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バイク屋時代48 杉並店閉店と組織のあり方

 甲州街道を挟んでHD調布の真ん前にあるのが“ロイヤルホスト・味の素スタジアム店”。午後一時過ぎ、テーブルを囲むのは、俺、大崎社長、下山専務の三人。
「冷めちゃうから、先に食べちゃおう」
 話があるということで、店長会議終了の後、ここへ来ていた。

ロイヤルホスト・味の素スタジアム店

 鼻っから空気は重かった。げっそりとくる内容なのだろう。美味しそうなハンバーグランチも、味わって食する気にはなれない。
 ほとんど会話もなく、黙々と食事が進み、ナプキンで口元を拭く。
「なんです、今回は?」
 そう問うと、専務の目線が社長を急かした。
「うん。そろそろね、ドゥカティは若いメンバーに任せて、木代くんはハーレー部門の営業統括をやってもらいたいんだ」
 なるほどね。薄々感じていたが、やはり人減らし第一号は収入からして俺になるわけだ。しかし正直言えばハーレーは避けたい。大好きなスポーツバイクと比べ、商品としてのハーレーにはほとんど魅力を感じないのだ。もっとも社長からやれと言われたら従うしかない。断れば首が飛ぶだけだ。ただ、今のモチベーションを維持できるかは微妙である。入社以来、好みのスポーツバイクを扱い、そこへ集まるお客さんと共に切磋琢磨してきたこれまでの日々を、まずは強引な意志により抹消する必要がある。組織に生きるには好きも嫌いもない。これまでが本当にラッキーだったのだ。

杉並店の忘年会 こんな集まりをちょくちょく行っていた

「杉並店は今のところで続行ですか?」
「あそこは家賃が高いから無理だな。柳井と奥留は調布へ異動させて、ドゥカティ用に新しい店舗を探しているよ」
「じゃ、大杉とハラシ、坂上でやるわけだ」
「今のドゥカティの売上が半分になってもやっていけそうなところがあればいいが」
 重要な案件なので、その後大崎社長は杉並店メンバー一人一人と面接を行った。そこで一つ問題が発覚、ここへきてハラシが会社を辞めたいと言い出したのだ。彼と話をすると、理由はとても明快だった。
「人事評価が不公平で、やる気が萎えました」
「なるほどな」
「だっておかしいでしょ。ハーレーの営業の誰よりも僕の方が台数を売っているのに、まったく評価してくれないんですよ。給料を上げろとまでは言いませんが、せめて全体会議の席上で、『販売台数は二カ月連続で原島くんがトップだね、おめでとう!』くらい言ってくれてもいいんじゃないですか」
 張り切りボーイのハラシにとっては、耐えがたいことなのだ。
「これからのことについても聞きました。ドゥカティは今でも大好きですけど、縮小方向にある部門で働く気はありません」
 就活は既にひと月前から始めていたようで、米国の医療器具メーカーの日本現地法人に当たりをつけているようだ。給料の少ないバイク業界は外し、あえてノルマの厳しい成果報酬型の企業を目指すとのこと。
 ギラリと光るハラシの目を見て羨ましいと思った。まだ若く、猪突猛進な性格をもって、怖いものなしに自分の道を切り開いていく様は、今の俺にはまったく失せたものだ。

 難航していたドゥカティの新店舗探しだが、おあつらえ向きなところが見つかった。京王線の桜上水から徒歩数分の甲州街道沿いで、整備作業はショールームで行うしかないという小さな店だが、家賃が安く、ちょっと踏ん張れば利益も出そうだ。名残惜しさは多々あるが、こうして思い出多きモト・ギャルソン杉並店を閉店とし、俺、柳井、奥留の三人はHD調布へ異動、そして大杉店長、坂上メカニックの二人が、新モト・ギャルソン杉並店を始動させることになった。

 HD調布では、慣れない職場、慣れない商品と、最初の一カ月はドタバタの繰り返し。武蔵野市本店の頃でもハーレーは扱っていたが、それからずいぶんと月日がたち、エンジンもシャーシも何もかも変わっていたので、商品知識の勉強は殆ど白紙の状態からである。しかもハーレーはオプションパーツが星の数ほどあり、掌握するのは並大抵のことではない。商談の際、すぐに壁にぶつかる。
「ちょっとハンドルを上げたいんだよね」

