞いてみたが、彼からも同様の答えが返ってきてびっくり。社長に問い合わせると、
「いやぁ~、言ってたはずだよ、ふたりとも」
 曖昧さが滲み出て、どうもしっくりとこない。
「とにかく今のままで進めよう。問題が出てきたらその時考えればいい」
 社長お得意の〆である。

 つい先日、若干組織の体制が変わった。あらためてBFとモト・ギャルソンの関係を説明しておこう。
 これまでモト・ギャルソン、BF共に、代表は大崎社長だったが、今期からBFの代表は、社長の長女である山口信代が就任することになった。彼女は業務改革に前向きなので、これまで以上に無駄をなくした収益第一の体制が構築できそうだ。大崎一家との付き合いは長く、彼女が中学生のころから面識があるので、立派な大人になっても自然に「のぶちゃん」と呼んでしまう。
 BFのメンバーは、のぶちゃん、海藤くん、広田くん、そして俺の四名体制となり、毎月の厄介な仕事“給与計算”は、すべてのぶちゃんがやってくれることになり、とりあえずほっとした。
 メカの仕事のほとんどは、モト・ギャルソンからの請負という位置づけになり、売上の〇〇%がBFの取り分と定められた。中古車店に並ぶバイクはモト・ギャルソンの資産だし、車検、点検、修理、カスタムでの売上も、依頼主がほぼモト・ギャルソンの顧客だからだ。
 営業にしても、俺が店頭のハーレーを売れば、工場と同じく、決められたパーセンテージの手数料が収益となる。もちろんBFの資金によって仕入れた車両が売れればすべてBFの収益だ。

バイク屋時代61 オープンと閉店

 2015年2月。HD三鷹がオープン。見積もりをはるかに超える開店経費に、当初は暗澹たる雰囲気が流れていたが、そんな心配をよそに好調の波が延々と続いた。HDJが毎年評価する<全国ナンバーワンディーラー賞>を、オープン一年目で狙えるのではと店長である阿木の鼻息は荒い。スタッフ皆の頑張りが実ったのはもちろんだが、HDJが推進する新店舗規格に賛同しかねるディーラーが現れ始め、多摩地区の二店が更改を拒否、看板を返納したのだ。そのあおりを受けてHD三鷹の商圏は広がることとなり、車両購入、サービス関連共々、新規客が急速に増え始めた。これにより嬉しい悲鳴はいつしかただの悲鳴になり、オープン一年目を待たずしてスタッフの疲弊はピークに達した。特に工場のオーバーワークは著しく、納車や一般整備にクレームが出るほどの遅延が出るようになった。苦肉の策として、当面の間、一見客の受付を中止にし、既納客のカスタム依頼に対しても、純正パーツ以外の取付けはお断りとにした。これにより客離れも若干出てしまったが、対応としては致し方ないものだった。そして懸念はしていたが、離職が再び相次ぐようになる。

2016-Harley-Davidson-CVO-Street-Glide

 HD調布時代に中途採用した営業マンの大島は、ガタイがよくて明るい男。入社以降は俺の下につけて若手営業マンとして頑張っていたが、三鷹店の人手不足を解消するために異動が決まった。彼も三鷹店の様々な噂は耳に入っていたので、通達後は見るからに元気がなくなっていた。
「社長の考えだからしょうがないですけど、大島のやつ、あっちにいかせて大丈夫ですかね」
「今は三鷹のスタッフの負担を考えてやらなきゃ駄目だろう」
 三鷹店の状況を直接見ているわけではないので確かなことは言えないが、スタッフの疲弊を作り出している要因には、なにか内部事情が関係しているように思えてならなかった。一見客を断ったり、クイックを予約にしてもらったりと、できる範囲で仕事量の調整は行っているのだ。
 
 トラックのパワーゲートを操作する音がしたので、工場へ行ってみると、大島が下取の中古車を押して裏庭へ並べているところだった。学生時代にラグビーをやっていただけあって、重量が370kgもある大型のストリートグライドを軽々と取り廻している。もっとも、力だけではああはいかないが。
「おはようっす」
「ご苦労さん。どうだい三鷹の方は」
 三鷹と発したとたんに表情が曇る。大崎社長が言っていたが、大島はよほど三鷹勤務が嫌なのか、社長と会うたびに、いつ調布へ戻れるのかと聞いてくるそうだ。
「忙しさは平気ですけど、なんかあそこ、居辛いんですよね」
「なにがそう感じさせるの?」
 口角を上げるも目は笑ってない。
「どうしても合わない人が二人ほどいるんで」
「誰」
「まっ、いいじゃないですか」
「よくないよ」
 あとからわかったことだが、どうも店長の阿木と先輩営業マンの下田に対して不満があるようだ。大島の言い分だけでは判断しかねるが、阿木は責任感が強く、自他ともに対しとても厳しい男だ。彼独特のストレートな物言いは、なにかと誤解を招く。それとなんにでも首を突っ込むところがあって、不足があれば自分でかたずけようとし、しまいには自滅するという傾向があるらしい。
 下田も阿木とやや似たようなところがあり、波長の合わない相手とは無意識に距離を置くタイプだ。
 一方大島はまじめによく働くが、やや甘ったれたところがあり、仕事であってもその中に人情やウイットを感じないと力を発揮できないという、手のかかる男だ。ただ、お客さん受けはよく、彼目当てに来店する既納客は多い。
「とにかく爆発する前に社長と腹割って話せよな」
「もう導火線に火がついてますよ」
「おいおい」

