バイク屋時代 25 一店舗へと集約

 時は1995年の初夏。
 先週、社長から電話があったとき、次の店長会議は大事な事案になると告げられた。つねに勢いのある大崎社長だから、また新しい店でも作るのだろうか、それとも…..

 今回の会議は八幡町にあるファミレスで行われた。店の入り口左脇には会議向きな小部屋がしつらえてあり、いつもと異なる雰囲気にちょっぴり緊張感を覚える。
 参加者も通常メンバーの他に総務の矢倉さんも入っていた。テーブルに全員が着席すると、おもむろに資料が配られ、さっと目を通すと、やはり新店関連のようだ。
「さっそく本題だけど、このほど現在ある三店舗を閉めて、大型の一店舗に集約します。場所は資料の最初のページに掲載した、“武蔵野女子学生会館”の一階テナントです」
 地元なので場所はよくわかる。井の頭道路沿いで三鷹駅にも近い。西隣はファミレスのアニーズだ。
「ショールームだけで百坪弱あるんで、四メーカーのラインナップもゆとりで展示できるんじゃないかな」
 メガネを外し、ひたすら資料に目を通していた江藤さんが、
「オープンはいつです?」
「今、契約内容の最終煮詰めをやってるんで、決まればすぐだな」
「だから、すぐって具体的にいつごろですか?」
「この夏だね。各店は一か月以内に引っ越しを完了させるスケジュールを立ててください」
 これだけでも騒然となったが、この後の発表がさらに場の雰囲気を緊迫化させた。
「店舗の運営は基本的に営業部とサービス部の二部制で、人員配置は…..」
 なんと俺が営業部長と店長を兼任、松田さんがサービス部長、江藤さんは副店長、松本さんはサービスフロントのこと。
 こいつはびっくり。先輩社員を飛び越えた抜擢就任である。こうなれば当然起こりうる“やっかみ”に、“ガラスの心臓”を持つ俺が、果たして耐えられるかと、入社以来味わったことのない不安がわき起こった。ところが売上規模の説明に入ると、そんな不安など消えるほどの緊迫感が迫ってきたのだ。
「店のロケーションに文句はないけど、その分家賃がね…..」
「どれほどです?」
「月100万以上は確実だな」
 100万円以上とは驚く。おそらく三店舗分の家賃合計を上回るだろう。となれば売上目標は単純計算で三店舗合計以上ということになる。
「月100台以上は売らないと駄目だけど、いけるでしょう、そのくらいは」
 根拠不明な説明と大崎スマイルが、皆の目を点にさせた。
 いやはやこれは大ごとである。既存の三店舗を例を挙げれば、全店売上「0」っていう日は少ないがあることも確か。いかに新しくて大型の店舗でも、連日No「0」Dayを続けるのは容易なことじゃない。
「大丈夫ですかね…..いけますかね」
「今からそんな弱気じゃ駄目だろう」
 土日で15台、平日で最低2台は売っていかないと達成は難しい。話が具体化していくと、それに伴い不安が膨らんでいった。
「木代さん、納整はばっちりやるから、遠慮しないで売りまくってくださいよぉ」
 停滞ムードにカツを入れてくれたのだろう。そう放った松田さんが、ニコニコしながら煙草に火をつけた。
「それと、新店舗にはムーバも入ります。間口右側のスペースにね」
 バイクとダイビングの相乗効果との説明だが、俺としてはちょっと引っかかる。まっ、ムーバの店長は下山専務の息子なんで、なんにも言えないが…..

 三鷹本店の工事は着々と進んだ。自宅から徒歩五分と近いので、休みの日にちらっとのぞきに行くと、大工さん二人がショールームの壁を養生していた。
「ご苦労さんです。今日は東亜の社長さんはいないんですか?」
「ああ、ほかの現場へ行ってます」
 内装工事を行っているのは東亜建設。ここの社長とうちの社長は仲がいい。
 正面入って左側がサービスカウンターで、右手はムーバ、その奥に事務所があり、さらにその奥が会議室とのことだ。さすがにショールームは広く、これなら大崎社長の言ったとおり、フルラインナップは無理としても四メーカーの主力モデルは確実に展示できる。しかも間口が広く、きれいなテラスには目勘定でも十台は並べられそうだ。抜群なキャッチアイになることは間違いない。車やバイク、そして歩行者への訴求効果は大いに期待できる。ただ、サービス部長となった松田さんがこぼしていたが、工場の形があまり良くない。搬入口が狭く、どのようにレイアウトしても“ウナギの寝床”になってしまう。特に一番奥のピットからの出し入れはしんどいだろう。そしてテナントの構造上致し方ないが、工場のど真ん中に大きな柱が居座る。