ここにあるのは氷山の一角

 ドゥカティの商談では絶対にありえない注文だ。ハンドルを上げたいと言っても、ライザーで上げるのか、ハンドルバー自体を交換するのか、それにほとんどの場合、上げた分、ブレーキホースやクラッチケーブル等々の長さが足りなくなり、要交換となることが多い。純正パーツならP&Aブックに
 メカニックに聞いても、
「これっすか? どうかな、ノーマルでも行けそうな気もするけど、、、」
 この段階では正確な見積もりが立てられず、お客さんへは調べたうえで後日伝えるということになる。面倒くさいことこの上ない。
「木代くん、そんなのはこっちで決めちゃえばいいんだよ。『この純正ハンドルが当店のおすすめで、これならホースとケーブル、工賃込々で十万八千円になります』てな感じでさ」
 大崎社長はさも簡単そうに言うが、そんなことは重々分かっている。
 実はこっちが懸命におすすめしても、
「やっぱりこっちのメーカーの方がいいな~」
 とくることが殆ど。一台売るにも、国産バイクやドゥカティと較べれば十倍の労力と手間がいる。まっ、こんな荒波に揉まれて三カ月も経つ頃には、そこそこの商品知識も身についてくるが、非効率なことには変わりなく、あまりに複雑な注文を押し付けてくると、
「当店では基本的に純正パーツの取付けまでしか行っておりません。お力になれず残念です」
 と、正直に伝えるようにしている。実際、半数以上のディーラーが“カスタムは純正パーツまで”としている。ただ、ハーレー部門の高収益率は、こうしたカスタムパーツから得られるところが大きく、ケースバイケースとしているのが現状だ。新車、中古車に関わらず、成約すれば100%に近い確率でカスタムの依頼が入り、車両利益にプラスして10万円から60万円ほどの売り上げが得られるのだ。これはハーレーならではのドでかいメリット。

 一か月を過ぎると、仕事もそうだが、スタッフたちの特徴や店内人間模様、そして渦巻く不満等々がだいぶ掌握できるようになってくる。                     
 例えば不透明な人事評価への不満は、ハラシだけが感じていたことではなく、モト・ギャルソンの主流派であるハーレー部門にも同様の不満が渦巻いていたのだ。もちろん不満の原因は多岐にわたり、最も深刻と思われるのは、営業とサービスの確執。杉並店にはなかった問題だけに、目の当たりにしたときは愕然とした。
 例えば営業のAくんが在庫車両のFXDLを売ったとしよう。成約から納車までには様々なステップを踏まなければならなく、まずは営業サイドで、お客さんからいただいた住民票をもとに、登録書類(新規登録、中古新規、名義変更等々)を作成する。前述のようにハーレーの場合はカスタムパーツの取付け依頼が多々あるので、パーツの発注も行わねばならない。そして一番大事なのは、成約した車両を整備するために納車整備依頼書を作成し、いち早くメカニックに頼むのだ。そして買っていただいたお客さんの関心事No1は当然“納車日”。
「在庫のFXDLですけど、いつ頃整備上がります?」
 と、担当メカに聞くわけだ。すると、
「今色々抱えてるから、やってみないとわからないな」
 お客さんに納期を伝えられず、営業マンはほとほと困ってしまう。
「大体でいいんですけど」
「だったら一か月ちょっとって言っといてよ」
「一か月っすか…」
 こんなやり取りは日常茶飯事であり、ほとんどの営業スタッフが経験し不満を感じていたのだ。ただし、すべてのメカニックがこのような身もふたもない返答をするわけではない。よく観察するとこの傾向はベテランメカに顕著だった。そしてこの問題を追求していくと、メカニックがどうの、営業マンがどうのではなく、組織には絶対にあってはならない深刻な構造が明らかになってきたのだ。