 そんな中、中古車店の引っ越し先にめどが立った。三鷹店の常連さんが経営している会社の倉庫スペースで、広さとしてはぎりぎりだが、二階部分も使えるらしく、部品庫の心配がなくなり、即契約へと駒を進めた。場所は調布店から甲州街道を西へ約1km行ったところ。間口は南向きで街道沿いとなる。先回の三鷹店、そして今回の中古車専門店と、店舗物件には驚くほど恵まれている。
 そしてこれを機に、大崎社長はドゥカティ正規ディーラーの看板を降ろすことを決めた。長らくドゥカティメカとして頑張ってくれた坂上健治は辞意を固め、家族と一緒に故郷の福島へ帰ることになり、店長の大杉くんも、既納客のフォローに一段落がつけば離職すると社長へ伝えたようだ。
 ドゥカティディーラーの立ち上げを共に汗した二人が去るという現況は、モト・ギャルソンの一時代が完全に終わったことを意味し、言葉にならない脱力感に包まれた。特に大杉くんは、吉祥寺店時代からずっと同じ店で働き、街の小さなバイク屋、大型店舗、そして輸入車の取り扱いと、会社の変革そのものを支えてきた同僚だったので、寂しさはひとしおである。完全にハーレー一色となった職場を改めて見回せば、俺自身、ここから去る日もそう先ではないなと、新たな人生に思いを馳せてしまう。

2010-HarleyDavidson-SportsterForty-Eighth

 15年前の2011年3月11日(金)14時46分18秒。
 この時俺はHD調布の二階総務部にいた。突然の強い揺れをうけて、社長ディスク脇の本棚が倒れそうになり、慌てて押さえた際に眼下のショールームを見下ろすと、展示車両がゆらゆらと揺れている。
「バイクやばいな!」
 大声を出すと同時に、武井くんが階段を駆け降り、展示台に乗ったバイクを押さえた。しばらくすると商談カウンターにいた社長が二階に上がってきて、安堵の表情を見せた。
「よかったよ、お客さんのバイクが倒れなくて」
 展示車両が倒れた場合は店舗保険の対象になるが、預り車は対象外なのだ。定期点検で預かった百万円ものカスタムを施したバイクを考えればぞっとする。しかしハーレーは車重があって重心が低く、しかもサイドスタンドをかけた状態ではかなり傾くから、揺れにはけっこう耐えた。これは発見だった。あとで聞いた話によると、近くのBMWモトラッドでは、センタースタンドで展示していた車両二台が倒れてしまったらしい。
「この状態じゃ商売にならないから、今日は解散にしよう。すぐにご家族と連絡を取ってください」
 社長に言われるまでもなく、皆必死に携帯を操作している。
「だめだ、全然つながらない」
「あたしも駄目です」
 そんな中、女房の携帯へは二度のトライで繋がった。たいがいのスタッフの携帯はFOMAだったが、俺は依然MOVAを使っていたのだ。少数派だったから回線が空いてて繋がりやすかったのかもしれない。
「今どこにいる?」
「もう会社出て青梅街道を歩いてる」
「わかった。とにかく四面道まできて、そこで待機してて」
 当時、女房のパート先は新高円寺にあったのだ。
 すぐに着替えて自転車を出した。俺は杉並店勤務の頃から通勤に自転車を使っていた。退職まで延べ十七年間、ひたすらペダルを漕ぎまくった。