「店長、昨日は 本店、見に行ってきました?」
 出勤するとすぐに大杉くんが聞いてきた。
「もうほとんど出来上がってる。ぜったい目立つな、あの店は。それはそうと、工場の引っ越しは進んでる?」
「いらないものがあまりに多くて、だいぶ捨てました」
 工場ってところは、どこの店を見ても謎の在庫だらけだ。今後使うことはまずないと思われる、マフラー、カウル、ハンドル、その他諸々が、ただでさえ広くない部品置き場を占領している。
「それ、使わないだろ」
「捨てるにはもったいないなぁ」
 断捨離に踏み切ろうとしても、いつもこんな会話で終わってしまう。だから今回の引っ越しはいい機会だ。新店の工場管理は、細かい松田さんが担当するから、すっきりさっぱりになることは間違いない。

 そもそも、なぜ一店舗集約というアイデアが生まれたのか。
 大崎社長には同業者の友人がとても多い。彼は人気者なのだ。自社の成功事例などは包み隠すことなくオープンにし、そのきっぷのよさは類稀。だからオートバイ組合の理事は適任中の適任。そんなことで、組合の集まりがあれば、大崎社長が輪の中心となり、「最近どうよ」、「人がいなくてね」、「先月はよかったけど、今月はぜんぜんだよ」等々、井戸端会議が始まる。毎度情報が錯綜するようだが、そんな中、“大型店へと集約”という話題がもちあがったそうだ。訴求効果が高く、同時にイメージアップにもなり、さらに管理(人員、商品)に至っては、多店舗と比較してはるかにやり易く、また効果測定もしっかりとできる等々、いいことずくめ。大崎社長はこれをきっかけに豊富な人脈から得た情報を精査、そして結論へと進めたのだ。

 開店に際しては、オープニングパーティーが行われ、来賓の常連さん、取引先、同業者等々合わせて、百名弱ほどの盛大なものになり、今後の発展を十分に予想できる華やかさだった。
 ちょっと個人的なことだが、不運にもオープニングパーティーの前日から持病の“痔”が悪化し、立食パーティーゆえに痛みが増す“脱肛”がピークに達していた。おおよそ二時間の立ちっぱなしはまさに地獄。社長によるスタッフ紹介の後、俺、松田さんの順番でスピーチを行ったが、どくどくする重い痛みに冷や汗が出る始末。それを察知した吉祥寺店の常連たちから、
「木代さん、顔色がイマイチだよ。大丈夫?」
 と、心配までされる始末。会社にとっても俺にとっても新たな船出の日に、こんな体たらくでは先が思いやられる。

バイク屋時代 24 鼓動感

 バイクが好きで入った職場なので、仕事といえどもバイク関連の新たな情報や知識を得られたときは素直に嬉しかった。当たり前だが、これまでは趣味の範囲であった。車両やメカニズムについての知識は、所有のRZ250やTZR250関連に限られていたし、それも氷山の一角である。
 つい先日、勤め先の上司を紹介してくれた常連の高田くんが、所有のSRX400(3NV)をパワーアップしたいとメカニックへ相談を持ちかけた。希望は排気量アップと吸排気のチューンだったので、無難と思われるヨシムラのパーツを中心に組むことを勧めた。排気量アップにはヨシムラ640CCキット、マフラーはヨシムラ・サンパー、キャブはミクニTMRである。問屋へ在庫を問い合わせるとすべてありだったので、入荷並びに作業はスムーズに進んだ。おおよそボルトオンだったこともあり、セッティングを含めて約二週間で仕上がった。