バイク屋時代47 人員過剰とS4Rs Testastretta

 大崎社長の行動には理解不能なことが時々出てくる。中でも闇雲に人を採用する悪癖は、時として店、そして会社の存続をも脅かす。

 社長が考え判断することなので口は挟めないが、人の採用は即固定費増へと繋がるので、適正人員、対象者の将来性等々を十分把握したうえで行うべきものだ。ところがメカニック希望者や、若くて見栄えのいい女性となると、誰との相談もなくその場で採用してしまう。
 ちょっと前にHDJが開催する経理講座があって、俺と武井くん、そして社長の息子である大崎茂雄の三人で参加した。担当店舗の財務諸表を持参し、それを経理のエキスパートと共に分析し、問題点を洗い出そうという内容である。参加は二十社を超え、会場は熱気に包まれていた。
 基礎の講義が終わり、休憩を挟んだ後、先生を交えて各社個々の分析が始まった。
 ある程度は予想していたが、
「ギャルソンさん、人件費がかなり吐出してますね。ややもすると他社の二倍は使っているかも」
 二倍とは驚きだ。「杉並店は赤字続きなんだよな~」は、社長の口癖であるが、そうなっている原因はあなたのいい加減な採用によるものですよと、声を大にして言いたい。こっちは一生懸命売っているのに、店長会議で毎度「赤字赤字!」と指摘されたら、当然いい気はしない。
 そもそもスターティングメンバーは、店長兼営業:俺、営業:ハラシ、工場長兼ドゥカティメカ:大杉、ドゥカティメカ:坂上、ビューエルメカ:柳井の四名にアルバイトの真理ちゃんである。もっとも今の売上ではこれでもやや多い。そんな状況下、社長の独断で採用した営業一名、メカ一名を、こともあろうに両名とも杉並店所属としたのだ。今の営業並びに工場売上げを倍にでもしない限り利益は出ない。
 まっ、その前に狭い杉並店では彼らの居場所がないか…
 新営業マンは、三十代男性の松生。味の素スタジアムで行われたHDJ主催の“アメリカンフェスティバル”に来場し、うちのブースでビューエルXB9Rの新車を買ってくれた。と、そこまではよかった。商談が成約し、社長と雑談に入ると、
「すみませんが、営業で採用していただけないでしょうか」
 吟味が必要な事案に対して大崎社長、買ってくれた恩義にほだされたか、「履歴書と面接は後日でけっこう」と、事実上の即決採用を告げてしまったのだ。しかも新車を買うほどビューエルが好きだということだけで、杉並店配属とした。
 もう一人のメカは、仙台赤門自動車学校の卒業予定者である奥留くん。仙台まで赴き、会社説明会を行った際に、一人だけ引っ掛かったのが彼。奥留くんはビューエルオーナーだった?こともあり、ハーレーではなくビューエルのメカをやりたいと履歴書に記していたし、また面接の際にもその旨を強く希望した。うちとしてはハーレーのメカが欲しかったが、あとで配置転換等々で調整すればいいと判断。
 実は奥留くん、一年ほど前に仙台の中古バイク屋でXB9Rを購入し、嬉々として峠道をぶっ飛ばしていたのだが、とある日に転倒。己の怪我は軽かったものの、残念なことにXB9Rは全損、残ったのは多額な残債だ。
 奥留くんは柳井につけて、徹底的にビューエルの整備ノウハウを身に着けさせた。新卒なので即戦力にはならないが、彼はこつこつと仕事をこなしていった。根っからの明るい性格もあり、店のメンバーたちみんなから可愛がられた。
 一方、営業の松生も懸命に働き、お客さんへの声掛けも積極的に行い、月に一台、二台と地道ながら実績を上げ始めた。ところが同僚となるハラシとどうにも馬が合わなく、ちょっとした言い争いが頻発し、ハラシの士気は見る見る下がっていった。
 こうし大所帯となった杉並店は、予測どおり大赤字を連発。営業マンが一人増えたからと言って、売り上げが伸びるわけもなく、それ以上に営業マン二人の不協和音が悪影響し、商談の成約率は下がる一方だった。
 そんなある日、珍しく大崎社長が来店するやいなや、小言の連発が始まる。
「木代くん、最近の値引き額だけど、ちょっとやり過ぎじゃないかな。1098はニューモデルなんだから、ここまで引くことはないだろう!」
 俺も分かっていた。しかし毎月の売り上げ不調に焦りが出てきたことが引き金になり、ハラシにも松生にも、成約優先の指示を出していたのだ。
「すみません。とにかく在庫をさばいちゃおうと思って…」
「わからないでもないが、これじゃ後々の為にならない」
「ここ二カ月は特にドゥカティの商談が激減してるんです」
「おれもそれなりに情報を集めてるけど、Tモータースあたりは大変だと思いうよ」
「でも先回のDJ会議の資料を見ると、登録台数はそれほど落ちてないですよ」
「いやいや、Mさんに聞いたよ。DJがストアに対してかなりな額の登録補助金を出してるらしい」
 意味のない数字“登録台数”。こいつに振り回され、真の現況や推移がまったく見えなくなり、業界全体を重苦しくしているのだ。
「そう言えば、松生に調布店異動の話をしたら、難色示したね」
 松生はスポーツバイクが好きだ。だからわかる。ハーレーには全く興味がないのだ。奥留にしても然り。だから言わんこっちゃない。あとからハーレー担当に振るなんて考えは、エゴ以外の何物でもないのだ。
 しかしそうなると、杉並店はどうなってしまうのか。人減らし以外に打開策はないものか…

 そんな中、ドゥカティがモンスターのニューバージョンを発表した。その名も“S4RSテスタストレッタ”。
 現行モデルのS4Rも高い人気を誇り、ドゥカティの屋台骨を支える重要な役目を果たしてきたが、今度のはそれを上回る仕上がりだ。エンジンは999で、足回りをOHLINSで固めている。S4Rはエンジンが996なので、強力なトルクは恐怖をも感じる立ち上がり加速を見せるが、ライテクのある人ならまだしも、一般ライダーでは持て余す。それに対し999のエンジンは飛躍的に使いやすいセッティングになっていた。すべての加速域で暴力的なところがなく、スロットルの開度に従いパワーが出てくるから、どのようなレベルのライダーでも積極的に開けられるところが大きな進化ポイントだ。そして目を見張るのは、強力な制動力。ラジアルマントのBremboキャリパーは、これまで経験したことのない強力かつ安定した制動力を発揮。伊豆スカだったら、どれほどスピードを出しても不安なくコーナーへ突っ込める優れもの。もちろん杉並店でもすぐに試乗車を用意し、販売強化を図った。ただ、下ろしたては当たりがでてないので、ぎくしゃく感が目立ち、試乗したときの印象はあまり芳しいものではない。最低でも1000Km以上の馴らし運転が必要だ。
 てなことで、直近の木曜に伊豆箱根を走り回り、最低でも積算距離を500Kmまで伸ばしてくることにした。仕事とはいえ、実に楽しみである。

「店長、明日は馴らしですか?」
「うん、伊豆あたりへ行こうかと思って」
「ぼくも一緒に行っていいですか?」
「ああ、もちろん」
 XB9Rの松生である。彼は愛車を大切にしていて、いつもピカピカだ。先日もXB9Rのプロジェクターヘッドライトの暗さがどうにも気に入らないようで、大枚をはたいてHID化した。XB9Rのヘッドライトは本当に暗く、新規登録時はなんとか通っても、継続車検時ではほぼ50%、“照度不足”で落とされる。