 甲州街道はすでに交通量が増え始めていた。天文台通りを上がって東八通りに出ても同じ状況だった。こんな時の自転車は機動力がある。歩道を含めてどこだって走れるから、渋滞なんて関係なしだ。
 自宅へ到着すると、すぐに車を出した。井の頭通もそうだが、下りの交通量は急速に増えている一方、上りはそれほどでもなく、女房を荻窪まで迎えに行くにも問題はないと判断したのだ。案の定、青梅街道も上りは動いていたが、下りは早くも強烈な渋滞が始まっていた。目を見張ったのは、溢れかえる歩道上の徒歩帰宅者。初めてはっきりとクライシスを感じ取れた。
 八丁の交差点に近づくと、ガードレール脇にたたずむ女房の姿を発見。クラクションを鳴らす。
「おつかれ」
「ありがとう」
 ハンドルを左に切り、桃井の住宅街へ分け入る。この辺は杉並店勤務時代に掌握しつくしたところだ。ひんしゅくではあったが、一方通行は無視してひたすら住宅街を突き進んだ。途中、青梅街道を横断して善福寺に入り、同じく住宅街をあみだくじのように車を走らせた。帰宅は十九時過ぎと、思いのほか早かった。ちなみに、うちの娘の職場は水道橋にあるのだが、当時彼氏だった今の亭主が車で迎えに行き、連れて戻ってきたのは、日が変わった二時過ぎだった。

 店は翌日から開けたが、当然ながら商談客など来るわけもなく、整備仕事だけを黙々と進めた。ところが物流が止まった影響で、ガソリンスタンドに燃料が届かず、すぐにトラックの燃料タンクは底をつき、立川の車検場へ行くこともままならない。近所のガソリンスタンドが再開後も、燃料を求めた車が長蛇の列を作り、数時間待ちが常態となった。
 揺れが落ち着くと同時にTVのスイッチを入れたが、スタッフ達と一緒に見た津波の恐ろしい光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。

バイク屋時代60 ハーレーダビッドソン三鷹

 でっこみ引っ込みはあるものの、ここ一~二年ほどは、ハーレー部門もBFも比較的安定した収益を上げていた。ただ、懸念事項である従業員の定着度に関しては相変わらず不安定さが残り、営業もメカも優秀なスタッフの離職が相次ぎ、先々への不安は隠せない。そんな中、極めて厄介な問題が持ち上がった。HDJから契約更改に関して、思ってもみなかった条件を突き付けられたのだ。対象店舗はHD調布とHD東村山の二店。両店ともにHDJが求める店舗基準に達していないとのことで、準じた店舗を新たに用意しなければ契約更改はできないと一方的に言ってきたのだ。開いた口が塞がらないとはこのこと。脅し以外の何物でもなく、これではなんらやくざと変わらない。

「ふざけんじゃないよぉ、まったく」
 温厚な大崎社長もついつい言葉を荒げる。そもそもHDJが主張する基準とやらが、あまりにも現実とかけ離れていたのだ。結論から言えば、ショールーム並びに工場の基準をクリヤするには、現行の店舗では面積がまったく足りず、物理的に不可能。つまり、新たな店を作るしかない。しかも基準に準じれば一般的なカーディーラー並みの規模になる。果たして近郊に該当する物件があるかどうかの見当もつかない。仮に見つかったとしても開業までにどれほどの資金がかかるかと、考えるだけで暗澹となる。しかし、従わなければ正規ディーラーを下ろされ、事実上会社はTHE END。

エレクトリック LiveWire ライブワイヤー

「また借り入れが圧迫してくるな。最低でも3000万以上は必要だろう」
「でも仕方がないじゃないですか。それより早く物件を見つけないと」
 半年ほど前から、大崎社長の長女である山口信代が、下山専務の後釜としてモト・ギャルソン総務部で勤務していた。それまで勤めていた大手信販会社での経験と実績を買われたことと、下山専務も、自身の年齢と持病のことを考えていたのだろう、引退を仄めかし始めていた。
 信代が資金の管理をし始めると、徐々にだが財務状況が上向いてきた。就任後から徹底的な節約を推進し、HDJに対してもこれまでのような過度な忖度を改め、常に自社の財務状況と照らし合わせた上での仕入れ計画を推し進めるよう、大崎社長へ強く求めていた。この方針変更によって、仕入担当の武井くんとは絶えず水面下で火花を散らすことになった。