「店長、乗ってくれば」
 なにやら含み笑いの大杉くん。
 納車前の最終試乗はほとんど俺が行った。排気量なら50ccからリッターまで、エンジン形式は2サイクル、4サイクル、シングル、ツイン、マルチ、おまけに四メーカーの新車・中古車とジャンル問わず。日々様々なモデルの傾向や特徴を経験して行くと、それぞれにはそれぞれの魅力がしっかりあるのだと感心させられた。これが仕事、これで給料がもらえると思うと、改めて嬉しくなった。以前は「やっぱさ、2サイクルだったら250ccツイン、4サイクルだったらマルチだよな~」などとうそぶいていた自分が恥ずかしい。
 エンジンをかけた瞬間に別物と気がつく。発進してスロットルを開ければ、ふわっとフロント荷重が抜け、半端ではないトルクに緊張感が走った。いつもは女子大コーナーへ向かうが、青梅街道まで出て、加速がどんなものかを味わいたかった。桃井四丁目を左折。西へ向かう。
 スピードの乗りはノーマルSRX400の比ではない。そもそもSRX400はとてもバランスのいいスポーツシングルで、同社シングルのSR400とは方向性が違った。デニーズの沼津インター店に勤めていたころ、アルバイトのKくんが発売直後のSRX400を購入した際、ちょっとだけ貸してもらったことがある。気持ちのいい走りをするなが第一印象ではあったが、パワー不足は否めなかった。
 西へ進み、ロイヤルホストの交差点で赤信号待ちをしていると、後方からパンチのきいた排気音が近づいてきた。横に並んだのはシルバーの同じSRX400である。マフラーは最近流行りのスーパートラップで、音だけはさまになっているがその他はノーマルっぽい。やれたライダースを着た彼、しげしげと俺の乗るSRXに視線を這わせている。これはちょっと遊んでやる必要がありそうだ。スロットルをふかすと彼も同じようにふかし、目線を信号に貼り付けた。青に変わった瞬間二人そろって飛び出す。予想はついていたが、二速へ入ったときにはすでに決着はついた。圧倒的である。大トルクで前へと押し出すシングルの加速はあまりに獰猛で、マルチの伸びとはまた違った快感である。いやはや楽しい!!

「面白くなかった?」
「癖になりそう」
 大杉くんの含み笑いはこのことだったのだ。
 シングルバイクの醍醐味がわかってきた頃、続けざまに興味深い経験をした。
 とある日。俺と同世代と思しき男性が来店すると、
「こちらでジレラは買えますか?」
 ジレラとはピアジオの傘下にあるイタリアのバイクメーカー。つい最近日本の伊藤忠商事とコラボして、スポーツシングル“ジレラ・サトゥルーノ”と称するニューモデルを発表、設計者が日本人ということで、そこそこ話題には上がっていた。標準モデルのサトゥルーノの上位機種に、マン島TTへ参戦したレーサーサトゥルーノのレプリカモデル“サトゥルーノIOM”があり、これをメインとして売り出したのだ。IOMとはマン島を表した“Isle of Man”の略。前後のサスにチェリアーニやマルゾッキのハイグレード版を採用している。
「大丈夫です、扱えます」


 仕入れルートは某並行輸入業者経由で確認済みだった。
 この男性客は辰巳さんといって、住まいは善福寺、仕事は建築設計。一見物静かな方だが、バイクの話を始めると熱くなって止まらなくなり、特に海外レースの知識はかなりなもの。どうやらマン島TTがらみでサトゥルーノ350IOMに注目するようになったようだ。
 無事に納車が済み、辰巳さんは週末になるとツーリングへ出かけ、日曜の午後にはたいがい店に顔を出してくれた。
「お疲れさん」
「やっと前傾に慣れてきましたよ」
「そりゃよかった」
 こうやって話しているときも、走り好きの常連たちは、入り口脇に停めたサトゥルーノを眺めている。シングルレーサー然としたスタイリングはどうしたって目を引く。
「すごく気に入ってるんですけど、もう少しエンジンにメリハリがあればな~」
 俺も納車前に乗ってみて、エンジンフィーリングはヤマハに近く、ホンダのGBシリーズのようなパルス感はやや乏しいと思った。
「メリハリ、出せますよ」
 工場長の吉本くんがカウンターで車検の整備伝票を作成しながら聞き耳を立てていたのだ。彼の話によると、エンジン自体はいじらずに、レーシングキャブレター(ケイヒン・FCR)への交換と、マフラーの加工で格段に良くなるとのこと。ただし、インテークマニホールドをワンオフで作る必要があるという。
 ひと通りの説明を聞くと、
「お願いします」
 即断するには難しい作業見積もりだったが、すでに辰巳さんの目はらんらんと輝いていた。

 予期せぬ問題が勃発し、セッティングにも予想以上に時間がかかってしまったが、完成したサトゥルーノはこれぞシングルレーサー!と言ってはばからない、素晴らしいフィーリングを発揮した。トルクは体感で二倍近く膨らんだように思えたし、ちょっとうるさいが排気音がたまらなくシングル。FCRに交換してもそれほどパワーバンドは狭くならず、煮詰めたセッティングのおかげで、街中でもフレキシブルな走りを楽しめた。辰巳さんも大いに満足してくれ、「違うバイクみたい!」とそれはそれは喜んでくれた。
 この頃からか、これまであまり興味のなかったツインとかシングルのエンジンフィーリングが、やけに気になり始めたのだ。