戸田港にて

 当日は絶好のバイク日和。伊豆の西海岸をひたすら南下し、戸田で休憩の後は宇久須まで足をのばしランチにした。以前から一度食してみたかった宇久須名物の小鯖寿司である。その名を広めたのは“三共食堂”。R136から一本海側へ入ったところなので、探すのにちょっと時間がかかった。新鮮で弾力のある身に生姜とネギとがうまく絡まりあい、瞬く間にごちそう様。つま楊枝をくわえながら、お茶をずるずるやっていると、

「店長、実はお話があるんです」
 なんとなく、予感めいたものは感じていたが…
「どした?」
「急なんですが、今月いっぱいで退職したいんです」
「社長に言われたことが引っ掛かってるの?」
「それもありますが、実家の仕事を継ぐことになったんです」
 話を聞けば、決意は固く、奥さんの了解も取れてるようだ。そう、彼は半年前に結婚していた。
「そっか、残念だけどしょうがない。じゃ、今日は走りおさめだな」
「はい! これまでいろいろとありがとうございました」
 松生と一緒に走るのもこれが最後。
「よっしゃ、ゲロが出るまで走ろうぜ」
「OK!」
 宇久須から松崎、そこから婆娑羅峠~下田街道~修善寺と進み、冷川ICから伊豆スカへ乗る。そこから箱根峠までの40Kmを一気に走り抜けた。
 馴らし中だったので、大きく回転を上げることはできなかったが、エンジンの伸びの良さと、足回り、ブレーキの秀明さは十分体感できた。リッターバイクを感じさせない軽さは、積極的なコーナリングを生み出し、特に右手の人差し指一本でジャックナイフできそうな制動力は、もはや感動的ですらあった。

 こんな騒動から一年後。社内キャリアでのターニングポイントが突如訪れた。

バイク屋時代46 ドゥカティ国際会議とEICMA

 ドゥカティスーパーバイクのフルモデルチェンジが噂される中、二〇〇七年モデルとして発売される“1098”が、イタリアはミラノで行われたドゥカティ国際会議にて公開された。この会議には俺が参加した。各国から集まったディーラースタッフの期待に満ちたまなざしを目の当たりにし、こんどのはイケる!と確信した。難しいことなしに、ぱっと見がカッコイイのだ。999のように好き嫌いが出るデザインではない。
「木代さん、これ、売れると思います?」
 前の席に座っているO社長が振り向いた。やけに真剣なまなざしである。
「俺は売れると思います。これが駄目なら、レプリカ自体が飽きられてきたってことになるんじゃないですか」
「ですよね。私も久々に売れる商品が出たって感じてますよ」

 今回の国際会議は、同じミラノ市内で行われている世界最大の二輪車ショー【EICMA・エイクマ】に合わせて開催したようで、後日、日本から来たメンバー全員は、ほぼ半日をかけて会場を見て回った。圧倒的な規模は、幕張メッセで行われるモーターショーの上をいくもので、ヨーロッパの二輪文化を肌で感じることができた。自転車展示場にはなんとトラックコースまでが作られていて、プロフェッショナルライダーによる迫力あるデモ走行には目が釘付けになった。もちろんホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのブースも回ったが、展示車両は断トツに多かったものの、活況はそれほど感じられず、盛り上がっていたのは、やはり地元のドゥカティや、BMW、そしてKTMのブースである。中でも、KTMブースにはGP250の契約ライダーになった“青山博一”を招き、トークショーが行われ、プレスだけでも三十名以上が押しかけ、人の輪が切れることはなかった。
 一応ハーレーダビッドソン&ビューエルのブースも覗いてみたが、閑古鳥が鳴いていた。ヨーロッパの二輪車嗜好がよくわかるところだ。

2024年のEICMA・ドゥカティブース

 この度のミラノ行。EICMAをはじめ自由時間のほとんどを、株式会社KのM社長に、金魚のフンの如くくっ付いて回った。ドゥカティ並びにKTMの売上日本一に輝くM社長は海外出張が多く、特にミラノは十数回訪れたことがあるそうで、右だろうが左だろうが、新宿、渋谷並に熟知している。おまけに今回は部下二人のお供付きと豪勢だ。
「あれ! 木代さんじゃないですか」
 通路の方から声が飛んできた。振り向くと、吉祥寺店でベスパを扱っていた頃、大変お世話になった成川商会の塚田さんがこっちを向いて手を振っている。
「うわ~、久しぶりです~、EICMAとなるとやはりお仕事ですか?」
「そーなんですよ」
「自分はミラノ初めてなんで、M社長に案内してもらってるんです」
「会場は物凄く広いんで、時間をかけて見て回ってください」
「ありがとうございます」
 塚田さんの言ったとおり、本当に広い。あれもこれもと目についたブースへ足を運んでいると、時間はいくらあっても足りはしない。すでに疲れが出てきて、脚は棒のようだ。
 前方へ目をやると、M社長が男性二人と何やら話し込んでいる。近づいてみると、
「あらら、木代さん、 久しぶりです」
 これにはびっくり。ちょっと前までDJの営業部長をしていた笹澤さんである。その隣には金髪、小太りの、外人年配男性がにこやかな笑顔を振りまいている。
「木代さん、外人の彼はKTMジャパンのミッシェル社長です」
 なるほど、ということは笹澤さん、DJを辞めた後、KTMへ入ったんだ。
「去年KTMの売り上げが日本一になったんで、お祝いってことでミッシェル社長が今夜一席作ってくれたらしいよ」
 M社長がにこやかに説明してくれた。
「そりゃ素晴らしい、ぜひ楽しんできてください」
「木代さんも来れば」
「え? 俺なんか、行っていいんですか?」
 すると笹澤さんが、
「大歓迎ですよ、KTMの売り込みはしないから安心してください」