XG750 STREET750

「近隣でカーディーラー並みのテナントか…」
「そんなおあつらえ向き、あるんですかね」
 金がかかる云々の前に、新店舗の候補物件を探すことが早急の課題だった。
 
 と、ある日。
 チャプターメンバーのQさんが、12ヵ月点検が完了した愛車FLHRを受け取りに来ていた。
「先週は車の車検だったし、出費が連チャンしてきついよ」
「なに乗ってんです?」
「ジープ」
「東八のレクサスのはす向かいですか?」
「そうそう。でもね、近々に引っ越すらしいよ。マックの先の角だって」
 この会話を何気に聞いていた大崎社長が反応した。
「Qさん、ジープのディーラーの電話番号、今わかります?」
「ええ、わかりますけど」
 ここから大崎社長の怒涛の攻撃が始まった。 
 すぐにジープへ馳せ参じると、引っ越しのスケジュールを聞き、オーナーと賃貸についての話をしたい旨を伝えた。ここを借りることができれば、それこそドンピシャのおあつらえ向きだ。
 数日後にオーナーと会って詳しい話を聞くことができ、他にも賃貸希望が一件あるものの、現時点では具体的な契約までは進んでないとのこと。これ以上の物件はないと即断した社長は、
「ぜひうちで借りたいのですが、よろしくお願いします」
 仮契約へと持ち込むことができたのだ。

 店舗経費については、HD調布とHD東村山二店分とほぼ同額と試算した。つまりはスタートさせた暁には、二店分以上の売上が必須となる。いずれにしても新店舗計画をスタートさせなければ会社の明日はない。ただ、今回の騒動はいい機会でもあった。期日ははっきりしていなかったが、HD調布は貸主である共進倉庫から明け渡しを通告されていたのだ。HD調布の店舗が入る本社倉庫の大半を、スポーツ施設のゼビオに改装するとのことだ。HD東村山も店舗の老朽化で、大幅な加修が必要とされていた。

ハーレーダビッドソン三鷹 スタッフ

「第一段階としてはHD三鷹を無事にオープンさせること。同時に調布は中古ハーレーの専門店とし、東村山はオーナーさんへ返す」
「でも、いずれは調布も返さなきゃならないですよね」
「そう。だから中古車店の引っ越し先も頭に入れとかなきゃ」
 さきほどから信代の表情がきつくなっている。
「社長、三鷹から始まって中古車店まで、どれだけ費用がかかるんですか?」
「いっぱい」
「いっぱいじゃないですよ、もう… 七~八千万はいくんじゃないですか」
「そこまではどうかな」
「銀行の方は大丈夫なの?」
 金庫番としては心配事が大きすぎる。信代の尽力でだいぶ借金が減ってきた矢先だけに、このタイミングでまた多額の借り入れが発生するというのだから穏やかではいられない。
「なんとかなりますよ」
 大崎社長は六十八歳を迎えていたが、老齢とはいえバイタリティーは健全で、ビジネスへ対する積極的な姿勢は相も変わらずだった。ただ、かなり以前から「七十歳になったら引退する」と周囲に漏らしていたこともあり、HD三鷹は責任を以って準備するが、運営に関しては基本的に関与しないと全体会議で公言した。HD三鷹は新体制のリーダーであり、専務取締役に昇進した武井くんにまかせて、社長自身は高収益化を目指すハーレーの中古車専門店で指揮を執るとのこと。そしてこの大改革のあおりを受けて、ついにドゥカティ部門の存続はジャッジにかけられることになる。
 日本国内におけるドゥカティビジネスは縮小均衡になりつつあり、ご多分に漏れず桜上水のドゥカティ店も、収益ラインを維持するのが精いっぱいという状態が続いていた。

ドゥカティ 最新型のパニガーレ―とスクランブラー

「木代くん、ちょっと相談があるんだけど」
 大崎社長の“ちょっと相談”に、いいことのあったためしはない。
「BFでね、海藤くんと広田くんの面倒を見てくれないかな」
 海藤はHD調布のメカ、広田はHD東村山のメカである。HD三鷹は調布と東村山の合体なのだが、なぜか三鷹のメカニックメンバーに二人の名前は載っていない。
 HD三鷹は武井くんを長とした若いメンバーで構成した。その際重視したことがコミュニケーションと意思の疎通である。海藤と広田は共にキャリアが長く、メカとしてのスキルは十分なものを持っていたが、一匹狼的な行動が多く、これまでにも独断による周囲との摩擦が幾度も起きていて、これを懸念した武井くん、店長の阿木、工場長の麻生は、彼ら二人を三鷹メンバーから外した。
 つまりのこと二人は浮いてしまったのだ。個別に見ると仕事はできるし積極性も感じられるが、組織に放り込むと例外なく問題を起こし、汚点を残してきた。
「えっ!あの二人をBFのメカとして使うんですか?!」
「いいじゃない、BFもこれで社員三名体制ですよ。中古車をこれまでの倍売るんで、彼らの力が必要です」
「そりゃわかりますけど…」
 これまでBFは俺一人だったから、自由気ままにやってきた。しかしこれからは二名の部下を管理しなければならないし、おまけに海藤と広田である。せっかく黒字経営までこぎつけたのに、これからは二人分の給料を確保したうえで利益を上げなければならない。
 どうなることやら…