バイク屋時代 23 初心者ツーリング

 バイク屋と聞くと、多くの人は頑固な店主、油の臭い、たむろする常連客等々を連想するのではなかろうか。ちょっと前だったら実際そんなもんだったし、むしろそれっぽくて好ましいと言う輩も少なくなかった。しかし時代は大きく変わり、今や女性が洒落たライダースウェアをまとい、颯爽とリッターバイクに乗るなんてことも珍しいことじゃない。そんな彼女たちが利用するバイク屋は、油まみれで気難しそうなおやっさんがいる店ではなく、清潔な店舗で、明るくて親切な対応に満ち溢れた若いスタッフのいるところなのだ。このような店には女性客はもちろんのこと、入りやすい雰囲気につられて、バイク初心者も多く集まる。

 様々な客目線を意識し、新たなユーザー層を獲得する必要性が出てきた昨今では、女性や初心者に支持されないバイク屋は間違いなく衰退の一途をたどる。こんな背景を考慮し、我がモト・ギャルソンも社長の創業ポリシーにのっとり、明るく親しみやすい店づくりに努めていたし、特に女性営業スタッフの採用については、社長自ら積極的に動いていた。
「木代くん、来月早々にね、女性の新入社員をとりあえず吉祥寺に配属しますよ」
「とりあえず?ですか、 うちはなおちゃんがいるからいらないっちゃいらないですが」
「いやいや、営業研修してもらって、終わったら三鷹店へ再配属するつもりなんだ」
 だったら“最初から三鷹へ”が喉まで出かかったが、無理やりひっこめ、
「了解」
 二週間後に社長が連れてきた女性新入社員は、山田美紀さん二十七歳。小柄で髪が長く色白、一見いい女風である。出身は北海道でスキーが得意。バイクは数年前から乗っていて、いつしかバイクを扱う仕事ができればと考えていたらしい。このほどモト・ギャルソン入社を機に、以前から欲しかったホンダ・VFR400Rの新車を早くも社販で購入、ずいぶんと鼻息の荒いお嬢さんである。


 社長の指示によれば、営業研修は一か月で終了させ、その間に一度ツーリングイベントにも連れて行ってくれとのこと。吉祥寺店では俺が考案した“初心者ツーリング”と称するイベントが定着しつつあった。
 運転免許の取得後に、モト・ギャルソンでバイクを購入した客のみを対象に、三か月に一度ほど行っている日帰りツーリングである。休憩や昼ご飯の際には、初心者が必要であろうと思われる、かんたんなメンテナンス講座とか、乗り方アドバイス等々を盛り込み、少しでもバイクライフが充実するような内容としている。しかも全員初心者という共通点から、参加者同士が友達になりやすく、これをきっかけに常連客化も果たせるというメリットも浮かび上がってきた。
 コースは毎回同じ。調布ICから中央道に乗り、河口湖ICからR139で本栖湖へ。湖の入り口すぐ左脇にある“本栖館”で休憩、その後は本栖湖を一周し、国道へ戻って西湖~河口湖と進んだら、人気店の“ほうとう不動”にて昼食。食事が終わればすぐ近くにある河口湖ICから帰路に着くというもの。コースを決定するまでは、過去の経験で良かれと思うところをいくつかピックアップ、高速道路とワインディングを経験できて、ほどよいタイミングで休憩や飲食できる施設が点在するなど、初心者ツーリングの条件として最適と思われるところを絞り込んでいった。

「どお、美紀さん、VFR慣れた?」
「先週の休みに奥多摩へ行ってきました」
「へー、すごいね、奥多摩知ってんだ」
「いろいろ調べたし、お客さんからも教えてもらったんで」
 美紀さんの入社当初、常連客が来店すると決まって“尋問”が始まった。いつ入ったの? 実家はどこ? 独身? 彼氏は? 免許もってる? バイクは乗ってるの? 住まいは近く? こんどツーリングに行こうよ! 歓迎会やらなきゃねぇ~♪
「まあまあまあ、美紀さんはここで研修が終わったら三鷹店勤務になるんだよ」
「なんだそれ、寂しーじゃん」
「そうだよ、ここにいればいいのに」
 常連は勝手である。