2024年のEICMA

 ミラノは、まるで町中すべてが世界文化遺産ではなかろうかと思うほど美しい。石畳の道、歴史を感じる家屋や街灯など、まるで映画のワンシーンのようだ。ミラノドゥオーモ駅の階段を上がりきった真正面にそびえるのがミラノドゥオーモ大聖堂。一歩中へ足を踏み入れると、宗教芸術の極みというべき世界に包み込まれ、暫し圧倒される。
「これは見事ですね~」
「初めて見た人は誰だってびっくりするんじゃないかな」
 この後ショッピングモールへと足を進めるが、ここがまたシック。モール全体で色彩が統一されていて、けばけばしさや安っぽさが一切感じられない。入ってすぐ正面にあるLouis Vuittonのショップなどは、モールに溶け込んでいるかのようだ。
 ぐるり時計回りで歩いていると、カフェ街にでた。どこの店もテラス席はほぼ満席で、そこで寛いでいる人たちが、これまた絵になる。
「そろそろ時間なんで、レストランへ向かいましょうか」
 右も左もわからない俺の目には、さっさと歩き進むM社長の後ろ姿が眩しく映る。
 夜のとばりが落ち始めた石畳の道を十分ほど行くと、前方に明るく輝くショールームが目に入る。
「あれ、フェラーリのショールームですよ」
「へー、イタリアですね。それにしてもセンスのいい展示だな」
「その右隣がレストランです」

 こんな機会がなければ、一生来ることはないだろうと、なんだか緊張してきた。
 店内に入ると、満面の笑顔をたたえるスタッフが二階へと案内してくれた。個室が並び、そのうちの一つのドアを開くと、
「お待ちしてました。お疲れ様です」
 入口でミッシェル社長と笹澤さんが迎えてくれたが、他にもテーブルの向こう側に若い男性と女性がいる。
「紹介します。今年度からKTMのエースライダーを務めている“青山博一”さんと、隣の美女は彼の秘書の中山さんです」


 おおっ!EICMAで見かけたあのGPライダーの青山博一が同席とは、こいつはびっくり。彼の一印象は、笑顔がまぶしい好青年。隣の中山さんは、知的な色香が漂う実に魅力的な女性だ。GPライダーともなると、こうして美人の秘書までつけられるんだなと、うらやましくなる。ミシェル社長、笹澤さん、M社長の三人は、アルコールが進むほどにビジネスの話で盛り上がっていたので、これはチャンスと、青山さんへ色々と質問をしてみた。
 チームから出るギャラと広告収入は、年二回に分けて支払われるとのことだが、その時点の為替を考慮の上、円建て若しくはドル建てをチョイスしているようだ。中山さんはなかなか頼もしいパートナーなのだ。
「広告と言えば、先日タイヤメーカーの撮影があったんですが、ものすごい寒い日なのに、いきなり膝を擦るシーンを撮りたいなんて無理難題を押し付けてきたんです」
 気温が低ければ、当然タイヤも冷えているわけで、いかにサーキットとは言えどもグリップ力は殆ど無いに等しい。これでフルバンクしたらさすがの青山さんでもすってんころりんである。
「すぐには無理ですよって言ったら、時間がないなんて反論されちゃって」
 GPライダーのこんな裏話が、しかも本人の口から聞けるなんて…
 牛肉メインの料理が続き、デザートには生ハム&メロンが出た。この時とばかりに、出された料理はすべて平らげ、高級そうに見えたワインは、ほぼ一人で一本近く開けてしまった。
「木代さん、お酒強いんですね」
「いやいやお恥ずかしい」
 ドゥカティ国際会議とEICMA視察、ミラノ観光とすべてが美味しいイタリアンフード。そして何より青山さんとおしゃべりができたこと。こんな充実した日々を味わえるのは、今後の人生にもそうそうないだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。レストランを出るとき、顔を真っ赤にした笹澤さんが近づいてきて、耳元でささやいた。
「KTMの話、大崎社長にぜひぜひお伝えくださいね」
「は、はい…」

 後日談になるが、このイタリア行にはニコンD100を持参し、張り切って二百枚以上撮りまくったのだが、うっかりしたことにそのデータを入れたMOディスクを紛失してしまう。自分自身、本当に情けなくなった。

