エレキバンド・その10

fendertwinriverb初めてエレキギターを手にした時、その自然なネックの握り具合と薄いボディーの抱えやすさに、ちょっとした興奮を覚えた。憧れの楽器を抱えられた嬉しさも手伝ってはいたが、とにかく全ての感触が予想を上回っていて、弾けば弾くほど溢れ出てくる“やる気”に、自分自身がびっくりしたほどだ。
同時に物欲は急上昇。またもや悶々とした日々との格闘になった。
そう、このギターの持ち主はカズちゃんだ。

ー アンプに通して弾いてみたいな。

当然の願望である。エレキギターそのものだけではシャラシャラした小さい音しか出ず、沼津の千本浜で聴いたような大迫力のサウンドは、アンプがなければ再現できない。ディストーションを効かせたチョーキングはいつになったらできるやらと、出てくるのは溜息ばかり。
そんなある日、学校で。

「俺んちこい」
「なんだよ」

いきなり命令口調でものを言う男は、一風変った友達のIだ。中学生のくせに週一で床屋へ通い、当時の大学生や社会人の間で流行っていたアイビールックをこよなく愛し、通学で履いていた靴もVANジャケットの人気スニーカー“ラダー”という凝りようだった。

「アンプならあるぜ」
「えっ、ほんとかよ」
「いいから、ギター持ってこい」

変な奴だが、意外や音楽好きで、ドラムもたたけると豪語していた。

「それじゃ、おまえんちでセッションできるな」
「セッション? はははははは」
「…」

このやり取りの後は、全く授業が耳に入らなかった。
一刻でも早くIの家へ行って、ギターを弾きたかったのだ。

カズちゃんからギターを借りるとIの家へまっしぐら。
水道道路を渡って300mも行けば到着だ。彼の家は母屋の隣に親父さんの作業小屋があって、そこで印刷業を営んでいた。やや強面の人で、あまり言葉も交わしたことはなかったが、対照的にお母さんは良く話しかけてくる明るい感じの人だった。

「タダユキちゃん、木代さんも来たわよ」
「おっそうか、あがれ」

なんともドでかい態度。
しかし嫌みのないところがIのチャームポイントでもある。

「なんだ、ゴメスも来てたんだ」

クラスメイトのゴメスは、猿をも上回る運動神経の持ち主で、スポーツ万能のナイスガイ。
つい最近まで知らなかったが、彼も結構な音楽好きで、Iの家に私がギターを持って駆けつけることを知り、なんとベースギター持参でたった今着いたところだった。
彼はIからずいぶんとR&Bを聞かされていたようで、その影響からか、アメリカンミュージックをよく聴くとのことである。

「弾けるのか、ゴメス」
「うんまあ、ちょっとね」

Iの部屋へ通されると、そこにはアンプたけではなく、きらり輝くスネアとシンバルが所狭しと置いてあった。

ー すげ~…

エレキバンド・その9・ギター

Jimi Hendrix心待ちだったのはミュージックライフの発売日。
特に好きなギタリストやグループの特集記事が載ったときは、何度も読み返して、必要な情報は尽く頭の中へと染み込ませた。端から端まで全て読む雑誌は、少年サンデー、少年マガジンに次ぐ3番目となり、ロックアーティストとロックミュージックへの大きな憧れが懐かしく思い出され、今でも胸が熱くなる。

ー テレキャスターか、、、かっこいいな~、、、

当たり前だが、プレイ中のトップギタリスト達は皆かっこよく、その姿は“本物”を感じさせた。そして彼らが弾いているギターが、時としてプレイヤー本人以上にロックミュージックを主張し、その魅力的なデザインは、グループサウンズが使うギターしか知らなかった目に、強大なカルチャーショックを焼き付けたのだ。
そもそもグループサウンズの使うギターは不思議が多すぎた。