 美紀さん初参加の初心者ツーリングは、快晴無風というこの上ないコンディションで始まった。今回は参加者七名(女子五名、男子二名)と多かったので、助っ人として三鷹店のメカニック武井くんに参加してもらった。
 まずは中央道の調布ICを目指して走り始めたが、間もなくして大成高校の前で女子のAさんが立ちごけしてしまう。発進の際にエンストしバランスを崩したのだ。初心者にはありがちである。こんなことでめげていたら初心者ツーリングは成り立たない。
「怪我ない? どんまい、みんなやるよ」
 気合を入れなおしてスタート。
 調布ICで支払う有料道路料金は、先頭の俺が人数分まとめて払うので、止まらずにどんどんついてくるよう出発ミーティングで伝えていた。ところがだ、ゲートを通過したところまではよかったものの、加速レーンから走行車線へ入る際にチラッとミラーを見ると、なんと誰一人としてついてこない!
 二輪車の教習に路上は含まれない。よって普通自動車の免許を持ってないライダーからすれば、今回が有料道路初体験ということだ。そう、俺のすぐ後ろにいた女子のBさんが、怖さのために十分な加速ができず、レーンチェンジするタイミングを見失ってしまったのだ。これでは走行車線へ入れない。道交法無視にはなったが、加速レーンだけではタイミングを計れず、路肩をずいぶんと走った末、なんとか無事に走行車線へ乗ることができたのだ。
 ケツもち担当の武井くんが、
「走って、走って、走ってぇ~~~!!!」
 と、声をからしてくれたおかげである。
 この一件で不安が高まっているだろうと、中央道へ乗ったばかりだったが、直近の石川PAで臨時小休止をとることにした。

「肩の力抜いて、リラックスで行こう」
 案の定、Bさんはややしょげていたが、美紀さんも含めて女子同士が輪となり「がんばろうね!」と皆で励ましてくれたおかげで、すぐに笑顔が戻ってきた。
「それじゃ十分後に出発しま~す」
 ほっとしたところで一服つけていると、女子たちの会話が耳に入ってくる。
「ねえねえ、高速道路走るとき、何速にしてた?」
「あたし三速」
「へーそうなんだ、あたしは四速だったかな」
 おいおいおい…..
「あのね、君たち、それ、ちょっとおかしいよぉ」
 高速教習がなかったから無理もないのかもしれないが、教習所だってその辺のところは教えているはずだ。
「流れに乗って時速80Kmで走っていれば、とうぜんトップだよ。みんなのバイクだと六速かな」
「え~、あたし知らなかったぁ」
「ずっと三速のままで富士山まで走ったら、たぶんエンジンぶっ壊れるぜ」
「やだーー」

 なんとか無事に中央道を河口湖ICで降りると、国道を右折して本栖湖を目指した。最初の休憩ポイントである本栖館へは予定どおり午前十時に到着。
「お疲れさん、みんな頑張ったね」
 初心者たちにとっては初となるロングツーリングである。そりゃ疲れているだろうが、俺たちスタッフも別の意味ですでにヘトヘト。

左:本栖館   右:ほうとう不動

 本栖館では約一時間の休憩を取り、その間に注意点をいくつか説明した。この後、湖を一周する細い道へ入るので、後方から車が接近してきた際は、左へ寄って上手に先へ行かせることも必要等々である。細くてカーブが多い道では、参加者のレベルを考えれば走行速度は出せて30Kmがいいところ。しかも一周は意外や長く、後続に付かれればドライバーはイライラすること必至。短気な奴であおられでもしたらうまくない。
「時々ミラーを確認をして、後に続くメンバーがウィンカーを出して左に寄ってないかチェックしてね」
「は~~い」
 良い返事と笑顔だけは溢れんばかりだ。
 本栖館を出発。湖に沿って脇道へ入るといきなり幅員が狭まる。左手に本栖湖、右手は緑豊かな原生林が続く。おなじ富士五湖でも観光の中心である河口湖とくらべると、ここは人も車も少なく、自然の真っただ中という趣がある。ちらりちらりと後方を確認するが、まあまあいいペースでついてくる。ひとまず安心だが、この区間は道路のコンディションも良いとは言い難く注意は怠れない。
 湖を半周もきたところでミラーへ目をやると、後続がスピードを落としながら路肩に寄っている。車が来ているのだろうか、皆きちっとアドバイスを守ってくれ嬉しくなった。
 ところが目を凝らしても車らしき影は見当たらない。おかしいと思った直後、な、なんと後方からスポーツ自転車二台がすごいスピードで迫ってくるではないか。い、いくら初心者ツーリングといえども我々はバイク、自転車に抜かれるとはこれまたびっくり! とはいえ、この後も順調に西湖~河口湖と走り切り、無事に昼食ポイントほうとう不動へたどり着く。
 ずっとワインディングを走り続けてきたせいか、皆のライディングはだいぶ安定してきたし、凄いことに法定スピードを維持できるようになったのだ。ライディングに自信がつけば、バイクライフがさらに楽しくなることうけあいである。