RZの車体にTZRのエンジンを載せる。そしてどうせ載せ替えるなら、足回りも強化してカスタムバイクを作っちゃおう!
こんな大胆な話がオーナーである奥村くんを通り越し、吉祥寺のメカニック二人で盛り上がるという、ややおかしな展開になった。ちょっと心配になり、その旨を奥村くんへ伝えると、
「いいっすね!」
と、あっけない。
この後、渋る社長に頭を下げて、奥村くんのRZの件をなんとかクレーム対応で進めてくれるようお願いしたのは言うまでもない。
「ほーらやっぱり壊れたじゃない」
「すみません。 なんとかこの件、フォローをお願いしたいんですが」
おでこをテーブルに擦り付けて得られた結果は、
その壱:TZR250の事故車を奥村くんに8万円で買ってもらう。
その弐:組み立ておよび加工工賃、並びに工材は全て会社負担。
その参:この作業に費やする時間は1日1時間までとする。
ただ奥村くん、さすがに8万円の負担には難色を見せたので、それではと、再度社長を訪ね、頭を下げてその旨を伝えると、
「しょーがないな、まったく……」
嫌みはたっぷりと言われたが、なんとか5万円にまけてもらうことができた。
「あとはこじれないようにちゃんとやっておくこと、いいね」
「社長、あ、ありがとうございました」
RZ改造計画の概要は、事故車のTZRからエンジン、フロント並びにリアの足回りを取り外し、RZへ移植するというものだが、実際にやるとなるとこれが容易ではない。RZのフレームに移植パーツの“受け”を作る段からつまづき始め、作業は一向に進まない。なんとか装着できたとしても強度的にそのまま使うには無理がありそうなので、フレームの強化も行わなければならないだろう。
フロントサスを取り付ける際に、あらためてRZとTZRのフロントフォークを見比べてみたのだが、
「RZのって、こんな細かったんだね。ガンマ50とあんま変わんないかも」
250ccクラスにしては怖いほど貧弱である。
「TZRのつけてそのまんまフルブレーキしたら、フレーム曲がっちゃうじゃないの」
同様なことはスイングアームの取付け部でも考えられたので、この二カ所についてはパイプを溶接して補強することにした。溶接は吉本くんが行うが、スイングアームのサスペンション取付け部だけは高度なアルミ溶接の技術が必要になる。幸いなことに、大杉くんの友人で名の知れたプロの溶接技術者がいたので、なんとか頼んで店まで来てもらい、さすが!と唸らせる作業を行ってもらったのだ。
1週間がたち2週間がたちと、少しずつ形になっていく様ははたから見ていてもワクワクする。1か月を過ぎると前後サスペンションの取付けが完了し、次の大仕事であるエンジンの載せ替え作業にかかった。塗装業者へ依頼していた外装のオールペイントも、あと数日で発送できるとの連絡が入っていたので、完成は予定よりだいぶ早くなりそうだ。外装デザインは奥村くんのリクエストで、イエローをベースにストロボグラフィックを入れたU.S.ヤマハのチームカラーである。
「フレームの補強はどれくらいやればいいのかな」
「こればっかりは乗って様子見ないとわからないんじゃないですか」
二人のメカが雁首揃えて溶接個所を見つめている。
「やりすぎてもだめっていうじゃない」
「まあね」
週明けの月曜日。待ちわびた外装が届いた。まずはガソリンタンクを取り出し仕上がりをチェックすると、文句のない出来だ。プロの仕事はやはり違う。
「いいじゃないですか」
「取付だけやっちゃおう」
社長との約束で、作業時間は1日1時間と決められている。とりあえずタンクと外装の取付とフューエルラインの結線だけを済ませ、あとは終業後に行うことにした。
「奥村くん、これ見たらびっくりするだろうな」
「絶体よろこんでくれるよ」
この日の閉店間際、たまたま奥村くんがやってきて、うれしいことに我々の想像を上回る感激様を見せてくれた。エンジンを始動、これから最終確認である試乗を行うのだ。
「奥村くん乗ってくれば」
「いやいやいや、大杉さんお願いしますよぉ」
即座にヘルメットをかぶった大杉くん、やる気満々である。
軽く三回ブリッピングすると、RZ改は猛烈な排気煙を吐き出しながら走り出した。約十五分後、無事に戻ってくると、
「まあまあだな。加速もいいしブレーキも安定してるけど、サスの動きがちょっと悪いかも」
心配顔の奥村くん、
「どんなかんじ?」
「倒しこみが重いんだよ。セッティングやっていけば良くなると思うけど」
試行錯誤の連続だったおおよそ3か月間の作業を経て、一応だが予想を超えるナイスな1台を完成させたのだ。写真を残していればぜひ公開したいところだが、なんといっても35年前の話、まだデジタルカメラなどが出現する前の時代である。ただ、完成車に大満足だった我々は、だめもとで雑誌社に事の顛末を伝えると、快く取材に応じてくれ、なんと翌月のCYCLE WORLD誌にカラー見開きで掲載されたのだ。この一件で奥村くんのRZ改は巷でちょっとした“有名車”になった。
ある日、仲間と数台で東伊豆方面へツーリングした時のことだ。
東伊豆の伊東港近くの路肩に停めて一服していたら、背後から白バイが近づいてきて最後尾に停車した。
やべ!!ここ駐禁?!、みんな色めく。
「すみません。ちょっと見せてもらっていいですか」
「はい?」
この白バイ隊員、CYCLE WORLDを読んで奥村くんのRZに興味津々となっていたのだ。驚いたことにその現車が目の前を走っていったので、思わず追尾したという。
そもそもほとんどの白バイ隊員は、バイクが好きだから交通機動隊を志望するらしい。この辺は一般の警察官とはちょっと違う。
「写真で見るよりぜんぜんいいですねぇ~。あちこちで声をかけられるでしょう」
「そ、そうですね、いいんだか悪いんだか、、、」
「はは、おじゃましました。気をつけて!」
一躍有名になったRZ。仕上げ作業に関しては、相変わらず足回りの詰めがうまく進まず難航したが、エンジンは快調そのもので、奥村くんも大いに満足してくれた。吉本さんはスイングアームピボットまわりの補強が強すぎたのではかと言うが、やり直すのは現実的でないし、確実に改善できるかどうかも微妙である。色々と考えた挙句、作業担当の大杉くんはサスの調整で煮詰められるところまで煮詰めた上で、妥協点を見出す方法を選んだ。奥村くん自身がツーリングへ行っては様子を伝えること3~4回、完璧とまではいかないものの、慣れも含めてようやく納得できるハンドリングを得ることができたのだ。