殆どの海外ギタリストは、米国製のGibson若しくはFenderの製品を愛用していて、この2メーカーは既に世界のエレキギター界を牛耳っていた。ミュージックライフの写真を見る限り、私の好きなピーター・グリーン、エリック・クラプトン、そしてマイク・ブルームフィールドも、Gibsonのギターを使っていたし、あの有名なジミ・ヘンドリックスはFenderのストラトキャスターなくしては語れない存在だ。
一方、タイガース、テンプターズ、スパイダーズ等、当時の人気グループサウンズ達を擁する日本の音楽事務所は、総じて全世界に絶大な人気を誇るビートルズのエッセンスを取り入れ、バンドをよりコマーシャルなスタイルへと走らせる傾向があり、ステージやTVで特に重要となるビジュアルに関しては、ギタリストの好み云々に拘わらず、事務所の意向としてビートルズの面々が使っていたエピフォンやリッケンバッカーを指定させたのだろう。
この他に日本ならではの独自性を貫いたグループもいた。ヘアースタイルは“七三”、衣装はスーツという“まんまサラリーマン”が印象的だったブルーコメッツである。そこのギタリスト三原綱木が使っていたバイオリン型ギターは、中学生の目にもぶっ飛びのかっこ悪さだったが、今から思えばあれはあれでグループの雰囲気にマッチしていたのかもしれない。しかし、エリック・クラプトンがGibson・SGでブルースのアドリブを奏でる姿とはあまりにも対照的であり、既に海外のロックシーンが音楽のスタンダードだと認識していた自分にとって、この傾向はどうにもこうにも理解しがたく、大好きだったあのタイガースでさえ、時と共に興味の対象から外れていったのである。

エレキバンド・その8・A Hard Road

hardroad中学3年へ進級すると、それまで都内の中学校へ通っていたカズちゃんが武蔵野五中へ転校してきた。
しかもクラスがいっしょになった。
友達同士、青春を謳歌するには最高のお膳立てだ。
学校で、家で、ところかまわずのお喋りの花。これは楽しい。
ましてクラスメイトの女子話とくれば、ぎんぎんに盛り上がる。はっきり言って止まらない。
今思い出しても、よくあれだけ話題が出てきたと不思議に思う。
但、私もカズちゃんも中学生までは恋の全てが片思い。イマジネーションを越えることのない恋心は、制限なく膨らみ続け、憶測だけの一喜一憂は切ないばかりのエンドレスストーリーを生み出すのだ。

「好きな子いる?」
「自分から言えよ」

こんなやりとりだけで脈拍は上がり、顔が火照る。
あの頃は真剣そのものだったが、今となれば懐かしい思い出だ。

さて、譜面はもとより、ブルースのブの字も知らなかった私は、ひたすらレコードを聴いて耳を馴染ませていった。フレーズを頭にたたき込まなければアドリブの練習は始まらない。
そんなある日、3コード進行に沿って指を動かしてみると、たどたどしくも即興演奏風に聞こえるようになってきた。やっとの前進に嬉しさ爆発である。
覚えたフレーズを適当につなぎ合わせ、それに若干のアレンジを加えていくというものだが、内容はさておき、“自分なり”を少しでも加味できたことは自信に繋がった。
特にチョーキングとビブラートを適所に使えば、更に“らしく”なることを練習の過程で身につけた。
当時巷で流行っていたブルースとは、俗に言うブルースロック、ブリティッシュブルースというカテゴリーで、本場アメリカ南部の“こてこてブルース”とは、基本こそ同じであっても、方向性や演奏方法は異なった。アコースティックギターで渋く弦をはじき、かれた声で語るように歌うより、ハイパワーアンプでディストーションを効かせ、シャウトで迫るスタイルの方が単純にリスナーを歓喜させられるし、何よりステージ映えがする。
ブルースロックに明るくなければ、現代音楽を語れないほどのブームが到来し、クリームやジミ・ヘンドリックス等々はいつしか神格化されるまでになった。
私はブリティッシュブルースの雄、ジョン・メイオール&ブルースブレーカーズに所属する歴代のギタリストに興味を覚えた。
中でも、後にフリートウッドマックを結成することになる、ピーター・グリーンの渋く重いフレーズはピカイチに惹かれた。彼がプレイしたアルバム『A Hard Road』は、それこそすり切れるほど聴いたものだ。彼のギタースタイルがよく分かる“The Stumble”は、エリック・クラプトンの“Crossroads”と並んで、ギター小僧達の必須練習曲である。もちろんブルースブレーカーズ時代のエリック・クラプトンも素晴らしかったが、ここはやはり好みの差だ。