バイク屋時代45 メーカーそれぞれ

 HDJとDJ、同じ外車販売会社とはいえ、社風をはじめ、営業方針や販売店とのかかわり方はずいぶんと異なる。もっとも取扱い商品の特性が及ぼすものは大きいと思うが…

 ハーレーは、大排気量空冷OHV、V型ツインエンジンがもたらす独特の鼓動感と外観。思い浮かぶイメージは、旅、自由、文化、レザージャケット等々。一方ドゥカティは、国際レース、情熱、チャレンジ、官能、美学と言ったところか。
 HDJは定性的な色合いを基本にしたイメージ戦略を好む一方、具体的でしっかりとした効果を生み出す営業手法を構築し続けた。DJは国際レースを背景とした華々しい雰囲気の演出と、商品の強力な進化をアピールする広告展開を得意としてきたが、販売店側が求める営業戦略に関してはHDJに大きく後れを取っていた。双方の登録実績を比較すれば如実である。

 HDJの会議は毎回全ディーラーの社長を対象に都内のホテルで行われるのに対し、ドゥカティの会議は列島を東地区と西地区に分け、会場もコンベンションホールや時にはクラブで行われた。これは社風以前に、企業規模の違いによる会議予算の大小も影響していただろう。
 両方の会議はもちろんのこと、国産メーカーの会議にも出席していた俺は、各々の特色がよく分かった。簡単に言ってしまえば、HDJは車両と共に購入後の満足も考慮したハーレーワールドを売る。DJは満ち溢れる最新テクノロジーで武装された車両と、ドゥカティレーシングワールドを売る。そして国産四メーカーは安心感と充足に満ちた商品を売るのだ。

 DJが東地区の会議を六本木のクラブで行った頃、国内外においてドゥカティの売上はまあまあの線で推移していたが、順風満帆とは言い難かった。よってこの目新しい会議で営業戦略の発表でもあるのかなと期待していると、モデルチェンジ情報、新アパレルの説明、そして新規参入店の紹介等々で終わってしまった。ただ後半でMoToGPやスーパーバイクでの活躍を、センスよくまとめ上げたPVを放映すると、参加者の喝采を浴びた。
「ドカ、がんばってるじゃん」
「これ見てスーパーバイクが欲しくなる人も多いんじゃないの」
「ヨーロッパスポーツは間違いなくドカだな」
 盛り上がるのいいとして、これを士気高揚と捉えているような安直な声が聞かれ、驚いた。同じ時期に行われたHDJの会議内容とはずいぶんと異なるところだ。まあ、俺自身も派手なプレゼンに飲まれていたことは確かで、これからもドゥカティの勢いは変わらないだろうと、根拠のない安心感が湧きたっていたことは事実だ。
「木代さん、どうですか、これからも行けそうですね!」
 振り向くと、満面の笑顔をたたえたO社長が立っていた。

 ドゥカティ社は一九九六年に、米国の投資家集団“テキサス・パシフィック・グループ(TPG)”に買収された。これにより潤沢な運営資金と世界を見据えた経営戦力を得た。主な需要国には現地法人(ドゥカティジャパン・DJ)を設立し、これまでの受け身な商売を一気にワールドワイドなビジネスへと昇華、目論見通りの快進撃が始まった。ところが数年を過ぎるとやや陰りが見え始め、伸びは鈍化してしまう。こうなると母体が倍々ゲームを求める投資家集団なので、毎年の進捗は絶対に必要ということになり、徐々に現況とはそぐわない目標が独り歩きをするようになってきた。
 売り上げを伸ばすためには様々な要素が必要になるが、悠長なことを言ってられなくなったドゥカティは、得意なニューモデル開発に集中し、営業戦略は場当たり的なものに終始した。ニューモデルが当たればいいが、もしも滑ったら、大きな損失を被るだけではなく、組織の士気も落ちる。こうなると復活までは遠い道のりになる。絶好調のHDJと比べると、国内登録台数では十分の一にも届かず、DJの倉庫は日に日に在庫車両で膨らんでいったのだ。
「木代さん、おねがいしますよ。1098、三台口で10%つけますから」
「だめだめ、今月はハーレーの支払いが多いんだよ」
「そう来ると思った。今度ね、支払の分割をやるんですよ。どうです、三分割では」
「だめだめ、分割にしたって結局は払わなきゃダメじゃん」
「そりゃそーですけど…」
「モンスターならまだしも、1098がポンポン売れるわけないじゃん」
「いやいや、ところが最近動いてるんですよ!」
「だったらその動いてる店に買ってもらえば。そうだよ、Tモータースに頼んだら」
「あそこ、まじな話、目いっぱいです」
「そんなことないでしょぉ、O社長だったら、よっしゃ!とか言って買ってくれるよ」
「もーーー」

 この商談、俺としては珍しく根負けした。おかげで大崎社長にはこっぴどく怒られるし、案の定、1098三台はしぶとく在庫として残ってしまった。
 売込みの限界を悟り始めたDJは、経費節減策に出た。まずは部品倉庫の廃止。これにより倉庫の家賃と部品の在庫金利ロスをなくせる。店舗からの部品発注はすべて本国イタリアへダイレクトに行われ、そのために入荷日数は一週間から十日ほどかかるようになった。緊急を要するもの、例えばレバー、ステップ、ウィンカー、ミラー等々は店舗で在庫しなければならず大迷惑。それとDJ内の人員整理も滞りなく行われ、契約当初から仲の良かった営業とサービスのスタッフが、それぞれ一人ずつ退職になった。
 まだ入社して一年半の営業マン赤根さんから電話があった。
「木代さん、お世話になりました」
「なんだか寂しいね。話は聞いてるけど、転職先はもう決まってるの?」
「おかげさんで損保の営業をやることになりました」
「だったら遊びにおいでよ」
「ありがとうございます。ぜひ」
 このような厳しい展開の中でも、さすがにイタリア企業である。会議や商品発表会などでも、人生を楽しむことを優先するイタリア人気質がいかんなく発揮され、美意識と表現力を欠かすことにない内容へと組み上げるのだ。HDJの社長は日本人だが、DJの社長は代々本国から赴任するイタリア人ってことも大いに関係している。
 新アパレルの発表会を代々木の某クラブで開催することになり、俺と坂上、そしてバイトの真理ちゃんの三人で出かけた。
 会場に入ったとたん、大音響のディスコミュージックとミラーボールの出迎えを受け、間違ったところへ足を踏み入れたんじゃないかと一瞬冷や汗をかく。周囲を見回せば、アパレルやバイクがかっこよくディスプレイされ、壁に洋酒がずらっと並ぶバーカウンターもオープンしている。一番奥にはファッションショーに使う本格的なランウェイも作られ、周囲には相当な人数を見越したパイプ椅子が並べられている。

「店長、いいっすね~このムード! 早々と一杯やっちゃいましょう」
 すでに坂上はのまれている。真理ちゃんもキョロキョロが止まらない。
「あらっ! 木代さん、お久しぶり」
 アパレルスタンドの脇からTモータースの看板娘“恵子さん”現れた。
「いやいや久しぶりだね、ラリー以来かな、ところで今日、社長は?」
「アパレルだから、おまえ一人で行ってこいって」
「はは、うちも同じだよ」
 恵子さんは小さい顔に長い手足と、まんまモデルのようなひとだ。お客さんには絶大な人気があり、店ではアパレルだけではなく、バイクを売らせてもトップクラスと言う。急に音楽が変わると、ランウェイに照明が降り、新作のファッションショーが始まった。
「それじゃ失礼しま~す」

 プロのモデルだけではなく、一部DJのスタッフがモデルになって会場を沸かせた。
「店長、これってずいぶんとお金かかってるでしょうね」
「ずいぶんどころじゃないよ」
「いいじゃないっすかぁ、ドカらしくて~~」
 おっ、坂上のやつ、いつの間にかグラス持ってやがる。
「真理ちゃん、俺たちもなんか飲もうぜ」
「はい♪」

バイク屋時代44 MoToGPとムルチストラーダ

 ドゥカティオーナーたちが集まりバイク談議が始まると、ちょくちょく持ち上がる話題がMoToGP。そりゃそうだ。これまでMoToGPと言えば、長い間メイドインジャパンのレーサーが圧巻し続け、ロードレース発祥の地であるヨーロッパ勢は見る影もなかったが、二〇〇三年、ついにドゥカティがMoToGP参戦を開始。当初は期待された活躍は見せなかったものの、二〇〇五年からパワー重視でチューニングされた“GP5”を投入。ヤマハのバレンティーノ・ロッシ一色の年度ながら、コンスタントに六位以内へ食い込む健闘を見せ、第十二戦“もてぎGP”ではついに念願の初優勝を奪取、その後は優勝争いに顔を出す唯一の外国勢として大躍進が始まったのだ。ちなみに翌年二〇〇六年では十七戦中四度の優勝に輝いた。

「店長、面白いものが届きましたよ」
 茶封筒を持った原島がにやついている。
「今年のもてぎGPで、DJが応援スタンドをやるみたいです」
 資料によると、観戦セットを枚数限定で販売し、ドゥカティ応援スタンドからの観戦、応援グッズ(キャップ、ベスト等々)付、決勝直後のパレード走行という、なかなか魅力的な内容なのだ。
「これ、いいじゃない」
 実は俺、バイクレースなるものは一度も観たことがない。たいがいのレースは週末開催なので、仕事とバッティングするのだ。だから、MoToGP、もてぎ、ドゥカティとくりゃ、行きたさはマックス。仕事は休めないが、仕事という名目で行けばいいことだ。
「やるか、MoToGP観戦ツーリングを」
「そう来ると思いましたよ。早めに二十枚ほど確保して、明日からでも告知しましょう」
「わかった、それじゃハラシに任せるよ」
 こういうときのハラシ(原島)は抜群の働きを見せる。すぐさまDJへ電話を入れると、チケットを確保。PCで告知のポスターをササっと作って店内に掲示。最後は杉並店のウェブサイトに、<モト・ギャルソンメンバーへお知らせ>と称し、MoToGP観戦ツーリングの内容をアップ。反応はすこぶるよく、週末までに二十枚を完売。参加者名簿を作った後はツーリングのスケジュール作りに取りかかった。

 当日に乗っていく車両は“ムルチストラーダ1000”と決めていた。発売されて早二年がたつが、販売状況は思わしくなく、その特異なデザインに賛否両論が集中した。
 ― ドゥカティらしくない。
 ― 顔が変だ。
 デザインはあくまでも好みの範疇なので、なんとも言えないが、俺は一発で気に入った。しかも運転してみると、楽ちんなポジションで乗り心地もよく、DSエンジンとのマッチングもすこぶる良好。ドゥカティラリー箱根の時、箱スカ、芦スカで思いっきり飛ばしてみたが、サスストロークが長いので、グリップ感をつかみやすく、強力なブレーキも手伝って、気持ちのいいスポーツランを楽しめた。実はこの時、お客さんを四台引き連れてのツーリング中だったのだが、芦スカ区間に入って間もなく、BMWの1200GS にものすごい勢いで抜かれ、途端に“ブチッ!!”っとスイッチが入ってしまった。
 GSはかなりの走り好きらしく、スロットルの開けっぷりは惚れ惚れするほどだったが、コーナーの立ち上がりでは僅かにムルチストラーダに軍配が上がり、テール・トゥ・ノーズが延々と続いた。そんな素晴らしいムルチストラーダではあったが、ぜいたくを言えば、もう少々サスに腰があると、S字コーナーなどでクイックに向き変えが可能になるだろう。ただ、ビギナーツーリングにムルチストラーダに乗っていった大杉くんは、
「ダメっすね、あれ。おれのケツには合わないみたい。痛くて痛くて」
 まっ、このような意見もある。ちなみに俺はまったく平気。

 初めてのツインリンクもてぎは、ゲートをくぐった瞬間から圧倒された。とにかく人の溢れかえり様がすごいのだ。特にグランドスタンドからは、まだレースが始まっていないのに熱気が発散していた。
「あら! 木代さぁ~ん!」
 振り返ると、ナイスなCガールがこっちを見て手を振っている。
「おっ! Uちゃんじゃない、久しぶりだな」
 ドゥカティラリーで一緒にイベントを盛り上げたCガールの一人だ。
「ドゥカティブースにいるんでよろしくお願いしま~す」
 今日はメイクもMoToGPに合わせたのか、やや濃いめで人の目を引いた。抜群のスタイルと笑顔がまぶしい。
「うわー、木代さん、ぼくにも紹介してくださいよぉ」
 そう来ると思った。

 さすが国際レース、125ccクラスから驚きの連続である。当たり前だが速い。いや、速すぎる。ストレートはさすがに排気量が小さいため、やや迫力に欠けるが、コーナーは切れがよく、世界クラスのライダーの力量がうかがえた。250ccクラスになると、コーナーこそそれほど変わらないが、やはり立ち上がりの加速とストレートの伸びが格段に上がり迫力満点。ところが、四~五台の集団でストレートを駆け抜けるときの排気音は凄まじいものだが、出走を前に、MoToGPクラスのマシーンがパドックでエンジン暖機を行う時の排気音は更に大きく暴力的で、レース中の250ccの音が聞こえないほど。中でもドゥカティGP5は音量はもちろん、音色も他を圧倒した。フォンフォンフォン、フォーーン、フォーーンが国産マシーンならば、GP5はバンバンバンである。
 250ccクラスが終わるとMoToGPの前に、往年の名ライダー“ランディー・マモラ”によるエキシビジョン走行が行われた。ランディーが抽選で選ばれた一般のお客さんをドゥカティGP5の後ろに乗せ、スポーツ走行をするというもの。
「うわぁ、面白そー! いいなぁ~、あたしも後ろに乗りたいぃぃぃ」
 紅一点のツーリング参加者である長谷川さんは、さっきから隣で興奮気味。女性ながら愛車はSS1000と根っからのスポーツ派。さすがにランディーのこともよく知っていた。
 するとすかさずハラシが、
「長谷川さん、ぼくの後ろに乗せてあげるよ」
 きつい視線がハラシへ投げられる。
「けっこうです」
 それにしてもランディーの走りは凄い。まるでサーカスだ。フル加速でコーナーへ突っ込むとウィリーしながら立ち上がり、次のコーナーではフルバンク、タンデムのお客さんも膝を擦っていたかもしれない。最後はブレーキングの最後でジャックナイフ。お客さん、降りるとしばらく足元がおぼつかなかった。しかし最高の経験だったことは間違いないだろう。

 ついにMoToGPが始まった。ドゥカティのエースライダー“ロリス・カピロッシ”は予選から絶好調で、決勝もポールポジションからのロケットスタートでレースを牽引。ホンダのマックス・ビアッジと手に汗握るデッドヒートを展開、最後はみごと競り勝ってポール・トゥ・ウィン。完璧なレースを作り上げたのだ。おかげでツーリングメンバーたちは大喜び。応援グッズの価値もさぞかし上がったことだろう。

 そして興奮冷めやらぬうちにパレードランが始まった。さっきまで熱い戦いがあった同じコースを走る嬉しさはこの上ないもの。各コーナーブースにはまだ少数の観戦客が残っていて、前を通過すると手を振ってくれる。なんだかGPライダーになったような気分がしてきてこそばゆい。
 あっという間のレースイベントだったが、こんな楽しい一日を仕事と言う名目ですごした後ろめたさは、明日出勤して大杉くん以下、スタッフ達と目が合った時に、はっきりと出てしまうのでは…

「店長。おみやげは?!」
「ご、ごめん」